【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレが落ちてしまったので再び立てます。
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?
前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/ ヤバさで言ったらチョンの日本史捏造や朝鮮起源説が群を抜いてるけどな 沖ノ島を秘匿ってのも遠賀川〜志賀島辺りまでの範囲だと見えるところ結構あるし無理があると思う。
好意的にとれば神秘性を高めたいってことかもしれんけど、実際見えるんだから航海の目標物や道標的な存在になるわな。 通説では安曇氏の出自は糟屋郡志賀とされるが、学者によっては志賀ではないと説を立てる人もおるようだ。
ということは、安曇氏糟屋郡志賀出自の確定資料はないということだな。
もしかすれば、みな騙されているのかも知れんということになる。
そうなれば、倭奴国は安曇族の国ではなかった説もあり得るわけだ。
また、神功皇后紀に出てくる(志鹿の草)という人物も、安曇氏かどうか分からん…と。 筒男の神だって、橿日宮に現れる前には、博多には住吉社があったかどうか分からん。
とすれば、神功皇后以前に志賀で綿津見の神が祀られていたかどうかも分からん。
この2神は一挙に博多付近に現れたということも、考えようによっては考えられることだよな。
確かなのは、博多には那珂八幡古墳を造った勢力がいて、それ以前にもずっと海人系の集団が住んでおり、彼らは朝鮮半島と交易して豊だったようだ、たということだけだな。 >>336
そう熱くならんでもよろしい。
安曇氏が志賀発祥だと信じるに足る資料がない、というだけのことに過ぎん。 西日本一帯や北陸方面に鉄を販売していた海人族が博多あたりに住んでいたのは、異論の出ない通説となっているな。
要は、この博多の海人族が摂津安曇氏の先祖だと確定できれば、それでいいのよ。
問題はどこにもなくなって、高速走るみたいに快適になる。
それを望んでいるけど、急に渋滞の国道に降りたみたいなのが現状。
先が見通せない…。 え?
現存する史料で綿津見に繋がらない安曇なんて存在するの?
綿津見は志賀島発祥でしょ?
なら安曇=綿津見=志賀島発祥で答え出てるやん そこで、博多海人と安曇氏を結ぶ資料になるかも知れないのが、実は面土国なんだな。
中国の各種史書に出てくる面土国の読みは、(わたつち)の可能性がある。
帥升の面土国の読みが(わたつち)ならば、ワタ=海、ツ=津、チ=道と解釈でき、すなわち対馬海峡の交易航路のことだとみなすことができる。
対馬海峡の通行を支配していた国が帥升の国ということになるから、玄界灘沿岸の国と推定することができる。
一方、神話の綿津見神は、ワタ=海、ツ=津、ミ=神なので、帥升の国と何らかの関係を考えることができる。
そうなれば、この帥升の2世紀のころに、綿津見を祀る部族が玄界灘沿岸にいた可能性が出てくる。
そして、5世紀頃に綿津見を祀る氏族は摂津の安曇氏だけだったと考えられるので、玄界灘沿岸の綿津見部族と摂津安曇氏は関係があるかもなあ、ということになる。
で、面土国の面をワタと読むのが正しいのかどうかという検証が必要になってくるのだね。
実際に、この面をワタと読んでいる研究者がいるのは、確かなことだよ。 >>340
その綿津見が5世紀以前に志賀で祀られていた、と書いてある資料はないと思う。 何がなんでも阿曇族を九州発祥にしたくない謎の勢力に笑う
全国すべての阿曇の始祖はワダツミなんだから九州発祥なのは確定だろ >>343
確定にしようと思うなら、面土国の面をワタとよむのかどうか研究するのが先。 >>344
だーかーらー
安曇の始祖が綿津見なのは確定だろ?
綿津見信仰の発祥が志賀島界隈なのも確定だろ?
だったら安曇の出自はオートマティックに志賀島界隈だろw
面土國を訓読みでワタツチとするほうが非合理的だろ しかし、摂津安曇氏が糟屋の志賀から移住した者やというのは、学者らの推測を鵜呑みにした主張であって、文献などで確定しているものではないな。
そう思い込んでいるだけという話やな。
弥生時代から博多で鉄などの貴重材を輸入していた海人族が、安曇(あずみ)という族名だったかどうか、まったく分からんのよ。 あずみちゃんの祖先はワダツミです!
YES!YES!YES!
ワダツミ信仰の発祥は志賀島です!
YES!YES!YES!
あずみちゃんのご先祖様は志賀島出身です!
No!No!No!
なぜなのかwww >>346
摂津阿曇の始祖が綿津見なんだから出自が志賀島だ当然だろ
お前は今朝から何と戦ってんだよ >>340
>なら安曇=綿津見=志賀島発祥で答え出てるやん
賛成! 安曇を九州民にしたくない謎の勢力=畿内説チョンだろ >>345
綿津見信仰の発祥が志賀島あたりだったというその資料がないのよ。
帥升が楽浪郡で玄関払いされたように書かれているのも、変な国名で請願書を出したからやろな。
そんな国知らんわ、帰ってんか、というのが楽浪郡の役人の返事だったのやろ。
まあ、日本最初のナショナリストが帥升だったということになってくるな。 摂津の安曇大浜が海人の宰になったときに、糟屋の志賀まで綿津見の神さん担いで行って、だれか一人そこに残ってその神さん祀ったのとちがうか? >>352
なにゆーとんねん
綿津見は志賀海神社やがな
アホなこと言うたらあかんで >>354
志賀海神社できたのいつか分からん。
5世紀かもしれんし。 まあきみら、摂津安曇をホルホルしてるが、5世紀以前の安曇がどこにいたかまったく資料がないしな。 >>356
神功皇后の水先案内人やから2世紀には存在しとったやろ >>360
水先案内の安曇は、日本書紀には出てこんな。 >>362
安曇が志賀に元々いたというその根拠はなんなん? >>363
何度くり返すねんなw
阿曇の始祖は綿津見、綿津見は志賀海
よって阿曇の発祥地は志賀島
何の疑念もないやんけ >>366
>>355には悪いが>>350が正解だったんだろ
摂津阿曇は九州じゃないニダニダ!!→アホかw阿曇の始祖はワダツミやんけ
摂津阿曇がワダツミ担いで行ったニダ!→アホかwワダツミ=志賀島やんけ
志賀海神社は5世紀創建ニダ!→アホかw2世紀に神功皇后の水先案内しとるやんけ
日本書紀には記述がないニダ→アホかwすでに筑前風土記やって説明しとるやんけ
安曇が志賀島にいたソース出せニダ!→アホかw何度も説明しとるやんけ >>367
何も知らんのに、人の書き込んだものを齧って継ぎはぎしとるなあ。
どこに筑前風土記なんぞあるのや。
肥前風土記やろ、安曇が出てくるのは。
しょうもないお花畑やな。
この掲示板に書き込んおられる知識人のみなさんに迷惑やから、はよ病院へ帰り。 >>368-369
まぁそんなにムキになるなよ。
頭に血が登りすぎて過去レスも読み返せてなくなってるじゃないか。
みっともない。 >>370
あんたには、この板は無理や。
みなさんの書き込みをじっくり勉強してから、そろそろと書くようにし。 >>371
どっちかっつったら現実見れないチョンコのお前が邪魔だから >>317と>>323も読み返せない文盲は黙っときなって
恥の上塗りしてることにも自覚できないようだし 百済スレからの転載だけど、まさに摂津チョンコの所業そのもの
チョンコの考える「正義」の概念は非常に独特であり、まず根拠を必要としないという特徴があります。
なぜ根拠を必要としないかと言うと「この世に正義は一つしか存在しない」と考え、特に根拠はないのですがチョンコだけがその「正義」の側だと信じ込んでいるからに他なりません。
通常、それぞれが正義と信じる者同士が争った場合、ホモ・サピエンスは「相手の正義」の存在を認識しながらも「自分の正義」のために戦います。
「相手の正義」を認識しているからこそ、勝ったときには相手を称え、負けたとしても自分が「悪」だとは考えません。
一方、チョンコはとにかく「相手の正義」の存在をいっさい認知できず、相手の劣等性を指摘(曲解でも、捏造でも、その件と全く関係なくても、何でも良い)する事で
「自分だけの正義」の担保とします。
ですから勝った時には殊更に負けた相手を「悪」と罵り、負けた時には難癖をつけて負けを認めないことで「自分だけの正義」を守ろうとするのです。
つまり負けは「悪」なので「感情的に受け入れられない」と逃げ回るのです。
また、自分自身に向けられた問題提議や指摘を模倣し、オウム返しのように相手にぶつけます。
こういったチョンコ独特の「正義観」は独特と言えるもので、予備知識を持たずに対峙すると「錯乱している」「気が狂っている」としか映らず対話を諦めてしまう結果となってしまいます。
しかし、チョンコ独自の正義「観」を知っておくことで対話は可能となるのです。
では、この特殊な「正義観」にはどう対処すべきなのでしょうか?
その手法は非常に簡単です。
論点をすり替えさせる隙を与えないこと。
多くの問題をいっぺんに片付けようとせず、一つずつ解決していくことです。
チョンコにとって負けは「悪」ですから受け入れることは出来ません。
ですから負けを予感した瞬間に別の戦いを仕掛けて負けかけたことをなかった事にしようとします。
チョンコ以外の人が見れば「逃げた」「論点をすり替えた」「卑怯」と映るでしょうが、そうではありません。
チョンコ独自の「正義観」では負けなければ「正義」であり、ウソでも何でも「じぶんだけの正義を貫くこと」が何よりも優先されているだけなのです。 >>368
悔しがりすぎ
なんで安曇野の祖先が綿津見神で綿津見神が志賀海神社までは受け入れられてるのに、安曇野発祥地は志珂郷(志賀海神社一帯)だけ認めたがらないのか理解不能。
だったら感情論抜きに安曇野発祥地が志珂郷ではない根拠を示すべき。 記紀厨の歴史談義はまあ、かまわんが、
安曇氏に姓を与えたのは、大和朝廷だろ。
ワダツミを始祖とするなら、そのワダツミ概念の衆知はいつからだ?
志賀島に神社を置いたのが、安曇族なのでであって
安曇族の朝廷系豪族化以前から、記紀神に比定出来る始祖神なんてもんは無い。
氏族神みたいなこういう神社信仰は、朝廷権力確定が認知可能な
最古で倭の五王400年〜神道の必然が出来たと推測できる
仏教公伝500年辺りと同時期に普及した信仰だろ。
記紀の普及に便乗しない古神道奈良だがw
氏族、豪族の発生だって、倭人伝で九州の非統一が判る、247年以降で
半島進出、富国強兵が総力化する313年付近と見るのが妥当だろ。
当時の日本の富国強兵政策で
漢四郡の遺民の軍師化は案外有力だったんじゃないのかな? >>377
歴史にニヒリズムを持ち込まないでくれ。 >>377
>安曇氏に姓を与えたのは、大和朝廷だろ。
はあ? 摂津チョンコ?畿内盲信者?は志賀海神社の創建を5世紀くらいにしときたいようやが、志賀海神社の分社「風浪宮」は192年創建と社伝に残されとる。
本社・志賀海神社が分社・風浪宮より古いのは当然やわな。
あと、志賀海神社には元宮があり、志賀島最北部の勝馬に現在も表津宮跡、中津宮、沖津宮が残っとる。
社伝では2世紀に現在地に遷座したとあるんやで。
この元三宮には面白い点があり、2005年の福岡県西方沖地震に際して社団法人土木学会が地質・地盤条件を調査しとる。
https://www.jsce.or.jp/report/34/
この時に表津宮跡、中津宮、沖津島は志賀島花崗閃緑岩に乗っとり、現在の海岸線は3000年前頃に形成された事が判明したんや。
つまり、元三宮は紀元前10世紀頃には浅瀬に浮かぶ沖津島と仲津島、志賀島上の表津宮であり、その当時から原始的信仰の対象となっとった可能性が極めて高いっちゅう事や。
1947年に表津宮の東南300mにある前田富蔵邸裏庭から出土した細形銅剣鎔笵残欠(弥生初期)を皮切りに、1973年、1974年に九大考古学研究室によって実施された「金印遺跡調査団」では縄文後期から晩期の土器、黒曜石製石鏃、磨製石斧が出土しとる。
なお、全国の阿曇氏の祖神で綿津見神(少童命)と同一神と目される阿曇磯良は八幡愚童訓において、「安曇磯良ト申ス志賀海大明神」と記され、
阿曇氏の祖とされる大浜宿禰は新撰姓氏録の右京神別下で「安曇宿禰"海神綿積豊玉彦神"子穂高見命之後也」とあり、
同録の摂津国神別にも「安曇宿禰同祖"綿積命"六世孫小栲梨命之後也」と記されとる。
また、実在が確かと思われる阿曇連[闕名](日本書紀 巻二十二)や阿曇連比羅夫(日本書紀 巻二十四)も
河内国神別において「安曇連"綿積神命"児穂高見命之後也」と記されとる。
さらに「『日本書紀」の原典である「帝紀」、「上古諸事」、「墓記」に阿曇連稲敷は関わっており、自身のルーツが綿津見神にあると認識していた傍証と言えるんや。
そもそも阿曇の本拠が志賀島ではないと言い出したんは文学修士でしかない京都の故・楢崎干城と岐阜の松原弘宣 文学教授、大阪で高校教師やった上遠野浩一くらいなもんやで。
ワイは文学者の裏読みより、社伝に基づく民俗学的考察、地質学、発掘に基づく考古学、資料に基づく歴史学に高い信憑性を得られるわ。 >>373
お前は人の書いたものを見ていろいろ言っているようだが、自分の知識としてはゼロであるはことを示している。
つまり、その書き込みが正しいかどうか、判断できんということや。
筑前国風土記なんぞ、存在せんことに気がつかん無知ということになる。
まあ、出直して勉強してこいよな。 >>381
負け犬の遠吠えw
無能の負け惜しみwww >>381
お前さんは無知無能だから金龍寺行って土下座して来なさい。 >>376
冗談よし子さん。
志珂が安曇氏の発祥の地だというとるのは、お前。
お前がその根拠を示さんでどうするのよ。
はよ、文献挙げんか。 >>383
まず、人が書いたもので勝負せんように。
自分の知識で勝負せい。
筑前国風土記が、どこに存在するねん。
はよ、調べてこい。 >>380
風浪宮て、筑後大川市やないか。
糟屋の志珂とどんな関係あるんよ。
話は、それからや。
安曇が志珂発祥やという根拠になんぞならんやろ。 >>386
駄々こねるヒマあったら少しは調べろ厚顔無恥の朝鮮人 >>384
まだ馬鹿なこと言ってんのかよ・・・
お前は議論できる頭がないんだからもう消えろよ >>380で確定じゃん
なんで摂津チョンコは諦めがつかないの?何一つ根拠を示す知能もないのに?バカの中のバカなの? >>382
根拠示せ。
根拠挙げてから、吠えよ。
吠えるのは、それからでええ。 >>390
お前が否定する根拠を出せよマヌケチョンwww >>390
負け犬の遠吠えw
無能の負け惜しみwww >>385
金龍寺行って貝原益軒の墓前で土下座しろよ
話はそれからだ >>389
どこが確定よ。
志賀島の地盤が海の上に出たのが3000年前というのが地盤調査の結果や。お宮さんがいつそこに置かれたのかを示すもんやない。
2世紀頃にお宮さんができたというてるらしいが、そのお宮さんと安曇とどうつながるのやということが問題になっとるのやないか。
はよ、風浪宮と志珂がどう安曇につながるというのか説明せんかよ。 >>393
やっと調べたか。
で、江戸時代にできた風土記がなんやて? イヤイヤ言ってんの摂津のチョンコロだけじゃん
無視無視 >>397
金龍寺行って貝原益軒の墓前で土下座しろよ
話はそれからだ >>400
チョンコの分際で人間並みの口を聞こうとするからイジメられるんだぞマヌケ(笑) >>399
土下座してくるのは、お前やろ。
筑前国続風土記を筑前国風土記やて。
江戸時代やないか。
先生に恥かかせておいて、なにをおっしゃる無知蒙昧。 >>394
文盲
口答えするならせめて書かれてることを調べてからにしたら? >>402
まずちゃんと調べて、金龍寺行って、貝原益軒の墓前で土下座して、反省して、謝罪しろ
話はそれからだ >>401
病棟へ帰れ。
お前が邪魔して荒らすから、ほかの人が書き込めんやろが。
もう、ええかげんに消えよ。 >>405
お前が消えれば良いだけのこと
現実を直視できないチョンコロは祖国に帰ってニダニダしとけ >>405
親の前で10回音読してから出直して来い
チョンコの考える「正義」の概念は非常に独特であり、まず根拠を必要としないという特徴があります。
なぜ根拠を必要としないかと言うと「この世に正義は一つしか存在しない」と考え、特に根拠はないのですがチョンコだけがその「正義」の側だと信じ込んでいるからに他なりません。
通常、それぞれが正義と信じる者同士が争った場合、ホモ・サピエンスは「相手の正義」の存在を認識しながらも「自分の正義」のために戦います。
「相手の正義」を認識しているからこそ、勝ったときには相手を称え、負けたとしても自分が「悪」だとは考えません。
一方、チョンコはとにかく「相手の正義」の存在をいっさい認知できず、相手の劣等性を指摘(曲解でも、捏造でも、その件と全く関係なくても、何でも良い)する事で
「自分だけの正義」の担保とします。
ですから勝った時には殊更に負けた相手を「悪」と罵り、負けた時には難癖をつけて負けを認めないことで「自分だけの正義」を守ろうとするのです。
つまり負けは「悪」なので「感情的に受け入れられない」と逃げ回るのです。
また、自分自身に向けられた問題提議や指摘を模倣し、オウム返しのように相手にぶつけます。
こういったチョンコ独特の「正義観」は独特と言えるもので、予備知識を持たずに対峙すると「錯乱している」「気が狂っている」としか映らず対話を諦めてしまう結果となってしまいます。
しかし、チョンコ独自の正義「観」を知っておくことで対話は可能となるのです。
では、この特殊な「正義観」にはどう対処すべきなのでしょうか?
その手法は非常に簡単です。
論点をすり替えさせる隙を与えないこと。
多くの問題をいっぺんに片付けようとせず、一つずつ解決していくことです。
チョンコにとって負けは「悪」ですから受け入れることは出来ません。
ですから負けを予感した瞬間に別の戦いを仕掛けて負けかけたことをなかった事にしようとします。
チョンコ以外の人が見れば「逃げた」「論点をすり替えた」「卑怯」と映るでしょうが、そうではありません。
チョンコ独自の「正義観」では負けなければ「正義」であり、ウソでも何でも「じぶんだけの正義を貫くこと」が何よりも優先されているだけなのです。 >>409
このスレで邪魔なのはチョンコのお前だけ >>380
由緒書きで192年は神功皇后の新羅遠征の帰途、となってるわけで
これと安曇族が係わる実際年代ってのは、300年以降であってないか?
卑弥呼で大乱が収まった時に何で神功皇后の新羅遠征だ?
楽浪帯方の239年までの公孫氏や246年まであった韓王朝なんて
青銅器交易で友好国じゃないのか?
三韓征伐ってのも現実的には九州同様に
調略とか、領地安堵の冊封型支配みたいだけどね。
中国との冊封関係に有った高句麗は313年に韓四郡を侵略したけど
350年代に350年代に楽浪候、幽州刺史に封じられている。
神功皇后の三韓征伐って、
卑弥呼が親魏倭王印綬の魏と戦争したことになっちゃわないか?
神功皇后がこの313年以降でないと記紀がデタラメだろ。 安曇氏族はチョンと無関係なのに何故に固執してるのだ?
百済王族と仲良しだったからか? >>413
それこそお前の妄想と願望だろーが無能チョン >>394
全然ちゃうで、志賀島の花崗閃緑岩は沖積層より古いんや。
約2万年前から海上に突出しとって、3000年前に中津宮がつながったちゅうことや。
ワイが書いたんは
> その当時から原始的信仰の対象となっとった可能性が極めて高いっちゅう事や。
> 1947年に表津宮の東南300mにある前田富蔵邸裏庭から出土した細形銅剣鎔笵残欠(弥生初期)を皮切りに、1973年、1974年に九大考古学研究室によって実施された「金印遺跡調査団」では縄文後期から晩期の土器、黒曜石製石鏃、磨製石斧が出土しとる。
という、信仰の古さの傍証やで。
2005年の地質・地盤条件の調査まで誰も島とは知らんかった場所に中津宮が存在しとるんは原始信仰の対象があった上に建立されたのだろうと考察するのは世界史でも考古学でも何ら不自然なことではないんやからな。
記紀を始めとした史料に残る安曇氏族はほぼ例外なく綿津見神を祖神としとるわけやが、君は綿津見信仰の発祥が志賀島にないと思っとるんか?
せやったらそれを反証して見せてくれや。 >>411
志賀と安曇をつなぐ根拠を出してくれたら、すぐにでも帰る。
はよ出してくれ。 >>418
は?このスレ読み返せば何度も書かれてるだろ無能
お前には無関係なんだから日本史いたからさっさと消えろチョン >>417
その原始信仰の上にお宮さんが建てられているのは事実やろ。
しかしやな、そのお宮さんを建てたのが誰かという話になるんやな。
安曇族ではなしに、別の海人族かもしれん。
摂津の安曇氏がその志賀の海人族の末裔やと証明できるのならええ。
だが、それを証明するものがないやないか、というとるの。
乱暴な話をすれば、摂津安曇氏が、志賀海人族の信仰を乗っ取ったという話もできる。
話だけはや。
これと同じに、志賀の海人族は安曇族やというのも、根拠を示せん以上、話にすぎんとみなすことも可能やということになる。
そこのところの根拠が問題になってるわけよ。 >>421
人の受け売りしかできん者は、このスレには必要ない。
帰れ。 >>424
チョンの妄想箱のスレに不要
はよ消えろ。 だーかーらーw
まず、摂津チョンコも全国に広がった安曇属がワダツミを始祖としてるのには同意してるんだよな?
とすれば、ワダツミの本拠地がどこかって問題だよな?
摂津チョンコは摂津にワダツミの本拠地を比定できてんの?
神話の話には史実が隠れてるという民俗学の視点で見ると、ワダツミ三神はイザナギの禊でスミヨシ三神と共に生まれ出たことになってるよな?
アマに住むアズミとエに住むスミヨシ(スミエ)は一緒に生まれた三つ子の多胎児ってことだ
多胎児の片割れであるスミヨシ三神は800年前までは那の津(博多湾)の河口だった現人神社に祀られ、のちに現在の住吉神社の地に遷宮され、全国にある住吉神社の総本社となった
摂津の住吉大社もこれは認めてる
同時に生まれたはずのワダツミ三神が那の津の湾内以外に祀られるのは極めて不自然だろw
実は摂津チョンコと似た文調の>>380が書いた中津宮付近にはイザナギの禊地であるという伝承があり、御身洗という地名を残してる
伝承ではワダツミがその場に留まり、スミヨシは那珂川河口に降りたとしてるんだ
なによりも安曇族の始祖がワダツミであるならば全国の綿津見神社、海神社の総本社である志賀海神社こそが安曇族の本拠に他ならないって結論しか導き出せないだろ? >>422
そんな「もしも話」し出したらキリがねぇだろバ〜カ >>426
お前のtallinn頭じや、そうしか理解できわな。 >>427
なんか思い込みというか、基本的なことを理解してないというか。
そもそもワダツミは、南九州のアハギハラというところの河口の海で生まれたと書紀に書いてあるわな。
まず、そこから論を始めんで、いきなり那の津を持ち出してくるのは、乱暴な論やと思わんか。 筑紫の日向の橘の小戸のアワキハラなら、福岡市西区小戸だな。 >>431
日本書紀のアワギハラが福岡市の小戸だとの説だが、一足飛びに断定するだけじゃなく、論証が必要だね。
普通は、日向は南九州を指すとされているからね。
どういうわけで、日向が福岡市になるのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています