【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレが落ちてしまったので再び立てます。
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?
前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/ >>590
お前の都合で史料の選別をするな無能。
阿曇の本貫地は志賀島。
摂津にその痕跡がない以上アホの一つ覚えのごとく「書紀がぁ〜書紀がぁ〜」とほざくんじゃない。 >>591
散々「筑前国風土記なんてないニダ〜」と大ヅラこいてたくせに篠川賢のPDF見つけた途端に他の資料を認めることもできずに「筑前国風土記逸文ガー!」ってサルかよwww >>597
川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は日暮れ前に首を吊れよ
何度も!何度も!何度も!
繰り返し!繰り返し!繰り返し
「即死しろ!」と命令されているだろう?
むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか
誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ
日暮れ前に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!! どこの池沼なんだよ?
『チョン州 長州』
こういう話の関係者、被害を受けた、被った人? なぜ皆さんは色々と知識も豊富なのに
なぜそんなにも口汚いのでしょうか >>592
摂津に招請されて…て、何を根拠におサルさん。
推測なら、推測らしい言葉を使ってね。 >>595
安曇の本貫地は志賀島…という信念なのは分かるが、根拠がなければなあ。 >>606
根拠だらけなのに、お前が勝手に信じられないとほざいているだけ。
証拠もないことをダラダラと書くな。 結論としてはキナイコシが歴史を論ずるに値する脳も姿勢もないサルだってことだけが明確になった
サル知恵、サル顔、サル踊り >>603摂津チョンコは鏡見たことないのか???
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル どういう教育を受ければそれほどまでに口汚くなるのか興味がある それくらいキナイコシはウザいんだよ。
根拠のないことを言い張ってばかり。 どこの池沼なんだ?と言っているんだよw
倭人・・・朝鮮人・・・、
何なのか知らないけど、どこかの工作員か何かなんだろう? 倭人、朝鮮というのとは別
漢の人・・・わかりやすく言うと中国w
そういう人たちがいるんだよ
と言ってる人がいるでしょ 中国〜?実際は東北地方にも住んでいるよ
『伊達の桃太郎』
家の老婆は、ほとんど同じ話をしているし >>618
首を吊らなくても良いから息するのだけはやめてよ 摂津には海神伝説がないし、安曇が祭るべき神もいないのに何で摂津チョンコ?キナイコシ?サル?は摂津が本家と妄想してるんだ? >>621
それがキナイコシの平常運転
上の方にチョンコの正義感がなんたらってコピペを読むと理解しやすい 炎上芸って言うのかね
会えて強弁してほくそ笑むと言う 地名からの推察:
西日本古代紀行 神功皇后風土記や筑後争乱記―蒲池一族の興亡、九州を制覇した大王―景行天皇巡幸記、
神功皇后の謎を解く: 伝承地探訪録、景行天皇と日本武尊: 列島を制覇した大王、などを上梓されている福岡の
郷土史研究者である河村哲夫氏によれば、
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信州阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江
阿曇氏、阿曇連から地名が発生したとするならば"阿"曇郷が本貫地であり、"安"曇郡や"安"曇江は移住先と推定できます
史料からの推察:
新撰姓氏録の右京神別下、地祇によれば
安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也
つまり、綿積の子、穂高見の子孫であると書かれています
同様の記述は古事記の上巻ニにも掲載されています
穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社の2社のみ
しかし、同姓氏録の摂津国神別によれば
安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也
つまり、綿積の6世孫、小栲梨の子孫であると書かれています
この小栲梨という神を祀る神社は存在せず、また摂津には綿津見を祀る神社もありません
先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀によれば
少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神
つまり綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事であると書かれています
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社が存在しないです
ただ、綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社が摂津にあります
新撰姓氏録と先代先代旧事本紀からは筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)だと言えます
また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮できますし、
海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロします
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めています
それでは摂津チョンコさん、阿曇の本拠地が摂津であり、5世紀には大族となっていて、その分家が筑前に入ったとする推察の根拠の提示してみてください 阿曇の本貫地は筑前志賀島で決定
摂津には綿津見信仰もないし、根拠も何一つないから阿曇の傍流と確定 >>625
筑前阿曇氏がいつから阿曇郷にいるのかについて確定資料がない以上、筑前阿曇郷が安曇族の発祥の地と断定することはできない。
お書きの通りに推測であり、確定事項とはいえないのは摂津安曇氏が本家であるかも知れないとするワイの説と同じ。
安曇氏筑前阿曇郷発祥は推測ということ。
摂津に綿津見を祀る神社がないのは、綿津見神は元々奴国系の海人が祀っていたもので、あとから筑前に参入した安曇氏が祭祀を交代したものとすることもできること。
みなさんが「安曇族は筑前安曇郷で発祥したと推測する」とするのであれば、横やりを入れる必要はない。 >>627
>摂津に綿津見を祀る神社がないのは、綿津見神は元々奴国系の海人が祀っていたもので、
その海人が筑前安曇氏だろ。 >>629
その海人が筑前安曇氏だという資料はないと、何度言ったら。
正しい表現は、(その海人が筑前安曇氏だと思う)だよ。 淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房 @阿波 >>631
みんな、「忌部はん」 の進出・開拓地。 @阿波 >>631
みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。 @阿波 海部氏系図も、「忌部はん(海人族)」 の系図。 @阿波 >>630
バカかよ。。。 古代史なんてほとんど確定事項なんてないだろ。
「資料がないニダ!資料がないニダ!」と駄々こねるなら歴史を語る資格はないよ。
現状としては神話、社伝、地名、資料において阿曇族の本貫地は筑前志賀島が最有力なのは間違いがない。
そして一番重要なのは他に候補地が存在しないこと。 >>635
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房 @阿波 >>635
候補地なら、摂津安曇があるじゃないか。
安曇宿祢大浜の拠点だ。
大浜が応神のときに突然大豪族にのしあがったわけじゃあるまい。
その前から淡路の海人を束ねる部族だったはずだからな。
とにかく、みな推測なんだよ。
だから、推測だとひとこと言うのが筋じゃね。 >>638
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房 @阿波 >>638
根拠がないから候補にならない。
日本書紀にだって大浜が摂津だとは書かれてないし、むしろ地元の豪族説のほうが強いと思うがね。 >>640
今までの流れ見てないのか?
いくら諭してやっても言う事聞かないのが摂津チョン
↓
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
論破されても「確定資料がない」と殻に閉じこもって喚く
それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル >>596
ワイが「筑前国風土記はない」と言うたら、貝原益軒を持ち出してきたのは誰じゃ。 ついでに
海部氏系図も、「忌部はん(海人族)」 の系図。 @阿波 >>640
日本書紀は「阿曇連の祖大浜宿祢をして…」と書いていて、この大浜の子孫とみられる安曇連の安曇百足が摂津の浦上に住んでいたことが分かっている。
大浜は摂津に住んでいた海人豪族であることは確かだ。 >>644
>大浜は摂津に住んでいた海人豪族であることは確かだ。
いずれにせよ、「海人豪族」とは、「忌部はん(海人族)」 。
「忌部はん(海人族)」以外の海人部族なし。 @阿波 >>643
阿波の人民は、縄文時代に南九州から四国南岸に入り、阿波に定着した者らの末裔。
この人民の一派は、そのあとさらに紀伊の紀ノ川へ進み、次に伊良湖岬方面へ渡った。
つまり、阿波の人民は南方系縄文人の子孫だな。
忌部は、ずっとあとになって大和から来て、縄文人民の上にヨイショと座った者だ。 >>644
宗像大社の社伝には磯良丸の功績を讃えて船48艘与えて摂津に招聘し、その子孫が百足。
筑前から摂津に移った痕跡は山ほどあるけど、摂津から筑前に移った痕跡はゼロ。
お前の負け。
諦めろ。 >>646
泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール >>645
阿波の人民が南九州系海人じゃな。
忌部は大和の朝廷に仕えた氏族で、あるときふとやっとてきて、人民の上に座った者。 >>646
>忌部は、ずっとあとになって大和から来て、
古語拾遺の間違い。 忌部一族は、大和や関東その他へ進出していった。 @阿波 >>648
>泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール
まさにその通り。 泡に触ると大けがするよ。 @阿波 >>650
そこは元々新屋神社があった場所で疣水は10世紀に招聘された摂社
少なくとも10世紀まで安曇を奉る神社がないってだけでも摂津が本拠地である可能性は海見に等しい >>648
>泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール
まさにその通り。
NHKでも高名な考古学者が一切、阿波の遺跡(加茂宮ノ前遺跡や矢野遺跡など)に触れないでしょ。
みんなも、泡に触ると大けがするよ。 @阿波 神話〜系図なんてものは誰でも作成できるんだけど、
そういう作品、小説や漫画などもあるでしょ
あのような作品は本人(作者の家)のことを書いているのかな、
違うの?
そういう作品があるでしょw
神〜父母(祖父母でも良い、・・・でも良い、・・・でも良い、先祖の話エピソードwを継ぎ足していく)
〜主人公〜その他〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜作者 泡に続いてショーケーチョンコまで湧いてくると摂津チョンコいびりに集中できないな(笑) >>647
情報は正確に書かないと。
>>515
> 宗像大菩薩御縁起には
> 「武内宿禰が天の岩戸の神楽に倣って呼び出そうと神功皇后に提案して安曇磯良丸を召喚。
> 熊襲退治と三韓征伐で活躍した磯良丸に48隻の船を与えて難波に移らせた」とある。 >>647
>宗像大社の社伝には磯良丸の功績を讃えて船48艘与えて摂津に招聘し、その子孫が百足。
あ
他スレで宗像が瀬戸内海の制海権を掌握しない限り、大和から筑紫への天孫降臨はあり得ないとか書いたのに、宗像が筑紫から摂津まで掌握しているじゃん。
瀬戸内海が筑紫の支配下にあったということでもあるけどね。
畿内説が聞いたら発狂しそうだ。 >>657
>> 「武内宿禰が天の岩戸の神楽に倣って呼び出そうと神功皇后に提案して安曇磯良丸を召喚。
これって壇ノ浦のことだよね? >>647
神功の前に現れた磯良は、その後神功とともに帰途につき、筑後大川の風浪宮で少彦名神を祀って、それから摂津の安曇へ戻った。
磯良が摂津安曇氏の氏神てあることを示しているじゃないか。
磯良は、自分の子孫が朝鮮半島へ戦に行くのだから、加勢のために摂津から宗像へ現れたということだな。
磯良が元々宗像の海にいたわけではない。 例えば、
何やら歴1000年〜1001、1002年〜という話だったのに、
400年頃(作者の先祖たちの物語?)の話になったり・・・、
つぎは3000年頃(作者の先祖の・・・物語)の話になったり、 遡り〜紀元前〜6000年のような話(作者の先祖の物語)、
〜何やら歴1004、1005年(作品が始まった頃の物語) >>660
資料を妄想で歪曲するな摂津チョン
磯良が現れたのは熊襲征伐の準備中だウソツキチョンコ >>663
熊襲退治前なのか三韓征伐前なのかは資料や社伝によって違いがあるね。
摂津から連れて来たは明らかな摂津チョンコの嘘だけど(笑) >>651
大和などへ進出したのは、縄文系阿波人民。 >>663
陸の熊襲を討つのに海人の神様が現れるわけないじゃないか。
ちょっとは、ものの道理を理解しろよ。 >>648
>泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール
まさにその通り。
NHKでも高名な考古学者が一切、若杉山遺跡にも触れないね。 今までの常識がひっくり返るからね。
みんなも、泡に触ると大けがするよ。 @阿波 >>665
>大和などへ進出したのは、縄文系阿波人民。
忌部一族=縄文系阿波人民と言いたいのかな?
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。 @阿波 >>653
だいたい、摂社になっているのが元々の神さんであることは、普通のこと。 その作者というのは、
いつの時代の人なんだよ?みたいな事にもなるでしょ
作者のプロフィールなどがあるでしょ
うまく考えて、そういう【設定】にしておくと良い
〜歴??????????????????????年生まれとか >>660
>磯良が元々宗像の海にいたわけではない。
もともと宗像の海にいたから摂津に派遣され、必要な時は馳せ参じたんだよね。 『プロフィール』
横顔〜?
何かの曲と同じでしょ、ガンダム?もののけ姫? >>670
その古くからあるのが、南九州系縄文人民。
大和の忌部氏の統括のもと、阿波人民(阿波忌部氏)が麻などを生産した。
この阿波忌部氏やその人民が南九州系縄文人の系統。 >>650
摂津チョンコは摂津ラヴなのに摂津名所図解にある磯良神社由緒略記を知らないのかよマヌケw
平安時代に流行り病が繰り返されたから天照御魂神社に磯良大神を招聘したのが疣水神社の始まり
天照御魂神社の玉の井脇に摂社が建てられていたため江戸時代になってから天照御魂の神水ではなく磯良の疣水と呼ばれるようになった
現在の疣水神社の神職も神功皇后の新羅遠征で水先案内人を務めた磯良大神の神通力を頼って疫病退散の祈願として祀ったとしている
けっきょく摂津には安曇氏族の痕跡は何一つないって事 >>671
もうバカは死ねって
迷惑でしかない
>>677を100回読め!そして電話でもして確認しろ
ついでに高鴨神社にも電話しろ >>673
妄想もそこまで行くと摂津トンスルファンタジーwww そういう意味では、
ほとんど失敗(ダメ)・・・という作家、作者ばかり >>676
大和忌部はずっと後。
出雲忌部
紀伊忌部
讃岐忌部
備前忌部
越前忌部などよりずっと後。 @阿波 >>673
それ、逆。
摂津にいて、それから神功に従って九州にやってきたの。
そのあと、筑後大川を経て、摂津へ戻った。 なぜ公の場などにも出てきてはいけないのか?
信じていた子供たち「へえ〜、カミタマ(そういう家)なのに、なんで死ぬの?」
みたいなことになり・・・説明不要 >>679
いやいや、磯良元々玄界灘説がファンタジー。 >>682
>摂津にいて、それから神功に従って九州にやってきたの。
神功皇后と仲哀天皇は穴門豊浦宮に座す九州人だよ。 >>682
>摂津にいて、それから神功に従って九州にやってきたの。
どのみち、「忌部はん」 の物語なんだよ。 @阿波 徳永英明『Wednesday Moon』
この曲を聴いてみて、
気づいている人は「この曲・・他の漫画やアニメの・・・?なるでしょ 神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も
新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ
新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無
先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない
綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係
摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える
また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている
筑前にこれだけの傍証があり、摂津に皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ない 沖ノ島の祭祀に4世紀後半から畿内も参加するが、その主体は結局は筑紫の宗像であり、祭器の調達先を西日本全域に拡大しただけなようだ。
沖ノ島の世界遺産登録のための論文集では、古墳から推察される筑紫で最大級の勢力が宗像であったと書かれていたから、その通りなのだろう。
その支配下に安曇などがいて、博多住吉や摂津住吉は宗像の活動拠点?
安曇は綿津見の末裔だが、綿津見と対になる大山祇の末裔である三島鴨族と活動範囲が被っているな。
天孫族、宗像、安曇や三島の順にヒエラルキーが形成されていたのかもしれない。
彼らが瀬戸内ルートで畿内と九州を結びつけ、筑紫倭国の支配域が東に拡大したのだろう。 >>688
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房 @阿波 >>677
略記にそんなこと書いてないだろ。
境内に元々あったと書いてあるし、
住吉三神とともに神功の征西に従ったとも書いてある。
住之江と摂津は隣同士。
摂津に磯良がいたのよ。
豊玉大神は住之江の津守の氏神だから、その豊玉神と磯良は関係があるわけだから、安曇が津守と同族なのは明らか。
綿津見は奴国系の祭神だったのを、あとから志賀へ進出した摂津安曇が祀るようになったのだろうよ。 >>691
妄想アキラメロン
>>688を反証できるまでお口チャックな >>690
>>688を超える説を出せるまで巣から出てこないでwww >>691
>豊玉大神は住之江の津守の氏神だから、
豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています