【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレが落ちてしまったので再び立てます。
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?
前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/ >>65
日本中の渡辺さんが天皇の血筋だと思ってるの? >>66
98 :日本@名無史さん:2013/06/14(金) 11:16:37.40
宮本常一氏の研究によれば、三種類の海民が、瀬戸内海にみられるという。(「瀬戸内海文化の系譜」)
第一は、男女共漁をする海民で、北九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは宗像三神を信仰し、あわびや魚、海草を採取しながら移動する定着性の低い海民であった。
尼崎、海部などの地名が残っているのは、かれらの居住地と推定できる。
第二は、男漁女耕をする海民で、南九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは大山祇を信仰し、四国側を中心に定着し、後に村上水軍などの海上の武装勢力を形成した。
第三は、半農半漁をする定着民で、瀬戸内海に定着していた在来海民である。
かれらは、住吉の神を祀り、遠浅で磯漁の条件の良いところに居住した。
貝の採集に優れた技能をもっていたかれらは、あわびの採取、交易、製塩などに従事し、供御人などに任ぜられて朝廷との関係を結んだ。 そんなことより女性専用車両は男性差別なんですよね。 宗像大社や住吉大社などの海神族は、
航海の目印となる三連星のオリオン座を祭神としている。 海神族は日本までたどり着いたら、船でどこにでも行ける。
瀬戸内も四国も美濃もあちこちに海神族の足跡がある。
長野県の安曇野も、海神族が船の材木を求めて糸魚川・千曲川を
遡ったのかもしれない。 海神族って宗像から日本海じゃないのか?
古代の関門海峡は通過できなかったらしい。
仲哀のときに掘削したとか。
元の宇佐が内陸の迂回路だったらしいよ。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 ウガヤフキアエズ命は海神族奴国の綿津見神の娘の豊玉姫を嫁にもらっている。
天皇家と海神族は古代から親戚ではないか? 綿津見の神もイザナギの子供だったとかどこかで読んだ気がします。
まあ、こじつけかもしれませんが、姻戚関係にある豪族であったことは間違いないでしょう。 >>77
親戚どころか、神武の母親も婆さんもワニだからなw 天皇家も古くは天という姓があり天神と呼ばれたが、天(あま)は海人(あま)に由来するという。
海神とは古い親戚。 海と空は、水平線で一体となるから天なのか?
それで、海人族の我らは天から降りてきた天孫降臨なるぞという
神話になったのだろう。
たぶん中国という天から、帆船でわたってきたのだろう。 都から離れることを下ると表現する。
鉄道や道路の上り下りと同じ。 高天原と筑紫や出雲はそこそこ早く行き来できたようなので、対馬とか、朝鮮半島とか。 朝鮮や対馬に、天というような文化があるはずがない。 天とはたぶん南京あたりだろう。春秋時代の呉ではないの? 祖母の田舎の淡路島の離れ島の沼島は先祖が海人族だって言ってるんだけど、誰か詳しい人いないですか。
沼島は国産みで最初に出来たオノコロ島の比定地の有力候補で、天御柱のモデルとされる奇石もあります。地元の人は立神さんと呼んでいます。 >>92
海人族で正しい。
何故なら、耕地もなく狩りをするにも狭すぎて海人でないと生きていけない土地だから。 >>51
コピペするだけで読んでないと思うけどw
江南から伝わったのでないと言い切るなら、どこから伝わったのか?
日本に伝えたというその場所には、どこかから伝わってから日本に伝えるまでの
土器や道具の代々の変遷が明らかな遺跡が存在するのか? >>94
日本の日本史の教科書に書いてあるだろ。
ブタみたいな顔をしたafb1b3たっぷりの遺伝子が真っ赤っかな
クッサイ汚らしい南方蒙古人種の華南ブタが祖先の台湾ブタ。 ↑自分の書き込みにフォローする変態台湾ブタ顔原人
afb1b3たっぷりたっぷりの、遺伝子真っ赤っかなクッサイ汚らしい
南方モンゴロイド華南ブタが祖先の台湾ブタ顔汚物生命体 おのころ島は博多湾の能古島。
イザナギが最初に征服して奴国を築く基礎となった倭国発祥の地。 呉の姫氏、越王勾践氏、斉の姜氏、箕氏準王の子孫も日本に来ていただろう。
当時は戦乱のシナから、道教の蓬莱山を目指して多くのシナ人が日本に来ていた。 >>99
で、それを証明する証拠遺跡とその証拠土器・石器と、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?
台湾ウンコ色ブタ広鼻巨大タラコ唇ブタ顔原人。 >>1
完新世の最温暖期(紀元前4000年頃)、東アジアは対馬海流の恩恵でアムール川流域の高緯度地帯まで
温暖多雨な気候であった
日本列島の縄文人と中国東北部の遼河文明人は日本海を超えてヒスイ、黒曜石などの交易が推定される
しかし、紀元前1100年頃の地球規模の気候変動(寒冷化)に伴って沿海州南岸からの渡来者が山陰地方に集団を形成した
彼らが弥生式土器をもたらした弥生人であり海人族となった
北部九州に進出した海人族は朝鮮半島南部にまで勢力を扶植して稲作技術を獲得した倭人となったのである 朝鮮半島は南北での気候区分よりも東西での気候区分の顕在化は意外と知られていない
黄海側は鴨緑江河口部まで豊かな稲作穀倉地帯である
日本の稲作の原郷は江南でも山東半島でもなく朝鮮半島西部 日本のイネは元来北方品種なので短期間のうちに津軽平野まで伝播しても何ら不思議ではない
これが江南産品種ではない証明 日本に伝わっている農具、特にクワ、エブリといった農具は中国には無いからね。
しかも中国の農具は石刃。
朝鮮南部から伝わったものとしか考えられんの。
ところがこの朝鮮南部から稲作を伝えた連中が朝鮮土器をサッパリ作らない。
この人たちは半島から稲作だけ持ってきただけで半島人じゃない事が分かる訳だ。
じゃあ彼らは何者なのかと考えたとき、彼らが作っていた土器を深く調べてみると
島根あたりが日本最古らしい事が分かってくる。
もっとよく調べてみると、沿海州南部の青銅器時代あたりの土器文化と土器の
文様が一致している事が分かる訳だ。 >>103
東北で米の大量生産が出来るようになるのは
寒さに強い品種が出来た江戸時代から 東北は弥生時代に稲作にも手をつけたが、上手くいかなくてやめたんだよな。
大正昭和においてさえ、食べられない年があったくらい。
稲の北方と言っても、東南アジアに比べてという程度の話。 言っておくが
水稲と陸稲の違いは種の問題ではない
栽培方法の連続性による変異でしかない
水田での稲作は収穫率の増大と連作障害を避けるための知恵
さらに日本のイネの品種の遺伝子の多様性の乏しさはボトルネック効果により
中国人が渡来する以前に朝鮮半島から持ち込まれた短粒種ジャポニカが基層になっているから 朝鮮半島よりも日本の方が遺伝子の多様性が高いんじゃなかったっけ?
だから日本から朝鮮半島に稲作が伝わったと聞いたが? 中国人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡もその証拠文物も一切ないし、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者もおりません。
悪しからず。
>>110
だったら朝鮮のイネにもb遺伝子があるはずじゃないのw
それに朝鮮のイネにあって日本のイネにないd、e、f、g、hの5つの遺伝子は
どう説明するの? 単に朝鮮にa〜h全ての遺伝子のイネがあった時代に日本にa、b、cの
3種類のイネが伝わり、その後、朝鮮のイネからb遺伝子が淘汰消滅したという
簡単なトリック。 風媒花の遺伝的多様性がそう簡単に失われるとは考えにくいけどなあ。 とにかく日本の稲作は最古水田に伝わっている農具が中国に無い農具だから
半島なんだよ。
問題なのはその半島から稲作を持ち込んだ連中が朝鮮土器をさっぱり
作らず、半島人ではなかったという事。 朝鮮半島は文化の通り道
いろんな外部の渡来人が文化を運ぶ 沿海州から粟作が伝わった時に同時に伝わった農具を使い続けたんだろ
稲作が初めての穀物作ではないんだから
農具では稲作のルーツは決まらない 最古水田の登場ともに最古農具が登場するんだぜ。
つまり稲作と農具はセットで導入されているとしか考えられないね。 日本における貯蔵米の害虫として最も知られているのがコクゾウムシである
考古学上、コクゾウムシの痕跡が確認される最初の例は縄文晩期のダイズ痕を持つ土器を伴っている
縄文晩期に沿海州南岸から渡来して来た弥生人の当初の栽培穀物は中国東北部からシベリアが原産地である
ダイズ、ソバなどだと考えられる
コクゾウムシはこれらの作物と登場時期が一致するのである
それはダイズ、ソバを栽培穀物としていた早期弥生人が稲作を外部から導入した証明になる
翻せば稲作民が弥生人となったのではなく弥生人が稲作を導入したということだ 水稲の栽培には、暦や灌漑などの技術も必要である。
これらは初期の王統と同時に成立した、いや輸入された。
暦を司り、土木治水に腐心するのは王またはそれに並ぶ指導者の役割である。 弥生人は半島に頻繁に行ってたみたいだから、行くたびに稲作のみならず、
あらゆる先進技術が蓄積していった思われ。
ただ半島の先進文化や先進技術を取り入れた人たちはいつも朝鮮土器は
さっぱり作ってくれないが。 日本神道は弥生人が沿海州から持ち込んだ信仰だろうか? 糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww
劣等人種ジャップについて語りたい場合は
↓
http://hanabi.2ch.net/ogame/ >>1
沖縄県には、21世紀現在でも海人が棲息?
【社会】この海に基地いらぬ…悩む海人、オスプレイ事故が変えた [無断転載禁止]©2ch.net
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482877526/ >>114
半島南部は倭人の国という古代中国の史記の記述から見れば、半島で稲作を
していたのは倭人であり、道具は沿海州や東北部(旧満州)からの影響を受けている。
水稲稲作が満州から伝わったとは考えにくいことから、半島南部と九州北部にいた
倭人が取りに行ったとしか考えられんね。
朝鮮の墓制も伝わっているけど、埋葬されているのは縄文人だ。
朝鮮は古い人骨はあまり出ていない。
それ以前に、縄文中期にあたる時期までは遺跡がほとんどない。
白頭山の噴火で絶滅したという説もあるが、はっきりは不明だがとにかく遺跡がない。
九州は喜界カルデラで絶滅という説もあるが、その後も遺跡があることから
無人だったわけではない。
人間がほとんどいない朝鮮半島から「大量の移民」がやってこれるはずもない。
縄文中期に日本列島ではすでに初期農耕が行われている。各地の遺跡から
栽培植物が出て来る。ゴマにひょうたんにその他遠来のものばかりだ。
遺伝子調査で、縄文人と弥生人は大きく違うという結果が報告されることがあるが、
調査の対象は、東日本の縄文人ばかりだ。
おそらくは、縄文中期には西日本には東とは違う遺伝子を持った縄文人がおり、
マダガスカルへ行った人々の先祖とそう違わない時代に日本へやって来たのだろう。
彼らが元の縄文人に溶け込み、初期の農耕と漁労・狩猟採集をしながら海を行き来
していたのだろう。広域の石器やアクセサリーの交流からうかがえる。 >>127
おまえ詐欺はやめろよ。
朝鮮半島に人が居ないのに何で朝鮮半島から朝鮮土器が出土するんだよ?
しかも時代毎にその土器もしっかり変遷していってるんだぜ。
政治思想からおかしな狂言を働かないでもらいたい。
新町遺跡は北方モンゴロイド形質を帯びた人骨が出土してるし、朝鮮の墓なんだが、
縄文人骨の人たちも北方モンゴロイド形質の人骨の人たちも朝鮮土器を
さっぱり作らないという点から縄文人骨の人たちはもちろん、北方モンゴロイド形質の
人骨の人たちも半島人ではないと考えられるんだよ。
で、農具が沿海州や満州の影響を受けたというソースは?
人が居ないのに >>118
>縄文晩期に沿海州南岸から渡来して来た弥生人・・・・・・・・
弥生人には、沿海州南岸出身と中国江南地方原住民と朝鮮半島南岸出身の
3系統いたという説なの?
沿海州南岸というのは、現在地名でどの辺りのことなの? >>129
ウラジオストクあたりだよ。
実際にウラジオストクから出土した黒曜石のほとんどが男鹿産か隠岐産だったことが確定してる
縄文晩期に裏日本と沿海州南岸で交流があった事は事実だよ DNAの観点からでも東日本と沿海州はほぼ同じだから
少なくとも東日本の弥生人のほとんどは沿海州出身で間違いない 宗像王家は出雲帝国の第6代オオナムチ(主王)八束水臣命(北陸から九州まで飛躍的に出雲帝国の領有地を拡げた英雄)の御子のカタアタス命が分家して建てたらしい。
因みに、神話の大国主命は概ね第8代オオナムチ(主王)の八千矛命。(荒び祟り為す大国主神。にはちゃんと理由(無念な非業の死にざ)が有りました) 黒曜石が隠岐産だけなら朝鮮東岸経由で入ったものと考えるけど、
男鹿産があるという事は日本海を縦断して直接行き来してるよね。
やっぱり日本海縦断交易はあったんだろう。 ていうか、弥生時代は対馬海峡から続く日本海航路が列島の最大の交易路だったんだよ。
倭国を構成するのは、西から筑紫、出雲、丹波、近江、越など。
後に瀬戸内海航路も開発された。 要するに、弥生時代までは裏日本が表日本で、表日本が裏日本だったって事だね。 水運が交易の主力で、交易相手が半島と大陸で、関門海峡がまだ通れなかったなら、必然的に対馬海峡を抑えた勢力が最も有利になる。
それが天津国と呼ばれた原初の倭国であり、天とは海人の意味だと言われている。 >>136
京都新聞社2003年刊「京都の地名を歩く」説では、その旧表日本側の
京丹後市網野町の地名「網野」は、漁撈従事者「海人(アマ)」の
棲んだ地域「海部(アマ)」由来とある。
アマ-->アミノと音韻変化するものなのかな? アマノからならあり得るかもしれない。
音節が省略されて短くなっていくのが普通。 >>136
水運は江戸中期まで
太平洋航路は操船が難しいので
船の発達までは海賊の天下 弥生人自体、沿海州から来た海賊集団だしな。
中国地方から九州北部にかけては海賊の名残が多いし。
村上海軍やら、倭寇なんて弥生人の子孫丸出し。 90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?
95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です
↑
この衝撃的な失言を落とすために
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59LRX >>128
朝鮮半島は、約1万年前〜5000年前あたりまで遺跡が非常に少ない。
127氏が書いた白頭山の噴火は、多分鬱陵島の噴火の書き間違いだろ。
鬱陵島は約1万年前に大規模な噴火をしてる。
日本にも火山灰が来ている。 >>2
阿曇族の奉じる志我神が、景行天皇の氏祖神でもあるのか?
505日本@名無史さん2017/09/02(土) 21:52:36.17
>>362
『景行天皇紀』に、以下記事がある。
土蜘蛛討伐九州親征時に抵抗に遇い加護祈願した
志我神、直入物部神、直入中臣神の名々からすると
先頭の志我神が、景行天皇の氏祖神ということか?
物部氏とは何者??
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1387450390/362-505 物部は武勇の神として挙げたのでは?
中臣はわからん。後世にねじ込んだのではないか? >>55
うむ。渡辺橋。朝日新聞大阪本社のあるとこ。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
Z67 >>136
>弥生時代までは裏日本が表日本・・・・・・・・・
弥生時代までどころかペリー来航江戸幕末期まで、
現在の裏日本が表日本だったんだが。 家康の江戸開闢からは東海道が整備された。
武田信玄とかがいた戦国時代までじゃないか? 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>151
伊勢。熱田。鹿島香取。宇佐。
神宮ライン
栄えてたやん >>154
「忌部はん」 拓殖ルートだよ。 @阿波 >>154
それは古墳時代に入ってからだろ。
縄文弥生は圧倒的に環日本海交流圏が栄えていた。
越、出雲、筑紫ラインだよ。 >>156
>縄文弥生は圧倒的に環日本海交流圏が栄えていた。
>越、出雲、筑紫ラインだよ。
だから、北陸忌部・出雲忌部・筑紫忌部 と、何度言えばw @阿波 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>159
その頃から瀬戸内の開拓が進んだのだろう。 古さで言えば
安曇>宗像>住吉かな?
文化圏が違うが最古は隼人? 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>164
隼人は海幸彦(ホデリ)が祖とされている。
倭国の王都であった筑紫の日向(福岡県伊都)を追われて投馬(宮崎県都萬)に下った天孫族の分家だろうね。
ちなみに隼人が文献に頻出するのは奈良時代。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています