【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレが落ちてしまったので再び立てます。
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?
前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/ 例えば『蝦夷征討』
中国 南朝〜という話があるけど、
読まないようにしているんだろう? >>737
年毛神社は志賀神と住吉神と理由が分からんけど佐賀の塩竃神を祀ってるナゾ神社 博多住吉神が無位から従五位下にしてもらって大喜びした859年に
志賀海神が従五位上、宗像大社は正二位
その半世紀前に住吉大社は従一位 >>733
同じ三柱の海神を祀る神社の勢力図として分社の数や分布を見れば、宗像の行動範囲がいかに狭いかが分かる。
一概には言えないけどね。
宗像が重宝がられた最大の理由は天武に嫁いで手厚く庇護されたことだけだと思う。
神代以降で最初に大和朝廷に嫁いだ実在の人物ってことで。 >>737
でたw
「万津浦」 異常敏感反応者 @阿波 >>733
>宗像が博多湾沿岸で一番隆盛を誇った氏族だという論文は読んだが?
そりゃ、末盧国だからね。 @阿波 240年には倭人伝で、漢文で邪馬台国と仮称された
筑紫は、239年公孫氏滅亡、246年韓王朝滅亡を経て、
247年までに、本州の後の大和朝廷となる勢力と併合している。
外交を一大卒に一本化したのである、これが247年で魏と邪馬台国の外交が終わった理由。
これは、245年に難升米が三国志の檄に応えなかったこと
九州は日本であり、中華に迎合しないという事の意思表示である。
247年に238年の卑弥呼の朝貢を皇帝に取り持った、帯方郡の張政は
この不参戦の言い訳に来た、遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 の船に便乗で査察に訪れ、
使 大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
を 報告している。
魏は280年呉を制し三国志の覇者となるが、
313年には高句麗百済新羅に押され東夷を放棄した。
この事実が、三国志に書かれているが、表現が中華のメンツで奥歯にものが挟まっている。
この陳寿の手法の一つが、卑弥呼の女王宮まで、帯方郡から満二千里、の嘘である。
定義となる、韓方可4千里、対馬海峡3千里
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
で、九州なのは明確だが・・・
東夷伝序文の
雖 夷狄之邦 而 俎豆之象 存中國 失禮 求之四夷 猶信
故 撰次 其國列 其同異 以 接前史 之所未備焉
で、言うように、倭国も中華に従った、という皇帝のメンツを忖度したのである。
邪馬台国=安曇族は、実在しない神功皇后の説話によると
朝廷貴族となり三韓征伐の功を立て摂津に招請され、朝廷貴族となっている。
卑弥呼は、畿内説ではアマテラス、九州説ではワダツミ、難升米が磯良とか
現代の、小中高生には、間抜けの歴史であり、記紀は唯のファンタジーなのである。 >>744
そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を松浦に比定する要素ゼロなんでしょ 当時の話なのかな
蝦夷というのは日本の東北地方というのも、
嘘なんだろうな・・・と気づいている人がいたり
どのスレだったかな 誤字失礼
>>744
そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を末盧国に比定する要素ゼロでしょ >>732
志賀の安曇は、確認できるのはいつからだよ。 >>746
>そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を松浦に比定する要素ゼロなんでしょ
対馬海流に流されて、壱岐→福津辺りに着くんだよ。 世界文化遺産が証明しているでしょ。 @阿波 ネットだからなのかな
「蝦夷」
調べてみると〜日本の東北地方に飛んだり、その辺りばかり出てきたり >>750
はぁ、、、前スレで船乗り古代史マニアに完全論破されとったやつやん
なんで畿内チョンと阿波キチは学習と反省が出来ひんのやろか。。。 面土国は、(わたつち国=綿津道国)が正しい読み方だ。 >>755
なんで訓読みなんだよと数十時間前に説教されてたのに懲りないバカだな >>741
むしろ、本拠地に留まった中心勢力とも取れるけどね。
でも博多では住吉の方が重視されるさているのも確かだ。
よくわからん。 >>753
それでいい。
邪馬台国最南端で縄文系シャーマンの卑弥呼は海神族にふさわしくない。
氏族は、おそらく縄文の古代共産制部族が消えないと出てこない。
神道は仏教で成仏できないなら、古墳時代に成立しないと思う。
律令制は中国史に学んでいるが、冠位12階とか豪族貴族、この発生に安曇族が有る。
57年の金印以降、記紀で時系列正常化しない古代史は、氏姓の発生が500年でも
中国史で西暦年代が判る、邪馬台国=安曇族によって正当に時系列化できると思う。
アタシが卑弥呼だった頃、安曇族はまだ日の出る処にもなってない。
キナイコシに判るのかな? わかんね〜だろ〜なwww >>736
志賀島が上位に見られる要素があったとしたら、それはズバリ金印を持つ倭王だからでは?
摂津に移り住んだ安曇は安曇の一部に過ぎないだろうし、本体が志賀島から移る必要はなく、今でも綿津見神社は志賀島にあるんだろ?
それがある時点では倭王の王統だったとも考えられる。
倭王の王統がその後で何度も入れ替わったのかもね。 >>758
倭国の王家が筑紫の綿津見と大山祇の一族から天孫族にかわり、さらに火の国からやって来た日巫女の一族になったのかもね。
それとともに倭国の範囲も拡大し、3世紀には現在の福岡県、佐賀県、熊本県まで倭国だったのだろう。
同じ火の国の卑弥弓呼とは、火の君の家督を争ったが、壹與の時代に統一されたのだろう。
(筑後は地理的には有明海沿岸の肥国) 変な文章になっちゃったねwww
読める人居ないかな?
書きなおすか思案中。
ついででなんだが?
〜と、思う。 なんて文にレスするかよ?
あ〜そ〜なの? 良かったね。
で、終るだろ?
イミフ? とか、そ〜ゆ〜のは、
安曇族スレの、阿波ちゃんと一緒で、ただのアラシなんで要らん。
阿波に57年金印で博多湾の安曇族に成れる誰か居たのかよ?
奈良なら纏向もなんだけど、阿波先生、57年以前の遺跡でおながいします。 >>761
>奈良なら纏向もなんだけど、阿波先生、57年以前の遺跡でおながいします
加茂宮ノ前遺跡・芝遺跡・若杉山遺跡 これ全部狗奴国(長国)ね。 @阿波 >>761
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房
1
みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。 @阿波 >>761
ついでに
海部氏系図も、「忌部はん(海人族)」 の系図。 @阿波 >>761
>宗像が博多湾沿岸で一番隆盛を誇った氏族だという論文は読んだが?
そりゃ、末盧国だからね。 @阿波 >>761
>そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を松浦に比定する要素ゼロなんでしょ
対馬海流に流されて、壱岐→福津辺りに着くんだよ。 世界文化遺産が証明しているでしょ。 @阿波 >>762
なんで、そうやって、墓穴を掘るかね?
日本の記紀には博多湾の志賀島海神族が必要なのが判るか?
57年から247年の間に卑弥呼系九州族がそこにいた。
313四郡滅亡なら、日本史の神功皇后はもう無理。
もちろん神武の2600年以前の神代なら成立するwww だがしかし、
57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。
卑弥呼の邪馬台国が、
それ以前から朝廷の一族であった阿波を含む
大和朝廷貴族豪族となったのは247年以降である。
というか、安曇族みたいな豪底化の話は
律令制とか封建氏族の成立以降だろ?
卑弥呼の九州ローカルの縄文信仰は
朝廷自体とほぼ変わらない、阿波とは無関係だと思うね。 考古、文献両面からみて志賀島海神族というのはいないだろ >>756
日本で初めて漢語国名を拒否したナショナリスト帥升だった。
たがしかし、中国に対して日本ナショナリストは、常に排斥されるのが決まりだった。
「おめ、何者? 我が後漢朝が与えた国名使わんて気確か? 玄関そこだから、帰る道分かるね」
と楽浪郡の役人に顎で出口の方を示されて、60人を超える生口とともに玄関払いされたのであった。 >>732
応神のころに、海人の宰となった摂津安曇氏の分家が、対馬海峡の制海権を確実にするために朝廷から志賀に派遣され、博多海人が祀っていた綿津見の神の祭祀権を譲らせたのだろう。
安曇氏が志賀に現れるのは、この頃からが最もぴったりする。
つまり、志鹿の草は放逐され、摂津安曇氏の分家がそのあとを引き継いだということだろうな。 >>771
摂津阿曇の実在を証明する考古学的根拠も歴史学的根拠も民俗学的根拠すらないと
何度も叱りつけられてるのにしつこい過ぎやしないか? アタマ湧いてんのか??? 神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も
新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ
新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無
先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない
綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係
摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える
また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている
筑前本家説にこれだけの傍証がある一方で、摂津説には皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である >>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。
残念ながら、対馬半島フロントは、倭国(阿波)のテリトリーだよ。
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。 @阿波 >>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。
井の中の蛙大海を知らず。 @阿波 >>774
大人なんだから自分が狂ってるって自覚したらどうなのよ
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
論破されても「確定資料がない」と殻に閉じこもって喚く
それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル >>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。
井の中の蛙大海を知らず。 @阿波
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡 >>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。
井の中の蛙大海を知らず。 @阿波
「カネガ谷遺跡」
出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。
特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7 >>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。
井の中の蛙大海を知らず。 @阿波
加茂宮ノ前遺跡・芝遺跡・若杉山遺跡 これ全部狗奴国(長国)ね。 阿波キチが朝っぱらからウザすぎんな
今後は阿波キチへのレスは「巣に帰れマヌケ」以外禁止しようや >>782
専スレあるんだからそっちでやってくれよ・・・ 泡もキナイコシも弟子キャラ演じて「先生」って呼ばせてるところが薄気味悪い >>783
一言も反論できないでしょ? ワハハハハ @阿波 >>784
妄想を楽しんでるのに、邪魔してごめんね。 でも、妄想の時間はもうおしまい。 @阿波 さあ、泡をやっつけましょう。 力を合わせて。 でも、無理か? @阿波 >>789
でも、妄想の時間はもうおしまい。 @阿波 いや、思い込みの激しいキチガイを相手にしたくないだけ
ってことで今後は目障りでも無反応を徹底しましょう♪ >>792
>いや、思い込みの激しいキチガイを相手にしたくないだけ
いや、反撃できる術がないだけ。 ワハハハハ @阿波 神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も
新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ
新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無
先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない
綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係
摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える
また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている
筑前本家説にこれだけの傍証がある一方で、摂津説には皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である >>795
>綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良
豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。 @阿波 >>795
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房
↑
みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。 @阿波 >>795
気を悪くしたらゴメンだけど、最初の河村氏の件りって要る?
普通に好字令の節だけで良いと思うんだけど >>798
795は全てに出典を付加しておきたいタイプの人なんだろ >>800
だとすれば、
>また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も
の出典も明らかにして欲しいですね では、本物の延喜式式内社「伊加々志神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html
物部氏・蘇我氏・葛城氏の祖、伊迦賀色許売(イカガシコメ)・伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、ここ阿波で生まれ、暮らし、葬られたのである。 @阿波 筑前阿曇氏の拠点は"阿"曇郷、信濃阿曇氏の拠点は"安"曇郡、摂津阿曇氏の拠点は"安"曇江であり、阿曇氏、阿曇連の本貫地は同名の阿曇郷である(全国邪馬台国連絡協議会九州支部)
また、713年の好字令によって筑前本家と区別するために信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇とした(神歴研)
新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」 阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ
新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」 摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無
先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」 綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない
綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが、平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係
摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える
また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている
筑前本家説にこれだけの根拠がある一方で、摂津説に根拠は皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である >>804
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房
↑
みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。 @阿波 >>805
構ってほしいなら>>804に匹敵する根拠くらい出してみれば?
リアリティーのある内容なら海人族オタも食いつくと思うぞ。 >>806
>構ってほしいなら>>804に匹敵する根拠くらい出してみれば?
はい、どうぞ。
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 >>807
今日はあちこちで威勢が良いなw
お前の思いの丈をブチ撒けるだけじゃ目障りなんだってばwww
ここは海人族スレで今は阿曇族の本貫地の話をしてるんだから、阿曇の本貫地が阿波だという根拠を示してみたらどう?って言ってんの >>804
根拠がお粗末すぎ。 はずかしいレベル。 @阿波 >>808
海人族と言えば、「忌部はん(海人族)」。 当然、 阿曇の本貫地が阿波。
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 こいつ日本人じゃないだろ
日本語が通じなすぎる
やっぱ>>792が正しかった >>811
倭国(阿波)に触れると大怪我するよ。 @阿波 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
『古事記』あまつひここ”ナギサタケ”うがやふきあえず、『日本書紀』ひこ”ナギサタケ”うがやふきあえず、書紀、五十猛(いそたける)と同一視する研究もある。
『太平記』『志賀海大明神御縁起』『風浪宮縁起略』『宗像大菩薩御縁起』『津島(対馬)紀事』では三韓征伐の準備中に舞によって招聘され、その舵取を務める。
太平記では住吉神、志賀海大明神・宗像大菩薩の御縁起では武内宿禰、津島紀事では小島の女が舞を奉じたとある。
この出現場所については春日大社の春日若宮おん祭で奉納される猿楽「細男の舞」において”筑紫の浜”と詠われている。
『八幡愚童訓』には安曇磯良は志賀海大明神で、常陸国に於いては鹿島大明神、大和の国に於いては春日大明神であるとされる。
同様の記述は『琉球神道記・鹿嶋明神事』にも見られる。
阿曇磯良を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
風浪宮(おふろうさん)
和布刈神社(隼人明神または早鞆[はやとも]様とも)
多久頭魂神社(対馬下県厳原町大字豆酘)
闇無浜神社(大分県中津市大字角木)
止上神社(鹿児島県国分市重久)
疣水磯良神社(大阪府茨城市三島丘)※元新屋坐天照御魂神社境内
磯良のその後については、志賀海神社に祀られて宮司家となったとされるが、三韓征伐の功で48隻の船を賜わり難波に移住、九世孫が阿曇百足(宗像大菩薩御縁起)、風浪宮の斎主として大川榎津に留まり、宮司家となった(風浪宮社伝)、筑紫の浜から海底に還ったなどがある。
また、ウガヤフキアエズを和魂、磯良を荒魂と捉える研究もある。 >>804
豊玉彦を氏神とするのは、住之江の津守氏だからね。
諸家の系譜をそのまま信じるのであれば、阿曇氏は津守氏の分家ということになってしまう。
そうなれば、志賀阿曇氏も摂津安曇氏も、その他の安曇氏もみな津守氏の分家になるので、それでいいのかい。 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
↑
これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。 @阿波 >>813
豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。 @阿波 >>813
「三韓征伐の功績で舟48隻をもらった」というくだりを探してみたが、みつからない。
どの文献に出ているの。
また、磯良が「難波に移住した」ということだが、どの文献に出ているの。 >>814
津守は本社を自称しつつも総本社を筑前住吉神社と認めてる=津守の本家も筑前。
どちらも綿津見を祖神にもつ同族。
いずれにしても摂津が阿曇の本貫地のコジツケには繋がらないから安心して良い。 >>818
ウィキの「住吉神社(福岡市)」では、「…当社が全ての住吉神社の始源になるとする説がある」と記述している。
説だとよ、説。 >>823
お前の知識はいつもWiki頼みだな無能www >>823
そこは畿内愛にあふれるキナイコシですら認めてる事実だぞ >>821
てめは、@じゃないし。
背乗りが得意そうだなあ。 >>820
>阿波は住之江の津守の子分。
触れてしまったな。 住之江ごときが。
御祭神を豊玉比賣とする神社は、全国各地に鎮座しているが、豊玉比賣を冠する延喜式式内社「豊玉比賣神社」は倭国(阿波)にしかない。
・二つの豊玉比賣神社(上)
一つは「天石門別豊玉比賣神社(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)」
徳島市眉山町の春日神社境内に祀られております。
一つは「和多都美豊玉比賣神社(わだつみとよたまひめじんじゃ)」
徳島市不動西町「雨降神社」
徳島市国府町和田「王子和多都美神社」
名西郡石井町高原「王子(玉子)神社」
三社が論社とされております。
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html?m=1 >>824
おめが馬鹿にするそのウィキすら、単なる説に過ぎんというとるのよ。
それを大真面目に、筑前住吉神社が住之江住吉大社の本家だというのだから、片腹いたいということになるなあ。 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
↑
これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。 @阿波 >>827-829
06-6672-0753
「宮司の津守さんに筑前住吉神社についてお聞きしたいのですが」と電話しろ
47分以内に電話して、今日中にここに反省文な まぁ細かいこと言うと住吉大社が総本社と認めてるのは筑前住吉神社じゃなくて那珂川の現人神社だけどな >>828
豊玉姫は、豊玉彦の娘。
親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。
阿波は住之江の子・分じや。
親の言うことは素直に聞くべし。 >>832
833さんが、詳しいことを知らせてくれた。
832よ、おめみたいなテンクラもんは、二度三度と病院で診察うけろよ。
一度じゃだめだろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています