先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 21 [無断転載禁止]©2ch.net
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先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか? テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目ということはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!!
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
CURL貼り付けたかったら貼る
○自分の先祖を語るスレ○
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/mukashi/1172634664/
【源平】お前らのご先祖様を語れ!【藤橘】
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1232458748/
戦国大名の家柄や先祖について
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190452733/
みんなの家紋ってどんなの?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/live/1390913655/
家柄ってなんだろう?
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1402948559/
前スレ
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 20
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1411232212/ 武田の末裔を自称してた万引きアイドルとか本物だったらとんでもない事だよな
10万円分くらいのカーテンの万引きしたんだっけか
まぁ万引きする前から子孫会の方から否定されてたが スレ違い、ここは自分の先祖探しのテクニックとエピソードを語るスレ。 >>351
そもそも武田討伐をおこなった織田が数ヵ月後には滅んでるのだから、
生き延びてるならそこで名乗り出てもおかしくないんだよ
逆に言えば、本能寺後のどさくさで、かくまってた家が不運にも滅んで
巻き添えで滅んだ、みたいな事故でもあったのか、もしくは武田滅亡事に逃げ切れずに即時滅亡してたかどちらかだろ 武田の正統な子孫は、信玄の七男か八男くらいの盲目の人で寺に預けられていたとか
上杉に養子に出されてたとかって系統 ttps://ameblo.jp/cohanlights/entry-11085176113.html
疑いだせばきりがないし信用すれば妄想が広がるし。面白いんだな >>361
いい加減な事を書くなよ
武田の正統は、次男の竜芳(盲目で海野家を継いだが甲州征伐時に自害)の子孫
→江戸幕府に正当な子孫として認められ高家になっている
甲州征伐時に上杉に姉(菊姫:上杉景勝の正室)を頼って逃げたのが6男の信清で、
のちに安田家(信濃の旧族)の家督を継いで、安田信清と名乗り上杉家家臣となった 高家武田の16代目が最高顧問を勤める武田家旧温会
http://www.kyuuonkai.net/
若狭の武田家末裔まで居るけど、信用できるの? これだって旧臣は自称だろ
幕末の板垣も、幕末に唐突に武田家臣末裔と抜かして乾から板垣に改姓してるし、
単純にこの会に高額献金してもらえりゃ自称で結構なわけで。 Wikipediaでは
>光秀に勝利した羽柴秀吉・丹羽長秀によって自害を命じられ、若狭武田氏は滅亡した。子の義勝は津川姓、のち佐々姓を名乗り、京極高次に仕えた。
とあるし、いちおう子孫が残ってるってことだろ。武田氏を名乗ってないだけで。 守護大名の武田が、親が猿回しの芸人の日雇い層の秀吉に自害させられるところが堪らないな >>367
いや、よく見ると、若狭武田家26代目当主とはっきり武田を名乗ってる >>359
重臣は武田家滅亡後、江戸時代はどうなったんでしょうか?
苗字帯刀が許されていたということは帰農されてるのでしょうか? 武田家の旧臣の多くは本能寺後の混乱期に徳川の家臣になったはず
ほかに北条氏の家臣になった後で徳川家に従ったのとかも
もちろん他の大名家にいったのも居るしな
真田みたいな立場になったのは少数派 どこかで姓を元の武田に戻したのかもしれない
ほとぼりが冷めた頃に元の姓に戻すという例はいくらでもある
もちろん詐称の可能性も否定できないけどな まあ、明治維新のあたりで戻した人は多いらしいけどさ >>370この板の違うスレで一覧表があったが・・・
長篠で大体死亡で
内藤昌豊の子は一人は信濃に帰農、一人は高遠藩
原虎胤の子孫は千曲錦酒造という会社をやっていて軍配が伝わってると・・・
これには板住人から原昌胤の間違いじゃねーーのという突っ込み多数だった
後は色々あったけどググれば出てくるんじゃないかな?上二件入れて調べてみて 旧恩会では土屋氏の子孫もその後は帰農庄屋であったと紹介してる。 ほとんど大名の出ていない佐久(依田ぐらいか)はほとんど帰農してるわけだし
小県は真田家、諏訪は諏訪家、。静岡神奈川辺りは北条家→徳川家と地域によって身の振り方は変わるだろ つか、24将で徳川に拾ってもらえたやつの方が圧倒的にすくないんたが もっと下の方なら旗本になったヤツが百単位でいた気はするが、上の方は難しかったのかな 真田家は松代移封時に在地系は帰農した。土地を離れるのは中々出来ないんじゃないの?知行制に慣れてた層は別だろうけど 一般の庄屋でも2割3割程度のオーダーで大名の国替えにどうこうしたらしいというのに
まあ江戸時代はじめごろまでだけかもしれんけど 真田は二つに割れたし、どちらに恩を感じていたかでしょう
武田24将系も国人の寄せ集め連合だからね そういや真田家は松代移封時48騎の海野衆が故郷の小県郡に帰農した事件もあったね。
在地被官衆も置いていかれて幕府の目論見通りか >>379
後北条家の上位武将なんて、武田家より酷い扱いで、城主格クラスですら殆ど帰農してるからなあ。 そりゃ上位層が豊臣家の敵として扱われたんだから、いずれ豊臣が滅ぶことを夢見て意図的に雌伏するようなヤツ以外は諦めて帰農するしかなかったんじゃないの 後北条家は上位武将クラスは、反体制勢力とみなされたのと小田原評定とことわざされるように秀吉の勘にさわっようですね。
上位武将クラスだけではなく、
秀吉の小飼、特に浅野氏が埼玉近隣の土豪地侍にまで帰農しろという脅しにもにた書状が送りつけられてるのが鴻巣市に残ってますし。
案の定埼玉の後北条方の武士団では城主の一色家や成田家などの数家以外ことごとく帰農させられてるし。 持たざる者が権力側になったら、持ってた者は追い落とされる
まぁ下克上だよな 皆さんの中には同姓の方に手紙を送った事があるでしょうか?
先祖探しも行き詰まっています、自分の家の事は限界なので同じ苗字の方とかに何か伝承とかないかなと思い手紙を書いて見ようと思います。
でも、何かあったら怖いので躊躇しています、手紙を書いて返信があったり、いい情報を得たりした方はいるでしょうか? 遠い親戚だと確証のある家に手紙出したけど、向こうがびっくりしていろいろ教えてくれって
こっちが教える側になっちまったよ 母方の祖母の実家が武田の末と聞いたことがある家紋も武田の四菱らしい甲斐か若狭かは知らん
その家は和歌山県でなんで武田がいるのかは知らん
高野山の麓だから真田の蟄居みたいななんかの流れで居ついたのだろうか >>390
2017.8.27 05:00
身分・前科記載の「壬申戸籍」ヤフオクに出品…明治5年作成?閲覧の対象外 法務省、ヤフーに削除要請
明治5年に作られた「壬申(じんしん)戸籍」とされる文書が、インターネットのオークションサイト「ヤフオク!」に
出品されていたことが26日、分かった。「士族」「平民」といった当時の身分や前科が記載されている壬申戸籍は本来、
法務局で厳重に保管され、閲覧できない。法務省は、「プライバシー保護の観点から問題がある」などとして、
サイトを運営するヤフーに取引を中止し、文書の画像を削除するよう要請した。
■ヤフー「出品者判断で取り消した」
要請は24日付。文書の真贋(しんがん)は不明だが、法務省は「あたかも本物の戸籍が売買されているように見え、
戸籍行政の信頼を損なうおそれがある」としている。
ヤフーは産経新聞の取材に対し、25日付で「削除は難しい旨を法務省に伝えた」と回答していたが、
入札期限を迎える前の26日午前8時46分、オークションは終了。落札者はいなかった。
ヤフーは「出品者の判断で出品を取り消した」としている。
出品されていたのは「明治5年戸籍」とする文書。20日にオークションが開始され、期間は27日夜までの1週間。
25日午後10時50分時点で22件の入札があり、現在価格は1万5500円だった。
サイトに掲載されていた画像によると、文書はひもでつづられ、住所や名前に加え、「平民」「賃仕事稼」などの記載があった。
徴兵検査に不合格だったとする記載がある人もいた。
壬申戸籍は日本初の統一的な戸籍で、当時の身分や前科のほか、被差別部落の出身者であることが分かるような
記載がされていることもある。
法務省は、昭和43年の通達で壬申戸籍を閲覧対象外にするとともに、封印するよう指示。それまでは市区町村で
本人以外も閲覧可能だったが、現在は厳重に梱包(こんぽう)した上で法務局に保管されており、法務局職員も含め
閲覧することはできない。
法務省は「個人情報である戸籍の取り扱いには留意すべきであり、特に壬申戸籍に関する事案については、
今後も厳正に対処したい」としている。
■145年前の記載…個人情報か否か
インターネットのオークションサイトに出品されていた「壬申戸籍」とされる文書をめぐっては、145年前の戸籍の記載
であっても個人情報にあたるなどとして、法務省が画像削除を要請。一方のヤフーはこれに応じない姿勢を示した。
結局、出品者の判断で出品が取り消されたため売買には至らなかったが、取り消しまでには多数の入札もあり、
人権やプライバシーの保護について課題を残した。
※以下略
http://www.sankei.com/affairs/news/170827/afr1708270002-n1.html >>384-7 戦国後期で各家武士団が充足していて余力がないってのもあると思うけど。
少し図書館で調べものしてたんだが江戸初期に庄屋の扱いがどのようなもので
あったかは 今からは伺い知ることはできないとの前置きで、当初は武士と庄屋は
対等に近かったのでは という説を読んだ。
理由は書状の名前で江戸初期は庄屋も苗字が入り武士と同じ大きさで並んで
書いてあるが、時代が下るごとに庄屋は字が小さくなり左下へ書かれるようになり、
苗字が消え 江戸後期には武士は右側に苗字入りで、庄屋は左端に小さく印と名前
のみになっていったという考察だった。 >>287 役場がすべての旧漢字、新刊時の対応がわかるわけもなく、いい加減に処理されてきた結果だろうな。
意識の高い家系は通達に従った。 >>288 関係あると思うよ。 全く無関係でそんな恐れ多いことをできるわけがない。
少なくとも薩摩家に関係があったんだろう。
ま、宮城の山奥で勝手に名乗ったということもなきにしもあらずだが、都市部だと誤魔化せないと思う。 >>315 戦国時代以降は、大名が味方を増やすために無闇矢鱈に姓と家紋を分け与えてた時代があったからな。
本来姓(かばね)は、朝廷が与えるものだったんだが、かばね姓の他に苗字が使われるようになる後世になると大名が勝手に苗字を与えるようになった。 四辻さんを時々見かけるんだよね
それもあり得ないような地区で >>396
カバネは「宿禰??」とか「朝臣」とかのことだぞ、源平橘藤のはカバネじゃない姓 >>337 諸説あるが、秦氏と、波多氏(羽田氏)はどう見ても別の氏族だよ。
波多氏は、新撰姓氏録には、皇別、真人、朝臣とあるが、秦氏は、諸藩でしかない。
古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/min/1326776604/
古事記などの記録を辿っても、秦氏は綿の栽培や織物を得意としてた、波多氏は天皇家の子孫であり武家。三韓征伐などで副将軍として活躍してる。
うちは、波多氏の子孫で大和国波多郷から鎌倉時代に頼朝の命により地頭として出た。
だからうちの直接の先祖は、氏が波多、姓(かばね)は宿禰、苗字が今の姓(せい)。 元首相の羽田さんが死んだね。 彼は秦氏の子孫だと言ってたからそっちの系統なんだろうな。 波多氏とは別系統。
古事記で波多だったのを波多郷の1人が副将軍になったのを機会に羽田と名乗るようになった。 この系統が日本書紀の編者になったものだから、古事記の波多を日本書紀では全て羽田に書き換えてしまって混乱させる原因になった。
古事記時代は、漢字は単なる表音文字として使ってたからいろんな漢字を使っても間違いではなかった。 詐称であろうが羽田氏があの地域で超絶名門な事に変わりはない 地方名家で留まるのと、室賀みたいに旗本になるのとどこが違うんだろうな 先祖が海軍で戦艦陸奥に乗っていたという情報があるのですが、乗組員の名簿などは存在するのでしょうか? <明智光秀>反信長派への密書の原本発見 本能寺の変直後、室町幕府再興を目指していた★6 [無断転載禁止]©2ch.net 本家は明治期に絶えたがその由来を記した「○○氏先祖来歴之記」の巻物がお寺に伝わっている。
最近読み下し文を入手し内容を読み解いているが、この文の最後は○○氏先祖来歴のあらましを
伝えの侭書記すと云と結んでいる。
ということは事実は伝えるときと書き記したときの2回先祖をよく見せたいというフィルターが掛けられて
いると見るのが普通で、そうすると各事柄ごとに真偽の確認をしたいわけだけど、確認すべき資料は
あるはずもなく途方にくれているのが現状です。
まあ先祖の歴史ロマンとみればなんということはないですが・・・。
ちなみに先祖来歴之記は戦国時代末期の天正10年から18年にかけて泉州の国侍兄弟に起こった
ことが記されており、書かれた年代は鑑定により幕末から明治始め、書いたのは頼山陽門下の者
とされています。 一人で紀州一揆五十餘兵を敗北させたお話
天正12年春、太閤秀吉大阪の城を出勢あらんとせしに紀州の一揆蜂起して妨をなしける故
同国岸和田の城主中村式部小輔是を防ぎけるを助力して一氏が旗下に在しに、
○○勘右衛門は名を得たる強弓の手垂なるぞ弓者共の空穂箙残らず勘右衛門に渡せよと
下知せしがば、矢を算木の如く勘右衛門が前に積置たるを手早に取てさしづめ引つめ
さんざんに射たりしかば紀州一揆五十餘兵一たまりもなく敗北せしとかや
鉄砲で武装した雑賀・根来衆に弓で勝つとは痛快、さてどこまでが本当かな
岸和田にはこのとき城を守ったのは蛸地蔵だったという伝説がある
私はそんな歴史ファンタジーより勘右衛門さんを信じたい 母方の曾祖母の姓が全国で50人もいなさそう
由来を調べてみたが何も出てこなかった >>408
どう考えても史実とは思えんな
誰かが捏造したんでしょうな 旧土地台帳の閲覧をしてきたが明治20年ごろに結構持ち主が変わってるのだが何かあった時期?
地元の旧家も中身結構変わってるのな。意外意外。数百年住んでんのかと思ってたけど結構違うんだな 墓に彫られてる家紋が「丸に平四つ目」なんですけど、祖父が昔着てた着物には家紋がついていて「丸に隅たて四つ目」でした。
祖父はとっくに亡くなっているので聞けません。
どっちが我が家の家紋なのか… >>412
家紋は地域によって事情が違うので何とも言えないわ
家紋を複数持つ家もあって表紋とか替紋って聞いた事ない?
いろいろ使い分けてたんだよ
女系から女系へ伝わる女紋という別の家紋もあったりするし(主に関西の商売人の家系)
北海道へ開拓しに行った人は心機一転するために家紋を変えた場合があって
旧家紋が着物の方に残ってて、それを見た記憶のある子供が旧家紋が復活させてしまい
墓には新家紋が彫られてるしで、孫や曾孫の代でもうわけがわかりませんという状態になった場合もある 松方デフレから大土地所有が進むから
明治20年頃なら、その過程だろう 大土地所有が進むという言い方よりもっと直接的に。
各地の地主が破産して、破産した地主が持っていた土地を買い集める形で地主の大規模化が進んだんだよ
農業以外の、大資本も土地を買い集めて地主化した。 ファミリーヒストリーでアンダッシュ渡部の母方、吉野の梅本家は寺領代官でいわゆる寺侍みたいだが
やっぱ寺関係って京都奈良が多い?郷士については少し調べたことがあるけど地方に行けば
少しは寺侍っていたのかな? かなり大きな規模の土地を領有する大規模な寺院でないと寺侍を抱えることはないと思う
寺の武力の中心は僧兵であって寺侍(出家ではない世俗の領主)を配下にするとなると、寺自身が大名のような大規模権力として力を振るうほどでないと無理だろう
興福寺とかの特大寺院以外では珍しいのでは? と思う。 >>417レス(*ゝω・)ノ アリガd♪
地元の郷士については結構調べたときに神官の資料は結構見たけど(田舎の神官は農兼帯で農民身分)
寺侍は全然見なかったので不思議に思ったので。
郷士は自称や慣例見たいのが多くてよく分からないんだが寺侍だと所属がはっきりしているだろうが話題にはならんね 明治維新までは神事で刀を排除するような考え方がなかったのでは。 神官って苗字帯刀っていえる?神事の時は差しても普段はどうなんだろうか?
あと、苗字帯刀は藩内に限るって話があったが田舎の某藩(1万数千石)があって
飛び地で陣屋がある領地は半分ぐらいしかないので20村ぐらい。
この藩が幕末に例に漏れず苗字帯刀乱発しまくりだったが近接してる天領に恐らく
行かざるを得ない(物資の集散地だったため)場合も刀は置いて髷も戻していくのかな?? 専業の神官じゃなく、村の有力者が兼業してるのが普通だったからねえ
たいていは名字帯刀の人が兼業してたんじゃないかな。それか、僧侶が兼業してた。
大きな神社だと違ったかもしれないが、小さな神社だと専業ではない。
庄屋とか村方三役ぐらいの有力者が普通だと思う。 >>421
勉強になりました!!!
皆さん詳しいですね。 郷土史調べてると庄屋が有力者なのは分かるが組頭以下全然出てこない 三重県 家計調査の名簿紛失 20世帯の個人情報
http://www.isenp.co.jp/2017/11/22/10519/
三重県は21日、津市内を担当している家計調査員が、20世帯分の姓や住所などを記した名簿を紛失したと発表した。
県は「今のところ個人情報が悪用されたとの情報は入っていない」としている。
県によると、紛失した名簿は、家計調査の対象とする世帯を抽出するために調査員が作成した書類。
うち1世帯については調査員が実際に訪問して聞き取りを済ませ、世帯主の名前や職業を記していた。
今月16日、自宅で作業をしていた調査員が、7枚あった名簿のうち1枚がなくなっているのに気付いた。
調査を始めた6日以降に紛失したとみられる。調査の対象地域を探したが見つからなかったという。
この調査員は県の聞き取りに「調査に慣れて慢心していた。書類の管理が不十分で、申し訳なく思う」と話している。
県統計課は「全ての調査員に書類の管理を徹底するよう文書で喚起する」としている。 除籍謄本を取得したら「明治二十四年■月中逃亡 明治二十五年○月△日届出 明治三十六年▲月○日帰村」
との記載がありました。この「逃亡」「帰村」というのがどういう意味かわかるかたいますか?
戸主以下全員にこの記載があります。
なにかヤバい記載なのだろうか…。ちなみに転籍後の別の自治体で取得した除籍謄本では「逃亡」の箇所
は消されておりました。 夜逃げしたんだろ?
生活困窮か、揉め事か何かで
で、後で戻ってきた 「逃亡」と記載されてるじゃん
理由は不明だが、「逃亡」の中に夜逃げも含まれるから可能性はある。 戸籍に肺結核とか病歴まで載ってる場合もあるし、夜逃げくらいならあるっしょ?
>>428
明治24年10月以降の岐阜、滋賀、福井、愛知のあたりなら別にヤバい事ではない
全壊家屋が15万戸くらいの大地震があって、特に震源地の岐阜で逃亡者が続出した
避難って意味くらいに考えればいいと思うよ 松下さん本格的にルーツ探る 新城/井伊谷七人衆の松下氏との関係
http://www.tonichi.net/news/index.php?id=65022
井伊直虎を支えた重臣井伊谷七人衆の一人・徳川家家臣の松下氏。
その松下氏と自身に関わりがあるのではないかと新城市海老の松下恒雄さん(65)が研究を始めた。
同市海老神社の宮司を務める松下さんは、同神社の歴史を研究。保管されている棟札や祈祷札...
資料や位牌に囲まれる松下さん(新城市海老の松下さん宅で)
http://www.tonichi.net/data/img/news/news/2017/12/news0_5a3ba2663af3c.jpg 除籍簿の叔父の説明欄の文意が分からないので教えてください
東京府・・・區・・・町 亡神田・・・右エ門離別長男
同縣同郡・・・新田中村・・・孫母・・・携帯養子ニ入籍
離別・携帯の字が読みにくいので画像貼ります。違う語かもしれません。
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up115351.jpg >>434
字の読みはそれでいいと思う
「携帯養子」がわからんのでしょう?
普通は妻子を携帯した養子を指すんだけど、これは母を携帯した養子か、母に携帯された養子だろうな
高齢夫婦の家に養子に入ってるね。それは二行目の「孫母」という言葉からわかる
誰から見て孫なんだって話だね
その孫と母が携帯養子になったという事だから、どちらかが養子になって片方を携帯していたという形だわ
まぁ、想像も混ぜて書くと
父の右衛門が死んだか離婚して、母子家庭になり
生活がきつくて再婚相手も探したがなかなか見つからず
子供を老夫婦の家に養子に出そうとしたら、親子まとめて面倒見たるわって言ってくれたとかじゃないの?
全然違ってるかもしれんけど >>435
ありがとうございます。
ご意見をもとにもう一度よく読み込んだ結果、除籍簿全体をおおよそ理にかなった形で解釈できました。
この母というひとの名前が除籍簿にない(没年は墓石の情報から戸籍作成時よりも15年ほど後)のは
養子の携帯した母は転籍しなくても良いからなんでしょうかね・・・ >>436
養子がまだ幼くて、老人が世話するにはきつかったとかで
母は住み込み家政婦として雇われたとか、まぁ、そんな感じだったら転籍してないと思います
携帯養子の事例が少なくて珍しいので何とも言えないんだけど、
似たような用語に携帯分家というのがあって
本家で生まれ育った人が両親や兄弟を引き連れて分家になる場合で、
携帯された親が転籍してない場合があるので、あくまでも類推になります
ただし、「孫」という字が出ている点が少し気になります
母が養子にならないと息子さんは孫になりませんよね? もしくは、もともと孫(外孫だったか勘当で切れてた子供のとこの孫だったか)だったのを養子にしたとか? >>436です
叔父○○は父である神田・・右エ門と離別して、母子家庭となった。(神田から除籍)
母△△は旧姓中村で、母△△の父、中村●●から見れば○○は孫であるから
と解釈しました。
どうも養子先の夫妻(戸主から見て祖父母)は、除籍簿や墓石の年齢から推すに母△△とは同世代のようです。 ああ、亡神田なんて地名があるんだと勝手に思ってた
除籍簿作成時には亡くなってた神田さんという意味か
私には、誰から見ての孫なのか今ひとつわからなかった上に
同世代の夫婦の所に母子で携帯養子になったと・・・予想がハズレました
他の人ならもっと正確に除籍簿を理解、解釈できるかもですね 30分ほどで先祖を江戸時代まで遡ることができたことに驚いてます
もちろん自分で役所を訪ねました
江戸時代より前はどうしたら探せますか? 藩名や身分などを伏せた状態での質問には答えようがありませんが、
大前提として旧字体の崩し字が読めない事にはどうにもなりません
それと地元の地方史も勉強した方がいいです 地方史も文字も理解していない私ですが、なんとか動いてみました
戸籍謄本と除籍謄本を調べると江戸時代までずっとその地域に住んでいたようですぐに遡ることができました
父方の父をずっと辿りました
天保まで遡ることができましたがそれ以前は役所には記録がないということでした
名字は「橋本」で和歌山県のある地域にずっと住んでいるようです 地方史も理解していない私ですが、とにかく動いてみました
戸籍謄本と除籍謄本を調べて江戸時代まで遡ることができました
江戸時代(天保)からはずっと今までその地域に住んでいたようです
橋本権右衛門という人が役所で調べられる一番古いご先祖様でした
この方より前に遡るにはどうしたらいいのでしょうか 江戸以前の橋本という名字はどんな人が名乗っていましたか? >>443
和歌山は丸ごと紀州藩だからいいけど、他の人も見てるから書いておくけど県名じゃなくて藩名で
今の県は複数の藩が合体してたり、大きな藩が分割されて複数の県に跨ってたりとかだから
で、江戸時代に苗字が公式記録に書かれていたとなると武士とかだろう
武士なら紀州藩の資料をあたれば何かが出て来る可能性がある
資料は和歌山市の県立文書館にあるから10年とか20年かけるくらいの覚悟で通う
https://www.lib.wakayama-c.ed.jp/monjyo/shyozou/komonjyo.html
ここを見たらわかるように、和歌山の町単位での資料が保管されているから、関係ある町の資料は全部読む
残念な事に橋本家文書はないようだが、寄託されてないだけかもしれないし、あきらめずに根性出せ
崩し字の勉強から始める事になると思うけどな 先祖代々の菩提寺があり、過去帳が残っていればかなりたどれると思う。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
FW7YH 今は個人情報がなんとかで、先祖の過去帳なんか全く見せてもらえない‥ それは菩提寺と付き合いが浅いから。
うちの菩提寺も時々子孫だと名乗るどこの馬の骨だか解らないのが来るそうだが、住職か塩対応して追い返すよ。
普段付き合いの無い自称子孫なんて相手にしてられないって。 京都、大阪のふぉろわさんはご存知の寺院かもしれないけど、うちは臨済宗妙心寺派の末寺。
過去帳による身元調査には一切応じていないけど、
以前、○○さんの知り合いでお墓参りをしたいからお墓を案内してくださいということがあった。
後でわかったのだが、実は縁談の身元調査だった…
https://twitter.com/passei930/status/533826604594495488 >>450武士なら当然名字が記されてるが
庄屋等の名誉的な苗字帯刀って名字が書かれないこともあるのかな?
尾張藩の中山道沿いの宿場役人からさんざん苗字帯刀を許してほしいという願いが
出されたらしい(ほかの宿場で許されている役人がいるため差が出てしまい業務に
支障が出るとの理由で)が、許されたかどうかは不明だそうで・・・当時の資料に
名字が記されてるかどうか調べれば分かるほど単純なものでもないんだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています