食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 3皿目 [無断転載禁止]©2ch.net
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時期的にかしわ餅が何時の時代から食べられているのか気になったで調べたところ、
『天正日記』に出て来るのが古いそうですが、偽書と看做されていますね。
ただ、七月廿三日条に出て来るのは、五月の定番となるより前の姿のよう。
ついでにかしわ=鶏肉というのは天保年間以降のようです。
化政期には江戸や京阪で鶏肉が食べられるようになっている。
江戸時代生まれの老人から話を聞いた岡本綺堂が小説で書いているところを見ると、
鶏鍋の店はあまり柄のいい人間が出入りするところではなかったようですが。 今の我々と変わらんくらい牛肉をしょっちゅう食ってて
いやがる家臣にも無理矢理食わせたりしてた水戸光圀は基地外さんだよね。
綱吉の治世まっただなかで政敵がスキャンダルとして利用しなかったのが不思議。 >幅が細く傾斜が急な日本の道路に車は向かなかったという話。
高度成長期に新開発の車を箱根の山にもちこんで越えられるかどうか試しに行った話を思い出した >>2
「江戸では軍鶏を食うが、上方ではカシワという鳥を食う」と当時の
記録にあって、江戸人はカシワと軍鶏は違うと認識していた模様。 >>3
光圀かい?
私は水戸出身だけど、その話は初耳。
徳川斉昭が牛肉好きで、息子の慶喜は豚肉好きという話なら有名だけど。 ブロイラーなんていない時代だから軍鶏や地鶏だろうね。
さぞ硬い肉を食ってたんだろうな。 井伊直弼が名物の牛肉の味噌漬けを送ってこなくなった事に、無類の牛肉好きの斉昭が
激怒した事が、桜田門外の変の遠因となったのである(笑) >>5
軍鶏と普通の鶏ということでしょうか。
坂本龍馬が最後に食べようとしたのは軍鶏鍋だったそうですが、これは江戸方面の影響か?
東西で傾向が違ったとすると面白いですね。
>>7
岡本綺堂の小説で、「あの店、雪駄の裏みたいな軍鶏を食わせやがった」という表現をして
いたのが、妙に記憶に残っています。 >>8
それが理由ではないにせよ、つまらない理屈を捏ねて無意味に他人を怒らせるという井伊直弼の性格はよくわかるエピソードだね。 >>10
軍鶏(シャモ)の語源はシャムで、タイから入って来た別品種だよね 上方人は柔らかいカシワを好み、江戸人は硬いが旨味の強い軍鶏を好んだ。
竜馬の軍鶏好みは個人の嗜好だろう。無論江戸で味を覚えたんだろうが。 まあ竜馬は京都でも「軍鶏鍋して食おうぜよ」とか言ってたから
京都でも軍鶏肉は売ってたんだろうけど。 江戸でも「煎り鶏して食わん」等、軍鶏(シャモ)と鶏(とり)を
使い分けてるから、東西の違いはあるが、むしろ軍鶏=最新トレンド
みたいな流れが当時あったんじゃないかな。竜馬も当時のお洒落な
若者として「シャモの方が新しくてカッコいいぜよ」みたいな。 そういえば鬼平でも半七でも軍鶏鍋屋が出てくるな
どっちもかなり幕末に近い(半七は明治まで生きてる)設定だったな 長谷川平蔵は寛政7年(1795)没。『鬼平犯科帳』に登場する「五鉄」のモデルになった店
「かど家」は文久2年(1862)創業。
幕末・明治期の随筆『真佐喜のかづら』にいわく、
「ちかき頃は(食用に野鳥のみならず)シヤモと云ふ大鳥を賞翫することおびただし」
『守貞謾稿』にも、本来は鴨などの野鳥を食べていたのが、文化以降は京阪でかしわを、
江戸で軍鶏を葱鍋にして食べるようになったと記している。
半七は天保12年(1841)以降の事件を扱っているので、出て来ても不思議はない。
鬼平は考証の間違いでは。 >>10
中岡慎太郎の最後の言葉は
「やきめしが食べたい」 >>20
現代では焼飯というと炒飯のことだが、当時の焼飯とはどんなものなんだろう? >>21
握り飯を塩・醤油・味噌などで味付けして焼いた、今でいう焼きおむすびですね。 >>17
『鬼平』は作者池波正太郎の江戸趣味が爆発してるよね。まあベースに
なってるのは、関東大震災以前にはまだ面影のあった幕末文化だと思うけど。
江戸も、化政期以前と以後では大分違うからな。 鬼平こと長谷川平蔵をヒーローにしたのは池波正太郎の新趣向。
それまで長谷川平蔵は「大分むごい事をやった(勝海舟)」
というのが一般的な評価。犯罪の凶悪化に伴い新設された
火付盗賊改の長として、凶悪犯の追捕を専門とした関係上、
捜査は苛烈にならざるを得なかったのだろうが。 >>24
趣味というか、じいさんが飾り職人で、自分は十代で兜町で株屋の小僧をやってて稼いだ金で置き屋通いして姐さんにかんざしかなんかプレゼントしたら「私なんぞにこんなもの贈る前に親孝行しなさい」って説教されて母親に贈り直したっていうちゃきちゃきの江戸っ子なわけで
五鉄とかは、考証上の矛盾を承知の上で、その方が面白くなるからあえてやってると思う >>25
>関東大震災以前にはまだ面影のあった幕末文化だと思うけど。
池波正太郎:1923年1月25日生まれ
関東大震災:1923年9月1日発生
御本人にはまだ江戸の雰囲気があった頃の東京の御記憶は無かった様ですね。
自宅に江戸時代の画幅があった(が震災で焼失した)記憶がおありだった大野晋
先生(1919年8月23日生まれ)より年下というのは意外。
池波先生は、早く亡くなられたものだとつくづく思います。 震災前の話が出てくるのは古川ロッパとか獅子文六とか古い人だよね。
いずれも今日では忘れられた昔の有名人だが。獅子文六なんて、生前は
あれほどのベストセラー作家だったのに、今や著書はすべて廃刊とか。
流行作家の悲しさだね。 ロッパといえば、日本に初輸入されたコカ・コーラの話が面白かった。
「今の醤油みたいな奴と違って薄いアムバー(琥珀色)で、とにかく
薬臭いんだ。コケインが入っていたというのは、その頃の奴じゃなかろうか」と。
やっぱり昔は入ってたんだな(笑) 薬臭いって、どんなだろう?
養○酒みたいなエリクサー系の香りだろうか >古川ロッパ
自分が見た範囲内では、「スパゲティ」が出て来るのはこの人の戦前の日記が最初ですね。
『断腸亭日乗』では関東大震災あたりからマカロニが登場しますが、スパゲティが見えません。
もっともスパゲティという言葉が出来たのは20世紀の初めで、元々現在言うところのスパゲティも
マカロニと呼ばれていたそうですから、混じっている可能性もあります。 ロッパって華族のご子息だから、しゃれた舶来ものに触れる機会が多かっただろうな。
戦前の探偵小説家・貴族院議員の浜尾四郎の実弟だったと聞いてびっくりしたなw 戦争真っ只中の昭和19年にホワイトホースやらジョニ赤やらの洋酒を
飲んでるんだから、どんだけ贅沢なんだロッパ。もっとも当時の
ロッパはエノケンと並んで、今のタモリたけしクラスのお笑い界の
スターだからなあ。 戦前、フランスの客船が日本に寄港すると、寄港中は船客でなくとも
レストランを利用できたとか。ロッパ先生はそこで「罐詰でない生の
フォアグラ」を堪能したとか。戦前日本としては究極の贅沢ではないか?
当然お値段も安くはなかったろうし。 昔の製氷機が外気に影響されやすくても製氷機能はあったと信じたい
まあ、赤道なんて斜めに跨いでも大して時間かからないと思うから気にする程の事もなさそう 獅子文六の子供の頃、日清日露の時代の雷おこしは、下手に噛むと
歯が欠けるぐらい固かったとか。ところが戦後の雷おこしは柔らかく
食べやすくなっていて驚いたと。やはりいろいろ変わってるんだな。 >>38
っていうか、むしろ赤道直下の強烈な日差しがあってこそじゃね >>32
今も利用されてるようだが
ttp://asahitoyuhi.blogspot.jp/2016/02/blog-post_21.html >>39
寿司も甘くかつすっぱくないようになってると
爺さんが行ってた
食い物全体が甘くなってるとも 寿司飯に砂糖を加えて甘くするのは関西の押し寿司の影響だという説もある。
押し寿司に砂糖を使うのは、冷えても寿司飯がパサつかないため。 食い物が甘くなるのは女性の社会進出のせい、という話もある。戦前などは、
外で飯を食うのはほとんど男ばかりだった。食い物屋に出入りするのは
品の良くないこととされ、女性が外食するのは滅多に見なかった。
それゆえ外食も、男向きの辛めの味付けが当たり前。今でも、牛丼屋に
一人で入れるかと聞けば、抵抗があると言う女性が多いだろう。
もっとも何事にも例外がある。甘味処のような店は昔から女性専科と
相場が決まっていて、男が一人で入れる雰囲気ではなかった。今でも、
男性客がパフェ大盛りを注文できるかといえば、やはり抵抗があるだろう。 >>44
なんか矛盾してない?
前半は女性は外食するものではない、滅多にない、といいながら
後半は女性客をあてらしている男性客の入りづらい甘味処とか >>45
だから例外と書いたがね。甘味処なんて、牛丼屋やラーメン屋みたいに
そこら中にごろごろあるものかね?
戦前も、食い物屋、一杯飲み屋、料亭と、男性の立ち寄れる場所は
いろいろあったが、女性の入れる店はせいぜい甘味処ぐらいだったんだよ。 「少数の例外」がある事柄って2ch で話すとだいたい荒れるんだよなぁ
「基本的には」とか「〜ことが多い」みたいな予防線を張り忘れてた場合はもちろん、張ってても往々にしてスルーされる >>44
昔は牛丼屋で女を見た事なんてなかったな、1度も見た事なかったかも知れんw
自分が良く牛丼屋に行ってた25年くらい前の話だ。 >>47
まあ祝日だし中学生だろ
揚げ足取りにしても子供っぽい >>48
他人と対面で飯食うのを嫌う女性が多かったらしいね >>48
逆に貴殿(推定オッサン)が原宿のクレープ屋でチョコバナナクレープを
買って、歩きながら食えるかね?当方(オッサン)は当然無理。 >>50
その点甘味処は周りも女性客ばかりで、昔から入りやすかったわけだ。
とはいえ、甘味処にカップルでご来店というケースもある。女の子に
引っ張ってこられた男の方の居心地の悪さといったら。雑煮とか、
甘くないものもあったけどね。 >>51
確かにw
まあそもそも、原宿なんかに行けないわww 歩きながらモノ食うなよ
行儀わるいな(´・ω・`) 甘味処に連れて行かれたら、磯部巻を頼むか、まずほとんどの店にはない
豆寒天でも頼んで通ぶるのが良い(笑) >>51
>>53
>>54
>>55
昭和だなぁww
でも、歩きながらモノを食うなと言うのは、祭りのときは除外されて
いたような気がするのだけどな。
で、昭和の間はまだ繁華街で歩きながら食べるのは違和感があった
ような気がしたけど、
あれ高速道路のSAが普及してから、原宿でクレープを歩きながら
食べることに違和感がなくなったのかネェ
それともソフトクリームを観光地で売り出すようになってからかネェ
たこ焼き屋が店を構えるようになって、ショッピングモールのベンチで
食べるようになってからかネェ 誰だったか、満州生まれの女優がそこで終戦を迎えてバタバタしている時に
街で歩きながら揚げパンを食べている大人の姿を見て
そこで初めて何かが決定的に変わってしまったことを悟った
みたいな話があったなあ 夏休みのプール帰りにホームランバーとかガリガリ君だろ
もちろん、お行儀悪いのは自覚してんだけど、クレープやソフトクリームも似た感覚じゃないかな?
原宿だと、クレープどころか路肩でバド缶も売ってた昭和
ワンカップ持ったホームレスみたいだが、ちょっと行儀悪いのがお洒落だったのかもしらん 酒とタバコに関してはむしろ最近は「お行儀よくなってる」ね
あるきながら食うのが自由といいつつ電車内で食う行為が減ったように
実は最近の方が堅苦しくなってるもの多いと思う >>57
逆に歩きタバコとかは完全に過去のものになったな 排水溝に吸殻捨てるのは本当によくない
喫煙者だけどあれはあかんとおもう 喫煙者にモラルやマナーや遵法意識やらを求めることはおよそ不可能なので、喫煙そのものを制限するしかないんよ。 禁煙ナチの頓珍漢な言説に比べれば知能があるだけ喫煙者のほうがましだなw 酒を禁止すべきだよ。気違い水を飲む以外のストレス発散法がわからない
気違いどもは抑圧するしか方法がない。酒酔い運転して人を轢いて、
慌ててコンビニに駆け込んで酒を買って被せ飲みして酒酔い運転を
誤魔化すクズだしな酒飲みは。殺処分以外ないだろう。 >>67
酒もタバコも禁止するに越したことはないんだけれど、あまり締め上げすぎると、もっと危ない致酔性の薬物に走るからなあ。
タバコも値段上げすぎて、なんちゃらハーブとか大麻とかアンフェタミンとかと価格差が縮まって、そういう違法薬物との境界が小さくなってきている。
もともと酒やたばこを好む人はモラルや遵法意識が低いんだから、安易なところで合法の小悪にとどまれるようにしておかないと、歯止めが無いよ。 エホバの証人のようなカルト思想の持ち主ががえらそうに実現不可能なことを言ってるなぁ
モラルってお前のモラルってことがわかってない
こいつらがナチスのような善意で人を殺すキチガイになる つまり、くちゃくちゃ食う気違いがキモイから飯食うの禁止にしろってっことだな くちゃくちゃ食う気違いがキモイから迷惑。そういうやつは餓死させられても仕方ないね 気違い水を飲んで狂いたがる気違いは殺処分でいいと思うんだ 酒、タバコ、風俗、パチンコなどの必要悪というのは、
民衆のはけ口として必要だよ。 ローマ市民にパンとサーカスを!
と歴史板ぽいこと書いてみますた どうせやるなら税金の入る競輪競馬だよな。
テポドンの資金源になる朝鮮玉入れは弾圧せんといけん。 なんか価値観の偏狭な連中が湧いてんな
このスレの本来の住人にはそんな奴はいないんだろうけど(そうだとしたらこんな話題楽しめない)、スレタイが広範なせいで変な奴を読んでしまうのか、ネットに張り付いて特定のキーワード定期検索してる偏執狂がいるのか 昔アメリカという馬鹿な国が禁酒法という悪法を敷いた結果、マフィアの跳梁跋扈を
招いてしまったもんな、今それを真似るアホな国はないだろうw >>75
今風にいうと、パンは社会保障だな。
サーカスは、オリンピックか? 公費でスタジアムを整備して誘致する、プロ野球だのJリーグだの国体だのか?
必ず放送する高校野球や相撲のようなものか? 日曜晩の大河時代劇か >>81
金持ちの宣伝と民衆の娯楽であるテレビがサーカスでしょう
生活保護でテレビおkみたいな話だな >>80
今では禁酒法時代≒ジャズエイジ≒第2次金ぴか時代は、
一種の古き良き憧れの時代のイメージがあるよね。
スピークイージーと呼ばれる隠れ酒場とか。 >>83
どうしても、スコット・フィッツジェラルドの「マイ・ロスト・シティー」を思い出してしまうな >>85
悪いな、合言葉は変えたよ
僕も覚えてないけど >>80
アフガニスタン、パキスタン、イラン、イラク、イエメンではアルコール類は禁止
インドネシアのように法律で禁止されてないけど宗教上の理由で実質禁止みたいな国もある インドネシアやエジプトみたいな緩い国ではビールぐらいならOKじゃなかったか アラーが見てなければ問題ない。
イランでも隠れ飲酒が多いし。
サウジなんて結構堂々と飲んでる。
禁煙、禁酒ってのは悪癖なだけにしぶといよw インドでは法律上、アルコールは合法で大麻は非合法。
しかし宗教上は、アルコールはアウトで大麻はOK。というかガンジャは神聖なもの。
だから警察署の真ん前でもガンジャ入りのラッシーを売ってる。
レストランなどでビールを頼むと、何となくヤバそうに持ってくる。
ソースはねこじるのインド旅行記。 暑い国ってあんまりハードリカーを呑まないよな、暑さで酔いが回り過ぎるからか? 少なくともビールに関しては薄味のものをガブガブのむね
水代わりに飲む
なので味も薄いしアルコールも控えめ アサヒのスーパードライって、ドイツ人やイギリス人的にはどうなんだろ?
美味しいと感じるのかね? コロナはライムとセットで売ってほしいわ。
近所のスーパーにはコロナはあるがライムがない・・・。
一度、かぼすで試したがクソまずかった。 >>92
タイには“メコン”ウイスキー(実際は米焼酎)があるじゃん。 >>96
以前はライム汁の袋がおまけについてた時期もあったが最近はないな
自分はポッカレモンで代用してる
スーパードライにもたまに入れたりする コロナライムは確かに旨いな
レモンが合うならユズも会うのかなぁ >>90
サウジのお金持は、ちょっくら一杯ひっかけにバーレーンかアブダビへプライベート飛行機飛ばして・・・・・・ >>82
社会保障と、安易で低俗な娯楽とを、提供した為政者は名君と言われるわけだ。
安易で低俗な娯楽は中世近世だと宗門に丸投げして、お祭りに布施だけれど 大衆的な娯楽ってのはだいたい安易で低俗なもんだよ。 多くの大衆に受けるものを作ろうとすると安易で低俗になるわけだが
提供し続けると大衆も学習してきて、要求が高度化したり、嗜好が細分化したりするからその先が大変だな 剣闘試合と戦車競争と演劇と、三つぐらいで何とかなる。
血を見たい奴は剣闘、賭け事好きは戦車、意識高い系は演劇で。 今の日本の状況を見てるとそのぐらいでなんとかなってたのが不思議な気がしてくるな >>105
テレビで言うと、野球、クイズ、時代劇か 日本ではなぜ阿片が定着しなかったのだろうか
栽培や製造は難しくないだろう 麻は戦前まで部分的に使われたが、
ケシはさすがに被害が多すぎた。 麻畑で農作業してると「麻酔い」という症状になると知られていたが、
意図的に麻薬を使った話は日本では聞いたことないな。 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) 基地外茄子はかなりbadらしいけど麻酔に使っても大丈夫なんかね 花岡青洲の麻沸散か、嫁と母親がエライ目にあったじゃん。 >>110
>麻畑で農作業してると「麻酔い」という症状になると知られていたが、
大麻取締法で「使用」が処罰の対象にならない根拠はコレかな? >>110
喘息に効く薬草という認識があったようだ
「不思議によく利く薬草薬木速治療法」なんて明らかにアレだよなぁという戦前の本に書かれてる
今オークションに出てるよ
あと4日で締め切り、現在1人入札680円だw
http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u87926391 >>118
やっぱりバレた?
ちなみに、葉たばこ農家は収穫時に皮膚に付着する葉たばこの樹液が原因の
急性ニコチン中毒に苦しめられていたそうだ。(今の日本でどうなのかは知
らん。) >>104 ふむう…
プロレス好きなんだが、「危険な角度で落とす」のも「要求の高度化」なんだろうな スレチだったらゴメン
水田はどうやって肥料施しているの? 田んぼのそばを通ると鶏糞臭かったりするな、田植えの前に肥料をまいてるのかな? 肥料は田植えの前の代?きの前に牛糞とかいれてたのは見たことある
稲は肥料をあまり必要としないらしいけどね 代掻きなんて田んぼのある地域に住んでないと言葉自体知らないだろな いま近所は麦刈り中。
それが終わってしばらくすると
トラックで山のように堆肥が運び込まれる。
点々と築かれる堆肥の山と
漂う臭いまでが例年の風物詩。 タバコは百姓でも吸ってたのかな?
タバコ税みたいなものはあったんだろうか?
酒税でもいいけど >>130
子供でも吸ってたよ。
江戸時代には未成年者喫煙防止法なんてなかったし。
幕府はしょっちゅう喫煙禁止令を出してる。
何度も出てることから庶民は気にせず吸ってたんでしょうなw それと税金については微妙。
農作物だから当然年貢の対象なんだけど、あくまで商品として販売するものには税金がかけられるけど
自家消費用にちょっと植えてあるものは税金かけられないでしょうね。 お国のためにタバコを吸おうなんて時代もあったんだな >>127
しろかきは環境依存文字で表現されなくて?になったんや 自分の田舎じゃ明治の頃に、酒税をめぐって農民vs徴税吏の壮絶な戦いがあって、死人も出た
という話だ。 >>132
江戸城は禁煙だったが、家重が喫煙者だったことで解禁されたとか。
慶喜がリラックスして喫煙している写真が残ってる。 大奥の女連中も堂々と吸っていたようだな
あの頃は妊婦は吸ってはいけないという知識は無いだろうから、
妊娠した側室が喫煙して流産したり奇形が生まれたりの原因になってたかも
ただでさえ当時の日本の食事はビタミンが不足してるのに、タバコでさらにビタミンCが失われる 当時の禁煙はニコチン中毒よりももっぱら防火上の目的だろうな >>137
密造酒の徴税官はマジ命がけって言う逸話いっぱいあるよ
騙して中州に誘導して一晩中州で過ごした徴税官とか命の危険があった 奈良時代はチーズやヨーグルト食ってたのにその後なんで廃れたん?(・ω・) 貴族しか食ってなかったから
牛乳や乳製品を食べたらお腹を壊す日本人が多いし
下痢してたら農作業で力出ない
武士が下痢すると稽古や本番の戦に影響出る 昭和時代はナタデココやティラミス食ってたのにその後なんで廃れたん?(・ω・) それらが流行ったのは昭和のなかのほんの一瞬だからなぁ ナタデココが流行る数年前にデルモンテのフルーツ缶に入ってるのを食ってたけど、最初は
何でフルーツ缶にいかが入ってるのかと思ったぜ (^^;) ナタデココもティラミスも、一番流行ってる時点ですでに一過性の流行みたいな認識あったもんな
今でもそういう傾向はあるけどバブル前後は特にどうせすぐ廃れるだろうけど流行ってるものには乗れるうちにのっておけみたいな風潮が売る側も買う側も強かった ティラミス売ってなくてもスーパーでマスカルポーネ買って来てムシャムシャ食っとるで(^ω^) 玉ねぎって戦国時代に日本に入って来たん?
>>150
酢漬けが南蛮やったら握ずしも南蛮やで 唐辛子は南蛮からナンバが派生したけど
ネギは難波からナンバンが派生したんやわ
(諸説ある内の一つであり、学術的に正しい事を保証するものでは有馬温泉) 鮒鮨って見るからに不味そうなんやけど美味いん?
信長怒らすぐらいだから京周辺でしか当時でも食われてなかったんやろ? >>157
鮎寿司は平安貴族があまりの美味さに馬鹿食いして、豚になったらしい。 >>148
ティラミスは定着しただろ?
サイゼリアに行ってメニューの最後のページを見てみろ。 >>158
豚貴族がダイエットのために食うめんかと思ってた >>158
ほほう鮒鮨って文字が読めんくなるっほど美味いもんなのですなぁ、ホホホ(^ω^) どっちも馴れ鮨やん細かいやっちゃな
これやから滋賀作は >>157
通の食い物。
身も美味いが、特に飯が、山廃純米酒のどっしりした味にピッタンコの酒の肴になる。 一升2000円くらいの本醸造クラスにも合う
(その価格帯だと純米普通酒とか山廃本醸造とかもあるけど)
鮒寿司の時は奮発して山廃純米酒にしちゃうのはある
漬床の御飯と頭を一緒に叩いたのが好き 俺なら素直にブルーチーズ食うわ
国産ブルーチーズどっか作ってくれんかな
輸入チーズ高すぎ
日本美食の国なのにチーズとハム・ソーセージだけはチンケなのしか無い不思議 素直にって、ものがぜんぜん違うだろ。
ブルーチーズの代用に鮒寿司を食う奴なんているのか? 確かに日本酒にブルーチーズ合わせるくらいなら、素直に塩辛とか飯寿司にする
日本でもハムソーセージやブルーチーズ作ってるけど 昔は雪印ブルーというブルーチーズも作っていたらしい。
アイスの雪印ブルーとは別に。
いま見てもラインナップに載ってないから
今は作ってないんだろうな。 カマンベールチーズを日本酒のツマミにすることは時々ある。 カマンベールの皮以外は日本人向きのマイルドさがあるな バルミジャーノ・レッジャーノはいい。歯ごたえと塩気がつまみ向き。 バブルの頃からようやく様々な外国チーズが日本で食べられるようになった
それまではプロセスチーズしかスーパーには置いてなかった 「トムとジェリー」見てああいうチーズが食いたいなーと思ってた >>158
当時の甘ったるい濁り酒にあったんじゃないかな 穴あきチーズと言えばエメンタールとグリュイエールだな、実際にはあんな大穴は開いてないがw 赤福うまー(^ω^)
赤福って誰が最初に考えたん? >>182
×トムトジェリーチーズ
○トムとジェリーのチーズ
ちなみに、トムとジェリーに出てくるのはエメンタールチーズ。 ちょっと流れを戻すと奈良時代に一般的に生産されてた蘇の復元品が売ってるんだが
あれは美味いのかね?
通販になるのと賞味期限が短いのとで躊躇してるんだが。 そもそも酥が今の乳製品で何に当たるか未だに不明と聞いたが 奈良女だっけか?大学の先生が「甘葛ってツタの汁かも」って言ったら、商品化して"古代の甘味料"みたいな売り文句つけたりしてた気がする
だから酥や醍醐が適当に商品化されてても問題あまりないかも 蘇の製法はのこってるけど
醍醐とかがわかんない
ただ蘇の製法というやつも
元ネタである例の「乳→酪・・・醍醐」
の蘇かどうかは正式には不明
ただ古代日本において蘇と呼ばれたものの製法は文献に残ってる
ちなみに蘇の復元はいろんなとこがやってて俺も食ったことがある
まぁ乳製品だなという感じです
当たり前だが値段相応の味を求めるならキャラメルでも食っとけ >>188
とはいえ、甘味料として使えるほど甘い植物なんて限られてるから、あれは正解なんではないかな。 枕草子だったかに、甘葛を氷にかけて食うって書いてたね、確か。 その代わり虫歯になりにくい
美食家だった伊達政宗なんて歯抜けまくり >>189
牛乳ジャム=液体キャラメルみたいなもんなのか? 芋粥を食べてみたい
ただ、自然薯を使うのはもったいないし、蔦の汁を集めて煮詰めるのも面倒 >>195
実際白粥の中にサツマイモを入れるとうまいぞ。
自分の家ではそうやっている。
ちなみに茶粥でもサツマイモを入れている。
当然うまい。 Wikiの「甘葛」項に、縄文時代の貝塚から出土したとか書いてあんだけど、どういう事なのかわからん
誰か解説してくれない? 縄文人ってマグロや鮭やフグやらええもん食っとんやで 鮭・鮪は骨でわかるやん
「これは甘葛です」って書いた壺でも埋まってたんか? 土器の中に痕跡があって、いろいろ分析したら分かったんだろ。 甘つる汁を絞ったあとの繊維から
かごか何か造っていて
それがのこったんじゃない? >>200だけど、甘葛がどの植物の汁かもはっきりしない上に、無文字時代の甘味料が歴史時代の甘味料とどうして同じ物と言えるのか不思議に思ったわけさ
Wikiとはいえ、何か根拠あっての記述だと思ってさ
なお、脚注や参考文献の部分はまだ見てないW >>201
12万年前の人類がアフリカで既に牡蠣を食ってるしな >>201
とれた時に食えるってだけな話だしなぁ
フグ食って一家全滅なんて憂き目もあるし ツベで縄文の保存食で栗を水につけたまま土の中に埋めてたけど絶対腐るよな
解説で「こうすれば虫に食われませんドヤ」ゆうてましたけど 栗だったらそのまま保存出来ね?w
まあどのくらいの長期保存か知らんけど。
それか、勝ち栗みたいに皮をむいて茹でてから乾燥させるか。 うち栗の木あるからゆーとくけど
イガイガから痛い思いしてむいた皮付き実そのまま放置しといたら穴開きまくりっす
水に漬けるとカブトムシの幼虫のちっちゃい版みたいな虫がワラワラ浮かんで来る くり虫?
釣りエサに使うよ。
クヌギのドングリを拾って置いとくと出てくる。 虫がスゴいもんな、水に付けて保存するって案外正解じゃないの? 滝つぼで蕎麦保存するってのもあるし、やり方によっては可能なのかもな 水餅なんかもこまめに水替えれば意外に持つから、綺麗な流水ならいけるのかも どんぐりは中の白い実を取り出して
荒く砕いて流水に長時間晒すと、
アクが抜けて食えるようになるそうな。 ドングリって焼き菓子に合いそうだが全然見かけんな
香ばしくローストしてハチミツで固めたら美味そうな気ガス どんぐりはアク抜きして細かく搗いて
水を加えて煮詰め、冷やしてゼリー状に固めて
こんにゃくのように食ってたのを
TVで見たことがある。
結構渋みが残ってたようだ。 椎の実のどんぐりなら、炒って塩ふっただけでも食える 今あるか知らんけど、韓国にどんぐり豆腐ってのがあったね。 しいの実は生でも食える。
子供が拾ってきたどんぐりがしいの実だった。
ほんのり甘かった。 長崎県松浦市福島だったか、古来から救荒作物として
マテバシイを植えている。ドングリもわりとでかくてイイな まあご先祖様は結局どんぐりの食用化はあきらめたのだからな、
品種改良すら、出来ない何かがあったのだろうな。
最も食用にしている植物でも、品種改良をあきらめた植物も
あるけど。蕨とか葛とか
ところが園芸だと、あのコケですら、園芸品種があるのだからな。 西洋で木の実といえば、オークだけどこれも品種改良して
食用にはできなかった。
理由は、苦みを司るDNAが複雑で完全な排除ができないらしい。
ドングリも同じブナ科だから似たような物かもね。 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) 高山右近ならローストビーフを高槻市民に食わせてた。 宇宙人側からの申し入れは、とにかく核の利用と戦争をやめなさい、もう一つは宇宙人の存在を公表しなさい。
ロシアという大国の首相がね、あれは冗談だよでは済まないですね、しかも2回も言ってるんだからね。
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKetUkq8
竹下雅敏
「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」
世界演説は英国BBCが放送
マイト★レーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行しています。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。
14歳以上のすべての人々はマイト★レーヤの言葉を彼らのマインドの中で、自国語で聞くでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=6cOvo6n7NOk
【アベノショック > リーマンショック】 マイト★レーヤは崩壊が起こり、それは日本から始まると言われました。 【ゲスウヨ、貢米ポチ、理研は命乞いしろ】
山本太郎総理まであと一歩?
最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
日本国民はどう対処すればいいのか。
新しい政権は民意を反映し、先に食物と住宅、次に健康と教育、最後に防衛とするでしょう。
マイト★レーヤは次のように勧告される。「国民の意志を裏切ることは危険な過程を始動させる。極端な場合、自殺や殺人にまでつながる。」
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。今日の製薬産業によって「盗まれている」薬草も保護されるでしょう。 >>138
家重が江戸に移ってきたのは四歳か五歳かではなかったか?
そんな時分から喫煙してたのか?
でなきゃあ、禁煙の江戸城で誰がタバコを教えたよ? >>156
近いっちゃあ近いけど、なんで九条ではないの? >>165
バカ高い国内産に値段あわせるために関税やら課徴金やでバカ高くしてるのに >>174
うそぉん。昭和50年代からオアシスとか近商とかピーコックとかの団地の中のスーパーにブルーチーズとかレッドチェダーとかあったよ。
千里阪急で車輪みたいなゴーだチーズ、切って量り売りしてたわな。
トムとジェリーに出てたようにな穴の開いてるチーズせがんだことあるよ。 >>189
シソ → 紫蘇
紫色の蘇がシソなんだから、紫でない同種の植物が、蘇なんだよ。
つまり、蘇とは、青シソのことだな >>225
縄文時代には主食でしたが、何か?
貝と一緒に炊いたり、粉に砕いてイノシシの脂と混ぜて炙ったり、いろいろ工夫して食べた痕跡があるけれど、
稲作が伝わると廃れたな >>239
それは都会だからじゃないかなあ
田舎にはなかったような気がする 田舎者だからさ
大阪人が何かにつけて大阪アピールするのと一緒だよ >>243
いや別に基準だとかそんなことは言ってないよ
田舎ではそうだったよう、って言ってるだけ
都会にはあった。田舎にはなかった。 >>242
そもそも、そこで上がっているのはスーパー
と言っても高級志向の店だね。 >>246
団地の中の、当時は近隣センターとか言っていた商業施設のスーパーだよ? それが高級もヘッタクレもあるかよ。 どれもダイエーやcgc系のありふれたスーパー
よりはかなり高め志向の店だよ。
もともとどれもデパート系列の店だし。
それが当たり前だと思っていたんだろうけど、
単価的にはかなり高めだったはず。
ピーコックなんかは、AEONに買われて
見る影もなくなったが。 団地の中商業施設もダイエー系だったのか
どこの団地かも書かれていないのによくそこまで調べたな >>248
そうか?
当時でも結構大きな建物だった曽根(豊中市)とか千里セルシーの中のテナントの店とか江坂(吹田市)のダイエーとか、石橋(池田市)のイズミヤとかでも、
普通に赤い皮のチェダーとか、円盤の八ツ割くらいの切り方してアルミ箔で包んでたブリーとか、売ってたよ。
北摂方面が特殊だったのか? 地域で差異があって当然だしぶっちゃけ割とどうでもいい >>250
特殊だろうね。デパート系列で最初から単価の高い客を相手にしている
店はともかくとして、普通のスーパーでは売れ行きが見込めないものは
おかないのが普通。
今だって、大型店はともかく中小規模の店では
> ブルーチーズとかレッドチェダーとか
は、おいていないスーパーの方が多いだろ。
いずれにせよ、最初にあげていたピーコックは大丸系列でもともとはそこそこ
高いものが主流の店だし、近商は近鉄百貨店系列、オアシスは阪急百貨店
系列の店で、全部「ちょっとお高いスーパー」志向の店だね。 >>252
今こそ普通に置いてるよ。
150〜200グラムくらいにカットして脱気密封しているパックのチェダーとかエダムとか豆腐のようなパックに水に浮いてるモッツァレラとか
円筒形の透明の蓋付容器に入ってるブルーチーズとか、箱に入ってるカマンベール、中に平たい紙コップにラップかかってる容器のとか、
ピザ用の刻んだこれもモッツァレラと書いてるけど黄色いのとか、結構大きな四角い塊のクリームチーズとか、そこらのスーパーにあるで。
今は住んでるの堺の端っこの方だけど、ライフにも万代にもイズミヤにもコノミヤにもダイエーにもcgcならサンエーにもそのくらいのはいつでもあるよ。
ついでに帰省してきた北九州市のはずれの方のマックスバリューとかcgc系統のスピナとかにもあったで。親父が酒のアテに買ってきてくれよく言うよ。 >>255
長野の糞田舎だから目にしなかっただけだろ。
記紀の時代から「信濃路は今の治道……」って蛮族トラップに気を付けろ、今に至ってもザザ虫が最高のオカズとかいう、秘境だし。 >>225
品種改良できなかったのが山菜とかの類なのかな?
タラの芽の天ぷらなんて絶品だし、野菜にしないのがおかしいくらい。
アケビとかざくろは可食部分が少ないのを克服できなかったんだろうか。
ざくろなんてほとんど種。 アケビなんて時期には何も苦労せず勝手に生えてるのが取り放題の食い放題だしなあ。
別段植えてなくても勝手に生えてくるから蔓橋の材料にするくらい山に生えてるで タラの芽は地元ののスーパーにたまに並ぶけど、
自分で採ったやつと全然味が違うんだよな
しかも高い
ウドとかハマボウフウなど香りが命のやつも鮮度が落ちたらまずい
そもそも栄養あるのかよ?
山菜が豊富な地域でもレタスや白菜、ニンジンなど野菜も一緒に食ってるでしょ 家の庭でザクロがいくらでも採れた
店で見かけて懐かしいと思い手が伸びるけど
木から落ちたやつを壁に投げて遊んでも
怒られないくらいだったザクロが意外に高い 店で売ってる山菜は高い上にマズイ
竹の子なんかもいい例だな >店で売ってる山菜は高い上にマズイ
貴方が買った山菜は国産?それとも中国産?
国産と表記されていたとして、それはコンテナで中国から輸入したものを日本国内で袋詰めした表記上だけの国産品じゃないの?
道の駅で買った山菜もタケノコも普通に食えたけどね、俺は
まぁ美味しんぼ脳で、朝一に採ったものをその場で食った本物の味とやらの講釈を始められても困るけどw >>262
お前は中途半端な地方都市在住でピクニック気分で遠方にでかけて
駅の売店で買ったってところだろ?
そりゃ普通に食えるし、普通にうまいと思うよ。
非日常の体験だからな
田舎在住の俺には美味しんぼ脳の意味がわからん。
都会だけで通用する流行語か? 現在の、客が自分で肉を焼きタレにつけて食べるスタイルは日本発祥。
戦後に在日韓国人が考え出したもの。 とりあえず、「道の駅」が何かを知らない地方在住者がいることは分かった。 >>265
逆。
農商務省が羅紗の国産化の為に、長野県やら岩手県やら北海道やらで牧羊を奨励したときに、余剰畜の処分と食肉推奨策のために、満洲・内蒙古・北支方面の羊肉の食べ方を調べさせた。
北支の満洲人・回族の羊肉の串焼にヒントを得て、醤油・葱・生姜・大蒜・唐辛子・味醂・リンゴ・胡麻等を合わせた調味液に数時間浸してから、すきやき鍋で炒める、もしくは、魚焼網で炙る
という方法を羊肉の食べ方の一つとして推奨した。
日本人には肉だけ炙って食べるやり方にはなじめず、或る種の鍋料理として、導入したばかりのキャベツや玉葱を含む野菜をふんだんに一緒に炒めたり炙ったりするようになった。
油を敷いた鉄鍋でタレ漬の羊肉を焼くやり方が、北海道のジンギスカンとして定着。
北海道以外では牧羊が定着せず、代わりに牛肉を炙り焼きするようになり、比較的臭みの無い牛肉を用いる場合には、タレは漬け込むよりも、味をつけず炙って手許でタレをつけて食べる
方法に変化して、焼肉になった。
店舗に朝鮮人が多かったのは、飲食店は開業資金が比較的低額、それまで廃棄されていた腸、血管、横隔膜、肋骨周辺 等を安価に仕入れて使うようになったため。 >>286>>288
解説ありがとうございます。
焼き肉店=在日朝鮮人や焼き肉=韓国を結びつけるキャッチコピーの類いを見かける事が多いので韓国発祥と勘違いしていましたが、日本発祥だったんですね。 手もとで焼く方式は日本の七輪由来。
大日本帝国領朝鮮でうまれた。
味付けは朝鮮。食材のうち、内臓はエタ由来と日本朝鮮のあいのこだよ。 半島だと自分で焼かないでしょ
料理人に全て世話させたがるとかなんとか面倒な話を聞いたことがある そうなの?
宿場とか当時宿とか調理は自前というのが江戸時代スタンダードだったはず 木賃宿が自炊で、旅籠は食事が出るのでは?
木賃宿がスタンダードかどうかは知らん。 「中世後期の旅と消費」によれば永禄年間の旅籠代は広範囲でだいたい一定で
一泊二食ついて24文の宿が都会からド田舎にまで存在する
想像以上に経済システムが発達した社会であることが窺える ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>281
それで思い出した。
参勤交代は行軍だから殿様の食料は持参したと聞いたけど、随行の武士たちの食事はどうしたの?
江戸では自炊したり外食したりと記録を目にするけど。 ギリシャの市民兵も三日分の食糧は自弁で、それ以上
戦闘が長引いたら支給だと聞いたな。 なんで、半分白でヘソの周りの半分が褐色に赤色の斑点のインゲン豆を、「虎豆」と言うんかの? >>282
NHKでやってるお子様向けの忍者のアニメでは、合戦とか行軍とかをみかけると商機とばかりに弁当を売りに行く場面になるけれど 手荷物で武装と一緒に持って運べるのが、
麦でも米でも3日分が限界って事なのかな? 薪炭はどうするの?
立ち木は勝手に伐っちゃダメだよ 戦国時代の雑兵に必要以上の米を持たせると酒にするから
って話は聞いたことがある 今の清酒と勘違いしてるのか?
どぶろくって簡単に作れるぞ。 >>291
『雑兵物語』だな。
「飯を食わずに酒だけ飲んで戦に出ると必ず死ぬ」とか。 麹と酵母種になるどぶろくか酒粕でもあれば4,5日でもう酔える程度の酒が出来る。
軍陣で足軽がこさえるレベルだと口噛み酒かもしれんが そうじゃなくて、のんきに酒なんぞ造ってられるほど、陣中はヒマなの?
液体を以て回るほど行軍って楽ちんなの? 城攻めとかだと数ヶ月から数年
対陣することがある。 >>294
戦場ストレスを紛らわすのに酒を求めるってのは有るわなぁ
一杯ひっかけて槍を持つ
しかし酔っ払い戦さでは覚束ない ただ一つ言えるのは、酒飲みは酒のためなら何でもやる。 持たせた足軽の日当のようなものを全部酒に換えてしまうとかなら、まだ判るんだが、
籠城・攻城戦とか川とか崖とか挟んでの睨み合い膠着とかで長期戦が予想されるからって、手許の米穀で酒を造ろうなんてことになるんかな? 戦慣れした古参の足軽なら、酒醸用の麹とか壺とか持参したに違いない。
酒飲みはそれくらい平気でやる人種。 肝硬変で入院してるのに、抜け出して呑む。
それが酒飲みという人種。 「明日は総攻めをする
城兵は弱って居るぞ
存分に槍働きをせい
城を落とさば酒をふるまおうぞ
中の女どもも取り放題じゃ、ハハハ
いざ、いざ、いざ」
エイ エイ オー 前世紀に病院で院内感染が問題になったころ病室の入り口に
消毒用のエタノールが置かれるなったとき病室によっては消毒
用のアルコールの減り方に大きなばらつきが出て調べてみれば
年寄り男性がいる病室の消毒用のエタノールの減りが早いので
看護婦が注意して見張ってたら消毒用のエタノールをこっそり
コップに移し変えて飲んでたって話があったなあ、その後消毒用
のアルコールは飲用できないようなゲル状になったりイソプロパノール
アルコールになったそうな 日本の年寄はイソプロパノールだと飲まないの?
ソビエトの空軍では、戦闘機用の氷結防止剤として使っていたエチルアルコールを兵隊が盗み飲みするので、飲めないメチルアルコールに切り替えたら、
やっぱり盗み飲みして肝臓や腎臓を傷める傷病兵が多数発生。
天然ガスを使って作る高価なメチルアルコールで廃人輩出ではやってられんので、すこしくらい盗み飲みされてもやむなしと、もとのエチルアルコールに
戻したそうな。 まあ日本も戦中には同じことやってるけれどな。
戦闘機の燃料の軽質石油が不足して、やむなく、甘藷から作るアルコールでゼロ戦とか飛ばす。
やっぱり兵隊やら出入りの業者が焼酎として飲むので、赤橙色に着色してさらにメチルアルコールを足す。
旧制中学の理科の時間でも習うよ、メチルアルコールとエチルアルコールは沸点が違う。前者64.7度、後者78.4度。
もう一度ランビキにかけて分離してやればいい!俺賢い。とばかりに、本当に休止中の焼酎メーカーのランビキを使って再蒸留。
ところが沸点が違っても混合液は沸点そのものが変わってしまう。一回二回の蒸留では分離できない。精々、着色剤の赤っぽいいろだけが除けるだけ。
そうやって不完全な再蒸留によるメチルアルコールどっさり混じった粗悪アルコールが、バクダン焼酎・カストリ焼酎の増量材に使われて、
メチルアルコール安物の焼酎にとびついた層に不具者が多発。 いやまぁ・・・知ってるよ
傷病兵が多数発生で盗み飲みの方がマシって戻すことに対して恐ロシアなんだ
違うバクダンなんだろうけど、じゃりン子チエの店でもバクダンあったな
おばぁはんが「安い酒ばかり飲んでるとアホになる」って言ってた気がする イギリス映画で、一次大戦下、脱走罪で兵隊が銃殺されることに。
前夜、同僚がやってやれることは強い酒を飲ませてグデングデンにして明日の事を思い悩ませないこと
翌日また飲ませて、酔生夢死よろしく、飲ませた連中が銃殺隊となって撃つ
戦争に酒は必要だな >>308
ちげーよ
どのみち盗み飲みされるんだよ、盗み飲みは避けられないんだよ、ソビエト空軍幹部も諦めてるんよ。
マシかマシでないの話なら、天然ガスから高いコストで精製した毒になるメチルアルコールよりも、
製糖工場でビート粕から作れる安くて作れるチルアルコールを盗み飲みされる方がマシだと。
コストも傷病者の発生率も。 >>307
日露戦争で凱旋した直後の戦艦三笠も、発光信号用アルコールからメタノールを抜いて飲もうとした時の事故で爆沈したというね。
人目がとどかない副砲火薬庫の通路でこっそりとやろうとしたのが原因で通路に火災が発生し、延焼して副砲火薬庫が爆発、さらに主砲火薬庫に延焼して轟沈、と。 轟沈というと今ある三笠が幻になってしまうから、着底だろう 信号弾のメチルを抜くのは、いったん火をつけて、炎の色が変わったら
消すという方法だったらしい。その最中にうっかりひっくり返して大炎上と。 そんなやり方では分離できないのに、中途半端な物理・化学の知識で。
まあ今の人も水素水だのマイナスイオンだのに大概騙されてるけれど。 美容と健康を商品の中に見出す人々と、その気にさせる業者との幸せなWin Winの関係
信じていればそれなりに幸せな気分
そういう気分を提供してお代をいただく、私らは幸せ配達人なんで御座いますよ >>317
宗教も同じ。
宗教にどっぷりハマる人は、周囲は不幸だが本人は幸福。 科学っぽい用語が有りがたい、或る種の宗教なんだよ。
戒律は、
炭水化物の摂取を控える
犬猫に葱類を与えない
犬に骨付き鶏肉を与えない
酸性食品よりも多くアルカリ性食品を摂取すべし
電磁波を避け磁力を身に纏え
等々 >>314
主砲火薬庫の爆発だから、一瞬で船体が引き裂かれて沈没したと言われている。
死者も300人以上だし。
場所が港内だったんで、一年後に引き揚げて修理し復帰している。
酒とは関係ないけど、三笠は数年後にも主砲火薬庫で火災を起こしている。
こちらは放火自殺が原因で、注水などの処置が功を奏して火災事故で済んでいるが。 >>309
アメリカ海軍の軍艦が禁酒なのは有名だが、実は酒を用意してあるらしい。
日本軍の神風アタックに心底恐怖した将兵のパニックを抑えるため、急遽酒が配られたという話がある。 ラムの用途?
決まってんじゃん
…って、このスレじゃ手垢つきまくってるネタだな >>310
ソビエト空軍幹部のほうが合目的的だな。
どのみち酒好きは止められないなら、わざわざ金を掛けてエタノールに毒を混ぜても盗み飲みした兵士を無駄に弱らせるだけ。
だったらある程度黙認したほうが酒を飲めて満足した健康で士気の高い兵士を確保できるし、燃料に毒を混ぜるコストも掛からない。盗み飲みなんて燃料全体の量と比較すれば微々たるもの。 そこでめげずに続けていればいずれは淘汰されて問題が解決する、かも知れないだろ。 酒(アルコール)はドラッグとしてはダウン系なので、兵隊の士気はダダ下がりだよ
モラルもモラールもまとめて下がる。 >>332
そうか?
酒飲んで景気良くなる奴なんか珍しくないぞ。
眠くなるのは飲み過ぎだ。 脳の表面部分の抑制系から麻痺して行き、大胆に振る舞えるようになる
内部まで酒が到達するとダウンする 前世紀に監督が登坂前の投手にビールを飲ませてマウンドに
送り出した球団があったなあ。 戦後に流行った栄養シチューが
形を変えつつ大阪ではしぶとく生き残ってるのびっくりした
もはや文化遺産だね
大阪にはシチューうどんがある!
http://portal.nifty.com/kiji/150731194212_2.htm
>戦後の食糧難の時代に、これをシチューだと言い張って出した人がいて、その味がそのまま今日まで脈々と続いているという
>うどんを入れるようになったのは、あづま食堂と同じく30年位前からだそうで、きっとその頃、シチューにうどんを入れるブームがあったのだろう。 シチューって単に煮込みって意味だからな。
間違いなくシチューです。 デイリーポータルって頭良くない人向けな雰囲気の記事だから嫌い 日本の食文化が今ひとつショボいイメージがあるのは肉がないせいかな 日本を否定することが賢い姿勢って言う病なだけじゃね? 別に日本を否定するわけではないけど
肉料理とか油料理があまりないのと煮物や佃煮みたいなものばっかりで味も微妙でしょ
海外で受け入れられているのは寿司のほかは半和食であるラーメンや丼物くらいでしょ 司馬寮が事実を無視して、下級武士の粗食を強調するから
江戸時代の食事に変なイメージがついちゃったから… しかし現実に幕末の最高級接待料理が「不味い、少ない、貧相」と評されたからなあ 現在敷衍されている下級武士の食生活が実態と乖離しているということと
事前に西洋人の食習慣をリサーチし食材を買い調えねばならない
という話は全く別の話であり、後者は典型的な「批判の為の批判」後知恵でしかない 貧相じゃないと思う国に移住すればいいんじゃね?
そうしてそこの国の人として好きなだけ日本をこき下ろせばいいよ
それで祖国の悪口言いたいだけの馬鹿な欲求も満たされるだろう
まぁ、そのころには移住先の悪口言いたくなっているだろうけどね >>344
実際、ショボいからだろ。
殿様とか家老とか郡代とか飢餓とは無関係の上位の士分層でも成人男性の身長が156センチくらいとか、栄養状態悪すぎだろ。
17世紀以降、世界中どこでも人口は急増していたのに、日本は19世紀半ばまで人口停滞。飢餓頻発で、食べるものは質どころか量もくままならん状況だった。 鎖国の弊害か
今もそうだけど食料自給率を十分満たせるような肥えた土地柄じゃないからな 江戸時代に肉食がなかったわけではないが、宗教的価値観の違いだろ
今でも坊主が血の滴る肉を食うところを想像できるか?
坊主が肉や魚を食うなとは言わないが、そういうところを視たくないというのが一般的な日本人の心情じゃねぃ >>352
しかし力士の古写真とかありえないぐらい筋肉ついてるよな
窒素固定する腸内共生細菌が日本人にもあったという説もあるが 和食がユネスコの世界文化遺産になったのは、高級な懐石料理の印象を見て日本に無知なフランスボンボン連中が決めたんだろうけど、普段日本の庶民が食してる味噌汁、魚料理、煮物料理、佃煮、お新香などをみて判断したらとてもじゃないけど世界文化遺産にはならなかっただろうな。
秋刀魚の塩焼きとか根菜類の煮物とか食にうるさいフランス人が美味しくいただくとは思わないし。 >>356
東京オリンピックの頃(昭和39年の方な)は、IOCから、日本で普通に食べてるものではぜってー満足できないから、ちゃんと、量も品目も調理器具もそれなりに揃えてね、と
わざわざ注進されてたでよ。 >>354
世界的に、古代=人力、中世=畜力、近世=風水力、現代=熱機関
というふうに動力の主力が遷り変ってきているんだが、日本の近世は産業革命が遅れて熱機関の導入が100年ばかり遅れた以上に
徳川時代の逆行の所為で、主要動力が畜力から、人力に退行している。所謂、勤勉革命な。
牛馬がいなかったわけではないけれど、人口が限界まで増えて、家畜のための飼料を生産する余力乏しく、畜力の利用がが非常に限定的。
特に馬は、数が少なく、生産活動に従事しない士分のさらに上位層が独占し、民や郷士の騎乗を禁止する有様。
それでも輸送用の牛馬は希少で、士分や富裕層の乗物は、人力の駕籠。
そういう状況では、畜肉を常食するほどには家畜の数が無いのよ。 長文を頑張ってるとこ水さして悪いが、そもそも古代中世近世という時代のくくりは西洋史の分類であって
日本は偶偶似たような発達形態をしているだけ、朝鮮には中世も近世もないし、中国も誰からも異論のない明確な区分けはない
あと馬車だの牛馬だので文明の優劣を語りたがる馬鹿、西洋は素晴らしいの結論ありきの思考停止にしか見えないよ
日本の風土で西洋並みの牛馬が溢れていたら、頻繁な伝染病の発生で文明が滅んでいただろうよ >>360
順を追って発展してないから、後進国のままなんだろ。
律令時代から一兆足とびに近代現代になるかよ。植民地時代に無理やり近代を押し付けようにも
素地ができてないから適応不良起こしてんじゃん。 併合時に実地調査した帝大教授によれば「朝鮮の発達度合いは
我が国の平安中期程度」だとか。 >>360
明治の頭に牛・馬とも急増しているんだよねー。
馬は、明治20年頃に、幕末の20倍近くに増えている。
幕末の馬の数が7〜8万くらい、今の軽騎種(競走馬+乗馬)と殆ど同じ数。
牛は幕末に20万頭くらいが、明治20年頃には100万頭、今は乳牛150万頭に肉牛250万頭でざっくり400万頭だな。 何で頭の悪さを曝け出すレスを重ねるのか
さっぱり分からんが
もう気はすんだのか? 糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww
劣等人種ジャップについて語りたい場合は
↓
http://hanabi.2ch.net/ogame/ 和食が世界文化遺産というのは違和感あるな
昭和まで栄養失調な国だったのに
日本の事情をよく知らないヨーロッパの人が買い被っちゃっただけなんだろうけど 和食とキムチとキムジャンは無形文化財
フランス料理もトルコ料理の中華料理も無形文化財じゃない
ガラパゴス性が評価されたのだろう >>346
>半和食であるラーメン・・・・・・・・・・・・
同様に鶏肉で出汁をとる方式の雑煮は、何時代発祥なのだろ?
【社会】こんな雑煮あり!? [無断転載禁止]©2ch.net
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1483352197/ そりゃ、律令時代だろ。「餅」の字義が、穀粉を水で練った塊から、糯米を蒸して搗いたものに転じた時代。
お正月には茹でた餃子を食べるというのが誤解されて、糯米を蒸して搗いたものを投じたスープを食べるに転じた時分。
禽獣の肉を割いて土器で煮て澱粉質の食材と煮合わせて食べるやりかたは、既に縄文時代に始まっている。
本質的には、縄文時代に雉の肉を煮た汁にドングリの晒し澱粉を丸めた団子を投じて煮たものと、大差無いわな。 >>348
西部開拓期〜20世紀初頭のアメリカは、朝から肉料理など重いものばかり食べる偏った食生活で、慢性の消化器疾患の増加が社会問題になっていた
シリアルフードの発明と普及はそういう社会状況があったから
だから19世紀中盤のアメリカ人が当時の日本食を食ったら貧相と感じるのは当然だが、それをもって日本の食文化が貧相だったとはいえない 一方、黒船の宴席に招かれた日本人は酒や料理を絶賛しお持ち帰りまで・・・ 黒船が来たときにぺりーが最初に要求したのが水と野菜。
幕府が大根を一荷差し入れたら、船員が群がって
あっというまに食い尽くしたという描写がある。
ビタミンC不足があったんだろうな。 大根って向こうでも食うんだっけ?
ラディッシュみたいなものしか無いイメージ ケープタウン、シンガポール、香港、上海、琉球に寄ってから香港に来てるんだから、大根くらい味知ってるだろ 黒船の時代なら太平洋横断してないか?
咸臨丸が確か太平洋横断してるはずだし 「西洋の船乗りは大根を甚だ重んじ、生でかじって流れた汁は顏や体に
塗りつける。余った大根は船長が船長室に持ち込んだが、そうせぬと
船乗りが勝手放題に食い尽くしてしまうと。」と日本の記録にあるな。 薩摩の殿様は豚とか鶏とか丸焼きにしてドーンと出したら絶賛されたな
でも一番喜ばれたのはまともなワインがある!だった
誰だったか忘れたけど日本に来たばかりの外国人は接待料理の良し悪しを
ワインのあるなしだけで判断するが思慮が浅いとか書いてたな…サトウかな? >>382
メキシコ副王領の船はアカプルコからマニラへ太平洋突っ切ってたよ。
でもペリーの船団は東海岸ノーフォークを発ってナポレオンが島流しになってたので有名なセントヘレナ島を経て、ケープタウンに寄港。
その後、インド洋を突っ切ってシンガポールに寄港してから南シナ海・東シナ海を北上 >>376
日本人と欧米人とでは、脂肪の吸収・蓄積体質が違うらしいがね。
1 :砂漠のマスカレード ★:2017/01/20(金) 16:50:49.57 ID:CAP_USER9
・・・日本人は欧米人と比べて『内臓脂肪がつきやすい体質』のため、脂肪を摂取すればすぐ体について
しまい、血糖値や血圧を上昇させ、動脈硬化や心臓病の原因となります。
一方で欧米人は油を摂っても遺伝的に内臓脂肪より、皮下脂肪になりやすいので・・・・・・・・・・
【食】赤ワイン、ヨーグルト…実は日本人の体質に合わない食べ物 欧米人とは、体のつくりが違うんです ★2 [無断転載禁止]©2ch.net
http:// daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1484898649/ <青森リンゴ>硬いと苦情 実は新鮮の証し
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201701/20170124_22008.html
→硬いなんてクレーム付けていたら、若い娘、うわなにをθ‡Eス♀♂』∈《\^■おまい・・・ 低糖質ダイエットやってるヤツに食わせるラーメンは無え! 今の形の羊羹を作ったのは伏見の駿河屋、普及させたのは豊臣秀吉
それまでは所謂「丁稚羊羹」 夜寝ようと思うと、マッコリマッコリ聴こえます。たまりモッコリモッコリに変わったりもします。
これ自然現象でしょうか? それとも幻聴でしょうか? フィンランドのやたら値段高いヤツか
吉田焼とさほど変わらん急須が、値段5桁なのとか。 とら豆が日本の在来種ではなく、伝来時期が明治20年代の割と新しい時期に導入れたものだというのは驚いた。
南蛮貿易の頃に持ってきた豆から日本で選抜したものではなく、農商務省が輸出産業の育成の目的でアメリカから持ってきた種類なそうな。 輸出目的とは意外
主な産地が北海道だし、明治20年なら屯田兵の自給自足用の豆だったんじゃないかと思ってしまう 金時豆、ウズラ豆、大手亡の許になった品種も、明治期のアメリカやヨーロッパからの移入が元になっている。
大手亡はヒット作で、外貨を随分と稼いだそうな。
第一次世界大戦前後、売る豆を売りつくして国内向けの小豆まで輸出したら、えらく不評で、長く小豆というと欧米で不味い豆の代表みたいに言われた。
大正金時は大将の頃ではなくて昭和になってから育成された品種。最初の株が発見されたのが十勝地方西部の帯広に近郷の大正村というところ。 眼鏡とかの「レンズ」の語源もレンズ豆だし
日本神話の五穀にも大豆とかあるし
豆は偉大やね 和リンゴて土曜よりも前の時期にもう食べるような状態になるの?
後桜町天皇の御所千度参事件の際のリンゴの下賜というのがあって、今の暦にすると7月20日頃の季節という。 >>415
和リンゴの収穫適期はお盆前でその頃のお盆は7月15日だったので、
上皇が下賜した時には食べ頃。 御所千度参事件は旧暦の6月中旬、今の暦で言うと7月20日を挟んだ十日間前後
天明7年6月10日というとグレゴリオ暦換算で7月24日。
旧盆の天明7月15日はその1ヶ月後、グレゴリオ暦だと8月28日。
現代、主に西日本で、盆休みや墓参りを8月13〜15日にやるのは、旧暦の7月の盆に近い時期だから。 いわゆるヒメリンゴ・カイドウリンゴ・イヌリンゴの類いは盆供物に使うわな そういや、洋林檎も明治の興農政策の一環だな
ニッカでお馴染みの北海道や太平洋横断飛行でお馴染みの青森に限らず、全国的に栽培の試行はしてみたようだけど
石川県では、青森で越前の松平春嶽が洋林檎栽培の祖とされてるのが気にくわないって事で、加賀の前田温敬を代わりに使えって運動があるらしい
実際に越前より先に栽培した記録があるらしいけど、
記録を残したのは小川某で、彼は加賀藩が空気だった北越戦争で河井継之助と死闘を演じてるんだから、そっちをアピールしたほうがいいような気もする 明治になるまで日本には柿とバーバンクの絶賛したスモモの他にはロクな果物なかったしなあ。 紀文の運んだという種類のミカン、今では果物としては見向きもされず、生け花か飾り物か
神社で橘と混同されて代わりに植えられるかしか価値を見出されていない。 およそ果物としては不適格なミカンを、外界を知らないがためにありがたがってた
幕末に支那から伝わった大型のミカンかせ明治に急伸長して簡単に取って代わってしまった 「菓子」が果物を意味してたし他にもビワ、ブドウ、ナシなどいろいろあった
スモモがあるくらいだからモモももちろんある
今に比べたらおいしくないだろうけどね 今のは更に品種改良したやつが出回ってるから、また別物になってる
洋物が入って来た直後くらいの味が知りたいぞ >>425
ビワは律令時代までに一度伝わっていたものの、長く専ら葉と種子を薬用に用いるだけで、果物としての利用は19世紀に長崎の唐人屋敷で
茂木ビワが発見されてからで、果実の利用が広まるのは田中ビワ(明治期に支那から持ち帰った種子より育成)による。
栽培種のブドウ、言い伝えレベルでは12世紀後半から、実在が確かになるのは16世紀後半の甲州種。栽培は中央高地の一部で限定的。
棚立て袋かけというような栽培法が全国に広まるのは明治期に米州系品種が伝来してから。
ナシ、例外的に日本原産の野生種から育種され、果物としての利用は続いていたが、産業的な栽培は、明治期に長十郎および二十世紀の発生から。
スモモ、律令時代までに伝来、果物としての命脈を保つ。現在主流の品種は、幕末〜明治期にアメリカへ持ち出されたものから里帰りした系統。
モモ、奈良時代までは今でいうヤマモモ(Morella rubra)、以降はバラ科の今でいう桃(Prunus persica)。果実になる品種が伝わっていたが、
薬用として伝わった扁桃(アーモンド)と交雑、果肉が硬く、代わりに大型の花が一斉に咲く性質を得て、果実としての用途は早々に絶え、
花卉としての用途での栽培が1000年近く続く。今の採果用の品種は、明治期に再導入された支那の水蜜桃と西洋種からの育種。 日本料理が世界遺産に登録されたのは国連の痛恨の失態だな
国連の人は日本の実態をよく知らないから懐石料理をみて登録を決めたんだろうけど
懐石料理は上流階級の食事で一般庶民には縁遠いものだからな
一般庶民の食事は
ご飯、味噌汁、焼き魚(大根おろし付き)、根菜類などの煮物、お新香
だからな
全く世界遺産に値しないぞ 叔父さんが子供のころには日本の川に来るウナギは死滅回遊だからいくら獲っても資源量に影響ないと習ったよ お爺さんが子供のころには日本の川に来るウナギはヤマイモが変化したものだからいくら獲っても資源量に影響ないと… 今食べないと間に合わないよ
絶滅したらもう食べられないんだよ
年取ったときに、「おっちゃんはウナギ食べたことあるよ」とガキどもに自慢できないよ。 現在研究レベルで養殖してるウナギは一匹100万円以上かかってるそうだけど
一匹1000円程度の価格で出荷できるウナギの完全養殖には後何年かかるんだろか? 日本最古のサイダー「養老サイダー」復刻資金クラウドファンディングで募集中
https://www.makuake.com/project/yoro-cider/
かつて「東の三ツ矢サイダー、西の養老サイダー」と称され
1900年(明治33年)製造開始した日本最古のサイダーで
人気を博しつつも2000年に惜しまれながら製造中止となった幻のサイダー
「養老サイダー」復刻の資金集めがクラウドファンディングで行われています
養老改元1300年祭の目玉として企画され、初回の生産量は5400本
実現すればコースに応じて返礼品として復刻版サイダーや関連商品が贈られます
募集期間は8月21日(月)まで
ネット販売はされないとのことで、これを逃したら当分は手に入らないかもしれません
特に遠方の方はこの機会に往年の味を復活させ飲んでみて
幻の味を味わい販売継続の一助となってはいかがでしょうか
【Asahi】三ツ矢サイダー NIPPON(8月8日発売)
http://www.asahiinryo.co.jp/company/newsrelease/2017/pick_0725.html >>427
>モモ、奈良時代までは今でいうヤマモモ・・・・・・・・・・・・・・・・
とすると、イザナギが黄泉の国から逃げ帰る際に投げつけたのは、
野球硬球大でなく卓球大のモモの実だったわけか?
現代の中国産水蜜桃状モモだと魔力も納得だったんだが?
絵本の桃太郎入りモモの画も間違いということか? >>437
ヤマモモそんなに大きくないよ、ビー玉くらいしかないよ、特別に実の大きな系統でウズラ玉子くらい。昭和40年代にようやく見出された。
で、天平時代のモモの方はというと、それこそピンポン球〜ゴルフボール大で、とてもじゃないが野球のボールみたいな大きさは無い ヤマモモ小さいよ
しかも旨くない
ヤニ臭い
果樹酒くらいしか使い道ない
桃とはまるで違う >>440
あれは「大きな桃」だから。
因みに桃太郎のお話は中国起源なんだけど,中国でも大きな桃が流れてくるのは同じだけど,
大きいだけで普通の果物だったので,お爺さんとお婆さんは二人がかりで食べてしまう。
で,それほど大きい桃を食べたおかげですっかり若返ったお爺さんとお婆さんの実子が桃太郎。
因みに中国で「桃を食べると若返る」と言われたのは甘いから。
疲れた時に甘いものを食べると元気を取り戻せるが,それを中国人は「若返る」と表現したんだとか。
日本人もその話を知っていたのに「桃で若返り」という感覚が無いのは,桃より甘い柿があったから。
・・・という話を,以前,某市役所の農政課長に教えてもらった。 >>441
チャイナには、桃も柿も梨も杏も瓜あったよ。
梨なんて、立秋から立夏まである。糖度が高いから、秋遅くに採る品種は翌年の新緑の時期まで保存がきく。
杏も瓜も、梅やら漬物用の売りやラと交雑してない、甘味の強い種類だし。 >>443
中国にも確かに柿はあるが,甘柿は湖北省にしか無いらしい。
渋柿でも完熟すれば甘くなるものも多いが,一般的には「加工しないと食べられない」ということで,初めから甘い桃のほうが「甘い果物」として一般的になるのでは。
第一「ドロドロになるほど熟した柿」だの「干し柿」が流れてくる状況というのは何か不自然。 「干し柿の原料」としてではなく、「柿渋の原料で、しかも食用可」みたいな感じか むかしは防水塗料として柿渋の需要が非常に高かったから
渋を取るための渋柿があちこちに植わってたらしいな >>441
昔は桃を食ってハッスルした爺婆の子供だったが、
明治になって学校の教科書に載せるときに不適切として桃から産まれたに変えられたと聞いたが 大きな桃を包丁で断ち割ったら、中の桃太郎まで真っ二つという危険を孕む話となった ワニブックスネタかよw
まだ少し青かったから熟れるまで数日放置したら…
なんてのもあったな。 >>445
支那も干し柿メジャーだよ。
熨す方向が日本とは90度違って上下方向に厚かけてヘタが真ん中に来るようにペッタンこにする 玄米食にチャレンジしてみたが、パサパサでうまくおにぎりにならないな。
おにぎりにするにはやっぱり精米していたんだろうか。 玄米をおにぎりにするときのコツ
さて、うまく炊けました玄米ご飯。
おにぎりにするときはどういう工夫が必要なのでしょうか?
そう、玄米の中に隠れてる白く輝いてるでんぷん質。
おいしい。
甘い。
うまみ成分。
つまり「おねば」っていう部分を上手に出してあげなくっちゃなりません。
手塩を付けて、適量の玄米ごはんをとったら、つぶさない様に軽くソフトに手の中で回転させながら
3回ほど、はじめソフトに最後にちょっと締める。
言葉で言ってしまうとこんな具合ですが、要は、
結びすぎずまとめることです
こうすれば、中に閉じ込められたおねばが食べたときにばらつかず口の中でほろっと解ける。
ころあいの玄米おにぎりに成りますよ!
お試しくださいね。
【玄米屋ながはら玄米Q&A】 さっきテレビで「留学生は母国からどんなものを持ってくるのか?」みたいな企画をやってた。
イタリアの留学生はチーズ、ベトナムの留学生は各種調味料や寒天だった。
で、気になったんだが、イギリスからの留学生はやっぱりマーマイトとかスパゲティの缶詰とか持ってくるのかな?
スウェーデンの留学生だとだとシュールストレミング?
日本人なら醤油とか梅干しなんだろうな。 あれ?ここ日本史板か。
世界史板と間違えた。
スマン。 消防のとき給食の麦飯が好きで母に「作ってよー」つったら
横から祖母(昭和3年生)が「いらん!おりゃ食い飽きとる!」と止められた 昔の旅の携行食としておなじみ、炊いた飯を乾燥させた干し飯(ほしいい)
九州の田舎で農家の人がよく作っていた
湯でふやかして食べるのだが、20世紀の世までなぜ生き残っていたのだろうとは思う
実用食なのか、嗜好品としてなのか‥‥ 大根めしは色々レシピがあるからな
家族に戦時中バージョンと小料理屋バージョンを作ってもらったことある
前者は、ほぼ水 糒と大根飯のエピソードといえば立花宗茂。
完璧超人と呼ばれる宗茂だが、「生活力皆無」という弱点がある。
それが現れてしまうのが、糒と大根飯のエピソード。
あれ?大根飯じゃなくた大根粥だったか? 干し飯は、ベトナム戦争時の米軍特殊部隊の主食として重宝されていたようだ。
ベトコンや北ベトナム軍の支配地域に潜入して活動したLRRP(長距離偵察パトロール)の
隊員は、ビニール袋に入れた干し飯を水か湯(沸かせれば、だが)で戻し、タバスコで味付
けして食ってた、と落合信彦の著書で読んだ。 火炎土器でメシは食えないだろ
あの装飾がジャマ
やはり祭祀用だったんだろう ※NEXCO中日本提案の事業です
日本最古のサイダー「養老サイダー」復刻。養老公園等で販売。名神SAでは期間限定販売
https://www.makuake.com/project/yoro-cider/
かつて「東の三ツ矢サイダー、西の養老サイダー」と称され
1900年(明治33年)製造開始した日本最古のサイダーで
人気を博しつつも2000年に惜しまれながら製造中止となった幻のサイダー
「養老サイダー」の復刻が、現在開催中の「養老改元1300年祭」http://www.yoro1300.com/の目玉として企画され、
クラウドファンディングにより120万の資金が集まり、10月1日より養老公園等で発売されました
ネット販売はされないとのことです
https://newswitch.jp/p/8543
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170319/201703190932_29249.shtml
http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/koho-kocho/kensei-hotnews/2909/170919.html
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170929/201709290832_30608.shtml
また、一緒に並んでいる「養老山麓サイダー」は、より甘味の強い商品となっておりますので
甘党の方はそちらもご賞味ください
http://www.daiichib.co.jp/goods4/
養老公園を訪れられる事がありましたらぜひ購入頂き
幻の味を味わい販売継続の一助となってはいかがでしょうか
なお、期間限定で名神高速道路の養老SA上下線でも販売されています
https://sapa.c-nexco.co.jp/sapanews?sapanewsid=5120
期間:11月5日(日)まで
遠方の方も比較的手に入りやすくなっておりますので、お見逃しなく
(養老「山麓」サイダーは上り線のみの販売となります) イルカの食用の歴史は古いのか?
今でも定量の食需要は継続してあるのか?
鮮度が良く調理法を得ている鯨肉の料理は酒肴にもってこいと言われているが
イルカは果たしてどうなのか? 柿が今年大豊作で、金土日、1日20玉ほど食い続けたら、その後便秘気味だw 柿(の数)が実りすぎて
枝がしなっている柿の木を
今年はよく見る >>471
蘇我入鹿って当時の有力者がいるぐらいだからなあ
静岡じゃシーズンになればスーパーでも売ってるよ >>474
蘇我入鹿の「いるか」という読みは海豚の当て字?
別の動物を含意しているなら、なぜさらに「鹿」を用いている? >>475
確証は無いけれど18世紀19世紀の国学者そう読んでいるから定着してしまった そう。
神武天皇=始馭天下之天皇、崇神天皇=御肇國天皇を
共に「はつくにしらすすめらみこと」とふりがなをつけたのも
平安時代人であって、両天皇の時代にはなんと読んだのか
わからないのだ。 日本人は江戸時代にも「肉」を愛食していた
肉食を忌避していたとの通説があるが…
http://toyokeizai.net/articles/-/196315 地域差があるんだよ
肉食を忌避していた地域が多いが内陸等で肉食が好まれていた地域もある、が通説 >>477
白鳳時代か奈良時代じゃないのか?
そもそも両天皇共後世の創作の可能性もあるし。 >>480
崇神天皇には逸話や史跡もあるので実在していた大王であることは確かだと思うが
春樹の「風の唄を聴け」にも出てくる崇神天皇陵には特殊なオーラがあるな。天皇の始原に関わるから
体感できるあの特殊感や、アプローチすると時雨が発生するなど、史学だけでは解明できない何かがあると
フィールドワークしたときに感じた。 >>479
畜産は大量の水と広い牧草地を必要とすることから
平地の少ない日本では規制されてたんだよ
逆に農地に適した土地が少ない東北では馬肉、熊肉、鹿肉の
摂取量が多かったらしいが >>480
日本書紀は奈良時代だけど、その編纂当時から「はつくにしらす〜」のふりがながあったはずは無い。 9世紀後半あたりから、和歌の流行で、元ネタがあるものが好まれるようになった。
所謂「本歌取」、和歌からとるものばかりでなくて、漢籍や記紀や仏典からも取る。
良い背景から一句一節とって歌いこむことが洒落ていて、受方はそのフレーズがどこから来たのかその背景・文脈はどういうものかというのが
瞬時に理解できないと無粋な無教養なわけよ。
それをやるために、漢籍でも記紀でも風土記でも仏典でもやたら読み漁るというのが、9世紀以降のお公家さん。
記紀も読み方わからんまま書写してのこしていたものが、無理やりにでもよんでやれというのが、この時期て、人名・地名を相当に無理して
読んでいる。 領内で食用牛を生産するのは
御三家の体面に関わるとかでは 昔は冷凍技術もないからすぐに腐るので
味噌漬けにしたり、干したり、燻製にしたりって加工しなけりゃいけなかった
そこら辺に彦根藩にしかわからん機密があったのだろう >>488
水戸徳川は御三家なのか?
将軍を出す家、江戸徳川、紀伊徳川、尾張徳川で、御三家ではないんかい? 将軍候補を出す御三家は江戸の宗家、尾張、紀州じゃないの?
水戸は副将軍格。
まぁ、なし崩しに御三家格になるんだけど。 普通「御三家」っていったら尾張紀伊水戸だぞ
何か間違っておぼえてんじゃないか その普通は、水戸黄門のテレビドラマが放送されるようになった、随分後の時代の普通だけれどな。 大河ドラマ吉宗でも水戸藩主が、
巷にそんな噂が流れていると綱吉に言って怒ってたな。 御三家御三卿はあくまでも分家
宗家に嫡子がいなかった場合に跡継ぎを出すという役割があるってだけ
宗家に嫡子がいれば出番はない 江戸城に女を数百人も抱えて巨大ハーレム作ってたのに、しばしば直系が断絶してるでよ。 御三家は徳川宗家、尾張徳川家、紀州徳川家を意味する場合や、尾張、紀州に駿河徳川家を加えたものを意味する場合などいろいろややこしい。
初期は将軍家に後嗣無き時は尾張もしくは紀州家から、ってことになってたし、水戸徳川家はその奏聞役で、水戸家から将軍家に直接養子は行ってないし、水戸を御三家と呼ぶのは綱吉の頃から。
慶喜はあくまで一橋家から江戸宗家を継いでる。
本来の家格から言うと、江戸宗家がトップで尾張、紀州、駿河の大納言トリオがほぼ同格、水戸や館林徳川家、甲府徳川家はちょっと下。
さらにちょっと下が田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家のいわゆる御三卿。
その下が徳川を名乗れない各松平家。
ぜんぶ引っ括めていわゆる「親藩」。
明治維新後は家格に合わせて、
江戸徳川宗家→公爵
徳川慶喜家→公爵
尾張徳川家→侯爵
紀州徳川家→侯爵
駿河徳川家→忠長一代で断絶
水戸徳川家→侯爵
館林徳川家→五代綱吉を出し消滅
甲府徳川家→六代家宣を出し消滅
田安徳川家→伯爵
一橋徳川家→伯爵
清水徳川家→伯爵
になっている。 水戸黄門の決めゼリフにもある通り、水戸は中納言で副将軍。 徳川宗家、徳川慶喜家、紀州徳川家は、現在跡継ぎがいない状態なんだよな。
どうするんだろ? 宗家は当主の息子がベトナム人と結婚したので孫はハーフになるぞ >>503
その徳川家広氏には子供がいない。
作る気が無いのかは知らんが、これから生まれるとも思えんしなぁ。
まぁ、親父で18代当主の恒孝氏自体が会津松平家から来た養子だから、別に一門から養子を迎えれば済む話なんだけどな。 その恒孝氏は養子ではあるが、歴とした家康の男系子孫。
徳川家は男系子孫がかなり残ってるな。 徳川家云々の話は
スレチジャマイカ
腰兵糧は、3日分用意するのじゃ! その恒孝氏は子供の頃に宗家へ養子に入ったが、宗家の食事が粗食で耐えられず、実家の会津松平家にたびたびメシを食いに帰ったそうだが、いったいどんな食事だったんだろうか? その人、生まれつきの大食で宗家の飯の量が足りなかっただけだ
養子になる時に、なんで家から出ないといけないんですかと父親に抗議したら
「お前は飯を食いすぎるからだ」と父親に言われたと本人が述懐していた 公爵家と子爵家で「飯を食いすぎる」と言われるって、いったいどんだけ食ってたんだ? 飯の食いすぎが何らかのマナー違反になるという時代背景は面白いな 物心がつく前に養子になってたら、宗家で普通におかわりしてたんじゃないの?
物心がついてからだから、子供ながらにも遠慮してたんじゃなかろうか 魚の片面だけ食って「替わりを持て」とか言ってたんだろ 粗食なのと食事の量が少ないのは別なのかもな。
もしかしたら徳川宗家の食事は、お浸しや野菜の煮物中心のもので、育ち盛りの食べ盛りには物足りなかったんじゃなかろうか。
分家から本家に養子に行った身としては、なかなか我儘も言いづらい。
で、たまには肉や魚も食いたくなるので、実家に行って我儘言って食ってたと。
すべてオレの想像に過ぎんし、徳川宗家と会津松平家を単純に本家、分家と言っていいのかもわからんけど。 >>502
本来なら、戊辰戦争で晒し首にされてたはずのものを、貴族に叙されて上級国民とか百年以上もやらせてもらってんだから、
もう満足しろよ。
旧弊は絶えて然るべし >>511
「居候三杯目にはそっと出し」っていつからあるんだろう 小糠三合あれば養子には行くなって言うからな。
養子とか婿は肩身が狭いもんなんだよ。 >>517
茶碗にお代わりをよそおうって室町以降では お代わりを装ってどうする。
ちゃんとよそってやれよ。 おかわりってありがたいよな
当たり前のように言ってるけど 中東はあるよね
招待客にはお代わり勧めるのが礼儀で断っても遠慮だと思われて
満面の笑みでよそってくれちゃうので腹が破裂しそうになる >>525
饗応では客が食べ残すまで料理を出し続ける国や地域は中東に限らず多いね。
日本のように残すのは失礼という所はむしろ少数かも。 中国も韓国そうだな。彼らは食べ放題でそれをやるから困ってる。
向こうでは残ったら豚の餌として、若しくは次の客に再利用だから問題ないんだが。
欧州でも少し食事をのこすのが「紳士のマナー」だったね。
残り物を持ち帰る日本はペリーが驚いたように少数派なんでしょうな フランスは残すのはマナーでもマナー違反でもないみたい
全部を食べたら料理や料理人を褒め称える行為だと思われている
パンで皿のソースまで拭き取って綺麗にすると料理人が喜ぶらしい
日本の特徴は残すと罪悪感などを伴う事だと思う
食べ物を粗末にするなと学校の給食とかで教育の一貫として行われたせいかな >>528
残り物を持ち帰るというよりは、宴席では。羹・汁物と刺身と漬物くらいしかその場で食べない、ほとんどを持ち帰る。 ちなみに持ち帰る文化ができたのはなぜじゃ?
江戸時代に生まれたんだと思うけど 1944年1月1日のイ29号の食事
朝食は(雑煮・銀飯・煮豆・数の子・煮魚・漬物)
昼食は(五目寿司・マグロの刺身・するめ・昆布巻き・数の子・煮豆・ビワ・漬物)
夕食は(銀飯・魚・フルーツサラダ・数の子・味付葉豆・すまし汁・漬物)
夜食には(ぼた餅)が付いた。
同年7月26日、米潜ソードフィッシュの魚雷攻撃を受け撃沈。 朝から毎食って、なんでそんなに数の子推しなの?
と、ピワというりは、枇杷のフルーツか? 季節が半年違うけれど? 新潟市の農村部在住ですが、年寄りが、戦前は学校から家に帰っても白米と数の子しかなかったよ、なんて言います。
あと、昔は精進日というのが有って、その日は味噌汁の出汁も煮干しを使っては駄目だったそうで、そういう日の為に「精進数の子」というのが有りました。
と言うか、今も有ります。干した大根と細切りの人参を甘じょっぱく漬けたもので、見た目と食感が何となく数の子っぽいです。
ただ、今では、ハリハリ漬けとか松前漬けとか、余所の地域の漬物の名前で呼ぶ人が大半です。 >>537
隠れキリシタンか?
確か、耶蘇教には精進日があったよな。鳥獣食べてはダメという。でも耶蘇の精進は魚食えだし。ついでにビーバーとアザラシは魚の区分 日本史板で何言ってんだ
忌日や物忌の間が精進日になるのは普通だろ 近所の準庄屋クラスの名門は近所の神社の神官を持ち回りでやるけど
そのとき神官になるまえ潔斎で食い物に制限があるね
小鳥の餌見たいの食ってる 蟹食わないとかタコが駄目とか、各地にいろいろあるよ。 タテマエとしては火を通さない雑穀や果物(干物は大丈夫)くってるが、
どうやら火を通してから乾燥とかにしてるみたいね 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
E68I6 大正四年十一月十七日於京都二条離宮
大饗賜宴 献立
一 鼈清羹 (すっぽんのコンソメ) 蝲蛄濁羹 (ざりがにのポタージュ)
一 蒸茹鱒 (ますの酒蒸し)
一 被包肥育牝鶏 (とりの袋蒸し)
一 烹炙牛繊肉 (ヒレ肉の焼肉)
一 煮熟冷鷸 (うずらの冷い料理)
一 椪柑凍酒 (オレンジと酒のシャーベット)
一 燔焼吐綬鶏 交品 鶉 生菜 (七面鳥のあぶり焼き、うずらのつけ合わせ、サラダ)
一 湯淪溏蒿 (セロリの煮込み)
一 氷菓 (アイスクリーム)
一 後段果実生菓各種 (デザート)
酒類
一 アモンチアード寒爾利酒 (セリー酒)
一 千九百年醸シャトー、イケーム白葡萄酒
一 千八百七十七年醸シャトー、マルゴー赤葡萄酒
一 千八百九十九年醸クロードヴージョー赤葡萄酒
一 ポムリーエグルノ三鞭酒 (シャンパン)
麵麭 珈琲及焼酒数品 肉類大杉で胃もたれしそう
しかも昔風のバターと生クリームたっぷりのフランス料理だろうし >>545
>一 千八百七十七年醸シャトー、マルゴー赤葡萄酒
このワインが現在に存在していたら、高級住宅街に一軒家を立てられるほどの価値があるぞ。
失楽園で川島なお美が自殺に使った名酒中の名酒。 >>536
その当時、ニシンは魚油と肥料の油粕がメインで、カズノコはおまけ的存在だった。 オリンピック中の韓国でまた犬肉騒動がオランダ選手からもたらされたようだw
日本では犬肉食は生類憐れみの令によってほぼ絶滅。
周囲で犬肉を食べたという人は、戦前、朝鮮・中国・台湾に渡っていたという人々。
どういう味だったかと伺うと、皆、固くて不味い、と。
老犬ばかり食ってたらしいw >>550
えー
戦中派は高度成長期にはいるまで食べてたよ?
赤犬が一番旨い。あとは、黒、白、ブチの順で、洋犬はあまり美味しくないとか
料理法は味噌煮とか 戦中戦後の食糧難時代に犬食いする人が出てきたってことなんじゃないの? 天武天皇の時代に犬食禁止令が出てほとんどの日本人は食べなくなったが
山岳民などこっそり食べる人たちは割といた
生類憐みの令でより厳しくなり食べる人はほとんどいなくなった
戦後の食糧難で中韓から伝わった犬食文化が一時復活したが
高度経済成長期に廃れた >>552
それだと、赤犬が美味いなんてのはポッと出だということになるでよ >>553
鎌倉時代の鎌倉の遺構から結構な量の煮炊きされた痕跡のある犬の骨が出てくるというけれど ところで英語で家畜のことを livestock というが、食用以外の家畜もこの言葉で呼ぶのだろうか >>560
オックスフォード英英辞典によると
animals on a farm kept for use or profit
「使役や利益のために」とあるので食用以外も言うんだろう
コウビルド英英辞典だと
animals such as cattle and sheep which are kept on farm are referred to as livestock
「牛と羊のような」がポイントだな
羊は羊毛も取ったりするからな
どちらの辞書もイギリスの大学が出してる辞書なので、あくまでもイギリス英語だ
アメリカ英語の英英辞典は持ってないが、アメリカにはdomestic animalという言い回しもあるらしい 英語に標準語なんてないけど、経済力や軍事力が強いアメリカ英語が優勢かな
元祖本家はイギリスだ
英語にもいろんなバリエーションがあって、まぁ、方言だと思えばいい
何かの国際会議とかで、全員英語しゃべってるはずなのに通じないという事態が発生したりするしな
日本語で言うと、東北弁、琉球弁、関西弁などが入り乱れて話が通じなくなってるような感じになるらしい 英国や米国の英語でも特定分野の用語は方言ベースってのが
あるからなあ カー娘が「おいしい」と食べていた韓国のイチゴ、ルーツは日本?
http://www.recordchina.co.jp/b575757-s0-c30.html
開発者の西田朝美さんが韓国人から種苗を分けてくれと懇願され、
何度も断ったものの、最後は根負けして5年間の有償栽培契約を結
んだものだと伝えた。契約書には、契約者以外の人物とは許諾契約
しないと明記されていたが、この韓国人は苗を他人に分け与えてしまい、
韓国中に広まってしまったという。
→そうじゃないかと思ってたら、やっぱりね
契約など守らないし守る気が無い連中にひとたび渡したら最後・・・ 一昔前に日本のイチゴ農家が廃棄処分にした苗をゴミ箱からこっそり
韓国に持ち帰って新しいイチゴの品種を開発したニダって話があったなあ。 >>562-564
映画でイギリスからフランスへの飛行機レースを描いたのがあってそのなかの一場面。
アメリカチーム(イギリスチームへ行き)「モンキーレンチあったら貸してくれないか?」
イギリスチーム「モンキーレンチ?なんだそれ?・・・あー、アジャスタブルスパナのことか」 常駐している愛国戦士様だろjk
日本は否定しなければならない
事実であっても韓国を否定的に語ってはならない
これができない奴は卑しい人種差別主義者のネトウヨ
という朝日新聞の社是を妄信している
オツムのカワイソウなコ 極端な右翼発言してからそれを冷静に否定するという自演やってるっぽいパヨクはいるねw マスゴミにも政治家にも
騙されないんだよな
スゲーなぁ みんなで中国工作サイトを応援しよう
時代は中国様、みんなで韓国を倒そう とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
WV9 嘉永6年(1853)の信濃立沢村(現・富士見町)の百姓、弥左衛門家で行われた結婚式のメニュー
・前菜
お茶
吸い物(花鰹・そうめん・芹)、数の子、蕗
冷酒
肴として、田作、イカ、昆布、
膳を変えて
吸い物、葱の酢味噌和え、玉子焼き、イナゴ、刺身
錦糸玉子、タコ、芹、しいたけの盛りつけ
・本膳
皿料理(千切り大根、刺身、岩茸、鳥、なます)、肴(栗、スルメ、人参など)
汁(田作、大根)、猪口[小さくて深い椀](こんにゃく等)、飯
・二の膳
平[浅くて平たい椀](椎茸、ゴボウ、鱒、スルメ、青板[昆布を干したもの]、ちくわ)、飯
組合(エビ、切り身、イナゴ)、清酒、汁、奈良漬
・三の膳
タコ、ぜんまい、エビ、刺身、蓮根、九年母の果実(みかんの一種)、玉子、羊羹、
はも、しらす、吸い物
今日の俺の晩飯
500円で買った牛サーロインステーキ
70円で買ったホウレン草のバター炒め
700円で買った紙パック2リットル入りの赤ワイン
ご飯 漬け物 コーンスープ 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>583
けっこう海産物が多いのが意外
海のものがステータスだったんだろうね 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>585
温泉旅館でも、最近まで山菜やヤマメよりタイやマグロの刺身が上位だったしな ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 邪馬台国畿内教の教条
邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない
パヨクは頭おかしいでほんま 邪馬台国畿内教の教条
邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない
パヨクは頭おかしいでほんま アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 >>587
こっちは食べ飽きたタイやマグロなんかよりも、川魚や山菜を食いたいのにな。
また水菓にもメロンを出す山中の温泉旅館があるけど、俺はアケビや山葡萄や桑の実などの、こっちでは手に入らない貴重な食材を食いたいんだよ。 渋川で呑み屋に入って勧められたのが今朝に新潟から持ってきたという鮮魚
東京から来たので地のもの食いたいと伝えたら
そりゃぁそうねと山菜とか出してくれた 山内一豊が、三木城包囲戦のときに、差し入れられて食べることを拒否した
焼き大根
とは、どんな料理? 当時では御馳走なの? すごい人生だな。
薩摩藩上級士族に生まれ、江戸時代に欧米文化を体験し、戊辰戦争で新選組や会津藩と戦い
北海道では榎本武揚と戦い、戦後は開拓使で北海道を開拓しサッポロビールを創設し、最後は神戸で浮浪者で死亡。
北海道で何が起きたのだ? 黒田清隆による麦酒醸造所を含む開拓使官有物払下事件に失望し、開拓使を辞職して牧畜会社へ
その後家族も捨てて托鉢僧となり放浪の旅へ
消息不明となって10年余、神戸葺合村で行倒れ、肺結核を患っており死去 留学に欠員ができて急遽、村橋にお鉢が回ってきてロンドンへ向かったが、急激な変化にノイローゼになってしまい、一年ほどで早々と帰って来た
感じやすい性質があったようだ 少なくとも永禄2年には、焼酎は庶民も飲めるものとして普及していた。
鹿児島の郡山八幡神社の修復時に発見された、くさび状の木片の裏に日付と書名入りで、焼酎に関する記述がある。
意訳すると、「ここの神主はケチで1度も焼酎をふるまわねえ!」と書いてあり、これが日本における最古の記述。 >>605
アゲ(油揚げ)は室町時代の精進料理から始まる
天ぷらなどと共に揚げ物料理の一つとして出てきたもの そういや日本では油を使って「炒める」という調理法は
結局明治まで一般には広まらなかったようだな
というか油を一般家庭で食用に使うというのがあまり無いな。
天ぷら屋は屋台だし。 炒めるのは火力が要るだろう
中華料理は石炭を使ってた 汁ものとすべく根菜、豆腐等を下拵へとして炒めおく事と、肉野菜でも何でも一気に炒めあげて了ふ中華料理とは些かの違へぞあらむかや
現行の中華料理店の火力や端倪せざるべからず 炒めてるほうが良いってものでもないしぶっちゃけどうでもいい
実際のところ中国も煮る蒸すって料理も多いだろう >>609
筑前煮、きんぴら牛蒡、炒り豆腐、南瓜の炊いたん等々は、明治以降の料理なのか?
足利時代に明国から炒る・炒めるの手法が伝わって、織豊時代までに炒めて煮るのやり方が普及したものと思ってたわー。 19世紀末〜20世紀頭、結球白菜の導入で種をとるのに随分と苦労したのは何故?
在来の菜っ葉類と交雑しやすいというけれど、在来のものは、菜っ葉と蕪と搾油用と同じ地域内で分けて系統維持されていたのに、
なんで結球白菜だけ導入初期に難儀したの? 『料理物語』(1643)
揚げる なし
炒める なし 確か料理物語の鳥鱠って炒めるんじゃなかったか?
炒鳥とも違うようだけど
鴨を炒鳥風に作るじぶ煮は皮を炒りつけてから煮汁や鴨肉を入れるから皮から出る油を使いたかったんだろうか? > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 >>609
戦前の平均的な家庭にはナベカマはあっても
フライパンはなかったらしい。
ということは油を使った家庭料理はなかった。
普及したのは戦後の文化運動だか新生活運動だか。 戦記や戦史を解説にいれろよ。一騎打ちネーム名乗りあいや軍師のファッション。 >>609
かるくググったら戦前の婦人雑誌には、チャーハンや魚のバター焼き、てんぷらは紹介されてるな。
流石に江戸時代は分からんがw
多分大正以降なんじゃねぃ?今日的な家庭料理が“平均的な家庭”でも食べられるようになったのは。 >>625
それは、東京の山の手のホワイトカラーの家庭だろう。
日本全国(内地限定)の人口比でいうなら数パーセント未満。
軍隊に入って初めて肉を食ったとかよく聞く。 ガス灯や石油ランプ、電灯の普及で行灯の油の需用が先細りになり、業者が料理用に活路を求めて油料理の普及に力をいれた、みたいな経緯はあったのだろうか 関係ないが戦前のラジオの普及率は50%未満。
よくアメリカと戦争する気になったものだわ。 日本が生産した単発戦闘機(零戦のようなプロペラとエンジンが1つの小型機)より、
アメリカが生産した4発爆撃機(B-29のようなプロペラとエンジンが4つの大型機)の方が多いと聞いた時は驚いたわ。
アメリカどんだけ国力あるんだよ。 これより1年、2年と時がたつにつれて日本はアメリカの武力に太刀打ちできなくなってしまう
アメリカに対して何も手出し口出しできなくなり、対米交渉など夢となる
今なら、最後のワンチャンスあり
で、決断してしまった 本当に、1年、2年と時がたつにつれて太刀打ちできなくなっていったな >>629
米は更にソ連や英に大量に送りつけてたりする。
ソースは忘れたけど、ベルリンに攻め込んだソ連の戦車の半分は米からのレンドリース(発動機等のパーツのみを含む)
>>626
大正以降の社会生活全般の推移を念頭にした“平均的な家庭”の話ね。
昭和の頃に教師から聞かされた話が正しいと思うならそう思い続けていればいいし、大宅文庫の低俗雑誌も全て嘘なんだろうさ、君にとってはね。
教科書から「慶安の御触書」が消えつつあるそうだけど、ガチガチの身分制から解放された戦前でも、統計数字で「貧しい。貧しい」を連呼するむきは未だ減らないが、
低所得者層が月に一度の贅沢で外食習慣をはじめても、こういう連中は「貧しさ」だけを強調し続けるんだろうなぁ。
関西では戦前の食堂が閉店するという話が時折ニュースになるが、大大阪も知らず、東京の山の手のホワイトカラー云々としか言えない程度の奴が何をどう思うかなんて、
こころのそこからどうでもいい。 >>634
その“平均的な家庭”というのは実は都市だけの平均だろう。
人口の圧倒的多数は郡部、農村漁村に住んで一次産業に従事。 >>635
>>609 調理法の話
>>625 食べたことがあるという話
これに対して、戦後を肯定するために否定せねばならない戦前という宗教の教えを信じる信者が
「戦前の日本は貧しい」のみを連呼している
定義じゃないよ、宗教の話だよ
だから話が噛み合わない 日本の家には明治まで、椅子もテーブルもなかったんだろ。
食文化が発達するわけがないだろう。 椅子やテーブルの存在と食文化の発達になんの関係があるんだ? >>641
食事をするテーブルの代わりには箱膳があったね。 四脚で食わないのは机だけ
二脚で食わないのは親だけ 戦前の邦画で見る庶民の家庭の居間
平均身長140p代の婦人が手を伸ばせば届く位置に電球のスイッチがある。
ちゃぶ台の上をかろうじて照らす。
大したものは食べてなかっただろう。 大体、飯を炊くのに手間がかかりすぎる。
余程、余裕のある階層を除けば飯を炊くだけで大仕事であとは漬物でもあれば良し
としなければならない。 >>650
大名の動員力.軍役をコメの石高で産出するくらいだから。 キリスト教では「天国には全員の座席があるから安心しろ」というらしいが
日本に来たら誰の座席もなくてビックリしただろう。
日本人が自動車を発明していたら正座して運転するような車になってなかったか? >>653
西洋も支那も建物に床板を張らない
だから土間に土足で椅子とテーブルの生活をする
日本は床板、敷物、畳があるから直に座れる >>646
四脚で食べないのは炬燵だけ
あれはあたる物だから パタリロ談 春の七草のホトケノザ、なんで中身が入れ替わってるの?
春の七草のホトケノザ 学名 Lapsana apogonoides (キク科)、現在の標準和名 コオニタビラコ
現在の標準和名 ホトケノザ 学名 Lamium amplexicaule (シソ科) >>655
支那はともかく、西洋は、木の板もしくは石材かレンガを床に敷き詰めるだろ。
ローマ時代の民家の遺跡は石材に色タイルのものが多数出てきている。
中世に蛮族になりさがったとしても、たとえば、フィリップドシャンパーニュの最後の晩餐は石、Ex-Voto de MDCLXII は木板の床が描かれているから
少なくとも17世紀には復活していることが判る。 日本の床は床下があって、床には下足を脱いで「上がる」のが西洋と違う 良心のある日本人は支那という差別用語を使わないと認めました。
今ではテレビや本で支那を使う人はいません。
そして従軍慰安婦も彼らは認めました。南京大虐殺もそうです。日中戦争で中国人の2000万人が日本人に殺されました。
日本の軍国主義がそうさせたからです。だから毛沢東主席は軍国主義に日本がこれからならなければ良いとして戦争の賠償をしませんでした。だけど最近の日本はまた軍国主義になってますね。
1中国と呼ぶ良心のある人は台湾は中国であると認めています
2新疆ウイグル自治区やチベット自治区ももちろん中国です。アメリカの内政干渉には呆れてしまいます
3東中国海も中国の海ですここは勝手に航海していい場所ではありません
4南沙諸島や尖閣諸島も中国です
5沖縄も中国ですが日本が奪いました潜在的に中国の領土です
6南中国海もその名の通り中国の領海です自由に航海できる場ではありません
7西沙諸島も南沙諸島もひとつの中国です
あちこちで支那呼称をあえて使おうとするネトウヨは以上の中国の領土を認めず平和な中国を再び侵略しようとする軍国主義勢力です。
我々はこれらのウヨクの活動を断固として阻止します。そのために日本史板では正当な呼称の統制を行いたい支那を使う右翼勢力はこのスレおよび他のスレへの書き込みをしないでください。
以上に同意した良心のある人だけ書き込むのが許されます。 支那人の良識とは、
天下の往来で人目もはばからず糞尿を垂れ
なにかと大声でがなりたて
手に取れるものはなんでも盗む
というようなものだしなあw >>661 は、
中国共産党の工作員なので注意の事。 ここでは支那という名称を禁止します。
支那そば→中国そば 東シナ海→中国海
英語で「チャイナ」も支那と同じ差別語なので同じく禁止します。
チャイナレストラン→中国レストラン チャイナ→中国
欧米人はチャイナを使ってますが彼らはいいです。戦争犯罪国家じゃないから。
支那は日本の軍国主義時代に使っていた名称であり、戦犯旗と同じでここでは使用を禁じます。ネトウヨは 別のスレで支那を使ってね。
ここでは以下の呼称も禁止します
1オリエントとオリエンタル
これは東洋系の売春婦を意味したり、白人男性が性的に搾取できる東洋女性をイメージする言葉で アメリカでは一部の州で使用が禁止されてます。
2チャイナ
これは欧米の人たちだけが使える言葉です。日本人は使ってはいけません。支那(シナ)と同じ差別用語由来です、中国に由来することは中国と直してください 。
ネトウヨはここに来ないでください。食べ物と酒は別のスレがあるのでそこでやってください。
それと台湾は中国です。中国の領土です。これはアメリカも認めています。日本の植民地ではないです。
台湾に関しては揺るぎなく中国です。中国共産党は清朝の権利を受け継いだからです。台湾は清朝に朝貢してたのだから中国です。
良心のある正しい人は中国を使ってください。 支那という呼称はアジアの人々に日本の軍国主義を思い起こさせます。
例として支那の夜、が挙げられます。有名でしょうか?
これはとんでもない映画です。日本人が中国人の若い女性を犯し、その力は中国を救うという映画です。プロパガンダの一種です。これは蝶々夫人やミス・サイゴンのような性的搾取を正当化するための情報操作だったからです。 日本の女は聞いてますか? 支那は古称。
中国は20世紀以降のプロパガンダ用語。
支那がいやなら中華が良い。
本中華とか冷やし中華とか親しめる。
中国は日本の中国が先。
後だしジャンケンはやめれ。
妥協策はチュンゴーかwww >>660
面白いのは中国の宮廷では、臣下は宮殿の玄関で靴を脱いで皇帝御前の広間に集う
特例として靴を履いたまま行ける臣下はいるが、ほとんどそれは皇帝を超える権力者となる
https://youtu.be/W9E6R8CSqe0?t=1824 支那川の支那料理屋で支那そばを支那竹増しで食べたら支那支那 質問が有りますので、よろしくお願いします。
19世紀の或る御坊さんの言行録の中に「江州醒ヶ井のみそすり屋の婆」というのが出てきます。
この「みそすり屋」というのはどんな職業なのでしょうか?
私は、「みそ汁を出す街道の茶店」のようなものを想像しているのですが。 「みそすり」は粒味噌を擂ってすり味噌にすること。
現在流通してる味噌はほとんどが擦り味噌に加工済みだけど
本来味噌には大豆の粒が大量に残っていて
昭和中期くらいまでは使う前に擂り鉢でする作業が必要だった。
大量の旅客をさばく必要のある宿場町だから
味噌を擂るだけでも仕事になったんだろう。 >>670
> 大量の旅客をさばく必要のある宿場町だから
> 味噌を擂るだけでも仕事になったんだろう。
ああ、そうか、と納得が行きました。
本当にありがとございます。 実際に旅行した人物の小説、東海道中膝栗毛の記録では旅館に到着するとたらいで足を洗い、五右衛門風呂に入れられてから部屋に案内されていたが、当時の世界の宿泊施設ってどうだったの?
風呂があったの? ほとんどの宿には風呂はありません
近くの銭湯の割引券を出していた
明治、大正の旅行記でも宿屋で入湯券をもらって銭湯へゆくとある
五右衛門風呂のような小さな風呂釜で客捌きをしていたら追っつかないと思う 味噌を摺る必要ってあるのだろうか?
味噌殻ないほうが非日常を味わえるのかもしれないけど、味噌濾し使えばすむ話にも思える
人件費かけてでも味噌殼ごと摺った方がコスパいいんだろうか 殻ではなくて豆や麦の本体を擦りつぶすのが目的なんだろう
濾してしまうんではもったいない >>675さん
669です。
私は新潟の農村部在住ですが、年寄りは擂り粉木を味噌擂り棒、擂り鉢を金鉢と呼びます。
昔の自家製味噌は味噌玉を軒先に干してから、それを包丁で刻み、大豆の煮汁と混ぜて味噌桶に保存したそうです。
ですので、擂り鉢で擂らないと硬い部分が残って味噌汁にならないのだそうです。
私はその事を知っていたので、そのような日常作業を専業にするような商売が有るのか?と思ったのです。
でも、考えてみたら、そのような手間賃稼ぎでやっと生活しているような老婆の事を語ったものだったのかも知れません。 落語で、ケチな旦那の商家での手代と旦那の会話。
手代「朝の味噌汁が具なしなのは何とかなりませんか?」
旦那「そんなことはない。擂粉木が10年でこんなに短くなってるんだから、具なしじゃないだろう」
ってのがある。 >>678さん
>>675ですが、うちの味噌は味噌玉の過程がなく、なおかつ搗いた大豆を使うのでそれが標準イメージで書き込んでいました
自省します
普段の味噌汁はダシ殻の煮干しと共に大豆ノ薄皮や米麹が椀底に残ってはいましたが、量はそれ程でもなかった記憶があります 前後によっては、一膳飯屋やゴマすり屋って可能性もあって難しいな >>678
>日常作業を専業にするような商売が有るのか?と思ったのです。
江戸時代には貧困層の商売で、洗濯屋だってあったからね 考えてみれば、昔は家庭に冷蔵庫もなかったのだから
朝食に鮭を焼くなんて無理だったろう。
味噌汁の具に何を入れられるかが朝食の楽しみ。
自分の祖父の里の山奥では魚の塩干品も贅沢品だったと聞く。 鮭はキツめの塩鮭が基本。
焼いたら白く塩を吹く。
熟成したものをカラカラに焼いてほぐして
茶漬けが至高。 細川忠興が息子の忠利に手紙で、
「鮎はパリッと焼けって言ってるだろ!」
的に叱ってるんだが、当時は焼き魚は水分が無くなるように焼くのが普通だったのかな? アユに限らず川魚の焼き方は
遠火で水分を飛ばすように焼くのが良いそうだよ 水分が多いのに冷えちゃったら
食えたもんじゃない。 戦場を駆け巡っていた奴らは熱々で食っていたんじゃないかな 月曜日22日に放送されたBSTBSにっぽん!歴史鑑定・吉宗の女性スキャンダルで
米の話のところ、そこに使われた映像は小麦!それも2箇所!
スタッフは稲と小麦の区別がつかないのだろうか 江戸時代とかに日本の将軍や天皇はコーヒーを飲んだことあったの? 九州のナンチャラ貝塚だっけ?
その蔦のDNAでも残ってたんだろか >>702
ない
太田蜀山人が「焦げ臭うて味うるに堪えず」とか
長崎では少しは飲まれていたらしい。
オランダ人の使用人の間で。 今でこそ紅茶の島みたいになってるけど、19世紀前半までセイロンはコーヒーの大産地だった。
17世紀から19世紀の頭までオランダ領、19世紀にウィーン条約でイギリス領に。 少子化対策しなくても
生活保護も年金も国保も保育所もなくて国民の大部分が栄養不良だった時代のほうが
はるかに出生率が高かったとは何たる皮肉www
国民は殆ど皆、小学校を卒業したら働いたんだよ。 満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう! スレチだけど、昔は健康的な食事だったのは幻想だよ。
塩が貴重品だったのは、江戸の前期のことであって後期は
時代劇にも出てくるけど、塩売りがどこの長屋も回ってた時代。
塩も味噌も醤油もふつうにあって、当時は冷蔵庫がないから、
月に数回しか食べられない魚も濃い塩漬けだし。
それに、当時の食事の基本はしょっぱいいおかずで、ご飯を
1日10膳食べるっていう、ものすごい栄養が偏った食事。
だから、江戸ではみんな栄養が悪く、平均身長は156センチっていう、
今の時代の小学5ー6年生と同じ体格で、当時の人骨を調査すると
圧倒的に栄養失調で病気持ち。
食べ物もしょっぱいたくあんや味噌汁、たまに塩で保存したメザシや
佃煮が出ればごちそう。魚類は月に数回。
当時の食べ物番付に出てくるのは、たくあん」「梅干し」「茎菜の漬
「座禅豆」「味噌漬け」で、食べたいものが塩辛いメザシ。
夜ご飯は大量の漬物だけってのもあたりまえ。
だからビタミン不足で脚気の人がすさまじく多くて江戸患いって
言われたくらい。体力がなくて、脚気で、足元がフラフラして
伝染病の感染も多かった。だから平均寿命も30代。 >>675
自家製味噌作ってるけど、実際に味噌は使う前にすり鉢で当たらなければ使えないよ。
味噌を仕込むには、まず柔らかく煮込んだ大豆を潰して、塩、麹と混ぜる。
だが豆を潰すといっても、昔は臼で搗き潰すか、新品の藁沓を履いた足で踏みつけるのがせいぜい
どうしても潰しきらない豆が出る。
だから、使う時にすり鉢であたる。 江戸時代って納豆が味噌汁の具だったんでしょ?
味噌すって更に粒状の豆を入れる・・・
賽の河原だな 令和元年(2019年)、悪質な掲示板荒らしとして幕閣と江戸庶民らを怒らせた >>661 に対して
南町奉行吉田安房介は磔刑に処す旨、また獄門としその死骸を晒す旨申し渡した。
処刑当日、伝馬町の牢から引きずり出された >>661 は裸馬に乗せられて、江戸市中を引き回された。
牢内での度重なるリンチのためか、彼の鼻骨は折れ潰れ、全身は青アザまみれだ。
便所から汲んだ人糞を無理矢理 喰わされたゆえか、全身が青黒く膨れむくんでいた。
たとえ今回の処刑が無くとも、ほどなく苦悶の中で絶命することは明らかだ。
周囲で罵声を上げる見物人らも、スレ荒らし厨房の末路に身震いが止まらなかった。
程なくして鈴ヶ森刑場に到着。刑場ではすでに非人らが弾左衛門の号令下、処刑の準備を進めていた。
礎石の裏に倒されていた磔柱を検分し、刑場の中央に引き出していた。
刑場に土下座させられた罪人を前に幕府検使前田帯刀が懐から奉書紙を取り出して改めて罪状を 読み上げた。
江戸庶民の鼻つまみ者 >>661 の最期を見ようと見物人が大勢囲いの外に集まり、 喧噪は収まらない。
しかし「掲示板荒らしは不届き千万、従って磔獄門に処す」との声に、誰もが唾を飲み込んだ。 非人らが >>661の衣服を剥ぎ取ると、引きこもりと牢内生活で醜くむくんだ体が露わとなった。
竹矢来の外では、母親が子供に
「お前たち、よく見なさい、スレを荒らしたら、あんな姿になるんだよ」と教え諭している。
子どもらは、嘲笑を止めて泣き顔になった。
磔柱へ大の字状に荒縄で 661を縛り、罪人を東に向わしめて 磔柱を立てた。
槍を取る非人(即ち突手)二人が、荒縄の襷を十文字に掛けて、罪人の左右に分かれ、
各々槍の穂より三尺ばかり下の所を荒縄にて縛る。
これは 罪人661 の血が手元に流れ来るを防ぎ止める用意である。
一人の非人は磔柱の下に水を入れたる桶を据え、雑巾様のぼろきれを持ち、うずくまる。
これ罪人661を突きたる槍に付着せる血を一度ごとに拭い去るためである。
左右の突手非人が槍を構え、左右から槍を差し出し 661の胸元で会わせて「見せ槍」を行なう。
そしてまず右の者が「アリャ、アリャ、リャー」のかけ声で >>661の腹へ槍を突き込み、肩まで突き抜けさせる。
661の絶叫が刑場に響き渡る。右の者が槍を抜くと、左の者が同じように661 の腹へ槍を突き込み、肩まで突き抜けさせる。
刑場は >>661のどす黒い鮮血でとても見られたものではない惨状であった。
交互に刺すこと8回に及び合計16回槍に突かれた 661は、わき腹からどす黒い血を流し続けている。
肉片でささくれた傷からは、新鮮な腸がぬるりとはみ出している。
敏感なハエが死臭を察知して、すでにわんわんと寄りたかりはじめている。
彼の正面から喉元に「止めの槍」が刺されて、 処刑は終了した。
そして処刑後の死骸は磔柱に架けられたまま、三日三晩晒し者にされ、
その後はウジが湧き出すまま 野犬の餌になった。
少ない財産は闕所とされた。 江南豚鼻ニガー支那マンセーピーデのマイケルジャクソン射精エベンキガイジこっちも荒らしてて草
もしかして山野野衾ジッジの気を引くために荒らしてる老け専ホモけ? ストーカーエベンキ「頼むっ!!山野天皇俺を見てくれえええええええ!!!!!」 支那ガイジってよっぽど暇らしい
被害妄想が激しくて友達もおらず
誰からも相手にされず可哀想… ええこと教えたろか?
規制の判定は鯖単位で行われるんやで
例えばここはlavender鯖やから違う板でも同じlavender鯖にある板を荒らすと日本史板も規制されるんや
まっ回避する方法もあるにはあるんやが、親の回線つことる子供部屋から荒らしおじさんの知能では不可能やろなあ(しみじみ >>717
一日中部屋から出ないんだね?
人生つまんなくない?
もう老い先短いから関係ないかw てかこないだから粘着されてるけど
荒らし違う奴なのにやたら絡んでくるし
本当に馬鹿なんじゃないかと思う そもそも荒らし本人じゃなかったら反応するメリットないからな〜
せいぜいお父さんに始末されない様にちゃんと働いて家に金入れるんだゾ〜(おせっかい) 射精エベンキくん分かりやすすぎるタイミングで荒らしてて草 NHKでやってたが、徳川家康は浜松の名産・浜納豆が好物でよく食べていたらしい
家康が浜松とか駿府とかに居を置きたがっていたのは、浜納豆を食べたかったせいかもww
https://kotobank.jp/word/浜納豆-116251 日本人って、豆をいかに加工して米のおかずにするか?に命かけてるな >>724
納豆は日持ちしそうだから、城がどこであれ持ってこさせれば良かったのではと思っちゃうけど 射精エベンキ「山野にあいたい!山野きてくれええええええええええ!!!」
草 間違えた
これは元来草食ですわ
魚三匹とか贅沢過ぎやろ
https://i.imgur.com/OxVhzrJ.jpg
これで戦争はできません
江戸の街だと庶民クラスまで三食白米を食べてた、
というのは有名な話。
*もっとも、脚気が「江戸患い」と称されるほど蔓延したのも有名
但し、日本全国で白米が日常食になったのは大正時代なんだとか
米は一旦江戸や大阪に入ってくるから
江戸や大阪は米の供給過多で
江戸中期以降になると米かなり安くて庶民も白米ばっか食って脚気が増えた
ただ貧しい田舎は明治時代になっても白米なんて滅多に食えなくて
三食銀シャリ食えるぞ!!東北などで言って昭和くらいまで兵隊集めてたらしい 庶民なら魚なんか10日に1回ぐらいだろ。
京都みたいな内陸だと冷蔵庫がない時代だから
月に1匹塩干魚食えれば満足。 魚が食べたいのなら、煮干しを汁の具として楽しめばいいじゃない >>731
自分でとらない限り、生産流通機構がない。 イスラム教を国教にして一夫多妻を認めたら人口は増えるが、それはもう日本じゃない。 >>735
自家消費だけ、そんなことないか。
余剰品を市いちに持っていって他の生活必需品と交換していたか。 タイよりもコイのほうが食材として格が上っていう時代が長かったし
自分で食うとかじゃなくて(食う分もあるだろうけど)普通に流通させてるんじゃない コイなんか濡らしたムシロにでも包んどけば
半日くらい平気で生きてる 柚木学『酒造りの歴史』って本で、律令時代の朝廷において、造酒司のもとで酒造りを担った酒部のほとんどは朝廷半島からの渡来系だったとあるけど、やっぱりこれは正しいの?
そうだすると、酒部を使った酒造りって平安時代のいつまで続いたんだろうか?
次第に酒造りは寺社に移っていくわけだし、渡来系言うても平安時代には日本人とほとんど同化してそうだしなぁ >>688
越後・出羽から塩鮭を都まで運んでたけど。調で、租庸調の調な、品目が指定されていた。 味噌汁の具と言えばスリ棒ってな落語があったけど
アレは味噌を摺るための棒なのかな 落語で食い物と言えば、酢豆腐、
夏場の千両蜜柑
1合を半分に分けて飲む居酒屋のツマミはショウガに塩ラッキョウ
焼けた味噌蔵
毒入りの卵酒
ズロロロロとすする饂飩
極めつけは、遊女をズンドウ切りして食う、タクアンとインゲン豆のお茶漬け! まずは目黒産のサンマの塩焼き
三毛のニャアに、サブロクではなくてダリ
時そばのしっぽくも忘れちゃなんめぇ 鍋焼うどんは明治に入ってからのものみたいだな
落語自体最盛期は明治期らしいし 屋台のそば屋がズラリと鍋焼きうどん屋に変わってしまい、「時そば」の舞台は過去のものになった お江戸の屋台店は車輪がついてなかった
移動するには、天秤のようにかついで運んだ。
そんな構造で、鍋焼きの土鍋を積んだ屋台店は重すぎて人力で運べないわなぁ
明治以降の屋台店には、車輪がついて移動も楽になった。
鍋焼きの土鍋を積んでいても、わりあい楽に運べるだろう。 >>756
何で車輪をつけなかったんだろう?
車輪自体は古代からあったのにな >>758
江戸時代の道路状況だと担ぎ屋台のほうがなにかと都合がよかったんだろう 日本で車輪のついた乗物がながらく発展しなかったのは、山岳地帯が多く
道も整備されていなかったから?
車輪だとガタガタが体に伝わって乗り心地が悪いし、轍にはまりこんだら最悪。
馬の背や駕籠、輿だったらそんな問題はない。 丹沢 鍋割山荘の名物は鍋焼きうどんだったな
材料はあの馬鹿尾根を人力で担いで上げている 明治13年の讀賣新聞記事
「近頃は鍋焼きうどんが大流行で、夜鷹蕎麦を食べる人は少なくなった。
東京府下に鍋焼きうどんを売る者は863人いるが、夜鷹そば屋は11人にまで減ってしまった。」
屋台に車が付くのは明治も中頃を待たねばならなかった >>760
屋台なんて街中の商いだぞ。住居兼仕込み場も、出商いする先も、同じ町の別の街区くらいのもので、
山越えなんてしねーよ。 >>758
所謂「勤勉革命」
車輪を作る初期投資よりも、人間の労力を浪費する方に、技術的逆行。
貴人の乗り物が牛車から人の担ぐ駕籠に、灌漑水車が水野流力を利用する自動式から足踏み水車に後退したように、
荷役も車すら使わず人の肩を利用する方に後退。
鉄・刃物の産地を近隣に持ち商業都市の大坂は資本効率重視で大八車・丁稚車が盛んに利用されたが、
どうせ抜かない刀ばかり鍛ってた江戸では刃物の供給のおぼつかないので、木製の車輪がなかなか作れなかった。 760は屋台ということではなく車輪付き乗り物一般についてだな
まぁ、大八車とかあったけど道狭くて事故が起きた
その場合、歩行者が被害者で車は加害者として罰せられた
江戸幕府は荷車については総数制限と厳しい
普通の大八車は全国で江戸だけ許可
京・大坂はもうちょっと小さなべか車を許可 >>763
蕎麦は徐々に高級路線にシフトして屋台じゃなくて店舗になっていったからねえ そばが好まれる東都では関東大震災の前に各町内に一軒もしくは二軒のそば屋があるのが普通だった
日常の食べ物であったわけで、決して高級な食べ物というわけではなかった 衛生面で問題があるのは解るけど、屋台も少しは残して欲しい 公衆用道路を占用するのは基本的に駄目
博多など例外的に認めているが縮小している 道路ではないが大阪城の敷地で格安地代で既得権的にずっと売店を営んできたおばちゃんが、高額の脱税で摘発されたな
最近、外国人観光客の増加で、もう見過ごせないほど繁盛していた >>768
江戸初期にはうどんの三分の一ほどの価格だったわけですが 江戸後期でも江戸っ子と言やぁ、そばでぃ
う〜ど〜ん、なんだか上方者みてぇでイライラすらぁい
ってやんでえ、ちくしょうめっ 小麦栽培地で自家消費していたのが武蔵野うどんであり、江戸の町で売るものではなかった
「守貞謾稿」
京坂は温飩を好む人多く、又、売る家も専之とし、饂飩屋と云也。
然も温どんやにてそばも兼ね売る也。
江戸は蕎麦を好む人多く、商人も専とし、温飩は兼て沽る也。
故に蕎麦屋と云。 >>756以下
幕府が車輪を禁止してたからだと思ってた。
それでなければ開国後急に駕篭に代わって人力車が普及した理由が不明。
道路のでこぼこ事情は変わらないのに。 金属パイプ、スポーク、ゴムタイヤ
こういう構造なら軽快で快適に走れるということかなぁ
大八車みたいだったら流行らなかったと思う
幕府は重い荷車で木造の橋梁が痛むということを嫌った 馬車の技術の転用だろうけど
馬車の国産化→国情に合った乗り物としての人力車の発明→駕籠の置き換え
って転換がどのくらいの期間で起きたのかね
歴史の教科書読むと、明治になったとたんに一夜にして切り替わったような印象を受けるが 人力車は1868年というから明治元年、和泉容助、高山幸助、鈴木徳次郎が馬車を元にして開発したと、明治政府の公式記録にある
馬車に比べてはるかに安価であるため国内で急速に普及した
普及に合わせるように、禄にあぶれた士族たちで車夫になった者が非常に多かった
この優れた発明は外国にも紹介されたようでRickshawという英語にあっている
アポロ計画では採取原石を運ぶRickshawが月面で使用された 長距離輸送といえば水路だったから陸上を快適には発展しなかったね 人力車の車輪は1989年頃にゴム輪が出るまでは木輪だったようだから、明治になって日本の道路事情に対応したタイヤがすぐに庶民に普及した訳ではないのね
そうすると、江戸時代に車輪があんまり使われなかったのはやっぱり幕府の制限かなぁ
>>745
平安時代に朝廷の酒造を担当してるのは新撰姓氏録なんかを見る限り渡来系とは別の氏族
ただ秦氏なんかは平安時代にも京の町中で酒屋業を営んでいたらしい >>777
失業者対策なんだから道路事情はあまり関係無かったんだろうね 人力車のゴムタイヤは明治40年代、20世紀に入った頃に出現
製造容易な人力車は中国、東南アジアで爆発的に普及した
その後の輪タク(自転車タクシー)へと繋がる路線 >>784
>1989年頃
1889年頃の間違いですか? 交通の話題で盛り上がっているので便乗して質問
何故日本では、足全体を覆う履物が発達しなかった?
確かに夏場なら、下駄や草履が快適だ。
でも冬場はそれなりに冷えるし、畑仕事や山仕事の折は足全体を覆う履物を履いた方が
はるかに安全ではないか。
はだしでワラジを履けば、足指があらわになる。
そんな無防備な姿で山道を安全に歩けるとはとうてい思えない 下駄や雪駄は基本的に要足袋
素足が許されるのは浴衣の時期だけ
暑いから単衣の時期になったら素足にしてるけど 皮革加工の歴史が貧弱な国では革靴はおよびもつかないんだろう 西洋ではギリシャ・ローマの昔から皮革サンダルの歴史がある >>777
車輪そのものが高価だったのかなと思ってた
新幹線や飛行機で行けば楽で早いのに、鈍行電車に乗って節約する人間みたいな心理だったのかなと >>792
へえー
風土の違いかね
日本は年間を通して多湿気候だから足裏と皮革サンダル相性よくない(汗でスベる)し衛生上も良くないよね
昔は殆んど湿地で菰だの葦だの生えまくってて材料に困らなかったってのもあるだろうけど
日本は敷物もゴザやタタミがポピュラーで動物製カーペットみたいなものが一般的に使われなかったのは年中ずっと多湿気候で風通し良くしたかったからなんじゃない
ギリシャローマは夏カラッと(むしろ乾燥)してるよね
武具とか行者の袋とかには皮革製品が見られるから皮革業はいたんだよね >>783
何キロだろう
エプロン見れば米屋さんと分かるけど、これ外国人が見たら折檻や刑罰と勘違いされそう >>725
たんぱく質が豆からしか摂れなかったからでは
肉食やめい、みたいな禁止令たびたび出てたと聞く
だから江戸の日本人は栄養失調だった節もある >>795
一俵は4斗で60kg。
ってかこんな背負い方じゃすぐズリ落ちるよ。 死んだ婆ちゃん大きい風呂敷づつみこんなしょいかただったお 革靴なら山仕事や農作業につかわれてた綱貫ってのがあるぞ
穢多が作ってたんでえったぐつとも呼ばれる >何故日本では、足全体を覆う履物が発達しなかった?
脚絆 皮足袋というのもあったというが、あまり取りあげられない、マイナー扱いだな 皮足袋は地下足袋に取って替わられた
ゴム引き地下足袋は日本軍にも愛用され、今も作業用に現役だ
皮は洗濯が利かないのも使い勝手がよくなかったのかな 朝鮮の草履は、足先全体を覆う構造だね。
かの国では日本人をチョッパリ(豚足)といって罵るが、
足袋や下駄のように足先が2つに分かれる日本の履物を
ブタの蹄にたとえている 半島は
宦官はいただろう。
辮髪はなかっただろ。
頭髪はグチャグチャ、蠅が舞う。
日本は縄文から弥生に退化してから、米の偏食とか碌なことが無い。 >>812みたいに話の腰折る奴には毒入り卵酒飲ませたい。
ナンミョウホーレンゲキョー
ナンミョーホーレンゲキョー
火縄銃がバーン!
弾が岩でカチーンとはじける。
縄が射切られ筏がばらけて流れ出す
「お材木で助かった」
サスペンス風味な内容に比べて
このサゲはどうもマヌケだなぁ 世界史板のほうはスレどころか板自体が壊滅してしまった… 「なすび」の「び」ってなんなん?
もとは「なすび」で「び」がとれて「なす」になったのか、「なす」に対してなにか付随的な意味をつけて「なすび」なのか 関西はなすび
正月の初夢は一富士二鷹三なすび
東はナス
関西はかぶら
東はかぶ
関西は菊菜
東は春菊
関西は豚まん
東は肉まん
関西は糸ごんにゃく
東は白滝
ああしんど >>820
きぬ(衣)臭いから変化したかと言われている
衣がこげたにおい
火薬のにおい → 危険なにおい
きな粉の場合は、黄な粉だけど マラリアの特効薬、キニーネを含むキナの臭いがするの略。 昔、辺境に杞那という小さな国があった、
その国の大臣が災難を匂いで嗅ぎ分ける力を持っていて
王は大臣の言うことをよく聞き災いに備えたため栄えていた
その伝承がきな臭いの始まりさ アイヌ語では草をキナと申します(マジ)
つまり、青臭い匂いです 九州語では黄色をキナという(マジ)
‥アイヌ語とか九州語とかは関係ないな
かね→きな ‥ むりがある
杞那 ‥ ウソ話 朝鮮語では、台所の屋根裏の納戸を「タラク」と申します(マジ)
鄭(テイ)さんが、タラクの中であんなことやこんなこと、恥ずかしいことをした
だから、鄭タラクと申します 曰く(イハク)=言うこと
たらく=たること であること
体たらく=ありさまであること 体たらく
女たらし
神様の○○タラシ
この辺って関係あるのかな 手越なんか嫌い
昔は良くも悪くも全然印象なかったけどな >>843
手越最初の頃は地味だったのに
山下が抜けてから調子に乗った 非リアの人間としてはヤりたい放題人生楽しそうで羨ましい 江戸時代、京の都や大坂にはどんな屋台があったんだろうか 嘘と虚実にまみれて拗らせているけど
まぁ純粋にそれだけは凄いな
端から見ていると馬鹿丸出しだけど >>848
上方から先に流行り始めたものもあったはず >>779
勤勉革命の間に、馬の質が著しく低下した。精々犂耕か荷駄にしか使えず、騎乗や繋駕には使えない馬ばかり。 >>855
去勢してなかったからとちゃうか?
馬同士が暴れて話にならない。 >>820
マラリアの薬をとる樹だよ。苦くて臭いよ >>791
昔から、冬場の農作業用に革靴履いてたよ。弓矢のカケと大体同じ構造で、足用に形が作ら照れた。地下足袋の原形。
西日本は冬場も耕作するので、田畑の土が冷たいから必須品。
猪や死牛馬の革で作っていた。
死牛馬の取扱は穢多特権だったので、現代でも、食肉加工、皮革加工、靴製造がそっち方面の得意分野になっているのは
徳川時代からの伝統。 紫式部が好んで食べてたという塩鰯は、どこからどんなふうに運んできてたの? >>641
> 日本の家には明治まで、椅子もテーブルもなかったんだろ。
> 食文化が発達するわけがないだろう。
床に座ると足が痛くて落ち着いて飲食なんかできんわ。
早々に終了したい。 シルバー仮面とかアイアンキングの頃、米屋だけで売ってるプラッシーってジュースがあった。 テーブルはあったでしょ。
しかも個々に専用の箱膳が。 >>867
鍋を囲んでというのは明治の牛鍋からか?
江戸時代は銘々鍋?
床几が普通の
家庭にあれば良かったのに。
>>865
普段はワタナベの粉ジュース
張り込めばプラッシー
蜜柑の屑がひらひら泳いでいたわ。 >>868
床几とな
土間で暮らせと言ふか
床を張ったうえに畳も敷いて、これ以上の贅沢があらうか
賃取り仕事の職人、土工等が汚れた足に草鞋、足袋を履いたまま床几に腰かけて一杯の酒、一膳の飯を掻き込むのとは違ふ
ちやんとした所帯のやり方ってぇものがあるって事よ 自分は和室では足が痛くて正座どころか、あぐらもかけぬわ。
食事を楽しむどころではない。
昔の人はどうしてたんだろう。 >>870
昔の人では無いからそのような体たらくなのだ
昔と今では生活習慣も違う
時代劇でも何でもいいから、昔の人の立ち居振る舞いを知りなさい >>873
だから、昔の映画をみて、もし今の自分がタイムワープしてその時代に行ってしまったら困る、耐えられないと思ったんだろ
だけど、タイムワープなんて現実にはないから安心しろ
その時代に生まれていたら、その時代の人間として育って、ちゃんと生活してただろう 今でも留置所、刑務所は基本、床に座らせらるんだな。
つらいだろうな。 >>875
アシガールはちゃんと正座してたな
んで、我が家の富有柿は記録的大豊作。
この1週間、毎日5個〜10個の柿を食べてたら便がやたら固くなったw 戦国時代、茶漬けでなく湯漬けを食べていたのは茶が高価だったから?
番茶がなくて抹茶しかなかったのか? 戦国といえば江戸時代の前だからな、そりゃ全然違うだろう
茶も普及してきた江戸時代でも、峠の茶屋では婆ぁが朝、沸かした湯に茶葉をパラパラ
あとは夕べの店じまいまで一切茶葉の追加なんぞしなかったくらいだ >>882
番茶は江戸時代
ちなみに作ったのは永谷園の創業者の親父だか祖父 氏康の時代でも、大国の領主が飯に汁かけて食っていたくらいだしなぁ 味噌汁を食すときには、往時の侍をしのび、最後に汁をめしにぶっかけて食べている >>858
民は騎乗禁止。
武士はそれこそ騎士階級で騎乗が許されていたけれど、いつも飼ってられるほどの財力は無いし、免租や手当を与えて農民に預けていても、
その農民は騎乗禁止で預かった馬の調教が耕作くらいにか使えない。
餌を沢山食べる大型の馬を嫌って扱いやすい小型の個体ばかりで子を取るから、馬の体格も騎乗に耐えない大きさになる。 正坐をするから、日本人は足が短い
脚を折り曲げて押さえつけるから血の巡りが悪くなり、脚がのびない
だが生活がここまで洋風化しても、日本人の足は相変わらず短い >>889
かなり長くなったと思う
最近の子はイス生活だし正座する機会ほぼないからね 「お茄子の炊いたん」「海老芋のタイタン」
お前ら、そんなにタイタン好きか?
京野菜のティタニウム料理 売れた子役は、背が伸びなくなる
安達由美とか、ケンちゃんとか。
撮影時間で睡眠時間を削られてしまうから 思春期に色気づいて性ホルモンの分泌がどっと増えると骨、特に四肢の伸びが止まる。
女子は初潮、男子は声変わり。
カストラートの長身は有名。
楽しんごの昔のあだ名はクモ男、手足が長いので。
典型的男性ホルモン欠乏体型。
中学2年生で、タモリのいいともに出たのが初出。 「オナニーしすぎると脚が短くなる」って話はまんざら嘘でもないのか 精を出してると、あぁ俺も大人になったんだな、成長とか言ってる時期は過ぎた、もはや生殖に力を入れなきゃ、と体が思うんだろ しかし、オナニー我慢しても、もう精通してしまったんなら無駄な抵抗だと思うが
溜めていたって夢精してでも捗らせるだろうよ 昔、初体験も早いし、異常なレベルでセックス好きな女と付き合ってたが、極端に手足が短かったわ。納得。 俺の初オナニーは小4のとき
初セックスは中3の冬だった 東西での
馬の使い方の違いが、食肉の種類の差だな
西日本は、「老廃牛」から牛肉食が広まった
> 【食】「西の牛、東の豚」という嗜好分布の意外な背景★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1575974631/l50
> 「西日本では農耕に牛を使うことが多く、老廃牛の肉に親しみがあった。
> 一方、
> 東日本の農耕は馬が多かったことの影響が考えられる」という――。 あと屠畜を排他的利権とするエタの数の差な
西日本はエタが圧倒的に多かったから、より廃牛を食肉に加工しやすい環境だった。
東日本ではエタの数がボトルネックになって肉類の供給は低調で
肉食の本格的普及は、それまでのエタの屠畜利権から自由な
豚という新しい家畜を待つ必要があった。
だから東日本ではエタを介さず供給できた豚肉をよく食うわけだ。 芋煮は牛醤油も豚味噌もどっちも上手い
個人的に牛は消化不良おこしがちだから毎日だったら豚が良い 古代に東日本に好んで住んでいたのは、鮭が好きで鮭を獲る者たちだったとか
所さんの番組でやってた >>882
東北だと政宗の時代に茶人が呼ばれてたと思うけど、あくまでもその当時のお茶はお茶の作法で愉しむものだったのでは >>870
昔の人は正座じゃなく胡座だったはず
そして正座は罪人の座り方だったはず
歴史は詳しくないけど、秀吉だか家康だか誰だかが、ビビりすぎて謀反を恐れて?来るものたちに正座を要求してから「正座」とかいう名前になって下々の者に浸透したという説があったと思う
今は正座できない人のための補助腰掛けみたいなのあるから、無理しなくていいよ 濃茶や薄茶では、茶漬けの発想は難しかろう。
煎茶が出てくるのは1700年代頃。
あと、鮭といえば伊達政宗の伯父である最上義光の大好物。
最近は「鮭様」の異名で呼ばれている。 水や湯で飯をふやかせるだけで有難いものを、茶を使うなどという贅沢をよく思いつくものだわ、後世人は >>907
古代〜近世初期まで、男性も女性も屋内での座り方は胡坐か立膝
北政所の肖像画が立膝で描かれてあり秀吉の時代でもまだ立膝
仏像や神棚を拝むときには手を付いてお辞儀をしなければならず
座ったまま床に手を付くのに胡坐や立膝では自分の足が邪魔になるため
その時の姿勢が正座だった
江戸時代、参勤交代で全国の諸大名が江戸に集まるようになると
江戸城の大広間に諸大名を集めて仏像や神棚よろしく
将軍にお辞儀をさせることが起こった
このときに胡坐や立膝では床に手を付けないために
将軍を拝むための坐法として正座が取り入れられた
大政奉還などでも諸大名が正座して徳川慶喜の話を聞いている 戦国時代なら
胡座で手をついてお辞儀してるけど
正座で手をつくのは土下座して詫びる時だけど 危座(罪人の座り方)は痺れて立ち上がれなくなるから謀反防止になると踏んだ徳川家光が危座(正座)しろって言い出したんだよ 大政奉還のお話を聴いていたのは大名の代理人が多かったんだけど、慶喜自身も正座している
江戸時代は将軍自身も正座
室町時代にも正座する者は武士、庶民にかかわらずあったというし、昔のことはよくはわからないものだ
正座という言葉が使われたのは明治以降だという 富山では正座することは「ちんちんかく」
ちんちんは鎮座
かくは胡坐をかくのかくだな 大政奉還の図として有名な絵だが、実際には在京の藩の多くもない代表者が二条城に参集
大名ではないのだから黒紋付の普通の衣服だろう
地味で実務的な事務打ち合わせという感じ
あの絵は大げさに格好よく描いている
絵にある大名の長袴は、走ったりできないように、乱暴を働きにくいようにということだそうで 学生が反抗できないように制服と校則もうけるみたいな 西洋で胡椒が高かったけど前近代・日本では胡椒は高かったの? 江戸時代、支那の船で年間数トンを輸入していた
(オランダ船で数十トンという記録もある)
輸入胡椒を撒いてみたが、熱を加えて発芽阻害されていたのでダメ
それでも意地になって高野山でいっぺんに三石を蒔いてみたら、ようやく二本だけ芽が出た
国産胡椒の元である
その後は新着の唐辛子のほうが幅広く使われた 胡坐あぐらでも足が痛い。
低くても椅子がないと座れん。
ゴーンも参っただろう。
拘置所では和机を椅子代わりにしたのかも。 胡椒は時代や地域で指す対象が変わってくるから
歴史的な話をするときは黒胡椒と言った方がよいかもね >>916
歴代将軍の肖像画は胡坐で描かれている
有名な徳川慶喜の衣冠束帯姿の写真も胡坐姿
だから将軍は正座というわけでもないようだ
ただし正装ではない姿(冠なし)のときは正座している写真も中にはある >>916
正座と呼ばれるまでは危座と呼ばれて罪人の座りかただったんじゃ
将軍が正座するとは思えない
家臣にさせることはあっても >>916
徳川慶喜より後なら分かるけど
江戸時代の将軍みんな正座って乱暴すぎない 殿様の脇に控えている侍が狼藉物を切る剣な居合の型は
正座した状態から切るのが基本だな 跪坐即咎人とする者如何為らん
埴輪、古代佛像の頃より此座方見受けらる
古来、武士は儀禮として蹲踞、跪坐すなり
戰國期乃「日本諸事要録」にも此の座法記述有り
亦江戸幕府、小笠原流禮法を採りかしこまつて座す法を廣めたる有り
元禄、享保よりは多くの國民に廣まりたるとぞ 江戸時代の料理書なんか見ると
幕末にかけて少なくなりつつも、黒コショウは比較的普通に使ってるんだよな
どうも明治初期にコショウ使用の断絶があって
これは洋食との差別化のために、和食ではコショウの使用を控える風潮があったのではないかと >>916
今の定説だと、武士は正座してないし女性でもあぐらだったというのが主流みたいだよ
正座してる絵とかは、正座するようになった江戸後期以降に書き換えられたものとされてる
テレビでも良くやってたしググれば出てくるよ >>930
おもしろい
話ズレるけど、胡椒、胡瓜、胡麻、胡桃、胡座、これらの言葉に使われる「胡」という漢字は古代中国北方民族の地を指すらしい
国交間で何かあったりした可能性もあるのかな>断絶 >>932
西の方から異民族を介してやってきた物だから、異民族をバカにして呼ぶ胡を付けている
中華からみれば周囲はみんな蛮族 そういう話してるんじゃないと思う
急に断絶した理由について話してるんだと思う
>>916
江戸の始めは座布団なかったってよ
あっても病人用のものだったって そりゃ昔は立膝、胡坐こそ主流だが、文献からしてそれが100%だったのではないということ
座布団はなくても畳があればおk
板の間でも地面でもやるときゃやってた 木綿の国内自給がやっと江戸時代中期だから
元禄の頃にはまだ座布団はないだろう。
元禄は畳が普及しつつある頃だから当然正座はもっとあとの時代だろう。 座布団がなければ正座ができないというのは、あまりに現代的な感想 罪人の座りかたをしろって言い出したの家光だから、その頃は皆まだ抵抗あっただろうけど後々浸透していったんだろうね 神仏の前でかしこまる座り方だが
そりゃ罪人にはかしこまらせるだろうが、別に罪人だけがかしこまるもんでもない かしこまらせてるんじゃなくて
攻撃も逃げも出来ないようにしてるんだろ
ずっとズレたこと言ってる奴あたまだいじょぶか 罪人、罪人と凝り固まったことばかり言ってる方がアタマ疑われるな いつから正座が広まったのかわからんけど、
なんとなく明治くらいからじゃないかなぁ。
剣道とかみんな正座させるじゃない?
胡座は禅宗だった武士からするとそんなに抵抗は無かったはずだし… 今の定説はググったほうが早いよ
さんざんあちこちのテレビでやってるのに
なんでここ自分の考えしか信じないみたいな奴ばっかなの
しかもスレチ ★つま先の関節変形、江戸時代から急増・正座の普及が影響か
つま先をたびたび強く内側に曲げるため起きた関節の変形例が江戸時代から急増し、
明治時代以降に一層多くなっていたことが、国立科学博物館の坂上和弘研究員(人類学)の
調査で分かった。
坂上研究員は「正座が江戸時代に庶民に普及し、明治以降は学校教育で一般化したのと
符合する。立ち上がる時、つま先を強く曲げたためではないか」と話している。
同博物館などが所蔵する各時代の人骨のうち、足の親指の中足骨を約800例調査。
指とつながる関節面が内側に伸びる変形が、縄文人と弥生人は6%程度だったが、
古墳時代は13%と増え始め、鎌倉時代は20%、江戸時代は40%と急増。
明治から戦前までは46%とさらに増えていた。
江戸時代までは男女差がないが、明治以降は女性がやや多く、正座する機会が多かったためだ
とみられる。古墳―鎌倉時代は身分制度や仏教の普及で、貴人や僧侶らに平伏する機会が
増えたためらしい。
日経新聞 http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070106STXKF026205012007.html 支那も紀元前あたりだと板敷きに正座する描写があるな
その後はすっかり椅子、テーブル、ベッドの生活になっているが 自分専用の箱膳に食器、箸を格納
昔の人は食器や箸を共用するのは抵抗あっただろうな
現代では、専用・共用は各家庭によって違うんだろ 大家族だと、あんまり個人専用の食器とはならない気がする。
ソースは俺と嫁。
それぞれ10人以上の大家族で育った。 >>765
古代中国の戦闘では馬車が戦いに使われていたけど、日本では導入されなかった
だから車輪の普及が日本では浸透するのが遅れたのだろう
https://youtu.be/6c0SpAU0vHk?t=755
>>932
不老不死の仙薬探しに奔走していた秦の始皇帝に仙人からだという予言書が届き、
その中に「秦を滅ぼすものは胡なり」という文面があったものだから、
始皇帝が蒙恬将軍に命じて北方の異民族の胡(匈奴)を討伐させ、万里の長城を築いた
でも秦を滅ぼしたのは始皇帝の跡を継いだ二世皇帝の胡亥の「胡」だったというオチが有名。 ペルシャの素敵な陶芸品とかシルクロード通って来たんだよね? >>956
西方渡来のクリスタルガラスの鉢などが中国で出土するが、ガラスの成分が溶け出てしまって土と変わらない外観になっている
ただ、日本の正倉院に保管されてきたものだけがクリスタルの輝きを保っている 匈奴の領域が広がって中国大陸の北と西域を支配するにつれ、
胡人の範囲も広がって中国大陸より西の地域に住む人間は概して胡人になったのだろう >>907
日本はなぜか椅子が普及しなかったからなあ
せいぜい床几くらいだ
現在のプロ将棋で、椅子を導入するか座布団に座ったままかで論争になっている え、戦場に出たら基地のような所で折り畳み椅子みたいなのに座ってたじゃん… 奈良時代には中国の真似をしなければと言うので天皇も服装から椅子、寝台まで中国風にしていた
聖武天皇の使った寝台が残っている
けれどのちには皇族、貴族の生活から椅子もベッドもなくなった
中国の宮殿や家屋は今に至るまで床を張っていないが、日本は床にあがって敷物や畳にどっかと座りこむ生活になった >>961
ああいうところは地べただからな
その基地みたいなところは大将が居るまわりに幔幕を張り巡らせる
あれは「幕府」と言うんだよ 日本人も昔っから椅子の生活をするべきだった、なぜしなかったんだぁ
正座やめろぉ
こういう書き込みばかり続いて、引っ込まないからだ https://www.recordchina.co.jp/b35534-s0-c60-d0000.html
この記事では、椅子は唐の時代に伝わり、次第に普及していったとしている
でも三国志の時代から日常生活でも、背もたれはないが椅子に座って談笑する文化はあったことがドラマでもわかる
https://youtu.be/tf4ZEeQ6P1E?t=1250 話し、元に戻すよ。
江戸時代、料理書がたくさん発行されたが、著者はどのようなヒトで、読者はどのようなヒトだったのか?
江戸(京都、大阪)町民という回答にはボクにはモヤモヤして納得していない。
藩や高家旗本などは専門の料理人がいたわけだろ。その人たちが武士階級か町人かボクは知らないが、
著者・読者ってそういう料理人なんじゃないかと想像している。
江戸後期になると著名料亭が現れ、名物料理を供するようになる。そこでの料理人は町人だろうが、
藩や高家旗本は宴会時はそういうところから仕出しをとっていたのかな?
ペリーの饗宴の時は幕府は仕出しを発注していたしね。百川。 『武士の献立』2013年の日本映画
実在の包丁侍、舟木伝内とその家族を描いたヒューマンドラマ
包丁侍とは、剣術ではなく料理で将軍家や大名家に仕える武士を揶揄する呼び名
足軽に近い低い身分であるが、対外的に「饗応料理]をつくり藩の威信を示す重要な働きをする
舟木伝内は幕府料理人に師事したのち加賀藩の料理人となり活躍
優れたレシピ集を著した人物である >>909
チベット人やモンゴル人は、煎って粉にした麦や蕎麦の粉を塩入りミルクティーに振り込んで軽く捏ねて一食としてたりするけどな。 それは主食としてのミルクティーが最初から存在している
日本では主食としてのメシが先ずあるだけで茶が普及していなかった時代
同じようには行かないものだて >>918
浅野内匠頭は松の廊下で長袴でなかったの? >>931
和服で女性が胡坐?
今のと同じ長い裾のヤツだと着崩れてしまうし、大原女や茶摘娘みたいな膝が見えてるような丈だとエッチな部分が丸見えになってしまうし、どうするんよ? >>938
絹や麻を座布団にしてはならない法でもあるんかいな
昔にそういうものがあったかどうか知らんけど、両面が藺草のゴザで中にクッション詰めた座布団、近所のホームセンターで売ってたよ。
瀬戸内海域にいくつもある綱敷天満宮、由緒は、太宰府に赴任する菅公が立ち寄って休憩した際に、船のトモ綱にする綱を巻いて板の間に敷いて畳の代わりにしたというのが多いけど
畳が普及していなくても貴人を板の間に直で座らせるわけにはいかないという発想はあったんだよな? >>975
あの日は天皇からの勅使を迎えるために、饗応役としてあの格好だったんじゃなかったか?
確か綱吉の母親が官位を下される晴れの日だった筈。
そこで一方的な刃傷沙汰とか、そりゃ切腹申し付けられるわな。 >>976
将棋の女流棋士も和服で対局するときは袴だな
タイトル就位式のイベントでは振り袖
振り袖だと胡座しにくいのだろう
囲碁は椅子対局なので、対局でも振り袖着られる www4.plala.or.jp/bakumatsu/kyou/2/022564-katamoribyoki.htm
実は長袴は、一橋慶喜・松平春嶽の文久の幕政改革で服装の簡素化のために一時廃止されたが、
慶喜と春嶽が幕閣から立ち去ると復旧した
慶喜が将軍になって欧米外国公使らと会談する時には、慶喜や幕閣は長袴を着用していたとイギリス人の外交官が述べている
http://gootjapan.miyatohru.com/entry/mitford2 飯のスレで座り方とかどうでもいいだろ!
そんなことより晩飯の話をするんだよ! 明かりがないも同然だからろくな晩飯なんか作れるものか
日の暮れる前に掻き込んで藁にくるまって寝るだけ。 日の出前から起きて日の出とともに野良へ出る
今の午前11時頃に朝昼兼用の食事
午後4時頃には野良を切り上げて夕食
灯りを取ると言っても菜種油が安く手に入るのは江戸の後期になってから
鰯の油で灯りを取ったが、これは臭くてしょうがなかった
早々に寝る 農村では暖かい時期は農作業がいそがしいので
食事はパッと作れる簡単な料理で済ませ
農閑期は比較的ヒマなので料理は多少凝ったものになるそうな 炊事や暖房に薪炭がかなりの量必要ではないか
平野部で都市近郊の農村でも薪を取れるだけの林を抱えていたのだろうか てか、都市部の武家、町人も薪炭が必要だが、そんなに仕入れ先が近郊にあったのだろうか
炭は炭屋があっただろうが、薪を売る店もあったのか
昭和前半でも都市ガスもプロパンガスもないようなところの一般家庭は飯を炊く薪はどうしていた? >>994
江戸だと五日市が炭の供給元として有名
筏で炭を運び幕府にも納税して運んでいた 飯を炊くのが大作業で、総菜を用意する余裕なんてない。 「行徳の俎板」(馬鹿でスレているという意味)
のちのディズンー干潟あたりではバカ貝が沢山とれる
行徳あたりの家の俎板は日々バカ貝をたたき割って調理をする
俎板がバカ貝で擦れている このスレッドは1000を超えました。
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