長谷川平蔵は寛政7年(1795)没。『鬼平犯科帳』に登場する「五鉄」のモデルになった店
「かど家」は文久2年(1862)創業。
幕末・明治期の随筆『真佐喜のかづら』にいわく、
「ちかき頃は(食用に野鳥のみならず)シヤモと云ふ大鳥を賞翫することおびただし」
『守貞謾稿』にも、本来は鴨などの野鳥を食べていたのが、文化以降は京阪でかしわを、
江戸で軍鶏を葱鍋にして食べるようになったと記している。
半七は天保12年(1841)以降の事件を扱っているので、出て来ても不思議はない。
鬼平は考証の間違いでは。