食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 3皿目 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>560
オックスフォード英英辞典によると
animals on a farm kept for use or profit
「使役や利益のために」とあるので食用以外も言うんだろう
コウビルド英英辞典だと
animals such as cattle and sheep which are kept on farm are referred to as livestock
「牛と羊のような」がポイントだな
羊は羊毛も取ったりするからな
どちらの辞書もイギリスの大学が出してる辞書なので、あくまでもイギリス英語だ
アメリカ英語の英英辞典は持ってないが、アメリカにはdomestic animalという言い回しもあるらしい 英語に標準語なんてないけど、経済力や軍事力が強いアメリカ英語が優勢かな
元祖本家はイギリスだ
英語にもいろんなバリエーションがあって、まぁ、方言だと思えばいい
何かの国際会議とかで、全員英語しゃべってるはずなのに通じないという事態が発生したりするしな
日本語で言うと、東北弁、琉球弁、関西弁などが入り乱れて話が通じなくなってるような感じになるらしい 英国や米国の英語でも特定分野の用語は方言ベースってのが
あるからなあ カー娘が「おいしい」と食べていた韓国のイチゴ、ルーツは日本?
http://www.recordchina.co.jp/b575757-s0-c30.html
開発者の西田朝美さんが韓国人から種苗を分けてくれと懇願され、
何度も断ったものの、最後は根負けして5年間の有償栽培契約を結
んだものだと伝えた。契約書には、契約者以外の人物とは許諾契約
しないと明記されていたが、この韓国人は苗を他人に分け与えてしまい、
韓国中に広まってしまったという。
→そうじゃないかと思ってたら、やっぱりね
契約など守らないし守る気が無い連中にひとたび渡したら最後・・・ 一昔前に日本のイチゴ農家が廃棄処分にした苗をゴミ箱からこっそり
韓国に持ち帰って新しいイチゴの品種を開発したニダって話があったなあ。 >>562-564
映画でイギリスからフランスへの飛行機レースを描いたのがあってそのなかの一場面。
アメリカチーム(イギリスチームへ行き)「モンキーレンチあったら貸してくれないか?」
イギリスチーム「モンキーレンチ?なんだそれ?・・・あー、アジャスタブルスパナのことか」 常駐している愛国戦士様だろjk
日本は否定しなければならない
事実であっても韓国を否定的に語ってはならない
これができない奴は卑しい人種差別主義者のネトウヨ
という朝日新聞の社是を妄信している
オツムのカワイソウなコ 極端な右翼発言してからそれを冷静に否定するという自演やってるっぽいパヨクはいるねw マスゴミにも政治家にも
騙されないんだよな
スゲーなぁ みんなで中国工作サイトを応援しよう
時代は中国様、みんなで韓国を倒そう とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
WV9 嘉永6年(1853)の信濃立沢村(現・富士見町)の百姓、弥左衛門家で行われた結婚式のメニュー
・前菜
お茶
吸い物(花鰹・そうめん・芹)、数の子、蕗
冷酒
肴として、田作、イカ、昆布、
膳を変えて
吸い物、葱の酢味噌和え、玉子焼き、イナゴ、刺身
錦糸玉子、タコ、芹、しいたけの盛りつけ
・本膳
皿料理(千切り大根、刺身、岩茸、鳥、なます)、肴(栗、スルメ、人参など)
汁(田作、大根)、猪口[小さくて深い椀](こんにゃく等)、飯
・二の膳
平[浅くて平たい椀](椎茸、ゴボウ、鱒、スルメ、青板[昆布を干したもの]、ちくわ)、飯
組合(エビ、切り身、イナゴ)、清酒、汁、奈良漬
・三の膳
タコ、ぜんまい、エビ、刺身、蓮根、九年母の果実(みかんの一種)、玉子、羊羹、
はも、しらす、吸い物
今日の俺の晩飯
500円で買った牛サーロインステーキ
70円で買ったホウレン草のバター炒め
700円で買った紙パック2リットル入りの赤ワイン
ご飯 漬け物 コーンスープ 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>583
けっこう海産物が多いのが意外
海のものがステータスだったんだろうね 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>585
温泉旅館でも、最近まで山菜やヤマメよりタイやマグロの刺身が上位だったしな ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 邪馬台国畿内教の教条
邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない
パヨクは頭おかしいでほんま 邪馬台国畿内教の教条
邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない
パヨクは頭おかしいでほんま アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 >>587
こっちは食べ飽きたタイやマグロなんかよりも、川魚や山菜を食いたいのにな。
また水菓にもメロンを出す山中の温泉旅館があるけど、俺はアケビや山葡萄や桑の実などの、こっちでは手に入らない貴重な食材を食いたいんだよ。 渋川で呑み屋に入って勧められたのが今朝に新潟から持ってきたという鮮魚
東京から来たので地のもの食いたいと伝えたら
そりゃぁそうねと山菜とか出してくれた 山内一豊が、三木城包囲戦のときに、差し入れられて食べることを拒否した
焼き大根
とは、どんな料理? 当時では御馳走なの? すごい人生だな。
薩摩藩上級士族に生まれ、江戸時代に欧米文化を体験し、戊辰戦争で新選組や会津藩と戦い
北海道では榎本武揚と戦い、戦後は開拓使で北海道を開拓しサッポロビールを創設し、最後は神戸で浮浪者で死亡。
北海道で何が起きたのだ? 黒田清隆による麦酒醸造所を含む開拓使官有物払下事件に失望し、開拓使を辞職して牧畜会社へ
その後家族も捨てて托鉢僧となり放浪の旅へ
消息不明となって10年余、神戸葺合村で行倒れ、肺結核を患っており死去 留学に欠員ができて急遽、村橋にお鉢が回ってきてロンドンへ向かったが、急激な変化にノイローゼになってしまい、一年ほどで早々と帰って来た
感じやすい性質があったようだ 少なくとも永禄2年には、焼酎は庶民も飲めるものとして普及していた。
鹿児島の郡山八幡神社の修復時に発見された、くさび状の木片の裏に日付と書名入りで、焼酎に関する記述がある。
意訳すると、「ここの神主はケチで1度も焼酎をふるまわねえ!」と書いてあり、これが日本における最古の記述。 >>605
アゲ(油揚げ)は室町時代の精進料理から始まる
天ぷらなどと共に揚げ物料理の一つとして出てきたもの そういや日本では油を使って「炒める」という調理法は
結局明治まで一般には広まらなかったようだな
というか油を一般家庭で食用に使うというのがあまり無いな。
天ぷら屋は屋台だし。 炒めるのは火力が要るだろう
中華料理は石炭を使ってた 汁ものとすべく根菜、豆腐等を下拵へとして炒めおく事と、肉野菜でも何でも一気に炒めあげて了ふ中華料理とは些かの違へぞあらむかや
現行の中華料理店の火力や端倪せざるべからず 炒めてるほうが良いってものでもないしぶっちゃけどうでもいい
実際のところ中国も煮る蒸すって料理も多いだろう >>609
筑前煮、きんぴら牛蒡、炒り豆腐、南瓜の炊いたん等々は、明治以降の料理なのか?
足利時代に明国から炒る・炒めるの手法が伝わって、織豊時代までに炒めて煮るのやり方が普及したものと思ってたわー。 19世紀末〜20世紀頭、結球白菜の導入で種をとるのに随分と苦労したのは何故?
在来の菜っ葉類と交雑しやすいというけれど、在来のものは、菜っ葉と蕪と搾油用と同じ地域内で分けて系統維持されていたのに、
なんで結球白菜だけ導入初期に難儀したの? 『料理物語』(1643)
揚げる なし
炒める なし 確か料理物語の鳥鱠って炒めるんじゃなかったか?
炒鳥とも違うようだけど
鴨を炒鳥風に作るじぶ煮は皮を炒りつけてから煮汁や鴨肉を入れるから皮から出る油を使いたかったんだろうか? > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 >>609
戦前の平均的な家庭にはナベカマはあっても
フライパンはなかったらしい。
ということは油を使った家庭料理はなかった。
普及したのは戦後の文化運動だか新生活運動だか。 戦記や戦史を解説にいれろよ。一騎打ちネーム名乗りあいや軍師のファッション。 >>609
かるくググったら戦前の婦人雑誌には、チャーハンや魚のバター焼き、てんぷらは紹介されてるな。
流石に江戸時代は分からんがw
多分大正以降なんじゃねぃ?今日的な家庭料理が“平均的な家庭”でも食べられるようになったのは。 >>625
それは、東京の山の手のホワイトカラーの家庭だろう。
日本全国(内地限定)の人口比でいうなら数パーセント未満。
軍隊に入って初めて肉を食ったとかよく聞く。 ガス灯や石油ランプ、電灯の普及で行灯の油の需用が先細りになり、業者が料理用に活路を求めて油料理の普及に力をいれた、みたいな経緯はあったのだろうか 関係ないが戦前のラジオの普及率は50%未満。
よくアメリカと戦争する気になったものだわ。 日本が生産した単発戦闘機(零戦のようなプロペラとエンジンが1つの小型機)より、
アメリカが生産した4発爆撃機(B-29のようなプロペラとエンジンが4つの大型機)の方が多いと聞いた時は驚いたわ。
アメリカどんだけ国力あるんだよ。 これより1年、2年と時がたつにつれて日本はアメリカの武力に太刀打ちできなくなってしまう
アメリカに対して何も手出し口出しできなくなり、対米交渉など夢となる
今なら、最後のワンチャンスあり
で、決断してしまった 本当に、1年、2年と時がたつにつれて太刀打ちできなくなっていったな >>629
米は更にソ連や英に大量に送りつけてたりする。
ソースは忘れたけど、ベルリンに攻め込んだソ連の戦車の半分は米からのレンドリース(発動機等のパーツのみを含む)
>>626
大正以降の社会生活全般の推移を念頭にした“平均的な家庭”の話ね。
昭和の頃に教師から聞かされた話が正しいと思うならそう思い続けていればいいし、大宅文庫の低俗雑誌も全て嘘なんだろうさ、君にとってはね。
教科書から「慶安の御触書」が消えつつあるそうだけど、ガチガチの身分制から解放された戦前でも、統計数字で「貧しい。貧しい」を連呼するむきは未だ減らないが、
低所得者層が月に一度の贅沢で外食習慣をはじめても、こういう連中は「貧しさ」だけを強調し続けるんだろうなぁ。
関西では戦前の食堂が閉店するという話が時折ニュースになるが、大大阪も知らず、東京の山の手のホワイトカラー云々としか言えない程度の奴が何をどう思うかなんて、
こころのそこからどうでもいい。 >>634
その“平均的な家庭”というのは実は都市だけの平均だろう。
人口の圧倒的多数は郡部、農村漁村に住んで一次産業に従事。 >>635
>>609 調理法の話
>>625 食べたことがあるという話
これに対して、戦後を肯定するために否定せねばならない戦前という宗教の教えを信じる信者が
「戦前の日本は貧しい」のみを連呼している
定義じゃないよ、宗教の話だよ
だから話が噛み合わない 日本の家には明治まで、椅子もテーブルもなかったんだろ。
食文化が発達するわけがないだろう。 椅子やテーブルの存在と食文化の発達になんの関係があるんだ? >>641
食事をするテーブルの代わりには箱膳があったね。 四脚で食わないのは机だけ
二脚で食わないのは親だけ 戦前の邦画で見る庶民の家庭の居間
平均身長140p代の婦人が手を伸ばせば届く位置に電球のスイッチがある。
ちゃぶ台の上をかろうじて照らす。
大したものは食べてなかっただろう。 大体、飯を炊くのに手間がかかりすぎる。
余程、余裕のある階層を除けば飯を炊くだけで大仕事であとは漬物でもあれば良し
としなければならない。 >>650
大名の動員力.軍役をコメの石高で産出するくらいだから。 キリスト教では「天国には全員の座席があるから安心しろ」というらしいが
日本に来たら誰の座席もなくてビックリしただろう。
日本人が自動車を発明していたら正座して運転するような車になってなかったか? >>653
西洋も支那も建物に床板を張らない
だから土間に土足で椅子とテーブルの生活をする
日本は床板、敷物、畳があるから直に座れる >>646
四脚で食べないのは炬燵だけ
あれはあたる物だから パタリロ談 春の七草のホトケノザ、なんで中身が入れ替わってるの?
春の七草のホトケノザ 学名 Lapsana apogonoides (キク科)、現在の標準和名 コオニタビラコ
現在の標準和名 ホトケノザ 学名 Lamium amplexicaule (シソ科) >>655
支那はともかく、西洋は、木の板もしくは石材かレンガを床に敷き詰めるだろ。
ローマ時代の民家の遺跡は石材に色タイルのものが多数出てきている。
中世に蛮族になりさがったとしても、たとえば、フィリップドシャンパーニュの最後の晩餐は石、Ex-Voto de MDCLXII は木板の床が描かれているから
少なくとも17世紀には復活していることが判る。 日本の床は床下があって、床には下足を脱いで「上がる」のが西洋と違う 良心のある日本人は支那という差別用語を使わないと認めました。
今ではテレビや本で支那を使う人はいません。
そして従軍慰安婦も彼らは認めました。南京大虐殺もそうです。日中戦争で中国人の2000万人が日本人に殺されました。
日本の軍国主義がそうさせたからです。だから毛沢東主席は軍国主義に日本がこれからならなければ良いとして戦争の賠償をしませんでした。だけど最近の日本はまた軍国主義になってますね。
1中国と呼ぶ良心のある人は台湾は中国であると認めています
2新疆ウイグル自治区やチベット自治区ももちろん中国です。アメリカの内政干渉には呆れてしまいます
3東中国海も中国の海ですここは勝手に航海していい場所ではありません
4南沙諸島や尖閣諸島も中国です
5沖縄も中国ですが日本が奪いました潜在的に中国の領土です
6南中国海もその名の通り中国の領海です自由に航海できる場ではありません
7西沙諸島も南沙諸島もひとつの中国です
あちこちで支那呼称をあえて使おうとするネトウヨは以上の中国の領土を認めず平和な中国を再び侵略しようとする軍国主義勢力です。
我々はこれらのウヨクの活動を断固として阻止します。そのために日本史板では正当な呼称の統制を行いたい支那を使う右翼勢力はこのスレおよび他のスレへの書き込みをしないでください。
以上に同意した良心のある人だけ書き込むのが許されます。 支那人の良識とは、
天下の往来で人目もはばからず糞尿を垂れ
なにかと大声でがなりたて
手に取れるものはなんでも盗む
というようなものだしなあw >>661 は、
中国共産党の工作員なので注意の事。 ここでは支那という名称を禁止します。
支那そば→中国そば 東シナ海→中国海
英語で「チャイナ」も支那と同じ差別語なので同じく禁止します。
チャイナレストラン→中国レストラン チャイナ→中国
欧米人はチャイナを使ってますが彼らはいいです。戦争犯罪国家じゃないから。
支那は日本の軍国主義時代に使っていた名称であり、戦犯旗と同じでここでは使用を禁じます。ネトウヨは 別のスレで支那を使ってね。
ここでは以下の呼称も禁止します
1オリエントとオリエンタル
これは東洋系の売春婦を意味したり、白人男性が性的に搾取できる東洋女性をイメージする言葉で アメリカでは一部の州で使用が禁止されてます。
2チャイナ
これは欧米の人たちだけが使える言葉です。日本人は使ってはいけません。支那(シナ)と同じ差別用語由来です、中国に由来することは中国と直してください 。
ネトウヨはここに来ないでください。食べ物と酒は別のスレがあるのでそこでやってください。
それと台湾は中国です。中国の領土です。これはアメリカも認めています。日本の植民地ではないです。
台湾に関しては揺るぎなく中国です。中国共産党は清朝の権利を受け継いだからです。台湾は清朝に朝貢してたのだから中国です。
良心のある正しい人は中国を使ってください。 支那という呼称はアジアの人々に日本の軍国主義を思い起こさせます。
例として支那の夜、が挙げられます。有名でしょうか?
これはとんでもない映画です。日本人が中国人の若い女性を犯し、その力は中国を救うという映画です。プロパガンダの一種です。これは蝶々夫人やミス・サイゴンのような性的搾取を正当化するための情報操作だったからです。 日本の女は聞いてますか? 支那は古称。
中国は20世紀以降のプロパガンダ用語。
支那がいやなら中華が良い。
本中華とか冷やし中華とか親しめる。
中国は日本の中国が先。
後だしジャンケンはやめれ。
妥協策はチュンゴーかwww >>660
面白いのは中国の宮廷では、臣下は宮殿の玄関で靴を脱いで皇帝御前の広間に集う
特例として靴を履いたまま行ける臣下はいるが、ほとんどそれは皇帝を超える権力者となる
https://youtu.be/W9E6R8CSqe0?t=1824 支那川の支那料理屋で支那そばを支那竹増しで食べたら支那支那 質問が有りますので、よろしくお願いします。
19世紀の或る御坊さんの言行録の中に「江州醒ヶ井のみそすり屋の婆」というのが出てきます。
この「みそすり屋」というのはどんな職業なのでしょうか?
私は、「みそ汁を出す街道の茶店」のようなものを想像しているのですが。 「みそすり」は粒味噌を擂ってすり味噌にすること。
現在流通してる味噌はほとんどが擦り味噌に加工済みだけど
本来味噌には大豆の粒が大量に残っていて
昭和中期くらいまでは使う前に擂り鉢でする作業が必要だった。
大量の旅客をさばく必要のある宿場町だから
味噌を擂るだけでも仕事になったんだろう。 >>670
> 大量の旅客をさばく必要のある宿場町だから
> 味噌を擂るだけでも仕事になったんだろう。
ああ、そうか、と納得が行きました。
本当にありがとございます。 実際に旅行した人物の小説、東海道中膝栗毛の記録では旅館に到着するとたらいで足を洗い、五右衛門風呂に入れられてから部屋に案内されていたが、当時の世界の宿泊施設ってどうだったの?
風呂があったの? ほとんどの宿には風呂はありません
近くの銭湯の割引券を出していた
明治、大正の旅行記でも宿屋で入湯券をもらって銭湯へゆくとある
五右衛門風呂のような小さな風呂釜で客捌きをしていたら追っつかないと思う 味噌を摺る必要ってあるのだろうか?
味噌殻ないほうが非日常を味わえるのかもしれないけど、味噌濾し使えばすむ話にも思える
人件費かけてでも味噌殼ごと摺った方がコスパいいんだろうか 殻ではなくて豆や麦の本体を擦りつぶすのが目的なんだろう
濾してしまうんではもったいない >>675さん
669です。
私は新潟の農村部在住ですが、年寄りは擂り粉木を味噌擂り棒、擂り鉢を金鉢と呼びます。
昔の自家製味噌は味噌玉を軒先に干してから、それを包丁で刻み、大豆の煮汁と混ぜて味噌桶に保存したそうです。
ですので、擂り鉢で擂らないと硬い部分が残って味噌汁にならないのだそうです。
私はその事を知っていたので、そのような日常作業を専業にするような商売が有るのか?と思ったのです。
でも、考えてみたら、そのような手間賃稼ぎでやっと生活しているような老婆の事を語ったものだったのかも知れません。 落語で、ケチな旦那の商家での手代と旦那の会話。
手代「朝の味噌汁が具なしなのは何とかなりませんか?」
旦那「そんなことはない。擂粉木が10年でこんなに短くなってるんだから、具なしじゃないだろう」
ってのがある。 >>678さん
>>675ですが、うちの味噌は味噌玉の過程がなく、なおかつ搗いた大豆を使うのでそれが標準イメージで書き込んでいました
自省します
普段の味噌汁はダシ殻の煮干しと共に大豆ノ薄皮や米麹が椀底に残ってはいましたが、量はそれ程でもなかった記憶があります 前後によっては、一膳飯屋やゴマすり屋って可能性もあって難しいな >>678
>日常作業を専業にするような商売が有るのか?と思ったのです。
江戸時代には貧困層の商売で、洗濯屋だってあったからね 考えてみれば、昔は家庭に冷蔵庫もなかったのだから
朝食に鮭を焼くなんて無理だったろう。
味噌汁の具に何を入れられるかが朝食の楽しみ。
自分の祖父の里の山奥では魚の塩干品も贅沢品だったと聞く。 鮭はキツめの塩鮭が基本。
焼いたら白く塩を吹く。
熟成したものをカラカラに焼いてほぐして
茶漬けが至高。 細川忠興が息子の忠利に手紙で、
「鮎はパリッと焼けって言ってるだろ!」
的に叱ってるんだが、当時は焼き魚は水分が無くなるように焼くのが普通だったのかな? アユに限らず川魚の焼き方は
遠火で水分を飛ばすように焼くのが良いそうだよ 水分が多いのに冷えちゃったら
食えたもんじゃない。 戦場を駆け巡っていた奴らは熱々で食っていたんじゃないかな 月曜日22日に放送されたBSTBSにっぽん!歴史鑑定・吉宗の女性スキャンダルで
米の話のところ、そこに使われた映像は小麦!それも2箇所!
スタッフは稲と小麦の区別がつかないのだろうか 江戸時代とかに日本の将軍や天皇はコーヒーを飲んだことあったの? 九州のナンチャラ貝塚だっけ?
その蔦のDNAでも残ってたんだろか >>702
ない
太田蜀山人が「焦げ臭うて味うるに堪えず」とか
長崎では少しは飲まれていたらしい。
オランダ人の使用人の間で。 今でこそ紅茶の島みたいになってるけど、19世紀前半までセイロンはコーヒーの大産地だった。
17世紀から19世紀の頭までオランダ領、19世紀にウィーン条約でイギリス領に。 少子化対策しなくても
生活保護も年金も国保も保育所もなくて国民の大部分が栄養不良だった時代のほうが
はるかに出生率が高かったとは何たる皮肉www
国民は殆ど皆、小学校を卒業したら働いたんだよ。 満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう! スレチだけど、昔は健康的な食事だったのは幻想だよ。
塩が貴重品だったのは、江戸の前期のことであって後期は
時代劇にも出てくるけど、塩売りがどこの長屋も回ってた時代。
塩も味噌も醤油もふつうにあって、当時は冷蔵庫がないから、
月に数回しか食べられない魚も濃い塩漬けだし。
それに、当時の食事の基本はしょっぱいいおかずで、ご飯を
1日10膳食べるっていう、ものすごい栄養が偏った食事。
だから、江戸ではみんな栄養が悪く、平均身長は156センチっていう、
今の時代の小学5ー6年生と同じ体格で、当時の人骨を調査すると
圧倒的に栄養失調で病気持ち。
食べ物もしょっぱいたくあんや味噌汁、たまに塩で保存したメザシや
佃煮が出ればごちそう。魚類は月に数回。
当時の食べ物番付に出てくるのは、たくあん」「梅干し」「茎菜の漬
「座禅豆」「味噌漬け」で、食べたいものが塩辛いメザシ。
夜ご飯は大量の漬物だけってのもあたりまえ。
だからビタミン不足で脚気の人がすさまじく多くて江戸患いって
言われたくらい。体力がなくて、脚気で、足元がフラフラして
伝染病の感染も多かった。だから平均寿命も30代。 >>675
自家製味噌作ってるけど、実際に味噌は使う前にすり鉢で当たらなければ使えないよ。
味噌を仕込むには、まず柔らかく煮込んだ大豆を潰して、塩、麹と混ぜる。
だが豆を潰すといっても、昔は臼で搗き潰すか、新品の藁沓を履いた足で踏みつけるのがせいぜい
どうしても潰しきらない豆が出る。
だから、使う時にすり鉢であたる。 江戸時代って納豆が味噌汁の具だったんでしょ?
味噌すって更に粒状の豆を入れる・・・
賽の河原だな 令和元年(2019年)、悪質な掲示板荒らしとして幕閣と江戸庶民らを怒らせた >>661 に対して
南町奉行吉田安房介は磔刑に処す旨、また獄門としその死骸を晒す旨申し渡した。
処刑当日、伝馬町の牢から引きずり出された >>661 は裸馬に乗せられて、江戸市中を引き回された。
牢内での度重なるリンチのためか、彼の鼻骨は折れ潰れ、全身は青アザまみれだ。
便所から汲んだ人糞を無理矢理 喰わされたゆえか、全身が青黒く膨れむくんでいた。
たとえ今回の処刑が無くとも、ほどなく苦悶の中で絶命することは明らかだ。
周囲で罵声を上げる見物人らも、スレ荒らし厨房の末路に身震いが止まらなかった。
程なくして鈴ヶ森刑場に到着。刑場ではすでに非人らが弾左衛門の号令下、処刑の準備を進めていた。
礎石の裏に倒されていた磔柱を検分し、刑場の中央に引き出していた。
刑場に土下座させられた罪人を前に幕府検使前田帯刀が懐から奉書紙を取り出して改めて罪状を 読み上げた。
江戸庶民の鼻つまみ者 >>661 の最期を見ようと見物人が大勢囲いの外に集まり、 喧噪は収まらない。
しかし「掲示板荒らしは不届き千万、従って磔獄門に処す」との声に、誰もが唾を飲み込んだ。 非人らが >>661の衣服を剥ぎ取ると、引きこもりと牢内生活で醜くむくんだ体が露わとなった。
竹矢来の外では、母親が子供に
「お前たち、よく見なさい、スレを荒らしたら、あんな姿になるんだよ」と教え諭している。
子どもらは、嘲笑を止めて泣き顔になった。
磔柱へ大の字状に荒縄で 661を縛り、罪人を東に向わしめて 磔柱を立てた。
槍を取る非人(即ち突手)二人が、荒縄の襷を十文字に掛けて、罪人の左右に分かれ、
各々槍の穂より三尺ばかり下の所を荒縄にて縛る。
これは 罪人661 の血が手元に流れ来るを防ぎ止める用意である。
一人の非人は磔柱の下に水を入れたる桶を据え、雑巾様のぼろきれを持ち、うずくまる。
これ罪人661を突きたる槍に付着せる血を一度ごとに拭い去るためである。
左右の突手非人が槍を構え、左右から槍を差し出し 661の胸元で会わせて「見せ槍」を行なう。
そしてまず右の者が「アリャ、アリャ、リャー」のかけ声で >>661の腹へ槍を突き込み、肩まで突き抜けさせる。
661の絶叫が刑場に響き渡る。右の者が槍を抜くと、左の者が同じように661 の腹へ槍を突き込み、肩まで突き抜けさせる。
刑場は >>661のどす黒い鮮血でとても見られたものではない惨状であった。
交互に刺すこと8回に及び合計16回槍に突かれた 661は、わき腹からどす黒い血を流し続けている。
肉片でささくれた傷からは、新鮮な腸がぬるりとはみ出している。
敏感なハエが死臭を察知して、すでにわんわんと寄りたかりはじめている。
彼の正面から喉元に「止めの槍」が刺されて、 処刑は終了した。
そして処刑後の死骸は磔柱に架けられたまま、三日三晩晒し者にされ、
その後はウジが湧き出すまま 野犬の餌になった。
少ない財産は闕所とされた。 江南豚鼻ニガー支那マンセーピーデのマイケルジャクソン射精エベンキガイジこっちも荒らしてて草
もしかして山野野衾ジッジの気を引くために荒らしてる老け専ホモけ? ストーカーエベンキ「頼むっ!!山野天皇俺を見てくれえええええええ!!!!!」 支那ガイジってよっぽど暇らしい
被害妄想が激しくて友達もおらず
誰からも相手にされず可哀想… ええこと教えたろか?
規制の判定は鯖単位で行われるんやで
例えばここはlavender鯖やから違う板でも同じlavender鯖にある板を荒らすと日本史板も規制されるんや
まっ回避する方法もあるにはあるんやが、親の回線つことる子供部屋から荒らしおじさんの知能では不可能やろなあ(しみじみ >>717
一日中部屋から出ないんだね?
人生つまんなくない?
もう老い先短いから関係ないかw てかこないだから粘着されてるけど
荒らし違う奴なのにやたら絡んでくるし
本当に馬鹿なんじゃないかと思う そもそも荒らし本人じゃなかったら反応するメリットないからな〜
せいぜいお父さんに始末されない様にちゃんと働いて家に金入れるんだゾ〜(おせっかい) 射精エベンキくん分かりやすすぎるタイミングで荒らしてて草 NHKでやってたが、徳川家康は浜松の名産・浜納豆が好物でよく食べていたらしい
家康が浜松とか駿府とかに居を置きたがっていたのは、浜納豆を食べたかったせいかもww
https://kotobank.jp/word/浜納豆-116251 日本人って、豆をいかに加工して米のおかずにするか?に命かけてるな >>724
納豆は日持ちしそうだから、城がどこであれ持ってこさせれば良かったのではと思っちゃうけど 射精エベンキ「山野にあいたい!山野きてくれええええええええええ!!!」
草 間違えた
これは元来草食ですわ
魚三匹とか贅沢過ぎやろ
https://i.imgur.com/OxVhzrJ.jpg
これで戦争はできません
江戸の街だと庶民クラスまで三食白米を食べてた、
というのは有名な話。
*もっとも、脚気が「江戸患い」と称されるほど蔓延したのも有名
但し、日本全国で白米が日常食になったのは大正時代なんだとか
米は一旦江戸や大阪に入ってくるから
江戸や大阪は米の供給過多で
江戸中期以降になると米かなり安くて庶民も白米ばっか食って脚気が増えた
ただ貧しい田舎は明治時代になっても白米なんて滅多に食えなくて
三食銀シャリ食えるぞ!!東北などで言って昭和くらいまで兵隊集めてたらしい 庶民なら魚なんか10日に1回ぐらいだろ。
京都みたいな内陸だと冷蔵庫がない時代だから
月に1匹塩干魚食えれば満足。 魚が食べたいのなら、煮干しを汁の具として楽しめばいいじゃない >>731
自分でとらない限り、生産流通機構がない。 イスラム教を国教にして一夫多妻を認めたら人口は増えるが、それはもう日本じゃない。 >>735
自家消費だけ、そんなことないか。
余剰品を市いちに持っていって他の生活必需品と交換していたか。 タイよりもコイのほうが食材として格が上っていう時代が長かったし
自分で食うとかじゃなくて(食う分もあるだろうけど)普通に流通させてるんじゃない コイなんか濡らしたムシロにでも包んどけば
半日くらい平気で生きてる 柚木学『酒造りの歴史』って本で、律令時代の朝廷において、造酒司のもとで酒造りを担った酒部のほとんどは朝廷半島からの渡来系だったとあるけど、やっぱりこれは正しいの?
そうだすると、酒部を使った酒造りって平安時代のいつまで続いたんだろうか?
次第に酒造りは寺社に移っていくわけだし、渡来系言うても平安時代には日本人とほとんど同化してそうだしなぁ >>688
越後・出羽から塩鮭を都まで運んでたけど。調で、租庸調の調な、品目が指定されていた。 味噌汁の具と言えばスリ棒ってな落語があったけど
アレは味噌を摺るための棒なのかな 落語で食い物と言えば、酢豆腐、
夏場の千両蜜柑
1合を半分に分けて飲む居酒屋のツマミはショウガに塩ラッキョウ
焼けた味噌蔵
毒入りの卵酒
ズロロロロとすする饂飩
極めつけは、遊女をズンドウ切りして食う、タクアンとインゲン豆のお茶漬け! まずは目黒産のサンマの塩焼き
三毛のニャアに、サブロクではなくてダリ
時そばのしっぽくも忘れちゃなんめぇ 鍋焼うどんは明治に入ってからのものみたいだな
落語自体最盛期は明治期らしいし 屋台のそば屋がズラリと鍋焼きうどん屋に変わってしまい、「時そば」の舞台は過去のものになった お江戸の屋台店は車輪がついてなかった
移動するには、天秤のようにかついで運んだ。
そんな構造で、鍋焼きの土鍋を積んだ屋台店は重すぎて人力で運べないわなぁ
明治以降の屋台店には、車輪がついて移動も楽になった。
鍋焼きの土鍋を積んでいても、わりあい楽に運べるだろう。 >>756
何で車輪をつけなかったんだろう?
車輪自体は古代からあったのにな >>758
江戸時代の道路状況だと担ぎ屋台のほうがなにかと都合がよかったんだろう 日本で車輪のついた乗物がながらく発展しなかったのは、山岳地帯が多く
道も整備されていなかったから?
車輪だとガタガタが体に伝わって乗り心地が悪いし、轍にはまりこんだら最悪。
馬の背や駕籠、輿だったらそんな問題はない。 丹沢 鍋割山荘の名物は鍋焼きうどんだったな
材料はあの馬鹿尾根を人力で担いで上げている 明治13年の讀賣新聞記事
「近頃は鍋焼きうどんが大流行で、夜鷹蕎麦を食べる人は少なくなった。
東京府下に鍋焼きうどんを売る者は863人いるが、夜鷹そば屋は11人にまで減ってしまった。」
屋台に車が付くのは明治も中頃を待たねばならなかった >>760
屋台なんて街中の商いだぞ。住居兼仕込み場も、出商いする先も、同じ町の別の街区くらいのもので、
山越えなんてしねーよ。 >>758
所謂「勤勉革命」
車輪を作る初期投資よりも、人間の労力を浪費する方に、技術的逆行。
貴人の乗り物が牛車から人の担ぐ駕籠に、灌漑水車が水野流力を利用する自動式から足踏み水車に後退したように、
荷役も車すら使わず人の肩を利用する方に後退。
鉄・刃物の産地を近隣に持ち商業都市の大坂は資本効率重視で大八車・丁稚車が盛んに利用されたが、
どうせ抜かない刀ばかり鍛ってた江戸では刃物の供給のおぼつかないので、木製の車輪がなかなか作れなかった。 760は屋台ということではなく車輪付き乗り物一般についてだな
まぁ、大八車とかあったけど道狭くて事故が起きた
その場合、歩行者が被害者で車は加害者として罰せられた
江戸幕府は荷車については総数制限と厳しい
普通の大八車は全国で江戸だけ許可
京・大坂はもうちょっと小さなべか車を許可 >>763
蕎麦は徐々に高級路線にシフトして屋台じゃなくて店舗になっていったからねえ そばが好まれる東都では関東大震災の前に各町内に一軒もしくは二軒のそば屋があるのが普通だった
日常の食べ物であったわけで、決して高級な食べ物というわけではなかった 衛生面で問題があるのは解るけど、屋台も少しは残して欲しい 公衆用道路を占用するのは基本的に駄目
博多など例外的に認めているが縮小している 道路ではないが大阪城の敷地で格安地代で既得権的にずっと売店を営んできたおばちゃんが、高額の脱税で摘発されたな
最近、外国人観光客の増加で、もう見過ごせないほど繁盛していた >>768
江戸初期にはうどんの三分の一ほどの価格だったわけですが 江戸後期でも江戸っ子と言やぁ、そばでぃ
う〜ど〜ん、なんだか上方者みてぇでイライラすらぁい
ってやんでえ、ちくしょうめっ 小麦栽培地で自家消費していたのが武蔵野うどんであり、江戸の町で売るものではなかった
「守貞謾稿」
京坂は温飩を好む人多く、又、売る家も専之とし、饂飩屋と云也。
然も温どんやにてそばも兼ね売る也。
江戸は蕎麦を好む人多く、商人も専とし、温飩は兼て沽る也。
故に蕎麦屋と云。 >>756以下
幕府が車輪を禁止してたからだと思ってた。
それでなければ開国後急に駕篭に代わって人力車が普及した理由が不明。
道路のでこぼこ事情は変わらないのに。 金属パイプ、スポーク、ゴムタイヤ
こういう構造なら軽快で快適に走れるということかなぁ
大八車みたいだったら流行らなかったと思う
幕府は重い荷車で木造の橋梁が痛むということを嫌った 馬車の技術の転用だろうけど
馬車の国産化→国情に合った乗り物としての人力車の発明→駕籠の置き換え
って転換がどのくらいの期間で起きたのかね
歴史の教科書読むと、明治になったとたんに一夜にして切り替わったような印象を受けるが 人力車は1868年というから明治元年、和泉容助、高山幸助、鈴木徳次郎が馬車を元にして開発したと、明治政府の公式記録にある
馬車に比べてはるかに安価であるため国内で急速に普及した
普及に合わせるように、禄にあぶれた士族たちで車夫になった者が非常に多かった
この優れた発明は外国にも紹介されたようでRickshawという英語にあっている
アポロ計画では採取原石を運ぶRickshawが月面で使用された 長距離輸送といえば水路だったから陸上を快適には発展しなかったね 人力車の車輪は1989年頃にゴム輪が出るまでは木輪だったようだから、明治になって日本の道路事情に対応したタイヤがすぐに庶民に普及した訳ではないのね
そうすると、江戸時代に車輪があんまり使われなかったのはやっぱり幕府の制限かなぁ
>>745
平安時代に朝廷の酒造を担当してるのは新撰姓氏録なんかを見る限り渡来系とは別の氏族
ただ秦氏なんかは平安時代にも京の町中で酒屋業を営んでいたらしい >>777
失業者対策なんだから道路事情はあまり関係無かったんだろうね 人力車のゴムタイヤは明治40年代、20世紀に入った頃に出現
製造容易な人力車は中国、東南アジアで爆発的に普及した
その後の輪タク(自転車タクシー)へと繋がる路線 >>784
>1989年頃
1889年頃の間違いですか? 交通の話題で盛り上がっているので便乗して質問
何故日本では、足全体を覆う履物が発達しなかった?
確かに夏場なら、下駄や草履が快適だ。
でも冬場はそれなりに冷えるし、畑仕事や山仕事の折は足全体を覆う履物を履いた方が
はるかに安全ではないか。
はだしでワラジを履けば、足指があらわになる。
そんな無防備な姿で山道を安全に歩けるとはとうてい思えない 下駄や雪駄は基本的に要足袋
素足が許されるのは浴衣の時期だけ
暑いから単衣の時期になったら素足にしてるけど 皮革加工の歴史が貧弱な国では革靴はおよびもつかないんだろう 西洋ではギリシャ・ローマの昔から皮革サンダルの歴史がある >>777
車輪そのものが高価だったのかなと思ってた
新幹線や飛行機で行けば楽で早いのに、鈍行電車に乗って節約する人間みたいな心理だったのかなと >>792
へえー
風土の違いかね
日本は年間を通して多湿気候だから足裏と皮革サンダル相性よくない(汗でスベる)し衛生上も良くないよね
昔は殆んど湿地で菰だの葦だの生えまくってて材料に困らなかったってのもあるだろうけど
日本は敷物もゴザやタタミがポピュラーで動物製カーペットみたいなものが一般的に使われなかったのは年中ずっと多湿気候で風通し良くしたかったからなんじゃない
ギリシャローマは夏カラッと(むしろ乾燥)してるよね
武具とか行者の袋とかには皮革製品が見られるから皮革業はいたんだよね >>783
何キロだろう
エプロン見れば米屋さんと分かるけど、これ外国人が見たら折檻や刑罰と勘違いされそう >>725
たんぱく質が豆からしか摂れなかったからでは
肉食やめい、みたいな禁止令たびたび出てたと聞く
だから江戸の日本人は栄養失調だった節もある >>795
一俵は4斗で60kg。
ってかこんな背負い方じゃすぐズリ落ちるよ。 死んだ婆ちゃん大きい風呂敷づつみこんなしょいかただったお 革靴なら山仕事や農作業につかわれてた綱貫ってのがあるぞ
穢多が作ってたんでえったぐつとも呼ばれる >何故日本では、足全体を覆う履物が発達しなかった?
脚絆 皮足袋というのもあったというが、あまり取りあげられない、マイナー扱いだな 皮足袋は地下足袋に取って替わられた
ゴム引き地下足袋は日本軍にも愛用され、今も作業用に現役だ
皮は洗濯が利かないのも使い勝手がよくなかったのかな 朝鮮の草履は、足先全体を覆う構造だね。
かの国では日本人をチョッパリ(豚足)といって罵るが、
足袋や下駄のように足先が2つに分かれる日本の履物を
ブタの蹄にたとえている 半島は
宦官はいただろう。
辮髪はなかっただろ。
頭髪はグチャグチャ、蠅が舞う。
日本は縄文から弥生に退化してから、米の偏食とか碌なことが無い。 >>812みたいに話の腰折る奴には毒入り卵酒飲ませたい。
ナンミョウホーレンゲキョー
ナンミョーホーレンゲキョー
火縄銃がバーン!
弾が岩でカチーンとはじける。
縄が射切られ筏がばらけて流れ出す
「お材木で助かった」
サスペンス風味な内容に比べて
このサゲはどうもマヌケだなぁ 世界史板のほうはスレどころか板自体が壊滅してしまった… 「なすび」の「び」ってなんなん?
もとは「なすび」で「び」がとれて「なす」になったのか、「なす」に対してなにか付随的な意味をつけて「なすび」なのか 関西はなすび
正月の初夢は一富士二鷹三なすび
東はナス
関西はかぶら
東はかぶ
関西は菊菜
東は春菊
関西は豚まん
東は肉まん
関西は糸ごんにゃく
東は白滝
ああしんど >>820
きぬ(衣)臭いから変化したかと言われている
衣がこげたにおい
火薬のにおい → 危険なにおい
きな粉の場合は、黄な粉だけど マラリアの特効薬、キニーネを含むキナの臭いがするの略。 昔、辺境に杞那という小さな国があった、
その国の大臣が災難を匂いで嗅ぎ分ける力を持っていて
王は大臣の言うことをよく聞き災いに備えたため栄えていた
その伝承がきな臭いの始まりさ アイヌ語では草をキナと申します(マジ)
つまり、青臭い匂いです 九州語では黄色をキナという(マジ)
‥アイヌ語とか九州語とかは関係ないな
かね→きな ‥ むりがある
杞那 ‥ ウソ話 朝鮮語では、台所の屋根裏の納戸を「タラク」と申します(マジ)
鄭(テイ)さんが、タラクの中であんなことやこんなこと、恥ずかしいことをした
だから、鄭タラクと申します 曰く(イハク)=言うこと
たらく=たること であること
体たらく=ありさまであること 体たらく
女たらし
神様の○○タラシ
この辺って関係あるのかな 手越なんか嫌い
昔は良くも悪くも全然印象なかったけどな >>843
手越最初の頃は地味だったのに
山下が抜けてから調子に乗った 非リアの人間としてはヤりたい放題人生楽しそうで羨ましい 江戸時代、京の都や大坂にはどんな屋台があったんだろうか 嘘と虚実にまみれて拗らせているけど
まぁ純粋にそれだけは凄いな
端から見ていると馬鹿丸出しだけど >>848
上方から先に流行り始めたものもあったはず >>779
勤勉革命の間に、馬の質が著しく低下した。精々犂耕か荷駄にしか使えず、騎乗や繋駕には使えない馬ばかり。 >>855
去勢してなかったからとちゃうか?
馬同士が暴れて話にならない。 >>820
マラリアの薬をとる樹だよ。苦くて臭いよ >>791
昔から、冬場の農作業用に革靴履いてたよ。弓矢のカケと大体同じ構造で、足用に形が作ら照れた。地下足袋の原形。
西日本は冬場も耕作するので、田畑の土が冷たいから必須品。
猪や死牛馬の革で作っていた。
死牛馬の取扱は穢多特権だったので、現代でも、食肉加工、皮革加工、靴製造がそっち方面の得意分野になっているのは
徳川時代からの伝統。 紫式部が好んで食べてたという塩鰯は、どこからどんなふうに運んできてたの? >>641
> 日本の家には明治まで、椅子もテーブルもなかったんだろ。
> 食文化が発達するわけがないだろう。
床に座ると足が痛くて落ち着いて飲食なんかできんわ。
早々に終了したい。 シルバー仮面とかアイアンキングの頃、米屋だけで売ってるプラッシーってジュースがあった。 テーブルはあったでしょ。
しかも個々に専用の箱膳が。 >>867
鍋を囲んでというのは明治の牛鍋からか?
江戸時代は銘々鍋?
床几が普通の
家庭にあれば良かったのに。
>>865
普段はワタナベの粉ジュース
張り込めばプラッシー
蜜柑の屑がひらひら泳いでいたわ。 >>868
床几とな
土間で暮らせと言ふか
床を張ったうえに畳も敷いて、これ以上の贅沢があらうか
賃取り仕事の職人、土工等が汚れた足に草鞋、足袋を履いたまま床几に腰かけて一杯の酒、一膳の飯を掻き込むのとは違ふ
ちやんとした所帯のやり方ってぇものがあるって事よ 自分は和室では足が痛くて正座どころか、あぐらもかけぬわ。
食事を楽しむどころではない。
昔の人はどうしてたんだろう。 >>870
昔の人では無いからそのような体たらくなのだ
昔と今では生活習慣も違う
時代劇でも何でもいいから、昔の人の立ち居振る舞いを知りなさい >>873
だから、昔の映画をみて、もし今の自分がタイムワープしてその時代に行ってしまったら困る、耐えられないと思ったんだろ
だけど、タイムワープなんて現実にはないから安心しろ
その時代に生まれていたら、その時代の人間として育って、ちゃんと生活してただろう 今でも留置所、刑務所は基本、床に座らせらるんだな。
つらいだろうな。 >>875
アシガールはちゃんと正座してたな
んで、我が家の富有柿は記録的大豊作。
この1週間、毎日5個〜10個の柿を食べてたら便がやたら固くなったw 戦国時代、茶漬けでなく湯漬けを食べていたのは茶が高価だったから?
番茶がなくて抹茶しかなかったのか? 戦国といえば江戸時代の前だからな、そりゃ全然違うだろう
茶も普及してきた江戸時代でも、峠の茶屋では婆ぁが朝、沸かした湯に茶葉をパラパラ
あとは夕べの店じまいまで一切茶葉の追加なんぞしなかったくらいだ >>882
番茶は江戸時代
ちなみに作ったのは永谷園の創業者の親父だか祖父 氏康の時代でも、大国の領主が飯に汁かけて食っていたくらいだしなぁ 味噌汁を食すときには、往時の侍をしのび、最後に汁をめしにぶっかけて食べている >>858
民は騎乗禁止。
武士はそれこそ騎士階級で騎乗が許されていたけれど、いつも飼ってられるほどの財力は無いし、免租や手当を与えて農民に預けていても、
その農民は騎乗禁止で預かった馬の調教が耕作くらいにか使えない。
餌を沢山食べる大型の馬を嫌って扱いやすい小型の個体ばかりで子を取るから、馬の体格も騎乗に耐えない大きさになる。 正坐をするから、日本人は足が短い
脚を折り曲げて押さえつけるから血の巡りが悪くなり、脚がのびない
だが生活がここまで洋風化しても、日本人の足は相変わらず短い >>889
かなり長くなったと思う
最近の子はイス生活だし正座する機会ほぼないからね 「お茄子の炊いたん」「海老芋のタイタン」
お前ら、そんなにタイタン好きか?
京野菜のティタニウム料理 売れた子役は、背が伸びなくなる
安達由美とか、ケンちゃんとか。
撮影時間で睡眠時間を削られてしまうから 思春期に色気づいて性ホルモンの分泌がどっと増えると骨、特に四肢の伸びが止まる。
女子は初潮、男子は声変わり。
カストラートの長身は有名。
楽しんごの昔のあだ名はクモ男、手足が長いので。
典型的男性ホルモン欠乏体型。
中学2年生で、タモリのいいともに出たのが初出。 「オナニーしすぎると脚が短くなる」って話はまんざら嘘でもないのか 精を出してると、あぁ俺も大人になったんだな、成長とか言ってる時期は過ぎた、もはや生殖に力を入れなきゃ、と体が思うんだろ しかし、オナニー我慢しても、もう精通してしまったんなら無駄な抵抗だと思うが
溜めていたって夢精してでも捗らせるだろうよ 昔、初体験も早いし、異常なレベルでセックス好きな女と付き合ってたが、極端に手足が短かったわ。納得。 俺の初オナニーは小4のとき
初セックスは中3の冬だった 東西での
馬の使い方の違いが、食肉の種類の差だな
西日本は、「老廃牛」から牛肉食が広まった
> 【食】「西の牛、東の豚」という嗜好分布の意外な背景★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1575974631/l50
> 「西日本では農耕に牛を使うことが多く、老廃牛の肉に親しみがあった。
> 一方、
> 東日本の農耕は馬が多かったことの影響が考えられる」という――。 あと屠畜を排他的利権とするエタの数の差な
西日本はエタが圧倒的に多かったから、より廃牛を食肉に加工しやすい環境だった。
東日本ではエタの数がボトルネックになって肉類の供給は低調で
肉食の本格的普及は、それまでのエタの屠畜利権から自由な
豚という新しい家畜を待つ必要があった。
だから東日本ではエタを介さず供給できた豚肉をよく食うわけだ。 芋煮は牛醤油も豚味噌もどっちも上手い
個人的に牛は消化不良おこしがちだから毎日だったら豚が良い 古代に東日本に好んで住んでいたのは、鮭が好きで鮭を獲る者たちだったとか
所さんの番組でやってた >>882
東北だと政宗の時代に茶人が呼ばれてたと思うけど、あくまでもその当時のお茶はお茶の作法で愉しむものだったのでは >>870
昔の人は正座じゃなく胡座だったはず
そして正座は罪人の座り方だったはず
歴史は詳しくないけど、秀吉だか家康だか誰だかが、ビビりすぎて謀反を恐れて?来るものたちに正座を要求してから「正座」とかいう名前になって下々の者に浸透したという説があったと思う
今は正座できない人のための補助腰掛けみたいなのあるから、無理しなくていいよ 濃茶や薄茶では、茶漬けの発想は難しかろう。
煎茶が出てくるのは1700年代頃。
あと、鮭といえば伊達政宗の伯父である最上義光の大好物。
最近は「鮭様」の異名で呼ばれている。 水や湯で飯をふやかせるだけで有難いものを、茶を使うなどという贅沢をよく思いつくものだわ、後世人は >>907
古代〜近世初期まで、男性も女性も屋内での座り方は胡坐か立膝
北政所の肖像画が立膝で描かれてあり秀吉の時代でもまだ立膝
仏像や神棚を拝むときには手を付いてお辞儀をしなければならず
座ったまま床に手を付くのに胡坐や立膝では自分の足が邪魔になるため
その時の姿勢が正座だった
江戸時代、参勤交代で全国の諸大名が江戸に集まるようになると
江戸城の大広間に諸大名を集めて仏像や神棚よろしく
将軍にお辞儀をさせることが起こった
このときに胡坐や立膝では床に手を付けないために
将軍を拝むための坐法として正座が取り入れられた
大政奉還などでも諸大名が正座して徳川慶喜の話を聞いている 戦国時代なら
胡座で手をついてお辞儀してるけど
正座で手をつくのは土下座して詫びる時だけど 危座(罪人の座り方)は痺れて立ち上がれなくなるから謀反防止になると踏んだ徳川家光が危座(正座)しろって言い出したんだよ 大政奉還のお話を聴いていたのは大名の代理人が多かったんだけど、慶喜自身も正座している
江戸時代は将軍自身も正座
室町時代にも正座する者は武士、庶民にかかわらずあったというし、昔のことはよくはわからないものだ
正座という言葉が使われたのは明治以降だという 富山では正座することは「ちんちんかく」
ちんちんは鎮座
かくは胡坐をかくのかくだな 大政奉還の図として有名な絵だが、実際には在京の藩の多くもない代表者が二条城に参集
大名ではないのだから黒紋付の普通の衣服だろう
地味で実務的な事務打ち合わせという感じ
あの絵は大げさに格好よく描いている
絵にある大名の長袴は、走ったりできないように、乱暴を働きにくいようにということだそうで 学生が反抗できないように制服と校則もうけるみたいな 西洋で胡椒が高かったけど前近代・日本では胡椒は高かったの? 江戸時代、支那の船で年間数トンを輸入していた
(オランダ船で数十トンという記録もある)
輸入胡椒を撒いてみたが、熱を加えて発芽阻害されていたのでダメ
それでも意地になって高野山でいっぺんに三石を蒔いてみたら、ようやく二本だけ芽が出た
国産胡椒の元である
その後は新着の唐辛子のほうが幅広く使われた 胡坐あぐらでも足が痛い。
低くても椅子がないと座れん。
ゴーンも参っただろう。
拘置所では和机を椅子代わりにしたのかも。 胡椒は時代や地域で指す対象が変わってくるから
歴史的な話をするときは黒胡椒と言った方がよいかもね >>916
歴代将軍の肖像画は胡坐で描かれている
有名な徳川慶喜の衣冠束帯姿の写真も胡坐姿
だから将軍は正座というわけでもないようだ
ただし正装ではない姿(冠なし)のときは正座している写真も中にはある >>916
正座と呼ばれるまでは危座と呼ばれて罪人の座りかただったんじゃ
将軍が正座するとは思えない
家臣にさせることはあっても >>916
徳川慶喜より後なら分かるけど
江戸時代の将軍みんな正座って乱暴すぎない 殿様の脇に控えている侍が狼藉物を切る剣な居合の型は
正座した状態から切るのが基本だな 跪坐即咎人とする者如何為らん
埴輪、古代佛像の頃より此座方見受けらる
古来、武士は儀禮として蹲踞、跪坐すなり
戰國期乃「日本諸事要録」にも此の座法記述有り
亦江戸幕府、小笠原流禮法を採りかしこまつて座す法を廣めたる有り
元禄、享保よりは多くの國民に廣まりたるとぞ 江戸時代の料理書なんか見ると
幕末にかけて少なくなりつつも、黒コショウは比較的普通に使ってるんだよな
どうも明治初期にコショウ使用の断絶があって
これは洋食との差別化のために、和食ではコショウの使用を控える風潮があったのではないかと >>916
今の定説だと、武士は正座してないし女性でもあぐらだったというのが主流みたいだよ
正座してる絵とかは、正座するようになった江戸後期以降に書き換えられたものとされてる
テレビでも良くやってたしググれば出てくるよ >>930
おもしろい
話ズレるけど、胡椒、胡瓜、胡麻、胡桃、胡座、これらの言葉に使われる「胡」という漢字は古代中国北方民族の地を指すらしい
国交間で何かあったりした可能性もあるのかな>断絶 >>932
西の方から異民族を介してやってきた物だから、異民族をバカにして呼ぶ胡を付けている
中華からみれば周囲はみんな蛮族 そういう話してるんじゃないと思う
急に断絶した理由について話してるんだと思う
>>916
江戸の始めは座布団なかったってよ
あっても病人用のものだったって そりゃ昔は立膝、胡坐こそ主流だが、文献からしてそれが100%だったのではないということ
座布団はなくても畳があればおk
板の間でも地面でもやるときゃやってた 木綿の国内自給がやっと江戸時代中期だから
元禄の頃にはまだ座布団はないだろう。
元禄は畳が普及しつつある頃だから当然正座はもっとあとの時代だろう。 座布団がなければ正座ができないというのは、あまりに現代的な感想 罪人の座りかたをしろって言い出したの家光だから、その頃は皆まだ抵抗あっただろうけど後々浸透していったんだろうね 神仏の前でかしこまる座り方だが
そりゃ罪人にはかしこまらせるだろうが、別に罪人だけがかしこまるもんでもない かしこまらせてるんじゃなくて
攻撃も逃げも出来ないようにしてるんだろ
ずっとズレたこと言ってる奴あたまだいじょぶか 罪人、罪人と凝り固まったことばかり言ってる方がアタマ疑われるな いつから正座が広まったのかわからんけど、
なんとなく明治くらいからじゃないかなぁ。
剣道とかみんな正座させるじゃない?
胡座は禅宗だった武士からするとそんなに抵抗は無かったはずだし… 今の定説はググったほうが早いよ
さんざんあちこちのテレビでやってるのに
なんでここ自分の考えしか信じないみたいな奴ばっかなの
しかもスレチ ★つま先の関節変形、江戸時代から急増・正座の普及が影響か
つま先をたびたび強く内側に曲げるため起きた関節の変形例が江戸時代から急増し、
明治時代以降に一層多くなっていたことが、国立科学博物館の坂上和弘研究員(人類学)の
調査で分かった。
坂上研究員は「正座が江戸時代に庶民に普及し、明治以降は学校教育で一般化したのと
符合する。立ち上がる時、つま先を強く曲げたためではないか」と話している。
同博物館などが所蔵する各時代の人骨のうち、足の親指の中足骨を約800例調査。
指とつながる関節面が内側に伸びる変形が、縄文人と弥生人は6%程度だったが、
古墳時代は13%と増え始め、鎌倉時代は20%、江戸時代は40%と急増。
明治から戦前までは46%とさらに増えていた。
江戸時代までは男女差がないが、明治以降は女性がやや多く、正座する機会が多かったためだ
とみられる。古墳―鎌倉時代は身分制度や仏教の普及で、貴人や僧侶らに平伏する機会が
増えたためらしい。
日経新聞 http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070106STXKF026205012007.html 支那も紀元前あたりだと板敷きに正座する描写があるな
その後はすっかり椅子、テーブル、ベッドの生活になっているが 自分専用の箱膳に食器、箸を格納
昔の人は食器や箸を共用するのは抵抗あっただろうな
現代では、専用・共用は各家庭によって違うんだろ 大家族だと、あんまり個人専用の食器とはならない気がする。
ソースは俺と嫁。
それぞれ10人以上の大家族で育った。 >>765
古代中国の戦闘では馬車が戦いに使われていたけど、日本では導入されなかった
だから車輪の普及が日本では浸透するのが遅れたのだろう
https://youtu.be/6c0SpAU0vHk?t=755
>>932
不老不死の仙薬探しに奔走していた秦の始皇帝に仙人からだという予言書が届き、
その中に「秦を滅ぼすものは胡なり」という文面があったものだから、
始皇帝が蒙恬将軍に命じて北方の異民族の胡(匈奴)を討伐させ、万里の長城を築いた
でも秦を滅ぼしたのは始皇帝の跡を継いだ二世皇帝の胡亥の「胡」だったというオチが有名。 ペルシャの素敵な陶芸品とかシルクロード通って来たんだよね? >>956
西方渡来のクリスタルガラスの鉢などが中国で出土するが、ガラスの成分が溶け出てしまって土と変わらない外観になっている
ただ、日本の正倉院に保管されてきたものだけがクリスタルの輝きを保っている 匈奴の領域が広がって中国大陸の北と西域を支配するにつれ、
胡人の範囲も広がって中国大陸より西の地域に住む人間は概して胡人になったのだろう >>907
日本はなぜか椅子が普及しなかったからなあ
せいぜい床几くらいだ
現在のプロ将棋で、椅子を導入するか座布団に座ったままかで論争になっている え、戦場に出たら基地のような所で折り畳み椅子みたいなのに座ってたじゃん… 奈良時代には中国の真似をしなければと言うので天皇も服装から椅子、寝台まで中国風にしていた
聖武天皇の使った寝台が残っている
けれどのちには皇族、貴族の生活から椅子もベッドもなくなった
中国の宮殿や家屋は今に至るまで床を張っていないが、日本は床にあがって敷物や畳にどっかと座りこむ生活になった >>961
ああいうところは地べただからな
その基地みたいなところは大将が居るまわりに幔幕を張り巡らせる
あれは「幕府」と言うんだよ 日本人も昔っから椅子の生活をするべきだった、なぜしなかったんだぁ
正座やめろぉ
こういう書き込みばかり続いて、引っ込まないからだ https://www.recordchina.co.jp/b35534-s0-c60-d0000.html
この記事では、椅子は唐の時代に伝わり、次第に普及していったとしている
でも三国志の時代から日常生活でも、背もたれはないが椅子に座って談笑する文化はあったことがドラマでもわかる
https://youtu.be/tf4ZEeQ6P1E?t=1250 話し、元に戻すよ。
江戸時代、料理書がたくさん発行されたが、著者はどのようなヒトで、読者はどのようなヒトだったのか?
江戸(京都、大阪)町民という回答にはボクにはモヤモヤして納得していない。
藩や高家旗本などは専門の料理人がいたわけだろ。その人たちが武士階級か町人かボクは知らないが、
著者・読者ってそういう料理人なんじゃないかと想像している。
江戸後期になると著名料亭が現れ、名物料理を供するようになる。そこでの料理人は町人だろうが、
藩や高家旗本は宴会時はそういうところから仕出しをとっていたのかな?
ペリーの饗宴の時は幕府は仕出しを発注していたしね。百川。 『武士の献立』2013年の日本映画
実在の包丁侍、舟木伝内とその家族を描いたヒューマンドラマ
包丁侍とは、剣術ではなく料理で将軍家や大名家に仕える武士を揶揄する呼び名
足軽に近い低い身分であるが、対外的に「饗応料理]をつくり藩の威信を示す重要な働きをする
舟木伝内は幕府料理人に師事したのち加賀藩の料理人となり活躍
優れたレシピ集を著した人物である >>909
チベット人やモンゴル人は、煎って粉にした麦や蕎麦の粉を塩入りミルクティーに振り込んで軽く捏ねて一食としてたりするけどな。 それは主食としてのミルクティーが最初から存在している
日本では主食としてのメシが先ずあるだけで茶が普及していなかった時代
同じようには行かないものだて >>918
浅野内匠頭は松の廊下で長袴でなかったの? >>931
和服で女性が胡坐?
今のと同じ長い裾のヤツだと着崩れてしまうし、大原女や茶摘娘みたいな膝が見えてるような丈だとエッチな部分が丸見えになってしまうし、どうするんよ? >>938
絹や麻を座布団にしてはならない法でもあるんかいな
昔にそういうものがあったかどうか知らんけど、両面が藺草のゴザで中にクッション詰めた座布団、近所のホームセンターで売ってたよ。
瀬戸内海域にいくつもある綱敷天満宮、由緒は、太宰府に赴任する菅公が立ち寄って休憩した際に、船のトモ綱にする綱を巻いて板の間に敷いて畳の代わりにしたというのが多いけど
畳が普及していなくても貴人を板の間に直で座らせるわけにはいかないという発想はあったんだよな? >>975
あの日は天皇からの勅使を迎えるために、饗応役としてあの格好だったんじゃなかったか?
確か綱吉の母親が官位を下される晴れの日だった筈。
そこで一方的な刃傷沙汰とか、そりゃ切腹申し付けられるわな。 >>976
将棋の女流棋士も和服で対局するときは袴だな
タイトル就位式のイベントでは振り袖
振り袖だと胡座しにくいのだろう
囲碁は椅子対局なので、対局でも振り袖着られる www4.plala.or.jp/bakumatsu/kyou/2/022564-katamoribyoki.htm
実は長袴は、一橋慶喜・松平春嶽の文久の幕政改革で服装の簡素化のために一時廃止されたが、
慶喜と春嶽が幕閣から立ち去ると復旧した
慶喜が将軍になって欧米外国公使らと会談する時には、慶喜や幕閣は長袴を着用していたとイギリス人の外交官が述べている
http://gootjapan.miyatohru.com/entry/mitford2 飯のスレで座り方とかどうでもいいだろ!
そんなことより晩飯の話をするんだよ! 明かりがないも同然だからろくな晩飯なんか作れるものか
日の暮れる前に掻き込んで藁にくるまって寝るだけ。 日の出前から起きて日の出とともに野良へ出る
今の午前11時頃に朝昼兼用の食事
午後4時頃には野良を切り上げて夕食
灯りを取ると言っても菜種油が安く手に入るのは江戸の後期になってから
鰯の油で灯りを取ったが、これは臭くてしょうがなかった
早々に寝る 農村では暖かい時期は農作業がいそがしいので
食事はパッと作れる簡単な料理で済ませ
農閑期は比較的ヒマなので料理は多少凝ったものになるそうな 炊事や暖房に薪炭がかなりの量必要ではないか
平野部で都市近郊の農村でも薪を取れるだけの林を抱えていたのだろうか てか、都市部の武家、町人も薪炭が必要だが、そんなに仕入れ先が近郊にあったのだろうか
炭は炭屋があっただろうが、薪を売る店もあったのか
昭和前半でも都市ガスもプロパンガスもないようなところの一般家庭は飯を炊く薪はどうしていた? >>994
江戸だと五日市が炭の供給元として有名
筏で炭を運び幕府にも納税して運んでいた 飯を炊くのが大作業で、総菜を用意する余裕なんてない。 「行徳の俎板」(馬鹿でスレているという意味)
のちのディズンー干潟あたりではバカ貝が沢山とれる
行徳あたりの家の俎板は日々バカ貝をたたき割って調理をする
俎板がバカ貝で擦れている このスレッドは1000を超えました。
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