邪馬台国畿内説を論理的に潰すスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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憎き畿内説を潰すための有意義な情報を交換しましょう >>119
王は何人もいたんだよ
小国のトップが皆「俺は王だ」と言ったので王という言葉が安くなってしまった
だから「大王」って言葉が必要になったんだよ いや中国では「王」への呼称が「大王」なんだよ
漫画キングダムでも描かれている
王の王が覇王であり天子であり皇帝だ >>123
それは後漢まで。
魏になると、倭国の王は卑弥呼が冊封される。
自称王は狗奴国だけになる。 >>123
魏志倭人伝の立場では倭の正式な王は倭王の卑彌呼一人
それと敵対して王を自称する狗奴國の男王の卑彌弓呼
他に王はいないし、大王なんていない。 倭国の次の女王として卑弥呼の係累である壹與が即位しているので、狗奴国が勝ったということはない。
再統合されたと見るべき。 そんなもんガンダムのザビ家だってやってる
御輿だろ 箸墓は4世紀末〜5世紀の墓
弥生時代の庄内式土器と古式新羅伽耶陶質土器が一緒にでているから
新羅や伽耶が建国された4世紀中頃はまだ日本は弥生時代だった。
九州説の学者は元々纏向遺跡は4世紀半ばの物としていたが、畿内説の学者は、箸墓を卑弥呼の墓にすべく年代を捏造し続けてきた
しかし、箸墓周濠出土の鐙は5世紀のものであるから、これでも箸墓を卑弥呼の墓にする基地は不可能である 畿内説は文科省推薦
畿内説にばかり予算を回すから、補助金ほしさに多くの学者が畿内説を取っている。 九州説伊都説で確定
久留米説や宮崎説は相当追いつめられているようだね 距離や時間の間違いや誇張はまあありうるが
さすがに方角の間違いはありえんよ
仮に奈良に邪馬台国があったなら狗奴国は海の中だよ
狗奴国人は半魚人か何かだったのかね? 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
6ZR2X >>99
九州説のいう「鉄」も「絹」も「漢鏡」も、出るのは
紀元前から1,2世紀までで、「弥生時代ずっと」ではない
基本的に甕棺墓からしか出ていないし、甕棺墓の時代が終わると、
ほぼまったく出なくなる
卑弥呼の時代の3世紀にはもう本当に少なくて、他の地域より少ないくらいしか出ない
これじゃあいくら九州説が主張しても
3世紀邪馬台国が九州の可能性はないね キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。 >>143
鉄と絹は21世紀までずっと出てる
驚くなよ?
各家庭にあるんじゃないかな?
漢鏡はせいぜい3、4世紀くらいまで?
そりゃそうだ
漢が2世紀に滅亡したんだからw
で、畿内に鉄や絹が普及するのは4世紀かな?
漢鏡は無し? >>144
>平原遺跡は無視ですか。
平原2号墓って知ってる?
平原1号墓とほぼ同じ大きさの方形周溝墓なんだけど
平原5号墓は知ってる?
平原1号墓と言わずに、平原遺跡と言うくらいだから、遺蹟全体の評価について語ってくれるんだよね
楽しみにしてるから、早く語ってくださいな!
早く! 九州説の人が「論理的に」とか言ったら笑われますよ? 邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。 論理的に考える。
1世紀、倭の奴国の時代、日本は、分かれて百余国からなっていた
3世紀、邪馬台国の時代、日本全体が何カ国からなっているかは明示されないものの、邪馬台国は30カ国からなっていた
(邪馬台国に属さない日本の国も、狗奴国や東の海の向こうの国、黒歯国、裸国など、たくさんあった)
5世紀、倭王武の上奏文によると、日本は東国55カ国+西国66カ国の計121カ国からなっていた
1世紀と5世紀とで日本全体の国数に大差ない以上、3世紀の日本全体の国数も大差なかったと考えるのが論理的
とすると、全体で120カ国程度の日本のうち、その4分の1しか支配してなかった邪馬台国は、日本全体からみれば地方政権にすぎない
よって、日本の中枢である畿内に邪馬台国があったはずがない 邪馬台国=30
狗奴国=31
邪馬台国に従属する日本海沿岸倭種=30
その他瀬戸内畿内など=30 >>154
>論理的に考える。
論理が破綻してるよ
>5世紀、倭王武の上奏文によると、日本は東国55カ国+西国66カ国の計121カ国
これは、上表文を盛るために、古い国数で書いただけだだよ
まあ、吉数に合わせてるっぽいところもあるけれど、「分かれて百余国」に
合わせてるんだろう
これは大体、郡くらいの大きさ
そして、使譯所通三十國は、旧国名くらいの大きさ
というか、国造レベルの大きさだ
大国主は、出雲風土記などで、「所造天下大神」と呼ばれるが、
これと同じように、それぞれの国を造ったものが、それぞれの豪族の奉蔡神であり
その家系の長が、国造と呼ばれたのだろう >>1
>憎き畿内説を潰す
この時点で負けてるやんww
畿内説は、九州説を憎いなんて思ってないよ
そもそも相手にならないし、潰そうなんて考えたこともないわ
事実上、九州説にはもうプロの研究者は一人もいないし、
潰す、潰さないの前に既に九州説は学説として「存在しない」
あとはネット上の、頭おかしい数人が、時とともに消えれば
それでおしまいだろう
ネットを見てる人でも、こんなニセスレ乱立する九州説の
狂いっぷりを見て、新たに九州説を信じるようになる人もいないし >これは、上表文を盛るために、古い国数で書いただけだだよ
それはありえないな
「分かれて百余国」に合わせるのなら、そもそも東国と西国に分けて数えるという発想は出てこない
東国と西国は、それぞれ毛人の国と夷人の国という、別人種の国という発想で分けたもので、両者をまとめて「倭」と呼ぶ発想とは根本的に違う
だから、この国数は、中国側の記述に合わせたのではなく、日本側のソースによるものだ
とすると、当時は文字がなかったんだから、倭王武が実際に征伐した体験で国の数を数えるしかない
先祖のぶんを合算したとしても、せいぜい親子孫3代が限度だろう いや、上表文を書く段階で、中華思想を学んでるから、東夷西戎北狄南蛮を意識して
割り振ってるんだと思うよ つーか、その後の奈良時代になっても、日本の国の数って、変わってないんじゃね?
>>156のいう「国造」って、「くにのみやつこ」だぞ
ウィキペディアに、9世紀の段階での国造を列挙してるけど、そこから東北、新潟の、蝦夷支配地域を除くとちょど120ぐらいだぞ
3世紀にだけ急減する理由がない 国造の前の西日本の県主から異人を除いて
万戸の国の県主をある程度まとめたのが30国だろう 対馬、壱岐から考えて、島は一国と考えてよさそう
佐渡とか、隠岐の島とか
末慮国、伊都国、奴国から考えて、水系単位といういか、平野一つで
一つの国、くらいでよさそう
奴国は筑紫国造、末慮国は末羅国造なので、国造が国の単位と見てよさそう
その点伊都国が伊都県主なのは、千余戸と小さいからというのは、まあ正しいと
判断していいんじゃないか 後漢書東夷伝にも出て来る、倭の面土国王・帥升というのは、後世の筑志米多国造のことだと言われてる
だとすると、「面土」=「米多」ならば、「倭」=「筑志」=「筑紫」のことだと考えるのが理にかなってる 大前提:「倭の面土国王」=「筑志米多国造」
小前提:「面土」=「米多」
結論:「倭」=「筑志」=「筑紫」
まあ、すべての三段論法に言えることだが、大前提が誤りならば結論も誤りとなる >>168
だとしても論理的であることには違いあるまい
いちおうググれば出て来る程度のソースはあるが、そこは、論理的であるかどうかとは関係ない話だ 事実→論理→で構成するのが、論理
仮定から出発したら、結論も仮定 >>169
九州説の論理についての認識がその程度で笑えた >>170
いや、どっちも論理だ
たとえば神学なんてのは「神は存在する」という妄想を大前提に、そこから論理を積み重ねて構成した学問だ
前提が妄想な学問は世の中いくらでも存在する むしろ、「事実」だと確定的に言えるものなんて、世の中、そうそう存在しない
デカルトはそれで悩み抜いた上で、「そうやって悩む自分自身は確実に存在する」ということを発見して「我思う故に我あり」と言っている
「事実」なんてものを持ち出した時点で、それは妄想だよ >>167
「面土」が正しいのか??って問題も入ってるよ
そのぶん論理的に弱くなってくわけ >>175
いや、「論理的」ってのは強いとか弱いとかいう話じゃないから
「論理」にすることによって、そうやって反論の対象が明確になるんだよ むしろ、怪しげな根拠からあたかも理に叶った結論が出るように論じた行為そのものが
「論理的じゃない」んじゃないの? >>177
「論理的じゃない」というのと「結論が正しい・まちがってる」の問題を混同してる >>176
論理的になってないのが問題なんだよ
「倭国王」でも「回土国王」でもなくて「面土国王」だって選択がインプリシットに入り込んでるでしょ?
つまり、論理的に欠陥がある >>179
三段論法の典型例である「人間は死ぬ」「ソクラテスは人間だ」「ソクラテスは死ぬ」にも同じことが言えるじゃん
最初の「人間は死ぬ」に、人間であるソクラテスが死ぬことがインプリシットに入り込んでる
論理というのはそういうものであって、それが、論理的ではないという理由にはならない >>174
事実から目を背ける九州説が
論理的に潰れてるってことで
FA? >>183
論理的に、の一言を除けば完全同意なんだが、そこがまさに、このスレの本筋なんだけどな >>182
”最初の「人間は死ぬ」に、人間であるソクラテスが死ぬことがインプリシットに入り込んでる”
を、論理的に立証してくれるかな? >>185
このスレは、宗教がかった、信じるものは救われる的な九州説を叩くために、論理的に説明させるスレだろ?
相手が論理的でないのなら、叩けないじゃん >>186
それを立証することでなにを叩くつもりなんだ?
無意味だろ >>189
それは九州説の大前提だろ
それじゃ宗教合戦になるから、論理的に説明させたうえで叩くんだろ >>188
それを立証できないことで>>182の間違いが立証される
これ、意味がない?
ならば>>182の発言に意味がない もういいよ。九州説のやつらは本当に頑固なんだな
好きなだけ宗教戦争やってろ >>190
いや、論理的に説明する意思がない、と言う姿勢自体を叩けるよ
宗教合戦にはならない 九州説側が、根拠を提示する意思がない、ということも
彼らが論理的でないことの照明にならんかい? あー、自滅したのかw
>>163を最初に見たときは、畿内説のやつ、うまいトラップを思いついたなと思ったんだが
まさか、畿内説の内紛になるとはな >>194
九州説の不都合な事実を照らしちゃうわけですな?
善哉 議論ができるってのは良いことだよ
九州説は会話ができないから しかし残念だったな。
>>163を仕掛けたやつは、九州説のやつらがホルホルして同意レスを書き連ねたあとで、
「ばーか、倭面土はヤマトって読むんだよ」
ってやるつもりだったんだろうな。
それ見たかったなあ… つまり邪馬台国は熊本城が建てられた所にあったわけですね。 >>163
>「面土」=「米多」
これは、音が通じるから理解できるけれど
>「倭」=「筑志」=「筑紫」
「筑志」=「筑紫」は単に表記法の違いだけれど
「倭」は、筑紫とは読めないだろう
「倭」はもっと広い概念だよ >>199
でも、帥升は倭面土國王で、筑志米多国造の祖でいいと思うよ
米多郷は、吉野ヶ里の近くの地名で、そこに国造クラスの勢力が弥生時代から
いたと認めていいと思う
そして、そこに国があれば、魏志倭人伝の末慮国からの「東南陸行五百里」に合う
後漢代の、「末慮国に上陸してから目指す国への旅程」が、
魏代には使われなくなっていて、「伊都国への旅程」と間違われたのだと思う >>206
>吉野ヶ里はどうすんの?
どうすんの?とは?
ただ普通に、米多国造の祖の集落ってことでいいんじゃないの? まあ、九州説がメタメタなのはそのとおりとして、
吉野ヶ里あたりの地域集団が、ひと頃は「米多國」と呼ばれたことは認めていいし、
それが大陸の人に音訳されれば「面土」と書かれる蓋然性はそれなりに高いと思う
何より、末慮国に上陸する「理由」が、松浦川沿いに佐賀へ抜けるルートを
取るため以外には見出しがたい
末慮国から伊都国へ陸行するには海岸沿いを行くしかないが、
それなら陸行せずに、そのまま船で行った方がよい、というより
末慮国に寄らずにそのまま伊都国に船を着ける方が合理的だ わざわざ上陸してそんなに内陸まで入るのなら、伊都が女王の都なんだよな? >>209
今の伊都国の比定地は考古学的事実による
所が多いから
文献と地図だけで考えても答は出らんよ >>209
>吉野ヶ里あたりの地域集団が、ひと頃は「米多國」と呼ばれたことは認めていいし、
なんで? >>212
>なんで?
筑紫米多國造が、先代旧事本紀の國造本紀に載っている
國造を名乗る程度の豪族がいたのは認めていいし、その位置が
吉野ヶ里のすぐそばだから、米多國造一族の、一時期の中心集落が
吉野ヶ里遺跡だったことは十分な蓋然性がある
ただ、それと、倭国王帥升が、倭面土国王とした場合に
面土=米多としてよいかどうかは別問題 >>213
吉野ヶ里は、全国でも珍しいくらい防衛に頑張ってる環濠集落で、墓域まで環濠内に作るくらいでしょ?
つまり周りは敵ばかりだったんじゃないの?
となりの郡が同じ国かどうか、ちゃんと分析が要るんじゃないの? >>214
>つまり周りは敵ばかりだったんじゃないの?
「周り」をどれくらいの距離と見るか、だよね
逆茂木つき環濠による防御の相手は、福岡平野の奴国とかだとおもう
環濠集落は、あくまで居住地であって、田畑はその外側に広がっている
諸富津という地名が、吉野ヶ里の港だと想定されているくらいだから、
米多郷は吉野ヶ里の勢力範囲の地名で問題ないと思う >>214
>墓域まで環濠内に作るくらいでしょ?
墓域を環濠内に作ったというより、墓域までを囲む環濠を作ったっていう方が正しい
環濠内に計画的に墓域を配置したのではなく、先に墓域があってその外側まで環濠を伸ばしている 2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています