日米修好通商条約「不平等条約の悪化と、改正の遅れ」

これは不平等条約と云われるが、関税率については有利な条約だった。
(長州と「長州を手なずけた植民地王イギリス」の主導で通商条約が締結されていたら、
もっと悲惨な条約となっただろう)

しかし、
せっかく幕府が締結した有利な関税率も、
「愚かな長州の攘夷・愚行(下関戦争・馬関戦争)」のせいで、
イギリスに有利な関税率に改訂され、日本の綿織物産業は大打撃を受けてしまった。

そもそも幕末時に長州政権だったら軍事力によって植民地化される危機を日本は迎えていた。

しかも、
せっかく幕府が1872年(明治5年)には条約を改正できる条項を締結していた(第13条)のに、
能力がなかった明治政府は、交渉の延期を自ら願い、1876年から話し合いを始める堕落っぷり。

不平等条約改正は、明治政府が遅らせてしまった失態だった。