邪馬台国畿内説を批判するスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。 鉄器があるのに鉄器を渡さずに木器で土木作業させたら
不当労働を強制したということで訴えられないの? 滋賀県彦根市稲枝大村剛志は組織犯罪に関与している
滋賀県彦根市稲枝前田高志は組織犯罪に関与している
滋賀県彦根市稲里かみへる高橋秀和は組織犯罪に関与している
最低な奴ら
消えうせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
あーすっきりした 畿内説のパターン
・どうせ魏志倭人伝なんて解読出来ないから言いたい放題だぁ! と思って妄想しまくる
↓
・それが解読されちゃう
↓
・畿内説メッチャ困っちゃう
↓
・ジイさん疑似科学に走る ←イマココ >>337
疑似科学の特徴のひとつである陰謀説が古田の口癖だったのすら忘れてるのか、痴ほう症が進みすぎてあわれだな 畿内説はもう歴史学から手を引いたらいい。
過去のことは全て見ることができないのだから。 少なくとも八咫鏡ガーとか鳥居ガーなどとは主張しないな
見ることができないものだからな >>343
伊勢の神宝を見ることはできなくても、それを見た人の記録は見ることができる。
そこに描かれた特徴は、平原遺跡のものと一致する。 >>346
本当に見てるか怪しいし、特徴があってるってのも思い込みかもしれないだろ
古代末から中世にかけて「八葉」がどういう意味で使われていたのか調べてみればw 頭の良い人は気づいている
『高野氏 出雲』
あのサルタ(猿田、仮名)の話とか >古事記・天孫降臨条に
>「僕は、国つ神、名は猿田毘古神ぞ。出で居る所以は、
>天つ神御子天降り座すと聞きつるが故に、御前に仕へ奉らむとて、
>参ひ向へて侍り、とまをしき。其の猿田毘古神、阿耶訶(あざか)に坐しし時に、
>漁(すなどり)為て、ひらぶ貝に其の手を咋ひ合さえて、海塩に沈み溺れき」と見ゆ。
>延喜式に伊勢国壱志郡に阿邪加神社(松坂市阿坂町)を載す。
>古代阿射賀国で猿田彦神を奉じた海洋民の居住地なり。
>神代に渡来した猿田彦は別名国底立神とある。
>神代初代国常立尊の別名で、二代が豊国主尊である。
>豊国とは朝鮮僧を豊国僧と呼び、国常立尊(猿田彦)・豊国主尊の父子は豊国(朝鮮)の海部族である。
>また、一説に猿田彦は出雲国秋鹿郡許曽志神社(松江市古曽志町)が生地であると伝承あり。
>最初に上陸したのは出雲国で、猿田彦とは代々の海部族首領の名である。
>出雲国に猿田彦を祭神とした赤秦社が多く鎮座す。
>猿の尻は赤いので赤秦と称すが、その実は、百済系祭神を赤と称し、新羅系祭神を白と称す。 【八咫鏡】
平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。
伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。 「八葉」が「八葉座」のことだってのが無知からくる思い込みなんだがなw ttps://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51600414.html 八葉は鈕座を示しているわけではないというツッコミかな?
だとすると八頭花崎が鈕座を示して八葉が内行花文のことになる。
どっちにしても、そんな内行花文鏡は平原遺跡の鏡だけ。
平原遺跡の内行花文鏡が八咫の鏡だという結論はかわらない。 ご託を並べる前にググってから、訳してみたらどう?
例の文章のどこにも鈕座だとは明記されてないよー マジレスすると天岩戸神話は皆既日食の象徴だろう
面白いのはこの天岩戸自体も神になってるんだよね
そして岩戸を開けた天手力雄神は相撲のルーツとか
実は九州でしかあの時代に皆既日食は起こっていない
岩戸隠れの年代つまり皆既日食は時代を遡って天体軌道計算で証明されてる 八頭花崎と八葉形じゃなくて八頭花崎八葉形なんだな
それで初めて円外日天八座が理解できる
曼荼羅なんだな 反論できないから小出しにしてそれらしく思わせているだけ。 伊都国から八咫の鏡が出ると畿内説がツムツム
だって倭国の都が伊都に決まってしまうから、女王がいたのも伊都になる。 検索能力のないチェリーピッカーが虚勢を張ってるだけか 平原鏡=八咫の鏡が完全に崩壊してるのに確認すらできない哀れな老人 >>376
都合が悪い割注も無視を決め込んでるしな
結局結論先にありきでまともに史料を分析してない なにがどうしたら、そんなことが確定するだ?
かなり病的だな >>388
古代から中世における「八葉」の用例を調べればわかる 中世の宗教書の内容を引用するのに際して
当時の用語の意味を検討してないとか
学界で相手にされないのも無理はないな >>390の目の前にあるのはただの箱らしい
あるいは掌のなかにあるのはただのカマボコ板らしい 学問の探究者=ヒントから自分で調べる
勘違い傲慢爺=自分で調べることもせず罵倒 自分で調べずに他人に責任転嫁…
さぞかし顰蹙を買ってきたのでしょう
周囲の方にご同情申し上げる ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 八葉≠八葉座確 と確定したんだろ、
だったら、そう主張したほうが根拠だせよ。
論拠を提示せず、自分で調べろとな? >>399
ほったらかしのスレを埋めようとする相手を罵倒するのも異常だな >>401
そもそも八葉=八葉座になんの根拠もないし >>401
話をすり替えるなカス
八葉≠八葉座 と確定したなら、
それを証明して見せろよ。 八頭花崎八葉形でひとつの文章なんだよ
それが理解できないアホにいくら説いても無駄だもんね 伊勢神道だと天照は大日だったけか
さもありなんだな >>392
咫は頭の古語っていう割注すら気が付いてなかったくらいだし 卑弥呼や倭の五王は畿内に実在した
これは考古学的に堅い
どういう関係かは今となってはわからないが、
分家の応神が九州から乗っ取り今の天皇家の基礎を築いた
邪馬台国東遷ではなく大和朝廷東遷が正しく要するに神武天皇とは
応神の東征を過去に投影しただけ
九州から大和を確かに征服した確かなと見ていい史実であり
これが建国神話に反映していないというのも無理
要するに神武とは応神のこと
五王の畿内王権はほぼ考古学的に裏とれている
卑弥呼の頃の邪馬台国が九州にありそれが出雲飛ばして
畿内を制圧すんのは無理あるし
九州から畿内の征服がないのも馬鹿げている
神武の東征が必要なくなる
東征はあった
応神の時に
明確な九州による東方征服 >>406
反論はもっと体系的にしないと相手に伝わらない。 >>415
応神は卑弥呼より後だよ。
それと3世紀の畿内に九州に対抗する国力はない。
3世紀より後に九州が畿内を征服しただけ。 鈕座が8葉の内行花文鏡が平原遺跡の鏡しか見つかっていないんでしょ?
だったら現状では八咫の鏡の可能性が一番高いでしょ。
そして、伊都国が倭国の都。 >>419
だから、反論はもっと体系的にしないと相手に伝わらない 畿内厨はバカだから文章がかけないので、単語を並べるだけ。
八咫鏡の模様は、マンダラなんだぞ、とでも言いたいのか??
それだと単に可能性の一つを提示しただけだな。 八葉が八葉座だっていうのもひとつの可能性
御鎮座伝記には八葉が八葉座のことだなんてどこにも書かれていない
しかも円外日天八座を説明不能
八葉が宗教書に書かれているということを直視すると
八葉が仏教用語だと理解でき
円外日天八座の意味も理解できる
いかれ頭には理解できないだろうが >>417
古い年代観のもとでの3世紀だろ、その辺は今は1か2世紀あたりのこと
残念だね >>417
九州土人のコンプレックスいい加減にしてね >>422
円外日天八座の鏡があるなら見せてくれ。
そもそも仏教伝来より前のはずだろ。
もし八咫の鏡に仏教の要素があるなら、それは後世の作になってしまう。 >>425
漢から冊封された王墓があるのは、九州北部だけなんだが。 >>426
そんな鏡はないな
もちろん平原の鏡にも該当する部分はない
つまり、御鎮座伝記に記される八咫鏡は、当時の宗教観によって観念された、想像の鏡だってことさ
で、八葉が何かは調べたのかい? はち よう −えふ [0] 【八葉】
@
八枚の葉,または紙。
A
八枚の花弁,特に蓮の花弁の形。また,一つの円を中心に周囲に八つの円を配した文様。
で?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています