歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ39 [無断転載禁止]©2ch.net
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スレを落とすにゃ造作もないわ 質問のひとつもせねばよい 1879年3月27日に軍隊を動員して琉球王国(現在の沖縄)を武力併合した日本政府に「沖縄は日本固有の領土」と言う資格はない。 江戸時代に京都で大火が起きたときに住民の避難とか
鎮火直後の炊き出しとか復興策とかの責任者って誰だったんですか
初期は所司代で町奉行に変わって、幕末は守護職? 元号の真実
「明治」はくじ引きで決定?「昭和」は予定外?
https://news.infoseek.co.jp/article/businessjournal_343561/
そもそも元号とはなんだろうか? 通説では、紀元前115年頃の古代中国、
前漢の武帝が「建元」という元号を定めたのが始まりとされる。
発案者の名は詳らかでないが、権力者がその治世を記号的に表すというアイデアは、
当時の中国の影響下にあった周辺地域へと広まり、それぞれの王朝が独自の年号を
用いるようになっていった。
元号は、かつては朝鮮半島でも用いられていたし、ベトナムも使っていた時期がある。
ただ、現在は本家の中国でも元号は使われておらず、韓国やベトナムでも使用されていない。
日本は現在、世界で唯一の元号使用国ということになる。 「 固有の領土」という言葉には国際法上の定義がない。
1969年の佐藤・ニクソン会談で沖縄返還が決まり、その翌年の1970年ごろから、「さあ今度は南クリル諸島を返してもらう番だ。南クリル諸島は我が国固有の領土」と、日本政府が言い出したあたりから「固有の領土」という言葉が使われ始めた。
この「固有の領土」という言葉は日本政府がナショナリズムの扇動、あるいはプロパガンダとして使用しているにすぎず、そもそもこの言葉は日本政府が考えた造語である。
造語であるから当然のことながら、この「固有の領土」という言葉は辞書にも載っていないし、事典サイトで検索してもヒットしない。
「固有の領土」という言葉には国際法上の定義がないことから世界的には通用しないものであり、ナショナリズムの扇動、あるいはプロパガンダに用いるために日本政府が考え出した造語であるというのが正解。
日本政府がなぜ1970年ごろから「南クリル諸島は我が国固有の領土」と言い始めたかというと、共産主義国のソ連には遠慮する必要がなかったから。
沖縄の施政権がアメリカにあった1950年代から1960年代にかけて日本政府はアメリカに対して遠慮があったから「沖縄は我が国固有の領土」とは一度も主張しなかった。 これらの長文を読んでもわかるように、群馬県はグンマー国を明治政府が武力で併合したものであり、日本固有の領土とはいえない。 江戸時代の奉公人や職人階級は所得税がないのなら、農民と比べて
不公平じゃないか?
農民が不満持たなかったんだろうか? >>12
職人になるまでの修行期間は収入0だぞ。飯は親方が食わせてくれるけど羨ましいか? >>3>>5
意味不明。
>>4
中央の意思に従わない地方を制圧しただけ。
固有の領土云々とは何の関係も無い。
幕領や奥羽が日本固有の領土であるのと同じこと。
>>6
市政の担当者は町奉行。
>>7
最初の元号を建元と言ってる時点で読む価値の低い記事と知れる。
>>8
沖縄、琉球などは、奄美、先島、北山、南山、中山といった各地域から見て、なんら意味の無い名辞だ。
つまらない文学的議論はよそでしてくれ。
>>13
戸主以外は収入0だぞ。飯は戸主が食わせてくれるけど羨ましいか? 歴史上の偉人などを考えた時、高い身分の為政者が知名度低くて、
その腹心や参謀の方が有名なケースがあります
また逆に、それなりに有名な腹心や参謀がいても、それらの上に立つ
為政者がもっと有名なケースもあります
こういうのはどういう状況、内容によって決まってくるのでしょうか?
また現代社会では、為政者よりも腹心や参謀、(またはフィクサー)の方が
有名になるケースってあまりない気がしますが、如何でしょうか? >>12
税の字にノギ偏があるように、検地、検見をして稲の収量を計り、一定の税率を掛けて年貢を取っていた
一定の合理性が認められるやり方だ
それに比べて商工業者の所得は為政者が計れなかった
近代のように一定の簿記を義務付けて提出させるわけでもなし
なるほどと思わせる計算式での課税ができなかった
それでも免許料のようにして冥加金を納めさせたり、どんぶり勘定で運上金を課す事はやっていた
米こそが人の生活の基礎、その他の商工業はおまけのように米にぶら下がっているだけだと自他に言い聞かせ、
年貢を納める本百姓こそが天下の屋台骨を支えていると認識させていたのだ
(実態とは異なるところに体制の矛盾があったのだけれど) >>15
まったくケースバイケースですね。
江戸時代の将軍でいえば、将軍家治のもとでの老中田沼意次のほうが重要な人物でした。
殿様が有力な部下に執政を任せるケースというのはこの時代には多くなっていましたが、
反対に殿様がリーダーシップを発揮するケース、徳川吉宗の場合、もあるわけで、
<殿様の個性や組織の性格によるというしかありません。>
日本でもわりと最近まで、首相よりも自民党内の党内序列の高い実力者がいて、
「闇将軍」とか「金竹小」とかいわれてました。
二重権力とか責任の所在が不明などの批判が続いたことで、
小泉政権の時代に官邸機能の強化が行われて、以降は首相の権力が強調されるようになりました。 >>14
おいおい、>>4の時以前(というか併合令以前か)に琉球が「法的に」日本の領土だった時代なんてないだろ
住民は(王家も含む)民族系統として日本人だけどさ >>14
>戸主以外は収入0だぞ。飯は戸主が食わせてくれるけど羨ましいか?
いや、農家は戸主以外も女子供老人皆労働者だろw
律令制度では男のほうが税負担が重かったので
奈良時代の戸籍は性別を偽る例(異様に女が多い)が後を絶たなかったのを知らないのかw >>14
琉球王国は日本の地方ではなく日本の統治権が及ばない独立国だった。
日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)にも「独立国だった琉球王国」「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書かれている。
だから日本政府(安倍内閣)の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 尖閣諸島はもともと無主の地だったから、日本政府が新たに領土として自国に編入する際は官報に公示して国民に知らせる必要がある。
ところが、日本政府は1895年1月14日に、尖閣諸島を沖縄県に編入し自国の領土とすることを閣議決定したにもかかわらず、その事実を官報に公示せず日本国民に知らせなかった。
それだけでなく、なんと57年後の1952年まで公表しなかった。
日本政府が尖閣諸島の自国への編入を官報に公示しなかったのは、この閣議決定が日清戦争の最中に行われたからである。
つまり、日本が戦争のどさくさに紛れて尖閣諸島を奪ったと見られる恐れがあり、その閣議決定は日本政府にとって秘密にしなければならなかった。
この秘密決定が 国際社会に知られると日本政府にとって都合が悪かったからなのは言うまでもない。
多くの日本国民は1895年1月14日の閣議決定から1952年までの57年間、尖閣諸島の存在を知らなかったし、国会議員でさえも尖閣諸島の存在を知らない人が何人もいたというのが実情である。 オランダ風説書があったのに海外の事情に幕府が精通してないっておかしくないですか?
アヘン戦争以降より詳しい世界事情を風説書に求めてたはずなのに、オランダ国王に開国を責められると幕府が無知なせいでそれを拒否したと教科書にはあります
単純に幕府が風説書を以てしても国際情勢を理解出来なかっただけなんでしょうか? >>23
>オランダ国王に開国を責められると幕府が無知なせいでそれを拒否した
開国を勧められたと書きたかったのかな。国際情勢は理解してたけど開国という重大事案の
責任を負える人物がいなかった。長く続いてきた体制を変えるのは至難の技である。
「和を以て尊しとなす」日本は江戸時代も合議制で先例主義で政治を行います。今もそうだけど。
開国を言い出して他の老中、若年寄を説得し更に将軍も説得して最後に天皇も説得して
何かあったら全責任を負わされるので、誰もやりたくありません。ギリギリまで決定を先延ばし
します。 >>24
教科書で確認すると指摘してもらった通り勧告でした
ご指摘ありがとうございます
解説も丁寧で分かりやすかったです
ありがとうございました >>23
幕府資料や海外資料の研究からは、開国方針は割りと早く決まってたようだ
最恵国待遇とかその他の問題から、最初の交渉相手はアメリカにしたいとペリー来着を待ったとか、
その前に交渉したがったロシアを最初の相手にしないために難渋してたようすとか…
諸大名を集めて意見を聞いたのは、意見を聞くという建前で開国案に全員賛成させる説得が目的。
開国することは事前に決まってた。
天皇云々は、大名たちと同様に賛同してもらうためだけの交渉で、
摂関家含め上位の公家らには根回し済みだった模様
その説得に応じず天皇が強硬に反対してスケジュールに影響しそうになったから、
やむを得ず説得を諦めただけ >>26
>家慶は何してたん
天保の改革が頓挫して水野忠邦をクビにしたりその配下だった妖怪こと鳥居耀蔵の悪事を暴いたり
結構ゴタゴタしていた。 >>23
風説書というのは本来名前のとおり外国船から海外についての噂を書きとったもの
オランダが幕府にもっと詳しく海外情報を知らせようと、通常の風説書に加えて
海外の新聞をまとめた別段風説書を自主的に用意したのは、幕府の要求ではない
と言っても年に一回なので、文章量もせいぜい壁新聞くらいだし
中国とオランダの風説書の内容が違ったり、オランダという国が一時消滅したのを
内緒にしてたのがばれたりと、オランダ国王の親書が信用されない背景はあった
さらに当時は長崎奉行がための腰掛のような役職になってて、海外に詳しくない奉行が
江戸幕府にオランダ国王の勧告にはきっと裏があると言い張った 抜けてた
×さらに当時は長崎奉行がための腰掛
〇さらに当時は長崎奉行が出世のための腰掛 >>27
アメリカがカトリックじゃなかったからじゃね?
イギリスはポルトガルと婚姻関係があるってことで忌避してたらしいね
英国教会はどっちかっていうとカトリックっぽいし >>18
ありがとうございます
戦後政治の象徴といえば自由民主党、
その自由民主党結成のフィクサー兼スポンサーと
言われる児玉誉士夫はその影響力や有力さと比較して
一般的にはあまり有名ではないですよね
この辺はなぜでしょうか? 江戸時代の(一部の)将軍よりも部下である(一部の)大老や老中、
江戸町奉行、その他の者の方が有名なケースがあるということは、
後世の人間から見て、平成時代の(一部の)首相よりも部下である
(一部の)秘書や参謀、同僚議員、野党議員の方が有名なケースがある、
ということと全く同質だと考えたらよろしいでしょうか? >>31
最初にアメリカと交渉したほうがいいと幕府に助言したのはオランダ
開国要求するんでよろしくと事前にオランダに挨拶したのはアメリカだけだし >>33
一緒ではない
将軍職は世襲であり基本、将軍本人は政治を行わない
将軍が責任者だと失政によって将軍は失職しなければならず
世襲の場合、政治を行えない幼児や障碍者が将軍になることも当然あるから
平成の首相は政治の総責任者で当然政治に参加している 基本、将軍本人は政治を行わない
↑これは本当にそうなのですか?
基本は政治をする
場合によってしないことがある、だと思ってました >>36
それは建前であって、幕閣という名前の集団指導制が徳川の政治の原理だった。
将軍綱吉や吉宗は直接政務をことこまかくみたという例はあるけど、
むしろそちらのほうが例外であって、デフォの仕組みは、殿様は決裁権だけ行使するというのが、
徳川の祖法でござる。 >>36
織田信長や豊臣秀吉は官僚制度を採り入れる前に没したために
カリスマ的当主がいなくなると政権を失ってしまった
江戸幕府が幼主でも障碍者でも揺るがなかったのは
官僚が政治を行う形態が確立していたため
将軍が世襲制である以上本人の能力は問わないので
官僚制度でないと維持できない >>34
オランダと交渉してくれと言わないあたり奥ゆかしいのかね >>36
家光綱吉吉宗あたりは親政してたイメージ
徳川が秀の字をつかわなかったのはやっぱり秀吉に屈従していた時代を思い出すからなのかね
しかし秀康はともかく秀忠はなんで将軍になっても改名しなかったんだろか
偏諱を受けた名前を変えることは既存の身分秩序を破壊する自殺行為とでも考えられていたのか
家康が義元の偏諱を受けた元康の名を変えたのは信長に気を遣ったせいか
信康と変えないことでギリギリ今川にも義理をたてたのだろか >>40
秀忠が将軍になった時点ではまだ豊臣秀頼が大坂城にいたでしょ
秀忠自身、正室の江は豊臣秀吉の養女だし
長女の千姫を秀頼の正室に差し出してたんだし
豊臣宗家が滅んだ時に家康が秀吉の墓をぶち壊したりして
既存の身分秩序なんて崩壊させたんだけど
秀忠はその後も五女の徳川和子を後水尾天皇に入内させるにあたって
和子の異父姉で九条家へ嫁いでいた豊臣完子を自身の養女にして仲介を頼むなど
豊臣家との関係は続いていたんだよね
徳川和子が養源院(浅井長政の菩提を弔い淀殿が創建。
妹の江が復興し徳川家菩提寺の一つとした)に寄進した
母・崇源院(江)の位牌があるんだが
天皇家、徳川家、豊臣家の紋が入っていて
江が豊臣家養女であったことを誇りに思っていた気配がある >>40
綱吉も基本は大老の堀田正睦や側用人の柳沢吉保に政治を任せていた
生類憐みの令が有名すぎて将軍が政治をやっていたかのような印象を与えがちだが
紀伊藩の四男坊から将軍に上り詰めた吉宗はそれまで幕政を預かっていた
新井白石や間部詮房を罷免して自ら政治をやり始めたが
跡取りの家重は障碍者であり紀伊藩から連れてきた田沼意次を側近に据えるなど
官僚政治を否定したわけではなかった それなら秀吉も五大老=雄藩、五奉行=老中で同様の体制を布いていたと言えるのでは?
ちがうのは五大老が談合すれば簡単に豊臣家を圧倒できたことだけ >>36
将軍に限らず世襲君主の基本は政治の実務を委任する体制だろ
リシュリューとか著名な宰相が多く出てるわけだ
君主みずから政治を主導する後醍醐帝みたいなのが例外
と言っても、名前を覚えるべき重要な君主に限れば
みずから政治を主導してる君主の比率は高いんだが つまり、吉宗の血統は病弱で幕府弱体のすべての原因は紀州藩にある
反論は許さない >>43
秀吉の存命中は秀吉の独裁政権だった
秀吉が五大老五奉行を置いたのは死の間際
秀頼を頂点とした官僚制度が果たして本当に機能するかどうか
実務や予行練習を実際に執り行わせる暇もないまま秀吉死亡
秀吉不在の仲で五大老五奉行にいきなり政治が丸投げされたため
「俺がまとめてやるわ」と家康が独裁政治敢行 山川出版の「詳説日本史研究」ですが、前回出たのが2008年なので、改訂版が
来年出ますよね。ということは購入は来年まで待った方がいいでしょうか?
前回の改定版はかなり新しい知見が導入されていたので、今回も内容がかなり
変わるかもしれないと思って購入を手控えています。 >>32
フィクサーはあまり歴史に大きくは残らないから >>43
実力者に権力を握らせちゃダメなのよ。名軍師太公望だって殷の討伐が済めば
東の斉に追いやられるわけだ。 >>45
つまり綱吉に子供がいなかったのも家宣家継の若死にもぜんぶ紀州藩のせいなのか >>37>>38>>40>>44
ありがとうございます
>>殿様は決裁権だけ行使するというのが、
>>徳川の祖法でござる。
これって、大日本帝国憲法下における天皇と実質同じですよね
>>将軍が世襲制である以上本人の能力は問わないので
>>官僚制度でないと維持できない
ごく一部の例外を除いて、古代以降〜敗戦までほとんどすべて君主や為政者は世襲じゃないですか?
(天皇、上皇、摂関家、源氏将軍、執権北条氏、足利将軍、徳川将軍)
つまり、ずっと官僚制度がなければ日本の統治は維持できなかったということですね?
>>将軍に限らず世襲君主の基本は政治の実務を委任する体制だろ
世襲君主の天皇が世襲為政者の将軍に実務を委任し、世襲為政者の将軍が幕閣に
実務を委任するという二重構造なのですか?
>>48
歴史上、フィクサー的な人物で名が残っているのは結構いると思われますが? >>51
>(天皇、上皇、摂関家、源氏将軍、執権北条氏、足利将軍、徳川将軍)
摂関家や北条氏は天皇や将軍に対する官僚だから違う。
天皇の外戚としての摂関家の権力が強くなりすぎて天皇の位や命さえ脅かすようになったので
天皇の実父たる上皇が実権を奪い返そうとしたのが院政だろう。 >>52
摂関家や執権北条氏が官僚とのことですが、世襲であることには違いないので、
世襲であるからには幼児、障害者が出て官僚の仕事が出来ない可能性があるということですね?
そうなると摂関家や北条氏の為の官僚機構が必要だということになるのですかね・・ 摂関の場合は徳川将軍家と同じような世襲とはちょっと違うのではないか?
将軍は子供でもお世継ぎなら将軍になれるが摂関はそれはない
よさこい 確かに明治憲法では天皇に政治責任が及ばないように設定したが
江戸時代以前に同様の観念があったのかは疑問
何せ飢饉や天災が起きれば
本来は無関係だが、君の不徳とされてしまってた時代だ その天皇というのは、どういう意味なんだ?
神代(日本の原住民)というものがあり、そこから一系?
それともユダヤ、インドの人?中華? □□力夫氏
グーグルなどで検索して、
そして写真(画像)を観てみて、何か凄くない? >>53
摂関家は例えば道長と伊周の争いを見ると必ずしも世襲ではない。世襲なら伊周が
関白になるところだが叔父である道長が台頭して関白になってしまった。 天皇が世襲であって、藤原氏はべつに世襲というわけではない。
娘を天皇の後宮に入れて、お手がつかなければ、子供ができなければ地位を失っていく。
そういうもんでしょう。 その後、惣領制が一般化してくると、
摂関家も五摂家に再編されて、天皇に后を差し出すのは摂家か清華家からという具合に、
家格が重視されるようになって、安定していった。
その頃には武家が政権を握るようになって、朝廷そのものの影も薄くなっていたけれど。 なぜ、「水戸黄門」御一行は、沖縄へ行かなかったか?
【佐藤優VS飯島勲】救国対談!飯島勲「リーダーの掟」特別編(2)
佐藤 今、沖縄では基地問題というレベルじゃなくなってきていて、日本からの分離独立を訴える人が出てきています。
時代劇の「水戸黄門」は、日本中旅行していますけど、沖縄にだけは一度も行っていないんです。
当時の沖縄の人は「この紋所が目に入らぬか」って印籠を出しても三つ葉葵の紋を知らないし、琉球空手の達人が助さん、格さんに負けるわけがないからドラマの筋が成り立たない(笑)。
これだけなら笑い話なんですが、一方で沖縄には江戸の権力、京都の朝廷、つまり天皇の権威が通じないということ、日本の政府への帰属意識がなかったという意味でもあります。
だから、基地問題で差別されているという感覚が強まると分離独立へ向かう危険性が出てくる。
実際、東シナ海のガス田を中国と分け合うような形を取れば不可能じゃない。
(プレジデント 2011年8.29号より)
上に引用したのはプレジデント2011年8月29日号での佐藤優氏と飯島勲氏の対談だが、当時の沖縄の人たちが日本政府への帰属意識がなく、沖縄には江戸の権力や京都の朝廷、
つまり天皇の権威が通じなかったことが、水戸黄門の笑い話を例に挙げて面白おかしく解説されている。
権力や権威に媚びないウチナーンチュならではの話を沖縄出身の母親を持つ佐藤優氏がユーモアたっぷりに語ってくれた。
まさに、あっぱれ! >>58
摂関は平安時代中期頃までは娘に天皇を産ませて外戚になれた者が
摂関の座に就くと言う流動的なものだった
しかし鳥羽天皇が即位した時にその外戚である藤原公実(閑院流)が
白河法皇に摂関の座を要求したのに対して
天皇の血縁関係よりも家格を重視して藤原忠実を摂関にしてから
摂関も世襲制になった 全国の耕作地が荘園と国衙領、公領に二分されて荘園の多くが藤原氏に寄進されるようになって、
財政的に藤原氏が国家規模の大勢力となった
その大勢力が制御できなくなったのが保元の乱
この影響や、のちの幕府台頭時の関与の仕方などの諸条件から、
徐々に摂関家が分裂して五摂家となり、領地が分割されたことで
摂家と朝廷の力関係が安定した
その直後には天皇家自体が分裂して領地分割するが。
つか、荘園公領制が確立するのって鎌倉時代、五摂家の分立後なんだよな 田沼意次を追いやった権力の源はどこなのか
日本は伝統的に統裁合議制をよしとする気風があることには同意するが
合議に関わる特権階級による完全なボトムアップ型の政治体制とはちがうと思う。
江戸幕府においては将軍がほとんど決裁の権限しかもっていなかったのだとしても
幕閣の人事に将軍子飼いの閣僚を配するなどして
間接的に合議を誘導することができたのではなかろうか。 そりゃもちろんそうだよ。田沼意次だって9代家重の小姓から始まって一万石の大名にまで引き立てられて、
さらに10代家治の信任を得て引き立てられたからこそ最終的には老中にまでなったんだから。
田沼を追いやったのは一橋家の徳川治済を中心とする反田沼派だそうだ。家治に男子が無かったので
治済は息子(のちの家斉)を11代将軍にすべく暗躍した。家治が重態で表に出られない間に家治の意向と
称して田沼を失脚させてしまった。 将軍は政治やってませんアピールすごいけど、家綱が政治やらなかったら「左様せい様」って揶揄されたのはなんで?
将軍は政治やらないって前提ならそんな揶揄されないんじゃ? >>68
それまでの三代はかなり口出してた
家康は全部本人が決め、秀忠も半分は決めていた
みたいな評がある 江戸時代を全部一緒くたに論ずるのがそもそも無茶だと思う 田沼意次が大奥を懐柔していたことからして
大奥にも政治的な影響力はあったと思う >>53
北条得宗家(世襲)と執権職は別物
連署は御家人ではなく北条家の家来が就いた。このことは北条氏の為の官僚機構と謂えるでしょう?
最初は権力と一体化しているが時代が下がるにつれ名分化してくるのが流れ 戦国時代の大名、武将が戦地を移動するとき、
本人はどうやって移動しましたか。
馬に乗る?→みんな馬に乗れたの?
籠に乗る?→自分で歩いたほうが楽なのでは?
秀頼みたいに関取級にでかい人は馬にも籠にも乗れないよね。 我々沖縄人が「自分は沖縄出身だから日本人ではない」と主張するのは自由であり、憲法上何の問題もない。
自分が何者であるかの自己決定権は憲法13条で保障されている幸福追求権の一部だから他者がこれを侵すことはできない。
もちろん日本政府も「我々沖縄人は日本人ではない」という我々沖縄人の自己決定権を侵害することはできない。 >>73
普通は馬だろうけど輿の人も何人かいる。籠はたぶん無い。
輿の人は今川義元、立花道雪、大谷刑部(吉継)ほか。
道雪と吉継は病などの理由で馬に乗れなかったから輿を使った。 >>72
北条氏の官僚組織といわれるのは御内人という集団で、
内管領が筆頭、平頼綱が有名だろう。
元々、北条氏もたくさんいる御家人の一人でしかなかったわけだが、
執権職を代々世襲していくうちに、得宗とか鎌倉殿とかいわれるようになっていった。
とはいえ、ほんとうは将軍の元に御家人は皆平等という意識はあり、
御家人共和主義というのかな、安達泰盛などは北条氏の独裁には反対だったため、
北条氏の直臣である御内人勢力との間に熾烈な闘争が起こった。
これが霜月騒動。 >>74
憲法に保障されているのは日本人の権利な。よって沖縄人の自己決定権を侵害できる
ちな日本国籍を離脱するには他国の国籍が必要。頑張って >>77
>ちな日本国籍を離脱するには他国の国籍が必要。頑張って
いや必要ではないだろ。単に無国籍になって誰も守ってくれないだけの事だ。 >>77
憲法で保障されているのは日本国民の権利であって日本人の権利ではない。
沖縄人は日本国民ではあるが、日本人ではないからその指摘はまったく当たらない。 >>77
沖縄荒らしに反応してんじゃねーよキチガイ >>78
外国籍所有していなくても国籍離脱手続き受け付けるのか? >>79
人種による差別ならヘイトスピーチに該当するので,やはり不可能ね
>>81
中華民国籍取得では運用として日本国籍離脱は受け付けてくれないそうだ。この盲点により謝蓮舫の日本国籍は剥奪できない状況にあります >>72
連署は北条の家臣(御内人)ではなく、
北条一門の分家が就任したぞ(得宗家当主の北条時宗が執権就任前に連署になった例外もあるが)
それから官僚機構の定義をどう考えるか
当時は完全な世襲といわぬまでも「門閥」が行政制度内で幅を利かせており、
これは公武の政権問わず存在していた
よさこい >>75
輿ですか。ありがとうございます。
ずいぶん大掛かりな乗り物ですね。悪路は通行不可なんてこともあるでしょうね。
それで輿に乗ってる間って何をして暇を潰すのでしょうか。 >輿
お金持ちと結婚したという話ではないの?
日本のテンノウだか何だか知らないけど、
お金を持っていないと言っている人がいたような
そういう家(お金持ち、資産家など)と婚姻関係を結んでいるだけだよとか 古代も同じだと言っている人がいたよ、
そういう家(今でいう、お金持ち、資産家)と婚姻関係を結んだ よくわからないけど即位?
するときの資金、費用を出している人達がいたとか書いてあるでしょ
資金や費用を集める人達も
いたのかもしれない
本当の専門家はいないの? >>53
まあ、摂関家に雇われる貴族が多くいたのは事実だが…… >>82
人種差別ではないからその指摘はまったく当たらない。 >>82
国籍法上、日本人ではなかった沖縄人に無理やり日本国籍を押し付けてきたのは当時の明治政府。
明治政府は同化政策と皇民化政策を進める一環として我々沖縄人を無理やり日本人にしようと企んだ。
1990年代の日本政府の法務省官僚の答弁によると沖縄人に日本国籍が与えられたのは旧戸籍法が施行された1899年で、それ以前は法的にいっても我々沖縄人は日本人ではなかった。
一方、我々沖縄人は自らが何者であるかを考える場合、国籍ではなく民族として考えるから常に自らを「日本人ではない」と主張している。 日本みたいな典型的な農耕社会だと、代替わりのたびにお家騒動をやるのは非常に迷惑なんで、
血統に軸足を置いて後継者を約束どおりに進めていく傾向が強いわけだよ。
そうなれば、君主に適格なものが常に現れるとはかぎらず、組織力で組織を運営していくように自然と向かう。
だから、殿様は政治のことはあまりみないで、家老任せというのが一般化していくんだよ。
ところが、何百年もその流儀で回していると、今度は家老のほうが鈍刀になっていくから、困ってしまう。
だから、江戸時代も末期ともなると、どこの藩でも家老の下に「執政」とか「参政」とかいう役職を作って
家老職を代行させるということが増えてきた。ある意味、「下克上」といえるだろうが、
家老としても、大藩であれば、何百人という家臣を持っているわけで、そいつらの生活を保障しなければいけないから、
能力がないから失職というわけにもいかないんで、不満はあっても、家禄さえもらえればいいよ、という考えで、
中堅以下の階層から執政とか参政が出てくるのを認めざるをえなかった。
江戸時代、日本の社会は、門閥と新興官僚という内部対立を抱えつつ明治維新になだれ込んでいく。 あまり賛同できない。
日本が一つの国家として成立したのには貿易利益の公平な分配と
海外の脅威に対する挙国一致した抵抗が背景にある。
92の立論はあくまで江戸時代という特殊な状況にのみ当てはまるもの 北条氏の中の格では得宗>執権らしいですが、日本史的には執権の方が重要ですよね
それは得宗よりも執権の方が政治的立場、公的立場だからだと思います
これって、現代に例えれば、政権与党内の格としては幹事長>閣僚だけど、
日本史的には閣僚の方が重要だという感じで合ってますか?
または政権与党内の格では無役だけど派閥の領袖>その派閥に属する閣僚だけど、
日本史的にはその派閥に属する閣僚の方が重要
間違っていたらご指摘願います >>94
間違っている。
会社のオーナーと社長の関係みたいなもんだと思ったほうがいい。 >>96
イメージはわかりますが、できましたらもう少し詳しくお願いします >>97
もっとわかりやすく説明しろとかいわれても、これ以上どう説明すればいいのか。
会社のオーナーは株主で、社長は株主であるオーナーの委任を受けて経営をやっているわけだよ。
この場合、得宗が幕府のオーナーであるということになっている、異論はあるが、
得宗は自ら執権(=社長)になることもできるし、執権を選んで人に任せることもできる。
ようするに、実権をもっているのは得宗であって、執権よりも得宗のほうがはるかに重要なわけ。 >>84
わかりません。俺のイメージでは油断してると危ないんでそんなに暇じゃないと思うんだけど。 >>98
ありがとうございます
関係性は分かりますが、重要度において得宗>執権であれば
なぜ歴史授業における扱いが全然違うのでしょうか?
執権は中学の歴史授業にも鎌倉時代のキーワードとして何度も出てきますが、
得宗(家)って言葉は習った記憶がありません
自分は歴史が好きだし、成績も良かったですが、恥ずかしながら得宗(家)って
言葉を知ったのはもっと後年です
得宗(家)が重要であれば執権よりも頻出するはずだし、少なくとも執権と同等程度には
知られた言葉になっていると思うのですが如何でしょうか? 北条家だからです
源氏は有名でも清和源氏は有名ですか?
松平家のように徳川家を創出すれば話は違った >>101
さて、どうだろう。
中学生には家督とか惣領制度とか難しいと思ったのかしらんけど、
このあたりの記述の方法については、改良の余地はあると思う。
しかし、昔から”北条9代”という言葉で鎌倉時代を表現してきたことからもわかるように、
得宗家の代目の数が重要だという認識はあった。
執権の数ははるかに多いからな。15、6人はいるだろう。 【民族(みんぞく)】
人種的・地域的起源が同一であり(または同一であると信じ)、言語・宗教などの文化的伝統と、歴史的な運命を共有する人間の集団。
近代日本国家から武力併合されたのは47都道府県で沖縄だけ。
第二次世界大戦で本土防衛の捨て石にされたのも沖縄だけ。
戦後、サンフランシスコ講和条約が発効されて県丸ごと外国に譲り渡されたのも沖縄だけ。
日本人と我々沖縄人は歴史的運命を共有してこなかったから同じ民族とはいえない。 >>104
江戸,越後,会津,函館,薩摩…。いっぱいあるやんけ
硫黄島,千島列島…。ままある。戦艦ヤマトは沖縄に向かったが,硫黄島に援軍は送らなかった
沖縄は大事にされていた
人間の集団。つまり沖縄県民は他の日本人と運命を共にし沖縄本島には住まなかった。運命共同体です
よって沖縄に住んでいるだけであって,沖縄人なるものは存在しない かびんせいちょうしょうこうぐん(過敏性腸症候群)の治療法!!
〇学校の席は、必ず「ろうか側」にしてください!!
〇先生の許可がなくても、トイレにいけるようにしてください!!
〇予習・復習・宿題を完璧にしてください!!
予習をしていれば、授業中あわてることは、絶対にない!!
〇皿洗い→きゅうけい→掃除→きゅうけい→予習→きゅうけい→宿題
かならずあいだに、10分間休憩(きゅうけい)をいれてください!!
〇きゅうけい中は、副交感神経がアップします!!
〇寝る前は、1時間、「ゆったりタイム」をとってください!!
好きなマンガを読んだり、音楽をきいたりして、
副交感神経をアップさせて一時間「ゆったり」します!!
〇「ゆったりきゅうけいタイム」をとれば、神経の緊張がとれて、
体の緊張がとれていきます!!
これで、じょじょに体の調子が回復していきます!!
交感神経(きんちょう状態のときの神経)のつかいすぎで、
「交感神経」と「副交感神経」の2つのバランスが乱れたのが
「過敏性腸症候群」の原因です!
あなたは、「神経」や「脳」が発達しているから頭がいいタイプなのです!
健康知識 整理するけど鎌倉幕府は
政所=行政、侍所=軍事統制、問注所=司法でしょ
政所は有力御家人の合議によって運営され、のちに評定衆としてまとめられる。
評定衆の長が執権であり、これを北条氏が独占していた。
これらはすべて公的な役職。
しかし北条氏が権力を独占したために北条家の決定が幕府の決定となり
本来私的な存在である北条家の家人いわゆる御内人も影響力をもつに至った。
こういうことであろう >>102
北条氏は鎌倉時代を代表するような有力氏ですが、なぜかマイナー感がありますよね
>>103
手元の山川日本史では得宗は7代(7人)になってますよ
それに北条泰時にしろ北条時宗にしろ、出てくる時は3代執権北条泰時とか
8代執権北条時宗として出てくるケースが多い
○代得宗北条時宗って表記は見た記憶がないです 念のためウィキペディア見てみました
最初の方だけコピペしましたけど、人物紹介の最初に第8代執権と謳われていますね
得宗家であることよりも執権であることの方がより重要っぽい印象を受けます
北条 時宗(ほうじょう ときむね)は、鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権。
鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国
(大元朝)の中国 に対する圧力が高まるなかで執権に就任。内政にあっては時宗権力の強化を
図る一方、モンゴル帝国(大元朝)の2度にわたる侵攻を退け(元寇)、日本の国難を救った
英雄と評される。官位は、正五位下相模守。贈従一位。 念のためウィキペディア見てみました
最初の方だけコピペしましたけど、人物紹介の最初に征夷大将軍と謳われていますね
大阪の陣があり、禁中並公家諸法度や武家諸法度を制定した大御所(源氏長者)であることよりも
たった4年間で大きな事件のなかった征夷大将軍であることの方がより重要っぽい印象を受けます
徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: コ川家康)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名[1]。江戸幕府の初代征夷大将軍[1]。 北条時氏とか経時、時頼のあたりでごじゃごじゃとしてるんだよ。
北条9代というと、時政、義時、泰時、(時氏)、(経時)、時頼、時宗、貞時、高時の順番だけど、
時氏、経時あたりは影が薄い。
時氏は泰時より先になくなっているし、時氏の子で時頼の兄の経時もちゃんと家督は相続してるわけだから、
9代の中に入っている。
順番どおりに親が先に死ねば、子が継げばきれいだけど、なかなか順番どおりに人は死なないから、こうなる。
中継ぎの後見という意味合いで、一族から執権が立てられるというケースもあった。
得宗の北条時宗を後見するために、一族長老の政村が執権になったケースなど。
しかし、得宗専制の時代になると、政治に飽きた得宗が面倒な政務を、
北条庶流や内管領に押し付けるために、庶流に執権職を譲るケースもあった。
やる気なさすぎワロタ、とかいわれとった。 >>105
日本人と沖縄人の民族性の違いについては、以下の著書や新聞、あるいは動画が参考になる。
ちなみに私は沖縄生まれの沖縄育ち。
日本劣化論(筑摩書房)
http://www.chikumash...oduct/9784480067876/
この本の236ページに「沖縄人と日本人はエスニシティーにおいてかなり違う」と書かれている。
「沖縄を撃つ」(集英社)
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0415-b/
この本の表紙に「日本人と沖縄人」と書かれている。
沖縄タイムス2015年11月11日付
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=141033
沖縄タイムスの記事にも「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれている。
ヤマトンチュが日本人という意味なら、ヤマトンチュではない我々ウチナーンチュ(沖縄人)は日本人ではないということになる。
在日沖縄人
http://www.jca.apc.org/~hirooka/mitikusa10/miti10_1.html
福岡在住の沖縄出身者が実名を出して自らを「在日沖縄人」と書いている。
高橋哲也氏(東京大学大学院教授)による勉強会
https://www.youtube.com/watch?v=oka6K28TJ94
沖縄の基地問題に関する著書でも有名な東京大学大学院教授の高橋哲哉氏が日本人(ヤマトンチュ)と沖縄人(ウチナーンチュ)の違いを説明している(6分あたり)。
公開討論会「フォーラム4・28 『沖縄から主権を問う』」
https://www.youtube.com/watch?v=w3BrptaG2eM
作家の佐藤優氏(元外務省主任分析官)が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言している(14分10秒あたり)。 >>105
第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本政府と軍部は、自国の皇土を守るために外縁部(外地)で戦うことを決めていた。
「皇土」とは、天皇の国土、すなわち日本本土(内地)のことで、当時の軍部は日本本土(内地)のことを皇土と呼び、いかにして皇土を守るかが最重要課題とされていた。
一方、「外縁部」とは、フィリピンやガダルカナル島など、いわゆる南洋諸島を意味する。
日本政府と軍部は沖縄を皇土(内地)とは考えず、南洋諸島と同じ外縁部(外地)という位置づけだった。
そのことを東京大学の歴史学者である加藤陽子教授が指摘している。
つまり、沖縄は当時の日本政府や軍部に捨て石として扱われたのである。
1945年2月、当時の近衛文麿首相が昭和天皇に対して早期の終戦を進言したにもかかわらず、昭和天皇は「もう一度戦果を上げてからだ」「沖縄戦を見てからだ」と答え、近衛首相の進言を退けている。
昭和天皇自身が沖縄を本土防衛の捨て石と考えていたのは言うまでもない。 沖縄が日本固有の領土でないことは1879年3月に、当時の日本政府が軍隊を動員して武力併合したという歴史的事実が証明している。
沖縄が日本固有の領土であるなら沖縄の前身である琉球王国を日本政府が軍隊を動員して武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
当時の日本政府が軍隊を動員して琉球王国を武力併合したことで、皮肉にも日本政府自身が沖縄が日本固有の領土でないことを証明してしまっている。
この歴史的事実を突きつけられたら安倍首相、菅官房長官、岸田外務大臣、稲田防衛大臣ら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 日本政府にとって「沖縄は日本固有の領土なのか?」という質問が一番嫌な質問であるはず。
なぜなら138年前の1879年3月27日に当時の日本政府が熊本鎮台分遺隊などの軍隊を琉球に派遣して武力的威圧のもと併合したから。
沖縄の前身である琉球を併合しておきながら「沖縄は日本固有の領土」とは、さすがに安倍内閣の閣僚も恥ずかしくて言えないだろう。 >>112
「カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW」でも観て下さい
>>113
近衛文麿首相は昭和16年に辞職しており,そんなことは絶対にありえない 当時の首相経験者は重臣として大きな影響力があったんだが。 61日本@名無史さん2017/01/31(火) 11:39:19.80
別事例
東京の前身である武蔵国を武力併合したのは日本政府。
日本政府は1868年3月14日に軍隊を動員して徳川幕府があった江戸城を取り囲み、武力的威嚇のもと併合した。
武蔵国が日本の領土でなかったことはこの歴史的事実が証明している。
よって、その武蔵国を前身に持つ現在の東京は日本固有の領土ではない。
日本政府はこの歴史的事実に対して何一つ反論できない。 安倍内閣の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、日本政府の一組織である文部科学省が「琉球王国は独立国だった」「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書いた清水書院の教科書(日本史B)を検定で合格させているから。
「沖縄は日本固有の領土」と言ってしまうと、教科書に書かれていることとの矛盾点を追及されるから、安倍内閣の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 琉球王国周辺の海域は日本の領海ではなかった。
その証拠に当時の琉球王国周辺の海域にはアメリカの艦船だけでなく、フランス、オランダ、イギリス、ロシアの艦船が何度も入ってきている。
清國の艦船も何度も琉球王国に渡ってきている。
琉球王国周辺の海域が日本の領海だったなら、日本は国家としてこれらの外国艦船の侵入を許さなかったはず。
琉球王国周辺の海域を外国の艦船が自由に出入りできたということは、即ち、当時の琉球王国周辺の海域が日本の領海ではなかったことを証明している。 >>113
近衛文麿はソ連の手先であることが判明しており,進言した内容はソ連への降伏であったため
ソ連への特使としての派遣は退けられている。
当時の首相であった小磯國昭は沖縄を防衛できなかった責を感じ辞職した。
沖縄を本土防衛並みに考えていたことは明らか
>>120
長崎も外国艦船の侵入を許しているだやな
後,東京湾にもな。知らないの? >>121
当時の日本政府と軍部にとって沖縄は本土防衛の捨て石としか考えていなかったことは明らか。 沖縄在住で彫刻家の金城実氏は大阪に30年以上住んだが、彼は大阪在住の頃、自らを「在日沖縄人」と言っていた。
沖縄には金城氏のように「自分は日本人ではない。沖縄人だ」と主張する人が大勢いるが俺もその一人である。
沖縄人のエスニックアイデンティティーは「日本人と沖縄人は異人種」というものであり、今でも沖縄では日本人と沖縄人をはっきり区別する人は多い。 「東京、京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を日本固有の領土とは言わない」と外務省は説明しているが、その一方で外務省は「尖閣諸島には領土問題が存在しない」と言いながら「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張している。
これほど矛盾する話はない。 >>123
閉鎖的なムラ社会が残っているのですね。沖縄はまだまだ未開で人種主義・排外主義がはびこっている
悲しいです。すごくかなしいです。同じ日本人として恥ずかしい気持ちで一杯です >>125
我々沖縄人は日本人ではありません。
悪しからず。 テロ準成立したから、もうすぐ委縮効果で消えたらいいなパヨクじいさん 中国のスパイがこんなスレにまで工作して、
沖縄分離運動とかしているけど、まともに相手する人もいない。
駅前で新聞でも配っていればいいのに。
クズメールばらまき装置というか、迷惑そのもの。 >>127-131
ありがとうございます
あなた方が反応してくれたおかげで500円ワタシに入りました
最近無視が長くて実入りが少なかったもので・・・
これからもいっぱい反応してくださいね^^ 江戸時代、江戸城には年に何回くらい朝廷からの使者来てたのでしょうか? 「東京、京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を日本固有の領土とは言わない」と外務省は説明しているが、その一方で外務省は「尖閣諸島には領土問題が存在しない」と言いながら「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張している。
これほど矛盾する話はない。 1951年のサンフランシスコ講和会議で沖縄をアメリカに譲り渡すことに同意した日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えるわけがないよな。
実に笑える。 >>126
日本から独立して琉球国を復活させたら?
別に日本は止めないよ 沖縄の前身である琉球王国を併合しておきながら「独立したら?」とは笑止千万。 >>137
君は日本から出て行きたくもないらしい
どうしたいの?
中国に併合されたほうが良かった? 李垠を追い出して朝鮮は独立したけどな
尚衞は杉並に住んでいる 安倍内閣の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と発言したら沖縄タイムスや琉球新報や沖縄の歴史家が黙ってないだろうな。
まあ、歴代の内閣で「沖縄は日本固有の領土」と発言した閣僚は一人もいないところを見るとバカな日本の閣僚でも少しは琉球史を勉強したのかな?
ガッハッハッハッハ!!!
実に笑える!!! >>101
中学校(高校もある程度はそうでしょうが)教科書はわかりやすさ優先でかなりアバウトに書いています。
得宗と執権の関係はプロ野球のオーナーと監督に例えられるかもしれません。
どっちが力を持っているか、目立つか、現場にいるかなどはあてはまると思います。 日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張しているが、なぜか「沖縄は日本固有の領土」と主張したことは一度もない。
それもそのはず、沖縄は138年前まで日本の統治権が及ばない琉球王国という独立国だったから日本政府の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは主張できない。
併合した地域を「日本固有の領土」と主張したら、それこそ世界の笑いものになるから日本政府の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは主張できない。
実に笑える。 スレの主旨と異なるかもしれませんが質問です。
大学受験後独学で日本史を勉強したいのですがオススメの本などあるでしょうか? >>144 図書館に行けばあると思いますが、
吉川弘文館の「日本の時代史」シリーズがわかりやすくて詳しくておすすめと存候 いわゆる「固有の領土」なる語は、北方領土の潜在的主権を主張するため戦後に作られた造語で国際的になんら通用しない語、概念である。
中国が南沙諸島の主権を主張するために主張している「九段線」と大して変わらない。
日本政府がよく使う「固有の領土」という造語は歴史用語ではなく政治用語にすぎないのは自明であって、
だから「固有の領土」なる造語は国家スローガンやプロパガンダ(政治的宣伝活動)、あるいはナショナリズムを扇動するときに使われるもので、その程度の意味しか持たない。
「固有の領土」云々で主権が主張できるなら、メキシコがニューメキシコ州の返還を主張できることになるし、ドイツは旧プロイセン地域の返還をポーランドに要求できることになる。
さらに言えば、アメリカのアラスカ州はもともとロシアの領土だったわけだから「アメリカ固有の領土」とは言えないし、同じくアメリカのハワイ州はもともとハワイ王国という独立国だったわけだから「アメリカ固有の領土」とは言えない。
日本に話を戻すと、小笠原諸島は最初にアメリカが支配していた島なのだから「日本固有の領土」とは言えない。
もちろん、沖縄ももともと琉球王国が統治していたわけだから「日本固有の領土」とは言えない。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは日本政府にとって触れられたくない不都合な真実である。 >>146
日本はロシアとの間で一度たりとも南千島をロシア領と認めたことはない
日本は米国との間で一度たりとも小笠原諸島を米領と認めたことはない
日本は尚氏との間で一度たりとも沖縄の独立権はおろか永久支配権を与えたことはない
上記3地域は日本の支配を離れたことは悲しいことにある。それを取り戻したことは
元住民たちの悲願であった。残りは1つ >>110
>征夷大将軍であることの方がより重要っぽい印象を受けます
大御所という名称はいわば隠居であって征夷大将軍であったことのほうが重要なのは当然だろう。 安倍内閣の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは「沖縄は日本固有の領土」と主張してしまうと「じゃあ、なんで日本政府は軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのか?」と突っ込まれるから。
それを言われたら安倍内閣の閣僚はぐうの音も出ないから「沖縄は日本固有の領土」と主張できない。 >>149
大御所の家康の方が、同時期征夷大将軍だった秀忠よりも現実に大きな実権を振るってたんだよ
まさかそれを知らない日本人がいるとは思わなかった・・・ >征夷大将軍であったことのほうが重要なのは当然だろう。
分かってない人が多いね^^
沖縄は日本領であったことのほうが重要なのと同じ 沖縄はもともと琉球王国という独立国だったから日本固有の領土ではない。 >>149
征夷大将軍にならないと幕府は開けないから重要に決まってるよな。 >>151
そういう解釈をするバカがいるとは思わなかった。
江戸幕府の将軍で大御所として実権を握ったのは家康、秀忠、吉宗、家斉の四人しかいない。
家康は秀忠を将軍にして徳川家が征夷大将軍を世襲することを天下に示す目的で将軍職を
譲った。秀忠は家康の先例に習っただけ。吉宗は、言語障害がある家重の理解できるのが
側用人の大岡忠光一人だけで不安があったから大御所として後見することにした。
大御所として将軍以上の権力を握るというのは異例のことである。 >>82
では>>78はわざわざ嘘を書き込んでいるということだな >>156
嘘を書いた訳じゃない。国籍法が整備された明治の頃には面白がって日本国籍を離脱して
困る人が居たという話を知ってたから>>78のように書いた。
そもそも蓮舫の日本国籍を剥奪できないとはどういう事だ?中華民国の国籍を捨てるんじゃないのか? >>155
家重の後見しないと不安なら、宗武を将軍にすれば良かったのでは? >>158
家康が嫡長子が継ぐというルールを作ったのに従った。
そのための官僚機構でもある。 宗武を推してた松平乗邑が隠居させられたのを、吉宗は何で止めなかったん? >>157
では>>78に書いてある
>いや必要ではないだろ。単に無国籍になって誰も守ってくれないだけの事だ。
は本当のことで、他国の国籍は不必要なんだな?
で、多国籍は必要ないが中華民国籍取得なら受け付けないんだな? 尖閣諸島はもともと無主の地だったから、日本政府が新たに領土として自国に編入する際は官報に公示して国民に知らせる必要がある。
ところが、日本政府は1895年1月14日に、尖閣諸島を沖縄県に編入し自国の領土とすることを閣議決定したにもかかわらず、その事実を官報に公示せず日本国民に知らせなかった。
それだけでなく、なんと57年後の1952年まで公表しなかった。
日本政府が尖閣諸島の自国への編入を官報に公示しなかったのは、この閣議決定が日清戦争の最中に行われたからである。
つまり、日本が戦争のどさくさに紛れて尖閣諸島を奪ったと見られる恐れがあり、その閣議決定は日本政府にとって秘密にしなければならなかった。
この秘密決定が 国際社会に知られると日本政府にとって都合が悪かったからなのは言うまでもない。
多くの日本国民は1895年1月14日の閣議決定から1952年までの57年間、尖閣諸島の存在を知らなかったし、国会議員でさえも尖閣諸島の存在を知らない人が何人もいたというのが実情である。 足利義満は将軍の後により高い身分の
太政大臣にまで登りつめているけど、
太政大臣足利義満とは呼ばない
やはり大事なのは第3代将軍足利義満ってこと 昨年から今年にかけて琉球新報で100回以上にわたって連載された「道標(しるべ)求めて」にも書かれていたが、日本の初代首相の伊藤博文が首謀して行った韓国併合は琉球併合をモデルにしたといわれている。
幕末から明治維新にかけての日本の政治家は皆、異口同音に「琉球人は日本人ではない」と口を揃えて言っていたが、1874年の台湾出兵のときは急に態度を変えて「琉球人は日本人」と主張し始めた。
例えば、伊藤博文、大隈重信、大久保利通らがその代表である。
彼らがなぜ1874年になって「琉球人は日本人」と台湾側に主張したかというと、当時、日本の領土ではなかった琉球を日本に併合したかったから。
つまり、1871年に起きた台湾事件で琉球人54名が台湾の生蕃に殺害されたことを日本の明治政府は領土拡大のチャンスととらえ、日本の政治家や役人は「琉球人は日本人」と主張し、台湾に3000人以上もの軍隊を出すことになったというのが真相である。
明治政府が「琉球人は日本人」と主張したのは、あくまでも琉球という場所を日本に併合したかったからで、「琉球人は日本人」と台湾に主張しなければ台湾出兵の名目が立たなかったからなのは言うまでもない。
要するに日本の明治政府は琉球を併合するにあたって台湾に嘘をついたわけで、ここに日本という国の姑息さが如実に表れている。 >>141
恥ずかしながら、自分が得宗を知った
のは大人になってからでした
貴方は中学や高校の歴史授業で得宗を習いましたか?
それとも、独学で知りましたか? >>163
今と当時で何に重点を置くかという差異もある
足利義満は室町幕府三代将軍という位置づけが今は重要だが、
当時は「相国」とも呼ばれていた
これは中国の官職だが、日本の太政大臣を意味すると考えられていた
源頼朝も鎌倉幕府初代将軍という位置づけが今は重要だが、
当時は「前右大将」と呼ばれていた 私は大河ドラマの「北条時宗」で知ったww
それまで最後の執権は高時だと思っていたのに違うの?と驚愕だった 沖縄での発行部数
琉球新報=約160000部
沖縄タイムス=約160000部
笑笑笑笑笑
↓
読売新聞=約800部
産経新聞=約350部
日本政府を激しく批判する沖縄タイムスと琉球新報の沖縄県内におけるシェアは98%を占める。
残りの2%を朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞などが分け合う構図。
ネトウヨの日本人がこよなく愛する読売新聞と産経新聞が沖縄でほとんど読まれていなくて実に笑える。 上代における「誰がどういう理由で裁かれ、判決はこうだった」ということが分かりやすくまとめられている参考文献等どなたかご存知無いでしょうか?
よろしくお願いいたしますm(__)m >>107
政所というのは貴族の家の家政機関の一般名詞なんだよ、元は。
だから貴族の家には各家の政所がある。
それに荘園を統治する荘園政所もある。
幕府政所は頼朝の家政機関だな
私的な存在である家政機関が公的な役割を担ったように、
公私の別が曖昧なのが中世の特長 >>151
ただ、江戸幕府は大御所が実権を握っている時期でも将軍不在を避けてたように思う
室町幕府みたいに、将軍が先に死んだりしたことがないからかもしれんけど。
室町幕府の最高権力者?
将軍家の家長である室町殿と将軍が必ずしも一致しないんだが、
室町殿の存命中にその実子である将軍が死んだ場合に、
室町殿がいれば(当面は)大丈夫とばかりに、
将軍不在のまま政治が行われたりした
まあ、親が生きてる間に若死にした将軍は五代義量と九代義尚ぐらいだが 日本人の境界
http://www.shin-yo-s...ks/4-7885-0648-3.htm
第1章 琉球処分―「日本人」への編入
「国内に人類」への統合と排除/外国人顧問の提言/「日本人」としての琉球人/歴史をめぐる争い
第2章 沖縄教育と「日本人」化―同化教育の論理
旧慣維持と忠誠心育成/「文明化」と「日本化」/歴史観の改造
第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学
沖縄にとっての同化/二重のマイノリティ/防壁としての同祖論/沖縄ナショナリズムと同祖/排除と同化の連鎖/啓蒙知識人として
第18章 境界上の島々―「外国」になった沖縄
「少数民族」としての沖縄人/「琉球総督府」の誕生/「アメリカ人」からの排除/「日本人」であって「日本人」でない存在
皇民化政策のもと、日本人ではない沖縄人を無理やり日本人になるように強制したり、
近代以降、戦前、戦中、戦後にかけて「沖縄人」というだけで差別をしてきた日本人に「沖縄人は日本人」と言う資格はない。 >>165
高校です。高校なら得宗は必ず学習します。中学では出てこないので高校で日本史選択を選択しなければ普通は知らないと思います。
高校の教科書の内容を総合すると鎌倉時代には
京都には天皇がいて、上皇が院政を行い、摂政か関白のどちらかがいて、鎌倉には将軍、執権、得宗、内管領がいます。
そのうち一番の実力者が内管領だったりしますが、こんな複雑な話は高校生でも理解しにくく中学では取り上げないのは当然と思います。 鎌倉幕府滅亡期には
真の実権を握っていたのは
前の内管領という複雑さ >>107
問注所は判決を下さないので司法機関というより司法事務機関に近いと思います。
すでに指摘があるように政所の職務は行政とはいいにくく、その運営は有力御家人の合議によるものではありません。
上下関係を明確にするのは難しいかもしれませんが、評定はすべての機関の上に立つ政治、司法の最高決定機関と言えるでしょう。
なお執権は政所と侍所の別当(長官)です。 「固有の領土」というのは国家の政治的主張であって政治用語の域を出るものではない。
ましてや国際法上の用語でもない。
だから日本政府が主張する「尖閣諸島は日本固有の領土」というのは、あくまでも国内向けのスローガンにすぎず、国際社会には何ら説得力を持たない意味のないものである。
現に欧米社会で日本政府のこの主張を認めている国は一つもない。 信長は安土城下で「楽市楽座」を行い、秀吉とその家来たちは水運のよい土地を選んだ。
ところが、家康はそれを好まなかった。浜松、静岡、名古屋、越後高田など海から
少し離れたところにあえて城を築いた。江戸は大坂に似た地形という理由で、
秀吉が選んで家康に指示したものだから例外だが、そのためか家康は江戸を嫌ってほとんど住んでいない。 >>176
欧米社会が日本の領土を論じるなんて言語道断だからですよ
台湾を北京政府の領土だとどの国家も認めていないのと同じです。日本ですら認めていないのが事実
ただし米国は尖閣の領有を認めているんだよね。何故米軍の射撃場があると思ってるの? >>173
執権よりも得宗の方が重要であれば、
得宗を教えて執権を教えない(後回し)
という判断も出来ますが、実際はそう
なっていませんね
得宗は高校、執権は中学
(小6の歴史に出てきた気もする)
これはやはり、一般的には執権の方が
重要ということじゃないですかね? どなたか、下記のコラムを批判してくれませんか?
http://ironna.jp/article/6563?p=1
自分でも、2,3思いつきますが、自分の考えの客観性を
確かめるためにも、他者のまなざしが知りたいです。 また経済産業省崩れか……
財務省にしろ厚労省にしろ彼らは一応学問というものに敬意を払っているのに対して
経済産業省だけは「学問の蓄積より自分の思い込みの方が正しい」って連中が多いのは何故なのか
日本史的な要因誰か指摘できる? >>160
>宗武を推してた松平乗邑が隠居させられたのを、吉宗は何で止めなかったん?
将軍の後継者争いに敗れたんだから当然の人事だろう。
>>161
>他国の国籍は不必要なんだな?
現在の運用がどうなってるのかは正直言って知らない。
>多国籍は必要ないが中華民国籍取得なら受け付けないんだな?
wikipediaを見るとこうある。
「日本政府の見解では日本は台湾と国交がないため、台湾籍の人には中国の法律が適用される
見解に基づけば、二重国籍の問題は生じないという見方が出ていた[102]。しかし、後に日本の
法務省は「台湾の出身者に中国の法律を適用していない」とする見解を発表し、前述の見解を否定した」
つまり日本政府と法務省の判断に食い違いがあって事態をややこしくしている。 桜井誠@Doronpa01 6月10日
昨日の決起集会でも申し上げましたが外国人生活保護として日本人(東京都民)が負担する謂れのないお金が
四百億円も毎年使われています。外国人生保を止めればこの資金を使って絶対的総数が足りない介護職の働く環境の整備、
都内の大学に通う学生に無償奨学金制度の実施など日本第一党の施策が叶います
https://www.youtube.com/watch?v=BOmBj882UEY
https://twitter.com/doronpa01?lang=ja
こういうのを全国規模でやって消費税減税とかすりゃ良いんだよな ttps://twitter.com/uniunichan/status/770804520226021377
うにうに @uniunichan 2016年8月30日
重国籍ウォッチャーです。八幡和郎氏 @YawataKazuo は誤解をしていま
す。日本と台湾は合法的に二重国籍が可能。日本は台湾を国とみなしていない自
業自得で、台湾籍所持が理由の国籍喪失届を日本は不受理にします。日本が受理
すれば、中国と国際問題になるので >>186
台湾出身で後に日本国籍を取得した人たちは
たいてい台湾国籍から離脱して日本国籍に入っているのだから
日本が台湾を国家と認めていないから
台湾国籍をぬかずに日本国籍を取得した人は
台湾に対して筋を通さない人と思われても仕方ないですね。
しかもその人が政治家になろうっていうんですから
日本国民が不安を感じたとしても無理はありません。
しかし、とりあえずスレと関係のない話はやめませんか。
注意しておきますよ スレと関係のない話だからといって嘘の流布はいけません
・日本国籍を取得するためには中華民国籍の離脱証明書が必要です。
・中華民国籍を取得するためには日本国の国籍喪失届の不受理証明書が必要です
台湾国籍をぬかずに日本国籍を取得することは運用的にも不可能ですよ
二重国籍者は出生時に同時に取得しているから可能
台湾出身者の意味するところを分かってないだろ? お莫迦さん >>180
安倍ポチのネトウヨじゃないか
ゴミのコラムなんか読む価値はない ニホンとニッポンの違いを歴史的観点から述べよ(10点満点 ・八幡和郎氏はこんな阿呆な随想を書くようになった点に驚きました
初めて見たときは素晴らしい方だと思ったのに謝蓮舫批判からおかしく感じるようになった
>政治的にも大きな役割を果たしていたことは、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でもおなじみだ。
>「士農工商」の身分制が基本というのは疑問である。
>中国では数千字の漢字の読み書きで判断していたのだから、そもそも比較基準が大きく違う。
ここは嗤うところ。ドラマが根拠とか教科書でも否定されていることとか支那の識字率を褒めていることとか…
江戸時代暗黒説らしいが全てが出鱈目で
鎖国しなければどうなっていたかは知らないが,日本が海外進出する理由がない。
キリスト教を禁止したのは先見の明があったと言わざるを得ない。仏教と朱子学の奨励はまずかったと思うが
清国は対外遠征をやってあの様だし,スペイン・ポルトガルの惨状みたってどうってことない
英国の歴史知って真似たいと思った理由が知りたいけど,科学技術万歳しかないから。話はそんなものではない >>188
>中華民国籍を取得するためには日本国の国籍喪失届の不受理証明書が必要です
それは日本の国籍を喪失した届をどこが受理してない証明書なの? >>185
自分もそう思っていたのですが、執権よりも得宗の方がはるかに重要だって
意見があったので私見を述べてみたのですよ >>195
日本の国籍を喪失した届は日本が出す物だがそれを日本が受理しないとは何の事だ?
そもそも国籍喪失届からしておかしいだろ。離脱届なら判るし、喪失証明ならそれはそれで判る。
喪失届とは何だ? >>193
わざわざコラムを読んでくださったのですね
ありがとうございます。
そしてあなたの主張に同意します。
しかし、明確な根拠を基に批判をしていただけるとなお有難いです。 >>196
中学生には建て前を教えときゃ十分、高校生には少しややこしいが本当のことを教えとこう、ということです。 ヤマト史観の捏造歴史が真実の歴史なわけないだろ
ここも工作員だらけか >>196
それはおまえが中学生レベルの知識だからだよ。 第10代執権 北条師時
第11代執権 北条宗宣
第12代執権 北条煕時
第13代執権 北条基時
第15代執権 北条貞顕
第16代執権 北条守時
いずれもこいつらが執権の時は、幕政の実権は得宗家(内管領も含む)が掌握していた
でも執権が大事だ 得宗よりも大事だというなら、頑張って上記の執権の名前を覚えるんだぞ >>182
知らないなら
>いや必要ではないだろ。単に無国籍になって誰も守ってくれないだけの事だ
こんな間違ったことは書くな >>203
なんで第○○代得宗の北条〜って紹介されず、第○○代執権の北条〜って紹介されるの? 言われている場合もある
何を意地張ってるんだかわからん 冷静になれよ 中学社会 源頼朝死後、北条氏が執権となって幕府を主導しました
高校日本史
北条氏の分家が執権職につくようになり、
北条氏の本家(得宗家)が実権を握りました 得宗専制と言います
大学日本史ゼミ
嘉元の乱以降は、得宗家当主よりも内管領の長崎氏が実権を握るようになっていきました
北条高時は長崎高資の排斥を目論見ましたが失敗しました
大学院日本史研究
長崎氏はどのように権力を掌握したのか?を研究へ
(実は先行研究は意外と少ない分野 平頼綱と同族とはされているが系図は不明確) 嘉元の乱で実は一番の勝者は長崎高綱
北条宗方の後任として内管領(いわば北条本家の筆頭家老)になり
以後は鎌倉幕府滅亡まで長崎氏が内管領となった
嘉元の乱で貞時が「敗れた」のは長崎高綱のせいだと思うね
資料が少ない争乱だから真相は不明な点も多い
まず嘉元の乱では貞時の命令と称した12名の御家人や御内人が連署の北条時村を討った
これに北条の分家達が激怒して鎌倉は騒然となった
しかし分家達が兵を集めたところで大軍を擁する得宗家にはかなわないだろう
でも結果は貞時の命令は「間違い」だったとして12名が斬首(結局は11名が執行)
そして貞時が内管領へ任命していた「いとこ」の北条宗方までも討たれてしまい、
貞時は以後なくなるまで酒におぼれて、政務への意欲を失い、
会議にも出なくなることが増えた
もともと貞時は平禅門の乱で平頼綱(長崎氏と同族)を討った後、
御内人をまとめる内管領を平氏(や長崎氏)に任じず、いとこの北条宗方
に任じたことで、御内人の大半が貞時へそっぽを向いたのではないか?
御内人の大半は長崎氏を慕っていた
そして嘉元の乱の際、得宗家と分家の間で戦になりそうになった時に、
大半の御内人から支持されている長崎高綱が貞時の出陣命令を拒否
これで得宗家の大軍を動かせなくなってしまい、貞時は分家たちに「屈服」せざるをえなくなった
そう考えると以後の鎌倉幕府が長崎氏に壟断されたこと、
貞時が政務への意欲を以後失っていったことが説明がつきやすい
その後、貞時の跡を継いだ高時が長崎高綱父子を排除しようと側近たちと共謀するが、
逆に察知され、高時の側近たちが処罰されるという事件まで起きたが、
結局鎌倉幕府滅亡で北条一門も長崎一門もいっしょくたに滅亡してしまった 沖縄戦 離島残置工作員の実像
http://www.veoh.com/...ch/v36253025N6NcwGPB
戦前から戦中にかけて、スパイ活動のスペシャリストを養成する日本軍の陸軍中野学校が東京にあった。
その陸軍中野学校から派遣された日本人特殊工作員が、 沖縄の久米島にあった国民学校の沖縄人教員になりすまし、
いざというときは、沖縄住民を道づれにしてアメリカ軍と戦い、本土を守ることを任務としていたことが、NHKの「ニュースウオッチ9」で放送された「沖縄戦 離島残置工作員の実像」で明らかになった。
沖縄戦を経験した沖縄住民の目撃証言もたくさんあり、貴重な内容だった。 「沖縄はかつて琉球王国という独立国家であったために天皇の存在さえ知らない人がたくさんいるから、 日頃から監視しておかないと、 いざという場合にどこへ向かうか分からない。
『全県民総スパイ視』という言葉まで言われるようにひどい状態が実際に起こっていた。
捨て石にされたということと日本本土の目的達成の手段に供されるというもの扱いにされてきたのがはっきりする」(大田昌秀・元沖縄県知事)
沖縄戦 離島残置工作員の実像
http://www.veoh.com/...ch/v36253025N6NcwGPB >>203
得宗の高時より分家の貞顕や守時の方が官位が高いのは何故。 >>209
つまり、北条貞時の政権、北条得宗専制政治は、北条一門と御内人の連立政権だったわけで、
そのバランスの上で調停者として振舞うことで、貞時は政権維持していたわけですね。
平禅門の乱で平頼綱一族が誅滅されて、御内人勢力は大幅に後退することになった。
代わって北条一門(庶流)が幕府の枢要な地位についたけど、御内人勢力にとっては不満の残る結果となった。
これにたいする御内人勢力による北条一門(庶流)へのカウンターアタックとして貞時側近の御内人たちが嘉元の乱を起こしたけど、
すでに大方御内人の忠誠心は得宗である貞時よりも長崎氏のほうに移っていて、乱をきっかけに長崎氏が台頭したわけですね。 鎌倉時代って将軍が源氏の三人しか
いなかったと思ってる人は多いだろうな 北条庶流の幕閣にたいするクーデターとして、貞時と側近がクーデターを起こしたけれど、
そのクーデターを鎮圧するかたちで長崎氏が台頭した。
こういうのをクーデター学の世界では、「対抗クーデター」といいます。
一回目のクーデターによって現政権のメンバーの多くが倒され、
二回目のクーデターによってそのクーデターを起こしたひとたちが倒されるという、
二段構えのクーデターによって、政権のメンバーの多くが入れ替わることで、
はるかに序列の低い人物が突如巨大な権限を握ることが可能になるということが起こりうる。
嘉元の乱によってできた状況はまさにそれですね。世界史に目を向ければ、
インドネシアのスハルトが政権を握った「インドネシア930事件」はその典型であるといわれています。 >貞時と側近がクーデターを起こしたけれど
貞時は得宗というトップの地位にあるのに「クーデター」っていうのか? >>217
「粛清」でも「内紛」でもどれでもいいよ
「漁夫の利」ともいえる
直近ではエリツィンの政権掌握の手法かな 今だとトルコのエルドアン大統領がそうなんじゃないか
軍の一部が起こしたクーデター未遂をただちに鎮圧
今度は逆に軍、官僚、警察官、裁判官、ジャーナリストなど政敵を次々と追放や処罰して、
憲法改正までして自分への権力を集中させた >>218
検索したら空海に似てるって話があった。
なんか仏像に似てる感じ >>208
整理してくださりありがとうございます。
補足すると高校では「平禅門の乱で得宗専制が確立し、やがて内管領の長崎高資が実権をにぎる」まで学習することもあります。
これだと確立した「得宗専制」はごく短期間では?という疑問も生じたりして、ますますわかりにくいかもしれません。
>>209
勉強になりました。 5.15事件、2.26事件、血盟団事件、
一連の全共闘・連合赤軍事件、
一連のオウム真理教事件、
近現代に起こったこれら5つの事件を
日本史のトピックスとして考えた時、
より重要重大な順に並べるととどうなりますかね? >>213
気になったのでWikiを調べてみました。
得宗は確かに幼年で従五位下となり、昇進スピードも速いとは言えそれなりに年功を積まないと位は上がりません。
一方北条一門の有力者が四位に昇ることはよくあります。加えて得宗は若くして出家・死去することが多いので、官位逆転は珍しくありません。 >224
桜会が入ってない
半年ROMってから質問をやりなおせ! いまいち問題点が整理されてないんよなあ。
平禅門の乱と得宗専制の因果関係はそんなに強いわけではない。 >>224
ケツは5.1.5事件>血盟団事件やと思う
上3つがどうなるのかは難しいね 元寇後の衰退期に専制体制を築くことが要点でしょうね? >>228
法華経信心者はよくも悪くも血盟団事件だけじゃないけど
社会に迷惑かけすぎかも 226事件は一番でかい被害が出るリスクがあったけど、
すぐに鎮圧されたからな、その意味じゃ見劣りするかも
全共闘や連合赤軍のは数年越しの事件だし、
政府が逮捕されているテロリストを釈放するという
サイドストーリー的な展開もあったしな
内ゲバも酷かったし、なかなか重厚感ある事件
オウムのは都心で化学テロっていうのがど肝を抜かれた
これも上祐が人気タレントっぽくなるというサイドストーリーが・・ >>216
平治の乱なんかも2段クーデターですよね >>231
社会全体、特に政府への影響が大きかった点は226や515が他の三つを圧倒してるのでは? 憲政の常道を破ったこと
陸軍の規律を乱したこと
ワイドショー的なサイドストーリーって,もしかしてあんたテレビ莫迦? >>229
北条時宗の時代、元寇という戦時体制の中で得宗専制政治が強化されていったというのが正しいだろうな。
これにたいして安達泰盛などは、北条泰時の時代の御家人中心政治に回帰するよう求めたが、(弘安改革)、
反対に粛清されてしまった。これ以降、御家人はほんとうに幕政から蚊帳の外にされてしまった。
したがって、得宗専制政治が確立したのは北条時宗の時代で、完成したのが霜月騒動ということになりそうだ。 けっきょく、北条氏は将軍を飾り物でも用意しなければ、
ほかの御家人の上に君臨できないという弱点を最後まで克服できなかった。
御家人たちを臣従させられなかったことが最後まで尾を引いた。 関東の武士である御家人以外の、他地方の武士やら武士以外の配下やらをまとめて統括するようになると、
御家人優遇はむしろ副作用の方が多くなったんじゃないの
御家人以外の配下を抱え込むようになったきっかけが元寇
得宗専制体制は、その辺の問題をとりあえず棚上げする便法だったのでは? 軍隊、思想団体、宗教法人か
なかなか難しい問題だね 戦前から戦中にかけて日本にスパイを養成する学校(陸軍中野学校)があって、そこで徹底的に教育を受けた特殊工作員が太平洋戦争の最中、沖縄の9つの島に派遣され、沖縄人になりすましてスパイ活動を行っていたことがNHKの「ニュースウォッチ9」で放送された。
この歴史的事実はマスコミで取り上げる前から沖縄ではよく知られていたが、沖縄以外の都道府県ではほとんど知られていなかったのでNHKがこのことを取り上げて全国の人に伝えてあげたのは大いに意義がある。
元沖縄県知事の大田昌秀氏の説明によると、「沖縄はかつて琉球王国という独立国家であったために天皇の存在さえ知らない人がたくさんいるから、 日頃から監視しておかないと、 いざという場合にどこへ向かうか分からない。
『全県民総スパイ視』という言葉まで言われるようにひどい状態が実際に起こっていた。
捨て石にされたということと日本本土の目的達成の手段に供されるというもの扱いにされてきたのがはっきりする」とのこと。 >>238
少弐は御家人ではないと何かで読んだことがあるが、少弐は在庁官人? >>239
けっきょく、それらすべてが紆余曲折はあったけれど、現代社会において権威を失墜させたというのが
歴史的な事件としては意味があるんだろう。
相互にそれほど関係のない事件について、あえて順位をつけるなら、
226事件>赤軍派>オウム、だろうか。
やはり、軍部が失墜した、(持ち上げて下がるという戦後まで含めた動きまでを視野に入れて、)226事件の影響が大きい。
また、日本における左翼運動の壊滅という現象をもたらした連合赤軍事件というのは、見た目の印象より影響は大きいと思う。
「昭和維新」も「社会主義」も<世直し>という期待を国民に持たせた運動だったけど、けっきょく最後は惨めな結末を迎えた。
最後にすがった「新宗教」は、オウム事件で最悪の結果をみることになり、
いっさいの希望は失われたのが現代です。 515事件や血盟団といった事件は、
軍部独裁へつながっていく一連の動きに含まれるわけで、
226事件からやがて第二次世界大戦へ向かう一連の動きの先触れと理解するのが相当だろう。 >>241
在庁だな
そういうのをたくさん配下に組み入れたのが元寇対策のとき 少弐という言葉自体が太宰少弐という大宰府の三等官からきてるしな。
三等官といっても帥や大弐は京都を動かないことが多く、
大宰府は実質少弐が仕切っていたというからな。 >>244
水軍松浦党の佐志房なんかも御家人じゃない地頭という微妙な立ち位置で。 そもそも沖縄はかつて琉球王国という独立国だった。
沖縄県庁、沖縄県立博物館・美術館、那覇市歴史博物館、沖縄県公文書館のホームページにも沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことが書かれている。
日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページにも「独立国だった琉球王国」と書かれているし、「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」とも書かれている。
日本の明治政府が138年前の1879年3月27日に軍隊を動員して武力併合するまで、沖縄の前身である琉球王国は紛れもなく独立国だった。
だから琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 つか、もともと関東出身以外の御家人がほとんどいなくて、
それ以外の武士の多くは在庁だろ? 北条得宗家には北九州の武士たちに命令するどういう権限があったの? 歴史通の皆さんは今回の光格天皇以来200年ぶりの譲位、
また、上皇(もしくは他の皇族)を京都にお招きする双京構想について
どのような感想、印象をお持ちでしょうか? 1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害された後、日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵している。
その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合われることになり、日清交渉が始まった。
そして、1880年4月17日に日本政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
その見返りとして日本政府は欧米諸国同様の通商権を清国から獲得する旨を清国側に提案した。
日本政府が清国に提案した先島分割案(琉球分島案)は日清両国で合意に達したが、清国側が批准しなかったので、発効しなかった。
この合意が実現していれば、先島諸島の宮古、八重山(もちろん尖閣諸島も含まれる)の土地と住民は、清国の管轄下に置かれることになったのは言うまでもない。
1879年の琉球処分が国家統合、あるいは日本の民族統合だったという日本政府の主張が欺瞞であることはこの歴史的事実が証明している。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張する日本政府にとって、商業権益の引き換えとして、その尖閣諸島が含まれる八重山諸島と宮古諸島の先島諸島一帯を清国に割譲することを1880年4月17日に閣議決定した歴史的事実は、まさに触れられたくない不都合な真実である。
この歴史的事実を指摘されたら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 清国は批准を拒否した。中華人民共和国は清の領土の継承を標榜しているので、尖閣諸島などの領有権は全く主張できないのである。
とかなり前に反論されて再反論できず、逃亡したがほとぼりが冷めたので懲りもせずまた述べたのであった。 上皇が京都に住むこと自体には問題ないが
招く方としては上皇にいろいろなイベントに参加してもらって地域活性化につなげたいというスケベ心があるはず
権力の二重構造ではないが、権威の二重構造ができてしまう
これは絶対に避けなければならない
皇位を退いたら静かに余生を過ごしてもらいたい >>255
今現在も天皇本人が地方の行事まですべて行くのではなく
皇太子や秋篠宮が分担してるだろ
それと同じこと
上皇が地方の行事に出たら権力の分散ということにはならんだろ
現在の天皇は高齢なので退位後にそれほど盛んに公務はしないだろうが そもそも天皇も上皇も現在は政治権力がなく
国事行為を監修し指示を与えるのは内閣なのに
権力二分とか言ってる奴は何? 天皇(あるいは上皇)を特定の自治体の地域振興に利用しようというのは、
天皇、上皇の政治利用にあたる可能性があるし、好ましくないと思います。
とくにこの場合、”双京構想”と名前をつけて、東京と張り合いたいみたいな意欲を感じますから、
邪念が多すぎますね。アウトでしょう。 >>251もその通りだが
蒙古襲来の際は命令系統を円滑に遂行するために
九州や西国で北条一門が守護になった >>254
日本政府が清国から獲得できる商業権益と引き換えに先島諸島を清国に割譲することを閣議決定した歴史的事実が問題なのであって、清国が批准しなかったということが問題なのではない。
「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張している日本政府が、実は国益の引き換えとして尖閣諸島が含まれる先島諸島を清国に譲り渡す意思があったという事実は日本政府にとって触れられたくない不都合な真実である。
琉球併合の翌年の1880年4月17日に「先島分割案(琉球分島案)」を閣議決定し、尖閣諸島が含まれる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定した歴史的事実を追及されたら日本政府(安倍内閣)は絶対に反論できない。 1880年当時尖閣諸島は日本の領土だったと主張されているのですね? 清国が下関条約で遼東半島を割譲したことが重要なのであって、三国干渉により日本がそれを撤回したことが問題なのではない
下関条約で遼東半島を割譲した歴史的事実を追求されたら習近平は絶対に反論できない 個人的には双京構想は面白そうだし、良いと思う
ネックは権威の二重性と上皇が京都に住みたいのかどうか、
この二点の問題
住みたくないのに無理に住んで下さいってわけにはいかない 筑後守護は大友から北条宗政(時宗の実弟)へ異動
豊後守護は大友のまま >>262 >>264
日本政府は「1895年1月14日の閣議決定で尖閣諸島を沖縄県に編入した」と説明している。
つまり、1880年の時点で尖閣諸島は日本の領土ではなかったことになる。
当時の日本政府は無主の地だった尖閣諸島を自国の領土と主張しておきながら、その尖閣諸島が含まれる先島諸島を経済的利益の引き換えとして清国に譲り渡すことを閣議決定したのだから今さら日本政府が何を言っても説得力はない。 上皇には水戸黄門みたいにマイペースで
日本中を放浪してほしいね なぜ、「水戸黄門」御一行は、沖縄へ行かなかったか?
【佐藤優VS飯島勲】救国対談!飯島勲「リーダーの掟」特別編(2)
佐藤 今、沖縄では基地問題というレベルじゃなくなってきていて、日本からの分離独立を訴える人が出てきています。
時代劇の「水戸黄門」は、日本中旅行していますけど、沖縄にだけは一度も行っていないんです。
当時の沖縄の人は「この紋所が目に入らぬか」って印籠を出しても三つ葉葵の紋を知らないし、琉球空手の達人が助さん、格さんに負けるわけがないからドラマの筋が成り立たない(笑)。
これだけなら笑い話なんですが、一方で沖縄には江戸の権力、京都の朝廷、つまり天皇の権威が通じないということ、日本の政府への帰属意識がなかったという意味でもあります。
だから、基地問題で差別されているという感覚が強まると分離独立へ向かう危険性が出てくる。
実際、東シナ海のガス田を中国と分け合うような形を取れば不可能じゃない。
(プレジデント 2011年8.29号より)
上に引用したのはプレジデント2011年8月29日号での佐藤優氏と飯島勲氏の対談だが、当時の沖縄の人たちが日本政府への帰属意識がなく、沖縄には江戸の権力や京都の朝廷、
つまり天皇の権威が通じなかったことが、水戸黄門の笑い話を例に挙げて面白おかしく解説されている。
権力や権威に媚びないウチナーンチュならではの話を沖縄出身の母親を持つ佐藤優氏がユーモアたっぷりに語ってくれた。
まさに、あっぱれ! 日本政府(外務省)の説明によると「1895年1月14日の閣議決定で尖閣諸島を沖縄県に編入し日本の領土とした」とのこと。
外務省のホームページにもそのように書かれている。
ということは、1895年1月13日まで尖閣諸島は日本の領土ではなかったことを日本政府自らが認めたことになる。
日本政府(外務省)が主張するように1895年1月14日の閣議決定で尖閣諸島を沖縄県に編入し日本の領土としたというなら、
日本政府が経済的利益の引き換えとして先島諸島を清国に譲り渡す「先島分割案」を閣議決定したのはそれより15年前の1880年4月17日のことだから、この頃の尖閣諸島は日本の領土ではなかったということになる。
日本政府(外務省)の説明は矛盾だらけで自国民はおろか国際社会に対してもまったく説得力がないと言わざるを得ない。 >>271の長文から明らかなように、
群馬県はグンマー王国の領土であり、日本固有の領土ではないということに、鳩山政権は絶対に反論できない。 シナ人の無知蒙昧さがアジアに混乱を招いたし、これから招くことになると予想する。
シナ語の言語構造が理性的な会話を困難にしているのだと思う 隣国同士は仲が悪いことはよく有ることですが
江戸時代は領民同士の争いが藩士の争いにまで発展することもあったよね
これも隣国同士の仲が悪いの一例だと思うのですが
国替えで引っ越ししてた大名とその家臣団も
隣国とは仲が悪いといったような感情を隣接する藩に対しもってたのでしょうか? >>274
そんな時のために政略結婚という手がある
福岡藩黒田家と小倉藩細川家は犬猿の仲だった
しかし細川が熊本へ移り、小倉には小笠原家が入ってきた
黒田光之は小笠原忠真の娘・市松姫と結婚したのであった
よさこい 「この度引っ越して参りました小笠原と申します。蕎麦代わりといってはなんですが、娘を差し上げますので、今後よろしくご近所付き合い下さいませ」
って感じか >>277
支那人に成りたいという感情はどこから生まれたんですか? あのアセンション(上昇)したいという話でしょ、
上の人間だ、
みたいな話だと思う 最近よく見かける、
戦国時代の事などを調べてみると
誰々某などは礼儀、作法、教養がないので、
(教育)教えたとか
そういう教えなども、
どこから入って来たものなのか
アセンション? こういうのも、一部、本当の話のような気がする
『アセンション 華麗なる成長』
礼儀、作法とか、それとも、そういう事が通用しない世界なのか、
業界の人間ではないから知らないけどw 京都が千年文化都市たりえたのは寺院学問所が他に無かったから説
逆に言えば、地方にあった大本山寺院などは学問修得所では無かった
つーことですかね 日本政府の一組織である文部科学省が検定で合格させた清水書院の教科書(日本史B)に「江戸幕府は琉球を異国と位置付けていた」と書かれている。
1879年3月27日に明治政府が軍隊を動員して武力併合するまで紛れもなく琉球王国は日本の領土ではなかった。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>278
なりたいのはお前やろ
愛国無罪が許され、
国家の権力者が忖度し放題で、
マスゴミは権力者を叩かず、
野党も名ばかりで権力者を叩かず迎合ばっかりで、
軍備を拡大して核兵器を持つ国家
おまえの夢が詰まってるやんかww >>286
私達日本人の夢ですね^^
>>283
琉球(現沖縄)は支那の領土だと思いますか? >>287
中国の領土だと思っている人なんていないのでは? どっから沖縄が中国の領土なんてでてくるんだよ わけわからん 江戸時代の江戸は街中に野良タヌキや野良キツネは多かったの?
現在のロンドンは野良キツネ多いらしいけど >>291
http://tokyotanuki.jp/
実は現在の東京の都会でも野良タヌキは健在のようです 沖縄はもともと琉球王国だったから日本固有の領土ではない。 汎ヤマト主義を共有できる程の民族的共感があるとまではいえなくない? ほぼ無人だった時代から、だいたい平安末期ないし鎌倉時代ごろに
人口が増えてクニのようなものができだして、琉球王国が統一しただろ
琉球王国の前は無主だよ
どこかに朝貢する力すらなかったから、とうぜん中国の王朝の版図でもない 沖縄関連のコピペバカ質問は総スルーでお願いします。 無主の地っつっても、住民の大半は九州からの移住者の子孫だったし、本州や四国からの移住者の割合も高くて、
もとから現地にいた人の子孫は琉球王国成立以前ですら少なかったがな
だいたい、琉球語の単語の大多数は、パッと聞くと日本語と全然違うように聞こえても、
よく聞いてみると日本語単語の母音が訛って変化した上で意味用法も少し変わっただけの、
ほぼ日本語と言えるものが多いじゃん >>294
嘘つき乙!!!
琉球王国時代の前は三山時代な!!! >>298
琉球語は日本語とは異なる独自の言語であるとユネスコが認めている。 別言語と言っても同じ日本語派だから
方言と変わりは無いよ 沖縄では日本語と琉球語は別言語ととらえている。
その証拠に日本語には狭母音が使われることはないが、琉球語は狭母音の多用される。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) じこ‐けっていけん【自己決定権】
一定の個人的な事柄について、公権力から干渉されることなく、自由に決定する権利。
日本では日本国憲法13条で保障されている幸福追求権の一部と考えられる。
例えば、結婚・出産・治療・服装・髪型・趣味など、家族生活・医療・ライフスタイル等に関する選択、決定について、公共の福祉に反しない限りにおいて尊重される。
(「デジタル大辞泉」より)
日本政府は「沖縄出身者は日本民族である」と決めつけて外務省のホームページにもそのように書いているが、これは我々沖縄の人々の自己決定権を侵害する重大な憲法違反である。
そもそも民族の帰属問題は日本政府の専権事項ではなく、個人の自己決定権が尊重されなければならない。
自己決定権は憲法13条で保障されている幸福追求権の一部とされているから日本政府が我々沖縄人の自己決定権を無視して十把一からげに「沖縄出身者は日本民族である」と決めつけているのは明らかな憲法違反である。 >>299-300
三山時代もその前史も日本の領域ですよ
ユネスコは支那の出先機関。琉球と同じ >>302
琉球では室町時代から日本で使われる「平仮名」が使われていたと思うが
琉球は文字を持たなかったが口承のみだった時代に戻りたいわけ? アイヌ語も別言語で保護すべき言語だが、
だからといって北海道は日本の領土
>>306
それを言い出したらひらがなのもとは漢字であり、
漢字のもとは古代中国でありとなっていくぞ >>305
三山時代に日本という国家はなかった。
ゆえに当時の三山には日本の統治権が及んでいなかった。 1910年に朝鮮半島を併合してから1952年にサンフランシスコ講和条約が発効されて朝鮮半島に対する領有権を放棄させられるまでの42年間、日本政府は一度も「朝鮮半島は日本固有の領土」と主張しなかった。
併合した地域を「日本固有の領土」と言えるわけがないから当たり前のことであって、沖縄も琉球王国時代の1879年に日本政府が軍隊を動員して武力併合しているから日本政府はこれまで一度も「沖縄は日本固有の領土」と主張していない。
さすがの外務省もこの点はよく弁えている。 >>305
当時の日本の政権(京都の朝廷、また時期によっては鎌倉幕府なども)は
琉球を日本の一部と認識してたっけ?
ひょっとしたら元寇関連資料で何か書いてる気もするが >>302
方言やら同系統類似言語の間で比較的変化しやすいのが母音
変化しにくいのが子音
琉球語と日本語(現代の標準語ではなく前近代の諸方言などで)の間で
子音の変動が少なくて母音の差が大きいというなら、琉球語が日本語の派生だからだよ >>310
大和朝廷どころか江戸幕府でさえ琉球を日本の領土とは思っていなかった。
その証拠に日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページに「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書かれている。 >>307
日本独自の文字を発明したんだが…。起源を辿るなんてこと言い出したら全てエジプトに起因するぞ
古代中国こと漢(王朝)は1600年前に滅んでいる。今は鮮卑族の国
>>308
あのー。清和天皇の末裔が治めているんですが >>311
日本語と琉球語は別の言語とユネスコが認定している。 >>313
日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページに「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書かれている。 >>314-315
ユネスコは学術機関ではない
清水書院と江戸幕府は日本政府の一組織ではない 1871年に台湾に漂着した宮古島の島民54人が台湾の先住民族の生蕃に殺害された後、日本政府は「自国民保護」という名目で、3年後の1874年に台湾に派兵している。
その後、日本と清国(現在の中国)の間で琉球諸島の帰属問題が話し合われることになり、日清交渉が始まった。
そして、1880年4月17日に日本政府は清国に対して琉球諸島の一部である八重山諸島と宮古諸島のいわゆる先島諸島を清国に割譲することを閣議決定している。
その見返りとして日本政府は欧米諸国同様の通商権を清国から獲得する旨を清国側に提案した。
日本政府が清国に提案した先島分割案(琉球分島案)は日清両国で合意に達したが、清国側が批准しなかったので、発効しなかった。
この合意が実現していれば、先島諸島の宮古、八重山(もちろん尖閣諸島も含まれる)の土地と住民は、清国の管轄下に置かれることになったのは言うまでもない。
1879年の琉球処分が国家統合、あるいは日本の民族統合だったという日本政府の主張が欺瞞であることはこの歴史的事実が証明している。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張する日本政府にとって、商業権益の引き換えとして、その尖閣諸島が含まれる八重山諸島と宮古諸島の先島諸島一帯を清国に割譲することを1880年4月17日に閣議決定した歴史的事実は、まさに触れられたくない不都合な真実である。
この歴史的事実を指摘されたら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 >>316
文部科学省は日本政府の一組織。
その文部科学省が「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書いた清水書院の教科書を検定で合格させたということ。 >>318
で? その清水書院は沖縄を支那の領土であるとか抜かしているの? 不明→天王→天皇と書いてあったりするでしょ
アセンション「華麗なる成長」
と言っている人がいた 盗まれた神格
本当は他の家(人、存在)の話なんじゃないのか?
気づいている人がいたり トラのような模様。
ハエが何やら?と言っている人もいた 魔法のペルシャ?
ここは学者のスレッドなんだから、わかるはずでしょ 日本政府の一組織である文部科学省が「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書いた清水書院の教科書を検定で合格させたというのは事実。
163ページに書かれている。 >>310
延喜式・日本書紀に西南諸島の各島の編入年とそのときに島の長に授けた役位が書かれてるよ。
中山藩王尚氏の琉球支配の正当性の主張は、自己が源為朝裔の源氏の貴種であること以てしている。 >>313
漢字の起源は日本?
ネトウヨが韓国ネチズン化しているというのは事実みたいだなw >>314
ヨーロッパの主要言語はそれぞれ別言語だが、スラブ語系、ゲルマン系ラテン語系などいくつかに大別されるし
それらはインドヨーロッパ系だっけ?の1グループにまとまる
日本語は類似言語の見つからない孤立言語とされているが、
琉球語が別言語なら、日本語と同系統の唯一な仲間ってことになるな >>326
源為朝の話は史料がないから歴史学者の間では史実とはとらえられていない。 >>314
ユネスコが琉球語を別言語と認定している史料をあげてくれ
あと琉球語は奄美諸島でも使われていたが
こちらは昔から日本で薩摩国だったんだよな
現在も鹿児島県だが >>329
論点分かってますか? 史実はともかく元祖沖縄人の主張がそれ >>330
学問や文化を、自分が支持する政治的立場を正当化することを目的に見ようとすると齟齬が生じるぞ
それこそ韓国のウリナラマンセーと変わらん 日本の歴史研究全般にいえるが
左右翼ともにイデオロギーから歴史を研究するから、結論ありきで、ありのままの歴史像の分析がしにくくなる >>332
学問や文化の面から琉球は日本とは似ても似つかない
完全なる独立国だと言ったのはお前じゃん
簡単に嘘つくのは韓国のウリナラマンセーと変わらん >>332
学問や文化の面から琉球は日本とは似ても似つかない
完全なる独立国だと言ったのはお前じゃん
簡単に嘘つくのは韓国のウリナラマンセーと変わらん >>307
漢字を使用している国は中国以外にも多いが
ひらがなを使用している国は日本だけだぞ >>331
為朝伝説は根拠となる史料がない。
だから伝説はあくまでも伝説にすぎない。 >>336
たらこスパゲッティは日本が作ったから
カレーライスの起源は日本というもんだな >>336
間違えた
たらこスパゲッティは日本でできたから、
スパゲッティの起源は日本というもんだな ひらがなカタカナを生んだアレンジ力は凄いと思うけどね
ただ崩し字の古文書原文をみても
漢字とかなは今のように明確に区別されてはおらず
あやふやだ 変体仮名というが >>340
その変体仮名を明治の国語改革で綺麗さっぱり整理したのが大英断だったな。 >>339
沖縄人には応用力もないから
日本の平仮名カタカナをそのまま使ってる馬鹿なんだな >>343
つまり沖縄人は俺たち日本人じゃないと
お前自身が認めてるじゃん
語るに落ちたな >>337
その伝説があったという史実は変わらないですー。
>>338
たらこスパゲッティはスパゲッティと呼べるが,ひらがなを漢字とは呼べない
>>345
「餓鬼には応用力もないから日本の平仮名カタカナをそのまま使ってる馬鹿なんだな」
餓鬼は日本人じゃなくなるのか? >>346
その史実は琉球の正史にはありませーーーーん!!!
残念でした〜〜〜〜〜〜!!! >>329
うそぉん。
「幕末まで琉球藩王の尚氏が源為朝裔を称していた」というのは史実じゃん。
本当に源為朝から系譜がつながってるかどうか知らんが、尚氏が琉球の支配権を所長するにあたっての拠り所が
源氏の貴種だということにしてただろ。
尾張守護代の織田氏に喩えると、「織田信長が平資盛裔の平氏を自称していた」というのは史実で、
系譜には平資盛の次の代(平親真)でいきなり破綻するから織田氏が平氏というのは史実では無さそうだ、というに
似ているか。 源氏の末裔を自称する奴に日本人の自覚が無いとは思えないよね 孟子とか、漢の中山靖王と霊帝とか、秦の徐福とか、楚の項伯とか、定番中の定番でなくて、日本国王(源義満)の遠縁を自称だからねえ。 中世ヨーロッパの王侯貴族はカール大帝の末裔を自称してたけどドイツ人意識があったわけではないから
尚氏が源氏の末裔を自称したからといって日本人意識があったとは限らないでしょ フランス意識があったろ。ヨーロッパは10世紀くらいから18世紀くらいまでどこも宮廷ではおフランス語だったし。 カール大帝がドイツ人という主張なんて見たことなかったわ >>348
琉球の正史に源為朝の名前はありませーーーーん!!!
残念でした〜〜〜〜〜〜!!! >>352
中世にはまだドイツ自体がないからなぁ。 以上の水掛け論の結果、グンマー王国が独立王国だと証明された。 >>352-353
つかそもそも、カール大帝の国であるフランク王国の名前、国名を継承してるのがフランスだし フランスの三大英雄
シャルルマーニュ
ジャンヌ・ダルク
シャルル・ド・ゴール >>349
その理屈なら大内氏なんてどうなるんだ?
百済王家の子孫と名乗ってるが そもそもネトウヨは本音では沖縄をバカにしていて、
沖縄人を誇りある日本人と同一でないと思ってるが、
もし沖縄が独立して日本の領土が減ったら大損失だから、
日本の領土に決まっていると言い張るという葛藤
2chの中なら、素直に葛藤を認めたらどうか?
俺の考えとしては沖縄には沖縄独特の文化と伝統があり、
日本政府はそれを尊重すべきであり
そして今は日本に愛着を持ってくれている沖縄人は、
他地域の日本人と同じ日本人であると考える >>362
百済王は日本人だと知らなかった?
だいたい日本の一地方である沖縄が大きい顔をして他の地方が善い顔をする筈がない
田舎丸出しは莫迦にされて当然だろう。しかし地方独自の文化や伝統は誰もが尊重している
どの地域であってもね
ちなみに朝鮮半島は例外。白村江の戦いで負けて放棄しちゃった。(しかし沖縄は放棄しなかったのよ。日本人だと認めているから ひらがなは漢字の字体のくずしを原点としていることも知らない奴が、
百済王が日本人とか何言ってんだ?w
ネトウヨのマンセー史観か?
当時の古代朝廷が琉球に国司でも派遣して律令でも敷いたのか? この次はジンギスカンは日本人とか言い出すのか?
ネトウヨのウリナラマンセー史観がいよいよ本家を越えてきてるじゃんw 成吉思汗の幼名は牛若丸だろ。どう考えても日本人の名前じゃん
>>365
大化の改新したばかりの日本と同じね 第二次世界大戦の被害者数をどんどん膨らませている中国ですら、
秦の始皇帝前後の時代では、万里の長城より北は中華と認識してなかったと認めているぞ
変に歴史を自分の政治的立ち位置から「こじつけ」ていると、
歴史を正しくみれなくなるぞ >>368
おいおい中華とは中国の中心という意味でしかないぞ。
現代日本で例えるなら首都圏の範囲な。もちろん長城の向こう側も天子様のもの 沖縄はもともと琉球王国という独立国だったので日本固有の領土ではない。 >>362
戦後の左翼史観で「渡来人」に用語が変更になっているけれど、律令時代から千数百年「帰化人」なんだよね。
帰化だよ。王徳に帰順し化さるる人だよ。帰属を本邦に変えた人だよ。
そもそも百済は属国だし、支那の側についてる新羅に順ずるを良しとせず日本に来てる人だからな。
大内は権勢はあっても精々田舎勢力を抜けられんのは、貴種でもなんでもない帰化人の諸蕃氏族だからな。
天下取りには参加できなかったしそもそもやる気なかったんだろ。 >>372
薩摩は琉球に対して領有権を持っていなかった。
その証拠に薩摩は琉球に対して裁判権も逮捕権も持っていなかったし、そもそも琉球は異国だったから日本の年号(和暦)を使用していなかった。 幕府が諸大名領での逮捕権を行使できなかったのと同じだろ
幕藩体制では「大名家中は大君の与る所に非ず」(大名の領地経営に将軍はコミットしない)が基本政策だし、
大名どうしは支藩といえども経営には直接参与はないのが通例。琉球藩王領は薩摩の支藩という形式だから
干渉すれども参与せず、で直接的な権力行使はしなかった。幕藩体制の基本だからな。 >>372
対馬も併合の時期が早い以外は大差ないけどな
江戸時代の前かあとかって違い。大違いだな 太平洋戦争中、東京の陸軍中野学校から派遣された日本人特殊工作員が沖縄の久米島にあった国民学校の沖縄人教師になりすまして、
いざとなったら地元住民を道づれに玉砕することを任務とし、スパイ活動を行っていたことがNHKのニュースウオッチ9で放送された「沖縄戦 離島残置工作員の実像」で明らかになった。
NHKの取材によると、沖縄人になりすましていた日本人特殊工作員は判明しているだけで11人いて、彼らが潜伏していたのは久米島、波照間島、粟国島、伊是名島、伊平屋島、与那国島など9つの離島であることも明らかになっている。 >>372
その通り
当時は琉球は薩摩そして日本の属国であると考えており、
日本とは考えていなかった 中国王朝-朝鮮半島との関係と似ている >>374
不敬の尚寧王を逮捕して江戸に連行したことあったのに忘れた?
>>379
邪馬壱国は陳寿の空想上の国だから 質問です
戦国時代の甲冑職人は最終試験として、出来上がった甲冑を鉄砲で撃ってから納品してたが、
後には最初から弾の模様を彫って作るようになったと聞きました
これは高級品の証として職人が形式的につけていたのでしょうか?
それとも依頼主がデザイン的にカッコいいとオーダーしたからでしょうか? >>380
薩摩は琉球に対して裁判権も逮捕権も持っていなかった。
琉球王府が編纂した琉球の正史である球陽に書かれている。 なんだ?w 正史って言っているの『球陽』のことだけかw
記載されてないことの方が多い >>383はこのところずっと沖縄荒らしに加担しているキチガイ >>382
慶長14年に薩摩藩士が琉球藩王・尚寧および重臣を逮捕し、尚寧は江戸に連行されてる。 >>379
そうだよ。
支那の年代で言うと隋の時代にようやっとこ独立宣言 >>381
>後には最初から弾の模様を彫って作るようになったと聞きました
そんな話は聞いたことがない。プレートアーマーの胴を改造して日本式の甲冑に仕上げたものに
鉄砲で撃ってテストした弾痕のついてるものがあるのは事実だが全部やってるわけではない。 >>389
ありがとうございます
弾の模様はうろ覚えなので実在しない可能性が高いかもしれませんね 天皇親政、摂関政治、院政みたいな
感じで現代の政治体制を称する時、
一番ふさわしい表現はどれですか?
・間接民主制?
・代議制民主主義?
・議院内閣制?
・立憲制?
・二院制?
・憲政? >>387
薩摩は琉球に対して裁判権も逮捕権も持っていなかった。
琉球王府が編纂した琉球の正史である球陽と中山世鑑に書かれている。 >>391
本来は立憲君主制だったのをマッカーサーが天皇が権力を持つことが絶対無いように作った
象徴天皇制なので、議院内閣制でいいんじゃない。 沖縄はもともと琉球王国という独立国だったから日本固有の領土ではない。 >>393
元々=明治憲法の時代は、憲法上は名目的に絶対君主制で、
法律と運用では立憲君主というアンバランスがあった
ここに統帥権独立問題が起こった際に、適切に解決する手段がなく
それを契機として徐々に政治が崩壊した
昭和に入ってから早い段階で立憲君主という政治形式は終わってたんだよ >>392
王様が薩摩兵に逮捕されて江戸までしょっ引かれてんじゃん。
ときは慶長14年4月、王様の名前は尚寧 お前はまだグンマを知らない | くらげバンチ
ttp://www.kurage-bunch.com/manga/gunma/ 沖縄は138年前に明治政府によって併合されて今に至っている。
それまでは日本の統治権が及ばない琉球王国という独立国だった。
だから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本の固有の領土ではない。 沖縄は146年前に鹿児島県によって併合されて今に至っている。
それまでも島津家の統治権が及ぶ琉球藩という支藩だった。
だから,その琉球藩を前身に持つ現在の沖縄は鹿児島県の固有の領土ではある。 鹿児島は県であって国ではない。
しかも「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」という意味である。
だから鹿児島に統治権はない。 だから島津家の統治権だよ
なおさら分家の尚家は国家ではないな >>405
でも現実問題、琉球は薩摩の支配下に置かれて
薩摩に納税してただろ 今でも日本国特命全権大使が赴任している沖縄は内地と同じだとは言えない 足利義満は明に臣従したので、
この時期の日本は独立国ではない >>408
左遷ポスト?
ttp://ameblo.jp/hebipaku/entry-11457176348.html >>409
鳩山友紀夫や安倍晋三が支那に服従しているということで
現代日本が独立国でないということと同じ趣旨のことを主張されているのでしょうか? 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>406
島津は琉球に対して統治権を持っていなかった。
その証拠に琉球は清国に大使館を持っていたし琉球独自の外交権を行使していた。 >>407
薩摩は琉球を完全に支配していたわけではない。
薩摩による支配というのはあくまでも形式的なものであって実質的に支配していたわけではない。 >>415
柔遠駅は宿館ですよ
礼部は礼を教えるところ。清国に外交もないのに外交権をどう行使したんだろうね
>>416
清国の支配(外交ではない)が形式的であって,実質的に支配していたのが島津藩 日本の独立国家は形式的であって実質的に日本を支配しているのはアメリカ 支那の独立国家は形式的であって実質的に支那を支配しているのはコミンフォルム >>417
薩摩は琉球王国を解体できなかった。
その証拠に薩摩が琉球を侵攻した1609年以降も280年にわたって琉球には国王が存在していた。
また、1854年に琉球とアメリカが結んだ琉米修好条約に薩摩はまったく関与していなかった。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf >>422
だから薩摩に替わって維新政府が,売国行為を犯した琉球を処分したのだろう >>424
そもそも琉球王国は日本の統治権が及ばない異国(外国)だったから「売国行為」という指摘は当たらない。 江戸時代、藩の領地は武蔵の国10ヶ村と遠江の国5ヶ村とか
どうして離れた所にバラバラあったのでしょうか
まとめて領地相互入れ替えとかの発想は無かったのでしょうか
または、幕府直轄にして蔵米だけとかの発想は無かったのでしょうか >>425
江戸では井伊直弼に天誅が下ったけどな。沖縄人に愛国精神は皆無か >>427
今の沖縄が日本に併合されたのは1879年で、それ以前は琉球王国という独立国だったから日本の領土ではなかった。
だから日本に対する愛国心だとか帰属意識は他の都道府県民に比べて極端に薄いのは間違いない。 琉球王国に対する愛国心(郷土心?)が皆無と言われているのになww 琉球王国は日本政府が軍隊を動員して沖縄県に変えた。
だから沖縄人は沖縄に対する郷土意識は強烈に持っているが、逆に日本に対する愛国心や帰属意識はほとんどない。 日本政府が軍隊を動員して琉球王府があった首里城を取り囲み、城の明け渡しを迫っている。
だから沖縄は日本固有の領土ではない。 廃城令に従っただけでしょう
なに例外を求めているだよw >>428
沖縄人って旧王家の尚氏に対する忠誠心はあるわけ?
つうか、尚氏って廃藩置県で華族に取り立てられて東京に移住
そのまま子孫は東京に住み続けて沖縄に帰らなかったみたいだがなんで? >>435
25年ほど前に沖縄県副知事をやっていた尚弘子は
配偶者である夫が尚氏の傍系(尚泰王の四男の六男)というだけで
本人は尚氏の血を引いていない 尚大田知事が性差別主義者で女性なら副知事にすることを選挙公約にしたから。
何人にも断られ続け,副知事要請を受けた破廉恥な女性が尚氏の妻だったというわけ 今日のニュース速報板にあったんだがこれマジ?
元軍の人種構成
文永の役(1274)
高麗人 12700人
宋人女真人漢人 12270人
モンゴル人 30人
総数 25000人
弘安の役(1281)
高麗人 25000人
宋人女真人遼人トルコ人安南人
24850人
モンゴル人 150人
総数 50000人
さて、本当に「元寇」だったのでしょうか? 朝鮮人に攻め込まれたと言う方が恥ですが?
日本さげの人 >>433
日本政府が軍隊を動員して琉球王国を武力併合したというのが歴史的事実。
だから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 >>439
わかる
アメリカの442連隊は日本軍だよな >>427
テロリストが幕府要人を殺害した大事件な
今なら総理か官房長官の殺害ぐらいのレベルの重大事だぞ >>431
アメリカの警察権(警察じゃなくて軍が動いたんだけど)がパナマの大統領官邸内で同国大統領を逮捕した事件もあるけど、パナマは(実質的に属国同然ではあれ)独立国であってアメリカ合衆国の一部というわけではない
琉球王国の国王に対する問題の事件と同じだよ >>426
戦国時代まではそれが普通だったから交換してもらうという発想はない。
蔵米にするということは大げさにいえば一城の主であるという誇りを捨てるということだ。
ヨーロッパでは小領主が土地を失って宮廷に仕えて禄をもらうようになることで中央集権が
進むんだけど。 >>444
なるほど。尚泰は犯罪者だったということですね >>415
使節が土下座(叩頭跪坐)をするのに、大使館wwwww >>446
満州国は独立国なの?
琉球王国と似たような境遇なので >>426
封建制というものは、そういうものだよ。
ヨーロッパの中世・近世も、イスラム王朝時代の中近東やインドも、モンゴル帝国時代の極東アジアも、貴族の領地は分散した飛地だらけ。
功績によって主君から貰ったり、戦争で獲ったり取られたり、婚姻や養子縁組や相続に伴って人に付いてきたり、贈与や売買や借財の返済代わりのような経済理由等で
支配権や徴税権が移動する。
結果、細切れの飛び地だらけになる。
飛地を好感して境界を単純化するというようなことも頻繁にあるにはあったが、自領がひとまとりになることは好んでも、他領が一まとまりになることで軍事的に強化される
ことはあまりこのまないので、結局のところ、相互に領地の境界が単純化するようには浮きにくい。
徳川幕府のように上位の主君が、大名の国力増強を嫌って、領地の交換を厳しく禁じたりすると、飛び地の細分化がどんどん進む。 >>448
満洲国は独立国ですよ
昭和天皇も縁戚者を弟君の妃とするぐらい丁重に接している
琉球国王は他の国王の使節相手に土下座するくらいだから妃も蛮人扱いだろう 日本だと、飛び地の交換どころか家臣の持つ領内領の直轄化に手こずる藩も多かった
大名としては領国の集権化はしたいが封建制の否定もブーメラン 大久保卿の暗殺、原首相の暗殺、伊藤博文の暗殺、浅沼稲次郎の暗殺、
この辺りは最高権力者やそれに近い
存在が暗殺されているにも拘らず、
あまり有名では有りません
これは何故でしょうか?
もし仮に今、安倍首相や菅官房長官、
蓮舫辺りが暗殺されたとしても、
後世において、それほど有名な事件には
ならない可能性が高いのでしょうか? 沖縄が日本固有の領土でないことは138年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明されている。
沖縄の前身である琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員して武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉にも日本政府自らが軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明してしまった。 >>452
最高権力者に近い存在でも絶対的権力者ではないからです
彼らが暗殺されても換わりはいくらでもおり,政治に変化が生まれませんでした
そういうことなので安倍首相を暗殺しても有名な事件にはなりません
ですからお願いです。間違っても安倍首相を暗殺しようとは考えないで下さい。貴殿の名は残りません
くれぐれもお願いします >>450
矛盾だぞ
天皇が丁重に接しているから独立国にはならないだろ
満州国は日本の属国 琉球王国と同じ 対等と観るか臣下と看るか全然違う
華族が平民と結婚できなかったのは分かるな? 今は違うけど 天正壬午起請文の新資料どうなりましたか?新しい名前わかりますか? >>455
琉球王国は独立国だった。
日本政府も認めている。
残念でした。 戦前から戦中にかけて日本にスパイを養成する学校(陸軍中野学校)があって、そこで徹底的に教育を受けた特殊工作員が太平洋戦争の最中、沖縄の9つの島に派遣され、沖縄人になりすましてスパイ活動を行っていたことがNHKの「ニュースウォッチ9」で放送された。
この歴史的事実はマスコミで取り上げる前から沖縄ではよく知られていたが、沖縄以外の都道府県ではほとんど知られていなかったのでNHKがこのことを取り上げて全国の人に伝えてあげたのは大いに意義がある。
元沖縄県知事の大田昌秀氏の説明によると、「沖縄はかつて琉球王国という独立国家であったために天皇の存在さえ知らない人がたくさんいるから、 日頃から監視しておかないと、 いざという場合にどこへ向かうか分からない。
『全県民総スパイ視』という言葉まで言われるようにひどい状態が実際に起こっていた。
捨て石にされたということと日本本土の目的達成の手段に供されるというもの扱いにされてきたのがはっきりする」とのこと。 >>453
清朝が介入しつくる前に手を打っといただけ >>443
終戦直後くらいまでの日本はそういうテロが普通に起こってたからな
高度経済成長以降だよ日本が平和になったのは >>1 なぜ現実の博士はお茶の水博士みたいに「〜じゃよ」のような
口調ではないのでしょうか??? >>454
大久保卿なんかは当時の明治政府の
事実上のトップだし、内務において
グランドデザインを敷いていた最大級の
実務者でもあったんじゃないですか?
そんな大人物の暗殺事件にしては、
紀尾井坂の変てあまりにもマイナー感が
あるのがしっくりきません
伊藤博文も大人物ではありますが、
暗殺された時点では政治家としての
ピークを過ぎていた印象があります
大久保に関しては、政治家としての
ピーク時、まさに活躍している最中での
暗殺という印象があります
大久保利通と伊藤博文、どちらが大人物
かは分かりませんが、暗殺のタイミング
的には大久保暗殺の方が社会や国家への
影響や衝撃が大きかったと思います >>463
その直前に木戸,西郷という更に上を行く大人物が死んでいるからなぁ〜
大久保は残り物の中での大物。やはりマイナーですね 井伊直弼が暗殺された桜田門外の変は
かなり有名ですね
井伊直弼が主張した開国も、当時として
は既定路線というか他の選択肢が
考えづらい状況でしたよね
何故桜田門外の変は有名なんでしょ? >>465
幕府大老という将軍に次ぐナンバー2の立場にある者が
将軍の居城・江戸城への登城途上に殺害されるという
幕府権威の失墜を表す出来事だったから >>463
朝鮮併合反対派の伊藤博文が朝鮮人に暗殺されたことで朝鮮併合が実現して
今だに因縁つけられてるのに影響小さいのか?
>>465
>何故桜田門外の変は有名なんでしょ?
開国したから天誅を加えたんじゃなくて、安政の大獄に対する反発だ。それにより
大老を暗殺された幕府の権威は失墜して倒幕の夢ではないとみんなが思った。 >>468
>倒幕の夢ではないと
倒幕も夢ではないと >>452 >>463
原敬や伊藤博文の暗殺は高校日本史の教科書に載っている
大久保、浅沼の暗殺は載っていない
なんで伊藤の暗殺よりも大久保の暗殺のほうが重大だと
思っているのか知らないが >>463
紀尾井坂の変がマイナーな扱いというのは、どういう基準によるものかわかりませんが、
大久保卿が死んだ時、明治政府の基盤はすでに磐石となっていましたから、
大久保が死んでも微動だにしなかったというのがほんとうではないでしょうか。
政変の結果、混乱が起こって、そのまま激動の時代に突入していたりしていたら、
歴史的事件としての影響や重要性が脚光を浴びることも考えられますが、もうそんな状況ではなくなっていましたが、
そういう体制を作ったのも大久保自身でした。 現在の日本は立憲君主制であり、
君主=天皇であり、現在の天皇は
象徴天皇(制)です
つまり、現在の日本は立憲象徴天皇制と
言って良いのですか? 紀尾井坂の変が、結果的に地味にみえるのは、大久保自身の業績、
すなわち明治国家の基盤を磐石にするという目的が、その時点ですでにほぼ達成されていたからにほかなりません。 >>472
今の日本は民主主義
シンボルである天皇に政治権限はない
立憲君主制は憲法による制限を受けるものの
君主による政治主催を認めている
大日本帝国憲法下の日本が立憲君主制
立憲象徴天皇制というものは存在しない >>474
ありがとうございます
しかしながら、あなたの見解では
現在の日本は立憲君主制ではないと
いうことですか?
様々なメディアや人の言葉で、
日本=立憲君主制と言われていますが、
どうなんでしょうか? >>475
どのようなメディアで現在の日本が
立憲君主制だと言われているのですか?
現在の日本は立憲君主制ではありません >>475
立憲君主制は外形基準であって、
中身は議会制民主主義のもとでの象徴天皇制です。
国の統治権は国民にあるので、いまでは君主制といういい方をする人はすくなくなりました。
左翼系の人はそういういい方をしたがる感じですね。
君主制を廃止して、人民民主主義に移行するのが夢なんだそうです。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>463
大久保利通は当時日本のトップ政治家の一人ではあるが
内閣総理大臣ほど全権が集中していたわけではない
利通が担当していた内務卿は地方行政、警察、神道などを統括する
要職だったが内閣総理大臣のようにすべてに責任を持つわけではなく
財政・経済面は大蔵卿の大隈重信、法務・法律面は司法卿の大木喬任、
教育・文化は文部卿代行の田中不二麿らがいて、太政大臣・三条実美がこれらを束ねていた
後に初代内閣総理大臣となる伊藤博文が内務卿上がりなので権限は大きかったが
内閣総理大臣とは違う >>477
右翼の人って現在の日本は立憲君主制だと言ってるの?
君は右翼の中でも凄く偏ってるよ >>480
どう読んだらそう思うんだ。
戦前は型どおりの「立憲君主制」だったけど、
戦後は国体の再定義が行われて、
「議会制民主主義のもとでの象徴天皇制」になりましたという話だよ。
一般国民はそれで十分納得してるよ。 >>476
>>477
ありがとうございます
かなり多くの様々なメディアや
人の意見として、日本=立憲君主制と
言われていると思うのですけれどね
今一度自分なりに調べてみます >>481
王様のやるべきことを法令で制限しているのが立憲君主制だわな。 >>474
政治上の権限はなくても立憲君主制とされてるイギリスとの違いは? >>481
象徴天皇制は国体、議会制民主主義は
いわゆる政体ではなかろか? わかってて噛み合わない議論したい奴等なんだからほっといてやれ >>484
英国は憲法の精神を守る(というか守るべき憲法がないというのが正解かな?)
日本は憲法の形式を護る(実質が違憲でも気にしない人が政権を握る 日本と英国の場合は 同じ立憲君主制でもタイプが異なる
英国の場合は名誉革命の後で
民衆が主体となって王権を制限する立憲君主制だった
日本の場合は自由民権運動はおこったものの、
明治憲法は天皇が臣民に下賜するという形であり、
天皇が主体となって、天皇が親政を自重してあげるという立憲君主制となった 暗殺に関するレス、ありがとうございました
大久保暗殺に関しては、大久保によって
明治政府の基盤が磐石になっていた為、
結果としてさしたる影響がなかったから
紀尾井坂の変がそれほど有名にならなかった、
と解釈しておきます 沖縄は138年前に日本の明治政府が武力併合するまで日本の領土ではなかった。
だから沖縄人には日本に対する愛国心だとか、帰属心といったものはあまりない。
歴史的に見て沖縄は日本固有の領土とは言えないから、沖縄人は日本人のような愛国心や帰属心など持てないのはある意味当然である。
俺は、そう遠くない将来に沖縄が日本から離れるだろうと見ているが、沖縄が日本から離れるのは歴史の宿命とも言える。 そういえば琉球王国の伝説では初代琉球王舜天は源為朝の子供だね。よかったよかった。 >>476-477
ウィキペディアより
>>日本国憲法では、国の最高法規、国民主権、天皇について規定した
第1章(第1条〜第8条)による象徴天皇制を採用した。
内閣法制局による政府見解では日本国憲法下の日本を「立憲君主制と言っても
差し支えないであろう」としている[要高次出典][15][16]。 >>492
>[要高次出典]
wikipediaだけにこれがつくと信頼度が低い。 >>491
伝説とは失敬な。琉球の正史にもちゃんと書かれている 「帰れコール」「辞めろコール」にムキになって言い返す精神年齢が幼い日本の総理大臣が実に笑える。 この定期的に現れる同一人物って一目瞭然な妙な改行句点なしさんって、
句点付けると死んじゃう病でも患っておられるのだろうか? スレちな話題へのレスだが、むかし第一次安部政権がつぶれた原因たるねじれ国会、
あの選挙大敗のときの総理が安部さんだよね
選挙で負けた原因のひとつであろう癒着問題がぜんぜん改善されてなかったら、
そりゃあ人気も落ちるよな 所詮都議会選挙でしょ。経済が急ブレーキしない限り、国政では自民安泰じゃん。おもしろない、ぷんぷん 所詮都議会選挙だと理解できてないからこそ「負けるわけにはいかない」とテンパったんですよ 「問題ない」「指摘は当たらない」
こういった官房長官の木で鼻をくくったような
答弁も内閣支持率低下の要因の一つ。
指摘に対して真摯に対応しないから内閣支持率は一向に下げ止まらない。 自民党議員からも嫌われている総理大臣が実に笑える。 >>392
藩王の世子を抑留する権利を持っていたよな。琉球の王様は鹿児島育ちw
ってか、琉球めんどうくさいな、知行もちの家臣は「王子」だしな。
ヨーロッパの、王様の子供も、行政権付の知行もちの大領貴族もPRINCEなのと同じか?
そういや、琉球の“王子”の知行も、藩王の直接支配が及んでなくて、王様に逮捕権も裁判権も無いな。
羽地朝秀の采地・羽地郡では、、君主だる藩王・尚質や尚豊の行政権・警察権が及ばず、逆に、薩摩に人質に出されていた経緯から
強く薩摩の干渉を受けてる。 >>504
薩摩は琉球に対して統治権を持っていなかった。
残念でした。 朝鮮も明とか清とかの属国だけど統治権まで取られてないだろ。
明治政府が国交を結ぼうとしたら清の属国だから無理って拒否したけど。 ↑ このオキナワ君をしつこく相手し続ける荒らしは何者? >>508 ←このオキナワ君への反論を封じて、味方するのは何者? >>510
横槍失礼しますが
オキナワ君はいくら反論しても論点をずらしたりしてほとぼりさめたら同じ発言を繰り返し無限ループに陥っています
彼の目的もよくわかりません。当初は中国の沖縄領有権を主張したかったようですが最近は少し違う気がします。同一人物とも限りませんが
真面目に相手しても効果がないのですがどう対処したものか途方に暮れています 反論のテンプレが欲しい
支那人は事実と幻想を混ぜるから時々当惑させられるので 日本と中国のネトウヨの思考回路は同類
日本ネトウヨ「日本は朝鮮半島を近代化させてやった恩人」
中国ネトウヨ「中国はチベットを近代化させてやった恩人」
日本ネトウヨ「日本はアジアを解放した英雄だ」
中国ネトウヨ「中国はアジアに漢字文明を与えた英雄だ」
日本ネトウヨ「日本の歴史と伝統は世界特有で慕われている」
中国ネトウヨ「中国の歴史と伝統は世界特有で慕われている」
日本ネトウヨ「日本人は世界一!!!」
中国ネトウヨ「漢民族は世界一!!!」
日本中国ネトウヨ「愛国無罪万歳!!!」 >>513
便利なテンプレに頼れるような甘いものでは世の中はありません
全身全霊で反論して叩き潰しなさい >>507
薩摩は藩であって国ではない。
だから琉球は薩摩の領土ではなかったし、そもそも薩摩には統治権はなかった。
「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」という意味である。 国家でなくても島津家は領地を持つ
全くの間接統治による植民地経営や、中華思想による冊封だってある
領地とは云々と現代の定義をそのまま過去の時代へ当てはめても仕方がない、
そういう形式論理をもてあそぶ人は歴史板に相応しくないから出てゆきなさい 薩摩は藩であって国ではない。
だから琉球は薩摩の領土ではなかったし、そもそも薩摩には統治権はなかった。
「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」という意味である。 「佐藤優 分析 安倍首相が沖縄知事と会わない理由 琉球王国外交文書が里帰りが意味するもの」
https://www.youtube..../watch?v=Mt5M97M1_m8
この動画の6分30秒のところで佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と語っている。
日本人の父と沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへのこだわりがよく伝わってきて実に興味深い。 国語辞典【こだわり】
ちょっとしたことを必要以上に気にする。
気持がとらわれる。
拘泥する。
とことん追求する。
つかえたりひっかかったりする。「それ程こだはらずに、するすると私の咽喉を滑り越した」(漱石 硝子戸の中)
難癖をつける。けちをつける。「郡司師高こだはつて埒明けず」(浄瑠璃 娥歌かるた) 第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本政府と軍部は、自国の皇土を守るために外縁部(外地)で戦うことを決めていた。
「皇土」とは、天皇の国土、すなわち日本本土(内地)のことで、当時の軍部は日本本土(内地)のことを皇土と呼び、いかにして皇土を守るかが最重要課題とされていた。
一方、「外縁部」とは、フィリピンやガダルカナル島など、いわゆる南洋諸島を意味する。
日本政府と軍部は沖縄を皇土(内地)とは考えず、南洋諸島と同じ外縁部(外地)という位置づけだった。
そのことを東京大学の歴史学者である加藤陽子教授が指摘している。
つまり、沖縄は当時の日本政府や軍部に捨て石として扱われたのである。
1945年2月、当時の近衛文麿首相が昭和天皇に対して早期の終戦を進言したにもかかわらず、昭和天皇は「もう一度戦果を上げてからだ」「沖縄戦を見てからだ」と答え、近衛首相の進言を退けている。
昭和天皇自身が沖縄を本土防衛の捨て石と考えていたのは言うまでもない。 内閣府や外務省のホームページに日本の領土に関する記述があり、「尖閣諸島が、日本固有の領土であることは歴史的にも明らか」と書かれているが、これは間違いであり、嘘でもある。
外務省は「尖閣諸島は沖縄に属する」とも説明しているが、沖縄は1879年に日本の明治政府が武力併合するまで日本の統治権(主権)が及ばなかったので「日本固有の領土」とは言えないし、尖閣諸島がその沖縄に属するなら、尖閣諸島も「日本固有の領土」とは言えない。 外務省は「東京、京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を日本固有の領土とは言わない」と説明しているが、その一方で外務省は「尖閣諸島には領土問題が存在しない」と言いながら「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張している。
これほど矛盾する話はない。 戦国時代の頃は○○様、○○殿という表現がありましたが、
それとは別に○○公という表現もありました
例えば「武田信玄公」と書いてあった場合、武田信玄様や武田信玄殿とは
違って、どういうニュアンスや意味合いがあるのでしょうか? オキナワ君は壊れたスピーカーか
いつもおんなじ事貼り付けるだけ
飽き飽きして誰も読む気せんわ >>526
公というのは元来大臣という意味だったと思います。
右大臣とか左大臣とか。それが転じてもうちょっと位が低くても公とかつけて
「えらい人」的な意味で使われるようになったかと思います。
殿は大邸宅のことでしょう。大邸宅の「ご主人」とかそんな感じじゃないですか。
この場合、身分上従属しているかは関係ないので、同輩に使ってもかまいません。男性にしか使いません。
様はただ相手を尊重していう場合に使われる言葉ですね。性別は問いません。 >>522
硫黄島は外縁部なのか?
今も日本の領土だよな >>526
公儀(幕府、将軍)に準ずるような独立性の高い存在として特に敬意を払う呼び掛け?
同時代人は使わない気がする。たいてい江戸時代以後の本で使われてるんじゃない? 源氏物語の源氏って、なんで自分の母ちゃんにそっくりな藤壺を犯せたの?
すっげえおかしなことだと思うんだが 桐壺が死んだのは光源氏が数え年3歳の時
まともに記憶なんて残ってないだろ 桐壺帝は藤壺と源氏を実の母子のように扱ったっていうし、藤壺が亡き母によく似ているって
さんざん吹き込まれて育ったんだから、チンチン勃たないだろ >>505
関与せすとも干渉するよw
砂糖と明国清国の産品と、品目・数量を一方的に薩摩が決めて徴収 >>517
統治権及んでんじゃんw。
琉球の代表者=藩王は、薩摩が決めてたじゃん。次の藩王になる人は鹿児島城で育つし。 >>529
おおやけ
も、大きな家という意味だけれどな。 >>535
お公家さんはヘンタイ多いから
古今東西、上流階層ほどヘンタイ多い >>537=538みたいなボケ老人は、いくら反論しようが単にコピペを貼られてスルーされるという事実に気づかない >>538
統治権は及んでいないよ。
その証拠に琉球王国は1879年に日本が併合するまで日本の年号(和暦)を使用していなかった。 悪左府こと藤原頼長は男色趣味があったという噂があるよ 男色程度かあ。。。 戦国・江戸時代の武家ではままあることだし
同父母の兄妹間の姦通とか、カニバリズムとかはないのか 議会制民主主義の行き詰まりや政治家への不信が高まり、今のままではダメだ、
→特定の人に専門的に任せよう、
→だったら古代のように天皇親政を賜ろう、
となった場合、これは復古や時代の逆行と言われるのでしょうか?
それとも、開明、時代の進歩と言われるのでしょうか? >>522
それが事実としても領有権は関係ない。
>>524
「主権」のような近代的概念を近世以前に持ち込むのは無意味。
竹島のような無人島は近世以前がどうだったかが論点になり得るが
>>525
日本の立場は「領土問題は存在しないがイチャモンつけてくる外国には反論する」であり
その中で「固有の領土」に言及するのは矛盾ではない。
百歩譲って嘘、矛盾だとしても国益のために外交官が嘘つくのは当然のことである。
>>542
年号使用と統治権は関連づけられない。
普通は室町幕府下の日本に明の統治権が及んでいたとは言わない。
一応まじめに反論してみました。徒労でしょうが >>545
聖徳太子の両親の用明天皇と穴穂部間人皇女は父親が同じ欽明天皇、母親は違う。
聖徳太子は近年は存在自体が疑われてるけど。 「永仁」という元号は1293年8月5日からのはずなのに、
「蒙古襲来絵詞」には「永仁元年二月九日」と書かれているのはなぜですか? >>545
中大兄皇子が実妹とセクロスした話はある。 何を変態とするかは時代によって異なるので難しいでしょうが
母娘ともに通じた花山天皇は批判の対象になっていると思います。
平城天皇も同じことしていますが、著名人とは言いがたいでしょうか。
SMは誰かいそうですがパッと思いつきません。
前田利家はロリコンとみなされるかもしれません。 >>552
豊臣秀次も。
武田信虎は妊婦の腹を引き裂いて胎児を見たかったとか
あまり伝説的なもの >>547
じゃあ近代の一時期まで日本の領土ではなかった琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えないな。 >>547
日本に琉球に対して領有権を持っていなかった。 >>546
国民の過半数の民意で天皇親政に戻ったのなら進歩でしょ >>552
なんか普通じゃね?
母娘が2人でレズるんなら変態になるかもしれんけど 世界史をみれば母息子で契ったネロ皇帝などの例があるでな。 一緒に育ったきょうだいはセックスするような気にならないもんだが、皇族なんかできょうだい別々に育てられたりしたら、その気になるんじゃね
周りも血を濃くして一族の結びつきを強くするように煽ったりするから >>555
近代までは、自力で独立を維持できない小国は無主同然に扱われる風習があったらしい
そんな力を持たない弱小国が国連とかで占領の不法性を訴えて独立を望んでも、
力がないことが悪いとして門前払いされる時代だ。
自力で独立を維持する力がなかった琉球は、早晩のうちにどこかに占領支配される運命だったわけだよ
最初に占拠した国が他国の侵入を阻止して守り通したら、その国の領土として国際的に認められる、
そんな状態にあった。
それを実行できる可能性のある国は少なく、最初から日本が最有力だったんだから、
順当な結果になっただけだよ >>559
ネロはまず母親とヤってないぞ
本人が嫌ってて最終的に殺したほどだから >>533
ツタンカーメンとアンケセナーメンなんて実の姉と弟だけどちゃんと子供も産まれてるよ。
夭折したけど。 >>561
仮定の話ならいくらでもできる。
説得力なし。 ベルリン=コンゴ会議,サイクス=ピコ協定の現実に有った例をみても明らか
日清両国間互換議定書でも国際的に認められた。もちろんサンフランシスコ条約でも 琉米修好条約でアメリカが琉球を独立国と認めている。 >>563
ツタンカーメンとアンケセナーメンは母親が違う >>566
譬えるならアメリカ人が宿に宿泊(サービス提供契約)したらその宿は独立国になる訳ですねw 沖縄の前身である琉球王国が独立国だった証し
1854年7月11日=琉球と米国が琉米修好条約締結
1855年3月9日=米国議会が同条約を批准
1855年3月9日=フランクリン・ピアース大統領が即日公布
アメリカが琉球王国を独立国と認めていたわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 退位後の両陛下の京都滞在、京都御所や二条城などでの皇室行事開催を提案へ
https://this.kiji.is/255509879915659269?c=39546741839462401
「京都の未来を考える懇話会」
これはいいアイデア >>571-572
米国が沖縄を植民地にしようとした手続きに入っていたが沖縄住民と日本政府に阻止されたって話だよね
そして今度は京都の分断政策か。上皇・天皇両陛下が京都に滞在してどうするのよ? 例の荒らしのボケ老人が、全然関係ない>>571と>>572に無理やりまとめてレスしています 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>573
沖縄が琉球王国という独立国家だった1854年に、琉球とアメリカの間で「琉米修好条約」を結び、1855年には琉球とフランスの間で「琉仏修好条約」を締結した。
そして、1859年には琉球とオランダの間で「琉蘭修好条約」も締結しているが、この3条約が国際法上、どのような意義があるかということを2006年12月に鈴木宗男議員が質問主意書を出して、当時の安倍晋三内閣総理大臣に質問したところ、
安倍総理大臣は「ご指摘の条約なるものは我が国が結んだ国際条約ではない。我が国は当事国ではない」と答弁している。
安倍総理大臣は、当時の琉球が日本の領土ではなかったことを認めているにもかかわらず、日本が結んだ国際条約ではないのに、
その条約の調印書が東京の麻布台にある外務省外交史料館に保存されていることを、鈴木宗男議員に指摘されると、安倍総理大臣は「だれが、いつ持ち出したのか分からない」と回答している。
日本が結んだ国際条約でないなら、外務省の外交史料館にその条約の調印書があるのはおかしいし、
速やかに沖縄に返還するべきなのに、日本政府はいまだに、その調印書を返還しようとしない。
琉球とアメリカ、琉球とフランス、琉球とオランダが結んだ国際条約には日本は国家として関与していないのだから、それぞれが結んだ条約の調印書の原本は沖縄に返すべきである。 茶会で、愛妾の尿を大杯に注いで、配下の武将に回し飲みさせたのって、だれだったっけ >>576
米国がテキサス共和国を独立させ併合した歴史を知っているから
米国の日本に対する背信行為として保存価値があった。一地方政府の自治に干渉したことであり
日本政府として看過できなかったのであろう。おそらく江戸が愛国心堅固で交渉難航したから
京都が組み易しと看たのだろう。沖縄はさらに軟弱だったから
売国奴が日本政府を代表したと詐称して外国と結んだのは京都・沖縄には先例がある >>578
前近代の琉球王国は日本の一地方ではなく、異国(外国)だった。
その証拠に日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページに「独立国だった琉球」「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」と書かれている。 >>581
まあまあ。武蔵国と薩摩国はそれぞれ異国だったから。そして琉球は薩摩国の一地方(国の中の模擬国家?)
八百万の国を統べていたのが現人神の… (ry. スレチの事を延々繰り返すのは、料簡違い、間違い、気違いのたぐいだな 沖縄の地方史は日本史の一部だとみんな(支那人も)が認めている 大名の部屋住み次男三男は
ずーっと領地住まい?
江戸の屋敷住まい? >>585
井伊直弼を見ると江戸屋敷。徳川吉宗も江戸育ち。だけど島津久光はずっと鹿児島だな。
ケースバイケースかな。 >>586
井伊直弼も徳川吉宗も母親は国許に置かれた側室で国許育ちだぞ
母親が正室の場合は正室が江戸屋敷住み厳守なので江戸屋敷育ち
側室は江戸屋敷と国許に分散しているので母親が住んでいるほうで育つ >>584
やっぱり判ってない
ここは質問回答スレ 彦根城の御濠端に井伊直弼の部屋住み時代の家が残ってるな
性欲処理の女を当てがわれて、本読み、茶道、居合の稽古くらいしかなかった三百俵捨扶持の身
世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は >>588
ここは日本史板
沖縄国家論が正しい否か質問されているんだから即答するのが大人の対応です >>582 >>584
琉球王国には日本の時代区分が当てはまらない。
例えば、琉球には古墳がなかったし古墳を造ることもなかったから「古墳時代の琉球」という言い方はできない。
また、琉球が日本に組み込まれたのは明治に入ってからだから、「室町時代の琉球」とか「安土桃山時代の琉球」とか「江戸時代の琉球」という言い方もできない。 インカ皇帝はスペインに滅ぼされる15代くらい完全な近親婚じゃなかったか >>592
まあ、あえていうなら「(本土が)古墳時代の頃の琉球」だろうな
とはいえ、その時代の琉球ってほとんど人がいないだろ >>589
あー。586だけど、埋木舎って江戸藩邸内にあると思い込んでいたよ。 >>594
沖縄が後進地帯だから,いつまでも弥生時代が続いているんだよ。
で鎌倉時代に飛ぶのかな。それくらい歴史が無い あれ、旧石器時代のあと、ほとんど遺跡が出ない時代があって、
そのあと平坦末期鎌倉辺りにようやく人口が増えて遺跡が出るんだよな? >>591
質問なんかどこにもない。お前は荒らしの片棒を担いでいるクズだ。 「固有の領土」というのは国家の政治的主張であって政治用語の域を出るものではない。
ましてや国際法上の用語でもない。
だから日本政府が主張する「日本固有の領土」というのは、国内向けのスローガンにすぎず、国際社会には何ら説得力を持たない意味のないものである。
現に世界中でで日本政府のこの主張を認めている国は一つもない。 訂正
「固有の領土」というのは国家の政治的主張であって政治用語の域を出るものではない。
ましてや国際法上の用語でもない。
だから日本政府が主張する「日本固有の領土」というのは、国内向けのスローガンにすぎず、国際社会には何ら説得力を持たない意味のないものである。
現に世界中で日本政府のこの主張を認めている国は一つもない。 >>594
琉球には3万年以上前から人が住んでいたことが考古学の調査で分かっている。 >>600
百歩譲ってそれが正しいとしても
沖縄が日本の領土であることを否定している国は一つもない。
あるなら根拠つけて出して。 >>602
琉球王国時代に日本政府が軍隊を動員して武力併合した歴史的事実を隠してはならない。 安倍内閣の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは「沖縄は日本固有の領土」と主張してしまうと「じゃあ、なんで日本政府は軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのか?」と突っ込まれるから。
それを言われたら安倍内閣の閣僚はぐうの音も出ないから「沖縄は日本固有の領土」と主張できない。 >>603
何も出さないということは現在沖縄が日本の領土であることは国際社会で承認されていると認めるんだね。
併合を隠す必要はない。当時の国際社会ではとりたてて非難される行為ではないし。
清以外に琉球処分を批判した国はない。琉◯条約を結んだ国も何も言ってない。その国にとって条約は取るに足らない存在ということ。
批判した国があるなら根拠つけて示して。 安倍晋三首相はよく「日本を取り戻す」と言うが、安倍首相が言う「日本」には沖縄が入っていないことがよく分かる。
そのことは以下の事実が証明している。
2013年4月の国会答弁で安倍首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が完全に主権を回復し独立を果たした日。4月28日には主権回復を祝う式典を開催する」と語った。
そのサンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に沖縄は主権を回復していないのに、安倍首相ははっきりと「1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本は完全に主権を回復した」と語っている。
安倍首相の答弁が正しいなら沖縄は日本ではないということになる。 だって沖縄を取り戻すと言ってしまったら基地問題が炎上するからな。 2013年4月の国会答弁で安倍首相が「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が完全に主権を回復し独立を果たした日。4月28日には主権回復を祝う式典を開催する」と語ったのは事実。
安倍首相が語ったことが事実なら、そのサンフランシスコ講和条約が発効された日に主権を回復できなかった沖縄は日本ではないということになる。 >>608>>611
>>610がおっしゃる通りあくまでアメリカの施政権下におかれることになったのであり、主権は本来日本にあることをほのめかしたと言える。
敗戦国の日本が主権を回復するための苦肉の策であり、オールオアナッシングの現状固定するより現実的な前進と言える。
ただし安倍首相の発言はいささか配慮を欠く面があるとは思う。
貴殿が反論に対して再反論をせず、他の論点をあげ続けるのは逃げているとしか言いようがない。
反論を受け入れたということなので、二度と同じ論点を蒸し返さないで欲しい。
私はもともと沖縄の人々が独立を主張するならそれを歴史的、論理的に否定することは難しいと考えていた。
しかし貴殿に対するいろんな方の返答を見るうち、逆に沖縄が日本の一部であることの正当性を感じるようになった。
ここは本来そのような議論の場ではないので許されることではないが
どうしても議論を持ち込みたいのならば、もう少し学習してからにして欲しい。
貴殿は歴史、国際政治、国際法に対してあまりにも無知である。 台湾に三不政策というのがあってな。台湾から支那本土に行くには直接行けず沖縄等を経由してたんだよ
ここから分かる通り支那の領土ではない 1871年(明治4年)に明治政府に行った廃藩置県は全国一斉に実施されたが、琉球に対しては廃藩置県は実施されていない。
なぜなら1871年(明治4年)の時点で琉球は藩どころか日本の領土ですらなかったから。
明治政府は1871年(明治4年)に全国一斉に廃藩置県をやっておきながら、逆に翌年の1872年(明治5年)に琉球王国を解体して琉球藩に変えている。
しかし、これは国家の統治機構の改変を伴う実質的な意味はなく、あくまでも形式的な変更にすぎなかった。
つまり、外国に対して「他の藩と同様に琉球にも廃藩置県をやった」と言い訳ができるように一時的に藩に変えたということである。
ちなみに琉球以外の他県は当時、大蔵省の管轄下にあったが、琉球は日本の領土ではなかったので、明治政府は琉球王国を解体した1872年にとりあえず琉球を外務省の管轄下に置くことを決め、
1874年にできた内務省に移管されるまでの2年間、琉球は日本の統治権が及んでいた他県と異なり、「帰属未確定地」として外務省が所管することになった。
この歴史的事実は沖縄が日本固有の領土でないことを証明するものであり、日本政府にとって触れられたくない不都合な真実である。 >>601
旧石器時代の遺跡はあるが、そのあと本土での平安時代相当のころまで空白だろ >>616
空白ではない。
それ以降もずっと人が住んでいた。 >>615
尚泰の不始末によって米国やフランス,オランダに狙われていたから
日本政府が沖縄を護るために必要に迫られた措置。感謝されこそ
>>617
住んでいただけ。未開地でも人は住んでいるのと同じ >>612
まったく説得力がない。
というか君こそ勉強不足。
戦後、20年以上も憲法が適用されず、国会議員も送り出せなかったのは沖縄だけで、その沖縄と他の46都道府県は歴史の土台が違い過ぎる。 >>618
日本政府は沖縄を守るどころか軍隊を動員して武力併合している。 沖縄が日本固有の領土でないことは138年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明されている。
沖縄の前身である琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員して武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉にも日本政府自らが軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明してしまった。 >>619
選挙権は土地ではなく住民に与えられるもの。沖縄住民には投票権はあった
>>620
そう沖縄も日本です。尚文明の発達には地域差があります
>>621-622
守る対象は尚泰ではなく沖縄住民でした 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>623
現在、沖縄は日本の一部ではあるが、日本固有の領土ではない。
なぜならもともと沖縄は琉球王国という異国が統治していた場所だから。
「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」という意味である。 もう沖縄人とネトウヨが争うスレとか立ててそっちでやれよ お前らが反応するから固有の領土気違いが書き込むんだよ。
脳内フィルターをかけて無視すればいいんだよ。 >>617
文明の発達が進まないほど人口密度が低いままだ
鎌倉時代前後の頃に人口が増えたのも日本列島からの移住者が多かったからで、
文明発達によって自発的に人口増加したわけではない 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) 日本に近代国家が誕生した1868年の時点で琉球王国は日本の統治権(主権)が及ばない異国だった。
その琉球王国を前身とする沖縄が日本固有の領土でないことは138年前の1879年に日本政府が軍隊を動員して琉球王国を武力併合したことで証明できる。
そもそも沖縄の前身である琉球王国が日本固有の領土であったなら、その琉球王国を日本政府が武力併合するわけがないし、併合する必要もない。 オキナワ君のルール無視の侵略により、我らはここに日本史質問スレが占領されたことを認めざるを得ない
パワーゲームが横行する2ちゃんねるで、対抗する武力を磨くことを怠った住民の敗北である
向こうが実力行使で来るなら我等もまた捲土重来、失地回復を期して一旦は潜伏する
日本史質問スレはオキナワ君の固有の領土ではない! そもそも沖縄はかつて琉球王国という独立国だった。
沖縄県庁、沖縄県立博物館・美術館、那覇市歴史博物館、沖縄県公文書館のホームページにも沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことが書かれている。
日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページにも「独立国だった琉球王国」と書かれているし、「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」とも書かれている。
日本の明治政府が138年前の1879年3月27日に軍隊を動員して武力併合するまで、沖縄の前身である琉球王国は紛れもなく日本の領土ではなかった。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 >>634
沖縄は日本固有の領土ではないから日本史とは関係ないということか。
なるほど!!! ここの住人たちによると、沖縄はもともと琉球王国という独立国だったので日本史では語れないそうです(笑)。 戦前から戦中にかけて日本にスパイを養成する学校(陸軍中野学校)があって、そこで徹底的に教育を受けた特殊工作員が太平洋戦争の最中、沖縄の9つの島に派遣され、沖縄人になりすましてスパイ活動を行っていたことがNHKの「ニュースウォッチ9」で放送された。
この歴史的事実はマスコミで取り上げる前から沖縄ではよく知られていたが、沖縄以外の都道府県ではほとんど知られていなかったのでNHKがこのことを取り上げて全国の人に伝えてあげたのは大いに意義がある。
元沖縄県知事の大田昌秀氏の説明によると、「沖縄はかつて琉球王国という独立国家であったために天皇の存在さえ知らない人がたくさんいるから、 日頃から監視しておかないと、 いざという場合にどこへ向かうか分からない。
『全県民総スパイ視』という言葉まで言われるようにひどい状態が実際に起こっていた。
捨て石にされたということと日本本土の目的達成の手段に供されるというもの扱いにされてきたのがはっきりする」とのこと。 >>614
けど台湾は、沖縄・奄美(日本領)、外蒙古(モンゴル領)、ブリヤート・オランカイ・プリモルスキ(ロシア領)に対して、領有を主張しているでよ。 >>631
ある程度の進んだ文明をもった移住者が主体ならともかく、
自力で文明化するにはかなりの人口が必要
人口密度が低い段階では農耕化も無理
縄文文化平行型の文化のまま続いてたんじゃないのかね、
弥生文化が続いたとは思えん。
縄文時代は西日本全体でも何千人程度、万には届かない低密度の時代だ
各県平均数百人。
琉球列島全体で三百五百程度の少人数だろうよ 去年予備校の日本史の講師が「鈴木善幸までの日本の首相は有能が多いが中曽根康弘から無能ばかり」と言ってたけどこれ本当? >>646
中曽根、竹下もまあ有能な方に入ると思う
首相が本当に小物になったなと実感するのは宮沢以降 中立でなければいけない教育者がそんなこと言うって問題だぞ >>644
沖縄が日本固有の領土でないと事実と人口密度はまったく関係ない。
沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。 >>650
「ゼンコー、フー」の印象が強いんだろうが、ここ20年くらいの泡沫首相とは比較にならん大物だぞ
鈴木の郵政、厚生、農林の3大臣+官房長官という経歴を上回る首相は橋本が最後。小渕以降1人も出てない
参議院選挙の制度も大幅改正してるが、1票の不均衡が十年以上司法から突き上げられてるのに昨今の首相が誰も微調整すらできてないのと比べると雲泥の差 >>651
一票の不平等というけど、一般に軽視されがちな人口過少の地方に発言力を持たせるためには、
ある程度の地域的な不平等は、逆に全国的な平等性を高めることになるんじゃないの? 沖縄県に発言力を持たせても平等性を損ねる
北海道と沖縄が平等な訳ない >>651
大臣をいくつやったかなんて有能かどうかと関係ない
政治家として何を成し遂げたか、だよ >>652
つまり「その方が合理的だ」と国会が判断するなら国会の憲法無視(憲法14条違反)は許されるという主張?
その方が合理的だと国会が判断したらアメリカと一緒にイラン侵略してもOK? >>654
君のパソコンはレスの四行目が表示されないとかなの? >>655
イランがどうとかいう話のすり替えやたとえ話はべつとして、
合理的な理由があれば憲法は改正されるべきだと思いませんか? >>656
色々と首相時代の実績を挙げてくるかと思ったら、参議院選挙制度改革だけ?
首相の仕事ってそれだけじゃないだろ。外交とか経済はどうなんだ
それで「ここ20年くらいの泡沫首相とは比較にならん大物だぞ」まで言う? >>657
そう思うなら「一票の不平等を認める為に国会は憲法を改正すべし」と主張すべきですね
まあ現実的には100%不可能な机上の空論ですが >>658
根本的に読解力が足りないんじゃないか?
鈴木首相の政治力を示すために現代の首相が全くできないようなことを行ったというあくまで一例を挙げたまで
「他にも色々示せ」ってのは君甘えてるんじゃね? 自分で調べろよ
当初はその一例すら読み取れずに罵倒する程度のオツムなんだしさぁ >>659
そもそも法の下の平等というのは、すべての人間に同じ法が適用されるという原則を示したもので、
具体的な政治の話題や現実とは切り離して考えるべき問題です。
この人はエライから、刑法なんたらでも、エライ人用の刑法が適用されるとかではなく、
エライ人もえらくない人も同じ刑法で裁かれるとか、そういう意味で書かれている条文です。 >>661
そう思うならあなたの頭の中ではそうなんじゃないですか?
最高裁大法廷が「違憲状態」と判決を下してても、あなたの頭の中ではそうなんでしょうね
私は最高裁大法廷の言ってることの方が正しいと思いますけど(笑) >>660
他の例を挙げることができない阿呆の捨て台詞ww >>662
最高裁判所なんて下らない組織です。
最高裁判所ごときが憲法を解釈して、具体的現実と戦い続ける安倍自民党を裁くことはおかしいと思いませんか? >>662
最高裁判所は神様じゃありませんから、時々おかしなことをいいますよ。
盲目的に信じている人はそうは思わないかもしれませんが。
それに国会のほうが権威は上ですしね。
国の権力の源泉は国民であり、国会議員は国民の代表です。
したがって、最高裁をそこまでありがたがる気にはなりません。
ことに国会の制度そのものにたいする干渉は、わたしは最高裁の越権行為であると思いますがね。 >>664-665
「三権分立」って日本の小学校で習う用語なんですが、あなた日本の小学校出てます?
少なくともあなたよりは最高裁の方が信じられるんじゃないでしょうか(笑) >>663
有能だったのかと聞かれて大臣歴を答えるような輩に聞くことがそもそも間違っている >>666
三権分立ですか。
しかし、その根底に横たわる思想というのは、あくまで国会が国の最高機関であるという原則なんですよ。
三権がまったく平等ではないことを理解するべきです。
なぜ国会が内閣や裁判所に優越しているかといえば、国民に直接つながっているからです。
そこらへんの目をつぶって最高裁のいうことは正しいと思い込むのはあなたの勝手でしょうが、
通用しない人もいるんですよ。 >>668
日本の小学校だと「三権分立」を習うときに「裁判所には違憲立法審査権があるよ」ってことも教えられるんですね
結構難しい漢字だけど、5年生か6年生の時にテストで書かされますよ
あなた違憲立法審査権を知らないでしょ >>665 読めばそうとしか思えない
日本の小学生ですら知ってることを知らない人に、憲法がどうとか偉そうに講釈されたくないんですが >>669
だから、違憲審査権の乱用だといってるでしょうが。 >>670
乱用じゃなくて、ただしくは「濫用」ですね(笑)
具体的にどう濫用してるか説明できますか? >>671
それは自分自身で考えてみてください。
もうそろそろわたしもめんどくさくなりましたので。 >>672
もう一度だけ訊いてみます
裁判所が、憲法81条で定められた権能に基づき、公職選挙法が憲法に適合するかしないかを決定することが、どのように権利の濫用なのですか?
小中学生で習うようなレベルの話しかしてないんだけどなぁ(笑) >>673
最高裁判所は国民の権利が損なわれないような立法をチェックしていればいいわけで、
国会のあり方に関する問題は国会自身に任せるべきです。
これ以上は説明しません。 >>674
ははは
「国会の在り方に関しては国会は憲法違反をしていい」と主張されていたわけですね
例えば次の選挙で負けそうになった与党が、自分に都合良く選挙区割りを決めても良いわけだ
そういうことを防ぐ為に違憲立法審査権があるわけだけど、あなたは不要であると珍妙な主張をされているわけですね(笑) ”法の下の平等”を根拠に一票の格差は違憲というのは、”法の下の平等”の趣旨の曲解だということだよ。
それについてはもう説明した。
国会は裁判所の上位の機関なんだから、個別案件はともかく、国会のあり方を決める選挙の仕組みまで干渉するのは、
最高裁の政治干渉であると突っぱねていいんだよ。
国会というのは、それだけの権威が国民から与えられている国政の中心機関なんだから、裁判所が口出しするような問題じゃない。
違憲審査というのは、国会が行う個別の案件が国民の権利を損なうことがないよう審査するのが制度の趣旨であって、
高度な政治の問題に踏み込む必要はないのに、好き勝手に屁理屈こねている。
これが最後です。 >>676
>”法の下の平等”を根拠に一票の格差は違憲というのは、”法の下の平等”の趣旨の曲解だということだよ。
>それについてはもう説明した。
↑
あなたは最高裁よりすばらしい見識をお持ちだという主張ですね(笑)
>国会は裁判所の上位の機関
↑
「三権分立」をあなたがご存じないということですね(笑)
>違憲審査というのは、国会が行う個別の案件が国民の権利を損なうことがないよう審査するのが制度の趣旨
↑
国民が「(一票の格差によって)選挙権を侵害された」と訴えたことにつき、裁判所が個別の選挙について審査するのはまさに制度の趣旨に叶いますね(笑) 戦時中の1945年3月ですら、
大審院が鹿児島県2区で行われた衆議院の翼賛選挙を無効にして、
やり直しを命じている 住む場所によって国政参加の投票権の有無が変わるらしいw >>649
琉球王国の住民の大半は日本列島からの移住者の子孫ってこと
住人の大半が日系なのに他国領なんて(独立国ならまだしも)、
オーストリア皇帝(マリア=テレジアの夫)の本貫地たるロートリンゲン地方がフランス領になるぐらいに無茶苦茶な話だよ
まあ、実際にはフランス領ロレーヌで定着しちゃってるんだが。 >>655
そもそも憲法でいう法の下での平等ってものに、1票の重さが平等であるべきという内容が含まれているかどうかすら議論対象とすべき代物だぞ
むしろ地方の発言力が低くなりすぎる現状を是正するために票の重みに差をつける方が、より平等なはずだ!
という見解さえ成立しうるのだから、票の重みの格差が憲法違反というのも絶対的な事実なわけではない
今の憲法解釈のなかでは、その意見が主流となっているってだけだ 法人にも一票を与えろとか
議席の半分を必ず女性にしろとか
そういう意見だよ 法人にも一票は暴論だろ
経営者は事実上二票持つことになるし これが最後ですとか言っておいて、結局我慢できずにさらなる恥をさらしちゃってる感 フランス革命前において
一身分一票というのが原則だった。これを破って人数に比例させよというのが画期的なこと
何故復古する? もう、琉球馬鹿と反琉球馬鹿(自演だったらスマンな)のためのスレに成り下がってるんだから、このスレは隔離スレ扱いでいいよな
住人には悪いけど他で荒らされるくらいなら犠牲になってくれ >>691
琉球人の大半は台湾方面から南西諸島を北上してきたことが分かっている。
日本列島から日本人が南下してきたわけではない。
だから我々が住む沖縄では「日本人と沖縄人」をはっきり区分している。 >>690
いいかげん沖縄ネタしつけーんだよ便所虫 >>688
なんだ?戦前の古い研究かな?
んなもん、その後の考古学の発展のなかで否定されちゃったよ 日本人=大和民族=ヤマトゥンチュ
沖縄人=琉球民族=ウチナーンチュ
日本人と我々沖縄人は異民族であり異人種でもある。 日本人の名字=鈴木、佐藤、斎藤、田中、高橋
沖縄人の名字=比嘉、金城、宮里、島袋、知念
もちろん俺も沖縄独特の名字。 >>660
横レスだけど、小泉純ちゃんは歴代首相で唯一北朝鮮を訪問して
拉致被害者を、数名取り戻したし、なんだかんだで
戦後最長の景気拡大を成し遂げた
安倍首相は賛否両輪あれど、アベノミクスで株価を上昇させ、
雇用状況を改善させたし、これまた賛否両輪あれど、安保法制を大きく変えた
憲法改正の外堀を埋め、着々と実現に向けて動いている
客観的に見て、鈴木元首相って小泉元首相や安倍首相よりも
有能かつ大物な首相だったのだろうか? >>698
雇用改善は管政権から始まっていて、公平に見てアベノミクスのおかげで雇用改善が加速したとも減速したとも言えない
http://ecodb.net/country/JP/imf_persons.html 日本人と沖縄人の民族性の違いについては、以下の著書や新聞、あるいは動画が参考になる。
ちなみに私は沖縄生まれの沖縄育ち。
日本劣化論(筑摩書房)
http://www.chikumash...oduct/9784480067876/
この本の236ページに「沖縄人と日本人はエスニシティーにおいてかなり違う」と書かれている。
「沖縄を撃つ」(集英社)
http://shinsho.shuei....co.jp/kikan/0415-b/
この本の表紙に「日本人と沖縄人」と書かれている。
沖縄タイムス2015年11月11日付
http://www.okinawati...rticle.php?id=141033
沖縄タイムスの記事にも「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれている。
在日沖縄人
http://www.jca.apc.o...kusa10/miti10_1.html
福岡在住の沖縄出身者が実名を出して自らを「在日沖縄人」と書いている。
高橋哲也氏(東京大学大学院教授)による勉強会
https://www.youtube..../watch?v=oka6K28TJ94
沖縄の基地問題に関する著書でも有名な東京大学大学院教授の高橋哲哉氏が日本人(ヤマトンチュ)と沖縄人(ウチナーンチュ)の違いを説明している(6分あたり)。
公開討論会「フォーラム4・28 『沖縄から主権を問う』」
https://www.youtube..../watch?v=w3BrptaG2eM
作家の佐藤優氏(元外務省主任分析官)が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言している(14分10秒あたり)。 >>1だけど、スレ落ちてから間をあけて立てれば基地外消えるかと思ったんだが
書き込みの速さからしてずっと張り付いて立てるの待ってたんだな
マジで気持ち悪い 「沖縄は支那固有の領土です」とテンプレにしないからです。きみが悪い 安倍晋三首相はよく「日本を取り戻す」と言うが、安倍首相が言う「日本」には沖縄が入っていないことがよく分かる。
そのことは以下の事実が証明している。
2013年4月の国会答弁で安倍首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が完全に主権を回復し独立を果たした日。4月28日には主権回復を祝う式典を開催する」と語った。
そのサンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に沖縄は主権を回復していないのに、安倍首相ははっきりと「1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本は完全に主権を回復した」と語っている。
安倍首相の答弁が正しいなら沖縄は日本ではないということになる。 >>701
相手をして申し訳ありませんが、誤りを放置できません。ただただ申し訳ありません。
>>704
反論済み。ループはやめよ。 謝る必要はありません。悪いのは自称沖縄人とこのスレを立てた人です >>705
そこはぐっとこらえて誤りを放置してください 伊藤博文、大隈重信、大久保利通ら幕末から明治維新にかけての日本の政治家は「琉球人は日本人ではない」と言っておきながら、
1871年に宮古島の島民が乗った漁船が台湾に漂着して台湾の先住民族である蛮族に54人が殺害された事件の報復措置として1874年に台湾出兵を決行している。
そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。
明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、
そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾に対する報復措置の名目が立たなかったのである。
日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って外国に対して嘘をついていた。 「佐藤優 分析 安倍首相が沖縄知事と会わない理由 琉球王国外交文書が里帰りが意味するもの」
https://www.youtube..../watch?v=Mt5M97M1_m8
この動画の6分30秒のところで佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と語っている。
日本人の父と沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへのこだわりがよく伝わってきて実に興味深い。 <琉球人は昔、日本のことを「ウフヤマト」と呼んでいた>
沖縄タイムス元社長の新川明氏が「環」(藤原書店)という雑誌に興味深いことを書いていた。
新川氏によると、沖縄はその昔、薩摩のことを「ヤマト」と言い、薩摩以外の日本全体を「ウフヤマト」と呼んでいて、琉球を侵略した薩摩は悪い人たちが住んでる所だけど、ウフヤマトは心優しい人たちがいる所だと思い込んでいたらしい。
ところが、明治政府が琉球を武力併合して以降、琉球人は、「薩摩だけが悪いのではない。薩摩以外の日本も同じだ」と気づくようになっていったとのこと。
琉球史を紐解けば、琉球王国時代の琉球住民が薩摩を憎んでいたのはよくわかるが、その頃はウフヤマトについてはそれほど警戒心を持っていなかったことが分かる。
琉球人が日本全体に対して警戒心を持つようになったのは、1879年に明治政府が琉球を武力併合した頃からだというのは確かにそうだろうし、新川氏の解説はなかなか説得力があって興味深かった。 神道の起源はどこまでさかのぼれるのですか?
縄文時代?弥生時代?それとも古墳時代でしょうか? >>712
何をもって神道なのかの定義次第です。祭祀自体は沖ノ島とか、縄文まで遡れるけど
理論体系とかはずっと下るでしょう。 >>701
次スレではテンプレに沖縄ネタの件を入れる必要が出ちゃったね
禁止と書くのに加えて、移転先のスレを名指しで張り付けないと効果が出ない気がする
テンプレ部に張らないと、きっと効果は出ない。何度も張らないとダメかもしれないけど。
ということで、次スレ建てる人にも頼む。>>980だっけ? >>706
なんでスレたてた人にまで責任が及んでるんだよ、おかしいだろ! >>712
原型なら弥生までは遡れるだろう
神社の形がある程度まで整ったのは奈良時代から平安初期ごろだし、
神道にある程度の理論、教義のようなのができたのは鎌倉時代
江戸時代になって初詣のような諸行事が整えられ、
土地経営を収入源からはずされた明治になってようやく現代の形に変わって今に至る
というか、国家神道が廃止された戦後になってから、というべきだな
いろんな制度が、けっこう新しい >>715
スレタイに【沖縄県民出禁】と入れなかったからです まあ残念だけど、琉球王国の独立性に関する話題の禁止は次スレに入れといた方がいいね つまり、琉球王国を前身に持つ沖縄は日本固有の領土ではないから日本史では語れないということかな? 沖縄の前身である琉球王国は独立国で日本の領土ではなかったから日本史で琉球を語れるわけがないよな。 >>708
>>612
>>722
>>636で例示した通り日本の一地方史です。日本史の教科書でも語られております 独立国だった琉球王国には日本の時代区分が当てはまらない。
例えば、琉球には古墳がなかったし古墳を造ることもなかったから「古墳時代の琉球」という言い方はできない。
また、琉球が日本に組み込まれたのは明治に入ってからだから、「室町時代の琉球」とか「安土桃山時代の琉球」とか「江戸時代の琉球」という言い方もできない。
琉球王国が独立国だったことは文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書の163ページに書かれていて日本政府も認めている。 沖縄史において
縄文時代 → 鎌倉時代です。この時代区分しか意味を為していない
全国的にみて後進地帯だった。縄文人の天下 日本政府の一組織である文部科学省が検定で合格させた清水書院の教科書(日本史B)に「江戸幕府は琉球を異国と位置付けていた」と書かれている。
1879年3月27日に明治政府が軍隊を動員して武力併合するまで紛れもなく琉球王国は日本の領土ではなかった。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 >>720
レス数が膨大になってるんだから、その話題は専用のスレでやるべき
汎用質問スレは単発質問、少数のレスで終われる話題用だからだ 沖縄を撃つ」(集英社)
http://shinsho.shuei....co.jp/kikan/0415-b/
この本の表紙に「日本人と沖縄人」と書かれている。
版元は日本の出版社であり、「出版御三家」ともいわれる集英社。
著者は日本人で、編集者も日本人であり、彼らは沖縄人を日本人とは認識していない。
著者や編集者が沖縄人を日本人と認識しているなら「日本人と沖縄人」と表紙に書くわけがない。
我々沖縄人が「日本人と沖縄人」を区分することは間違いではないことを日本の出版社が見事に証明してくれて実にありがたい。 「沖縄を撃つ」(集英社新書)
http://business.nikk...210/142838/?ST=smart
この本の表紙に「日本人と沖縄人」と書かれている。
著者は日本人で、編集者も日本人。
彼らは沖縄人を日本人とは認識していない。
著者や編集者が沖縄人を日本人と認識しているなら「日本人と沖縄人」と書くわけがない。
我々沖縄人が「日本人と沖縄人」を区分することは間違いではないことを日本の出版社が見事に証明してくれた。 それなら沖縄を日本に併合した日本政府の罪が問われることになる。 マリオ:「政府の対応が二転三転し,国民の政府に対する不信を招いたことは率直に反省しなければならない」 <日本政府にとって触れられたくない不都合な真実>
日本政府(安倍内閣)にとって触れられたくない不都合な真実とは、1880年4月17日に明治政府が閣議決定した「先島分割案(琉球分島案)」。
当時の明治政府はイギリスなど欧米諸国並みの中国内地通商権の獲得を目的に琉球諸島の一部だった先島諸島を割譲することを閣議決定し、先島諸島を割譲することを清国側に提案している。
当然のことながら先島諸島には八重山諸島が含まれるし、その八重山諸島には尖閣諸島も含まれる。
「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張する日本政府(安倍内閣)にとって1880年4月17日に当時の明治政府が尖閣諸島が含まれる先島諸島を国益の引き換えとして清国に割譲することを閣議決定したという歴史的事実は、彼らにとって触れられたくない不都合な真実である。 漢民族最後の王朝である明は万里の長城より北を統治していなかった
すなわち万里の長城より北は中国固有の領土ではない
この歴史的事実は、彼らにとって触れられたくない不都合な真実である
いくらでもいえるんだよわかったか ・黄河文明は存在しない
・孔子の時代,親殺しは普通だった
・漢民族は魏晋南北朝時代に滅亡した
・宋慶齢は共産党員だった
いろいろありすぎて >>736
お前、ホントはこのスレを荒らしたくてしょうがないんだろ。
沖縄野郎よりもクズだな。 >>736
「万里の長城より北は中国固有の領土」とはだれも主張していないのだが(大笑い)? この沖縄の相手してるやつ、いつも必ずageるのな
沖縄荒らしも必ずageるけど 日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張しているが、なぜか「沖縄は日本固有の領土」とは主張していない。
日本政府は「沖縄県の尖閣諸島」という言い方もしているから尖閣諸島は当然、沖縄に含まれる。
尖閣諸島の面積は沖縄全体の1%にも満たず、しかも人が住んでいない無人島なのに、その小さな島だけを「日本固有の領土」と主張しているから滑稽極まりない。
100万人以上の人口がいる沖縄本島や宮古島、石垣島、久米島などを「日本固有の領土」となぜ言えないのか、その理由をよく考えてみる必要がある。 >>742
平日も昼も夜も現れてことごとく沖縄の相手してるよ。
いちいちageて「オキナワくん、来いよ〜」っていう感じ。 沖縄戦 離島残置工作員の実像
http://www.veoh.com/...ch/v36253025N6NcwGPB
戦前から戦中にかけて、スパイ活動のスペシャリストを養成する日本軍の陸軍中野学校が東京にあった。
その陸軍中野学校から派遣された特殊工作員(日本人)が、 沖縄の久米島にあった国民学校の教員(沖縄人)になりすまし、
いざというときは、沖縄住民を道づれにしてアメリカ軍と戦い、本土を守ることを任務としていたことが、NHKの「ニュースウオッチ9」で放送された「沖縄戦 離島残置工作員の実像」で明らかになった。
沖縄戦を経験した沖縄住民の目撃証言もたくさんあり、貴重な内容だった。 >>714>>719
くどい表現ですがテンプレ案を書いてみました。
ここは日本史についての質問スレです。議論、ましてや主張、プロパガンダの場ではありません。
質問者と回答者、あるいは回答者間で議論に発展することはあり得ますが
本来はそういう場ではないことをご理解の上で書き込んでください。
議論が予想されるディープな話題については、基本的に専門スレを探してみてください。
特に琉球の独立性、日本の沖縄領有の正当性については質問・回答以外のレスで荒れたのでこのスレに書くことを禁止します。
以下の専用スレに書いてください。
沖縄は日本固有の領土ではない その2 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history2/1476486282/
それでもこれに関連する書き込みがあった場合は一切反論せず
>>1参照。迷惑行為です。やめてください。
とだけレスしてください。荒らしの相手をするのも荒らしとお心得ください。 >>748
「琉球王国は日本の統治権が及ばない独立国だったから日本史では語れない」と素直に書けばいいのに。 <お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
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沖縄県は日本の「固有の領土」です
https://rosie.2ch.net/test/read.cgi/okinawa/1469713973/ 「 固有の領土」という言葉には国際法上の定義がない。
1969年の佐藤・ニクソン会談で沖縄返還が決まり、その翌年の1970年ごろから、「さあ今度は南クリル諸島を返してもらう番だ。南クリル諸島は我が国固有の領土」と、日本政府が言い出したあたりから「固有の領土」という言葉が使われ始めた。
この「固有の領土」という言葉は日本政府がナショナリズムの扇動、あるいはプロパガンダとして使用しているにすぎず、そもそもこの言葉は日本政府が考えた造語である。
造語であるから当然のことながら、この「固有の領土」という言葉は辞書にも載っていないし、事典サイトで検索してもヒットしない。
「固有の領土」という言葉には国際法上の定義がないことから世界的には通用しないものであり、ナショナリズムの扇動、あるいはプロパガンダに用いるために日本政府が考え出した造語であるというのが正解。
日本政府がなぜ1970年ごろから「南クリル諸島は我が国固有の領土」と言い始めたかというと、共産主義国のソ連には遠慮する必要がなかったから。
沖縄の施政権がアメリカにあった1950年代から1960年代にかけて日本政府はアメリカに対して遠慮があったから「沖縄は我が国固有の領土」とは一度も主張しなかった。 川の氾濫を抑える技術が進んでいなかった時代は
今回の福岡のような豪雨までいかなくても
同じような洪水被害になってた? >>753
室町後期以前の技術だともっとひどい
今の濃尾平野や関東平野の辺りは低湿地といって、平たく言えば沼だらけで常時洪水状態みたいなもん。人が住めない土地
そこを干拓して川を押さえ込んだら日本最大の平野が生まれ、そこを根拠地とした織田、豊臣、徳川が全国を統一したっていう 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) >>753
テレビが普及する前は映画館でニュースをやっていたが、台風か何かで見渡す限りの平野が水に漬かっている空撮映像がよく映写されていたものだ
堤防については確かに年々整備が進んできている
今回の九州の水害は過去にない激しい降雨が原因とのことであるし
海についても全国の漁港は漏れなく立派な堤防ができている
昔はほとんど何もなかった あと、昔は汲み取り便所が水に漬かってしまうと非衛生的で、洪水の後は伝染病の蔓延に留意するようにと必ず言われていたものだ 日本政府の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは「独立国だった琉球」と書いた清水書院の教科書を日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で合格させているから。
「独立国だった琉球」と書いた清水書院の教科書を検定で合格させておきながら日本政府の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と言うと「矛盾しているじゃないか?」と追及されるので、日本政府の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 日本の教科書には「沖縄は日本固有の領土」とは書かれていない。
なぜなら138年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合しているから。
武力併合しておきながら併合した地域を「我が国固有の領土」と言ってしまうと世界中の笑いものになるから日本の教科書には「沖縄は日本固有の領土」とは書けない。 そもそも「固有の領土」なる概念は特殊というか、独特の概念で国際的に通用しないしな >>771
それなのに日本政府は「固有の領土」という国際法にも存在しない意味不明な言葉を使ってナショナリズムを煽っているから実に笑える。 沖縄の前身である琉球王国が独立国だったことは沖縄県庁、沖縄県立美術・博物館、那覇市歴史博物館、沖縄県公文書館のホームページにも書かれている。
日本政府がこれらのホームページに記載されている内容について訂正を求めないのは、琉球王国が独立国だったことは歴史的事実だからである。 沖縄が日本固有の領土でないことは歴史が証明している。 >>775
沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことと外患誘致罪なるものはまったく関係ない。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。 日本人と沖縄人より日本人と朝鮮人のほうが似ている。 北海道はもともと蝦夷地だったから日本固有の領土ではない。 日本人と朝鮮人よりエベンキと朝鮮人のほうが似ている 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。 沖縄が日本固有の領土でないことは歴史が証明している。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから。
沖縄県庁のホームページにも「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」と書かれている。
ソース
↓
「かつての沖縄は、琉球国王の治める独立国であり・・・・・・」
http://www.pref.okin.../okinawanosugata.pdf
(沖縄県庁のホームページから抜粋) 沖縄が日本固有の領土でないことは138年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明されている。
沖縄の前身である琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員して武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉にも日本政府自らが軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで証明してしまった。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。 我々沖縄人が自らを日本人と思っていないことは元沖縄県知事の大田昌秀氏が「醜い日本人」という本を書いたときに、地元の沖縄から「我々も日本人だぞ!」という抗議が一件もなかったことで証明できる。
我々沖縄人が自らを日本人と思っているなら「醜い日本人」という本を書いた大田昌秀氏に抗議が殺到するはずだが、そのような抗議は沖縄人から一件もなかった。
醜い日本人
http://iss.ndl.go.jp...002-I000001216533-00 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。 そもそも沖縄はかつて琉球王国という独立国だった。
沖縄県庁、沖縄県立博物館・美術館、那覇市歴史博物館、沖縄県公文書館のホームページにも沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことが書かれている。
日本政府の一組織である文部科学省が検定して合格させた清水書院の教科書(日本史B)の163ページにも「独立国だった琉球王国」と書かれているし、「江戸幕府は琉球を異国と位置づけていた」とも書かれている。
日本の明治政府が138年前の1879年3月27日に軍隊を動員して武力併合するまで、沖縄の前身である琉球王国は紛れもなく独立国だった。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。
沖縄にはかつて北山王国という独立国が存在したから。 日本人と沖縄人の民族性の違いについては、以下の著書や新聞、あるいは動画が参考になる。
ちなみに私は沖縄生まれの沖縄育ち。
日本劣化論(筑摩書房)
http://www.chikumash...oduct/9784480067876/
この本の236ページに「沖縄人と日本人はエスニシティーにおいてかなり違う」と書かれている。
「沖縄を撃つ」(集英社)
http://shinsho.shuei....co.jp/kikan/0415-b/
この本の表紙に「日本人と沖縄人」と書かれている。
沖縄タイムス2015年11月11日付
http://www.okinawati...rticle.php?id=141033
沖縄タイムスの記事にも「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれている。
在日沖縄人
http://www.jca.apc.o...kusa10/miti10_1.html
福岡在住の沖縄出身者が実名を出して自らを「在日沖縄人」と書いている。
高橋哲也氏(東京大学大学院教授)による勉強会
https://www.youtube..../watch?v=oka6K28TJ94
沖縄の基地問題に関する著書でも有名な東京大学大学院教授の高橋哲哉氏が日本人(ヤマトンチュ)と沖縄人(ウチナーンチュ)の違いを説明している(6分あたり)。
公開討論会「フォーラム4・28 『沖縄から主権を問う』」
https://www.youtube..../watch?v=w3BrptaG2eM
作家の佐藤優氏(元外務省主任分析官)が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言している。 そもそも沖縄には琉球王国よりも前に北山王国という独立国が存在した。 佐藤優 分析 安倍首相が沖縄知事と会わない理由 琉球王国外交文書が里帰りが意味するもの」
https://www.youtube..../watch?v=Mt5M97M1_m8
この動画の6分30秒のところで佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と語っている。
日本人の父と沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへのこだわりがよく伝わってきて実に興味深い。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。
沖縄にはかつて北山王国という独立国が存在したから。 「 固有の領土」という言葉には国際法上の定義がない。
1969年の佐藤・ニクソン会談で沖縄返還が決まり、その翌年の1970年ごろから、「さあ今度は南クリル諸島を返してもらう番だ。南クリル諸島は我が国固有の領土」と、日本政府が言い出したあたりから「固有の領土」という言葉が使われ始めた。
この「固有の領土」という言葉は日本政府がナショナリズムの扇動、あるいはプロパガンダとして使用しているにすぎず、そもそもこの言葉は日本政府が考えた造語である。
造語であるから当然のことながら、この「固有の領土」という言葉は辞書にも載っていないし、事典サイトで検索してもヒットしない。
「固有の領土」という言葉には国際法上の定義がないことから世界的には通用しないものであり、ナショナリズムの扇動、あるいはプロパガンダに用いるために日本政府が考え出した造語であるというのが正解。
日本政府がなぜ1970年ごろから「南クリル諸島は我が国固有の領土」と言い始めたかというと、共産主義国のソ連には遠慮する必要がなかったから。
沖縄の施政権がアメリカにあった1950年代から1960年代にかけて日本政府はアメリカに対して遠慮があったから「沖縄は我が国固有の領土」とは一度も主張しなかった。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。 <宮古、八重山諸島を清國に割譲しようとした明治政府>
日本政府は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張するが、実は、1870年代の日清交渉で日本政府の前身である明治政府が先島分割案を清国に提案して宮古、八重山を清國に譲り渡そうとした歴史的事実がある。
日本政府が提案した先島分割案を当時の清國が批准しなかったから先島諸島は清國の領土にならなかったが、もし清國が批准していれば、先島諸島は後に中国領土になっていたし、宮古や八重山の人たちはそれ以降、中国語を話していたかもしれない。
明治政府が日清交渉で先島諸島を清國に譲り渡そうとした歴史的事実と、その後、尖閣諸島を自国の領土と宣言したこの矛盾を日本政府や愛国保守の政治家たちは国民に説明する必要がある。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。
沖縄にはかつて南山王国という独立国が存在したから。 <日本は琉球を併合しなければ尖閣を編入できなかった>
日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する日本固有の領土」と言うが、これは明らかに嘘である。
そもそも日本政府が尖閣諸島を自国の領土に編入したのは1895年1月のことであり、その16年前の1879年に独立国だった琉球を武力併合している。
日本は琉球を武力併合しなければ尖閣諸島を自国に編入することはできなかったわけで、つまり、尖閣諸島を自国に組み入れることができたのは、日本が当時、異国だった琉球を武力併合した結果成し得たことなのは言うまでもない。
よって、尖閣諸島を含む沖縄の有人離島49島と、その他の無人島は日本固有の領土とは言えない。 沖縄が琉球王国固有の領土でないことは歴史が証明している。
沖縄にはかつて南山王国という独立国が存在したから。 ↑貼り過ぎて過剰、無価値となり果てた文字列
スレ潰しのゴミクズ 先島諸島は1522年に琉球(現・沖縄)が武力をもって弾圧した歴史的事実がある
尖閣諸島は1895年に日本政府が国際法に則って自国領に編入した
よって先島諸島・尖閣諸島を含む沖縄の有人離島49島とその他の無人島は,沖縄の領土とは言えない 琉球は日本ではないなら
日本史板にコピペ貼ること自体が違反だと言われてるのにまだやるか
琉球史板を個人的に立ち上げてそっちでやれ 沖縄の不都合な裏事情
ttps://shinjitsuokinawa.org/ 歴代の内閣で「沖縄は日本固有の領土」と発言した閣僚は一人もいない。
沖縄はもともと琉球王国という独立国だったから「沖縄は日本固有の領土」と言えるわけがない。 歴代の琉球国王で「沖縄は琉球王国固有の領土」と発言した国王は一人もいない。
沖縄はもともと三つの独立国が存在したから「沖縄は琉球王国固有の領土」と言えるわけがない。 歴代の知事で「先島諸島は沖縄固有の領土」と発言した県知事は一人もいない。
先島諸島はもともと琉球王国とは別の独立国だったから「先島諸島は沖縄固有の領土」と言えるわけがない。 ウソも百度言えば真実っぽくなる
ということなので、三連続 <日本は琉球を併合しなければ尖閣を編入できなかった>
日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する日本固有の領土」と言うが、これは明らかに嘘である。
そもそも日本政府が尖閣諸島を自国の領土に編入したのは1895年1月のことであり、その16年前の1879年に独立国だった琉球を武力併合している。
日本は琉球を武力併合しなければ尖閣諸島を自国に編入することはできなかったわけで、つまり、尖閣諸島を自国に組み入れることができたのは、日本が当時、異国だった琉球を武力併合した結果成し得たことなのは言うまでもない。
よって、尖閣諸島を含む沖縄の有人離島49島と、その他の無人島は日本固有の領土とは言えない。 <日本は琉球を併合しなければ八重山諸島を救済できなかった>
支那政府は「尖閣諸島は台湾に属する支那固有の領土」と言うが,これは明らかに嘘である。
そもそも日本政府が尖閣諸島を自国の領土に編入したのは1895年1月のことであり,その3世紀前の16世紀に独立国だった八重山諸島を第2尚氏が武力併合している。
日本は琉球に沖縄県を設置しなければ八重山諸島の重税を解消することはできなかったわけで,つまり,八重山諸島を沖縄県に組み入れることができたのは,島民にとって僥倖であった。
日本が当時,異国だった台湾を武力併合した結果成し得たことなのは言うまでもない。
よって,尖閣諸島は無人島であり,島民の利益というものは存在しないが,八重山諸島を含む沖縄の有人離島49島は日本政府の恩恵を受けたと言える。圧政を続けた尚氏も華族として東京にお住まい。みんなハッピー ♪ 千島の奥も 沖縄も
八洲の内の護りなり
至らん国に 勲おしく
努めよ我が兄 恙無く 国語辞典の広辞苑(岩波書店)に「琉球併合」と書かれていることが判明。
1879年3月27日に日本政府が軍隊と警察官を動員して琉球王国を武力併合したわけだから琉球王国が日本の領土でなかったことは明らかである。
よってその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
この歴史的事実に関して安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できないし、閣僚どもは口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 >>822
国内の事案だから警察官が出動しているの! こんなもの初歩だろう
>>821
千島の奥は今でも日本領ですよ。ただ護ってはいないw 速報
ユネスコ世界遺産に福岡県の「沖ノ島」
http://www3.nhk.or.jp/news/
8つの構成資産のうち沖ノ島など4つについて「世界遺産に登録することがふさわしい」と勧告していましたが、
日本の主張を受け入れ、宗像大社辺津宮や古墳群などを含め8つの構成資産すべての登録を決めました。
日本の世界遺産は合わせて21件となります。 安倍内閣の閣僚が「沖縄は日本固有の領土」と発言したら沖縄タイムスや琉球新報や沖縄の歴史家が黙ってないだろうな。
まあ、歴代の内閣で「沖縄は日本固有の領土」と発言した閣僚は一人もいないところを見るとバカな日本の閣僚でも少しは琉球史を勉強したのかな?
ガッハッハッハッハ!!!
実に笑える!!! 安倍内閣の支持率は36%、、不支持率は52%
https://headlines.ya...709-00050093-yom-pol
安倍内閣応援団の読売新聞が調査した結果だからかなり深刻だな。
ざま〜〜〜〜〜としか言いようがない(爆笑)。 売国奴マリオの退場も近いな
日本は永久に不滅です!! なぜ、「水戸黄門」御一行は、沖縄へ行かなかったか?
【佐藤優VS飯島勲】救国対談!飯島勲「リーダーの掟」特別編(2)
佐藤 今、沖縄では基地問題というレベルじゃなくなってきていて、日本からの分離独立を訴える人が出てきています。
時代劇の「水戸黄門」は、日本中旅行していますけど、沖縄にだけは一度も行っていないんです。
当時の沖縄の人は「この紋所が目に入らぬか」って印籠を出しても三つ葉葵の紋を知らないし、琉球空手の達人が助さん、格さんに負けるわけがないからドラマの筋が成り立たない(笑)。
これだけなら笑い話なんですが、一方で沖縄には江戸の権力、京都の朝廷、つまり天皇の権威が通じないということ、日本の政府への帰属意識がなかったという意味でもあります。
だから、基地問題で差別されているという感覚が強まると分離独立へ向かう危険性が出てくる。
実際、東シナ海のガス田を中国と分け合うような形を取れば不可能じゃない。
(プレジデント 2011年8.29号より)
上に引用したのはプレジデント2011年8月29日号での佐藤優氏と飯島勲氏の対談だが、当時の沖縄の人たちが日本政府への帰属意識がなく、沖縄には天皇の権威が通じなかったことが、水戸黄門の笑い話を例に挙げて面白おかしく解説されている。
権力や権威に媚びないウチナーンチュならではの話を沖縄出身の母親を持つ佐藤優氏がユーモアたっぷりに語ってくれた。
まさに、あっぱれ! これは真面目に質問なんだけど
江戸時代の庶民に天皇の権威って通用したの?
「天皇が存在する」ってことくらいは皆知ってたんだろうけどさ 尚寧は江戸に行って将軍様に謁見しているよ
佐藤優の母親は沖縄島ではなく久米島の出身です。だから第二尚氏に武力併合され
琉球王国の圧政に苦しまされた島民が先祖。沖縄島が独立してもそれには追随しない周辺の島々の人です
歴史に疎い人かどうかは知りません。単に沖縄出身といってもfそれぞれ島独自の文化・王国がありました 久米島をただでアメリカに提供して、日本のアメリカ軍基地をすべて久米島に
ttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/5902711.html 来年の12月までに衆議院選挙が行われるが、今の安倍内閣の支持率を見ると自民党が大幅に議席を減らすのは確実。
森友学園問題、加計学園問題、稲田大臣の問題発言、豊田議員による暴言暴行問題、下村議員の献金問題など数々のオウンゴールを連発してきた安倍政権に対し多くの有権者は呆れ返っている。
特に無党派層の目はかなり厳しいものがある。
おそらく沖縄選挙区においては前回の衆議院選挙同様に自民党は全敗するだろう。
そして来年12月に行われる沖縄県知事選挙もこの流れからすると翁長知事が再選を果たすのはほぼ間違いない。 お前はまだグンマを知らない-動画[無料]|GYAO!|ドラマ
ttps://gyao.yahoo.co.jp/p/11137/v00049/ >>829
庶民でも即位式を見学出来たから、将軍よりは身近かも? >>835
即位の礼は見学できないぞ
江戸時代、京都御所は正月3が日は門を開き
誰でも南庭には入れた(紫宸殿の前にある庭)
だから正月には御所詣でをする庶民はいたらしい
あと江戸時代には御所が観光名所になっていたらしく
普段は柵がしてある門から賽銭投げる観光客がいたらしい
(寺社詣でと同じ意味で) 早良親王って、藤原種継暗殺に加担したとされて配流されたけど、
なんで臣下が殺されたぐらいで皇太弟の地位にある者が罰を受けたんだ? >>836
森田登代子って人が書いた「遊楽としての近世天皇即位式」って本に見物出来たって書いてあるよ
しかしこの本を読んでないので、どの程度見れたかは分からんw >>837
桓武天皇に逆らった(とされた)から
藤原種継は長岡京造営使だったが何者かに暗殺され
長岡京遷都に反対している者の仕業とされた
逮捕されたのは早良親王側近の東宮坊の役人たち
親玉の早良親王が桓武天皇の長岡京遷都に反対しているとされて
桓武天皇に逆らった罪で廃太弟・流罪になった >>838
江戸時代の即位の礼のとき庶民は中には入れないが
日華門から中の様子を見るのは自由だった
ただ当日は日華門に庶民が殺到するので入場整理券が配られ
300名までが日華門前に集合して良かった >>837
粛清されたんじゃないの?
桓武天皇に安殿親王(のちの平城天皇)が生まれると、
早良親王の立場は微妙になった。
桓武天皇としては、安殿親王が成長するほど、早良親王が邪魔くそになっていくわけで、
事件の背景には、天皇の意向が強くはたらいていたと推定される。 古代中世の天皇家では兄弟相続は多く早良親王の次に安殿親王を立てれば済むことなので
すべての兄弟相続で争いがおこっているわけではない
早良親王はもともと東大寺に入って出家していたが
父光仁天皇の意向で還俗し桓武天皇の皇太弟にたてられた
(この時にすでに安殿親王は生まれている)
平城京の守護であった東大寺は長岡京遷都に反対していた
早良親王は東大寺に入っていた経緯から東大寺の高僧たちと親しかったらしい 廃太弟にするほどのことだったんやろか?
長岡遷都に反対するなら廃太弟にするぞと脅せばすむような気もするけど そもそも桓武天皇を早良親王の即位までのつなぎとみなす勢力も根強い時期だろ、
早良親王支持派を潰さないと政権運営に支障を来すほどだったから、
どうしても粛清せざるを得なかったんじゃないの
それぐらい激しく争ってたのでなければ粛清の必要がない >>843
現実に長岡京造営使が殺されているので
桓武天皇としては反対派を一掃して
強い威厳を示さないといけなかったのだろう
反対派が担ぎ上げる恐れのあった早良親王は脅威だった 戊辰戦争の時に会津藩の農民が官軍に協力したことが板垣退助の自由民権運動をすすめるきっかけとなりましたが
このことが逆に皇国日本・鬼畜米英・一億玉砕思想へと国民を導いたんじゃないですか?
(´・ω・`) 西郷隆盛が飼ってた犬はいっぱいいたから
今でもその子孫の犬っているんですか?
(´・ω・`) 光仁天皇と井上内親王ってもともと仲悪かったんですか?
井上内親王が呪詛の嫌疑をかけられたとき、光仁天皇はかばってやろうとはしなかったんでしょうか なぜ、「水戸黄門」御一行は、沖縄へ行かなかったか?
【佐藤優VS飯島勲】救国対談!飯島勲「リーダーの掟」特別編(2)
佐藤 今、沖縄では基地問題というレベルじゃなくなってきていて、日本からの分離独立を訴える人が出てきています。
時代劇の「水戸黄門」は、日本中旅行していますけど、沖縄にだけは一度も行っていないんです。
当時の沖縄の人は「この紋所が目に入らぬか」って印籠を出しても三つ葉葵の紋を知らないし、琉球空手の達人が助さん、格さんに負けるわけがないからドラマの筋が成り立たない(笑)。
これだけなら笑い話なんですが、一方で沖縄には江戸の権力、京都の朝廷、つまり天皇の権威が通じないということ、日本の政府への帰属意識がなかったという意味でもあります。
だから、基地問題で差別されているという感覚が強まると分離独立へ向かう危険性が出てくる。
実際、東シナ海のガス田を中国と分け合うような形を取れば不可能じゃない。
(プレジデント 2011年8.29号より)
上に引用したのはプレジデント2011年8月29日号での佐藤優氏と飯島勲氏の対談だが、当時の沖縄の人たちが日本政府への帰属意識がなく、沖縄には天皇の権威が通じなかったことが、水戸黄門の笑い話を例に挙げて面白おかしく解説されている。
権力や権威に媚びないウチナーンチュならではの話を沖縄出身の母親を持つ佐藤優氏がユーモアたっぷりに語ってくれた。
まさに、あっぱれ! >>850
早く沖縄には日本から分離独立してもらいたい
ただし沖縄本島だけな?
琉球王国が成立後、武力併合したそれ以外の有人無人離党は
琉球固有の領土ではないから >>851
荒らしにレス返してんじゃねえよキチガイ 日本人の境界
http://www.shin-yo-s...ks/4-7885-0648-3.htm
第1章 琉球処分―「日本人」への編入
「国内に人類」への統合と排除/外国人顧問の提言/「日本人」としての琉球人/歴史をめぐる争い
第2章 沖縄教育と「日本人」化―同化教育の論理
旧慣維持と忠誠心育成/「文明化」と「日本化」/歴史観の改造
第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学
沖縄にとっての同化/二重のマイノリティ/防壁としての同祖論/沖縄ナショナリズムと同祖/排除と同化の連鎖/啓蒙知識人として
第18章 境界上の島々―「外国」になった沖縄
「少数民族」としての沖縄人/「琉球総督府」の誕生/「アメリカ人」からの排除/「日本人」であって「日本人」でない存在
皇民化政策のもと、日本人ではない沖縄人を無理やり日本人になるように強制したり、
逆に「沖縄人」というだけで差別をしてきたのが日本人である。 >>849
仲が良い、悪いの問題ではないような…
光仁天皇は傍系の自分を擁立してくれた藤原南家に口出しできなかった
そもそも光仁天皇が即位できたのは皇后の井上内親王が聖武天皇の皇女だったから
聖武天皇の孫に当たる他戸親王即位までの中継ぎだった
しかし井上内親王の異母妹である称徳天皇に長年苦しめられてきた藤原氏は
(称徳天皇は藤原氏を外戚としているにも関わらず道鏡を重用し
恵美押勝の乱を鎮めるなど藤原氏と仲良くなかった)
他戸親王が即位して井上内親王が政治権限を持つことを好まなかった
光仁天皇としては他戸親王が廃太子、井上内親王が廃后になったところで
傍系だった自分の皇統が絶えるわけではなく
代わりに別の妃が産んだ山部親王(後の桓武天皇)を後継者に据えましょう
ということだったから悪い話ではなかった >>854
>光仁天皇は傍系の自分を擁立してくれた藤原南家
って、光仁天皇を推した藤原永手は藤原北家だからそのレスの前提からして違うだろ >>855
永手は太政大臣だったというだけで
実際に光仁天皇擁立に動いたのは南家の百川や良継だろ
実際、山部親王が立太子すると良継の娘が皇后にたてられたし >>856
永手は太政大臣じゃなくて左大臣だし、良継は式家だし。。。 >>857
しつこいな
藤原南家→藤原氏
と変換すれば何も問題がないだろ
前提が違うと内容を全否定しているが
突っ込んでいるのは「南家」ということだけ
南家以外の藤原氏もだ!というだけだろ 藤原百川の出身を南家だと勘違いしてるやつがいるな。
居直って藤原氏だといい張ってるが、 2013年4月に琉球新報ホールで行われた「フォーラム4・28 沖縄から『主権』を問う」という公開討論会で、
作家の佐藤優氏(元外務省主任分析官)が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言している。
公開討論会に集まった沖縄人からはこの発言に対して異論はまったく出なかったし、むしろ好意的に受け止められていた。
この事実を見ても分かるように、我々沖縄人が「日本人と沖縄人」を区別するのはごく当たり前のことである。
ソース(14分10秒あたり)
↓
https://www.youtube..../watch?v=w3BrptaG2eM >>860
莫迦だと開いた口が塞がらなかったんでしょうね
佐藤優は久米島人のハーフ。久米島が琉球王国に蹂躙された歴史を知らない 荒らしに加担する例の暇ジジイが9分後にすかさずレスw >>861
佐藤優は日本人と沖縄人のハーフ。
それぐらいのことみんな知っている。 なんで日田郡は豊後国に入れられてたんだろう?
筑後川流域なんだから、筑後国か筑前国でも良さそうなのに 川だけ見て国境を画しているわけではない
大きな川は国をまたいででも流れる 琉球人に天皇の権威が通じなかったのは歴史的事実。
なぜなら琉球王国は日本の統治権が及ばない異国(外国)だったから。
もちろん前近代における琉球人は日本人から見れば外国人だったことは言うまでもない。
逆に琉球人から見れば日本人は外国人だった。
@沖縄県那覇市小禄 嘉数ペーチン >>867
筑後川の上流は九重山塊を源流として山間の支流を集め流れ、一旦、日田盆地に流れ込んだあと、また夜明峡谷を流れ下る
その谷が尽きたところで筑紫の平野となり、その中を有明海までゆったりと流れてゆく
この平野と峡谷の境が国境となっていて、現地を見れば納得のゆく地形だ >>870
日本政府が線引きした沖縄県の行政区域に含まれるが,沖縄島とは文化も歴史も違う別の島です
どっちも日本の領土であります。日本国沖縄県 沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。 沖縄はもともと琉球王国が統治していなかった場所だから琉球王国固有の領土ではない。 旧石器時代の人々の場合、定住してたのか短期滞在なのか区別できてない
少なくとも住居を作る程度の期間はすんでた、しかし長期居住かどうかは不明なまま 九州って最近災害が多すぎるように感じるけど
昔からこんな感じだったの? 今回の豪雨は太平洋高気圧と日本海の高気圧に挟まれて前線が停滞したことによるもの
前線停滞の位置がどこになるかによって、どの地方でも起こりうるものだった
何年か前には同じように積乱雲が次々に発生して同じところで豪雨が続く現象が広島で起きた
そのときには山を削り、谷を埋めて造成した住宅地に土砂崩れの被害が生じていた
今回、大分県日田市では三人の死者が出たが、その前の水害死者としては昭和1953年に死者17名を数えたものがある >>877
日本はアメリカの奴隷だから日本固有の領土ではない。 >>879
沖縄島では竪穴式住居が見つかっていない 福岡から日田は平地の道だけで簡単に行けるよ。
経済圏も文化圏も福岡に依存しているし。
鉄道(久大線)も、久留米方面の半分しか大分方面行は無いよ。
日田から大分は山越え峠越えだよ。大分に至る前に九重の山奥だよ。昔ならどんだけ行きづらかったことだろうか。 これは許されるんですか?
【悲報】 加計学園、なんと大切な遺跡古墳を破壊して獣医学部を強行建設か [無断転載禁止]2ch.net
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1499870205/ >>884
今の交通事情だけで考えないように
地形的に筑後平野が尽きるところから峡谷に入ってゆく
そこはもう豊後路とされたのだ
昔の人がそう決めていたのに、現代人がそれに反対してもしょうがない
福岡経済圏とか文化圏とかも現代の事を言っているだけだね
あと山越え峠越えは山国なら当たり前にあって、昔の人は当たり前に往来していた
オール徒歩で行かされれば現代人ならすぐギブアップだけど >>884
美濃の中津川から中山道を東へ歩むと急な山登りにかかるところに「これより信濃路」の道標があった
いかにも山国である信濃が始まる地勢のところを昔の人は国境としたのだ
木曽川沿いに進めばそれほどの坂道はないはずなのだが荒荒しい川沿いに道はなかったようだ
だが、平成の大合併で中津川から山を登った馬籠の宿あたりは長野・岐阜の県境を越えて中津川市へ合併してしまった
後代の交通事情ではぐくまれた情勢では、生活圏が平地側の中津川のものとなっていたからだろう
これと同様に大分県の日田はもう福岡県になったほうが便利ではないかとは、現代よく言われているところである
そういうことがこれからあるのかないのか知らないが、古代に豊後とされた日田地方は筑紫とするべきではなかったかと今更言うのは昔の人が困惑するだろう
一度昔の人の言い分も考えてやってください 日本政府は2013年4月28日に主権回復の式典を開催したが、このとき、安倍首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に日本は完全に主権を回復した」と国会で発言している。
しかし、日本は形式的には主権を回復したが、実質的にはまだ完全には主権を回復できていない。
その理由は以下の通り。
1.安倍首相が「主権回復の日」の式典が開催された翌日にロシアに行き、北方領土の返還を求めている。
2.東京、埼玉、神奈川、静岡、山梨、長野、群馬、栃木、新潟の上空約5000mまでは米軍の管制空域である。
3.岩国基地がある山口県の上空も米軍の管制空域である。
4.日本の領土(民間地域)に米軍機が墜落、または機体の一部が落下しても日本の警察は現場検証すらできない。
5.嘉手納、横須賀の住民が爆音訴訟を起こしても、日本の裁判所は米軍に対して訓練の飛行禁止を命じられない。
サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が主権を回復したどころか、逆に対米従属を決めた日であるといえる。 >>886
渓谷じゃねーよ
川の流れはゆるいし平地は広いし 峡谷だからこそ夜明ダムを作った
流れの傾斜はあんまり関係ない 平安京は左京は栄えたそうですが、右京はさびれていたといわれていますが、
どうしてですか? 峡谷だ
立派な谷間を川が流れている
高速道路も谷には建設しづらくて山のずいぶん上を走っている
1953年の水害では日田盆地に流れ込んだ水が、下流のこの谷間でふんづまり状態になり、
盆地で水が溢れて17名の死者をだした 富山生まれ「極力採りません」「閉鎖的な考え方が強いです」 本間不二越会長、会見で持論
https://headlines.ya...082031-kitanihon-l16 >>885
二十年ぐらい前かな、長屋王邸宅跡という貴重な遺跡を潰して百貨店をたてた会社があった
その会社が破綻して同業他社に吸収合併されたのは記憶に新しいだろ?
加計学園の末路を予見できないか? 武士(士族)の商売、みたいな感じで
お公家さんを揶揄したような表現って
何かありますか? この間テレビで雪駄?草履はいたタレントがスタジオで足の小指の爪をはいでました。
江戸時代あたりの人も草履系ばっかはいったから足の小指の爪はぎまくりだったんでしょうか >>895
増上寺霊廟を破壊した一族も衰退したようですしね。
ただ、リンク先からたどりついた教育委員会のサイトを見る限りではこの古墳にはそれほどの価値はなさそうです。
周辺は新都市開発が進んでおり、件の古墳に至っては石材抜き取りのために既に破壊されていたようです。
>>896
現在では「お公家さん」自体が揶揄的表現ですね… 江戸初期の将軍大御所の側近について調べたいときにオススメの本などはあるでしょうか >>898
お公家さん自体が揶揄的ですかね・・
>>899
どう読むのでしょうか? >>892
左京に比べて標高が低く河川が反乱しやすかった >>903
ありがとうございます
ところで、その言葉は初耳ですが、
加藤紘一(派)はお公家さんの末裔なのでしょうか? お公家さんで検索すればいろいろわかりますよ。読み方はもちろんです。
公家の末裔だからではなく、政策に熱心で政略に弱いところから
加藤紘一というか宮澤派というか宏池会がお公家さんと言われてましたね。
まあとにかくググってみてください。 日本政府(外務省)は、「固有の領土」とは「一度も外国の領土になったことがない領土」と説明しているが、であれば北海道から沖縄まで「日本固有の領土」と言える区域は一つも存在しないことになる。
なぜなら日本は戦後の一時期、アメリカに統治権(主権)を奪われたという歴史的事実があるから。
辞書によれば「領土」とは「国家の統治権(主権)が及ぶ区域」という意味である。
1945年9月2日に日本が降伏文書に調印してから1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されるまでの6年7カ月の間、
北海道から沖縄までの47都道府県を統治していたのは戦勝国のアメリカだった(奄美、小笠原、沖縄に関しては1952年4月28日以降もアメリカの統治下)。
この歴史的事実はだれも覆すことはできない。
日本政府(外務省)が言うように「固有の領土」の定義が「一度も外国の領土になったことがない領土」という意味であるなら、1945年9月2日から1952年4月28日までの6年7カ月の間、
北海道から沖縄までの47都道府県はアメリカの統治権が及ぶ区域だったので、この期間は日本の領土ではなかったことになる。
したがって北海道から沖縄まで「日本固有の領土」と言える区域は存在しない。
つまり、日本政府(外務省)が主張している「北方領土は我が国固有の領土」「竹島は我が国固有の領土」「尖閣諸島は我が国固有の領土」というのは全部嘘ということになる。 日本初ラーメンは水戸黄門ではなかった
https://www.nikkansports.com/general/news/1855067.html
ラーメン史の定説を200年以上遡る新資料が発見される
室町時代の僧侶の日記「蔭涼軒日録」の中に、中国のレシピを参考に
1488年に「経帯麺」を調理し、来客に振る舞ったとの記述があると、麺の歴史について
調べていた民間人から情報提供があった。
中華麺の定義は、かん水を使用していること。このレシピを調べたところ、「経帯麺」は
小麦粉とかん水を使うことが分かり、日本初のラーメンの可能性があると結論付けた。 >>905
へえー
俺的な公家のイメージだと派閥争い/政争だけはめっぽう強い気がするのにな
なんか席次争いとかの政争に人生をかけて激しい争いを繰り広げるイメージだよ >>908
池田、大平なんかは政争も強いというか、上手かったよ
同時期に華々しく喧嘩してた角福の影に隠れがちではあったけど、田中派や福田派が壊れた後も唯一派閥を存続させた(その辺が公家っぽいイメージなのかも)
本当に政争がダメになったのは
宮沢:宏池会にしては珍しく嫌われ者。自民党を野党に陥落させた
↓
河野:河野談話で知られる。戦後初の「自民党総裁になったのに首相になれなかった」人
↓
加藤:加藤の乱で知られる自民党への造反で、派閥が完全に分裂 >>910
河野談話は良かったと思う
大日本帝国の闇を清算したから >>912
うむ。あれだけ素晴らしい談話を残しても、中国韓国みたいな国はまだ執拗に賠償と謝罪を要求するんだからね
豚に真珠の価値は分からないということか 後白河法皇とか後鳥羽上皇とか、「後」のつく天皇は、どの時期からそう呼ばれるようになったのですか?
在位中は今上とか当吟とか呼ばれるわけで、譲位してからは一の院とか二の院とかいわれるわけでしょう、
後白河法皇と呼ばれるようになったのは、死んでからだと思うのですが、こういう名前はだれが何を根拠につけるのでしょうか?
よろしくお願いします。 >>914
「後醍醐天皇」は後醍醐天皇自身が決めている >>914
上皇の院号は居所の名前とかなんやかやの元ネタによって生前から呼ばれてる場合もあるしな
天皇としての諡号と名前の付け方が違うんじゃないの
それが天皇号として転用されてるだけでさ 今は年号=天皇の号になったから、
後がつく天皇の号はもうないのだろう
次の年号が「後明治」「後孝明」なんて、ありえないと思うので
よって江戸時代の後桃園天皇が「後」がつく最後の天皇だろう >>905
サンクスです
自分は>>908氏とは違って、お公家さんは浮世離れしてるというか世間知らずというか、
はんなりされてて政争とか政局に強いイメージはなかったです
例外的に岩倉具視だけは良い意味でも悪い意味でもなんか凄い政治家だなって印象
後白河とか後鳥羽とか後醍醐って子供の頃から慣れ親しんでいるので、違和感がないどころか
めちゃくちゃしっくりしてる印象ですが、もし後世において後明治とか後昭和、後平成なんて
天皇が存在したとしたらなんか違和感ありまくりですね >>918
城スレでたしなめられてた人?
記事は最新号だろうけど内容は新しくもなんともないじゃん
せめて有力な新説とか新発見史料とかの記事を貼るべきだろ
それでもスレチだし、そもそも丸写しリンクがモラルに反すのは言うまでもないが >>914
・退位後に住んでいた院御所の名前から
後一条、御朱雀、後白河、後鳥羽など
・特定の天皇に思い入れがあり同じ号をつけたくて生前自分で「後」を付けた
後三条、後醍醐、後村上、後水尾など
・特定の天皇と似たような人生を送ったということで死後に「後」が付けられた
後陽成、後光明、後西、後桃園など ちょっと特殊な? 後柏原天皇
名前の元である柏原帝は正式な天皇号ではなく異称別称 >>919
岩倉は屋敷の部屋を博徒に貸し賭場に使わせていた。 >>910
詳しくは知りませんが、田中六助独り気を吐くのイメージがあります。
党人ではなく官僚出身者や政策通が多いイメージからくるイメージなのでしょうけど。 >>919
お役に立つことは申してませんのに恐縮です。
実態はともかくイメージですからね。「お公家さん」と揶揄される企業もありましたし。 >>914
院号定という会議で決めていたようです。「追号」「遺諡」あたりで検索されてもよいと思います。 本能寺の変の通説って四国説?
僕は秀吉陰謀説を支持していますが可能性は低い? >>927
秀吉が何らかの理由で事前に知っていたんであらかじめ準備していた、
ならともかく黒幕はないと思う。 秀吉予知能力説に一票!!
家康黒幕説はどうですか? 信長が家康を誅そうとして何故か光秀が援ける 秀吉の立場として、変時に身動きがとれない可能性が低くないはずだったし、
よほどなにか追い詰められてたのでない限り積極的に関与する可能性はないだろう
毛利家が情報をつかんで挟撃されることを恐れて慌てて根拠地姫路に戻り、
そこで情勢を見極めてから動いただけだと思う
その時点でフリーに動ける家臣の中で随一の大軍を動かせる立場にあったのを利用して
周囲の織田家臣たちを勧誘して対光秀派閥を巧妙に作り上げた手腕が
秀吉の最大の持ち味ではなかったかと。
まあ、嘘をつきまくって味方を集めたんだけどさ >>929
家康黒幕説も伊賀越えの苦難を考えると無理。 最近本屋に行くと八幡和郎って人が書いた日本史関連の本がやたら並んでるけどそんなに有名なの?
何がきっかけでブレイクしたんですか?
経歴見ると元官僚で日本史については素人のはずなんで理解不能です >>933
官僚は人脈とコネがあるから
堺屋太一みたいなもん >>933
このスレに書き込んでいるから、多少はネットをかじって
いるだろう?
滋賀県の知事選挙にも立候補したり、本とは怖い江戸時代
等の歴史うんちく本を出したりしていたのだけど、
なんといってもレンホーの二重国籍の暴露で
一気にブレイクしたなww
あれもネットが火付け役だったけどww
今年はアゴラの年だよなww
アゴラの執筆人が大活躍した年だった。 自衛でもあり侵略でもある、どちらか片方だけと言うわけではない。 米の植民地フィリピンや、蘭の植民地インドネシアを攻撃したのは開戦後
戦時中の敵国領なんだから攻撃して奪い取るのは当たり前のことじゃないか? >>932
本能寺の変427年目の真実だっけ、あれ読んだけど、
羽柴黒幕説は備中高松城攻めに毛利本軍が救援に駆けつけるという緊迫した状況すぎて無理があるし、
家康黒幕説というのは伊賀越えで苦労したとかいう話を聞くと、事前にすべてを手配していた形跡はないね。
穴山を途中をぶち殺した件については、家康が帰国後すぐさま穴山領を併合している事実から、ほんとうらしく思えるけど、
光秀と家康が結託していたという話については、光秀⇒天海説と関連づけるためだけの俗説に過ぎない気がする。 毛利の事実上の指揮官である小早川隆景は思慮深い男だから、
秀吉が光秀退治に協力を要請すれば、受け入れるだろう、それが毛利家にとってもっとも有利な選択であるといえる、
その点は信頼していたから、秀吉としては全軍すみやかに撤収して、光秀退治の戦にのぞむことができたんだろう。
その結果、光秀の倍の軍勢を山崎の戦場に集めることができた、
このへんの話の展開があまりに急だったんで、中国大返しとか、事前に知っていたんではないかとか、
へんなうわさが立てられる原因になっているけど、事件の受益者が最大の容疑者とかいうミステリー小説の手法を
安易に受け入れすぎていていることが問題だと思う。 >>943
秀吉と協力するより光秀を利用する方が毛利の利益的にはありそうだろ
秀吉が退却する途中で追撃して殲滅、あとは光秀と当面はにらみ合いの長期戦
史実では秀吉の退却が迅速すぎて追撃し損なって諦めただけと思う 肝心の光秀が謀反した理由だけど、
やはり、四国問題だったんじゃないかな。
明智の一の家老の斉藤利光の娘がち長曾我部家に嫁にいっていたとか、
それ以外にも明智の縁者で土佐に移住していた人間がすくなからずいたというけれど、
いちばん大事なことは織田と長曾我部が手切れとなって、織田が長曾我部を攻めることによって、
光秀の面目がつぶされることだと思う。
面目をつぶされる?そんなことで謀反などという重大なことを考えるだろうか?と訝る人はいるかもしれないが、
それは現代の感覚でものを考えるからだ。
当時の武士というのは、面目のためなら命を捨てるのが当たり前のことだったから、
面目をつぶされたら生きてはいけないし、生きていられないのなら、謀反を起こすのも道理だろう。 ちょいと話はそれるけど、
光秀⇒天海説だが、これはいうまでもなく嘘八百だろう。
天海が家康に東照宮を建てさせた日光に<明智平>なる地名があるとかだけでは
あまりにも根拠が薄弱であるといわなければならない。
それよりも重要なのは、家康にお福を推薦したのが天海らしいということだろう。
天海はお福の男顔負けの政治の才能を見込んで、竹千代の乳母をつける時にお福を推薦したんだ。
竹千代はのちに将軍家光になりお福は春日の局になって、事実上の”大奥総取締役”となって、
徳川の家政の責任者となった。
お福の父親が斉藤利光だったのは事実だが、天海はお福の人物をみて家康に推薦したんであって、
元の家老の娘だから、というのは余分なことだろう。
そこらへんがひっくり返って、お福が徳川の家政を牛耳ったことが、光秀⇒天海説の有力な根拠になっている。 >>943
結果として小早川家が滅んでいるんだが,その点はどう弁護する?
光秀の方が旧家の家名を大事にするんじゃね 小早川が絶家になったのは秀秋が嫡子を得る前に若死にしたせいで隆景にはなんの責任もない >>949
隆景に実子がいないし元々毛利の人間だから小早川の血筋でもないし、関係ないだろ。 隆景の血筋が絶えたことと本能寺の変での隆景の決断と何の関係があるというのか? >>946
筆跡鑑定で別人と出てるんだからもう結論は出てるよ 下水道が整備されていない時代って、あちこちウンコ臭が漂ってる中でご飯食べたりセックスしたり軍義を開いたり能を催したりしてたんですか? 今みたいに医療技術、薬、麻酔が発達してない時は歯痛とかどうしてたんだろ
とりあえずすぐ歯医者!とか、とりあえず正露丸!ってわけにいかないし 沖縄を蝕む「補助金中毒」の真実
ttp://tkj.jp/book/?cd=02676601 日本の大学に哲学部や歴史学部がないのは日本人の知性が低いからでしょうか? 少なくとも一般的には、哲学も歴史も文学部のなかに、
学科として設置されるよな
学部として設置されることはない
それが不満なのか。 >>964
受験生としてはその方がメリット大きいんだよな
通常、受験は学部単位で行われるので、大学で基礎授業を受けてから学科を選べる
「俺は絶対に哲学の道へ進むんだ!」なんて高校生、まずいないだろw ロシアの偉大な君主ピョートル大帝は歯を抜く名人で廷臣たちは皇帝に虫歯であることを知られることをひどく恐れたという。 保守反動的な思想信条を掲げる団体である日本会議をバックボーンに持つアベ政権が登場してしまったというのは、日本人がきちんと哲学をしてこなかったからだと思います。
アベのような危険思想の持ち主が政治リーダーになることは西欧ではあり得ないでしょ。
フランスでルペンが拒絶されたように。 チャーチルがどんなキチガイか知らないらしい
あいつヒトラーと同類の人間だぞ ヒトラーは選挙で選ばれて政権の座についたよな
クーデターなどの非民主的な方法で政権をとったわけではないよ
トランプ大統領だって、あれでも選挙で当選したわけだしな
別に日本だけおかしいわけではない。どこだって、ときにはおかしいんだよ 日本人は哲学とかいっても正直あんまりありがたがらないし、
それよりももっと実用的な知識を求めているということじゃないですか。
明治以降に紹介された哲学などみても、知識人の文化的装飾程度にしか思われなかったし、
じっさいあんまり役に立たないでしょう。 日本人はノーベル賞はありがたがる
戦後日本が科学技術大国だった証として(過去形) >>969
ナチスが過半数の議席を民主的な方法で獲ったことはないけどな
政権の座を執ることは民主主義に則っても政権を維持するのは非民主的にやる。その点で安倍も同類
トランプも過半数の国民の票は取ってない。選挙システムの盲点 >>972
バカ?
安倍は過半数の議席を民主的な方法で獲ってるんだが 文盲
>政権を維持するのは非民主的にやる。その点で安倍も同類 >>975
安倍が政権を維持するために行った非民主的な方法を述べよww ・都市部ホワイトカラーの参政権制限(合憲化へ)
・謝蓮舫の二重国籍疑惑の秘匿 >>976
アベノミクスが上手くいってると嘘ついた
実態はデフレから脱却できてなかった
賃金上がらず、エンゲル係数上昇 >>981
アベノミクスやってなかったら、今も1ドル100円前後で輸出は今より伸び悩んでいたかも
株価は民主党政権時代の水準
就職状況は今のような売り手市場どころか、新卒で非正規になる者が相変わらず多数いただろう
安定したインフレ基調には全然戻せていないが、やってなかったら今よりずっと悲惨な経済状況だよ >>983
>>699
息を吐くように嘘吐くのやめようや >>984
景気が回復したんじゃなくて生産年齢人口が減ったから
失業率が良くなっただけかもしれないじゃん
それにこれのどこ見れば派遣や契約社員じゃなくて
正規労働者として就職できる割合が増加したのか分かるんだよ? >>985
それは「アベノミクスのおかげで雇用改善が加速したとも減速したとも言えない」の反論に全くなってないですね 団塊退職で上が大量に抜けたから
今の新卒がバブル並み好就職なのは新聞にも出ていただろう
だいたい団塊世代は今の新卒の2,5倍いるのだから
ただし正社員就職できるのは新卒だけなので
すでに卒業している中高年非正規が正社員になれることはない
ご愁傷様 >>986
「アベノミクスのおかげで雇用改善が加速したとも減速したとも言えない」なんてどこに書いてあるんだよ
わざわざ「 」でくくっちゃったりしてるけど 律令制の各省の長(○○卿 例えば中務卿とか式部卿)よりも、その上にあって各省を束ねる弁官局の長(左大弁・右大弁)の方が地位が低いのなんでよ? >>989
県知事よりもその上にあって日本を束ねる仕事をしている
国家公務員一般職のほうが地位が低いのは何で、みたいな意見だな >>988
え、>>699に書いてあるんだけど・・・
何か可哀想になってきた・・・ >>989
各省庁の実務のトップは〇〇大輔
〇〇卿は皇族の名誉職で実権はない >>989
弁官局って太政官の実行部門だよな
太政官付の秘書室みたいなもんじゃないの
秘書室長が支社の社長より地位が低いけど権限で上回ってるって普通だよな >>990
国家公務員一般職って、日本を束ねる仕事してないし、各県を束ねる仕事もしてない >>996
奈良時代の〇〇卿は四位相当で
身分は高くなかっただろ
平安時代に皇族の名誉職になったから
皇族が尊いということになっただけで カナダやオーストラリアのトップは名目上エリザベス女王、みたいなものか このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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