日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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義時最強だと思うがなぜあんなに強かったのか自分も謎に思ってる
母方の一族はいない
嫁の一族は自分で滅ぼしたりしてるし伊賀氏はそんなに強い印象はない
娘は公家に嫁がせてるし、要するに有力な婿はいない
つまり、時政にくらべて助けとなる武家が縁者にそれほどいない
でも何かあるとなんだかんだ御家人に守られていつも勝っている
そこが謀略力ということで天才扱いされるんだろうが
頼朝と一緒に旗揚げし頼朝の側近として活動してたことから
頼朝死後、個人的なカリスマ性があったんではないかと思っている 頼朝の後ろ盾や御台所の実家である事だけに依存する無力さや脆弱さを自覚していたからこそ配慮や根回しに事細かかったんだと思う
血気盛んな他の東国武士とは毛色が異なる >>359
母方の一族は三浦につながっているからな
おかげで盟友だかライバルだかよくわからない三浦義村という男との関係ができた 三浦氏なくして鎌倉幕府なしとは頼朝自身が認めている 三浦義村とは終始緊密な協調関係を保っていたけど、常に情勢を左右するキーマンであり続けたから付き合い方には頭を悩ませていたんじゃないか 実朝が宋にいくと言い出すってことは、将軍がいなくても義時がいれば
鎌倉が動くという状況になってたんだろうなその時点で >>364
たぶん、義澄
弟の時房が義連を烏帽子親としてるから
宗時ー杉本義宗
義時ー三浦義澄
時連ー三浦義連
という関係だと推測 どうみても黄金期は三浦義村だろ
義時死後も相当長生きして泰時に影響を及ぼし続けた
その反動が宝治合戦なわけで 伊賀宗光のクーデターに巻き込まれそうになって政子から睨まれていたけど、泰時政権下でも大きな顔ができたからね 細川重男の本を読んでるけど
どうも細川重男は北条義時=謀将説に対して、なんだか懐疑的な感じだね
時政に反抗したのを重要視してるのかもしれない 細川重男は北条愛が強すぎて、その分間引いて読む必要がある。 永井晋の鎌倉源氏三代なら読んでる
詳細且つ分かりやすい良書だった これ程までに優秀な家系ってないんじゃないか
源氏は割と問題児だらけだよね だが徳川15代に比べれば北条は粛清に明けくれて安定性に欠けていた。
もちろん足利15代や源3代に比べれば優秀だが >>381
徳川時代は戦国大名を経由して組織の時代が行きついた結果だからな
北条時代はまだ武士の草創期で個人の力量の時代
その時代を戦乱にしなかったこと自体が指導者の力量だろう 家康が源頼朝を敬愛して鎌倉幕府をプロトタイプとして参考にしていたから、叛乱分子を転封なり改易するなりして芽を摘む手法は似ているんじゃないか 北条は初代から8代目までが無敵。
9代目から狂い始めた 義時は頼朝の薫陶を受けた
泰時は頼朝と義時の薫陶をうけた
時頼は泰時の薫陶を受けた
時宗から先はオヤジが早く死に過ぎたな 北条貞時も自我に目覚めて獅子身中の虫の平頼綱を討ち取っているから、傀儡として終わらなかっただけ力量はあるんだろうな 貞時は誰の庇護も得られない状況で頼綱を討ち取ってんだぞ
力量は半端じゃないよ 高時はああ見えて大器晩成型だろう
早熟であったなら北条政権崩壊は防げたかもな やたら政子を持ち上げるけどウーマンリブなのか
義時の持ち駒の一つでしかないだろ こっちから攻めろと言ったのは義時じゃなくて政子と大江広元 姉弟仲良く協力し合ってるのが良い
頼朝の恩に報いるように鼓舞したのも感動的 政子は勘が鋭く腹が据わっている
義時は怜悧
いいコンビだったと思うよ >>357
日本で最初の易姓革命は継体天皇、もしくは蘇我馬子な。
まあ、理屈言うと、後鳥羽院→後高倉院は兄弟だから易姓と違うがな(馬子も)
山本七平みたいなアホが承久の乱持ち上げ杉で珍解釈が生まれた。 あくまでも迎撃戦
舐め腐った上皇に一発食らわせてやったまで 政子は持ち上げられすぎだよな
実際は義時の手駒だ
政子の動きで義時の損になるもの一個もない
義時の都合のいい時に出てきて必要ないときは出てこない
和田合戦の時の政子の空気ぶりわらえるw 阿野時元討伐やら禅暁の処刑やらの時の政子の空気ぶりもな 基本的に大事件は北条義時と三浦義村を軸に動いているよな 外交とか戦略とかインテリジェンスに関しては大江広元が頼朝の右腕だったからな
承久の乱や和田合戦でも幕府重鎮として重きを為している 平賀討伐も義時が一存で命令下してるな
その後の宇都宮でもめたとき義時亭におもむいてわびいれてるのわかる 政子が指示を出した事と言えば時政の専権に対抗するべく、北条義時と三浦義村を向かわせて源実朝を保護させた時かな 泰村の代で反得宗勢力に一転してしまったこと、泰村というよりは弟の光村が好戦的だったこと、安達の謀略、色々あるね >>404
将軍とくっつきすぎた
もっと得宗にしがみつくべきだった
安達みたいに
まあこれは三浦と安達との戦いだよ ありとあらゆる政敵を屠り、上皇や夷狄にも打ち勝った最強の氏族 弟の時房も執権泰時を補佐したので義時政子が亡くなっても幕府は強固だった 混乱に乗じて源範頼を失脚させた黒幕って北条時政だったの? 曽我兄弟の仇討ちの結果、伊豆の大豪族工藤祐経が討ち取られ、遠江に地盤がある範頼が粛清
結果、駿河を押さえていた時政の勢力が伊豆、遠江に拡大し、今の静岡県全域に広がった
時政の影が見え隠れするね 三浦や北条などの武士団を重んじる一方で、甲斐源氏や自分の兄弟たちを危険視する頼朝と、目の上のたん瘤の源氏の宿老を排除したい北条時政の利害は一致していたんだと思う 頼家とその息子全員こいつが殺したよな
なのに誰も問題にせず自分はのんびり頼朝の墓の下で眠ってる
ある意味すごい 畠山重忠も冤罪で死に追いやってるからな
この件で相当な反感を買ったらしいが 清盛=信長
頼朝=秀吉
頼家=秀頼
時政=家康
義時=秀忠
こんな感じか? 清盛=信長=角栄
頼朝=秀吉=竹下
頼家=秀頼=小渕
時政=家康=小泉
義時=秀忠=安倍
400年周期 頼朝恩顧の御家人たちは源頼家よりも北条が推戴した実朝を選んだんでしょ
頼家側近たちと反目して、追い詰められた北条は三浦や和田に協力や賛同を求めた 畠山は源平合戦の折に三浦義明を討ち取ってるから、因縁めいたものはありそう 頼家の息子は全員殺したが娘は鎌倉殿のあとをつがせてる御台所として
もし比企氏の娘なら北条を敵とする娘を権力の座につけてるわけで
こういう大胆さが北条義時らしい 頼朝が亡くなったことで事態は逼迫したけれども、頼朝の権威と御台所の実家としての立場は活かしていたからな 政子=息子や孫を殺される
阿波局=息子を殺される
畠山妻=夫を殺される
平賀妻=夫を殺される
稲毛妻(死去)=夫を殺される
無事なのは足利ぐらいか
姉妹も大変だな 頼朝亡き後の混乱を収め、生き残る為には仕方なかったのでは
リーダーの鑑に見えるけど 和田義盛なんて頼家から北条討伐命令されたのに
無視して北条にたれ込んでたからな
比企討伐に加担してたから当然だが 和田とも当初は利害が一致していたんだよな。一方的に反目する諸侯を討ち平らげたのではなく、まだまだ力が弱かったから御家人の賛同あってのものだった 苦境に立たされて一旗揚げようと思ったのか、泉親衡の叛乱を裏で糸引いていたのは和田義盛と言われているね よっぽど頼家とバックの比企が嫌だったんだろなみんな
小笠原だって頼家に近い実直な武士って感じなのに見捨ててるし 今でも男の派閥って好き嫌いで決まって嫌いな奴とは
口も聞かないってある
昔だったら殺しあってもおかしくない >>435
平氏政権は清盛の晩年にすでにガタが来て諸国源氏が挙兵してたからだけど
(清盛は墓前に頼朝の首を備えよと言って死んだ by「平家物語」)
頼家の場合は鎌倉幕府にガタが来てたわけではないんだよね
その後も続いてるし 「吾妻鏡」には源頼家は典型的な馬鹿殿様に描かれている。
ここまでバカなら、降ろされても仕方ないと思えるような描写だ。
平宗盛は、平和な時代ならそれなりに有能な貴族として人生を全うしたと思う。 頼家は義時の妾に子供ができた時に祝いの品を送ってる
とわざわざ吾妻鑑が書いてたな
多分そこそこの仲だったと思う頼家と義時
比企が正室なのにそういう状況なわけでさ 比企氏征伐、源頼家の廃位・幽閉は、北条氏だけではなく、宿老の大江広元を
始め大半の御家人の支持のもと実行された。
つまり、頼家は北条氏の権力欲の犠牲になったのではなく、明らかに鎌倉殿と
して不適格で、御家人の総意によって排除されたということだ。
このころの北条氏は大多数の御家人と歩調を合わせており、突出して横暴なことは
していなかったように見える。 合議制の上に成り立ち、御家人同士の連帯を重んじていたからな
梶原景時の追放も北条時政や阿波局の工作活動があったにせよ、景時が孤立化しているという盲点を突いたものだった >>441
あの署名者の中に北条一門が1人も居ないのが心憎いよねw 比企能員も署名しているからな
頼家も自分が廃位の危機にあるという認識なんてなかったのでは >>443
あの連判状みて自分の危機だと思うような政治的才覚があったら、御家人の不満を招くことはなかったろうからね
頼家が認識することはなかったと思う
むしろ、ここで御家人のいうこと聞かないと自分の立場がやばくなると思っただろうね
んで、警戒すべき北条は署名してなく逆に比企が署名してんだから
比企も北条が主導してたら警戒したろうけど表で動いてるのは三浦や結城だから警戒せず署名したんだろな
いずれにしろ北条が何枚も上手なのがはっきりわかる あれ北条が署名してたら梶原の
これは千幡派の陰謀だ!
説が通った可能性もあるが北条がウチら知りませんが何か?
てやったから梶原反撃できずに負けちゃったんだよな
あの辺りはさすがに頭良すぎるだろおもた
で連判状の言い出しっぺが三浦義村と結城朝光って
ぜーったいに義時に相談してるだろ、てメンツなのがまたw 北条時政義時親子の謀略レベルはワールドクラスだよな
富士の巻き狩りの際の曽我兄弟騒動も多分間違いなく時政が糸引いてるよね 仇討ち自体は偶発的な事故にせよ、曽我兄弟の仇討ちに絡んで源範頼が幽閉されているね
源範頼とは利害が衝突しやすかったのでは もともと弱小武士団で苦労を知っていたからこそ、人に対する配慮に細かかったのでは
執権というポジション自体、意見を汲みやすい立場だから 時政はちょっと乱暴かな
比企能員をおびき出して謀殺したり畠山重保を三浦に襲撃させたり
いきなり武力発動させてやっつけるタイプで梶原に似てる
両者が御家人から追い出されたのもわかる
義時はそう言うやり方はしない
相手に攻撃させてしゃーねーなって返り討ちにする
仁田、和田、公暁、後鳥羽院みんなそうだ
突然襲撃するようなことしないんで安心感があるし義時時代は安定してる
逆らいさえしなければ安全だから
倒そうと挑み掛かると10倍返しくらうけど 時政は無謀にも平賀朝雅の擁立を企てたけれども、どういう心境だったんだろう 時政の後妻である牧の方は権力欲が強い人でむしろ夫を煽っていたようだ
娘婿の平賀朝雅が畠山重保と対立すると朝雅は牧の方を通じて重保を讒言する
時政にとっても畠山父子は邪魔な存在なので謀反の言いがかりをつけて滅ぼす
昔から政子は牧の方と仲が悪かったが妹婿の重保を殺したことで激怒した
政子と義時はこれ以上牧の方のやりたい放題にさせたら北条は孤立すると考えた 訂正
重保ではなくて重忠が妹婿だった
時政は高齢ということもあり状況判断が鈍っていたのだろう 我が子の政子と義時に刺されるとは思ってもいなかったんだろうな
特に義時とか、時政にも腹の中を見せなさそうだし >>451
権力欲って北条政子の発言力を見れば
あの時代は女が政治に口出しするのが普通だったのでは
北条政子・義時姉弟にとって牧の方は相いれない相手だったというだけで
それを言ったら政子も義時もかなり露骨な他氏排斥してるよ
それが成功したから持ち上げられているが >>454
戦国時代までは武家の嫁の発言権は強いからな
家の奥向きは嫁の管轄だし、正妻なら跡取り息子(実子でなくてもオッケー)に対する発言権がある でも政子も阿波局も息子を義時に殺されてるじゃん
実家drの発言権は弱そう そんな猛女たちの中へ12歳で都から嫁に来た実朝の妻は相当なストレスだっただろうな 散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
歴史上の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。
泣けるよ。凄く出来が良い。
人間やはり50年だなぁ〜。 義時と対峙して大人しく引っ込んだからな時政
家長の態度じゃない
義時が独立した力を持ってたんだろう 北条義時も政子も、時政を牽制する為にも必死に将軍実朝を守ろうとしていたからな 御家人たちとの連携を実際に担当していたのが義時だったんだろう
世代的にも時政は当時の主要御家人たちのひとつ上の世代だったしな
三浦義村、結城朝光という御馴染みの顔ぶれが出てきて実朝を義時邸に連れ去って行ったあたりそういうことなんだろう 時政と牧の方の実子である政範が生きていれば義時は幕府の執権になれなかっただろうか 政範に義時を上回る政治手腕がなけりゃ時政もろとも葬られる運命だったのでは?
義時死後の政村に近いポジションだろうね 義時は鎌倉にきて早々に時政から独立した動きしてた
亀の前事件の時一人だけ残ったみたいな
鎌倉にきて急速にでかくなったから時政でなく
義時に直に仕えたやつも多かったろう
だからオヤジに逆らう力もあった
時政に勝てるんだから政範がかなうわけない 義時は江間家の当主で時政から独立してたからな
もちろん無駄に親父に逆らったりはせず、時政の謀略に協力はしてたんだろけど
そして義時のことだから無駄に親父に意見したりはせず感情も見せなかったんだろうな
だから時政もつい油断してたんだろうな
時政は自分の力あってと思ってたろうけど、実は義時自身の力で、利害が一致していたから義時が時政に協力し、それが結果的に時政の果実になってるというケースが多かったんだろうね 時政は舅どのだったけど義時は伺候衆の一人で親衛隊長みたいだもんな
頼朝が義時は家子の専一とした文書あったけどあれどういう意味?
頼朝のひいきで義時は独自の力持ってた気がする >>468
ありがとう
いや結城と足利の格争いの中で出てきたからどういうポジ?とおもて
3家はどういう格関係になるの? >>469
頼朝の御家人は大きく分けて以下の3ランクに分けられる
@門葉(源氏一門)
A家子(頼朝親衛隊)
B侍(一般御家人)
足利家は@の門葉
結城家はAの家子
江間家(義時の家)はA家子の筆頭
で、結城と足利の喧嘩のとき、足利は一般御家人は家来筋だと言ったのに対して
結城はうちは家子だからてめえらと対等だと言い返した
これに対して幕府はうやむやの引き分けにしたんだけど、結城の言い分を否定していないからかなり地位が高かったことが伺われる
そして、義時が家子の専一だってことを示す文書を結城が出してきて、それを見て義時の子の重時は随分喜んだらしい ありがとう
門葉と家子の力関係がわからんがこういう場合は大抵Aが強い感じだな
梶原や和田はB?
義時がでかい顔するのも当然か 景時や義盛は家子じゃないけど大幹部だからね
信長軍団なら柴田とか羽柴とかのクラスでしょ
その中でも景時は政権No2だから執事や管領同然だったろうね
義時は親衛隊だから信長側近衆で堀秀政とかに相当するだろうね
堀とかは物凄い権限持っていて信長が生きてる時は秀吉とか贈り物とかしてペコペコしてた 頼朝死んで自分を守るものがいなくなったと見て
真っ先に梶原葬った義時はさすがだな
梶原からすれば頼家を脅かすものは千幡だけで北条さえ排除すれば
その脅威もなくなる
どっちが先に動くかというレベルだった いや、ほんと、景時排斥は凄い手腕だよね
もちろんあれ時政が命じたんだろうけど、実際に動いたの北条兄弟姉妹に三浦義村と結城朝光でしょ
御馴染みのメンツのデビュー戦だよなww
結局このメンツが動乱の鎌倉を生き抜いていくことになる 梶原追放は時政でなくて義時主導だろ
阿波局に三浦に結城ってどうみても義時人脈じゃん
それに理屈重視のスマートなやり方は義時ぽい
その後の梶原討伐は時政主導 怜悧さが光るからな
梶原景時追放にしても将軍実朝擁立にしても諸侯の合議の結果だから、決して独断専行に走る野蛮さはなかったと思う
寧ろ良き代弁者として慕われていたのでは 義時は和田義盛に対してもじっくりと相手の行動を伺っていたからね
和田家とは将軍擁立などで利害が一致することもあったけど、常に一定の距離をとっていたから 和田討伐で感心したのは胤長をまず標的にしてその館を抑えたこと
実朝が空気読めずに和田に渡したが義時が本気で怒って奪った
和田の先制攻撃を想定してた義時からしたらあんな目と鼻の先の
軍事拠点は許せんわな
逆に実朝の鈍さに驚くが軍人目線がないとそうなるか 和田義盛は自ら頼家廃位に加担したにも関わらず、頼家の遺児を擁立しようと陰謀を企てていた
泉親衡の叛乱の手引きも行なっている
義時よりも和田義盛の方が露骨な挑発を行なっている 泉親衡本人は合戦のどさくさに紛れて逃亡し行方不明それでも子孫は処罰されず
和田一族だけがほとんど滅亡したところを見ると親衡も義時と組んでいた可能性がある 三浦義村は和田義盛を裏切ったのではなく、最初から盟友の北条義時と通じていたと見る方が自然だからな
二重スパイだったのかも 義村は義盛がいたら三浦一門の本当の総帥にはなれないからな
目の上のたんこぶ
普段の義時との関係も含めたら間違いなく最初から義時側で、むしろ義盛の謀反の煽り役でしょ
義盛は義村を信用した段階で勝ち目なかったね 源実朝は貴族みたいな人だし、お飾りとして振舞っていた分、当たり障りのない人と見られていたんでしょ 和田合戦もよくわからんな
横山党が合流してから挙兵すればいいのになぜ一日早かったのか
義時側は受ける立場だったから先制攻撃の和田が有利で
横山党が合流してれば武力圧倒して一気に行けたはず
義時側は御家人を招集するから時間がかかる 横山党ってかなりの強勢だからな
この合戦では北条陣営も狼狽していた 義盛は短気だから翌日まで待っていられなかったのだろう
味方に付くと目論んだ同族の三浦が逆に北条側に付くとも考えなかった 強襲をかけて将軍を拉致しようとでも考えていたのかな
先に大江広元が将軍御教書を発行して北条方を鼓舞しているけど 和田の強力な武力を知ってるのにそれとガチンコでいった
義時は相当度胸がいいぜ
どーも結果知ってる連中がそれを過小評価しがちだが
わざと和田を挑発して滅亡に追い込んだとかさ
実際は三浦がほんとに北条につくかわからんし
御家人がどの程度駆けつけるかもわからん
相当危なくて実際義時も危険にさらされた
和田討伐後に義時が鎌倉で圧倒的存在になったのも当然だろう
御家人はよく見てるから 荒々しい和田一族が御所に押しかけてずらーっと並ぶだけで
相当な威圧感だろうにその面前で胤長縛り上げるとかさ
はあ?お前幕府を脅迫する気か?いくら鎌倉最大の武力誇示しても
絶対許さんからな!て態度だ
大江や三善やらの公家には絶対無理
鎌倉を支配するのは武士でないとてのがよくわかる その通り
知略謀略だけでトップにはなれんわな
いざって時はどんな危険な相手にも立ち向かう度胸と胆力がないといけない
トップに立った者はみんなそこをクリアしてんだよね
頼朝だって100人足らずの兵力で旗揚げしたことから始まっているからねえ 泰時の父親らしく優しい感じだけどね義時は
穏便だと頼朝に言われたようにさ
御家人が困っては義時に泣きついて義時がその面倒よく見てる
激しい政子と合うのもわかるし公家と気があうのもわかる
だけど胆力は凄いと思うよ政子なみ
知力胆力そんで優しさと兼ね備えてる
伊豆の普通の武士が天下人になるのもっとも 義時は源頼朝と同様に東国武士団の本音と建前、利害でどう動くかを心得ていた
相手の目線に立って考えられる物腰の柔らかさがあった >>493
そうか?
治天の君・後鳥羽上皇に義時追討令を出されても
それなら治天の君を討ってしまえばいいという獰猛さ
父の頼政や姉の政子の存命中には同族の年配者に配慮して
おとなしくしてる部分はあっただろうが頼政に似てるけどな 承久の乱では義時はかなり怯えていた
勇気を振り絞っての決意だった 義時は強引な手段や道理に反することは決してしなかった
畠山重忠を一方的に殺した時政を激しく非難している >>496
怯えていたら東国武士が付いてこないだろうw
たとえ朝敵になっても獰猛な義時についていけば
必ず勝てると御家人が確信したからこそ
皆従ったんだろうに 追討令出されて受けて立つ首謀者に責任取らせるのは
獰猛さでなくて普通の対応だろw
だから公家でさえ悪いのは後鳥羽院だって言ってるわけで >>499
公家のは後鳥羽院が負けたから言ってるだけだろ
戦に勝ったほうがどんな時代にも正義になる 平清盛=マムシ
源頼朝=ハブ
北条義時=キングコブラ
毒の威力で分けるとこうなる >>498
義時に足りんところは政子が補うんだよ
政子の感性と言葉が大局を決めた
大局が決まったら怜悧な義時がきっちり実行するんだよ 大相撲で言えば。
平清盛=関脇
源頼朝=大関
北条義時=横綱 >>502
政子が出陣するわけでなし
義政が負けそうなら付いてこない 怯えるなんて誰でもある
今だって庭先に落雷起きたらびっくりするよw
あの時代だったらなんか不吉かもー思ってもおかしくない
>>500
もっともな処置だったから言ってるんだよ
公家なんて口だけはぐちぐちいう天才だからw
なんせ多くの公家がやめとけ言ったのを後鳥羽院と側近が暴走したんだから
厳しい評価になるの当たり前 防衛戦争としての大義名分があったから
上皇の権威が果たしてどれ程のものかは分からないけど、そんな得体の知れないものよりも自分たちの生存保障してくれる義時を選ぶだろ 幕府側の情報収集能力が高かったのと、戦争はスピードが命だから一気に京都まで攻め込んだのが功を奏した 雷に怯える風でいて泰時には勝たずに足柄箱根を越えるなといい
朝時には先を急がずに反幕勢力を山狩りしてでも潰せ
と指示をだしてたな
東海東山だけで勝てると踏んでたな
さすがだぜ 後鳥羽なんて狂人みたいな人で武士を犬のように蔑んでいたから、武士が本当の意味で自由を勝ち取った戦いだった 散るぞ悲しき〜辞世の唄
有名な辞世の句に曲を付けた名曲。
ドラマチックなラストが圧巻。↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4 >>507
朝廷の近臣だった三浦胤義は兄の義村に決起を促す使者を送ったが義村は即座に義時に知らせた
義時と義村の絆は終生固く変わらなかった
実朝暗殺も義村本人は事件に加担していなかったと思う 北条義時と父の時政には得体の知れない不気味さがある >>505
公家って誰?
「愚管抄」の慈円ぐらいだろ?
慈円は承久の乱の前、九条家を外戚とする仲恭天皇の即位に満足していた
藤原摂関家は何度も一族の娘を后に立てるが皇子出産を見ることができず
藤原摂関家を外戚とする天皇は後冷泉天皇以来だった
鎌倉幕府次期将軍の三寅も九条家出身であり
九条家は天皇家と鎌倉幕府を両方支配することができる目論見であった
しかし後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたせいで仲恭天皇は退位させられすべてがパア
九条家にすべて任せておいてくれれば上手く朝廷も鎌倉幕府を操作してやったのに…と言わんばかり >>512
実朝殺害は結局は公暁の私怨か
実朝が親京都派で後鳥羽にコントロールされているのではという危惧もあったらしいが、そうとも言い切れないらしいな 政子は何故京都にいた公暁を鎌倉に呼び戻したのだろう
公暁こそ朝廷とつながっていて父を殺したのは実朝だと聞かされていたかもしれないのに
実朝に子供ができないから公暁を還俗させて実朝の養子にするつもりだったのだろうか? 義時が妻の伊賀の方に毒殺されたというのは本当なのか? >>516
鶴岡八幡宮は源氏の守り神だから公暁をそこの別当にするため…というのは建前で
京都で反北条派に担がれでもしたらかなわないので目の届くところに置きたかったのでは
公暁を将軍にしたかったのならば本人もそれを望んでいただろうし
実朝の養子にして還俗させればよかったわけでそうしただろう
政子にその気はなかったから後鳥羽上皇の皇子を鎌倉へ貰おうとし
断られたので九条家から摂家将軍を貰ってきてた 実朝と共に切られた源仲章は義時と間違えられたと言われていた
色々な説があり公暁は最初から仲章だと知っていたという説
仲章は朝廷と通じて実朝の官位昇進を支援していたから幕府にとって危険だったという説もある 従来は実朝暗殺について、公暁の背後に有力者がいて、その有力者にそそのかされた
という学説が主流だった。
だが、今日では、公暁の単独犯行と考えるようになってきているのではないか?
公暁は父・頼家にとって代わった実朝と、その後見人であった義時を恨むようになり、
実朝と義時を暗殺しようとした。だが、間違って源仲章を殺害してしまった。 公暁は参籠するも、一向に髪を下さなかったから怪しまれてはいそうだけどね
不幸な事故だったことは間違いない 朝廷の権威を完全に無効化した北条義時こそ人類最強! 後鳥羽上皇は源頼朝と北条時政の両巨頭が消えた鎌倉幕府なんて軽く捻り潰せると思っていて
鎌倉幕府に宣戦布告したら北条義時が頼朝や時政より大化け物だった >>527
政子もおるしな
この2人が死ぬまで待つべきだったな 基本朝廷を奉る泰時だって後鳥羽の帰京を最後まで許さなかったくらいだしやる時はやる男だしな
義時政子がくたばったところで付け入る隙はないな 後鳥羽としては傲慢にも自分の鶴の一声で何とかなると思ったんだろう
頼朝は既に亡くなってはいたが、頼朝に対する忠義は武士たちの中で生き続けていた 日本史の4傑
平清盛 足利義満 織田信長 大久保利通 by週刊東洋経済 今週号
所詮 北条義時はマイナー政治家に過ぎない 頼朝の持っていたカリスマ性を唯一継承できたのが源氏ではなく、北条義時だった >>535
カリスマや権威に依らず、実務能力と謀略で政権獲ったのが義時だろが。
そんで、子孫や側近たちが義時を武内宿祢の生まれ変わりとか都市伝説を吹聴しだした。 謀略家とは言われてはいるが、協調や道理は弁えていたからね
和田合戦も自衛戦争に過ぎなかったし >>530
後鳥羽上皇は四条天皇の代に死んでるからな
承久の乱後、幕府は後鳥羽上皇の血をひかない後堀河天皇(後鳥羽の兄の子)を即位させ
後堀河、四条と続いた
後鳥羽上皇は自分の子孫を皇統から外され帰京の願いも叶わず絶望の中で死んだ
しかし、後鳥羽の死後、四条天皇は12歳で事故死、皇統が絶えた
そこで後鳥羽上皇の孫・後嵯峨天皇が即位、この系統が現在の天皇家まで続く
後鳥羽上皇も自分の孫が即位するまで生きていたら帰京の願いも叶ったかもね >>532
確かに。だが、時政・義時父子は貴種の頼朝を「奇貨おくべし」と草創期からサポートし、
一族の運命をかけて育ててきたことは、単発の偉人とは違う、(関東)武士の本懐を感じる。
この一族は鎌倉時代150年の間、他の有力御家人や同じ一族間で権力闘争を繰り返してきただろ?
で、鎌倉政権は滅亡直前まで、盤石な政権だった。たいしたもんだと思うぞ。 >>540
北条父子が頼朝と緊密になったのは政子が流人の頼朝と駆け落ち結婚してからだろ
このとき政子は18歳だが頼朝は30近い
政子の弟である義時はまだ相当若く頼朝を育てたというのはなんか違う 義時には兄がいただろ?たしか、石橋山合戦で討たれたと思うが・・・。
北条にとっては痛手だった。義時は若かったから、頼朝に近習し、学んだほうかもしれんな。 帝王学みたいなものは学んでたんじゃないか?
元が平家方で目を付けられていた畠山と比べて、北条、三浦は旗揚げよりも前から頼朝を支え続けてきた功績があって、宿老同士行動を共にしてきた いいそびれた。ボクの歴史観は「歴史を動かすのはその時代の社会」だと思っている。
偉人は偉大だと思うが、その偉人がいなくても別のヒトが似たような歴史を作ると思っている。
鎌倉時代は武士の時代。大げさに言えば関東御家人の時代だ。で、社会は荘園、国衙領で構成されており、
そこへ武士が守護・地頭として入り込むが、在地支配は従来の下司、公文、郡司、在庁官人でこれもまた武士だ。
全国挙げて在地支配(=徴税権支配)の権力闘争をしている。朝廷vs鎌倉幕府、公家(国司)・大寺院vs守護(武士)、
地頭vs下司等々。そういう社会の中で、北条一族はのし上がっていったというふうに考えている。
だから、得宗が現れ、得宗御内人が権力を持ち大規模組織になっていったわけだ。逆に負け組みもいて、これは現代に通じるものがある。
ちょっと、おしゃべりだったな。 >>544
歴史観はその通りだと思うが、
東国の場合は下司や在庁官人も地頭を兼ねたり御家人を兼ねる場合が多かった >>544
最初の2行には少し異論があるが、3行目以降は歴史認識(歴史観でなくファクトの理解)としては、
自分も同意だね。
鎌倉政権の登場は歴史的偶然でもないし、「幕府」は突然変異ではない。 荘園公領制の上に乗っかってる政権という意味では
院政がそのルーツであり、 奥州藤原政権や平氏政権の発展系であることは論を待たない。
鎌倉「幕府」は歴史の流れに沿った、遅かれ早かれ出現する「時代の産物」だったろう。
しかし、治承寿永の内乱 頼朝という天才政治家 高い政治能力を持つ歴代北条当主
という偶然的要素を「時代転換」の片方の要員という視点は かーなーり重要と思うぞ。
>その偉人がいなくても別のヒトが似たような歴史を作ると
中国史や日本の戦後史はそうだとは思う。 信長・秀吉が居なくてもいつかは誰かが天下を統一したろうが、
それが近世社会とは限らない。 薩長が居なくても徳川慶喜がある程度の近代化は出来たかもしれない。
しかし、多分その結果、 現在とはかーなーり、似てない社会になてたのではあるまいか? んで
「平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら 」スレをageてみました。
どんな時代が来たんでしょうねえ。 未曾有の変革期だったからね
鎌倉方に対して平家の立ち位置ってどうだったんだろう
畿内惣官職を以って、十分に幕府的な機構だったとする見方もあるらしいけど そうなんだよな。150年続いた鎌倉時代。もうちょっとテレビドラマ化して欲しいよな。
たとえば、人気長寿番組(時代劇)は、水戸黄門、大岡越前、銭形平次。皆江戸時代それも後期。
水戸黄門なんか時頼の廻国伝説がルーツだろ。似たようなものは作れると思う。
大岡越前張りの「鎌倉執権日記」とか、「得宗御内人検断控え」とか(笑)もあり。
吾妻鏡があるんだから脚本書きも楽だと思うよ。 はい。
「なぜ鎌倉時代室町時代は地味で人気がないのか」スレもageときました。 北条義時って伊東祐親の娘が母なのか?wikiによれば
つんでもないな >>552
鎌倉時代は時代考証にこると衣装代高くつくから、民放はやらんだろ。 大衆受けしそうなステレオタイプな英雄像とは乖離してるからな
とはいえ、本当の成功者とは地道なものだ >>552
水戸黄門も大岡越前も銭形平次も
身近な庶民の困りごとを裁くから人気がある
鎌倉幕府の幹部は武家所領の決済ばかりで
庶民になんか興味なかっただろ しかし武士でありながら公家と渡り合える外交力や文の力もある武士
てあの時代にそうはいないんじゃね
鎌倉の有力御家人は腕っ節は強いがそれ以外はからっきしてのがほとんど
北条が弱小勢力ながら天下取ったのはやはり当然というか
三浦義村が北条支持で行って結局自分が天下取らなかったのは
そのあたりを自覚してたからだと思う
なんで北条義時が存在しなかったら安定した武家政権ができたか疑わしく
gdgd内乱状態になった可能性高い
頼家もgdgdだったし時政も執権になってすぐやらかして放り出されたし つまり北畠親房だったかが
頼朝がなく泰時もいなかったら日本国はどうなってたか
と言ったのは正しい認識だと思う 頼朝の存命中はまだ不完全だった武家の在り方や規範を完成させた
法制度的には御成敗式目とかかな コネとカネ、ノミナリズムで動く朝廷の倫理は大陸や半島文化的な感じ
関東の鎌倉政権は信賞必罰、法治主義、リアリズムが特徴
この二つがぶつかり合ったのが承久の乱
コネで地頭解任要求の朝廷側vs法治主義ではねつけた鎌倉
武家政権が勝利をおさめて日本は大陸半島とは違う道を歩み始める図式 本当の意味での日本らしさというものが生まれたのがこの頃だからね
他のアジアには武家に相当するものが無いからな >>562
頼家の体たらくを見る限り、まともに牽引できるのが北条家しかいなかったからな。
北条を後見とした実朝の治世は望まれたものだった。
只、時流を見極められた三浦義村と異なり、和田義盛は次第に個人的な野望が芽生え始めたんだと思う。 義村の義時に対する忠臣によって三浦は御家人の勝ち抜きトーナメントに生き残った
しかし義村の死後は子の光村(駒若丸)が野望を抱き滅亡への道を進むことになった 怜悧にして勇敢さを持ち合わせた理想的な人物に見えるけどな 政子が頼朝の嫁になって権力握ったのに
比企に苦労してたのに
実朝の外戚になろうとしないあたりが面白い
どころか息子を誰も将軍に近づけてない
将軍から独立してる
やっぱ面白いわ義時って人物 逆に義時の息子の名越朝時が実朝の怒りを被って、駿河で蟄居を命じられている 傀儡将軍みたいに見られることもあるけど、協議のもとで擁立された将軍だから、義時としては公正さを見せたかったんだと思う
後見人として必死に守ろうとしていた >>572
実朝の正室選びについては北条がわざと外戚にならなかったわけではない
頼家暗殺が朝廷にばれるとまずいので政子・義時は必死だったんだよ
鎌倉は朝廷には頼家は病死と報告していた
しかし慈円が「ふぐり(金玉)取りて」惨殺したと
日記に記しており、北条による暗殺は朝廷にも伝わっていた
頼家暗殺が北条の手によるものと後鳥羽上皇の口から大々的に発表されると
御家人たちもどう出るかわからなかったからね
政子・義時は頼家暗殺を公にしないために後鳥羽上皇の機嫌を取ることにし
後鳥羽上皇のいとこで、姉が後鳥羽上皇の寵妃だった
坊門信子を実朝の正室にした 朝時は比企の息子つまり頼家側だったろうから実朝は嫌いだろう
重時も同じく比企血筋
泰時は父親の側にいた
政村以下はまだ年若い
てんで将軍の取り巻きに北条ゼロ
実朝死んでも出家する奴は誰も出ない 義時自身は逆
父親から離れて頼朝の側にいた
将軍と北条の関わり方が実朝時代と全然違う >>576
実朝の乳母は北条だったろ
政子や義時の妹の阿波局が乳母だった 乳母という立場がなによりも重きを為していたから、それを傀儡と呼ぶかは別として実質的に将軍を手中に収めていたんじゃないか 織田が最強では。ほとんど戦国時代んの文面でよろしいかと。人が死んだ。から。 実朝って突然、大船を造って海外に旅したいとか言い出したことがあったんだっけ 阿波局は乳母だが義時は違うからな
妻の関係で頼家と両天秤状態だった
時房は頼家の仲間だったし
実朝と北条の間にはちょと隙間がある 義時は比企氏寄りの政策をとってないだろ
頼家は北条を嫌い乳父である比企能員を重用した
義時は頼家にべったり寄り添っていない 頼家が北条を嫌った証拠はないけどな
比企を重用したのは事実だけど 頼家は義時の側室が子供産んだ時祝いの品贈ってるし
それほど険悪ではなかったと思われる
呼び捨てにするので義時が嫌がったって政子の言はあるが >>585>>586
頼家が側近5人を指名したときに北条義時が入っていない
また比企能員の乱で頼家の妻・若狭局と幼い嫡男・一幡が巻き添えで死んだ際
攻めた張本人が北条義時であり比企氏に温情を見せていない 義時は頼家の叔父なのになんであの比企の息子や小笠原の息子と
同レベル扱いされにゃならんのだw
オヤジの小笠原長清が義時とわりと親しいんだよな
だから小笠原は比企合戦の時に比企の味方しないで頼家も見捨てることに
妹の大貳局はちゃっかり実朝の側近におさまってるし >>588
頼家の外戚は比企
比企の娘が頼家の嫡男を産んでいる 和田義盛も頼家の北条討伐の御教書を黙殺して、それを北条時政に密告しているな 比企に完全に手玉に取られていたからな
不肖の息子とは言え、政子にとっては曲がりにも親子だからさぞかし辛かろう 長男より次男を可愛がって長男追い落としをはかる母親てのは
日本史でちょくちょくでるがほとんど母親側が負けるんでねーの
信長とか家光とかさ
長男が母親に追い出されるってあんまないぞ
それが可能だったのは母親の実家の北条が御家人を抑えてたからでさ 三浦だとか和田だとかが反頼家派だったからな
上手い具合に共闘できた >>592
政子が頼家よりも実朝を可愛がって追い落とししたわけじゃないから
天皇家などでも有力な天皇候補であった為平親王が源高明の娘を正妃としたために
為平親王の母方である藤原氏による他氏排斥を行い為平親王は皇統から外され
同母弟が即位して円融天皇になったなどの例がある
外戚にとって都合の悪い妻を娶ると排斥された例 >>594
はたから見てれば長男より次男が可愛かったって見えるよ
次男は妹に乳母させて近くに置いてる
長男は比企に囲まれて富士の巻狩でも頼家には厳しい態度
実朝が政治ベタでも政子は追い出したりしないと思うぞ 愚将−安倍 凡将ー麻生 謀将ー二階 智将ー石破 鈍将ー石原 実朝は人当たり良さそうだし、象徴的な存在としていてくれたからこそ円満だったからな 血縁血縁でつながろうとするのが鎌倉初期の悪弊
ばっさばっさやる人物が必要だったのはしょうがない >>600
頼家の傍に比企氏を置いたのは頼朝だろ
頼家は頼朝が溺愛した大事な嫡男
だからこそ頼朝は自分の乳母で恩人でもある比企氏を側近とした
実朝は当初将軍になる予定のない傍系だから頼朝は頼家に比べて放置ぎみ
政子がそれなら自分の妹を乳母したって感じだろ
政子が長男が可愛くないから比企氏に丸投げして
実朝のことは可愛いから将来将軍にするつもりで
自分の妹を乳母にしたわけでもないぞ じゃなくて自分のそばにいたから次男が可愛くなったってこと
実朝の乳母に御家人がなりたがらなかったってのわかる
梶原や比企睨まれたくない
頼家時代になったら実朝とその側近は粛清されるだろう
なんで頼朝も弟夫婦に託した
全成は実際に粛清されたが北条はそうなる前に逆に頼家を倒した
政子は当然実家味方
頼朝としては比企と義時を縁組させて頼家の側を固めたかったんだろう
時房が頼家の近くにいたのもそれ
時政だけ排除されててその時政が主導して比企を討った 可愛い可愛くないというより、けっこう人物を見ていたような気がするよ>政子
たんに情念の強い性格というだけであそこまでの女傑にはならないでしょ 和田義盛などの源氏の忠臣たちが実朝を推戴しているからには、頼家が敬遠される程の事由があったということになる >>605
比企討伐を主導したのは時政というよりも義時だろ
比企氏の血を引く頼家の嫡男・一幡を殺したのは義時の手勢だし 梶原を討ち取ったのは時政の部隊だっけ
梶原追放には義時はどのくらい関わっていたんだろう 梶原追放は多分義時
あーゆー謀略系で相手を自滅に追い込むやり方は義時
比企討伐は時政
呼び出して謀殺するという乱暴なやり方は時政でのちに畠山重保もそうだった >>608
実働部隊は義時中心って感じ
御家人の主力が義時世代になってて時政よりネットワークがある
比企討伐軍のうち、三浦と小山結城は義時閥で畠山と和田は時政閥って印象だが 梶原と比企失脚の主導者は親父の時政だな。 その命を受けて実行の算段を組んだのが義時だろう。
義時は親父からこういった政略を学んでいき、やがて親父を超えた。
承久の乱の時はグダグダだったがw
まあ、>>1の義時評は過大評価だが、スレタイとしては面白いし、歴史的にはもっと注目すべき人物であることには同意。 >>612
結城は頼朝の家の子として義時の同僚で昵懇だったんだろうな
義時と義村は従兄弟で昵懇
そして義村と結城も昵懇
この3者はグルなんだよw 単に利害が一致していただけではなくて、義時と義村には盟友としての絆があったんだろうか 結城と義時は頼朝の伺候衆で同僚だったから仲良いんだろう
比企討伐後に姫の前と離婚したが後妻の伊賀局は
結城朝光の妻と姉妹だ
三浦義村は結城と親友で義時の従兄弟だから多分仲良し しかし後世から振り返って不思議なのは、義時と義村が昵懇だと同時代の他人は必ずしも考えていない点なんだよな
表面上はベタベタしてなかったのかね 和田合戦でも伊賀宗光の陰謀でも巻き込まれそうになったり、敵勢力から誘いを受けているね
どちらも拒否しているが >>619
承久の乱でも朝廷側は義村が裏切るの前提に動いてるからな
ここらへんがどうにもね
後世の全ての結果を知っている我々と、同時代人との認識の違いってのは興味深いね 義時死後に三浦義村が義時の法要やったとか吾妻鑑にでてるよな
承久の乱後に何度も義時が三浦に田村の別荘に行ったとかさ
両者が仲良かったのは間違いない
比企合戦の前年に義時の息子と義村の娘が結婚した
三浦を味方に固めて比企との対決に向かった感じだな 三浦は何度も北条を裏切っている(裏切りかけている)から
義時と政子が北条に次ぐ幕府ナンバー3の地位に三浦を迎えてご機嫌を取った
北条泰時の正室は三浦義村の娘
三浦泰村の正室は北条泰時の娘
ただ北条泰時は承久の乱よりも前に正室三浦氏を離縁
泰時女は泰村に嫁いでいるが泰時と泰村は1歳差であるため
親子ほど年齢差があったと思われる
泰時死後、宝治合戦で三浦泰村は滅ぼされたが
この時に追放された泰村の妻子は北条泰時女ではないため
どうなったか不明 ボウショウっていうと二人目いなさそうじゃん。策術にはまるまで書いたのに。 義村を過信してしまった和田義盛と常に慎重だった北条義時
北条家に対して冷淡で距離を取り続けた和田と北条家と懇意にしていた三浦
性格も行動もまさに対照的だね 泰時と三浦氏の矢部禅尼の離婚は承久の乱どころか比企合戦のすぐ後だったようだぞ
矢部禅尼と佐原氏の間の子供を見ると
佐原兄弟は三浦一族の中で唯一北条について生き延びてたから
離婚後も北条と矢部禅尼は親しかったんだろうが >>618
子供同士が縁組したり離婚するとお互いの息子の烏帽子親になったり
関係が密なのは知られてると思う
ただ義村と結城朝光みたいな仲の良さはなかったんだろうな
和田合戦で北条についたのを裏切り者の犬呼ばわりされてたしな
承久の乱では弟にうちの兄貴はバカだからとか言われてなかったっけ >>625
あれは泰村が滅びれば佐原兄弟が三浦嫡流になれると思い
異父兄の北条時頼にけしかけたとも言われてて
もともと三浦が一枚岩でなかったってことなんじゃ 義盛と義村、義時と義村は互いに従兄弟の間柄
でも義盛と義村は同じ一族だからみんな義村は和田につくと思ったんだろうな
ただ、義村からすると、義盛が居たのでは三浦一族の総領としての立場が確固たるものにならない
つまり義村と義時では対義盛で利害が一致するんだよね
そこを見落とした義盛とつけこんだ義時との差だね 三浦については奥富敬之氏の「相模三浦一族」を読んだがなかなか面白かった。 謀というけどさ
なんか手の込んだものというより自然にそうなったって印象があるな
梶原追放ぐらいかな手の込んだの
あと実朝を将軍にする手際の良さとか
あとは和田合戦も承久の乱も受け手たつパタンでやられる可能性もあった博打的なもの
情報を押さえてるのと公家や武家に味方をつくってるのと
義時自身は無茶をせずに道理にしたがったやり方してるから
おのずと勝利を引き寄せてる感じする
謎は実朝暗殺かな >>626
千葉に相模の犬は友をも食らうと嫌味を言われたらしいが、逆に三浦と比べて他の武家が愚直過ぎたのかも知れない
少なくとも義村は和田を友とは思っていなかっただろう >>627
こまかいツッコミですまんが、
>異父兄の北条時頼
佐原兄弟の異父兄は時頼の父時氏だから、時頼は甥 まだ生きてる頼家を死んだと朝廷に報告して
実朝を征夷大将軍にしたんだっけ >>636
それどころか比企の乱の前に使者を鎌倉から発信してるんだよ
恐るべき計画性 梶原景時は北条が暗躍していることを気付けなかった
比企能員は梶原の追放劇を自分に降りかかる災難の前兆だとは知る由もなかった
北条が切れ者過ぎるのか、梶原らが鈍かったのか 千幡が元服するといよいよ頼家や比企から潰される
だから元服するときに一気に両者を潰したというのはわかるが
頼家が都合よく病気になったというのが >>638
彼らは頭が古い
頼家を担いでいれば自分は安泰思ったのだろう
鎌倉殿のご威光で御家人を動かせると
時政も実朝担いでるからなんでもやれるとばかりに畠山潰しに行ったが
義時の凄さは将軍とは独立して力もってること
実朝暗殺後も鎌倉は静かだった 北条って暗躍してるというより
梶原とか、比企とか、一歩前に出ようとしてる御家人を叩き潰すために使われる
二番手代表みたいな存在じゃないの >>640
実朝が死んだら都から頼朝妹の曾孫を摂家将軍に貰ってきて
頼家の遺児と婚約させて実朝死後も続いていたからだろ
承久の乱のときには政子が自ら御家人の引き留めを行っているし
義時が将軍とは独立した絶対的な力を持っていたらそんなことする必要もない >>637
北条が主導して頼家の嫡男・一幡よりも多い所領を千幡(実朝)に分配
頼家の後継者は弟の千幡としたことで一幡の外戚である比企氏が激怒
北条の挑発行為だよね 和田合戦は実朝の意志無視してバトってたもんな
頼朝頼家時代にはあり得なかった
そんだけ執権の権力が独立してたんだろう
実朝の渡宋なんて本来あり得ない話
義時が鎌倉離れて遊べるようになったのは承久の乱後だな 後鳥羽は実朝が死んだら関東が崩壊するとでも思い込んでいたようだが、義時がとんでもない猛者だったな >>645
あと政子のカリスマ性は計算外
あんなもん誰も予測できん
見えないところから必殺パンチが飛んできたようなもんだ >>645
政子の演説にある通り
武士が朝廷の犬だった時代の生活と、鎌倉幕府が開かれてからの生活と
どっちがいい生活できる?と天秤にかけて幕府を取っただけだろ
御家人も何も義時への忠誠心から命をささげたわけじゃないし
義時が猛者ならわざわざ政子が出てきて演説する必要もない 御家人の忠誠心とは既に他界した頼朝に対する忠誠心だからな 政子は義時が討たれたら自分は山の中で隠居するしかない
と承久記?であったから義時の器量をバックに威張ってたんだろう
政子が命を下したら御家人が従うわけじゃない
だから義時死後は三寅抱えて政子が司令出しても情勢不安解消されなかった
北条家中が治るまで >>646
あれ政子じゃなくて竹御所でも三寅でも同じだったと思うよ
御簾の内に鎮座して頼朝のご恩を説く原稿を安達が代読すりゃいいんだから あんまり政子を舐めんなよ
頼朝でさえ頭が上がらないほどの猛女
範頼失脚にも政子が関わっている
義時こそ姉に忠実だったから出世できたのだ
義時死直後に妻の伊賀の方が政子から謀反の理由で幽閉され死んだ
尼将軍政子に逆らえる御家人などいない 範頼も曽我兄弟の敵討ちも謎が多いね
範頼は予てから危険視されていたり、北条や頼朝傘下の武士団と折り合いが悪かったのかね 頼朝の兄弟男子で鎌倉幕府成立後も生き残っていたのは範頼と全成だけ
二人とも謀反の疑いをかけられて配流されて殺されたが無実である可能性が強い
実朝が暗殺されたとき範頼や全成の子供が生きていたが将軍になれなかった >>650
竹御所や三寅ではそもそも生前の頼朝を知らないだろう
どちらも頼朝死後の誕生
政子だからこそ頼朝と一緒に鎌倉幕府を作り上げた実績があった 範頼とその側近、それに大庭景義、岡崎義実らがまとめて粛清されてるから富士の巻き狩りで何らかの政変があったのは間違いないだろう
曽我兄弟は時政が面倒みてた連中だし、殺された工藤祐経は頼朝の側近で東伊豆の大勢力だから北条からしてみたら邪魔だったろうし
ちなみに曽我兄弟の義理の兄貴は範頼の側近で範頼と一緒に粛清された1人 そう考えると清盛て優しいな
命狙った義平と逃亡中に死んだ朝長、事績不明の義門以外の頼朝の兄弟みんな生きてるもんな 範頼を排除したいから仇討ちあったときにそれを口実にして
縁者を処分してった可能性もある
ほんとに何か陰謀あったらもっとバッサリやっただろう 源氏は一門で殺し合いばかりしてきたから、源氏よりも流人時代や旗揚げを支えてくれた東国武士団の方が信頼できるでしょう 頼朝は義時を穏便だと言うし将来子孫を守護するものとなる
というし頼朝の見る目は確かだったと思う
誤算は実朝に子供ができなかったこと 義時の性格は親父の時政ほど強引ではないからね
どっちかというと集団の後ろからついていくタイプ 謀略でもタイプが違いそうだね
景時失脚や、畠山討伐後にいつの間にか時政が孤立化していったのなどが義時の謀略だろう
比企をおびき寄せて謀殺し返す刀で連合軍で比企を襲撃ってのが時政のやつだな 問答無用で平賀誅殺令出したり宇都宮に会うこともしなかったり
和田一族勢揃いの面前で胤長ふんじばったり
推松?だかに後鳥羽院あてのタンカきったり
きつい側面も多いんだけどな
まあそうじゃなきゃ関東武士が従わんか >>666
その辺は謀略ではなくて仕置きだからな
毅然と示すこと自体が必要 胤長の件については、和田義盛の強請に実朝が折れたので
そういう所で反撃したんじゃないのかね
もし意図的な挑発なら、和田が合戦しかけてくる前夜に
総領の泰時が飲んだくれて二日酔いなんて有様になってないだろう
もっとも朝時が駆けつけてくる程度には緊迫してただろうけど 上総広常を暗殺した梶原景時
梶原景時を弾劾した和田義盛・比企能員
比企一族襲撃に主要な役割を果たした畠山重忠
畠山重忠討伐の一方の大将和田義盛
和田義盛を裏切る三浦義村
北条が黒幕にしても御家人達の謀略も相当 昨日の友は今日の敵で利害によって立場はコロコロ変わるね
和田は実朝擁立に貢献するも、北条との対立姿勢を強めて次は頼家の遺児を擁立しようとした
終始仲良かったのは北条義時と三浦義村ぐらいか 梶原景時を弾劾した三浦義村
比企討伐軍に加わった三浦義村
畠山重保を闇討ちした三浦義村
畠山合戦に加わる三浦義村
その後に稲毛重成を闇討ちする三浦義村
実朝を時政館から義時館に連れ去る三浦義村
和田義盛を裏切る三浦義村
承久の乱で泰時を支える三浦義村
どう見て盟友ですありがとう >>672
怖ろしいのは同時代人が義時と義村が盟友とは思ってなかった点だよなw
どうなってんだよこの2人はよww 義村の弟の胤義でさえ承久の乱で兄は上皇方につくと信じて密使を送った
ところが義村は即ぐ義時に知らせて幕府方が戦の準備を始めた
胤義は朝敵となり義村の軍に攻撃されて戦死した 信じていた兄にも上皇にも裏切られて可哀想な三浦胤義 でも義時と義村の子供同士が結婚したし
離婚後は義村が政村の烏帽子親になり
泰村は義時の猶子になったんだろ
当時の人もつながりの強さはわかってるはず
三寅を推薦したのも義村だよな >>677
当時の有力御家人はみんな親戚どうしなんでその程度じゃなんの保証にもならん
比企も畠山も稲毛も和田もみんな親戚 でも義時は武家の縁者てあんまいないよ
公家と親しいから >>679
義時の妹たちが稲毛、畠山、足利、宇都宮などに嫁いでいる
義時自身、先室は比企氏で離縁後は伊賀氏から後室を娶っている 姉妹の縁者って別に大した縁じゃない
息子や娘の縁てほとんどないじゃん 北条氏は弱小御家人だから有力者と縁結びしないとね
>>680見てて思うけど、秩父平氏系や足利宇都宮など
武蔵・北関東系との縁結びが目につく
伊豆相模は縁者が何だかんだいるのでそれ以外のエリアを重視したのかも 北条時政は政略結婚に積極的だった
只、頼朝と政子の結婚は政子にせがまれて仕方なく承認したものらしいが 北条時政は、当初は政子を伊豆目代の平判官兼隆に嫁がせる予定だった。
それが時政の考える「政略結婚」であり、平家の地方有力者と縁者になる
という方針だった。
だから、他の武士よりは開明的だったろうが、むしろ保守的なものだった。
だが、政子が源頼朝と駆け落ちしたことから、時政の予定が狂ってしまった。 義時の娘はほぼ公家だよ
だから婿てのがほとんど登場しない
実朝死後の大江親広も公家だろいわば 山木兼隆が目代になったのは治承3年なので
それ以前に政子を山木に嫁がせる気だったのなら
流人と流人同士の選択になる
時政にとっては頼朝もあり得る選択肢の1つだよ
上西門院−熱田大宮司家なんて有力な人脈が手に入るのだし >>685
公家じゃなくて鎌倉へ下った公家の末裔だろ
娘婿の一条実雅は頼朝の甥で鎌倉幕府に仕官
娘婿の大江親広は親の代から鎌倉幕府に仕官
娘婿の中原季時も弟の大江広元とともに鎌倉幕府に仕官
婿は鎌倉在住、鎌倉幕府仕官、婿が出てこないわけではない
義時の娘のうち一条実有室は都へ嫁いだっぽいが
子の誕生年齢から承久の乱後、義時も没した後の結婚で
兄の泰時が承久の乱で鎌倉幕府に味方した西園寺家の庶子に嫁がせたっぽい
また大江親広室は夫が承久の乱で後鳥羽に味方したため離縁となり
都へ上って別の公家と再婚している 竹殿の再婚相手は土御門定通だろ
子供の誕生年から承久の乱の前に離婚再婚した説もある
大江は後鳥羽院方に味方したのもすでに離婚後ならわかるし
土御門院の外戚で後鳥羽院方だった土御門は乱の後に失権してるのに
その男と竹殿がすぐ再婚てのも考えにくい >>689
おいおい、竹殿の再婚相手・土御門定通も後鳥羽方なんだがw
定通の甥・土御門上皇が土佐配流となり皇統も替えられたために
土御門家は不遇となった
土御門定通の嫡男は別の妻が産んだ土御門顕親
竹殿は側室だったと言われている 承久の乱のずっと前に皇統は土御門天皇から順徳天皇に変えられ
皇太子は順徳天皇の皇子(仲恭天皇)だった
土御門上皇の外戚である土御門家が落ち目だったのは承久の乱よりずっと前からで
北条義時が落ち目の家に娘を嫁がせるはずはないのならば
土御門家に嫁がせるはずもない(しかも側室) >>690
同じこと言ってるやんw
だから乱後に嫁がせるのはおかしいってこと
乱前に竹殿が大江と離婚して土御門とくっつくのはあり得るかなって
土御門院は一応乱に積極的では無く乱後も幕府は気を遣ってる >>692
乱前に嫁がせるなら後鳥羽の外戚か順徳の外戚だろう
将軍源実朝の正室は後鳥羽の外戚坊門家から迎えられている
土御門なんて乱前から皇統を外されて没落していた
北条がわざわざ大江と離婚させて土御門の側女にするほどの家ではない >>692
>大江は後鳥羽院方に味方したのもすでに離婚後ならわかるし
この箇所
竹殿の前夫も後夫も両方とも後鳥羽方
竹殿と結婚していたら北条につくはずって両方ともついていない でも土御門院は一応乱から距離置いてた
もしかして後鳥羽院から警戒されてたのかも >>693
自分で勝手にやったんでねーの竹殿
義時がわざわざやる縁組じゃないから
北条は割とそう言うとこあるからな
泰時の離婚も当事者問題だろ 歴代得宗の妻の中で一番不釣り合いな印象はある安保氏
三浦だの宇都宮だの比企だのに比べて
まあ安達もどうかと思うが >>696
義時は公家と親しいから
娘は義時が自分の判断で公家に嫁がせたと
>>679 >>681>>689当たりでしつこく書くからだろ 時政も牧氏と縁組してるけど、
その頃から京志向が強かったとすれば面白いね 時政は駿河と縁が深いから
そして駿河の牧氏の領地って池禅尼の荘園でしょ
京との結びつきは昔から深かったと言われている
そもそも北条の本拠地って伊豆国府があった韮山のあたりで、
そこは交通の結節点で、港も近かったから交易で相当儲けていたらしいし
交易となると京との関係は無視できんでしょ 北条氏弱小説と北条氏有力者説って
今どっちが優勢なのか 結局のところ勝てたのは強引に何かをするわけでもなくて、時流に乗っていたからなんだろうけどね >>701
北条が有力有能な一族であることと相対的に弱小だったこととは矛盾しないじゃないの?
有能だけど伊豆においては強大な伊東一族に比べたら弱小だったということでしょ 武士でありながら官吏能力が必要な時代にぴったりハマったというか
いくら有能でも大江や二階堂に武士は従わない
いくら武力あっても腕っ節自慢だけでは和田一族の末路 オレもスレタイどおりだと思うよ。
弱小氏族の北条氏が鎌倉政権の権力中枢を握っていくさまはすさまじいものだと思う。
握った後の各流派に分裂繁茂していく様もまたすさまじいものだ。
宮家の鎌倉将軍をお飾りに戴き、幕府中枢は北条に忠誠を尽くす名家もしくは北条一族を充て、
家臣(御内人)を秘書に、家康が参考にするほどの武家統治体制を築いた。
たぶん、この北条氏による鎌倉政権が無かったら、公家に対抗しうる武家は存在しなかったんではないか?
ここにいる人は荘園公領制は熟知していると思うからあえて言わないが、
うちの地方には渋谷氏という北条以上に名族だが、政変で没落し、北条氏に臣従することで、未来を見つけた
一族の所領がある。(by 入来院文書) 地頭職だが広大な荘園だ。
言い方を変えると御家人とはいえ北条氏とは雲泥の格差があるということ。殿上人と地下人みたいなもんだろ?
北条氏はこのように武士から人気があり尊敬されていた。
北条氏滅亡も日本史上特異だ。全盛期にいきなり滅んだのだからな。
番場でも東勝寺でも当主に殉じた郎党の数の多いことがその証左。鎮西探題も同じだろう。(よく知らない) ,
親子二代で伊豆の小豪族から天皇を島流しにした日本国最高権力者
なんていう化け物なんだ
いまなら伊豆の市町村長から内閣総理大臣になって宮内庁もいいようにに操ったようなもん。 梶原景時は能吏ではあったんだろうけど独裁的な姿勢や人と衝突しやすい性格が仇となった 清盛みたいな権力奪取は想像できるんだが
やっぱ東国に自立した政権作って邪魔しに来た天皇返り討ちにして
御成敗式目作ってオレらこれで行くし、とやったあたりが普通ではないよなあ
ただの謀略家だったら一代で消えたろう 梶原、比企、時政は切れ者だけど、
義時は常に二番手グループをキープする慎重さ+
姉の政子が頼朝後家の地位にいたから
御家人にある種の安心感があったのでしょ
野望ぎらぎらの謀略家という感じではない 本人はハッタリかましたり余裕こいたりしてて周りが寄ってたかって
守ってる守護力が凄い
頼朝に政子に大江らの公家Gに御家人らが守ってる
実朝暗殺の現場から一人抜けたのも直前に誰かが情報入れたに違いない
仁田の襲撃は頼家が命じたのを誰かが義時に知らせたんだろう
後鳥羽院が院宣下した時は西園寺が知らせたことは分かってる
全成が捕まった時に阿波局と千幡が政子のとこにいたというのも
きっと誰かが知らせた(以下略 >>712
後鳥羽の動向を幕府に知らせた西園寺公経は源頼朝の姪の夫にして
次期鎌倉幕府将軍後継者として鎌倉へ送った三寅(後の九条頼経)
の外祖父だから当たり前だろう
西園寺家は承久の乱後、朝廷を牛耳り
天皇の外祖父となり摂家よりも力を持つ事実上の朝廷の統治者となった イヤイヤ違う
戦後日本の高度経済成長をけん引してきたのは『都はるみ』だ
『都はるみの歌唱の神髄が開花するのはこれから』
http://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=454308422 義時に謀略家っていうイメージはねえな。俺も710氏に同意だ。
承久の乱の時もグダグダだったし、実朝暗殺の時も手際は悪い。
このクラスの人は戦国時代では標準だ。 運が強いのと御家人仲間からの信頼は厚かったんだろうね。 野望ギラギラはないがキレるのと胆力あるのとは間違いない
情報戦が強いし手回しがいい
公家の賢さと武家の度胸が合わさった感じ 野心家で過激な面があるといえば時政の方だろうね
義時は温厚な人に見える 義時の強みは政子の絶対的信頼を受けたところだろうな
政子だけではなく御家人全体の信頼を勝ち得ていたのだろう
何故義時が信頼されたかは史料だけではわかりにくいが 義時泰時父子が武家政治の手本
て建武式目にあるよな
まあ泰時と似てるんだと思うよ手腕や人柄 和田合戦に於いては毅然とした態度で臨み正当防衛だったんだろうけど、一方で義時の挑発だとか謀略だとする見方をする人もいる 義時が危なかったって知らない人じゃねーの
挑発してまんまと挙兵させて返り討ちにしたってな
実際は和田の方が北条より武力が強大 強大な軍事力を誇る和田とどう対峙するか、有事の備えなど、義時の手腕が光った戦争だったと思う
陰謀を張り巡らし、挑発的だったのは和田の方だった >>723
でも三浦義村には和田につくメリットがないんだよ
和田が居る限り和田がでかい顔して三浦は本当の意味での一族の棟梁にはなれない
そこを冷静に読み切って切り崩した義時と一族だから当然味方になるだとうと考えた義盛との差が出た戦い 第三者から見た場合、その両家の蜜月が認識されていなかったんだろう
利害の一致以上に盟友としての絆を感じる 時政も梶原も比企も自分から急襲してる
相手が急襲してくれるのを受けて立つのは義時ぐらい
かなり危ないよ和田合戦は
北条と和田の兵力差がでかすぎて
味方をかき集めるまでの時間をどんだけ稼げるかが勝負だが
三浦が味方するという保証はない 梶原景時の追放も源実朝の擁立も和田を筆頭に頼朝恩顧の有力諸侯の協賛の上でようやく成し遂げたものであることを考えると、決して北条自体にカリスマ性があったわけではないからね
まだまだ危うい均衡の上で手綱を握っていた状態だ 和田合戦の直前って泰時も大江広元も酒飲んでるんだけけど
和田は宴会の予定をチェックして挙兵したのかな? 義時と義村の関係はほんと謎だし興味深い
2人の本音は永遠に明らかにならないだろうけど
永井路子が2人の関係に着目したのは慧眼だね
作家なら存分に腕をふるえる素材 北条家にとっては唯一の同盟関係であり、常に情勢の鍵を握るキーマンだった
しかも、同盟という割には敵勢力から常に懐柔の標的にされているという 梶原追放
比企合戦
畠山重保稲毛重成討伐
牧氏事件
和田合戦
実朝暗殺
承久の乱
伊賀氏事件
こんだけ全部に関わってるのってどーよ三浦義村
ほぼ首謀者じゃねーか
義時は従兄弟とはいえなあ >>731
でも最後から2番目の承久の乱で普通に上皇側につくと思われてるんだぜw 和田合戦の後に裏切り者呼ばわりされたらしいが、三浦義村にとっては和田義盛は目の上の瘤でしかなかったのだろうから、裏切りというよりは表返りだな 義村が伊賀宗光の陰謀に巻き込まれたときは、政子が屋敷まで乗り込んで直談判で警告を受けている 義時には終生忠実だったな
承久の乱後は義時も何度も三浦の別荘に遊びに言ってるし
義時死後もというべきか
泰時に陰謀企むこともしてないし なんかあったんかな
義村が困ってるとこを義時が助けたとかさ 尊氏だけは絶対に裏切らなかった京極高氏に通ずるものがある 伊賀氏事件見てると政子とは距離ある気がするな
義時と仲良いんだよ >>737
佐々木道誉は足利尊氏を何度か裏切ってるぞ
尊氏の命令で新田義貞を攻めたけど敗れて実弟が戦死したため
新田義貞に降伏して今度は足利軍と戦った
観応の擾乱でも足利直義に味方したとして
足利尊氏・義詮から攻められている >>717
>>719
陰謀家として優秀だったが最後にこけて隠居させられた時政
陰謀家として最後まで成功し続けたが後世の悪評にさらされた義時
裏では陰謀家としてかなりのことをやっていたのに、まったく気づかれず
後世から賞賛の的になった泰時がやはり一番上 政子は安達が気に入ってたし取り立ててた
三浦とは親しくない感じ
結果的に安達が三浦を滅ぼすことに 結局は北条に滅ぼされる三浦氏。 三浦氏はどこで道を間違えたのか? とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
IDS 時頼から見たら三浦を滅ぼす必要まではないよね
三浦がもし残ってたら鎌倉幕府もうちょっと続いてたかな 義村が黄金期を築いたけど、三浦家の栄枯盛衰は切な過ぎる >>1
同時期の頼朝や清盛と比べても超越感がある
まして戦国武将よりはるかに格上 河井 繼之助 モンロー主義の影響を受けた獨立特行を主張した長岡の總督 日本で一番偉い男
https://twitter.com/enkakuji_enkei/status/1028536422444150784
そしてそしてそして……☀ 講師の稲川明雄さんが、「もう言っても大丈夫でしょ。」って言ってたから言っちゃうけど、
役所広司を河井継之助役にした映画が、2年後のオリンピックの年に公開になるって‼
長岡の悲劇的英雄を、五十六に続いてまた演じてくれるとは!! 泣くほど嬉しい期待大♨♨ 23:59 - 2018年8月11日
来たー! 死んでも良いぞ(大和田爆笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ超越するぞ >>1
ナイナイ
日本一の雑魚よ
YOSHITOKIってやつは 源平合戦から和田合戦や承久の乱あたりまでは面白いよな
それ以降はなんか見所がないけど 梶原景時の乱〜和田合戦とかその辺は陰謀ばっかでいまいちって思う奴が多い
承久の乱とか源平〜奥州征伐はまあいいけど
要は頼朝>>>>>>義時だな
秀吉とか信長と比べてどうかは分からん クーデターの時代という意味で好きだけどね
頼朝というカリスマが亡くなると、源平合戦の戦友同士が血で血を洗う殺し合いが始まる
その混乱を収めたという意味で時代の寵児とも言える こっちに逃げ込んできたのが焼き殺しにされたザコナガがwww 焼き殺しにされた負け犬ザコナガ弱すぎだろ? マヌケすぎだろザコナガ? 日本の半分も支配できずに部下に焼き殺されたザコナガ ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?
北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?
北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?
北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな ザコすぎるザコナガは天下統一どころか焼き殺されたされたザコだったのだ! しょせんザコナガなんぞ日本の半分も支配できずに火あぶりバーベキューにされたザコ しょせんザコナガなんぞ日本の半分も支配できずに火あぶりバーベキューにされたザコ ゴミナガ
ザコナガ
アホナガ
焼き殺されちゃった哀れすぎるマヌケナガ ↓ではバーベキューにされた負け犬ザコナガ信者の発狂タイムどうぞ↓ >>762
大河の草燃えるが義時裏主役になるのわかる
あの時代を描こうと思ったら石橋山から承久までがハイライト
ぴったりその時代を生きてるんだもん 新平家物語や永井路子の炎環で書かれてるあたりが好き
頼朝の波乱万丈さや義経の栄光と落日、頼朝の死後の騒乱を生き抜いた北条義時や三浦義村で華があるよな 皇族の内戦以外で、現役の天皇が戦争に負け戦争責任をとったのはあとにも先にも承久の乱だけ(九条廃帝、明治に仲恭天皇と諡)。
これだけ見ても義時がいかに有能がわかる。
確かに朝廷に弓を引くのにびびってはいたらしいが。 >>787
太平洋戦争は大敗したが責任は取らずにそのまま在位 大河ドラマでも天下を取れずに
戦国の世でも天下を取れずに
夢のゲームの世界でやっと天下を取れる哀れ小物すぎるいクソナガw >>787
ビビるあたりが常識人ぽくて自然とリーダーになったのわかる
北条は道理持ち出して革命やったからな 上皇様に弓引くなんて恐れ多い〜
上皇に味方する奴は山狩りしてでも逃すなよ
上皇様は戦おこした責任とって流罪ね
土御門院は加担してないから別にいいよ
あなたが治天の君引き受けないと朝廷なくなっちゃうけどそれでいいの?
というバランスが最高ですw 公家とは共生しつつも、武家の世になって本当の意味で日本らしさを確立できた時代
アジア的な古代的な価値観から脱却することができた 承久の乱の戦後処理は義時のバランス感覚でもあり政治的限界でもあったね。
山本七平は革命とか喚いているがそれは誇大表現。
しかし、 王家(天皇)や摂関家にならずとも政治権力を世襲するモデルを確立したことは画期的。
その後 足利氏や徳川氏の長期政権に繋がった。 相手が異形だけど防衛戦争に過ぎないから
とは言え、毅然とした態度を取り続け逆に京都まで一気に打って出たことが功を奏した
公家の殆どは親幕派だったから、貸しを作りつつ妥協点を見つけたんでしょう 日蓮も賛辞したし北畠親房も後鳥羽こき下ろしてた
日本人ならそういう感覚 明治から今に続く皇国史観は歴史の毒だな
北条義時も足利尊氏も大損してる 北条義時、足利尊氏、徳川家康。
まさに皇国史観の悪影響で不当評価されてる三大武将である 北条氏は皇室の種(血)を引き継がぬ日本土着の地場(古来の土着)部族・豪族だったんだろうな。少なくとも平氏ではない、と思うけど。
所謂神別だったんだろうと。 それよりも凄い話があるんだけど
『北条義時 家紋』『トライフォース』
画像を調べてみて、
これは、とあるゲームのスレの話になるんだけど、
日本の話なんだよ(本当は)wと言ってる人がいたり >>800
尊氏や家康と比べても義時には戦慄を禁じ得ない
日本の武将で戦慄を禁じ得ないのは義時だけなんだ
なにしろ上皇を3人も島流しにしたなんて他の武将でいるのか? >>800
尊氏や家康と比べても義時には戦慄を禁じ得ない
日本の武将で戦慄を禁じ得ないのは義時だけなんだ
なにしろ上皇を3人も島流しにしたなんて他の武将でいるのか? >>787
早いんだよな
京から使者きて大江と相談してさくっと指令
そんでその使者が京に来たら粛々と遂行
当時の人の言い方見ると、鎌倉にいながら指令一本で上皇流罪も帝廃位も
さくさく進んでいくのがショックだったようだ
それまでの感覚だと征服者が上京して京を占拠するというものだったらしい
顔見せることすらしないんだからなw マジで北条義時は日本史上最強の怪物だろ?
甲乙のつけ方が完璧すぎる。
こういう人物が世界史版になったら全世界を引っ掻き回すスターリンや毛沢東みたいな巨魁になる。 義時は典型的な日本人だよ
イデオロギー無視でリアリズム重視
無理なゴリ押しせずに同意得ながら遂行
典型的な日本人のやることだから上皇配流しても共感得て長期政権樹立
どころか武家政治の理想として持ち上げられる
中国からきた儒教の信奉者が明治以降に落としたけどな 北条義時=キングコブラ
源頼朝=マムシ
平清盛=ハブ
毒の威力が違うよ >>805
本人は潰す気なかったんだよ
ただ道理を求めたらいやあ上皇様それは通りませんぜ責任は取ってもらわんと
というやり方だっただけで
だから朝廷も院政も継続した
がその後、公家たちも鎌倉の権威求めて鎌倉に訴訟持ってくる始末
なんせ皇位継承すら鎌倉に朝廷の方からおうかがいたててくるんだからな
武家政権のやり方が良いということで日本は大陸半島と違う歴史を歩み始める
すごく大きい存在だよ鎌倉幕府も北条氏も >>809-810
空前絶後の寝業師とは義時のこと。
清盛をバージョンアップさせちゃったような人物が義時。 キングコブラの毒はアフリカゾウも殺すという
朝廷というアフリカゾウを殺した北条義時はキングコブラなり なんだか義時>頼朝>清盛の格付けが家康>秀吉>信長みたいだな 日本で深謀遠慮を極めたのは北条義時と徳川家康だけ。 >>794
>相手が異形だけど防衛戦争に過ぎないから ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ん、北条義時にとって承久の乱が、防衛戦争?
承久の乱以前に関東政権が、日本の主権政権だったと言われるのか?
承久の乱以前の日本の主権政権は、京都政権の方だったのではないか? 何か同じことを繰り返し書いてるだけで新しいことがなにもないんだよな
学者も興味なくて誰もまともに調べてないんだろうな
まともな資料も少ないし >>805
>朝廷の権威を完全に叩き潰したのは北条義時だけ
↑このバカ あちこちで同じこと書いてるけど、朝廷の権威は叩き潰されてないから
後醍醐天皇が討幕で来たり、 室町時代は治罰の綸旨が乱発される。
まあ北条ヲタは中卒が多いのかもしれんが。
>>811
義時が朝廷を潰さなかったのは、朝廷潰すと東国御家人の支持を失い 戦国状態になるからである。
こんなリスクは冒せない。 ここを勘違いして義時を賛美するのは歴史を知らない者である。
100年後 北条は朝廷に族滅されるのだが、朝廷を潰さなかった(潰せなかった)ことで
100年以上長期政権を維持できたんだから、義時の承久の乱の戦後処理の限界と成功は
表裏一体である。 少なくとも御家人にとっては自分の権益を守る為の防衛だったでしょう >>814
おまえの妄想ではそうかもしれんが世間の評価では
頼朝≧清盛>>>>>>>>>>>>>義時 平家の畿内惣官職を幕府的な機構と見なす考えもあるらしいな >>822
世間の評価はそれでも
実力は北条義時>>源頼朝>>平清盛だろ?
実際に頼朝や清盛は上皇を島流しにして朝廷を無力化にできたか? >>822
世間の評価はそれでも
実力は北条義時>>源頼朝>>平清盛だろ?
実際に頼朝や清盛は上皇を島流しにして朝廷を無力化にできたか? 上皇を3人も島流しにして朝廷を無力化にしたのは北条義時だけ
頼朝にも清盛にもできなかった
もちろん家康、秀吉、信長もできなかった
北条義時こそ日本史上最強の怪物 上皇を超越した北条義時に比べれば全ての武将が小物に見えるわ 実力
大江広元>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>北条義時
承久の乱の時の執権がたまたま義時だっただけ、あれが時頼でも義満でも家光でも
上皇の島流しはやった。 それだけの話。
しかも、後鳥羽院の院宣が出た時 ガクブル状態で頭真っ白だった義時の尻を叩い野が大江広元である。
>連投北条厨房
おまえ、歴史の知識無さすぎ。 そして毎度毎度4連投し過ぎ 大江が義時を超えてるわけねえだろ
しかもたまたま義時が執権じゃねえよ
現実に頼朝も清盛も尊氏も義満も信長も秀吉も家康も誰も朝廷潰しを出来なかったじゃねえかよ もはや敵なしの状態になったときの秀吉、家康、尊氏、義満、清盛、頼朝でさえも朝廷には手をかけなかった
北条義時は本物の化け物だ ヨシトキと入力するとなぜかYOSHIKIと変換される
落ち目の売れないミュージシャン擬きよりも知名度が下とは情けない >>820
全部後付けの知識だな
関東は独立志向であって西国を征服する気はない
だから朝廷も潰す必要なくて二元政治が続いた
関東は基本独立志向だよ日本では
権威に弱いのが関西な >>829
なんでいちいちメジャーな人引き合いに出すの? >>830
上皇を島流しで公卿を大量処刑なんて他の武将じゃできなかったもんな
よって北条義時が最強 上皇を島流しにした北条義時>>>>>>>>>>>焼き殺された織田ザコナガ 上皇を島流しにした北条義時>>>>>>>>>>>焼き殺された織田ザコナガ 上皇を島流しにした北条義時>>>>>>>>>>>焼き殺された織田ザコナガ >>847
皇族をぶっころした北条義時が最強やボケ! 日本の半分も支配できずに焼き殺された織田マケナガwwwwwwwww 日本の半分も支配できずに焼き殺された織田マケナガwwwwwwwww 日本の半分も支配できずに焼き殺された織田マケナガwwwwwwwww 朝敵北条を根絶やしにせよ
あ、とつくに消えてたか
末裔は鶏になったんだろ >>855-858
くやしいのう くやしいのう
部下に火炙りにされた織田ザコナガがくやしいのう〜 >>855-858
くやしいのう くやしいのう
部下に火炙りにされた織田ザコナガがくやしいのう〜 >>855-858
くやしいのう くやしいのう
部下に火炙りにされた織田ザコナガがくやしいのう〜 >>855-858
くやしいのう くやしいのう
部下に火炙りにされた織田ザコナガがくやしいのう〜 ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのはゲームの世界と池沼の脳内だけか?
北条義時は朝廷を叩き潰して天下の覇王に君臨したけどな。 北条義時が朝廷を潰しただと? おいおい、
その朝廷に滅ぼされた北条氏がそんなこと出来るわけねーべ。
第一 大河ドラマに義時が主人公になったことないがな。 >>866-869
織田ザコナガの天下統一はまだか? >>873-890
織田マケナガは天下を取れずに部下にぶっ殺されてくやしいのうw
くやしいのうw くやしいのうw くやしいのうw >>873-890
織田マケナガは天下を取れずに部下にぶっ殺されてくやしいのうw
くやしいのうw くやしいのうw くやしいのうw >>873-890
織田マケナガは天下を取れずに部下にぶっ殺されてくやしいのうw
くやしいのうw くやしいのうw くやしいのうw >>873-880
織田マケナガは天下を取れずに部下にぶっ殺されてくやしいのうw
くやしいのうw くやしいのうw くやしいのうw >>873-880
織田マケナガは天下を取れずに部下にぶっ殺されてくやしいのうw
くやしいのうw くやしいのうw くやしいのうw 織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのはゲームと池沼の脳内だけか?
北条義時は朝廷さえ超えて天下の覇王に君臨したけどな 信頼してた部下に焼き殺されちゃった織田マケナガは負け犬すぎる 朝廷を叩き潰して天下の王に君臨した北条義時>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>部下に焼き殺された織田ザコナガ 織田ザコナガが強いのはゲームの世界と池沼の脳内だけ 最強最強最強最強最強最強最強最強最強←これって幼稚な発想だよね 朝廷の権威を完全に無効化した北条義時こそ人類最強! >>902
北条と比較してよ
時代の違う人だしても意味ないだろ 部下に丸焼きバーベキューにされた負け犬の織田ザコナガと朝廷を叩き潰した史上最強の北条義時を一緒にしたらあかんよ 北条義時>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田マケナガ お前も含めて核爆弾一発で片付くからアインシュタイン最強 核爆弾の件でアインシュタインに号泣謝罪させた湯川秀樹最強 ,
北条一族は短期間だが天皇家を超越して日本の王に君臨した。
天皇家を超越した一族は北条一族しかいない。 承久の乱のときの鎌倉幕府のトップは九条三寅だろ
実際には三寅は出陣せず出陣したのは北条義時だといっても
そんなのは鎌倉幕府滅亡の名目上のトップが4歳の足利千寿王で
実際に攻めたのは新田義貞というのと一緒だし 義時ほど恐ろしい人間はいない
なぜなら上皇殺しも躊躇しない 以上に伸びてると思ったら、案の定キチガイが発狂か
女性説ってこういう頭のおかしい奴の妄言だってハッキリ分かるわ
仏門に帰依しているから、の一言で済む話 避妊手術の相場ってどれくらいですか?
4万くらいの見積りもらいましたが
埼玉の新都心に住んでいますが、もし近くで経験者いたら教えてください まず最初は北条家の家督乗っ取り
得宗家は本来は北条家の嫡流家ではなく名越家こそが嫡流
「嫡流家」と言わず「得宗家」という呼び方自体が「嫡流ではない」という暗喩を感じさせる パパ活のトラブルって分かってからニュースで一切見ないな
泣いてたパッパかわいそう >>910>>925
おい、織田コンプ! おめー、この半年間手を抜き過ぎだ!
がんばってスレ埋めろよカス。 サボるな! 朝廷を超えた北条義時>>>>>>>>>>>>>>>>部下にぶっ殺された織田ザコナガw 朝廷を超えた北条義時>>>>>>>>>>>>>>>>部下にぶっ殺された織田ザコナガw 義時を語るなら
息子が上皇側に居たにも関わらず容赦なく速攻を進言した大江広元と三善康信の腹黒貴族コンビの名前を忘れちゃいかん
流石は元就の祖先と言うべきかな それはそうと
鎌倉幕府の滅亡って未だに将軍が退位した年なんだよな
だったら成立も将軍就任のタイミングでええやんと思うのはどうやろ? 将軍いない時期があったやろ
頼家が征夷大将軍になったの死ぬ前年だぜ あとミトラも成人するまで征夷大将軍になってない
承久の乱は将軍不在の時に起きた
だから後鳥羽は仕掛けたし将軍不在での義時の勝利だから以降
義時の直系がカリスマ的な力を持つようになったそれが得宗家 源氏三代の間は将軍位は箔付け程度だった可能性が高い(河内源氏の嫡流という時点で資格あり)
頼経の就任が遅いのは頼朝の配偶者である政子が普通に代理として認められてたからやろね >>937
鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」は実朝死後から頼経征夷大将軍までの期間を
尼将軍として北条政子の時代としてタイトルを付けている
実朝の死後すぐに頼経にいっていないことからも
一応、征夷大将軍になってからという不文律はあったのだろう
北条政子は征夷大将軍にはなってないが
一時期二位の尼による専制時代があったということで >>939
北条政子は官位的には将軍相当やからなあ 政子もハンパ
三寅もハンパ
てとこだろ
両者合わせ技でやってたって感じ 将軍を追放した時頼はやっぱ強いな
摂関家も屈服させるし
皇族将軍持ってきてもあっさり追放されるんだから武士てのは
ほんとリアリストだね 弟の時房が、義時を影て支えてた気がする
こいつも変だよね
比企の件でも、敵から味方だと思われてるし
後鳥羽院からも自分の味方と思われてる
でもあっさりあたりまえに義時にずぅと従ってるんだよね
こいつイケメンで、結構変人だったみたいなんだよな
義時と時房主人公の小説とかないかな? 時房主人公の漫画が昔あったな
そこではあまりに年が離れすぎてて幼い時から政子や義時に従うのが当然
というふうに育っちゃった、てなセリフを言ってた記憶
政子がお気に入りなんだよな時房
で泰時をずっと支えていく 義時が伊東氏腹で血筋がいいので兄弟で揉めることはなかったんだろうな
徳宗家で揉めたのは母不明の泰時vs比企氏腹の朝時とか
側室時輔vs正妻時宗で次男が血筋で上のとこだし
牧氏腹の政範が長生きしてたらどーなったかは知らん >>943
時房は兄義時と甥泰時を必死にささえたのに
その子孫はあまりぱっとしない
気の毒 義時の複数いる息子がどいつもこいつも役立った分
時房流の出番が少なかったんかな 特に北条と江間の説明はどーなんだ
江間はかなり独立してたろ
後の得宗被官の有力者も鎌倉に来て新規に義時に仕えた連中だろうし 時政はイケメンだったが義時は地味男だったヒストリア ミネルヴァの義時、買ったけどまだ全部読んでない
ミネルヴァ、義時はあるけど泰時はないんだな
吉川の人物叢書は、両方あるのに >>960
懐かしいな
今となっては入手困難なんだよね
電子書籍化しないかな 時政のオヤジや兄弟姉妹が全然出てこない
かなり早くに亡くなったのか
政範も若死だし短命の家系かも
義時とその息子たちは結構長生きしててそういう意味でも強運だよな
泰時なんて子供全員に先立たれる勢いなのに ミネルヴァの本てタイトル詐欺だよな
まったく義時の分析してないw 慈円かどうかはおいといて鎌倉との武力対決を避けるためかどうかはおいといて
京の公家が義時と実朝の暗殺を企んだという話は面白かった 勉誠出版の「鎌倉北条氏人名辞典」を買った
税抜き18000円もするだけあって、凄い本だ 今まで大河主役にならなかった方がおかしい
草燃えるあったが 200年ぶりに上皇がいる時に今やらなくても、とは思う 今上皇様が後鳥羽上皇をご覧になって権勢欲が出られれるかも。
院宣が下される!? 今は承久というより保元の世じゃないか?
上皇方 枝野一族、玉木一派、パヨパヨチーン
今上方 安倍内大臣、自民一族、自衛隊、われらネトウヨ >>974
同時代なら源頼朝や北条政子のほうが知名度も人気も圧倒的に高い
源平大河に頼朝&政子はつきものでも過去大河で義時がでてきたのは
頼朝&政子W主役だった「草燃える」だけらしい
北条義時は真っ黒ダークに描くと三谷も意気込んでるし 炎第三部にも出てたやろ
頼朝が出るとそこにいるんだよ義時は 頼朝の伺候衆(身辺警護)は他にも大勢いたが
義時がいつも頼朝の傍にいるのは
姉政子の寵を頼んでの身内だからのはず >>987
姉の寵を頼むどころか
そもそも頼朝の挙兵当初は信頼出来る様な家人が殆どいない
その当時からの付き従ってる家人なんだから普通に信頼は厚いやろね 伺候衆で頼朝の身近にいるし頼朝が狩に行く時は武器携帯許される数名のうちの一人
頼朝上洛の時には頼朝のすぐ前のポジでいわば親衛隊長
ほんとに信頼してるんだな >>988
頼朝が最も信頼を置いていたのは乳母の比企一族
頼朝が生まれた時に乳母となり
流刑にも付き添って頼朝の世話をし続けた
頼朝が死ぬと北条によって粛清させたが 義時と比企の娘の間に生まれた朝時は廃嫡され名越として北条庶流に 義時と比企の娘の関係って結構ドラマだよな
一族を滅ぼした元凶と子供作ってるんだろ 鎌倉初期は関東御家人同士の姻戚って普通なんじゃない?まさかこの後に血で血を洗う争いをするとは夢にも思ってないだろうし 比企の娘と結婚し息子が生まれた後に泰時の元服を御所でおこない
烏帽子親は頼朝で頼時命名、三浦の許嫁まで決めるんだぞ
比企筋の子供を嫡男にする気ないと公言してるようなもんだ
義時ははなから比企を重視してないってこと このスレッドは1000を超えました。
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