★★ 邪馬台国は【葛城】である【2】 ★★
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邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。
10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
これで邪馬台国論争は終了する。
行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015久住編年でもこれが最有力。
そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人ヒミコを探そうとしない。
驚くべき怠慢、惰弱。
わしは探した。
ほらトヨもヒミコもいた。
I崇神(310年)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安
トヨ津 D孝昭
トヨ津 (250年)C懿徳
ヒメ踏鞴 B安寧
ヒメ踏鞴 A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年) @神武
神武から6代孝安まで宮は葛城である。
つまり魏志に書かれた女王国とは葛城王朝であった。 ※なお古田狂徒が荒しまくってます。
カッペで屁が臭い最底辺の人間です。
生暖かく見守ってあげてください。 >>2
奈良県 135万人
葛城市 3万7千人
福岡県 510万人
福岡市 156万人
糸島市 9万6千人 ■比売多多良伊須須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1002618084.html
イスケヨリ - 神武皇后、スカトロ的出生譚の美女
東遷完了後の初代天皇・神武天皇が改めて嫁取りした際に選ばれた皇后。二代天皇・綏靖天皇の母。
母親がうんこしている時に、オオモノヌシが化けた赤い矢が女陰に突き刺さったことで誕生する、というスカトロ的な出生譚を持つ、絶世の美女。
当初名前が出生譚にちなんで「ほとたたらいすすきひめ」となっていたが、ほと=女陰を嫌って、比売多多良伊須須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ=イスケヨリ)に改名。
「ホトと呼ばないで!」という名言を残す(?)
神武天皇がイスケヨリとの合体を楽しんで述懐した歌を送られている。 橿原〜葛城は対クナ(河内〜和泉)の前線だな。
そんな危険な処に王はいない。 >>5
イスケ依媛命。/媛踏鞴五十鈴日女命
葛城 登美王家の初代、天日方奇日方命の御妹君。
父君は出雲帝国の第8代スクナヒコ(副王の称号)で有った八重波津身命。(後、事代主神/大物主神/少彦名命/金比羅神)
母君は、摂津三島(大阪府高槻市あたり)から嫁がれた生玉依媛命。
三輪山に父君の御霊と出雲の国教、太陽の女神(幸(サイ)之神。後に天照大神)を併せ祀り、初代祭主を務められた。
以降、登美家(出雲の東王家、富家の分家)の血筋の媛命が歴代の祭主(日女命=ヒルメ命/ヒミコ)に就任なさった。 神武と戦って、最後は饒速日に殺されてしまった登美の長髄彦との関係を明記せよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています