歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ42
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琉球王族は日本民族ではないのに1819年に琉球王族が尖閣諸島に上陸した記録が見つかって、それを根拠に日本政府が「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張しているから実に笑える。
日本政府が旧戸籍法を沖縄に適用して日本人ではなかった琉球人を無理やり日本人に仕立て上げたのが1899年のこと。
それより80年も前の琉球王族が日本民族であったわけがなく、その琉球王族が1819年に尖閣諸島に上陸した記録を根拠に「尖閣諸島は我が国固有の領土」とする日本政府の主張が嘘だということは上に挙げた歴史的事実からも簡単に見破ることができる。
それだけでなく、日本政府の閣僚や官僚どもがいかに琉球史を知らないか、あるいはいかに沖縄の歴史を勉強していないかよく分かる。 日本の固有の領土ではないったって、日本の今の量であることは否定できないし、ましてやチャイナによる侵略を正当化する口実にもならんわな ↑
居座り続けるキチガイを喜ばすために、
わざわざこういう風に反応してやる大馬鹿はいったい何者なんだ? 国語辞典の大辞泉(小学館)によると、「固有」とは「本来持っていること」「本来備わっていること」という意味で、 「本来」とは「もともとそうであること」という意味である。
また、 「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」と大辞泉に掲載されている。
1879年に日本の明治政府が琉球を武力併合するまでは日本国ではなく琉球王国が琉球を統治していたわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。 そして朝鮮半島は古代に国家として成立してから中国歴代王朝に臣従していたので、
そういった古代国家を前身に持つ現在の朝鮮半島は韓国および北朝鮮固有の領土とは言えない。
ウイグルチベット同様に、朝鮮半島も中国固有の領土である 1895年1月14日に日本政府が「尖閣諸島を沖縄県に編入し日本の領土にする」と閣議決定したとき、誰も「尖閣諸島は日本固有の領土」とは言わなかった。
なぜなら日本政府も認めているように、その前日まで尖閣諸島は無主の地だったから。
「固有」とは「本来持っていること」あるいは「本来備わっていること」という意味で、「本来」とは「もともとそうであること」という意味だから、1895年1月14日の閣議決定において明治政府が「尖閣諸島は日本固有の領土」と言えるわけがない。
ちなみに日本政府が「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張するようになったのは、なんとそれから100年以上も過ぎた2000年代に入ってから。
要するに「固有の領土」というのは国家の政治的主張にすぎず、国際法上なんの意味もないことは既に書いた通りである。 >>786
半島は韓民族の文化に紐付いた土地。
これが本来のあるべき「固有の領土」という概念だ。
日本政府の主張のように尖閣や独島に対して、何の文化的裏付けもなく、本来無住の土地であった離島を「固有の領土」とみなす事とは違う話だ。 1870年代に日本の明治政府は琉球王国を自国に併合したが、この琉球併合で琉球王国第19代国王だった尚泰王の拉致を指示したのは初代総理大臣の伊藤博文である。 日本政府は2013年4月28日に主権回復の式典を開催したが、このとき、安倍首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に日本は完全に主権を回復した」と国会で発言している。
しかし、日本は形式的には主権を回復したが、実質的にはまだ完全には主権を回復できていない。
その理由は以下の通り。
1.安倍首相が「主権回復の日」の式典が開催された翌日にロシアに行き、北方領土の返還を求めている。
2.東京、埼玉、神奈川、静岡、山梨、長野、群馬、栃木、新潟の上空約5000mまでは米軍の管制空域である。
3.岩国基地がある山口県の上空も米軍の管制空域である。
4.日本の領土(民間地域)に米軍機が墜落、または機体の一部が落下しても日本の警察は現場検証すらできない。
5.嘉手納、横須賀の住民が爆音訴訟を起こしても、日本の裁判所は米軍に対して訓練の飛行禁止を命じられない。
サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が主権を回復したどころか、逆に対米従属を決めた日であるといえる。 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは日本政府の一組織である文部科学省が教科書検定で「独立国だった琉球王国」と書いた清水書院の教科書を合格させたから。
沖縄の前身である琉球王国が独立国だったことは沖縄県庁、沖縄県立美術・博物館、沖縄県公文書館、那覇市歴史博物館のホームページにも書かれている。 薩長などが新政府を樹立せずに慶喜を中心とする政府が作られていた場合は今の日本はどうなっていたでしょうか? 倒幕自体がなくて幕府がそのまま続く場合と大政奉還した上で慶喜が盟主になる場合があって
どっちを想定するのかで答えはかなり違ってくると思われます。どっちにするの? 大政奉還は時勢からおそらく不可避だったと思うので慶喜盟主の場合を想定します >>792
旧態依然としたサムライどもが時代の変化に対応できずに、日本は侵略されて滅亡 日本は明治維新で大室寅之助なる白丁を天皇とした。
首謀者は伊藤博文である
孝明天皇を消し去り白丁を天皇に据えたのだ。
これは当時の知識人階級の間で常識の話しで、日本国外でも知られていた。
ただ日本の一般大衆は無知で何も知らなかったようである。
韓国併合を目論んでいた極悪人伊藤は後に安重根によって誅された。
逮捕された安重根は裁判の席で伊藤の罪を列挙し、そこで無知の日本人達に孝明天皇暗殺と大室寅之助を明治天皇にすり替えた事実を述べた。
裁判を傍聴していた無知の人達は腰を抜かさんばかりに驚いたそうである。
最終的に安重根の義は達せられず、大韓帝国は日本の植民地たるを余儀なくされた。
正義が悪に敗北した悲しい歴史の1ページである
ともあれ韓国は沖縄より抵抗したと言えるだろう。
沖縄は政治意識が極めて低く、安重根のような正義感も見当たらない。
しかし今は米軍基地の騒音問題により、沖縄県民も生活に密着した部分で日本からの独立意識が芽生え始めている。
沖縄県民を啓蒙する市民の力でそれは大きな歴史のうねりとなるだろう。
市民の勝利は目の前にある。 >>794
平和主義の徳川政権が続くので長州の安倍政権は誕生しない
対外強硬路線の薩長が出ず 徳川政権が続いたら間違いなく阿鼻叫喚の植民地化されただろうな
幕藩体制で富国強兵は無理 ご存知の方がいれば教えていただきたいです(予想でもかまいません)
中世農民は麻の小袖を着ていたそうですが
麻の栽培〜製糸〜布を織る
という一連のスキルは、農民はみんな持っていて当たり前だったのでしょうか
それとも専売としている農家もあったのでしょうか
奈良時代の租庸調には布も入っていたので皆織れたのかなあとも思うのですが >>794
薩長が新政府樹立に失敗した場合の慶喜は
本人が恐れていたとおりに幕臣に暗殺されると思うけど
押し込められて傀儡になった場合は大政再委任派が牛耳って内乱へ >という一連のスキルは、農民はみんな持っていて当たり前
繕うことはある程度できても、糸や布は専業
だから衣服は財産 現代でも部族の人は小さい織機で各々布を織ってたりするけど中世の日本だとそういうイメージ無いもんなぁ。 >>800
慶喜が死んだら徳川にとって吉
16代徳川家達が跡を継ぎます。薩長政権下でも次期首相にと推されたこともある逸材が控えていたのに.. 徳川家康は秀吉の侵略に反対して豊臣家を滅亡させた。
徳川政権が継続していたら沖縄や韓国の未来も変わっていただろう 徳川政権が続いてたら日本は植民地にされていただろう
ヨーロッパの侵略者に虐殺されたであろう
明治維新が成功してほんとに良かった >>801-802
個々人、各家庭で布を織っていたかどうかは現状では不明だろう
少なくとも村単位では布を税として供出できるぐらいの生産能力があった、としかわからない 分からないことを分からないと言えるのは立派だが
蓋然性という言葉は知らないのかな
君に分からないことと、誰にも分らないということは全く別 >>799
中世は座が権力を持ってましたから座に所属していなかった農民をはじめ
一般人は織物を作る技術があってもそれを使わなかったと思われます
現代においても味を抜きにすれば技術的には酒造りは誰にでも出来ますが
正式な認可を受けてないと密造酒になりますので普通はやりません >>809
>>807は「言葉の定義は俺が決める(キリッ)、俺の理屈の中では俺が正しい」と平然と言えるタイプ。
試しに話し掛けてごらん。
国立民族学博物館の定見よりも俺が正しいと言い張るから。
こういう変に自分を聡いと勘違いしている子が突発的に登場すると、学校は休みなんだなぁと実感する。 麻の服を着ていた倭人は冬寒かっただろうな
半島から木綿が伝わるまでどうしてたのか
東北や北海道に倭人の生存圏が広がらなかったのは
綿織物の技術のない文化的欠陥が理由だろう 【朗報】意味不明の美談「忠臣蔵」めでたく終わコンになる。ここ数年の研究で実は吉良が最大の被害者だと一般認知された。 [591262568]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1514729487/ まあ討ち入った事実は素直にすごい
が、よくドラマで見る白黒のお祭りはっぴのような格好を全員に揃えられる余裕があったとは思えん
あと山鹿流の陣太鼓が完全に創作なのはいかがなものかと >>813
奥州藤原氏は何を着てたと思ってるんだろうか? 富士山は日本の象徴とか霊峰と言われていますが、富士山を実際に見たことがない西日本や東北の人たちには関係ないことだったと思いますがどうでしょうか。 竹取物語に富士山は出て来る
堺に来たバテレンや長崎のオランダ人が日本人から富士山の自慢されてる
江戸時代には曽我兄弟の仇討の舞台として全国の武士の子が習った
日本各地に何とか富士という別名を持つ火山があってたいてい信仰対象になってる
なかなか行けなかった時代の方が神秘の霊峰として書かれてますね 岩倉具視って有名じゃないわけではないけど、特に人気があるわけでもないし、
歴史上の偉人としては地味な存在ですよね
だけど、冷静に振り返ればかなりの政治家であり、戦略家でもあり、実行者でも
あったと思います
武士階級が活躍した幕末維新の中で一人公卿として気を吐いて暗躍してましたし、
錦の御旗の考案者とも言われ、孝明天皇暗殺の中心人物なんて陰謀論も唱えられて
います
また、常に成功してきた人物ってわけでもなく、幕末においては失脚して蟄居も
余儀なくされています
こういう成功者であり、失脚経験もあり、陰謀論もあり、っていうことで
岩倉具視個人の人物伝、立志伝みたいなものがもっと世間に出ても良いような
気がしますが、西郷隆盛や坂本龍馬、徳川慶喜、勝海舟らと比べて人気や存在感が
希薄なのが気になります
人気、存在感が希薄な気がするのは何が原因でしょうか? >>815
服装は、あえて火消しの格好をすることで、
道中で町奉行所の役人や岡っ引きらに咎められずに吉良邸に到着できたんじゃないか もし大石らの服装が甲冑姿だったら、
道中で奉行所の役人や岡っ引きどころか、たまたま通りかかった旗本御家人や諸藩士すら何事かとびっくりして大騒ぎになったと思う 資金がない中で武具のほかに新品の衣装を用意する余裕があったのか?
衣服染めは濃い色ほど金が掛かるでの
そもそも死ぬ覚悟で討ち入ってるのだから一番安く済む白木綿でよかろう
幸い周囲は雪で白は目立たぬしな あれ火消し装束
つまり、「消防署の方から来ました」作戦 吉宗が町火消しを整備する以前から大名火消しといって諸大名が火消しを担っていた。
武家屋敷とかお城以外は担当しなかったので吉宗が町火消しを整備した。
浅野家中も当然火事装束(火消し装束)には馴染みがあったからそれを討ち入りの衣装とした。 生活に困窮してたし当時の物をそのまま後生大事に持っていたとは思わないけど
歌舞伎の衣装みたいのよりは馴染みがあるメンバーが多かろうということです。 ちなみに新選組の羽織は忠臣蔵の歌舞伎の衣装から採ったと言われてる。 坂本龍馬が消えるぐらいだから新撰組も教科書から削除して構わないな JKが新選組が教科書に載ってないと怒ってたけど
載ってる教科書もあるの? 坂本龍馬を削りたくなる気持ちはわからんでもないなww
政治家で、坂本龍馬を目指すとかほざいている奴にまともな人間が
いたためしがないからなww
例えば山本太郎とかww
あれを見たら、司馬遼太郎は本当に罪作りだと思うww
うまく描きすぎたww
でもさぁ
政治は結果がすべて、結果よければすべてよしだからな。
山本太郎みたいなDQNが当たりくじを引いても、それはそれで認めないとなww
坂本龍馬を削ろうとするやつは、日本の歴史をつまらないものにして、
だれも関心を持たないようにして、中国や朝鮮や左翼の歴史ねつ造工作の
バックアップをしたいのだろうてww 後世の人間が名前を利用して何かしたからと言って
昔の人間を得意げに貶めるのも頭悪そうだからやめとけ 新選組は本当に要らないな
ファンが小説漫画板で語る分にはいいが幕末史を語る場には出て来るなと思う 教科書では掘り下げると面白い様な個人ネタは入れなくてもいいだろ 坂本龍馬を削ろうとしている奴らは、上杉謙信や武田信玄、
あわよくば聖徳太子まで削ろうとしているからなww
間違いなく日本史をつまらないものにして、誰も関心を持たないようにして、
歴史ねつ造をやりたいのだろうな。
奴ら絶対に、中国や朝鮮の手先のブサヨクだよ。 >>838
いや、重要度では坂本龍馬と互角だろ。どっちも僅差で教科書に載れないレベルだよ
一部の教科書だけで取り上げられるとか資料集にだけ載るとか、その程度。
>>840
謙信も信玄も教科書から削られるのが妥当な程度の存在だよ、地域を変えはしたが日本全体への影響はゼロに近い。
それよりもうちょっと影響の大きい信長が辛うじて当落線って程度だろ
さすがに秀吉と家康あたりは削ることはないと思うけどな 秀吉は壬辰倭乱の虐殺者
歴史から秀吉の悪事を抹消してはならない 坂本龍馬は実績ゼロの小物だから載ってはいけないレベルだわ
新選組は池田屋騒動,信長は室町幕府滅亡と歴史的事件あり 池田屋事件なんて新選組の唯一の見せ場だから過剰に取り上げられてるだけ
竜馬がゆくを史実と信じてる奴はかなり減ってきたが
燃えよ剣と派生作品を史実と信じてる奴らは自分らのウザさを自覚してないから始末が悪い 新選組なんて普段は商家に押し借りしたり身元不詳のザコ浪人やゴロツキを追っかけてたのに
それじゃ格好がつかないからと創作では常に有名志士と敵対してるふうに描いたら
鵜呑みにしてるバカの多いこと多いこと 教科書についていうと、鎌倉時代以前は薄っぺらでいいから近現代史を充実させるべきだと思う。 池田屋事件は天皇陛下を拉致計画した事件だよ。大逆事件が歴史上初の天皇陛下暗殺計画をした事件として取り上げてるのと同じ
後の禁門の変と合わせて長州の不遜が凝縮された画期的な事件だったよ >>845
それを言い出したら勤王の志士なんて、連合赤軍のご先祖様みたいなものだろう?
あれがまぐれ当たりでうまくいったから、226事件がおきて、そのあと軍国主義
になったのだし、日本における革命のパターンになって、いまだに坂本龍馬にあこがれる
人間が政治に関わって馬鹿をやっているからな。
平田派の国学者だって、近代日本を作ったのは間違いないけど、
イランのホメイニみたいな連中と似たようなところが多分にあるだろう? 別の時代の話を混ぜてくるレスって
いかに幕末を知らないかわかるから止めなよと思う 日本の歴史教育は自国の対外侵略について目を背けている
現代史が重要だ >>850
ガキに対する歴史教育と政治は別問題だ。
教科書で習う程度の歴史は日本良い国、強い国で
面白おかしくやれば良い。
侵略だとか、そういった話は外交官になるレベルの専門家が
やれば良いだけだ。 >>850
対外侵略をしたことがない国なんて地上に存在するのかね?
ああ、大戦の戦後処理の関係とかで新規に独立した新興国なら対外侵略したことがない場合もあるか >>845
何もしないで自分の気に入らないものや別の視点の考えをことごとく蔑むお前よりは新撰組のほうがよほどマシだと思うよ >>852
>地上に存在するのかね?
常に他国の属国だった朝鮮かな。 教科書の幕末で必要な人名は維新3傑と慶喜、勝海舟ぐらいだろ
「薩摩の西郷・大久保と長州の桂が力を合わせて慶喜率いる幕軍を滅ぼし、西郷と勝の会談で無事江戸城明け渡しが決定し、ここに江戸幕府に変わって明治新政府が樹立した」
この簡潔な一文で幕末を終わらせられるからだいぶ省略できるぞ >>854
そこも「大戦の戦後処理の関係で新規に独立した国」だが? 明らかにコリアンへのヘイトと見られるレスが付いているな
我慢していたがまた沖縄レス投下されたいのか? >>799
麻生とか麻田とか麻績村とかいう地名がある時点で自明だと思うが。
租庸調の租が穀物、庸が労役、調が特産品というのが原則だったけれど、
上総国は庸と調が合わせて麻布、しばしば租も麻布・麻糸で代納されていた。 >>851
民主主義の時代にその考え方はないでしょ
二度と過ちを繰り返さないために昭和史は国民全員にきちんと学ばせる必要がある >>801
製紙・織布は人手が多くかかるので、世界中どこでも、産業革命までは、農民から商工民から富裕層・支配層の奥方まで
女衆はみんな、ときとして男衆も、ひなが糸車回して紡ぎ、機に向かってギッタンバッタン織っていた。
「眠れる森の美女」では大貴族の姫さんがなして糸車や紡錘に触れる機会があるか脈絡の説明もなく当然のものとして
出てくるし、「鶴女房」では男やもめの貧乏暮らしの家にすぐに使える状態の織機がある。
それは、どの階層でも紡績織布が当たり前に行われていたことを反映しているから。
産業革命での人口爆発の原動力というか、産業革命まで人口増を強力に抑制していたのが、衣類のために糸繰り機織りに
女手を多くとられていたものが、製糸・織布の自動機械化で解放されて、産児育児に振りけられるようになったため。 >>807
租庸調の庸が布で代納されることが多かったというのが、布=労働力の塊と解釈されいたため。
糸を買って布を織る、もしくは、糸の材料を買って糸繰をして布を織る。
糸の材料の、蚕繭、麻、木綿は、穀物を作るには条件の悪い土地での生産が割と容易なので、
山間地の養蚕、傾斜地・水利の悪い土地での麻の栽培、水田に不向きな砂質土壌地・塩害の
出やすい干拓地での木綿の栽培が行われて、材料そのものは交換財として生産されていた。 >>810
工場制手工業は、日本史では近世の後半とされてる18世紀以降、明確な存在が明らかになるのは19世紀の頭。
武断政権の割拠・階層支配の封建時代だから中世っちゃあ中世だけどね。 >>813
なれれば寒くないよ。
南緯50度のフェゴ島にマゼランが接近したとき、半裸のパタゴニア・インディオが見物に大勢集まってきたという。
まだ雪の残る春先で、海は氷結寸前だったという。 >>813
蝦夷やアイヌやオロッコにも、明治まで綿織物も毛織物も無かったじゃん。
でも東北や北海道に住んでいた。
ってか、渡島半島に和人が住み始めたのが15世紀頃だよ。
半島から木綿って、何半島のことかいな? >>821
昭和時分に子供だったので、青っぽい五百円紙幣で、とてもなじみ深い。 >>824
江戸市中はデミリタリゾーンだから重武装禁止だよ。
鉄砲は許可がないと持ち込めないし、大名行列の槍も穂先に袋かけて紐で縛ってた。わざわざ派手な錦の袋に組紐で目立つようにして。 >>682
買おうにも売ってるとことか少なそうなんだが。
むしろ、どこの村でも糸を作っていたんじゃないのか?
麻を育てることができない立地の村って少なくないかな?
木綿の栽培は戦国時代ごろが最初らしいのでそれ以前は綿花はない。
その戦国時代頃には生糸の輸入量が多かったらしいが、たぶん価格のバランスが崩れた(国内生糸が値上がりした?)せいだろう、たぶんきっと。
養蚕で使う桑の木は古代中世の土地台帳では本数までチェックされてたって言うし、課税の基本として格別に重視されていたのは間違いなさそうだね >>868
麻はどこでも育つけれど、いい地面は先に水を張って稲を植えてしまう。
結果的に、傾斜地、乾燥地、砂質土壌等々の稲作に向かない土地に麻。
条件の良い沖積平野にはおのずと麻を植えない農家、条件の悪い土地で麻を作って穀物に易える農家、という分業ができてくるわな。
糸にしてさらに布にするは膨大な労力が要るので、完全な製品にするには労力が足らず
刈る→湯通しもしくは蒸す→干す→剥ぐ(芯から分離)→精麻(外皮を除去する)→漂白(硫黄で燻す)→叩いて梳く→よりをかけて糸に紡ぐ→織る
の工程のうちのいずれかの中間材のまま出荷・換金する部分が出てくる。 おそらく商業の未発達だった古代あたりだと、そのような出荷換金とかも個人単位では行ってなかっただろう
おそらく地域の有力者(郡司とか)がとりまとめて交換なり販売なりしたんじゃないかな
だとするなら材料を買う側の村は(そういう分業があったとするなら、だが)個人レベルで材料を入手したとは考えにくい
そういった有力者が材料を配って製品なり半製品なりを集める(問屋制の原型みたいな?)仕組みだったか、
もしくは有力者の手になる作業所に通う(工場制手工業の原型みたいな?)仕組みがあったかもしれない
古代中世あたりだと農機具だって個人所有はなく領主や有力者からの貸与だったというし、繊維加工に必要な道具類も貸与だったかもしれんね 現在の日米安保条約や日米地位協定も日本側には圧倒的不利な内容になっていて、例えば米軍人が起こした事故に関しては公務中の事故なら一次捜査権や一次裁判権は米側にあるし、
日本は日米地位協定第17条で警察権を奪われているので、米軍機が日本の領土で事故を起こしても日本の警察は現場検証することを許されていない。
また、米軍機の部品は米国の財産と見なされているから証拠物の押収もできないことになっている。
日米安保条約と日米地位協定は日本人にとってまさに屈辱的な条約であると言える。 尖閣諸島はもともと無主の地だったから、日本政府が新たに領土として自国に編入する際は官報に公示して国民に知らせる必要がある。
ところが、日本政府は1895年1月14日に、尖閣諸島を沖縄県に編入し自国の領土とすることを閣議決定したにもかかわらず、その事実を官報に公示せず日本国民に知らせなかった。
それだけでなく、なんと57年後の1952年まで公表しなかった。
日本政府が尖閣諸島の自国への編入を官報に公示しなかったのは、この閣議決定が日清戦争の最中に行われたからである。
つまり、日本が戦争のどさくさに紛れて尖閣諸島を奪ったと見られる恐れがあり、その閣議決定は日本政府にとって秘密にしなければならなかった。
この秘密決定が 国際社会に知られると日本にとって都合が悪かったからなのは言うまでもない。
多くの日本国民は1895年1月14日の閣議決定から1952年までの57年間、尖閣諸島の存在を知らなかったし、国会議員でさえも尖閣諸島の存在を知らない人が何人もいたというのが実情である。 >>870
以前の質問もからむので気になりググってみると
「裂地としてみた正倉院の調」という論文が見つかりました。関係する部分を引用、孫引きします。
>首長や有力農民の私宅に付属した私工房での生産もあり得たが、
>およそ里(郷)程度の領域を単位に調庸織物織成のための織機が設置され、一般農民から簡取された織り手によって織成された
>一般農民層は衣料用に原始機で麻布を製織していたと推測出来ることから、
>一般農民が原始機を用いて生産した布も調庸布の一部として調達された可能性があると思われる。
調庸は稲などで代納させて国衙付属の工房の人件費などに充てて生産し、都に納めることもあったようですが
当時の一般農民は自給用はもちろん都に納められるほどの生産ができる技術があったみたいです。 そろそろ沖縄くんを運営に通報しようと考えていますが
皆さんはどう思われますか? >>874
通報不可避じゃね
スレチだから別スレに移動しろと何度言われても無視し続けたんだし >>875
このスレ的に史実を踏まえて中立的に考えると
竹島:どう解釈しても日本のもの。韓国の行為は李承晩による火事場泥簿。早く返せや
北方領土:あの辺はロシアと武力で奪ったり奪われたりだからなぁ。最後に負けた日本が悪いと言われると中々つらいものがある
「日ソ中立条約違反だ!」と言いたいところだが、「じゃあお前らのシベリア出兵は何なんだ!」と言い返されたら反論できない
尖閣諸島:すっげー微妙。日本人が入植してたのは事実なので先占の法理が成り立つじゃねーかと言いたいところだが
1895年1月14日の編入が「日清戦争で勝利がほぼ確定したドサクサで奪ったんだろ」と中国に言い返されたらその通りとしか言えない
それでも戦後暫く中国が文句付けなかったことから日本にやや分があると思うが
国際連合に未だに敵国条項が残ってる今だと、国際司法裁判所に持ち込んだら中国有利の判定されそう
日本側は実効支配を続けつつ静かにするしかなくね?
こんなところじゃね? >>870
縄文時代の石器時代人ですら、刃物になる石材とか、塩とか、ものすごい距離で交易してたのに。 >>870
有力者の邸宅に織機と糸を用意していて、そこに人を集めて機織らせて、労賃に穀物を支給?
なにその工場制手工業w
それが古代に???
封建時代の終わりごろならまだしも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています