なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?
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天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた 座式の生活と立式の生活の違いはあるかもね。
座式だと、石積み製の家屋は向かないだろ、どう考えても。
欧米や中国は立式の生活だから成り立つのはある。
まあ中国の宮殿も建屋は基本木造だけどね。でも床などは家屋の中も敷石だったりするわけで。
これが座式の生活だと、石造だと、冷たい地べたにゴザなどを敷かなきゃならないわけで(絶対ないけどねw) >>206
いや普通に花崗岩製だけど
つうか三和土なんて土の塊なんだから定期的に補修しないと剥がれるし百年以上ももたないよ >>207
ユーゴスラビアとか古代イリュリア時代に遡ってもずっと石造だけど
古代ローマやギリシャ、トラキア、イベリアも山ばかりだけど残ってる遺構はみな石造
ヨーロッパで木造住宅が普及するのはゲルマン人の侵入以後だろ 運搬運搬言うのならチベットのラサとかどうなるの
富士山と同じ高さだぞ 今話題のエルサレムも元は古代のエブス人の山城なので結構高い
標高800m以上のユダ山地の山頂に作られてる >>211
>>212
>>213
なんか、君、言ってる事が的外れになっているんだがw
そもそも、チベットだの南欧だのは、岩だらけの地質で遠くから持ってこなくても石材が取れると思うぞw >>214
あのさぁ・・ちゃんと読んでる?
>の石造円堡。外壁は漆喰仕上げ、
1階は床叩土ってのは床の素材でしょ
土壁が100年以上持つわけないじゃない 江戸時代、全ての部屋に畳がなく板張りで足が寒かっただろう
百姓の土間に割り竹と筵も寒そう >>216
>土壁が100年以上持つわけないじゃない
漆喰は土壁だがw
>>217
その絵見る限り、花崗岩の塊とは言えないと思うがw
むしろ ”その程度” しか産出してないと思ったほうがいいよ。
それも山岳部の高い場所が多い。
そもそも、建築の壁に石組みを採用するという発想も無かった上、
持ってくるのに苦労するデカイ石を使うより、
手近な良質の木材を使う方が楽に綺麗で快適な家ができるわけだから、使うはずも無い。
石など使っても、夏はビショビショ・冬は冷え冷えの家にしかならない訳だから使うはずも無い。
日本の建築で石造りが見られると言えば蔵くらいだろうさ。 漆喰は土壁とかイミフ
多分この子、ゆとり世代かその前後の世代の若い子でしょ
左官とか知ってる?
たぶん君の家にも使われてると思うよ
>>219
ほらよ
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_Great_Britain
これはイングランドの地質図だがGraniteつまり花崗岩地帯はほとんない
他は頁岩とかチョークとか泥岩ばかりで建築材に使える石はほとんどないのだが
じゃあ石造建築がないかというとそんなことはない
>石など使っても、夏はビショビショ・冬は冷え冷えの家にしかならない訳だから使うはずも無い。
モスクワや東京より寒いしデリーは暑いけど
つうかビショビショって何?お前の考える石って氷か何か? 日本は北欧やブラジルと並んで世界有数の御影石産出国なのに
その程度しか取れないとかないわ 漆喰と土壁の区別もつかないのに建築語ってるバカがいるのか。 >>199
地震で一番被害が出るのは火災だろ
木造が地震に強いなんてギャグもいいとこ 地震のない朝鮮にしたって日本と同じような木造建築
地震があるから日本の建築は木造になったなんてまったくの虚構
単に木造建築しか作れなかった中国文化圏にあったからに過ぎない >>4
紫禁城も木造だろ
タージマハルのようなものが中国文化圏では作れなかった
石造技術が低かったからな 中国文化圏、東アジア文化圏と言い換えてもいいが
東アジア文化圏は建築や美術関係の技術がほかの文明圏と比べて著しく低かった
中国の兵馬俑にしたって東アジアの仏像にしたってギリシャからの技術流入なしには作れなかった
建築に至っては技術水準の低さからとうとう最後まで石造建築をものにすることができなかった >>224
しかも殆ど平屋で、瓦葺は宮殿とか一部の建物だけ。 いや、お前も何か知ったかしてるだろ
古代ギリシャに兵馬俑みたいな人型の陶器作る技術はねえよ
青磁や白磁、陶磁器にしてもそうだけど焼き物に関しては中国は昔から進んでいたんだよ
クルス「中国誌」やジョージ・マカートニーの「中国訪問使節日記」にも中国製の煉瓦の頑丈さに驚く記述がある 日本も平清盛座像とか空也上人像とかギリシャ彫刻に迫らんばかりの写実性でなかなかいい線いってるんじゃない?
同時代のヨーロッパとかバイユーのタペストリーみたく幼稚園のラクガキレベルのものしか作れないほど文明レベルが後退していたし >>228
その通り。
だから縄文晩期の渡来人、いわゆる弥生人が中国からではありえないんだよ。
弥生人が渡来したBC11C頃の中国は既に原始磁器の時代。
生活土器でさえ5500年前から登り窯で高温焼成された灰陶と呼ばれる
青黒い硬質の陶質土器。
ところが弥生人たちが遺したのは野焼きの軟質の赤っぽい弥生土器。
しかも、三足や直耳や単耳や双耳の付いた中国土器の器種や器形がない。
どう見ても中国からなんて2万%ありえない。
ちなみに縄文晩期の渡来人が遺した最初の土器は朝鮮土器でもなかった。
彼らが遺した最初の土器は突出した口縁部に刻みが施された極めて特徴的な
文様を持つ土器で、この文様を持つ土器は当時の沿海州南西部にしかないのである。 >>206
タタキってお前意味わかってるか?
土間のことだぞ 万里の長城なんて明時代になってからようやく煉瓦造りになったんだからな
それまでは土塁
中国に石造文化が浸透していたらヨーロッパみたいに町ごと中世の面影で残っていただろうな
しょせんピンポイント的な建物に過ぎない >>239
おまえ、ほんと何も知らないんだなw
磚を知らないの?
大和時代に日本に伝わってるんだけど。日本では普及しなかったようだけどね。
https://kotobank.jp/word/%E7%A3%9A-549229
よくそんなんで、人に教えてやったとか威張ってられるねw >>237
例示されて反論出来なくなって、
仕舞には法律がどうたらこうたら具にもつかない屁理屈こねですか?w
そんな屁理屈こねても、おまえの頭の悪さ晒しこそすれ、ためにも何にもならないよw
いいかげんあきらめなよw >>239
>中国に石造文化が浸透していたら
>>235で例示してるのだけど無視ですか?w
他にも例はたくさんあるぞw >>241
いや崖地の建築には法律や条例があるってことについて、おまえ反論できてないじゃん
法律も条令も屁理屈じゃないんだぞ
法律無視して「作ってよ」って依頼してる>>235の知能レベルが低いんだよ >>238
石造建築の経験も技術も低いから屋根が惨い >>233
お前、本当にゆとり世代っぽいな
母ちゃんに「ねえ?タタキって何?」って聞いて来いよ ついでにホームセンターに行って漆喰って土壁ですか?って聞いてみればいいんじゃね
何言ってんだコイツって顔されるだろうけどな >>241
いま歴史的建造物についての話題なのに、法律とか関係ないだろってのw
>法律無視して「作ってよ」って依頼してる
君は冗談もわからないのか?w 君こそ知能レベル低いんじゃないの?w
君には出来っこないだろって意味で言ってるのだがw
ちなみに日本にもこんなんあるけどねw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BB%8F%E5%AF%BA
これは法律上どうなるんでしょうか?w
国宝だよ、国宝w 漆喰も三和土も知らない世間知らずのゆとりっ子が何か言ってる。 30代ぐらいの連中でも間や坪がどれくらいの大きさかも知らないのがザラにいるからな
ゆとりになると猶更だろうなぁ >>248
>>249
一人芝居しなくていいからさあw
君は
三和土がただの土だと言い切ってる時点で、磚が古代からあることを知らない時点で、
中国に高度な組積み技術が古代からある事を知らない時点で、何も知らないのと一緒だよw
負けてるの、君はw
君は法律がどうのこうの言ってる場合じゃないと思うよw
ほんと馬鹿だわ…w 完全素人からの質問です
築年数新しい方が良い物件なのはわかるけど、10年前の技術と今の技術ではレベルが全然違ったりしますか? 現代の家屋の話なら土木・建築板へどうぞ
とマジレス >>242
そんなわずかな例を示したところで
中国の建築が石造でなかった事実は揺るがない
もしヨーロッパのように石造建築が浸透していたら
今でもちゃんと街として残っているだろう てめえも何、他人の褌で相撲を取ってるんだ?
俺のレス読むまで磚とか知らなかっただろ?
一つ、いいこと教えてやろうか
中国には煉瓦造りの壁を使っているものはあっても組積造は全くない
すべて木柱が屋根材の荷重を引き受ける架構式構造で実質は木造建築と変わらん
これはいくらネットでもググって出てこない話だぞ
どうも、聞きかじりばかりで根本的な知識が足りてないようだし
これを期に専門書でも買って勉強してみてはどうだね
俺のおすすめは「図解 建築用語辞典」だか、この手の時点にしては廉価でamazonできみの小遣い程度でも十分買えるはずだ >>254
>俺のレス読むまで磚とか知らなかっただろ?
大爆笑w
歴史マニア、東洋史マニアなら知ってるに決まってるだろってのw
あのさあ、
日本の伝統的街並みと、中国の伝統的な街並みの一番の異質な印象は
組積みの塀や道路のレンガ舗装とかだろっての。
奈良なんかの古民家の土塀は少し大陸の影響を感じるよね。
君、中国のレンガごときを知ってるからって自慢して、かえって恥かいたねw
ああ恥ずかしいw 「中国歴史建築案内」楼慶西 著
木構造形式 古代のエジプト、ギリシャ、ローマでよく知られているピラミッド、闘獣場、神殿、教会などはいづれも石造である。
これに対して、中国の古代建築の最も大きな特色は木造である。中国の古代においては、一般の住居から壮大な宮殿、寺院まで木構造形式を採用している。
その構法は、柱上に梁(はり)、桁(けた)をおき、その上に屋根を造る構架式を基本としている。壁体には(れんが)、土などの材料が使われ、
こうした壁は屋根の重量を支える役割をしていないので、中国の家屋は「壁が崩れても家は倒れない」というという特徴をもっている。
「中国文化あれこれ」 馮凌宇 史衛民 著
西洋の古代建築と比べ、中国の古代建築はその様式、構造に著しい特色がある。
中国の古代建築は木構造を主としており、(れんが)石造りの仏塔、殿堂あるいは陵墓の地下宮殿であっても、木構造の形式を模倣している。
これは西洋の建築が主にれんが、石構造であるのと大きな違いがある。 「中国における日本租界」大里浩秋 孫安石 著)
第三に、市内の建築材料は木造建築を主とし、レンガ石で補うという古い方式で、類型的には古臭く貧弱である。中国の前近代の職人は、耐圧性に優れた石材の特性を利用する
ことを知らず、堅固で粘着性に富んだ漆喰(しっくい) (石材を積み重ねる時の粘着塗料)を採用しなかった。
「現代文明ふたつの源流」 中尾佐助
華北の文化はこのように煉瓦の文化であり、その煉瓦は世界で一番すばらしいものもあるというわけであるが、宮殿、寺廟となると、ヨーロッパのような煉瓦建ての大建築は発達していない。
中国では、橋や城門を除いては、アーチの利用が建築に利用されず、木の柱と桁を使って宮殿、寺廟の大建築物を建ててきた。
硬葉樹林地帯でもその北方のヨーロッパでも、また西アジアやインドでもアーチは大建築物にどんどん使われたのに対し、世界一すばらしい煉瓦を持っていた
中国はそれで大建築物を建てようとしなかったのである。 東洋史マニア?ならネットじゃなくて手元にある専門書引用して反論してみろって
まさか一冊ももってないとかねえよなぁ?
中国の伝統建築がお前の言う組積造なら斗栱なんて発想まず出てこないんだわ >>259
君さあ、人の言ってること、
自分に都合よく曲解してるけどさあ、
>中国の伝統建築がお前の言う組積造なら
そうは言ってないけれど。
中国の建築の技法として組積技術も発達しているとは言ってるけれどね。
中国の建築が木工造が基本なのは一目瞭然だろw
逆に上記の資料通りなら良いことづくめだと思うがw
中国の建築技術が未熟などとよく言えるねw 幕府が伝統に縛られて
日本中も縛ってたからだろ。
明治になって
ちょっと学んだらすぐできるようになったし
なんか問題あるんか? どの見えない敵と戦ってるのか知らないが誰も未熟などとは言ってないし架構式構造では世界でもっとも発達していると言える
つうかお前は言葉の定義をろくに知らずに使ってるだろ?
組積造の定義ぐらいググってみろよ コイツ、都合が悪くなるとすぐ前言を翻すな
ちょっと前に自分がレスした内容すら覚えてないらしい 傍から見たらどっちが書き込んでんのか分かんねえからコテつけろ >>262
言ってるだろが、>>226で。
>中国文化圏、東アジア文化圏と言い換えてもいいが
東アジア文化圏は建築や美術関係の技術がほかの文明圏と比べて著しく低かった
あのさあ、組積技術をモノにしなかった訳じゃなく、それで事足りたってことだろ。
別に是が非でも組積みで作らなきゃならないわけでもあるまいし。
そんなこと言えば、日本だって明治維新後現在に至るまで、上屋自身を組積みだけで作った建物なんて殆ど見当たらないわけで。
だいたい木骨との組み合わせが殆どだろ。
まあ、日本が地震国だというのはあるけれど、
ほんとの組積み構造だと 手間ヒマ・コスト がかかるわけで、それよりも手っ取り早く安く作れるのは木骨造なわけで。
骨組み付の建物の方が地震にも強いわけで、それらが広まるのはあたりまえ。
組積み技術が上級建築技術と錯覚していること自体が×だろw
はっきり言って西洋かぶれだねw 日本の建築技術は世界一。地震で瓦が吹飛ぶようになっているドヤ モルタルで瓦を固めて飛ばないようにする工法もあるけど
柱にかかる負荷が大きくなるから一長一短なんだよね マンセーしろなんて言ってはいない。
そもそも建築に関する知識自体なかった人間が、
一概に日本建築は遅れていると言い切ってることが間違いだと言ってるわけ。
その地域の気候、風土、歴史などがからみあって、その地域にあった建築が出来上がっているわけで、
それらを無視して外国がなんでも良いというのはカブレていると思われてもしょうがないw 西洋建築が入ってきた幕末明治には台場とか海堡とか要塞とかアホみたいに作ってるんだから
単純に技術がなかっただけだよ このアホは世界史の建築スレでファビョってたアホと同一人物だろうな
日本の家は冬は寒いと書かれたのを貶められたと勘違いして暴れてた馬鹿な
枕草子に「夏をむねとすべし」と書いてるのを知らないのかーとか
いや夏をむねとしてるんだから、寒くて当然だろとたしなめられたけど >>273
>西洋建築が入ってきた幕末明治には台場とか
海堡とか要塞とかアホみたいに作ってるんだから
単純に技術がなかっただけだよ
一時期はね。
でも技術が無かったというより、発想が無かったと言うのが正解だろ。
上屋の壁を組積みでつくるという。
石組みアーチは中国の技術で江戸初期に眼鏡橋で伝わってるから。 >>274
また、自分の知ってる範囲の知見で勝手に認定ですかあ?w
おい、おまえ はだか踊りだべ?w
勝手に的外れな予想してホルホルしてるとことか、発想の仕方がよく似てるわw 建築もそうだけど、電柱と電線をどうにかすべきだと思う
海外旅行から帰国して帰宅中、車窓を見て感じること
先進国だというのに、景観が残念すぎる
建築も家具もだね 世界遺産レベルの歴史的建造物は世界に誇れる美しさだと思います
一般の街並みや住宅がもうちょっとどうにかならないのかと残念に思う
アジアだから仕方ないのかね ワビサビ文化自体が後世の後付け
そもそも日本には豪華と呼べる文化財がない
せいぜい木に金箔を張り付ける程度w >>279
アジア諸国は西洋から直接建築を学んだだけあって日本よりはるかにましだろ
日本の建築や街並みのひどさはアジア諸国の中でも最底辺 明治期に作られた要塞って当時来日してた欧米諸国の軍人から見ても評価高かったからな
技術力は相当なものがあったわけで
不謹慎ながら島原の乱の後も内乱が続いていれば、と思ってしまうよ >>281
日本の街が電線だらけで、欧米の街が電線が少ないのはなぜかと言うと、
欧米では電気が普及する前にガス灯が発達していて、
電気が普及するときに地下の埋設ガス管施設をそのまま電気のケーブルを通す施設として
利用できたからだよ。
地下鉄や地下トンネルもそうだけど、なんでも埋設施設にすると偉く金がかかるのが、
埋設施設の難点。
特に日本は地権だのなんだのうるさいし、現代の東京などのように、家が密集した地帯が多いと、
住宅のケーブル地下化が困難になってしまうのも仕方がない話。
街の再開発のついでに地下化するとか、新たに住宅地域を作るときに埋設化するなどしか無いのが現状だろ。 >>281
あと、アジアの国々、特にフィリピンなどが西洋的なのは、学んだというより、
植民地としてインフラが整備されたからだよ。
負の遺産でもあるわけよ、悲しい話ながら。
韓国などは、朝鮮戦争で国土が焼け野原になった跡に街が再整備されたからああいう街並みなわけ。
それも悲しい話なわけだよ。
君、隣の芝は青く見えると言う言葉、知ってる? ついでに書いとくと、
タイは日本と同じく独立を保った国だけど、高層建築多いのは、一言、地盤が違うからだよ。
なんてったって、RCで高層ビルを作る国だからねw 日本では考えられないw
でも、交通インフラはかなり無茶苦茶だし、治安も非常に良くない。
おれは日本に生まれて本当によかったと思っているw >>1
出島を日本人が作ってしまったから。
西洋人に作らせておけば西洋建築の勉強になった。 日本の歴史の中での石造建築の少なさは確かに異常だな。
東南アジアの寺院なんて密林でもアンコールワットだからな。
ほんと、なんでだろう。
石橋も江戸時代になってから九州の一部で眼鏡橋とかようやくだよな。
アーチ構造もずっと知らなかったのかな。
アーチ工法の門て日本にないよね。
中国には紀元前に来てるよね。
沖縄にはアーチ工法の門やグスクがあるのにね。 中国って中心地の黄河辺りは砂漠化が問題になるくらいなのになんで石造建築が発達しなかったんだろうね。
不思議だなあ。 >>230
でも稲作が沿海州からというのはありえないよねえ。
沿海州から来た初期弥生人が出雲、越あたりに定着して。
そのあとに中国の南部から稲作民族が北部九州に来て稲作の生産力で徐々に初期沿海弥生人を圧倒したという感じなのかな。 >>234
中国は住居は万里の長城にある砦ようなレンガ建築ではなく、あくまで木造の宮殿にこだわったんだね。
なんでだろう。 >>291
木造にこだわったというより木造でしか作れなかったというのが実態だろ
砦や城の石垣のようなものは大した技術が要らないが
建物になると相当な技術とセンスが必要 唐の大雁塔とか今は壊されてないけど北魏の永寧寺仏塔は高さ150mに達するレンガの塔とか
インドと張り合ってた頃はそれなりのものを作ってる
アーチ構造も朱然墓とか、少なくとも後漢末期の墳墓には使われているけど、住居には使ってないな >>289
版築(土を突き固めて壁を作る技法。三和土もその技術の延長。)が発達したから。
気候が乾燥してるのも影響してるだろうね。
>>293
>砦や城の石垣のようなものは大した技術が要らないが
だから自分で作ってみろよw
おまえ馬鹿なんじゃないの?w なんか、どうしても日本の技術が劣ってるということに話を持っていこうとしている人がいるなw
(まあ、スレ立てたやつがそう思いたい人みたいだからね)
技術ってなんでもだけど、発想と環境がマッチして初めて起こるわけで、
そこに能力の優劣はあまり関係ない。
石積み技術だって、木材の少ない地域(エジプトや中東など)で、必要に迫られて、
比較的身近な素材で構造物を作った事から起こったものだろう。
エジプトなどは大河があり、水運が発達していたから、奴隷など労役者を使い、
巨石を調達・運搬出来たわけだし。
ギリシャ建築も、エジプト・地中海文明の流れから、
当初木造主流だったのを”身近な”大理石造に切り替えたわけで、
西洋の石積み建築文化の直接の源流になった。
歴史の流れなんだよ、すべて。 木造は燃えちゃうからねえ。
東大寺の80m以上あった七重の塔とか残っていたら壮大だったろうなあ。 未だにピラミッドが奴隷によってつくられたとか迷信信じてる奴いるんだな
そもそもエジプトの奴隷は家内労働中心で数も少ない
労役は農閑期に配給品目当てに集まった農耕民を利用して負担させてた
これも強制でなくて監督官に申し出ればいつでも辞めれて、いつでも雇用されたことがパピルスからわかってる 明治時代に日本を訪れた西洋人がみな日本の建築技術の低さに驚いたのは有名な話
日本の建築技術がすごいというのはさすがに無理がある 神社が機能ごとにちっこい建物を造るのは大きな建物を造る事が出来なかった時代の影響? >>301
長崎の眼鏡橋は中国の技術で作られてるから、それを模したと思われる早鐘眼鏡橋は中国の技術ということになるのかな? 瓦、礎石、土壁もすべて中国の技術だよ
これらが最初に取り入れられたのが法隆寺 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています