なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?
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天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた 東洋の建物は基本木造。
中国も朝鮮も上屋は木造がメイン。
(こないだ中国の有名な塔の建物が火事で燃えてしまったが、それも木造ゆえだよね。)
日本の建物もその流れのうちの一つに過ぎない。
ただ、日本は大陸に比べ石材を得るのがむつかしい土壌だった。
だから建物に石材を使うのは、高価な建物が中心だった。
庶民の家は木と紙と土で作られていた。
現代でもその傾向は変わらない。 わりと良スレだから上げておく。
中国の紫禁城やインドのタージマハルみたいのがない。 寝殿造とか書院造とか、イケてると思うけど、災害に弱いのがな。 鑑賞性は高いけど実用性が低いのが日本式建築なんでしょう >>4
だからそれは、火山列島の日本では石材を得るのが難しいからだよ。
あと、地震も多いから、基本、組積み構造は日本には向かない。
その分古くから耐震構造が発達し、現在でも耐震技術において世界トップクラスじゃん。
で、そもそも、日本の神社などは立替が前提だろ。
その思想も日本の建築は引き継いでいる。形あるものは永遠ではないという。 日本の木造建築だけは世界最高水準なんだろうね
その代償として石工建築は世界最低水準だと 日光東照宮は大陸的宗教建造物の代表格ではないだろうか?
それが古代日本建築の質素性を重んじるブルーノ・タウトから批判対象にされたが
おれはああいう大陸的建築が大好きだ >>7
建材を木から1000年は耐久する最新の超ハイテク強化樹脂を用いれば、
もう何も怖くはない。
金閣も銀閣もドンと恋w >>10
日光東照宮は中国建築の影響が強いんだよ。
色使いからしてそう。
でも、彫刻などに日本らしい細やかさが隠されている。 >>11
それじゃコンクリとかで作るのと変わらない。
耐久性があれば良いというわけじゃない。
木材には木材の長所があるわけで。
その長所を生かして日本の建築は長い時間かけて
育まれてきたのだから。 日光東照宮は道教的色彩の色彩を強く受けている
神道式に改良しているが中国道教寺院の匂いを強く感じる .
日本の木造建築は世界最高水準
日本の石造建築は世界最低水準
前者だと日本は無敵かもしれないが後者だと日本は欧米や中国には勝てないよ。 >>11
木造建築の欠点は台風、豪雨、火災に脆い点だったからな。
実際それで何十回も立て直されてる国宝建築物が多い。 >>7
鑑賞性高いか?
中国ベトナム琉球朝鮮といった同じ木造文化圏と比べても相当地味だぞ
日本の城とか彫刻もなければ色も塗らないしぱっと見倉庫にしか見えない 日光東照宮も純日本風建築にしてれば質素で地味すぎて通好みではあるがまったく遺産としての見物ではなくなったであろう。
中国道経風にしたからこそ豪華絢爛な徳川王朝の聖地と化したのである、 >>20
おまえさんはシックに行くという事が分からんみたいだな。
シック=地味で渋い
中国のド派手で下品な建物より、わびさびを感じさせる銀閣の方がイカすんだわ。
子どもの頃は華やかな金閣の方が好きだったが、大人になったら、
シックな銀閣の方が好きになっていた。
世界で一番シックな建物があるのはわが国日本。 >>10
禅庭園みたいな質素性を重んじるブルーノタウトからは批判対象にされたが。
坂口安吾からは東照宮と三十三間堂は最高級建築だと評価された。
>>23
アホが建築というの人工建造物からは免れないんだから
どうせ人工物を作るなら徹底的に人工美の極致を追求すべしというの坂口安吾だ。
サクラダファミリアや紫禁城を見たら計り知れない人工力を知ることができる。
人工美の観点からみると太陸的建造物こそ王道なのである。 芸術というのが人工である以上は中途半端に自然と融合するよりかはむしろ派手にやった方がいいのさ。
これが坂口安吾なのである。 サグラダ・ファミリアやサンピエトロ大聖堂と銀閣寺では対象的すぎるわなw >>26
徹底的に人工物にこだわる人も居れば、自然といかにうまく調和することができるかにこだわる人も居る。
韓国あたりは、日本の自然との調和という考え方が全く理解できない人が居るようだ。
隣の国なのに、その辺が全く違うというのが面白い。 日本人だと豊臣秀吉や織田信長の審美眼は大陸の皇帝そのもの 徳川家康が我が亡き後には日光に質素な祠だけを立てろと命じたのに
豪華絢爛な装飾品で着飾った東照宮を建立した徳川家光も中華皇帝の美的感覚に近い 日光東照宮
三十三間堂
東大寺
清水寺
金剛峰寺
延暦寺
厳島神社
日本での大陸的建造物の代表格。 何か自分の知ってる建築を列挙してるだけだな
大陸に厳島神社のような寝殿作りや金剛峰寺のような檜皮葺や清水寺みたいな懸け造りの建物がどこにあるの 前にアメリカ人と一緒に京都奈良を旅行したとき、「ベリーゴシック」と
連発していたな。
たぶん意味合い的には古くてシブいという感じかな? >>34
中国台湾の道教儒教仏教寺院をよく調べてからいいな。
チベットの密教寺院を見るがいい 高野山金剛峰寺の華麗なるパンテオンは日本風にアレンジしたチベットポタラ宮殿そのもの >>25
ブルーノ・タウトは究極の純日本美を桂離宮の中にこそ見出した。
ああいう人間から見れば日光東照宮は俗悪極まるバケモノ屋敷にしか見えないんだろうな。
実際にタウトは東照宮を「珍奇な骨董品」だと酷評してる どの国の宗教建築物も派手に派手すぎて日本庭園風の美的感覚に近い国が探しても見当たらなかった。
イスラーム建築も外装が色彩派手すぎてね。
もしくは世界で日本だけかもしれない。 >>39
ノートルダム大聖堂みたいな終末漂う世紀末的キリスト教大聖堂ばかり見せられてきた欧米の建築家には日本庭園ほど新鮮的な美はないのである。
これこそ空間が作りえし永遠なる大宇宙の自然美なんだと!! ドナルド・トランプは紫禁城に招待されてすっかり舞いあがってしまった。
あれでは日本美は理解できない。 思うんだが。
究極の日本美とは 無の空間が作る沈黙の美 これではないか。 銀閣寺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>金閣寺>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>サンピエトロ大聖堂>>>>>>>>>サグラダファミリア>>>
>>>>>>ノートルダム大聖堂>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>紫禁城 >>44
>>23
↑こういう中国を批判したいだけの反中キチガイのバカのせいでこのスレは台無しとかす。 >>42
見方を変えれば日本式建築には何も感じなかったトランプを舞い上がらせて抱き込んだ
紫禁城の圧勝であろう。
紫禁城>>>>>>>サンピトロ大聖堂>サグラダファミリア>ノートルダム大聖堂>>>>>>>銀閣寺>金閣寺>東大寺 日本が巨大建造物で逆立ちしても大陸に勝てるわけなかろう。 >>36
お前こそよく調べて書けよ
大陸であんな神殿造りや檜皮葺みたいな防寒性が低い建物がありえるか?具体例挙げて見ろよ
チベットやブータンのゴンパは壁引っぺがしたら清水寺みたいだな何か関連性があるのでは自分も考えたことがある
しかし西洋や中東の建築と一緒で壁構造で、西アジアの影響が強いらしい >>48
だから、何度も書くが、日本は石材の調達が困難な地質で、東洋の木造建築の流れで、
気候的に湿度が高いから、調湿性に優れた木造の建築が発達したわけで、
別に技術的に劣ってるわけでもなんでもない。
だから、西洋から組積みの技術が入ってきたら、それをあっという間に吸収して自国の文化にしてしまったわけで。 銀閣寺に行ってみ。
落ち着くし、癒やされるやんか。
マイナスイオンが出てます。
紫禁城とかサンピエトロ大聖堂は落ち着かんし、癒やされんやんか。
プラスイオンが出てます。 >>49
日本は石灰岩と花崗岩の世界有数の産出地だけどな
逆にオランダは国土のほとんどが埋め立て地で石材は外国から輸入していたけど石造が一般的なわけで
結局のところ技術力次第で調達が容易とか困難とか関係ない >>48
何言ってんだ?
密教建築寺院は大陸から流入したものだろ?
本物のバカだおめええええ 仏教寺院建築技術は奈良時代に中国朝鮮から伝わったものだろうが
蘇我氏なんか渡来人そのもの >>50
日本庭園や禅寺は癒されるかもしれないが迫力や熱気や上昇心はない。
キリスト教大聖堂は世紀末的すぎて宗教的光悦感に浸れる。
唯一神の圧倒的な力を感じ取られる。 東大寺や飛鳥寺が大陸や半島からの渡来人技術者が作った歴史的事実が存在する。 渡来人技術者だけやないで。
日本人技術者も一緒になって作ったんやで。
日本人技術者の意見や美的感覚がふんだんに取り入れられて完成したんやで。 紫禁城にしても、タージマハールにしても、統一の象徴なわけね。
大仏にしても、当時の日本の仏教界の頂点の象徴なわけよ。
単純にそういう権威を見せびらかすのが意味がある場合に巨大建造物が作られる。
仁徳天皇稜もそうだろうし、古代の出雲大社(高床柱が30mくらいの高さになるやつね)
そう。
日本では、古代期や戦国期の信長や秀吉などは別にして、連合的性格の強い政権が歴史的に多い国だったから
あまり権威的な建造物が作られなかったというのはあると思う。
日本では控えめな美徳が好まれる。 >>55
日本に寺院建築技術を持ち込んだのは渡来人だからな
これは揺るぎのない真実 サウジアラビアのカアバ神殿はわりと日本的。
視覚より聴覚を重んじる偶像崇拝絶対禁止のイスラム教だからそうなってるのかもしれない。 日本でも仏教寺院なんて大陸色が強すぎる大陸的建造物の代表格じゃないか。 >>52
馬鹿はお前だよ
よく調べてから書こうな
悔しかったら中国の白木造りや檜皮葺の寺院建築を出してみな
https://kotobank.jp/word/檜皮葺き-614467
>檜皮葺は、千数百年の長い伝統技術に裏打ちされて、日本独自に発達を遂げた屋根葺技術です。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1513345582/l50
>中国建築の多くが木材の露出部を彩色するのに対し、日本建築では白木のままを基本とするなど、中国とは異なる特質を有している。 >>58
技術は渡来系でも、それを作ろうという意思がなければ建物は出来なかったわけで。
平安時代以降、巨大寺院建築があまり出来なかったのは、仏教の性格が変化したからだろう。
奈良時代までは、仏教は華厳宗のような国家宗教で政治と結びついて、中央集権の象徴だったけど、
平安以降は、宗教として独立して、現代に通じる宗派が時代を経るに従い増えていったわけで。
寺院建築も宗教建築として純化したから、規模もそれほど大きなものは必要なくなった。
日本に大きな建築ができなかったのは、技術力云々ではなく、単純に必要なかったから。
わかるかな? 奈良時代の仏教建築はわりと規模重視でとくに東大寺の大仏殿の大きさは同時代の唐の長安城の太極殿や大明宮すら凌ぐ
通常、中国では皇帝の宮をしのぐ建築は作れないのだが日本の場合は皇居より寺院のほうがはるかに規模がデカいのが特徴
平安時代になると神仏習合と共に土着の建築様式と混じり合い、それまでの巨大な柱に朱丹を塗り付けて権威を誇示する中国的な様式から
白木造りや檜皮葺が取り入れられ柱は細く天井は低くなり落ち着いた雰囲気になった
詳しくは「中世和様建築の研究」を読め 中国と日本のお寺とか建築に詳しくない素人でも一目で区別つくぐらい屋根の勾配や色合いが違うけど
同じに見える人って色盲と発達障害併発してるのかな >>64
誰もそんな話題 話してないんだけど。
意味不明に煽るなよ。
>>63
今残る東大寺大仏殿は江戸時代の建築様式だって知ってる? 今残る東大寺より奈良時代の東大寺のほうが大きかったって知ってる?
しかも当時はどのお寺も中国の宮殿みたいに青丹で極彩色に塗られてたって知ってる?その調子じゃ知らないか 創建時の東大寺の規格及び様式については
日本美術全史の第一巻のほうで触れられてるからまぁ読んでみろよ >>66
悪いけど、そんなもん常識だろw
屋根の勾配も昔のが緩やかだったしね。
江戸時代のは2度目の再建だって知ってる?
その様子じゃ知らないか?
w 何マウント取ろうと必死こいてるのコイツ
ネットの便りのお前とは知識量が違うってことぐらいもうわかってるだろうに 奈良時代のオリジナルはもっと中国中国していたが、再建のたびに日本人好みの
デザインにされていったのかもしれんな。 >>61
お前どこまで低脳バカだな。
飛鳥寺や東大寺や法隆寺を建築したのは渡来人技術者であるのは歴史の事実なんだよ
経典、仏像、寺院建築の三位一体で仏教として日本に伝来したんだろ 飛鳥奈良時代に寺院建築と仏像彫刻を持ち込んだのは中国朝鮮の渡来人。
それから時間がたつにつれ神道と融合して日本風になってきた。
まあ日本でも仏教寺院ほど大陸建築の臭いをさせるものはない。 >>62
>平安時代以降、巨大寺院建築があまり出来なかったのは
おめえ本当に歴史を知らないバカの極みだな
東西本願寺の巨大さを目の当たりにしてから言えよw
東本願寺みたことあるのか?
ないからどこまでバカを曝け出すことができるんだろうなw 日本の寺院建築に関しては良くも悪くも完全に中国大陸の遺伝子を引き継いでる。
譬えは変かもしれないが日本風仏教寺院は日中混血建築みたいなもんなんだ。 日本の現存する近代建築も大切にして欲しいわ。戦前の建物は空襲で大分失ったけれど。 なんか意地でも日本の寺院建築は大陸的ではないと決めつけたがる知恵おくれがいるんだよなあ。
むしろ俺は日光東照宮などの色彩豊かな道教寺院建築が好きなんだが。 日本に残る大陸的建築の最高峰と言えば
やはり日光東照宮かな? なんかこのスレ、遺伝子真っ赤っかのafb1b3臭というか、ハノイハノイ臭というか、
台湾ブタ広鼻臭というか、台湾巨大タラコ唇臭というか、インドシナ華南臭というか、
ハッカクを帯びた東南アジアのクッサイ汚らしいニオイがしてきたな。 >>78
久能山東照宮なんかも道教色全開の大陸パワーを感じさせられる。 >>72
世界最古の木造建築物である法隆寺を建築したのが渡来人である以上は
寺院建築=大陸技術であることが宿命として決定づけられている。 厳島神社なんかもゾロアスター教徒のペルシャ系渡来人の影響を強く受けているとか。 こうしてみると純日本建築を探してみるのが大変だな。
何があるんだろうか?
そもそも大陸の影響が一切存在しない純日本建築は存在しないのか? >>74
つうか、君、人の言わんとしてることわかってないよねw
あのさあ、寺院としての規模なら東本願寺とかそんなもん凌いでるのは比叡山とかだろってのw
今問題にしてるのはモニュメントとしての巨大建築だろってのw
一つの建物としての規模が巨大な物の話してるのに、”建物群”の本願寺出してくるとか馬鹿なの?w
w コイツはマウント取りたいだけの猿だからほっとき
起源とか言い始めたら仏教建築自体がインド伝来で中国固有のものではないだろうに こうしてみると純中国建築を探してみるのが大変だな。
何があるんだろうか?
そもそも中央アジアやインドの影響が一切存在しない純中国建築は存在しないのか? 痛いとこ突かれて自分の意見否定されると、”こいつはマウント取りたい”だけとかほんと馬鹿なのかな?w
幼稚な自分本位のレスしてるから、痛い思い込みを突っついてるだけだよw
日本の建築がもともとが輸入された技術により確立したのは事実だが、そこから2千年くらいへて、
日本独自の技術、日本の気候・風土・趣向が加わって、今の高度な日本建築が出来上がって来たわけだよ。
それを何も知らないくせに知ったかの自分の思い込みで批判するようなこと言うから、
そんなもん傍から見てると方腹痛いっつのw
君、恥ずかしいよw 中国や日本の仏教建築の特徴は一目でわかるが朝鮮は何があるんだろうな
独自色を打ち出す前にする前に衰退したという印象 寺院建築は朝鮮帰化人が伝えたものなのに、大元は廃れてしまったと。
神社建築も弥生人が朝鮮南部からパクってきた高床式倉庫の建築技術がベースなのに、
朝鮮の高床式倉庫は早々に廃れてしまった。 高床式倉庫とか世界中に普遍的にあるものでどこが起源とかないでしょ 高床式は明らかに南方の建築技術だろ。
朝鮮は冬が寒いから、高床式だと底冷えしてしまう。
北方のオンドルが朝鮮全土に普及するわけだ。
日本では、高床式は倉庫に限らず、貴人の住居として使われた。
だから神社は高床式建物。出雲大社も巨大な高床式建物だった。
朝鮮からパクったんじゃなく、縄文中期には列島にあったわけで(三内丸山遺跡などの例)、
支配階級が住居としたのは、彼らの源流がそちら方面にあるということだろう。
朝鮮で廃ってしまったのは、元からの技術ではないということだろ。
気候的にはまったく朝鮮には不向きな様式なわけだしね。 三内丸山は高床式倉庫跡じゃないよ。
冷静に考えてみな。
周辺の遺跡に全然伝わってないじゃないの。
5〜6000年前に三内丸山に一棟だけ作って、その技術を三内丸山だけで
握り潰してお終い。
で、次に青森に高床式倉庫が現れるのが、その3〜4000年後の弥生時代後期とか、
そんな馬鹿な話があるか。
三内丸山は高床式倉庫跡ではありませんよ。
高床式倉庫は稲作をパクってから100年くらい後に同じく半島からパクっただけ。
松菊里型住居とセットで高床式倉庫が初登場するから半島からパクったものだと分かる。 日本人は半島から教わった歴史を屁理屈で否定したがるな
これでは学問も何もあったものではない >>96
全然説明になってないよw
>>97
屁理屈じゃないだろ。
現に朝鮮に高床式も棚田も何も残ってない。
風土に根付いたものならなんらかの形で残りそうなものだが、現代では跡形もない。
それよりも、三内丸山を否定する事の方がよほど屁理屈だと思う。
アイヌにも”プー”という高床式倉庫が残っているのにねw >>98
三内丸山が高床式倉庫なんてありえない。
5〜6000年前に一棟だけ作って周辺に一切伝えもせず、次に青森に高床式倉庫が
現れるのが、その3000年以上後の弥生後期だとか、常識的に考えてありえないでしょ。
アイヌの高床式倉庫は弥生後期以降に本州から伝わっただけ。 >>99
だとしたら ”クラ”とか日本語に近い名前になりそうだが ”プー” だからなw
ねえ、あなたこそ、なんの根拠も示さず、おもい込みで言い切ってるだけにしか見えないけど。
w >>100
三内丸山は高床式倉庫跡の可能性があると言っているだけで、確定ではないんだよ。
それに根拠をちゃんと示してるじゃないか。
高床式倉庫という素晴らしいテクノロジーを持ちながら、一棟しか作らず、
周辺の遺跡にも一切伝えず、それで終焉。
次に青森に高床式倉庫が現れたのは、それから3000年以上経った弥生後期以降だった。
おかしすぎるだろ。
丸木舟も本州からアイヌに伝わったと思うが、フネじゃなくてチプと言う。
言葉はあてにならない。 >>94
日本の水稲の栽培の歴史は朝鮮よりずっと古いけど まあ、何にしろ、
朝鮮に高床が残らなかったのは無視できない現実なのに、
それを不自然に無視しない方がいいよw 朝鮮南部のオクキョン遺跡はBC11Cの稲作遺構。
日本の最古水田菜畑よりも古い。
>>102
で、そんな詐欺を働いている考古学者の氏名と所属団体は?
台湾ブタ顔 ブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇 ハノイハノイ黒人形質原人の方wwwwwwwww >>103
残ってるみたいだぜ。
向こうでは高床式倉庫と呼ばず、棟持ち式掘立式建物とかいう表現で分かりづらい。 失敬。
あちらさんは棟持柱建物とか言ってるらしい。 失敬。
あちらさんは棟持柱建物とか言ってるらしい。 失敬。
あちらさんは棟持柱建物とか言ってるらしい。 厳島神社もゾロアスターの影響が強いのか
平家はペルシャ渡来系だという話もあるからな 話は変わるが日本の石造建築は見ものがない
まさにアンコールワットは世界遺産だが 大陸の巨石を刳り貫いた石造建造物の方が自然との調和を果たしてる気もするがね。 >>105>>106>>107>>108
>向こうでは高床式倉庫と呼ばず、棟持ち式掘立式建物とかいう表現
>あちらさんは棟持柱建物とか言ってるらしい。
これ見ると、日本語でもそう言ってるけど
棟持柱(むなもちばしら)建物
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%A3%9F%E6%8C%81%E6%9F%B1%E5%BB%BA%E7%89%A9&rlz=1C1KMZB_enJP589JP589&oq=%E6%A3%9F%E6%8C%81%E6%9F%B1%E5%BB%BA%E7%89%A9&aqs=chrome..69i57.2189j0j8&sourceid=chrome&ie=UTF-8
単に学術用語だと思うけど。 最古水田菜畑にはまだ高床式倉庫はない。
その100年くらい後の江辻遺跡から松菊里型住居とセットで高床式倉庫が
登場してくるの。
明らかに半島からパクった建築物。 >>110
インドネシアのボロブドゥール遺跡もだが石造仏教建築のほうが信仰心の厚さを感じられる。 >>113
パクるという表現するからイメージが掴みにくいんだわ。
伝わって来たと言えよ。 >>114
>石造仏教建築のほうが信仰心の厚さを感じられる。
はい、個人的感想ご馳走様。
w >>115
わざとパクったという表現を使ってるんだよ。
伝わるという表現はあたかも半島人が渡来定着して伝えたかような勘違いを招くから、
俺は絶対に使いません。
江辻遺跡も朝鮮土器遺構じゃありません。
つまり担い手は弥生人自身。
弥生人自身が半島から取り入れた、或いは導入した。
もっと簡単に言えば、弥生人自身が半島からパクった。 >>116
石造は木造より精密技巧が難しいだろ?
それでも石造で表現するんだから仏法に対する情熱と意志力がないと無理。 >>103
そんな事を言っても韓国起源の歴史は消せないけどな >>119
起原じゃねえよw
韓国のもどっかから伝わったのは間違いない。
だって冬の寒い乾燥した韓国の風土の建築ではないからな。
なんでも日本のものは韓国起原にしたがるのは韓国人の悪い癖だねw >>117
>伝わるという表現はあたかも半島人が渡来定着して伝えたかような勘違い
勘違いではないよ。
”ある程度” は事実だろ。
ただ、誰かが思い込んでるような、あたかも民族交代するようなことは無かっただろうけれど。
日本も百済と同じように、支配層と被支配層に分かれていたと思う。
でも日本の場合、ほかの国ほど厳密ではなく、いつの間にか地元勢も再び支配層に食い込んでいったのだが。 >>122
おまえリアルビビンバ人だろ。
この際、明確に言明しておくが、
弥 生 期 に 半 島 人 が 渡 来 定 着 し た と 断 言 で き る
集 落 遺 跡 な ど 一 つ も な い 。
我々日本人を形成した弥生の渡来人は沿海州南岸から渡来した北方アジア人である。
あなた方、半島人はただ我々の文化や技術の吸収に役立っただけのアウトサイダーである。
その節は我々の祖先がどうもお世話になりましたね(嘲笑 日本語と朝鮮語が文法レベルで似てるのが、民族同士関係を物語ってるだろw
いいかげんそこらへんは認めなよ。
その上で日本人と朝鮮人の違いを語れよw
認めるとこは認めて、否定すべきは否定するのが筋。
俺は別に、何処かの誰かみたいに日本人が民族交代したなんて言ってるわけじゃないのに、
俺を半島人扱いするのはおかしいだろってのw 文法だけならトルコ語やカザフ語、ウイグル語、満州語も語順は大体日本語と一緒だが
韓国語は母音調和が見られたりフランス語なみにリエゾン多用したり、単調な日本語と比べて発音が相当複雑 >>126
基礎語彙と音韻が日本語と朝鮮語の大きな違いだが、助詞などは日本語とまるで同じと言って良いほど似ている。
そこはなんとも不思議な関係だよね。
>>125
朝鮮と日本の関係を異様に否定しようとしてるあなたの方がなんか負い目があるように思えてならない。
隣国なんだから、長い歴史の間、なんらかの関係があるのは当然なのに、
それを否定しようとするのは不自然すぎるっつのw
あなた頭悪いよw 日本語と朝鮮語は少なくとも5000年以上の開きがあるとか。
近いけど、さほど近い言語ではないそうな。 >>128
とは言っても、他のアルタイ語やアイヌ語よりも現代の日本語と似ている事は否定できない。
日本語と朝鮮語の間には、既に亡んでしまった言語(高句麗語や百済語の扶余系の言語?)があっただろうと言われているが、
現代に残る言語の中では、お互いに一番似た言語なのを否定するのは難しい。 だが、スペイン語とイタリア語ほどには似てないでしょ。 >>130
基本的に系統が違うからな。単語と音韻は特に全く違う。
が、言葉の形が似ている。語順と”てにをは”が特に似ている。
例えば語尾は肯定形の”〜ダ”、強調形・命令形の”〜ヨ”、疑問形の”〜カ?”などは耳で聞いてもわかるくらい
助詞だけ聞いていると、同一言語と言って良いほど似ている。
この点が両言語の関係の不思議なところで、
歴史的に比較的近い時期に(多分古墳時代くらい)なんらかの強い結びつきが両言語にあったと思わざるを得ない。 無いだろうね。
自然の中にお邪魔させてもらってる、自然を利用させてもらってる、という発想で庭園を築くのは日本独特だろ。
インドとか東南アジアとかも、こと建築物に関しては人工的になるからな。
日本人の場合、アニミズムの影響が強いんだろうね。
あと、自然を制すべき物としてじゃなく、一緒に調和するものとして考えているんだろうね。
それだけ自然環境が他の地域に比べ穏やかだったというのはあるかもね。 イスラーム建築に神社建築的なものを感じたことがある。 日光東照宮と桂離宮は太陽と月の如き両極地に位置してる。
日光東照宮に感動してる人間に桂離宮は作れまい。
桂離宮の空間美に陶酔してる人間に日光東照宮を作る気にはなれまい。 >>129
似ていると言っても、印欧語が祖語から別れた時期よりも古いんだけどなw
「同系と証明できないほど遠いけど、印欧語よりは近い」と言う程度。 >>137
いまさら印欧語出してくること自体が変。
あくまで近隣の言語と比較しても、
日本語と朝鮮語は両者にとって一番にた言語 ごめん、誤操作で中途で投稿しちゃったw
で、
両者にとって一番似た言語ということ。
両言語とも、系統的に孤立している言語と言われているが、隣同士の地域なんだから、長い歴史の間、濃厚に接する時代があっても至極自然だろ。 まあ、日本列島に朝鮮半島から石刃技法を持った旧石器人が侵入したのが、
35000くらい年前だから、それまでは同じ言語だわな。 朝鮮語は南シベリアや満州から南下してきた一部族の言語。
おとなりさんになったのは今から2000年ほど前の話であり、日本語と朝鮮語が太古から隣接していた訳ではありません。 >>139
長い間隣接していても発祥が全く違っていれば別言語です。
アラビア語とペルシア語は隣接していますがまるで違う言葉ですよね?
朝鮮語と日本語が隣どおしになったのは今から2000年くらい前の話でしょう。
両言語は期限の違う別ものです。 建築ももちろんだが、林業の歴史にも最近興味がある。
最も重要なエネルギーと資材獲得の手段だよな。 日本林業経済史論とかズバリな論文がネットで読めるよ
杣工の歴史を調べてみるのもおもしろいかも >>142
>朝鮮語と日本語が隣どおしになったのは今から2000年くらい前の話でしょう。
もっと前だろ。
ただ、その時期、お互いの言語は確立してなかったろうけれど。
>>143
>ほんとに朝鮮が好きな奴らだな
好きとかなんとかじゃなく、朝鮮半島との関係を考えることなく古代日本の成立を考えることが出来ないからだろ。
目が細くて、あるいは顔が平らだとかで、キモイから嫌だとか言うのも勝手だが、
もしおまえが先祖代々の日本人だというなら自分の顔鏡でよく見てみろよ。
日本人は否応なく自分が東洋人の一派なのは間違いないのがわかるから。
大半の日本人はそういう感想を持つだろう。
まあ、その頃の半島の民族は、おまえらの嫌いな朝鮮人とは別な民族だったろうけれど。
現代の朝鮮半島人の気質が出来上がったのは、李氏朝鮮以降だろうけれど。
おれも現代の朝鮮人の気質は嫌いだし理解しがたいよね。
でも、そんな感情と歴史って別物だろう。
好きだろうが嫌いだろうが、歴史上起こった事実は覆らない。
歴史は、妄想じゃなく多方面の検証から考えるべき科学なんだよ。 日本人の目が細くて顔が扁平という要素は沿海州から入ったもので、
朝鮮から入ったものではないけどな。 >>148
最近、たくさんの北朝鮮のオンボロ漁船が日本海沿岸北部各地流れ着くのを見る限り、
沿海州からの直接渡来も少なからずあったのかも知れないが、
それらは日本渡来の主流ではないだろ。(北朝鮮漁船のパターンも大半死んでるじゃん)
大半は朝鮮経由の扶余系だろ。 >>149
で、扶余系が朝鮮経由で渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる扶余系土器は? >>151
おまえが言ったんだから、おまえが日本に伝わっている扶余系生活土器と
それに対応する扶余側の土器を提示しないと。
それができなければ149は考古学的に立証できずで破たん。 >>153
>おまえが言ったんだから
土器については俺は何も言ってない。土器以外にも指標があるから。
土器については、おまえが言い始めたにすぎない。
責任を持って ”扶余系土器” 説明すべきは おまえなのが筋として当たり前。
早く説明しな。 >>154
だから朝鮮経由で扶余系が来たんだろ?
考古学的立証が求められるのは当たり前の話じゃないか。
で、扶余系が朝鮮経由で渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる扶余系土器は?
. 平たい顔族の目が細くて釣り上がってるのは日本人自身なんだけどね
それを半島の地だのなんだのナチス党みたいなこと言ってるのがネトウヨ >>156
要は、日本人も朝鮮人も、顔の作りは五十歩百歩なんだよ。
それをお互いにイメージで貶めあうのは、客観的に見てアホくさくて滑稽な模様w
それより、現代の両民族の大きな違いは民族性。
一見清楚そうだが、実は非常に自己主張の強い朝鮮民族。
一見親切そうだが、人との協調性・同化を強いる日本民族。
隣なのに、お互いに中々相容れない考えを持つ両民族。
解決策は、お互い偏見持たずに歩んできた歴史を学ぶことだと思うのだが… 顔の話はどうでもいいや
日本建築のルーツ話は藤森照信が良く書いてるんだけど、藤森氏は半分アーティストなので本当か?と言いたくなる説も多いw
飛鳥時代や奈良時代に仏教と一緒に道教が入ってきて、飛鳥の酒船石も道教系という説があるな
蘇我馬子の屋敷に道教式庭園があった説とか >>154
で、扶余系が朝鮮経由で渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる扶余系土器は?
. >>1
とてつもない独裁者が出て、
どえらい建築物を作らないとなかなか発展しなかったと思うぞ。
桓武天皇くらいまではそれなりに力があって、
お寺さんや大仏を作ったから、建築技術が発展したけど、
そのあとは単発的に平清盛や足利義満がちょっと派手な建物を作っただけで、
次なる飛躍は信長の時代まで待たなければいけなかったからな。
明治以降は近代資本主義になったから、民間の金持ちがそれなりのものを
作るようになったけど、欧米の金持ちと比べるとなぁ >>160
おまえ、どうせ>>1と同一人物なんだろ。
だから、日本は建築技術が発展しなかったんじゃなく、発展の方向が外国とは違ったということだっつうの。
石造りだから、巨大建築だから、特別技術が発展してるわけじゃないだろってのw
日本の技術力が高い証拠に、現代では耐震の高層建築に関しては世界一だろが。
そんなに古い巨大建築が好きなら外国に行って良いだけ堪能して来いよ。
日本の文化とは違う雰囲気を味わうのは良い事だが、それらを無理やり日本に当てはめようとするのは
考え方が変だよ。 高層建築の耐震性は微妙だよ日本建築は
天守とか本来は高層建築には向かない角柱を使っちゃってるし
円柱と比べて負荷が均等にかからないからかなり不安定な構造なのよ 神社仏閣を例に挙げて建築を語るのはそもそも間違い
ヨーロッパで言ったら教会建築だけを挙げるようなもの 日本の建築がしょぼいのは朝鮮や中国にも責任があるだろうな
東アジアの中で日本の建築技術だけ突出するなんてことはありえない >>163
だから日本は岩盤質の大陸と違い、良質な石材が取れにくいからだろ。
火山灰土の日本は、軟石とか石灰岩とか比較的軟らかい石材はそれなりに取れるけどね。
>>166
>日本の建築がしょぼいのは
おれは別にしょぼいと感じたことは全くないけどな。
君、よっぽど日本の建築嫌いなんだね。 >>154
で、扶余系が朝鮮経由で渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる扶余系土器は?
. 射精エベンキ発狂してんなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
日本人の平たい顔族の起源は三国史記に書かれてる通り倭人が新羅から王の娘を貰っていって性奴隷にして産ませた結果だwww
スレ違いのエベンキ建築はお呼びじゃねーよ >>169
なあ、ハダオド、なんでブタ箱から出てきたんだよ?
ここ、比較的まともなスレなんだから、来るなよ。おまえの居場所じゃないよ。
おまえいなくてすっきりしてたんだから。
まともに生きろよw どうした顏をキムチレッドにして
倭人のパンパンにされるのが射精エベンキの宿命だろがwwwwwwwwwwwwwwww >>167
>だから日本は岩盤質の大陸と違い、良質な石材が取れにくいからだろ。
岩盤地質ではない陸地は存在しないのですが
日本はひょっこりひょうたん島みたいに海に浮かんでいるのですか?
>火山灰土の日本は、軟石とか石灰岩とか比較的軟らかい石材はそれなりに取れるけどね。
普通は加工しやすい石材が豊富な地域ほど石造建築がはやくから発達するんですけどね
日本で総石垣が最も早く普及したのは沖縄ですが、グスクの石垣なんてもとはサンゴから出来た石灰岩ですよ 硝石が取れないわ人骨が残りにくいわの酸性土壌なのと関係ある? >>167
>岩盤地質ではない陸地は存在しないのですが
あのさあ、君 馬鹿なの?w
日本の場合、火山灰に埋もれて岩盤質が底に沈んでるんだけどw
岩盤質が表に表れてる場所が少ないから、石材が採取しにくいことくらい常識だろがw
何を訳のわからん理屈こねて逆らおうとしてるわけ?w アンカ間違えたw
もとい
>>172
>岩盤地質ではない陸地は存在しないのですが
あのさあ、君 馬鹿なの?w
日本の場合、火山灰に埋もれて岩盤質が底に沈んでるんだけどw
岩盤質が表に表れてる場所が少ないから、石材が採取しにくいことくらい常識だろがw
何を訳のわからん理屈こねて逆らおうとしてるわけ?w お前の住んでるパラレルワールド「日本」はサイレントヒルみたいに常時、火山灰が降り注いでる地域なのか?
生憎、こっちの日本では火山灰で埋もれてる地域なんてまずないんだわ
こっちの世界では木曽山脈とか北上山地、筑波山地、八溝山地、阿武隈山地とかいくらもで花崗岩が露出してる
河川敷行けば川原石がごろごろしてる
ヨーロッパ何て花崗岩が堆積岩の下に埋もれてるから、わざわざ地下深くまで掘り進んでまで採石するわ
オランダなんて国土のほとんどが湿地帯か干拓地で石材が取れなくてわざわざ石材を海外輸入してるぐらいでな
それに比べるとお前の世界の「日本」と比べて石材には何かと恵まれてるんだわ 火山灰に埋もれた日本ってSF系ディストピアっぽいな。
諸星大二郎か永井豪作品にありそう。 >>176
君、極めて脳が膿んでるねw
誰が木曽山脈とか高山から石材取ろうと思うわけ?www
可住地というのもあるしなw
整合性も確保できる能力も無い癖に屁理屈言うでない。
何がパラレルワールドだっちゅうのw 実は、北海道でも寒冷地適応されてない旧モンゴロイドのアイヌ系住民よりも、
寒冷地適応済みの弥生系大阪人のほうが寒さに強いのは、ご存知ですよね。
したがって、関西出自の北海道人の方が土着の北海道人よりも寒さに強いんですよ。
つまり、寒さに強すぎるがうえに、建築技術も発達しなかったのでは? 大阪は夏は熱帯だからな。
冬よりも夏を涼しく過ごせる事の方が優先。 >>176
>河川敷行けば川原石がごろごろしてる
ためしにそこらの川原石で石組み組んでみろよw
丸い石で簡単に石組みできると思う?
そういえば”北の国から”というドラマで、川原石を使った石組みの家作ってたな。
北海道は、本州ほど夏場湿気らないからまだましなのかもね。
北海道は一時期ブロック建築も良く作られた。
保温性の面で木造建築より有利だと言われていた。
でも最近ではあまり作られてない。
ブロックや繋ぎのモルタルが凍害や経年劣化しやすいのもあるし、やっぱ敵は湿気だろうね。
欧米に比較的気候の似ている北海道においてさえ、日本の気候は組積みにはあまり適していないという良い例だろうね。 >>180
>建築技術も発達しなかったのでは?
あのさあ、何度も言うけど、
組積造が発達しなかったから建築技術が発達しなかったという発想はやめっつのw
材料の調達のし易さ、加工のし易さ、建築物へのイメージ、その地域の地理や気候や文化、
周辺の国々からの影響、などなどがすべて合わさって、日本は木造建築が発達するほうへ向かっただけだろ。 日本の建築、世界一シブくて好きだけどな。
書院造で茶の湯を開く千利休なんかシブ過ぎてタマらんじゃないか。 >>179
木曽石って知ってる?
これどこから採ってきてると思う?
わざわざ天辺まで登る必要ないよね
>>182
富山城とか高岡城とか川原石の使用は加工しやすく運搬も容易だから割とポピュラーだけど
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/toyamajyo/isigaki/tyoutatu.htm
>これらの築石をよく見ると、丸くすべすべした面が残っており、川原
>石を割ったものであることがわかります。
>しかしどの河川の石を利用したかは科学的に証明されていません。それらの石は富山県東部の河
>川の多くに存在するからで、肉眼観察では、花崗岩は早月川・片貝
>川、安山岩は常願寺川あたりが主な候補地です。
>川原石は現地で割り、筏などで川を下り、神通川河口を経由して城に直接運び込むことが可能であったため、大量の石をいっせいに集めることも容易だったと思われます。 湿気とか言い始めたらインドやネパールとかどうなるのって話
モンスーンが吹いてる時期とか日本とは比較にならないでしょ 木が簡単に手に入るこの日本でなんでわざわざ重くて運ぶのが面倒で柔軟性に欠け加工も難しい上断熱性にも劣る石材なんぞで家を作るなんて発想ができるか
少しは考えて物を言え!
古来、我が国において石の中に住むのは死人くらいのもんと決まっておるわ! うんなこと言い始めたらインドやネパールとかどうなるのって話
単純にパクリ元の中国にその技術がなかったから作れなかっただけでしょ
日本建築はすべて中国のマイナーチェンジなんだから 湿度が高いフィリピンでも1階石造、2階が木造。
地震が多いギリシャ、トルコも1階石造、2、3階が木造。 >>8
>現在でも耐震技術において世界トップクラスじゃん
現在、ビルや新しい住宅が耐震技術において世界トップクラスなだけで、
大地震で在来の木造住宅は余裕で壊れている。九州を知らないのか? 日本の伝統住宅は荷重がすべて柱にかかる構造になっているのに
上部からの圧力に弱い角柱にわざわざ手間暇かけて整形してるのだから、そりゃ地震に弱くて当然 江戸時代に火災対策で瓦屋根にしたら屋根が重くて地震に弱かったアヒャ あーあ、いくら言ってもわからないやつらw
>>188
日本には石積みで家屋の壁を作る発想が無かったから、
石が比較的手に入りやすい地域でも土塁・石垣や基礎石に使われるにとどまった。
にしても、今のように交通の発達してない昔では、大量の石を遠くに運ぶのは困難だろうし、
概して、日本では石材が手に入り難いのは確かだろ。
そして、せっかく良質の木材が豊富なのに、なぜわざわざ重くて崩れやすい石材をわざわざ遠くから運んできて壁を作る必要があるのよ?
あと、湿気の強い気候では、木造建築が湿度調整の機能を持っているのも確か。
南・東南アジアで石材を使った城や寺院などを使った建築が多いのは、
その地方の文化のルーツもあるだろうし
(東南アジアの文化は、中国の影響のあるベトナムも含め、インドの影響が強い。フィリピンは欧米の影響強い。)
それらの地域の庶民の家を見ると、やはり手に入りやすい木材を使った建築が多い。
西アジアにいたっては、木材が手に入りにくいため、庶民の家は土壁などや日干しレンガになる。
欧米も、木材の豊富な地方は、庶民の家は木造の建築、木材の少ない地方は土壁や石積みになる。
日本に比べると、石材が身近に手に入るしね。
だからイギリスのストーンヘンジのような巨石建造物が作れたのだろうし。
オランダも、庶民の家は木材だったろうし、時代を下るとレンガなどになるわけ。
城や寺院などは、権力の象徴として、文化の流れとして石積み・レンガ積みの建築が多い。
山がちな日本に比べ、比較的平坦なヨーロッパでは(アルプスなどの山岳地方を除いて)
陸運で石材を運んだとしても比較的容易だったろうしね。
まあ運河や海運が発達した時代は船が主だったろうけど。
とにかく、その地域の建築物の様式は、手に入りやすい材料と、気候と、文化の流れの影響が強いというのは確かだろ。
日本の建築が発達してないとかいう発想は馬鹿すぎるわw イギリスの首都でさえ、ロンドン大火でようやく木造が禁止になった。
それ以前は木造だったから火事で焼けたんだよ。
今でも古いレンガ作りの4階建てアパートとかは、外はレンガだが本体は木造とかあるらしい。
古いアパートを買ってリホームした人がそう書いてた。
ドイツの伝統的民家は木造だしな。
中東は日干し煉瓦が使えるが、欧州では日干しとはいかないから、レンガを作るには
木材を燃やして固める必要がある。そんなもったいないことを庶民の家でやるのは難しい。
つーか、京都に現存する紫宸殿を、木小屋に毛の生えたものって本気で思ってんの?
たくさんのお寺やお城も木小屋に毛の生えたもの? >>197
解決!ビフォー・アフター で フランスのアパートの改修やってたけど、あれも木造骨組みだったはず。
北欧やロシアなどノルマン・スラブ地域などは、中世は城や寺院でさえ木造だったしねw
今でも木造の寺院が東欧のどこかに残ってたはずだが。
木造が火に弱いのは確かだが、それを補うメリットがあるのも事実。
それを語らず、日本の建築が ”中国の劣化版” とか抜かすセンスを疑うw >>194
木造のほうが地震には強いが?
おまいさんは今時の鉄筋コンクリートの平屋の民家が欧州にあったとでも?
中東やイタリアのレンガの家が地震でどうなったか知らんのか?
強い直下型は鉄筋コンクリートでも壊れる。神戸のビルがつぶれたり倒れたりしたのを知らんとか?
その中で、倒れずに残った木造住宅のなんと強いことかw どうせタイワチーノのスレだろこれw
ブタくせえハノイくせえハッカクくせえ ギリシャとか面積当たりの地震発生率は日本以上なのにロドス島は中世以来の街並みがそのまま
壊れずに残ってるじゃん
ローマのパンテオンとか築2000年だぞ
サンピエトロ大聖堂やバチカン宮殿も倒壊したことないし つうか運搬がどうとかも関係ないだろ
そんなこと言い始めたらユーゴスラビアとかチベットとかどうなるのって話
単純にコピー元の中国に石造建築がなかったから日本も作らなかっただけ
鎖国せず欧米とも交流が続いていれば普通に造りまくってただろ
西宮砲台、和田岬砲台とか幕末以来放置されっぱなしなのに阪神大震災でもピンピンしてるし
江戸時代水準でも高い耐震性を持った石造建築は作れていた 運搬が関係しているなら、石材の産地の近郊の町は石造でもいいはずだ。 >>204
西宮砲台は石積みじゃなくタタキだけどなw
ドーム型の建物は組積みの中では強いんだろうな。
ギリシャの建築物も 現代までもっているものもあれば、瓦礫と化している遺跡もあるわけで、
パルテノンなんかは、時にはキリスト教の教会になったり、イスラム教のモスクになったり、
色々な人々によってメンテナンス・改築されたから、もったというのはあるだろうね。
最終的には戦争で爆破されてしまって現代に至るというのが皮肉だな。 >>204
運搬は関係あるだろ。
いずれにしても庶民の家は木造が主流だったろう。
磚じゃなく、ヨーロッパのレンガが入ってきてたら、それらを使った建築も使われたかも知れないけれど。
でも、組積みのような手間のかかる建築ではなく、やはり木材で手っ取り早く立てる建物が主流なのは間違いないだろうが。 座式の生活と立式の生活の違いはあるかもね。
座式だと、石積み製の家屋は向かないだろ、どう考えても。
欧米や中国は立式の生活だから成り立つのはある。
まあ中国の宮殿も建屋は基本木造だけどね。でも床などは家屋の中も敷石だったりするわけで。
これが座式の生活だと、石造だと、冷たい地べたにゴザなどを敷かなきゃならないわけで(絶対ないけどねw) >>206
いや普通に花崗岩製だけど
つうか三和土なんて土の塊なんだから定期的に補修しないと剥がれるし百年以上ももたないよ >>207
ユーゴスラビアとか古代イリュリア時代に遡ってもずっと石造だけど
古代ローマやギリシャ、トラキア、イベリアも山ばかりだけど残ってる遺構はみな石造
ヨーロッパで木造住宅が普及するのはゲルマン人の侵入以後だろ 運搬運搬言うのならチベットのラサとかどうなるの
富士山と同じ高さだぞ 今話題のエルサレムも元は古代のエブス人の山城なので結構高い
標高800m以上のユダ山地の山頂に作られてる >>211
>>212
>>213
なんか、君、言ってる事が的外れになっているんだがw
そもそも、チベットだの南欧だのは、岩だらけの地質で遠くから持ってこなくても石材が取れると思うぞw >>214
あのさぁ・・ちゃんと読んでる?
>の石造円堡。外壁は漆喰仕上げ、
1階は床叩土ってのは床の素材でしょ
土壁が100年以上持つわけないじゃない 江戸時代、全ての部屋に畳がなく板張りで足が寒かっただろう
百姓の土間に割り竹と筵も寒そう >>216
>土壁が100年以上持つわけないじゃない
漆喰は土壁だがw
>>217
その絵見る限り、花崗岩の塊とは言えないと思うがw
むしろ ”その程度” しか産出してないと思ったほうがいいよ。
それも山岳部の高い場所が多い。
そもそも、建築の壁に石組みを採用するという発想も無かった上、
持ってくるのに苦労するデカイ石を使うより、
手近な良質の木材を使う方が楽に綺麗で快適な家ができるわけだから、使うはずも無い。
石など使っても、夏はビショビショ・冬は冷え冷えの家にしかならない訳だから使うはずも無い。
日本の建築で石造りが見られると言えば蔵くらいだろうさ。 漆喰は土壁とかイミフ
多分この子、ゆとり世代かその前後の世代の若い子でしょ
左官とか知ってる?
たぶん君の家にも使われてると思うよ
>>219
ほらよ
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_Great_Britain
これはイングランドの地質図だがGraniteつまり花崗岩地帯はほとんない
他は頁岩とかチョークとか泥岩ばかりで建築材に使える石はほとんどないのだが
じゃあ石造建築がないかというとそんなことはない
>石など使っても、夏はビショビショ・冬は冷え冷えの家にしかならない訳だから使うはずも無い。
モスクワや東京より寒いしデリーは暑いけど
つうかビショビショって何?お前の考える石って氷か何か? 日本は北欧やブラジルと並んで世界有数の御影石産出国なのに
その程度しか取れないとかないわ 漆喰と土壁の区別もつかないのに建築語ってるバカがいるのか。 >>199
地震で一番被害が出るのは火災だろ
木造が地震に強いなんてギャグもいいとこ 地震のない朝鮮にしたって日本と同じような木造建築
地震があるから日本の建築は木造になったなんてまったくの虚構
単に木造建築しか作れなかった中国文化圏にあったからに過ぎない >>4
紫禁城も木造だろ
タージマハルのようなものが中国文化圏では作れなかった
石造技術が低かったからな 中国文化圏、東アジア文化圏と言い換えてもいいが
東アジア文化圏は建築や美術関係の技術がほかの文明圏と比べて著しく低かった
中国の兵馬俑にしたって東アジアの仏像にしたってギリシャからの技術流入なしには作れなかった
建築に至っては技術水準の低さからとうとう最後まで石造建築をものにすることができなかった >>224
しかも殆ど平屋で、瓦葺は宮殿とか一部の建物だけ。 いや、お前も何か知ったかしてるだろ
古代ギリシャに兵馬俑みたいな人型の陶器作る技術はねえよ
青磁や白磁、陶磁器にしてもそうだけど焼き物に関しては中国は昔から進んでいたんだよ
クルス「中国誌」やジョージ・マカートニーの「中国訪問使節日記」にも中国製の煉瓦の頑丈さに驚く記述がある 日本も平清盛座像とか空也上人像とかギリシャ彫刻に迫らんばかりの写実性でなかなかいい線いってるんじゃない?
同時代のヨーロッパとかバイユーのタペストリーみたく幼稚園のラクガキレベルのものしか作れないほど文明レベルが後退していたし >>228
その通り。
だから縄文晩期の渡来人、いわゆる弥生人が中国からではありえないんだよ。
弥生人が渡来したBC11C頃の中国は既に原始磁器の時代。
生活土器でさえ5500年前から登り窯で高温焼成された灰陶と呼ばれる
青黒い硬質の陶質土器。
ところが弥生人たちが遺したのは野焼きの軟質の赤っぽい弥生土器。
しかも、三足や直耳や単耳や双耳の付いた中国土器の器種や器形がない。
どう見ても中国からなんて2万%ありえない。
ちなみに縄文晩期の渡来人が遺した最初の土器は朝鮮土器でもなかった。
彼らが遺した最初の土器は突出した口縁部に刻みが施された極めて特徴的な
文様を持つ土器で、この文様を持つ土器は当時の沿海州南西部にしかないのである。 >>206
タタキってお前意味わかってるか?
土間のことだぞ 万里の長城なんて明時代になってからようやく煉瓦造りになったんだからな
それまでは土塁
中国に石造文化が浸透していたらヨーロッパみたいに町ごと中世の面影で残っていただろうな
しょせんピンポイント的な建物に過ぎない >>239
おまえ、ほんと何も知らないんだなw
磚を知らないの?
大和時代に日本に伝わってるんだけど。日本では普及しなかったようだけどね。
https://kotobank.jp/word/%E7%A3%9A-549229
よくそんなんで、人に教えてやったとか威張ってられるねw >>237
例示されて反論出来なくなって、
仕舞には法律がどうたらこうたら具にもつかない屁理屈こねですか?w
そんな屁理屈こねても、おまえの頭の悪さ晒しこそすれ、ためにも何にもならないよw
いいかげんあきらめなよw >>239
>中国に石造文化が浸透していたら
>>235で例示してるのだけど無視ですか?w
他にも例はたくさんあるぞw >>241
いや崖地の建築には法律や条例があるってことについて、おまえ反論できてないじゃん
法律も条令も屁理屈じゃないんだぞ
法律無視して「作ってよ」って依頼してる>>235の知能レベルが低いんだよ >>238
石造建築の経験も技術も低いから屋根が惨い >>233
お前、本当にゆとり世代っぽいな
母ちゃんに「ねえ?タタキって何?」って聞いて来いよ ついでにホームセンターに行って漆喰って土壁ですか?って聞いてみればいいんじゃね
何言ってんだコイツって顔されるだろうけどな >>241
いま歴史的建造物についての話題なのに、法律とか関係ないだろってのw
>法律無視して「作ってよ」って依頼してる
君は冗談もわからないのか?w 君こそ知能レベル低いんじゃないの?w
君には出来っこないだろって意味で言ってるのだがw
ちなみに日本にもこんなんあるけどねw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BB%8F%E5%AF%BA
これは法律上どうなるんでしょうか?w
国宝だよ、国宝w 漆喰も三和土も知らない世間知らずのゆとりっ子が何か言ってる。 30代ぐらいの連中でも間や坪がどれくらいの大きさかも知らないのがザラにいるからな
ゆとりになると猶更だろうなぁ >>248
>>249
一人芝居しなくていいからさあw
君は
三和土がただの土だと言い切ってる時点で、磚が古代からあることを知らない時点で、
中国に高度な組積み技術が古代からある事を知らない時点で、何も知らないのと一緒だよw
負けてるの、君はw
君は法律がどうのこうの言ってる場合じゃないと思うよw
ほんと馬鹿だわ…w 完全素人からの質問です
築年数新しい方が良い物件なのはわかるけど、10年前の技術と今の技術ではレベルが全然違ったりしますか? 現代の家屋の話なら土木・建築板へどうぞ
とマジレス >>242
そんなわずかな例を示したところで
中国の建築が石造でなかった事実は揺るがない
もしヨーロッパのように石造建築が浸透していたら
今でもちゃんと街として残っているだろう てめえも何、他人の褌で相撲を取ってるんだ?
俺のレス読むまで磚とか知らなかっただろ?
一つ、いいこと教えてやろうか
中国には煉瓦造りの壁を使っているものはあっても組積造は全くない
すべて木柱が屋根材の荷重を引き受ける架構式構造で実質は木造建築と変わらん
これはいくらネットでもググって出てこない話だぞ
どうも、聞きかじりばかりで根本的な知識が足りてないようだし
これを期に専門書でも買って勉強してみてはどうだね
俺のおすすめは「図解 建築用語辞典」だか、この手の時点にしては廉価でamazonできみの小遣い程度でも十分買えるはずだ >>254
>俺のレス読むまで磚とか知らなかっただろ?
大爆笑w
歴史マニア、東洋史マニアなら知ってるに決まってるだろってのw
あのさあ、
日本の伝統的街並みと、中国の伝統的な街並みの一番の異質な印象は
組積みの塀や道路のレンガ舗装とかだろっての。
奈良なんかの古民家の土塀は少し大陸の影響を感じるよね。
君、中国のレンガごときを知ってるからって自慢して、かえって恥かいたねw
ああ恥ずかしいw 「中国歴史建築案内」楼慶西 著
木構造形式 古代のエジプト、ギリシャ、ローマでよく知られているピラミッド、闘獣場、神殿、教会などはいづれも石造である。
これに対して、中国の古代建築の最も大きな特色は木造である。中国の古代においては、一般の住居から壮大な宮殿、寺院まで木構造形式を採用している。
その構法は、柱上に梁(はり)、桁(けた)をおき、その上に屋根を造る構架式を基本としている。壁体には(れんが)、土などの材料が使われ、
こうした壁は屋根の重量を支える役割をしていないので、中国の家屋は「壁が崩れても家は倒れない」というという特徴をもっている。
「中国文化あれこれ」 馮凌宇 史衛民 著
西洋の古代建築と比べ、中国の古代建築はその様式、構造に著しい特色がある。
中国の古代建築は木構造を主としており、(れんが)石造りの仏塔、殿堂あるいは陵墓の地下宮殿であっても、木構造の形式を模倣している。
これは西洋の建築が主にれんが、石構造であるのと大きな違いがある。 「中国における日本租界」大里浩秋 孫安石 著)
第三に、市内の建築材料は木造建築を主とし、レンガ石で補うという古い方式で、類型的には古臭く貧弱である。中国の前近代の職人は、耐圧性に優れた石材の特性を利用する
ことを知らず、堅固で粘着性に富んだ漆喰(しっくい) (石材を積み重ねる時の粘着塗料)を採用しなかった。
「現代文明ふたつの源流」 中尾佐助
華北の文化はこのように煉瓦の文化であり、その煉瓦は世界で一番すばらしいものもあるというわけであるが、宮殿、寺廟となると、ヨーロッパのような煉瓦建ての大建築は発達していない。
中国では、橋や城門を除いては、アーチの利用が建築に利用されず、木の柱と桁を使って宮殿、寺廟の大建築物を建ててきた。
硬葉樹林地帯でもその北方のヨーロッパでも、また西アジアやインドでもアーチは大建築物にどんどん使われたのに対し、世界一すばらしい煉瓦を持っていた
中国はそれで大建築物を建てようとしなかったのである。 東洋史マニア?ならネットじゃなくて手元にある専門書引用して反論してみろって
まさか一冊ももってないとかねえよなぁ?
中国の伝統建築がお前の言う組積造なら斗栱なんて発想まず出てこないんだわ >>259
君さあ、人の言ってること、
自分に都合よく曲解してるけどさあ、
>中国の伝統建築がお前の言う組積造なら
そうは言ってないけれど。
中国の建築の技法として組積技術も発達しているとは言ってるけれどね。
中国の建築が木工造が基本なのは一目瞭然だろw
逆に上記の資料通りなら良いことづくめだと思うがw
中国の建築技術が未熟などとよく言えるねw 幕府が伝統に縛られて
日本中も縛ってたからだろ。
明治になって
ちょっと学んだらすぐできるようになったし
なんか問題あるんか? どの見えない敵と戦ってるのか知らないが誰も未熟などとは言ってないし架構式構造では世界でもっとも発達していると言える
つうかお前は言葉の定義をろくに知らずに使ってるだろ?
組積造の定義ぐらいググってみろよ コイツ、都合が悪くなるとすぐ前言を翻すな
ちょっと前に自分がレスした内容すら覚えてないらしい 傍から見たらどっちが書き込んでんのか分かんねえからコテつけろ >>262
言ってるだろが、>>226で。
>中国文化圏、東アジア文化圏と言い換えてもいいが
東アジア文化圏は建築や美術関係の技術がほかの文明圏と比べて著しく低かった
あのさあ、組積技術をモノにしなかった訳じゃなく、それで事足りたってことだろ。
別に是が非でも組積みで作らなきゃならないわけでもあるまいし。
そんなこと言えば、日本だって明治維新後現在に至るまで、上屋自身を組積みだけで作った建物なんて殆ど見当たらないわけで。
だいたい木骨との組み合わせが殆どだろ。
まあ、日本が地震国だというのはあるけれど、
ほんとの組積み構造だと 手間ヒマ・コスト がかかるわけで、それよりも手っ取り早く安く作れるのは木骨造なわけで。
骨組み付の建物の方が地震にも強いわけで、それらが広まるのはあたりまえ。
組積み技術が上級建築技術と錯覚していること自体が×だろw
はっきり言って西洋かぶれだねw 日本の建築技術は世界一。地震で瓦が吹飛ぶようになっているドヤ モルタルで瓦を固めて飛ばないようにする工法もあるけど
柱にかかる負荷が大きくなるから一長一短なんだよね マンセーしろなんて言ってはいない。
そもそも建築に関する知識自体なかった人間が、
一概に日本建築は遅れていると言い切ってることが間違いだと言ってるわけ。
その地域の気候、風土、歴史などがからみあって、その地域にあった建築が出来上がっているわけで、
それらを無視して外国がなんでも良いというのはカブレていると思われてもしょうがないw 西洋建築が入ってきた幕末明治には台場とか海堡とか要塞とかアホみたいに作ってるんだから
単純に技術がなかっただけだよ このアホは世界史の建築スレでファビョってたアホと同一人物だろうな
日本の家は冬は寒いと書かれたのを貶められたと勘違いして暴れてた馬鹿な
枕草子に「夏をむねとすべし」と書いてるのを知らないのかーとか
いや夏をむねとしてるんだから、寒くて当然だろとたしなめられたけど >>273
>西洋建築が入ってきた幕末明治には台場とか
海堡とか要塞とかアホみたいに作ってるんだから
単純に技術がなかっただけだよ
一時期はね。
でも技術が無かったというより、発想が無かったと言うのが正解だろ。
上屋の壁を組積みでつくるという。
石組みアーチは中国の技術で江戸初期に眼鏡橋で伝わってるから。 >>274
また、自分の知ってる範囲の知見で勝手に認定ですかあ?w
おい、おまえ はだか踊りだべ?w
勝手に的外れな予想してホルホルしてるとことか、発想の仕方がよく似てるわw 建築もそうだけど、電柱と電線をどうにかすべきだと思う
海外旅行から帰国して帰宅中、車窓を見て感じること
先進国だというのに、景観が残念すぎる
建築も家具もだね 世界遺産レベルの歴史的建造物は世界に誇れる美しさだと思います
一般の街並みや住宅がもうちょっとどうにかならないのかと残念に思う
アジアだから仕方ないのかね ワビサビ文化自体が後世の後付け
そもそも日本には豪華と呼べる文化財がない
せいぜい木に金箔を張り付ける程度w >>279
アジア諸国は西洋から直接建築を学んだだけあって日本よりはるかにましだろ
日本の建築や街並みのひどさはアジア諸国の中でも最底辺 明治期に作られた要塞って当時来日してた欧米諸国の軍人から見ても評価高かったからな
技術力は相当なものがあったわけで
不謹慎ながら島原の乱の後も内乱が続いていれば、と思ってしまうよ >>281
日本の街が電線だらけで、欧米の街が電線が少ないのはなぜかと言うと、
欧米では電気が普及する前にガス灯が発達していて、
電気が普及するときに地下の埋設ガス管施設をそのまま電気のケーブルを通す施設として
利用できたからだよ。
地下鉄や地下トンネルもそうだけど、なんでも埋設施設にすると偉く金がかかるのが、
埋設施設の難点。
特に日本は地権だのなんだのうるさいし、現代の東京などのように、家が密集した地帯が多いと、
住宅のケーブル地下化が困難になってしまうのも仕方がない話。
街の再開発のついでに地下化するとか、新たに住宅地域を作るときに埋設化するなどしか無いのが現状だろ。 >>281
あと、アジアの国々、特にフィリピンなどが西洋的なのは、学んだというより、
植民地としてインフラが整備されたからだよ。
負の遺産でもあるわけよ、悲しい話ながら。
韓国などは、朝鮮戦争で国土が焼け野原になった跡に街が再整備されたからああいう街並みなわけ。
それも悲しい話なわけだよ。
君、隣の芝は青く見えると言う言葉、知ってる? ついでに書いとくと、
タイは日本と同じく独立を保った国だけど、高層建築多いのは、一言、地盤が違うからだよ。
なんてったって、RCで高層ビルを作る国だからねw 日本では考えられないw
でも、交通インフラはかなり無茶苦茶だし、治安も非常に良くない。
おれは日本に生まれて本当によかったと思っているw >>1
出島を日本人が作ってしまったから。
西洋人に作らせておけば西洋建築の勉強になった。 日本の歴史の中での石造建築の少なさは確かに異常だな。
東南アジアの寺院なんて密林でもアンコールワットだからな。
ほんと、なんでだろう。
石橋も江戸時代になってから九州の一部で眼鏡橋とかようやくだよな。
アーチ構造もずっと知らなかったのかな。
アーチ工法の門て日本にないよね。
中国には紀元前に来てるよね。
沖縄にはアーチ工法の門やグスクがあるのにね。 中国って中心地の黄河辺りは砂漠化が問題になるくらいなのになんで石造建築が発達しなかったんだろうね。
不思議だなあ。 >>230
でも稲作が沿海州からというのはありえないよねえ。
沿海州から来た初期弥生人が出雲、越あたりに定着して。
そのあとに中国の南部から稲作民族が北部九州に来て稲作の生産力で徐々に初期沿海弥生人を圧倒したという感じなのかな。 >>234
中国は住居は万里の長城にある砦ようなレンガ建築ではなく、あくまで木造の宮殿にこだわったんだね。
なんでだろう。 >>291
木造にこだわったというより木造でしか作れなかったというのが実態だろ
砦や城の石垣のようなものは大した技術が要らないが
建物になると相当な技術とセンスが必要 唐の大雁塔とか今は壊されてないけど北魏の永寧寺仏塔は高さ150mに達するレンガの塔とか
インドと張り合ってた頃はそれなりのものを作ってる
アーチ構造も朱然墓とか、少なくとも後漢末期の墳墓には使われているけど、住居には使ってないな >>289
版築(土を突き固めて壁を作る技法。三和土もその技術の延長。)が発達したから。
気候が乾燥してるのも影響してるだろうね。
>>293
>砦や城の石垣のようなものは大した技術が要らないが
だから自分で作ってみろよw
おまえ馬鹿なんじゃないの?w なんか、どうしても日本の技術が劣ってるということに話を持っていこうとしている人がいるなw
(まあ、スレ立てたやつがそう思いたい人みたいだからね)
技術ってなんでもだけど、発想と環境がマッチして初めて起こるわけで、
そこに能力の優劣はあまり関係ない。
石積み技術だって、木材の少ない地域(エジプトや中東など)で、必要に迫られて、
比較的身近な素材で構造物を作った事から起こったものだろう。
エジプトなどは大河があり、水運が発達していたから、奴隷など労役者を使い、
巨石を調達・運搬出来たわけだし。
ギリシャ建築も、エジプト・地中海文明の流れから、
当初木造主流だったのを”身近な”大理石造に切り替えたわけで、
西洋の石積み建築文化の直接の源流になった。
歴史の流れなんだよ、すべて。 木造は燃えちゃうからねえ。
東大寺の80m以上あった七重の塔とか残っていたら壮大だったろうなあ。 未だにピラミッドが奴隷によってつくられたとか迷信信じてる奴いるんだな
そもそもエジプトの奴隷は家内労働中心で数も少ない
労役は農閑期に配給品目当てに集まった農耕民を利用して負担させてた
これも強制でなくて監督官に申し出ればいつでも辞めれて、いつでも雇用されたことがパピルスからわかってる 明治時代に日本を訪れた西洋人がみな日本の建築技術の低さに驚いたのは有名な話
日本の建築技術がすごいというのはさすがに無理がある 神社が機能ごとにちっこい建物を造るのは大きな建物を造る事が出来なかった時代の影響? >>301
長崎の眼鏡橋は中国の技術で作られてるから、それを模したと思われる早鐘眼鏡橋は中国の技術ということになるのかな? 瓦、礎石、土壁もすべて中国の技術だよ
これらが最初に取り入れられたのが法隆寺 >>307
日本建築の独自性は、それらの中国技術が入ってから”国風化”してなりたったわけで。
衣類に関しては、着物だってそうだろさ。
中国の服が日本の気候に合わせて変化して、今の着物になったわけだし。
だから ”呉服” というわけでw >>304
古代の出雲大社はその名前の通りデカかったようだよ。 基本的に朝鮮やベトナム、日本、モンゴルの建築物は中国建築からのマイナーチェンジだよ >>310
ベトナムは周囲の東南アジア諸国からの影響もあるよ。
チャンパーはヒンドゥー教じゃなかったっけ?
誰かの好きな石積み文化だよw
マイナーチェンジではなく、地方化したのだと思うがw
どうしても、日本の文化は劣ったことにしたいのだねw
ほんと価値観の貧しい人だわw ベトナムは漢代から北宋に至るまで長らく北部が中国の直轄地だったこともあって基本的には中国建築を基にしている
タンロン遺跡、胡朝城塞、フエ王宮に至るまで中国の皇城に範をとっている
寺院と併設して作られた神社は差異化のたまにあえて日本在来工法のみで作らているとされているが
建築史学上では日本建築は独立したジャンルではなくあくまで中国建築に分類されている
https://kotobank.jp/word/日本建築-110146
>日本建築は伝統的には中国建築の一支流として位置づけられ、木造建築が主流を占める。 シナの亜種だもの、和風建築であって和式建築ではない 「中国の建築」竹島卓一
中国の建築の大きな特徴の一つである斗栱(ときょう)(斗組(ますぐみ)、あるいは組物ともいう。
柱の上に四角い斗形のものや、肘木といって腕木のようなものを封雑に組んで深い簷(のき)や梁(はり)をうける構造体で、装飾の意味も兼ねる)の制度についてみると、
中国の影響をうけた日本の建築にそれがとりいれられていることはいうまでもない。
・・・平安時代に入って中国との交通が疎遠になると、たちまち停滞し、簡素化して日本固有の神社建築に応用することはあっても、それを発展させて、
いっそう複雑なものを作り出すというようなことは全然おこなわれていない。 >>29
稲作は沿海州から渡来定着して50年以上経ってから、朝鮮南部からパクってきただけの話。
最古水田菜畑から出土する短粒種オンリーの炭化米、木製農具、大陸系磨製石器、
それら全て朝鮮南部と一致し、中国とは一致しない。
それらは全て朝鮮南部から入ってきた事が分かる。
ところが、最古水田の弥生人たちが朝鮮土器をさーっぱり作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
彼らが朝鮮半島から渡来した人たちに見えるか?
彼らがもっぱら作っていたのは、50年以上前に山陰に伝わった
沿海州南部と文様が一致する山ノ寺式刻目突帯文土器だけ。
つまり稲作は彼ら自身の手で朝鮮南部からパクってきただけだと
いう事が分かる。
中国南部??
2兆%ないね。
伝わっているイネの粒種、伝わっている農具、出土した土器、
どれも中国とはさーっぱり一致していません。 国分寺・国分尼寺の影響で地方の建築様式が淘汰されたんじゃないか?
このため全国画一化(北海道と沖縄以外)に向かった。 日本が1000年前の平安期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約7000年。
その後、中国では6000年前には木骨泥墻が登場し、すでに土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
3500年前の商周代よりも前の王朝から宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、すでに瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
日本には縄文弥生を通して、これら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>309
出雲大社なんか、超高床式で階段が長いだけで、技術力が低い事を物語っている 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
ZEOIY >>314
斗栱って、あれ以上複雑にしても意味ないと思うがw
中国建築が、色合いとかは派手であっても、構造的に、それほど複雑なものとはあまり思わないけど。
日本の建築が簡素なのは、民族的な趣向の問題が大きいと思うけど。
基本、日本人はゴテゴテした人工的な物は好まないから。
それは現代の日本人の感覚にも受け継がれていると思うけれど。
そういう意味で、日光は異例と言えるかも知れないが、中国なんかのものとは色使いなんかは違うよね。
鮮やかな原色系を中国人は好むようだが、日本人はやや渋い色を好む。
神社の色も赤ではなく、朱色だしね。鮮やかな色ではあるけど、やや渋い。 >>315
基本、インディカ米は古代日本には来てないんだろうね。
中国南部ばかり、あなたは異常にこだわるけれど、
別に華中も華北もあるわけで、ジャポニカ米の源流は中国中部だと言われているのだから、
中国直接渡来説もあり得ないとは言えない。
なんでそうあなたは、朝鮮からパクった(盗んだ)と言う言葉に拘るのだろうか?w
稲作ってさあ、パクることって不可能だと思うんだがw
種籾だけもて来て、”さあ米作ろう”ということにはならないと思うんだがw
”稲作経験者”がセットで来て初めて成り立つものだと思うんだよね。
そんなに米作りは甘いもんじゃないと思うよw >>324
超カンタンだったはずだよ。
そんな栽培に困難を極める複数難解な栽培植物なら、原始時代にわずか1000年で
日本中を席巻する訳がないだろ。
馬鹿なのそちら?
それにジャポニカはかつて長粒種だった事も知らない無知無知クンなようで。
日本に最古水田が登場した当時の長江下流域のイネは中粒種が約半割を占めるジャポニカだぞ。
ところが日本の最古水田から出土した日本最古のイネは短粒種だけ。
それにおまえは当時の中国の耕作用農具も知らないウルトラ無知なようで。
当時の中国の耕作用農具は石耜と石鋤。
前者は石刃のスキ、後者は石刃の除草用農具で日本には伝わっていない。
ところが日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は木製のクワとエブリだけ。
石刃の耕作用農具がないどころか、当時の中国のメイン耕作用農具だったスキがない!
それどころかクワとエブリという当時の中国には無い耕作用農具が伝わってしまっている!
この日本最古の稲作遺構が中国から直伝した遺構である可能性など2兆%ない!
ちなみにスキという農具が伝わったのはそれから200年以上経った弥生前期からで、やはり木製であった。
当時の中国の中粒種のイネも、メイン耕作用農具だった石耜や石鋤も、日本に伝わる事は永遠になかったのである。 >>1
パクり限界に到達したから、改良にも限度がある
新たなるステージに進むには、新しいパクリ元が必要だった
中華パクリー>地震ー>改良
西洋パクリー>地震ー>改良 >>325
>超カンタンだったはずだよ。
そんな栽培に困難を極める複数難解な栽培植物なら、原始時代にわずか1000年で
日本中を席巻する訳がないだろ。
だから馬鹿なのそっちだろってw
人も一緒について行ったから広まったんだろがw
あのさあ、おまえ自己流で種籾から育ててみろよw
手順ふまなきゃうまくいかないからw
稲作が裏日本で早く広まったということは、気候があってたことと。
人間同士の交流、あるいは進出・侵略があったということだろっつのw
ほんとおまえ、単純馬鹿だよね。
>それにジャポニカはかつて長粒種だった事も知らない無知無知クンなようで。
はあ?
それはいったいいつの時代の話なの?w
日本でインディカがジャポニカになったとでも?ww
おまえさあ、日本に米がどのように伝わってきたのかという話題なのに、
なんでジャポニカ米の由来の話に話題をすり替えようとするの?w
自分が不利だからって、ムリクリ誤魔化すのやめたほうがいいよw >>328
おまえチョンだろ。
しかも、文章の知的水準から見て高卒だよな。
じゃあ何で最古水田菜畑の弥生人たちは一番肝心な生活痕たる朝鮮土器を一つも
作ってないんだよ?
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけだぞ。
これが半島人が渡来定着した遺構に見えるか?
それに日本に稲作が拡散していくとき、いちいち隣村から隣村へと人が
引っ越していくのかよカス。
隣村の人が隣村の人の稲作をパクりながら拡散していっただけの話だろうがカス。
それと、7000年前のカボト遺跡から出土したジャポニカが長粒種、中粒種、短粒種が
三分の一ずつ混交したジャポニカ。
そして日本で稲作が始まった3000年前の長江下流域の遺構から出土したジャポニカが
中粒種、短粒種が約半々の割合で混交したジャポニカ。
そして8Cに鑑真が長江下流域から持ってきた正倉院に納められているジャポニカが
中粒種が14%、短粒種が86%の割合で混交したジャポニカ。
日本には日本最古の出土イネから中粒種がありませんのでね。
そもそも朝鮮半島で交配された寒さに強い品種が年間平均気温が4℃以上も高い
日本で栽培する事が難しい訳がないんだわ。
高卒の無知無知チョンセン人。 高卒って言うかこの子10代か20前後ぐらいの男の子でしょ
世界史板でも教科書に載ってる徒然草を得意満面で書いて恥晒してたし
この年頃の男の子は熱くなりやすいから何言っても聞かないよ >>323
はぁ?なら竪穴式住居にでも住んでれば?
日本の伝統建築とか全部中国の模倣だぞ
中国に教わるまで礎石も瓦も土壁も何もなかったんだから >>331
半島経由だけどね。
古墳期の4C後半に秦氏が最初に土壁の戸建てをもたらして、
6C末に聖徳太子が百済から技術者を招来して瓦屋根の寺院建築がもたらされた。
ただ、これらはまだ貴族階級のもので、民間人が竪穴式住居から抜け出したのは
平安期後半以降。 >>329
>>330
>一番肝心な生活痕たる朝鮮土器を一つも 作ってないんだよ?
作る必要が無かったからじゃないの?既にその地域に土器があったからそれを使えば良いわけだから。
農業の技術を伝えた人々は少数な訳で、その地域の文化全部を変える勢力ではなかったと考えればいいじゃん。
それってパクった(盗んだ)とは言わないよねw
で、君たち はだか踊りの成りすましだろ?w
なんでも机上の単純化思考で考えようとするところがそっくりなんだけどw
物事って、特に歴史って、白か黒かだけで割り切れるほど単純じゃないんだわw
色んな事象が複雑に重なり合って歴史は織り成されるわけで、一つの法則があてはまらないから、
それはありえないという思考法で全部通用するなら、
古代日本史が、こんなに多数の議論の起こる場にはなって無いんだわw どこの朝鮮人なんだ、
そろそろ頭の病院に行ったほうが良いぞ 自分の考え方と違うと、すぐ朝鮮人よばわりするとか子供ですか?w
そんなに朝鮮が嫌いなら、日本史板に来なけりゃいいのにw
古代日本と朝鮮半島や中国は切っても切り離せないのにねw
まあ、俺は日本の文化と朝鮮の文化は共通点はあっても、
違うところもたくさんあると考える方だけどね。
そういう人間を意味不明に朝鮮人呼ばわりするとか、全く根拠がわからないんだけどw やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ >>333
菜畑遺跡に稲作を伝えた渡来人はな、既にその地域にあった土器を使わず、
新しい土器も稲作と同時に菜畑遺跡に伝えてるんだが。
ところが、その土器が朝鮮土器ではなかったのである。
言ってる事が分かるか?
既にその地域にあった土器とは黒川式縄文土器の事だ。
渡来人が稲作と同時に菜畑遺跡に伝えた土器とは山ノ寺式刻目突帯文土器の事だ。
なぜ菜畑遺跡に稲作を伝えた渡来人は朝鮮土器を伝えず、
全く別の土器なんか伝えてるのかね? >>338
刻目突帯文土器の日本での発祥は中国地方じゃなかったっけ?
それも稲作とは関係無さそうだし。 >>339
島根あたりの山陰な。
ただ338は菜畑遺跡で起きた出来事だけに限定してお話しております。
>>340
だろうねえw
でも、そこには中国土器には9000年前からある壺という器種も、
7000年前からある鬲や鼎などの三足器種も、単耳、双耳、直耳などの
耳付き器形も、高坏も蓋も、5500年前からある中国灰陶もないぞ。
さて、大陸のどこから来たんだろうねえw そんな専門用語ぱんぱん出してもコイツは何も知らないガキなんだから
キャパ足りなくて何言ってるか理解できてないと思うぞ 大陸が統一されたのは始皇帝による紀元前221年が最初だよ
それまでは諸国が存在して少数民族もそれなりに独自性を持っていただろうから
中国のなにもかもを持って渡来するという前提が間違っている 始皇帝が統一したからと言って文化的に均一になったわけでもないし
考え方としては、
刻目突帯文土器があるけど
三足器種も耳付き器形も高坏も蓋も中国灰陶も無い
そういう場所から渡来した
ということだ
ただ、
>三足器種も耳付き器形も高坏も蓋も中国灰陶も
の中に、高級品があるとしたら、
渡来したばかりの状況であれば、高級品まで作る余裕が無かった、
ということも加味する必要があるな 渡来人は朝鮮系でも中国系でもない事さえ分かればイイんだよw
でも稲作は当時、朝鮮南部と中国しかない訳で。
さて、渡来人は稲作をどうやって入手したんでしょうか?
という問題を出そうと思ったが、高卒には無理だろうから、もう答えを書いとくわw
答え
最寄りの朝鮮南部からパクった。 なに結論してんの?
広大な大陸が文化的に均一だったわけじゃないんだから
大陸文化の全てがもたらされてなくても
大陸からの渡来人を否定できないわけでしょ?
あんた高卒以下 >>344
壺や鬲や鼎は奢侈品でも何でもない、鬲や鼎は奴隷も使っていた
単なる普及した日常土器の炊飯器なんだが。
壺には単耳か双耳が、鼎には直耳と蓋が自動的に付いてくるがなw 遺跡全体でも出土品が単品なんてのはよくあること
出土品なんてのはたまたま捨てられたものを見てるだけの可能性もあり
出てないからといって無かったと決めつけられるわけでもない
それをセットであることに意味を付けるなどというのが無理スジ >>348
中国 出土 壺
中国 出土 鼎
で画像検索してみな。
単耳や双耳が付いている壺と直耳が付いた鼎がほとんどだぞ。
根拠ありまくりなんだがw なーんもない辺境の島で
なーんもない状態から稲作を立ち上げるのに精いっぱいで
鼎を作るゆとりがなかったわけだなあ >>351
だから、最古水田菜畑に中国土器を伝えず、全く別の土器を伝えちまったってか?
中卒だろおまえw >>352
お前の言う中国土器一式をセットで伝える義務なんぞないってこった
学歴コンプか消えろクズw >>353
で、菜畑遺跡のどこに中国系土器があるの?
で、菜畑遺跡のどこに中国系耕作用農具があるの?
で、菜畑遺跡のどこに土壁の戸建ての中国系住居があるの?
. >>354
で、菜畑遺跡のどこに当時の中国の中粒種のイネがあるの?
. >>353
で、菜畑遺跡のどこに当時の中国の中粒種のイネがあるの?
. >>342
君のほうが遥かに年下に思えるんだけどw
君、発言も完全ゆとり世代だしw
そうやってわかりもしないのに、すぐに結論づけるとことかほんと浅はかだわw
で、中国土器の名前ごときで頭が爆発指定しまうという根拠は?
w >>354
鼎土器とか足や取っ手のついた土器は中国の領域なら全土で使われてなきゃいけないの?
中国も広いのだから地域により文化の程度の差はあったと思うのだが。
まして、素人が自分で作れる程度の技術だったら弥生土器程度だと思うのだが。
鼎土器くらいなら、技術もいるだろうし、強度的に土の質もあるだろう。 >>358
サギうるせえサギサギ華南ブタ広鼻半ニグロが祖先のサギサギ台湾ブタ広鼻半ニガーだなあ。
じゃあ、3000年前に壺という器種を持っていなかった中国の少数民族の証拠は?
菜畑遺跡に稲作をもたらした渡来人が伝えた土器には当初、壺も高坏もなかった。
壺と高坏は菜畑に稲作が伝わった少し後に朝鮮南部からパクった器種だぞ。
中国には9000年前から壺という器種がある。
で、3000年前に壺という器種を持っていなかった中国の少数民族の確証は?
. >>359
君、完全に壊れたよw
その自覚あるだろw
誰も少数民族の話はしてないよw
地域差の話は触れてるけど。
だって現在でさえ、都市部と地方の文化差があるのが中国だろ。
古代なら尚更だべさw >>361
で、3000年前に壺という器種を持っていなかった集団が
9000年前から壺がある中国のどこにいたの?
. >>349
>出てないからといって無かったと決めつけられるわけでもない
悪魔の証明って知ってる?
その理屈だとオーパーツだろうがUFOだろうが何だってあったこにできるな
あっという主張する側が出せないならそれはなかったという証明になるんだよ
高度な土器文化や建築文化を持っていた漢人が何で糞ショボい素人でも作れるような土器や竪穴式住居に住んでる弥生人なんてことがあり得るの?
日本列島に到着した途端に知能が原始人並みに退化でもしたんですか? >>363
その通り。
縄文晩期に渡来した我々日本人の祖先の北方モンゴロイド形質の人骨の人々は
同期する中国の中粒種のイネも、中国の土器も、中国の耕作用農具も、中国の住居も、
中国の服飾も、中国の龍信仰も、同期する中国系生活文物を何も伝えなかった。
朝鮮土器さえ伝えなかった。
中国と朝鮮半島以外の、まだ未開で原始的な場所から渡来した事が伺える。 全部倭人が自分で航海して支那まで行って取って来たんやろが
なにジャップsageでホルホルしてんねん
我々日本人の北方モンゴロイド形質は半島から貢がれてきた慰安婦や奴隷の由来やぞ >>365
不自然な考え方。
別にどっちが偉いとか言う問題じゃないんだわw 稲作出来たからって偉いわけじゃないんだわw
技術が伝わったことによって生活様式が変化したという事実に過ぎない訳で。
その事実をちゃんと知ろうよ。
変なフィルターを通さないで。 吉野ヶ里や金隈の甕棺墓から出土した夥しい数の北方モンゴロイド形質の人骨を
形質解析すると朝鮮人骨とは全く一致せず、アムール沿海州の北方民族の人骨に
極めて近い形質を持っている事が分かった。 射精エベンキはありもしないエベンキランド起源説で強迫的反復的に荒らし続けるのであった
ちゃんちゃん(^^♪ >>368
で、中国から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる
中国系生活土器と中国系耕作用農具と中国系住居と中粒種のイネは?
. 自分の意思で渡来したんじゃなくてチョッパリどもに強制連行されてきたからあるわけないぞ♪ >>368
おまえが一番強迫観念で荒らし続けてるんだろうがw
なあ、はだかちょん、いいかげん息絶えろよw
邪魔くさい…
w 主流のハプロがO1b2かつ刻目突帯文土器を使用していた集団と言えば
シニガイ文化人しかいないからおそらく沿海州が弥生人の源流だとは言われてるな 西日本の縄文人の遺伝子調査もされてないのエベンキランド起源を主張するホモエベンキwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww お前バカだろ?
弥生人の起源割り出すのに何で縄文人が入り込んでくる余地があるんだよ O1b2ってそもそも分岐開始年代が12,100年前(ウィキペディア情報)だろ
弥生時代よりずっと昔、全然縄文時代の前期なんだが
そして日韓を中心に分布してるってことはこれは7000年前に日本から北上して朝鮮半島に縄文文化を伝えた人々って確定だろwwwwwwwwwwwwwwww
シニガイ文化(笑) >>376
そいつは生ける屍、はだか踊りだから、まともに相手にする価値ないよw
今まで装って、死んだフリしてたけど、本能が抑えきれずにようやく出てきたようだわw
かわいそうな馬鹿だから、適当にチョしときゃマゾ満足するよw
>>377
朝鮮はかまわなくて良いよw >>378
少ないだろいい加減にしろ!
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/O1b2-M176.png
エベンキランダーよりもアイヌの方がよっぽど多く持っとるはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>378
ようは、O1b2はツングース系に多いYハプロってことね。
まあ、ツングースって言っても、やや南方化した部類だろうけれど。
日本では、日本海側東北人、いわゆる出羽人に多そうだと思うけど。 >>378
アイヌはDが8割だと言われてるけど。
はだか踊りさあ、死に物狂いで嘘つくなよw >>380
アイヌはDが8割だと言われてるけど。
はだか踊りさあ、死に物狂いで嘘つくなよw >>380
アイヌが北海道に来たのって2万年前だぞ。
O1b2が12000年前からというのはおかしいじゃないの。 >>384
それは はだか ”踊り男一本” だから、まともにレスする必要はないよw
いっつも嘘をつくことによって、マゾ勃起して喜んでるだけだからw
なんてったて9cm勃起だもんw 稲作が朝鮮南部から伝わったのは100%確定なんだが、その朝鮮南部から稲作を
菜畑遺跡に伝えた弥生人たちが朝鮮土器をさっぱり作らないんだから、
こはいかに?っていう弥生人最大のミステリーなんだよなw >>386
稲作を伝えた人々が少数だった、
あるいは、朝鮮にも弥生土器があったけど、今のところ遺跡から見つかってないのかも。
にしても、朝鮮無紋土器は弥生土器より質は高いの? >>387
答え
弥生人自身が朝鮮南部から稲作をパクっただけだから。
だから朝鮮土器をさっぱり作らなかった。
朝鮮無文土器は中国土器に比べれば稚拙なものだが、
弥生土器よりは高度な作りになっている。
轆轤を使ったシンメトリーな作りなものが多く、
中国土器のような穴の開いた耳ではなく、突起させた把手が付いた器形が多い。 >>381
O1b2がかつて長江流域にいたことは確かだけど
それはO1b1と分岐する以前3万年前のことだからなあ >>389
分岐したのはモンゴル南部から華北あたりだと俺は思うわ。
石器の流れと違うから長江から北上では不自然。
モンゴル南部から華北あたりで南下したものはO1b1になり、
東進北上したものはO1b2になったと思われ。 >>391
ここには複数の住人がレスしてるが、君自身以外は全てエベンキマンということでOK? >>389
>>390
朝鮮に多いのは
O1b1?
O1b2? >>393
o1b2-M176とo1b2a2a-L682
このうちM176は日本にも多いがL682は日本ではごくまれにしか見られない
逆にo1b2a2a1-47zは日本ではよくみられるが韓国にはほとんどいない O1b1とO1b2は分岐したんじゃなくて、その前身のハプロタイプがアルタイ地方から
ゴビ砂漠あたりで拡散して、華南のものはO1b1に変化して、満州のものはO1b2に
変化したんじゃないかな? 戊辰戦争後の会津若松城の写真を見て思うんだが、アームストロング砲を雨のように浴びてよく持ったよな。
ワーテルローに会津若松城があったらナポレオンは勝てたんじゃないか? エベンキではないと思うが、日本人の第二の祖先が北方モンゴロイドである事など、
顔見りゃ分かる事じゃないの。
日本人の4割が一重まぶたですよ。
仮にエベンキであったとして、それの何がいけないの?
俺の祖先はマンモスを追ってマイナス20〜30℃のシベリアの氷原を駆け抜けていたのか
と思うと、むしろワクワクして心ときめくわ。 仮にチョンであったとして、それの何がいけないの?
仮に支那であったとして、それの何がいけないの? >>399
北東アジアでは、
日本人は二重目の人が多い民族だけれど、
全体的には一重目が目立つよね。
肌も比較的白いし。
西方系や南方系がふんだんに混じってる漢人の方が、二重の人は目立つかも。 >>399
>>400
悪くはない。
わかりもせず、勝手に思い込みで認定するのが悪いと言っているだけ。
あと、現代朝鮮半島人の民族性は日本人とはウマが合わないのはあると思う。
歴史的にああいう民族性が出来てしまったのは
不幸な話だけど。 チョンとチーノはいけないね。
日本人にとって有害だから。 >>403
東南アジアで華僑の集団の中にいると特にそう感じるよ。
華僑の人たちの目はみんな二重でゴロンとした目つきで顔にキレがないの。
肌も日本人よりもやや濃色で淡褐色の肌が多い。
日本人の方がやや色白で顔にキレがある。 というわけで日本人の先祖はネイティヴアメリカンということにしておこう >>406
漢民族はオーストロネシア系の血も強いということでしょ。
職場に何人か中国人が居たが、
北方系顔立ちもいるけど、二重目の顔立ちが目立つよね。
オーストロネシア系だけじゃなく、チベット系の顔立ちっぽくもある。
四川あたりの人々はチベット系とかの血筋が絶対混じってるよ。
チベット人は二重目の整った顔立ちの人が多い。 漢民族というより、華南あたりの南方モンゴロイドだろうな。
南方モンゴロイドはインドネシア人種に南下した中央モンゴロイドが混成して
生まれた新モンゴロイド。
黄褐色の肌、やや広鼻、短頭で顔が短い。
日本人と比べるとかなり南方的な感じだが、タイ人と比べるとそれほど南方的な
感じでもない。 四川の成都で行われた調査だとチベット系によくみられるD系のハプロは0%で
混血の様子はまったく見られない
逆にチベット族にはラサ自治区ですら漢族によくみられるO2が4割も見られる
チベット地方の遊牧民は漢族をさらっては農奴にするということを長年行っていたのでその末裔だろ なにっ!
ということは現在チベット族が中共から受けている抑圧は漢族による先祖にされた仕打ちへの逆襲ということか
やっぱり自業自得じゃないか!(驚愕) 建築の話か。
仮に弥生人が中国から渡来定着した集団なら、住居は土壁の戸建てになっているはず。
中国は約6000年前から木骨泥墻という土壁の住居になり、約4000年前には早くも
土壁の戸建ての時代である。
約2800年前には瓦が登場して、早くも瓦屋根の戸建ての時代である。
仮に徐福と百工が本当に渡来定着していたのなら、徐福は約2200年前の人、
瓦屋根の戸建てか、最低でも土壁の戸建てを伝えているはずである。 まともな建築史の知識のあるやつが少ないだけ。
建築の仕事についてるやつは、2chなぞまともにかまってる暇は無いはずw
非常に忙しい仕事だからね。 うんなことない
建築業界ってのは曾孫請け、曾々孫請けが当たり前の世界で
元請け二次受けの連中何てほとんど名義貸しで自分たちは何もやってない >>416
>元請け二次受けの連中何てほとんど名義貸しで自分たちは何もやってない
何もやってない元受の人が日曜に休みの現場に一人で出て仕事してるんだ?w
へえw
知ッタカすんなよ、引きこもりw 日本の建築は全て朝鮮から入ったものだからな。
弥生人は弥生早期に松菊里型住居とセットで高床式倉庫を半島からパクった。
これが後の神社建築の基礎になっている。
4C後半には秦氏が帰化して土壁の戸建てを伝えた。
ここからようやく我々日本人は竪穴式住居から抜け出し始めるのである。
6C末には聖徳太子が百済から技術者を招聘して寺院建築が伝わり、
これで日本の建築の基礎が整った訳である。 >>417
知ったかしてるのはお前じゃね?
外溝工事のバイトやってたけど現場に来てるのは三次請けの代理人までしか見たことねえし
元請けのゼネコン連中がわざわざ日曜に現場出てきて一人で仕事するなんてありえねえよ 現場仕事したことない人って代理人と現場監督の区別がついてないからな〜 >>421
何か間違った事を言ってるか?
じゃあ、中国から直接伝わった住居なり建築は? >>422←どこが間違いなのかわかってないトンスル中毒 >>424
どこも間違ってないから、おまえは何も言えないとw
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
早く言ってみろよ台湾ブタ広鼻タラコ唇インドシナ原人。 >>426←まだどこが間違いなのかわかってないトンスル中毒 >>419
>>420
あのさあ、建設の仕事って、物が工期通り出来てなんぼなんだよ。
工事が遅れてれば、管理者だろうが職人だろうが、休みだろうがなんだろうが、
現場に出て来て物をでかさなゃ金にならないんだよw
そんな基本的な事もわからないんだから、引き篭もり扱い受けても仕方ないよねw 物をでかさなゃって何?方言?
現場監督が丁場仕事とかありえないし、恥の上塗りになるからもう書き込むのやめたほうがいいよ >>427
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
さっさと言ってみろよインドシナ中華ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇ロピテクス。 >中国から直接伝わった住居なり建築は?
>>426>>430←こっちが主張してない事を必死に質問し続ける愚かなトンスル中毒 >>431
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
早く言ってみろよブタ広鼻の穴からハッカクががった得体の知れない汚臭を噴出する
クッサイ汚らしいインドシナ中華ブタハノイロイド。 >中国から直接伝わった住居なり建築は?
>>426>>430>>432←こっちが主張してない事を必死に質問し続ける愚かなトンスル中毒 >>433
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
さっさと言ってみろよ香港スラムの真夏の公衆便所みたいなハッカクががったおぞましい悪臭を
ブタ広鼻の穴から放出するインドシナ中華ブタチックハノイハノイロピテクス。 >中国から直接伝わった住居なり建築は?
>>426>>430>>432>>434←こっちが主張してない事を必死に質問し続ける愚かなトンスル中毒 >>435
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
早く言ってみろよブタくせえハッカクくせえハノイくせえ遺伝子真っ赤っかの
クッサイ汚らしい醜悪極まりないインドシナ中華ハノイフルブタピーデ。 >中国から直接伝わった住居なり建築は?
>>426>>430>>432>>434>>436 ←こっちが主張してない事を必死に質問し続ける愚かなトンスル中毒 >>437
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
さっさと言ってみろよ亜熱帯で作られた醜悪な容貌をしたインドシナ中華の
ブタ広鼻の穴からいつもハッカク臭を漂わせたブタとゴリラの中間種。 >中国から直接伝わった住居なり建築は?
>>426>>430>>432>>434>>436>>438←こっちが主張してない事を必死に質問し続ける愚かなトンスル中毒 >>439
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
早く言ってみろよボルネオニグロとブタを足して2で割ったような醜悪極まりない顔面をした
東南アジアで亜熱帯なインドシナ中華ニグロチックハッカクブタチーノ。 >中国から直接伝わった住居なり建築は?
>>426>>430>>432>>434>>436>>438>>440←こっちが主張してない事を必死に質問し続ける愚かなトンスル中毒 >>441
で、中国から直接伝わった住居なり建築は?
さっさと言ってみろよブタと黒人の合いの子みたいなクッサイ汚らしい顔面をしたインドシナ中華ブタが
祖先のクッサイ汚らしい醜悪極まる台湾の亜熱帯インドシナ中華ブタチックニグロピーデ。 建築の何がシャセベンを引き付けるのか
こりゃもうわかんねえな 同じ南中国でも四川と広東で豚鼻率が違うのはなぜ?
ラオスとタイも同じころ雲南あたりから南下した民族なのにラオス人とくらべてタイ人はぺちゃっとした鼻が多いね 南方モンゴロイドはインドネシア人種に南下した中央モンゴロイドが
交雑して出来た新モンゴロイドだから、それらの比率に関係してるんじゃないか?
広東人とか台湾人はもろブタ顔が多いけど、タイ人はそんなにブタ顔を
してないような?
褐色の肌の割合が多くなるような? >>429
君、バイトでどんな現場入ったかわからないけど、
例えば、下請けの職人が休みの日仕事で出なくてはならなくなったとき、
現場管理者の誰かが出てこなきゃならない事わかる?
そりゃ、所長クラスは平日さえ居ないときがあるけれど(もちろんそれは別な仕事でね)、
工事長なり追廻なり誰か責任者が出てきて、工事をまとめなきゃならないんだよ。
管理者の方が責任重いのわかる?
雇われ丁場とか色々あるにしても、そんなに大規模な現場じゃなければ、大体元請の社員だよ。
元請だから何もしないとか、建設業界はそんな甘い世界じゃないよw
わかった? >>447
どっかのスレの知ったかネトウヨおばちゃんと似たような空気を感じる
現場監督が職人が休んだぐらいで何で現場に出てくるの?
あと職人追廻って工事責任者じゃなくて普通は現場代理人がするんですけど
ググって少しは勉強したことは褒めてやるがボロ出てるぞ >>449
ググって勉強wwww
笑い死ぬよwwww
監督と代人の言葉の違いって、視点が違うだけなんだけどw
現場監督って、現場管理の責任者、代人って元請会社の代理人。
そういう違いなんだがw
その違いにこだわって、君はいったい何が言いたいの?w
アホすぎる…w ガイジの射精エベンキは今日も発狂射精するのだった
ちゃんちゃん♪ やっぱ、引き篭もりの はだか駄目オンジ3番目デブデブリだったかw
東日本人のおれを西日本人と頑なに罵っていた、あの国由来の思い込みの激しさは相変わらずだねw
早く元のコピペ馬鹿に戻って、おれにチョされてろよw 爆笑駄目踊りさんw >>450
ああググって出た知識しかないからこういう勘違いしてるわけね
>監督と代人の言葉の違いって、視点が違うだけなんだけどw
>現場監督って、現場管理の責任者、代人って元請会社の代理人。
建築法では代理人は現場への常駐義務が定められているけど現場監督にはない
小規模工事しか請け負ってないところなら現場監督がそのまま代理人を兼ねることもあるけど、普通は複数の現場を掛け持ちしてるからそうはいかないんだわ
おわかり? ただし2年前から代理人の常駐義務は緩和されて電話連絡が常時できるのなら
常駐しなくてもいいということになってる
しかし上で書いた通り代理人は一つの現場に専任でつくから現場監督と代理人は別々に置いてあるのが普通 >>453
>>454
だから、それがどうしたの?w
おまえ、元請は名義貸ししてるだけで何もしてないとかなんとか言ってたけど、
監督と代理人の言葉の違いと、元請が何もしていないという話とは全く関係ないんだけど?
言葉の正確な意味なんて今問題にしてるわけじゃない。
まあいずれにしろ、おまえの説明見ていても、監督さんも忙しいのには違いないと思うんだがw
言葉の意味を自慢げに説明されても、俺には、それこそただのシッタカにしか見えないんだけどwww
おわかりかな?
w 知ってましたか?
世界最古の建設会社は日本にあるのですよ。 ダメ押しにもうひとつ。
建設関係の資格にも、建築士、施管などいろいろあるけど、名義貸しで儲かる資格なんて一つもないんだわw
あくまで、仕事してて、現場にあって、初めて生きる資格なわけで。
君たち、建設系の給料、特に管理系の給料が比較的高額なのはご存知だと思うが、
高いには高いなりのリスクがあるわけだよ。
自殺者まで出てしまうのだから… 鎌倉時代に筋交いの技術が入ってきて、近世に廃れて、明治に再導入
宗教建築以外はぼろぼろ 大仏様で使われる「貫」も本来は住宅建築が発祥なのに
日本では宗教建築にしか使われてない >>459
城郭建築、町屋造り、合掌造りなど、他にも注目すべき建築は色々あるけれど。
>>460
城郭とかにも使われてるでしょ。 合掌(さす)がわかているならトラス構造に気がついて洋小屋のように発展しなかったのが悲しい
寺社で合掌造をやっていれば面白かっただろう。 朝鮮パクりだよ。
中国から直接入った建築など何もない。
高床式倉庫から寺院建築まで全部朝鮮から。 朝鮮ネタはあやしいのとか誇大広告が多くてどうもな
加藤清正が朝鮮で学んだ云々という城郭建築って、石組みのことなのかね
中世城郭は自然石をそのまま積んだのが多いから それは俗説だな
朝鮮半島に熊本城みたいな算木積みや勾配をもった城はほとんどないもの
一応、咸鏡道には日本と同じ形式の石垣があるけど、あれは後金に備えて日本式に改築したものだし
宣祖実録133巻、先祖34年1月7日丙午3
○備邊司啓曰: "知倭城形止之人, 入送築城事, 前日允下矣。 今方解氷, 所當卽爲入送事,
本道監司狀啓以爲: ‘本道境接靺鞨, 朝夕待變, 故城無頹壞不修之處, 但慶源、防垣等城, 比他極闊, 其他各堡, 如梁永、造山、阿山等城, 可改者
朝鮮半島の石をレンガ状に細かく整形して並べていく「石塁」は手間がかかり過ぎるので
日本では7世紀を最後に途絶えている 清正が持ち帰った朝鮮半島の建築技術って滴水瓦のことでしょ パクリという言葉は間違ってるが、日本の建築技術は中・朝から伝わって、日本の気候に合わせて進化した物だろう。
屋根の勾配が鋭くなったのも多雨の日本の気候に合わせて。 パクリだけど、そのままパクってたら問題があったので改良せざるを得なかった。
結局、パクリの改良でしか発展できない。 >>468
日本の水洗便所はチョン国の水洗便所と違って紙を流せるけどな >>468
で、中国から伝わった建築技術って何?
. 何度も出てるだろ?
飛鳥時代の全ての仏教建築。
法隆寺も東大寺もそうだ
日本式に改良したが中国から伝わってのもの >>72-73
>>75
このレスを読め日本の木造建築とは日中混血なのだ 日本の木造建造が日本独自だと思ってるなら究極の無知だな
日本風に改良したのも事実で元は中国技術なのも事実だ 日本のウヨジナル技術
ネズミ返し・千木・鰹木・桔木・なまこ壁 四面庇とか檜皮葺、寝殿造り、書院造り、あと城郭建築も
普通中国では高層建築にはより耐久性の強い円柱を使うけど、天守は角柱を使う
構造的なもろさは瓦の軽量化と階層ごとに逓減させてカバー あと築城技術も日本では11世紀の大鳥井山遺跡には縦深防御の発想が見られるのだが
中国では古代からずっと四方形の単郭形式で進歩が止まってる
精々内部にもうひとつ郭を作るぐらいで砦状のエリアを周囲に並べるという発想がない 歴史を論じるときに、軽々しくパクりとか書いちゃいかんよね >>475
それ全部朝鮮からだろうが。
このウソツキチーノ。 伝えたのは百済だが、その技術は中国の南朝からのものだろ
中国のマルクス経済学や唯物史観は来日した留学生が伝えたものだが
じゃあこれらは日本発祥の学問かというと否だ >>481
遼東から朝鮮に入った建築技術だこのウソコキチーノ。
朝鮮の一番最初の中国系土器である楽浪瓦質土器には中原の三足や耳付きの
器種も器形も、原始磁器もない。
つまり遼東系の土器だという事が分かる
この楽浪瓦質土器で瓦を作っているから、朝鮮の建築技術は遼東系だという事も分かる訳だ。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkokogaku1994/11/17/11_17_81/_pdf
>南朝梁を起源とする造瓦技術によって生産された「大通寺式」軒丸瓦は,その後,百済において中
>心的な瓦当文様,製 作技術として展開する。そして,その影響は日本など周辺諸国にも波及するこ
>とになる。 日本で最初の本格的な仏教寺院である飛鳥寺の造営に際して,日本の要請を受けて百済
>から派遣された瓦工集団,すなわち,『 日本書紀』に記される瓦博士の一派も「大通寺式」(金徳里系)
>軒丸瓦を生産していた瓦工と考えられる。
>南朝梁から百済に新たな造瓦技術が伝えられ,その技術が百済の瓦博士によって日本に伝えられ
>るまで約半世紀。「大通寺式」軒丸瓦の成立と展開の過程を通じ,中国南朝系造瓦技術の伝播の様相
>の一端を垣間見ることができると考えられる。 鎌倉時代に取り入れられた大仏様ももとは中国南方の建築技術だよね
https://kotobank.jp/word/大仏様-91944
>天竺様は鎌倉初期に東大寺再建のため重源が中国浙江省付近の様式を学んで採用した様式で,現代では大仏様と呼ばれる。 6C以降なら、それが正しいんじゃないか。
だが、紀元前の朝鮮の中国系建築技術は楽浪の遼東系の建築技術から始まっている。 >>471
あのさあ、今 羽生君が陰陽師踊ってるの見ながらレスするけどさ、
日本の文化も朝鮮の文化も、中国から輸入された文化の上に成り立ってるんだわ。
中国の文化の良いとこ取りして、自分らの国の風土に合わせて成り立った日本文化なんだわ。 >>486
で、中国から直接伝わった建築技術って何?
. 半島を経由せずに大陸から直接となると、判明しているのは唐の建築様式になるのかな
いわゆる和様建築のことで、法隆寺の西院伽藍が建立のころには輸入されていたとされている
法隆寺は若草伽藍を踏襲したのかどうかはわからないけど、半島経由の古いタイプの建築様式で再建されたことになる
その後は鎌倉時代に大仏様、禅宗様が大陸から輸入 >>487
そんな事もわからないの?
駄目なやつだなあ…
君、いったい今まで何を勉強してきたわけ? 反射だけで動いてる虫みたいな知能レベルの射精エベンキに勉強なんて高尚な行為無理に決まってるだろwwwwwwwwwwwwww 中国に仏教が入ってきたときに、中国の宮殿建築が寺院に転用されて寺院建築が誕生
そのため、中国や半島では住宅にも斗組が使われてるけど
日本だけはなぜか寺院と神社限定なんだよね
半島には住宅としても入ってきたけど、日本には宗教建築限定で入ってきたのかな
そういう理由で構造上はほとんどいじれずにあまり発展がなかったのかもしれないと、私は勝手に思う >>488
和様建築は鎌倉時代以降だろ。
法隆寺の時代にはまだないだろ。 何度も出てるが法隆寺も東大寺も渡来人が作り上げたのだ。
日本古来の技術など存在しない 法隆寺の金堂からして既に四面庇といって身舎の周りに庇をめぐらす
高床式住居時代の建築を引きずっていて大分土着化してる
中国は二重梁や三重梁といって梁を何重にも設ける形で建物を広げていく >>491
韓国の伝統住居の韓屋でも斗栱は使われない
これは日本にしてもそうなんだけど韓国の伝統建築では斗栱は単なる装飾と化していて
屋根の荷重をそれほど支える構造にはなっていなかったりする あと野屋根を伸ばして仏堂と礼堂が一緒になった形式も日本でしかみられない
すくなくとも8世紀創建当時からある東大寺の法華堂の時点でそうなってる >>493
法隆寺は百済から技術者を招いて作ったのは間違いないだろうけど、
作ったあとは倭人に技術を託して帰ってしまってるんじゃないか?
東大寺は倭人が作っただけだろ。 ブルジュハリファも日本人が作って、作ったらすぐに帰ってきてるしな。 >>492
薬師寺も唐招提寺も創建東大寺も和様建築なので
それ以前に入ってきたものと思われていたはず
これは唐の建築様式で官寺に採用されたため全国に広まり
遣唐使の廃止により新しい様式が入ってこなくなったために国風化され
平安時代に軒の出を深くするために野小屋が発明される
法隆寺や山田寺とは系統が違うと考えられている >>500
寺院建築の本はどれも大体こんな感じでまとめてあるよ
最新の解釈は違っているかもしれないけど 建材が違うんだから建築様式が違うのも当然だし
朝鮮半島とでは木の種類も違うから建築も違ってくる 日本風に改良したのも事実なら
元が大陸技術であるのも事実
二つの事実が同時並行で存在するが大陸人が伝えてくれなきゃ今日の最高木造建築も存在しなかったよ >>501
じゃあ脳内妄想だな。
和洋建築は鎌倉時代以降に中国からパクっただけ。 >>505
じゃあ唐招提寺金堂は何様建築になるのでしょうか?
建築様式は明らかに法隆寺建築とは違いますが、どこから持ってきたのでしょうか?
和様建築という名称は禅宗大仏との区別で鎌倉期以降に呼ばれ出したようだけど 転び
寺社の水屋の四方転びぐらいで、「転び」も廃れた。
韓国は残っているのに。 法隆寺の伝法堂は奈良時代の住宅遺構だね
橘夫人の住宅を講堂に改造してあるけど、調査でどんな住宅だったのか判明している 日本に石垣を積み上げただけで造った絶対燃えない天守閣が無かったのは
いったいなんでなの?
(´・ω・`) 城郭建築自体は建築としての評価はあんまり高くないしね
天守閣は織豊期にいきなり出来たものだし、すぐに戦のない時代に入ったから 天守が初めてできたのは1520年の伊丹城が最初だし
楼閣状の建築なら太田道灌時代の江戸城からある
そもそも戦がない時代の城だから評価が低いという発想自体が戦争オタ的過ぎるのでは
朝鮮出兵では倭城が猛威を振るって明朝鮮軍は一つも落すことが出来なかったけど、これだけで明朝鮮の城郭より日本の城郭のほうが優れているとはならないでしょう てか、天守閣を造るより
地下に要塞を造ったほうが
良かったような気がしないでもない >>516
地下を掘ってなんか作るってのはいつの時代も金と時間がかかるだろってのw
おまえ、戦国期の日本で地下になんか作ったって、それを支える構造を構築するのに、
どれだけの時間がかかるかって話だよw
安全ではないだろうし。
>>513
基本、日本には組積み造の建物を作ると言う発想自体が無かったからでしょ。 >>515
評価されてないというのは、そういう意味合いじゃなくて、技術とか美術的見地からだな
軍事施設なので、急拵えで作ったものだし、建築としてはあまり合理的でないところも多い >>516
それ第二次世界大戦以降は塹壕の発想だから、核攻撃対策で司令部などはシェルターなどの地下要塞で核攻撃が無い時代は武力と財力を知らしめる効果がある。
ロボットアニメの見過ぎで地下の秘密基地は程度が知れる。 建築書が伝来しなかった。
建築書を作らなかった。日本の最古は匠明?
相伝で途絶えたりした。
宮大工と一般住宅の大工との確執があった?
神聖と世俗の分離があった? 足利、織田、豊臣と美的センスがある家系が続いたのに、徳川というセンスが欠ける政権が長かったのは痛かったな
小堀遠州とか注文主が徳川家じゃなかったらもっといい作品生み出してたんだろうな >>520
瓦が高価だったのがすべてだろうね
重い瓦屋根を支える強固な構造を必要としなかったので
一般住宅では発展させる必要がなかった
桟瓦が発明され普及しても、桟瓦は本瓦葺より軽いので
やはり発展しなかった >>526
だから、石造り=文明とかって発想、浅はかすぎだろw >>521
日光とかがセンス無かったとでも?
人に自分の好みを押しつけるのもいい加減にしなさい。 ダンジョンの継ぎ足しみたいな身体がそろわない建築がいいんじゃないか? なぜバカチョンの建築は発展することができなかったのか? なぜのりこえネットの猿共の知能は発達しなかったのか うだつってあんなに小さいのに延焼防止があったのか? とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
37J >>539
中国ではもっと高度な竪穴式住居跡が出土してるけど
さすがに関連性はないと思う
どこでも同じような住居を最初に思いつくんだなと 古墳時代に古墳を大量に作ったお蔭で建築技術がアップしたはずだけど、
その技術を示す遺構が見られないのはなぜ?
古墳時代式住居とか、古墳時代式倉庫とか 古墳期に新羅から秦氏が帰化して土壁の住居が伝わり、
竪穴式住居からようやく抜け出し始めた日本とは異なり、
中国は8000年前にはすでに竪穴式住居から高床式住居に移行している。
そして6000年前にはすでに木骨泥墻という土壁の住居になり、
4000年前には戸建の時代を迎え、3500年前には宮殿建築という建築様式が花開き、
2800年前には瓦が開発され、早くも瓦屋根の戸建の時代を迎えるのである。
住居一つ取ってみても、渡来人が中国系なんてあり得ない話なのである。 >>541
土木建築技術がどこかで断絶してるのかもな 4C後半に新羅から秦氏が最初に中国系の建築技術を持ってきている。
しかし、そこには瓦がないから、中国系と言うには非常に稚拙な技術であっただろう。
だが、これで我々はようやく竪穴式住居から抜け出せた事には違いない。
そして6C末に聖徳太子が百済から技術者を招聘して、ようやく瓦屋根の寺院建築が
伝わり、我々は瓦屋根の戸建への第一歩を踏み出したのである。
中国に後れる事、1400年後の事である。 >>544
礎石も版築もないしね
中国の竪穴式住居は内部柱は礎石の上に立ち
壁の部分は土が突き固められていたとか >>545
竪穴式住居の段階から高床式住居に移行できる基礎が開発されていたという訳だね。
秦氏や百済の技術者が来なければ、我々が竪穴式住居から抜け出すのは
白村江の戦いまで待つ事になっただろう。
殷や呉越の難民??
徐福集団??
寝言は寝て言え。 シナの建物と比べても日本の建築は完成域にあったし、
必ず起きる地震への諦観もあったのではないか? >>1は生きてたら、もうちょっと詳しく聞きたいな
天皇は室町時代あたりまでは日本人狩りしてブイブイ言わせていたが
それ以降は武家に取って代わられ朝廷なんて無かったという
京都御所なんて明治に作られたんじゃないのか
戦国時代には武家からも見放され極貧状態になっており
葬式もされずに腐乱死体で放置された天皇もいる
色紙に短文を書いて金持ちに売り歩いて生計を立てていたという
江戸時代は、神社の宮司のような感じで
多くの人々は天皇がいることさえ知らなかったと ちょっとだけ調べた限りでは
戦国時代の天皇というのは極貧であり
戦乱で焼け出されたが、支援してくれる有力者がおらず小屋に住んでいたが
京都御所の敷地内ではあったぽい
江戸時代の天皇の住居は徳川に建て替えてもらったもので
その建て替える前の小屋がどんなものか知りたいな >>517
茅葺屋根は優秀よ。
火災・風雪害に強く、通気性と断熱性を兼ね備えている。
手入れが面倒なのと菅・萱・葦の最終が困難になってコスト的に瓦屋根と逆転してしまったことで、廃れただけ。
まあ、童話の「三匹の子豚」みたいな感覚で、二十世紀前半までの、西欧文明至上主義での先入観に囚われてると、
茅葺屋根なんて野蛮で粗末としか見ないんだろうけれど。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. 竪穴式住居こそ日本古来の伝統。皇居も竪穴式にすべし 茅葺屋根が優秀すぎたから
悪しき邪教の仏教のインチキによりわれわれはだまされている。
ハイルチョン顔 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 茅葺屋根が優秀すぎたから発展する必要がなかった
寺は宗教的に瓦じゃないといけないという誤解によるもの
あとは寺のマネ 数百年も昔の建物を使いづづけるのも貧乏くさいとも言える。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 日本の伝統様式の高欄ってやたら高さが低いけどなんでだろう。
落下防止の意味合いがほとんどないのか? 高さのある高欄を設置するとバランスが悪くて建物の小ささを暴露してしまう
五重塔や平等院鳳凰堂の小さな高欄は建造物全体を大きく見せて景気が良い
犬山城や丸岡城の天主に登ったが、傍目には立派な高欄に見えても、実際は一尺程度の手すりだった 茅葺は優秀。台風でも飛ばされない。
まあ、「建築」は屋根だけの事じゃないわな。
>>1は、本来の日本の江戸時代に作られた農家の建物を見たことがないんだろうな。
庶民以外じゃ、京都御所の建物、姫路城、日光東照宮、知恩院の門、その他多数の
お寺やお城。 >>565
あれは路肩の崩れた道路にカラーコーンを設置するようなもんで落ちるようなヘリに近づく奴がマヌケなの。 平安時代に野屋根が発生して割と自由がきくようになってしまったからね
その後は鎌倉時代に新しく入ってきた宋様式のいいとこどりをしておしまい
もっと貪欲だったらよかったのに 確かに日本の建築技術は遅れ過ぎ
竪穴式住居から抜け出すのが4世紀に入ってから
お隣中国では紀元前3000年には竪穴式住居
止めてる
日本が高床式の時代に中国は土壁に瓦屋ねに既に移行し戸建住居に住んでる
その事から中国から日本に渡ってくる人が居なかったと推察される >>568
そんなことだから発展しない。
間抜けな殿様が転落。転落防止にもっと頑丈に高く作れと職人に命令。
のち家臣がマネをしていっせいに広まる。 現時点だとかなり高いレベルだと思うけどどの辺りの年代の話してんの? 中国から日本に渡ってくる人がいても
土壌が悪いから
すぐには中国式の建築をできなかったんでしょ。
中国から日本に渡ってくる人がいたから
土壌改良して
日本全国に一気に平野ができたんでしょ。 4C後半の奈良盆地に新羅系の朝鮮陶質土器=須恵器や韓服を着た埴輪が登場するとともに
韓竈や土壁の住居跡が現れる。
これらは最初の朝鮮帰化人である新羅から来た秦氏がもたらしたものだと考えられている。
中国から日本に渡ってくる人がいたなら、その当時の中国系陶磁器や中国系竈や
瓦屋根の中国系住居や漢服や木沓がもたらされているはずである。 >>575
中国人だろおまえ。
必要がないと、どうして分かったの?
何で分かったの?
実際に作って、しばらく使ってみなきゃ分からないじゃないの。
それで必要がなければ、取捨選択されて徐々に表舞台から消えていくというのが筋だろ。
詭弁を言うんじゃないよ。 木造建築でもトラス構造の発想がなかったりヨーロッパより遅れていたからな
まぁ高度経済成長期ぐらいじゃないかな
日本の建築技術が世界有数になったのは 日本は剛構造より柔構造の技術のほうが発展してる気がするわ地震が多い性か
縦穴式住居も地震と台風には強そうだよね 中国朝鮮からパクってきた寺院建築はわりと頑丈だが
日本オリジナルである天守はかなりの数が倒壊してるし幕末には大半の天守が傾いていたり結構脆い
というか日本は伝統的に高層建築に弱い 岩国市のアーチ式の錦帯橋
明の坊さんのお蔭で作れたけど、日本各地に広まる様子もない 石橋が広まったのがやっと江戸末期だよね。
しかも、九州地方限定。 >>581
寺の構造からみると城はプレハブみたいなもんなんだろうな 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 プレハブの意味が分からんけど城は外壁が重いから地震に弱いんじゃないかな 壁に限らず普通はお寺のほうが厚く頑丈に出来てるものだけどな
寺の場合は円柱を使ってるのに対して城は角柱を使ってるから負荷のかかり方が不均等で構造的に脆いんだよ 城は構造の強度に対してデカすぎるんだろう
地盤も関係なく建ててるだろうし全体的に雑だろうし
寺院は大きくするならそれなりの方法を取ってる >>583
いだてんの金栗四三の家の前に石橋があるね。 >>517
昔はエアコン無かったんだぞ
日本で石組の家なんかに住めるかよw
>>560
材料がススキだから集めるだけで大変。 エジプトのカイロやインドのバラナシとか多分いまでもエアコン普及してないと
思うけど普通に昔から石やレンガの家に住んでるけどな
仏塔や天守と言った居住を前提としてない建物も燃えやすい木で出来ているのだから普通に技術がなかっただけ 今現在石の家建てる人はほとんど居ないけど木の家は建ててる所を見ると日本が進みすぎてたんだろうね 伝統的な純木造の古民家とか冬寒くて夏は暑く
地震にも火事にも弱いから現代人からしたらすめたもんじゃないよ 鉄筋コンクリートの戸建てなんて殆どないし(新築戸建ての70%が木造残り30%も鉄筋コンクリートでは無い)
古民家は火事には弱いが地震には弱くないし暑さ寒さに関しては現代の方が進歩してるんだから当たり前でしょ
それでも石積みの家よりはましだよ日本だと湿気多くて黴が生える上に地震で崩れるからね
現代の建築事情を説明できない限り木造が劣っていたと言う主張は間違いと言わざるを得ないね
ちなみに鉄筋コンクリートと石積みは工法が全然違うからね 建築に住むと地震でくたばるよ。経済的にも身体的にも。夜空で寝れたらなあ。人目をはばからず。 いいねそれwすごくいいけど春まで待った方がいいね
土地買って塀替わりに木を植えれば視線遮れるし風にもある程度耐えられそうだね
宅地買う必要ないからすごく安く買えると思うよ 「日本の民家」で今和次郎が書いてたけど
耐久性や耐火性は分らんでもないが耐震性も欧米の古民家のほうが優れてるからな
トラス構造とか普通は地震国の日本のほうが思いつきそうなものだが
明治になって欧米から伝わるまでなかった それは明らかに古い情報だね今の時代には地震に対して「耐震」「制震」「免振」と3つのアプローチが有って
欧米の古民家は「耐震」構造、日本の古民家は「免振」構造で耐震性のアプローチが違うよ耐震と免振の違いは自分で調べてね
そもそも建物は土地の風土に合わせて発展してるから一概にどちらが優れているというのは間違いだね
欧州は地震と湿気が少ないので倒壊した時に致命傷になったり湿気に対する対策をしなければならない石造りでも問題無いけど
日本は地震で倒壊した時に致命傷になったり湿気で黴が生える石造りが発展しないのなんて当たり前だからね
ちなみにトラス構造は石積みの橋からの進化らしいよ 姫路城は建ててまもなく傾きだしたとかって話だね
一方、五重塔は地震で倒れた記録がほとんどないそうだ >>601
「古民家再生」って言葉しってる?
今文化財に指定されてる古民家は改修工事の際に洋小屋組に改変されていて実質的に古材を利用した新築と言ってもいい
民家だけではなく唐招提寺や東大寺の大仏殿ですらトラス構造や鉄骨まで入れられて伝統建築と言っていいかよくわからないものになってる
これは何としても後世に遺すための苦肉の策だけどその是非はわからない
>欧州は地震と湿気が少ないので倒壊した時に致命傷になったり湿気に対する対策をしなければならない石造りでも問題無いけど
地震は日本以外ではほとんど起きないとでも思ってるのかな?
イタリアやギリシャとかユーラシアプレートとアフリカプレートの境界に位置していて日本以上に地震大国なのに
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/jishin/about_eq.html >>603
木自体の耐久性も有るから新しい物に変わるのは仕方ないんじゃないの?現代技術の方が優れてるんだし
地震頻度はどう考えても日本の方が多いけどね(日本はプレート4枚)画像見てると石造りの建物は倒壊した時助からないから木造の方が良くない?
逆に言えば湿度が低くて地震が少ない所なら燃えにくくて建物自体の耐久年数が高い石造りの方が優れてるだろうね
実際そういう地域では石造りの建物多いんだし、まあ意図的に木造下げをしたいなら知らんけど
ttps://goo.gl/dxkMy6.info
ttps://goo.gl/DFSeqP
ttps://goo.gl/jCughA
ttps://goo.gl/p2Lx9n 中国が石造に切り替えたのは木材の不足によるもの
日本も奈良時代には太い木材の調達が難しくなっていたが
贅沢な木材の使い方を改めてないところを見ると
石造に切り替えるほどは不足していなかったと推測される 唐招提寺の金堂は「天平の甍」と呼ばれて奈良時代からそのままの姿と思われていたのが平成の大修理で
バラしてみると明治の修理で鉄骨によるトラス構造が入っていた。もともとは低かった屋根を元禄の修理で
高くしたツケで部材に無理な力が掛かっていてその対策としてトラス構造が用いられた。平成の大修理で
オリジナルの姿に戻すか現状を維持するか検討した結果トラスを残して現状のままとすることになった。
やっぱりあの急勾配な屋根が「天平の甍」だと信じられていてそれが魅力だからオリジナルに戻して観光客が
離れることを恐れたからだけどね。 >>606
軒から下は当初の姿をよく残しているけど
軒から上の部分、特に屋根部分は後世に改造されてるみたいだね
でも興福寺東金堂みたいに浮き上がって見える屋根にはなってないのでセーフなんだろう 日光月光菩薩像・四天王像はハリボテ 東大寺の。
乾漆像だから、中身カスカスやん
尚、罰当たりが怖い人は信じないようにしましょう 諸行無常盛者必衰の理り あり 日本史を勉強してて>>1みたいな事をいうって 中身ないんやろな 日本ももっといろいろな歴史的建築物があればな(´・ω・`) 石造は地震もだが意外にも砲弾に対しても一旦崩れ始めると内部機能が一気に損なわれて脆弱だったからw 日本もピラミッドくらい作っとけよ、後年子孫のための観光資源になっただろうに(´・ω・`) 皇居でやってる大嘗宮の一般公開は明日12/8まで!
これ逃すと次の代替わりまで待たないといけない。
まだの人は早めに行って! 大飯原発1号機が稼働式典である大阪万博EXPO’70以降にエアコンが普及するまで、日本の夏は耐えがたい高温多湿の東岸性気候だった。
梅雨(降雨)時、日差しの強い日にもフル換気できるよう、軒の出を限界まで大きくし、(土)壁なんて北側にしか作らなかった(柱だけ)。
その代償として、冬の寒さで震えるわけだが、耐え難い夏の暑さには代えられなかった。 オールコック(山口光朔訳)『大君の都』岩波文庫,1962. [初出=1863年]
かれらには建築と呼びうるようなものはない。……したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。(下巻, p. 176)
グスタフ・クライトナー(小谷裕幸・森田明)『東洋紀行』平凡社東洋文庫,1992-93. [初出=1881年]
実際に眺めてみると、期待した程のものではなかった。東京は大きな村という感じだった。そして、町の無数の貧弱な木造家屋の中に高々と聳え立っている帝の居城さえも、宮殿というよりもむしろバラックといった趣であった。(1巻, p. 289) 日本では斗組建築を住宅に用いなかったので
簡素に見えても仕方がない 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 江南から来た来た詐欺のサギサギチンコロが顔面に風穴を開けられた瞬間
589日本@名無史さん2020/01/02(木) 02:07:18.22
>>570
いや、江南の話だが。
江南の高床式「住居」は5000年前にはほとんど消滅している。
その頃の江南の住居はすでに「木骨泥墻」(もっこつでいしょう)。
江南から真っ先に伝わるべきは木骨泥墻のはずである。
つまり古代日本に高床式「倉庫」を伝えた地域は江南ではありえないという事。
弥生人が江南から来たなら木骨泥墻が伝わるはずだし、仮に高床式「倉庫」が
江南から伝わったものなら、なぜ列島に伝わった途端に住居利用しなくなるのか
全く説明がつかない。
>私が見たものでは高床建物を出す遺跡は右の二つだけで、あとは全部「木骨泥墻」を
>出すものでした。陰湘城がすでに述べたように木骨泥墻ですし、その東にある石家河遺跡が
>やはり木骨泥墻です。この遺跡は陰湘城と同じように環濠集落なのですが、はるかに巨大です。
>壕の長径は1.5キロメートルに達します。これはもう村というより都市だとされています。
>時代は石家河文化時代(前2600〜2000年)です。右の情報を横並べにしてみると、
>次のようになります。
>
> @河姆渡第3〜第4期(前5000〜前4000年)
> ロングハウス式高床建物
> A屈家ュ期(前3000〜前2600年)
> 木骨泥墻・環濠村
> B石家河期(前2600〜前2000年)
> 木骨泥墻・環濠都市
http://www.kyoto-up.or.jp/jp/authorsessay01.html 石派の人は地震で倒壊した石の下敷きになって絶滅したからじゃね? 歴史のある石造建築にあこがれる。
木造はすぐ燃えて無くなる。 もっと歴背的書物も残してほしかったね、まあ肝心の文字がないからな(-_-) 『鳳輿』に聞けば良いだろう、
本や書なんかも持っていたと言っているし、
たしか・・・かなり最近(明治時代〜戦前、戦後?)の話。 大阪城の石垣は大坂城の石垣をそのまま(改修して)使ってるの? 今も金持ちも貧乏人も木造(笑)の家に住んでる倭人たち >>633
太閤さんの築いた石垣が立派に残っていると、それを見て民衆に豊臣への思慕が募るだろうからマズい
それで徳川が築いた新大坂城が旧を覆いつくしてしまった
それでもそのことがまた忘れられて、豊臣の石垣が残っているのだと昭和の前半まで思われていたけど ガースー「恵方巻きの馬鹿喰い大会でアベコロナが大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ」 猪豚「ワイロ、ポッケナイナイ
よっしゃ、よっしゃあ」 無能ヒトモドキも松傾も普段は他の在日チョンコ同様日本人のフリして暮らしてるはず
何故か?
それはチョンコであることが恥ずかしいからに他ならない
そして日本人のルーツにチョンコが無関係だと理解してるからに他ならない
自ら恥ずかしい存在だという自覚があり
何一つ自信を持つことが出来ない惨めさから
朝鮮起源説や反日活動で精神勝利するしかない
チョンコとはそういう存在
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゙l||li、 |ll、 'll'、 ,__〃 ゙||lli ゙゙ 'l|l'′ ,,._lll′ ,,lll′ .|lll’ `'l|||′
`il|l' il|l `'ill||lll''~ ~~ ` -‐'~~ ..l广 .`'' ゙''′
; ∧,_∧: 悔しいニダァァアーーッ!!!
:<;l|l;`田´>;
;(6 9):
:ム__)__) ええ⁉メチャクチャ発展したと思うけど、木と紙しか材料が無い状況で、何百年 下手すりゃ1000年もビクともしない建築物なんて、日本にしか無いんじゃない❓まあ西洋には石と鉄と言う素材があったから西洋式の建物を造ったけど。
西洋スタイルの建物が 過去200年くらいの世界の主流
だけど、それは技術者の力とは関係無い話。それとて日本の技術者はいとも簡単に模倣し、発展させたでしょ。 オールヒノキで作ったらええんちゃう
法隆寺やら長持ちしてるし 日本人が3階建て以上の住宅で生活するようになったのはここ数十年。
ヨーロッパでは古代ローマ時代から3階建て以上の集合住宅が普通にあった。
その差は数千年。 庶民はその集合住宅を賃貸で借りていた
住居に関して日本では近代に属することがヨーロッパでは古代からあった
その差は数千年 出島とかを西洋人に作らせなかったので西洋建築術を知らなかった エアコンが普及するまでは温帯モンスーンのこの地ではそれは正解だったでしょうけど、今は違う 中国大陸は8000年前から土壁の住居だからね
住居だけ見ても日本列島には中国大陸からなんて渡来入植してない事が分かるの
よろしいか中卒クンたち 朝鮮系大壁建物だろ
半島から東漢氏が帰化したときに伝わったもので中国大陸から伝わったものではありません
残念 現代数寄屋作りなんて、金持ちしか住めないな。
外国の住宅よりも風情があっていいと思うなあ。 東漢氏が伝えた朝鮮大壁建物、百済から取り入れた寺院建築が
全ての日本建築のベースとなっている
寝殿造も数寄屋造も 住宅に関していえば、日本のハウスメーカーというのは独特の存在らしい
海外に日本のハウスメーカーに相当するのはあるんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています