なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?
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天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた 万里の長城なんて明時代になってからようやく煉瓦造りになったんだからな
それまでは土塁
中国に石造文化が浸透していたらヨーロッパみたいに町ごと中世の面影で残っていただろうな
しょせんピンポイント的な建物に過ぎない >>239
おまえ、ほんと何も知らないんだなw
磚を知らないの?
大和時代に日本に伝わってるんだけど。日本では普及しなかったようだけどね。
https://kotobank.jp/word/%E7%A3%9A-549229
よくそんなんで、人に教えてやったとか威張ってられるねw >>237
例示されて反論出来なくなって、
仕舞には法律がどうたらこうたら具にもつかない屁理屈こねですか?w
そんな屁理屈こねても、おまえの頭の悪さ晒しこそすれ、ためにも何にもならないよw
いいかげんあきらめなよw >>239
>中国に石造文化が浸透していたら
>>235で例示してるのだけど無視ですか?w
他にも例はたくさんあるぞw >>241
いや崖地の建築には法律や条例があるってことについて、おまえ反論できてないじゃん
法律も条令も屁理屈じゃないんだぞ
法律無視して「作ってよ」って依頼してる>>235の知能レベルが低いんだよ >>238
石造建築の経験も技術も低いから屋根が惨い >>233
お前、本当にゆとり世代っぽいな
母ちゃんに「ねえ?タタキって何?」って聞いて来いよ ついでにホームセンターに行って漆喰って土壁ですか?って聞いてみればいいんじゃね
何言ってんだコイツって顔されるだろうけどな >>241
いま歴史的建造物についての話題なのに、法律とか関係ないだろってのw
>法律無視して「作ってよ」って依頼してる
君は冗談もわからないのか?w 君こそ知能レベル低いんじゃないの?w
君には出来っこないだろって意味で言ってるのだがw
ちなみに日本にもこんなんあるけどねw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BB%8F%E5%AF%BA
これは法律上どうなるんでしょうか?w
国宝だよ、国宝w 漆喰も三和土も知らない世間知らずのゆとりっ子が何か言ってる。 30代ぐらいの連中でも間や坪がどれくらいの大きさかも知らないのがザラにいるからな
ゆとりになると猶更だろうなぁ >>248
>>249
一人芝居しなくていいからさあw
君は
三和土がただの土だと言い切ってる時点で、磚が古代からあることを知らない時点で、
中国に高度な組積み技術が古代からある事を知らない時点で、何も知らないのと一緒だよw
負けてるの、君はw
君は法律がどうのこうの言ってる場合じゃないと思うよw
ほんと馬鹿だわ…w 完全素人からの質問です
築年数新しい方が良い物件なのはわかるけど、10年前の技術と今の技術ではレベルが全然違ったりしますか? 現代の家屋の話なら土木・建築板へどうぞ
とマジレス >>242
そんなわずかな例を示したところで
中国の建築が石造でなかった事実は揺るがない
もしヨーロッパのように石造建築が浸透していたら
今でもちゃんと街として残っているだろう てめえも何、他人の褌で相撲を取ってるんだ?
俺のレス読むまで磚とか知らなかっただろ?
一つ、いいこと教えてやろうか
中国には煉瓦造りの壁を使っているものはあっても組積造は全くない
すべて木柱が屋根材の荷重を引き受ける架構式構造で実質は木造建築と変わらん
これはいくらネットでもググって出てこない話だぞ
どうも、聞きかじりばかりで根本的な知識が足りてないようだし
これを期に専門書でも買って勉強してみてはどうだね
俺のおすすめは「図解 建築用語辞典」だか、この手の時点にしては廉価でamazonできみの小遣い程度でも十分買えるはずだ >>254
>俺のレス読むまで磚とか知らなかっただろ?
大爆笑w
歴史マニア、東洋史マニアなら知ってるに決まってるだろってのw
あのさあ、
日本の伝統的街並みと、中国の伝統的な街並みの一番の異質な印象は
組積みの塀や道路のレンガ舗装とかだろっての。
奈良なんかの古民家の土塀は少し大陸の影響を感じるよね。
君、中国のレンガごときを知ってるからって自慢して、かえって恥かいたねw
ああ恥ずかしいw 「中国歴史建築案内」楼慶西 著
木構造形式 古代のエジプト、ギリシャ、ローマでよく知られているピラミッド、闘獣場、神殿、教会などはいづれも石造である。
これに対して、中国の古代建築の最も大きな特色は木造である。中国の古代においては、一般の住居から壮大な宮殿、寺院まで木構造形式を採用している。
その構法は、柱上に梁(はり)、桁(けた)をおき、その上に屋根を造る構架式を基本としている。壁体には(れんが)、土などの材料が使われ、
こうした壁は屋根の重量を支える役割をしていないので、中国の家屋は「壁が崩れても家は倒れない」というという特徴をもっている。
「中国文化あれこれ」 馮凌宇 史衛民 著
西洋の古代建築と比べ、中国の古代建築はその様式、構造に著しい特色がある。
中国の古代建築は木構造を主としており、(れんが)石造りの仏塔、殿堂あるいは陵墓の地下宮殿であっても、木構造の形式を模倣している。
これは西洋の建築が主にれんが、石構造であるのと大きな違いがある。 「中国における日本租界」大里浩秋 孫安石 著)
第三に、市内の建築材料は木造建築を主とし、レンガ石で補うという古い方式で、類型的には古臭く貧弱である。中国の前近代の職人は、耐圧性に優れた石材の特性を利用する
ことを知らず、堅固で粘着性に富んだ漆喰(しっくい) (石材を積み重ねる時の粘着塗料)を採用しなかった。
「現代文明ふたつの源流」 中尾佐助
華北の文化はこのように煉瓦の文化であり、その煉瓦は世界で一番すばらしいものもあるというわけであるが、宮殿、寺廟となると、ヨーロッパのような煉瓦建ての大建築は発達していない。
中国では、橋や城門を除いては、アーチの利用が建築に利用されず、木の柱と桁を使って宮殿、寺廟の大建築物を建ててきた。
硬葉樹林地帯でもその北方のヨーロッパでも、また西アジアやインドでもアーチは大建築物にどんどん使われたのに対し、世界一すばらしい煉瓦を持っていた
中国はそれで大建築物を建てようとしなかったのである。 東洋史マニア?ならネットじゃなくて手元にある専門書引用して反論してみろって
まさか一冊ももってないとかねえよなぁ?
中国の伝統建築がお前の言う組積造なら斗栱なんて発想まず出てこないんだわ >>259
君さあ、人の言ってること、
自分に都合よく曲解してるけどさあ、
>中国の伝統建築がお前の言う組積造なら
そうは言ってないけれど。
中国の建築の技法として組積技術も発達しているとは言ってるけれどね。
中国の建築が木工造が基本なのは一目瞭然だろw
逆に上記の資料通りなら良いことづくめだと思うがw
中国の建築技術が未熟などとよく言えるねw 幕府が伝統に縛られて
日本中も縛ってたからだろ。
明治になって
ちょっと学んだらすぐできるようになったし
なんか問題あるんか? どの見えない敵と戦ってるのか知らないが誰も未熟などとは言ってないし架構式構造では世界でもっとも発達していると言える
つうかお前は言葉の定義をろくに知らずに使ってるだろ?
組積造の定義ぐらいググってみろよ コイツ、都合が悪くなるとすぐ前言を翻すな
ちょっと前に自分がレスした内容すら覚えてないらしい 傍から見たらどっちが書き込んでんのか分かんねえからコテつけろ >>262
言ってるだろが、>>226で。
>中国文化圏、東アジア文化圏と言い換えてもいいが
東アジア文化圏は建築や美術関係の技術がほかの文明圏と比べて著しく低かった
あのさあ、組積技術をモノにしなかった訳じゃなく、それで事足りたってことだろ。
別に是が非でも組積みで作らなきゃならないわけでもあるまいし。
そんなこと言えば、日本だって明治維新後現在に至るまで、上屋自身を組積みだけで作った建物なんて殆ど見当たらないわけで。
だいたい木骨との組み合わせが殆どだろ。
まあ、日本が地震国だというのはあるけれど、
ほんとの組積み構造だと 手間ヒマ・コスト がかかるわけで、それよりも手っ取り早く安く作れるのは木骨造なわけで。
骨組み付の建物の方が地震にも強いわけで、それらが広まるのはあたりまえ。
組積み技術が上級建築技術と錯覚していること自体が×だろw
はっきり言って西洋かぶれだねw 日本の建築技術は世界一。地震で瓦が吹飛ぶようになっているドヤ モルタルで瓦を固めて飛ばないようにする工法もあるけど
柱にかかる負荷が大きくなるから一長一短なんだよね マンセーしろなんて言ってはいない。
そもそも建築に関する知識自体なかった人間が、
一概に日本建築は遅れていると言い切ってることが間違いだと言ってるわけ。
その地域の気候、風土、歴史などがからみあって、その地域にあった建築が出来上がっているわけで、
それらを無視して外国がなんでも良いというのはカブレていると思われてもしょうがないw 西洋建築が入ってきた幕末明治には台場とか海堡とか要塞とかアホみたいに作ってるんだから
単純に技術がなかっただけだよ このアホは世界史の建築スレでファビョってたアホと同一人物だろうな
日本の家は冬は寒いと書かれたのを貶められたと勘違いして暴れてた馬鹿な
枕草子に「夏をむねとすべし」と書いてるのを知らないのかーとか
いや夏をむねとしてるんだから、寒くて当然だろとたしなめられたけど >>273
>西洋建築が入ってきた幕末明治には台場とか
海堡とか要塞とかアホみたいに作ってるんだから
単純に技術がなかっただけだよ
一時期はね。
でも技術が無かったというより、発想が無かったと言うのが正解だろ。
上屋の壁を組積みでつくるという。
石組みアーチは中国の技術で江戸初期に眼鏡橋で伝わってるから。 >>274
また、自分の知ってる範囲の知見で勝手に認定ですかあ?w
おい、おまえ はだか踊りだべ?w
勝手に的外れな予想してホルホルしてるとことか、発想の仕方がよく似てるわw 建築もそうだけど、電柱と電線をどうにかすべきだと思う
海外旅行から帰国して帰宅中、車窓を見て感じること
先進国だというのに、景観が残念すぎる
建築も家具もだね 世界遺産レベルの歴史的建造物は世界に誇れる美しさだと思います
一般の街並みや住宅がもうちょっとどうにかならないのかと残念に思う
アジアだから仕方ないのかね ワビサビ文化自体が後世の後付け
そもそも日本には豪華と呼べる文化財がない
せいぜい木に金箔を張り付ける程度w >>279
アジア諸国は西洋から直接建築を学んだだけあって日本よりはるかにましだろ
日本の建築や街並みのひどさはアジア諸国の中でも最底辺 明治期に作られた要塞って当時来日してた欧米諸国の軍人から見ても評価高かったからな
技術力は相当なものがあったわけで
不謹慎ながら島原の乱の後も内乱が続いていれば、と思ってしまうよ >>281
日本の街が電線だらけで、欧米の街が電線が少ないのはなぜかと言うと、
欧米では電気が普及する前にガス灯が発達していて、
電気が普及するときに地下の埋設ガス管施設をそのまま電気のケーブルを通す施設として
利用できたからだよ。
地下鉄や地下トンネルもそうだけど、なんでも埋設施設にすると偉く金がかかるのが、
埋設施設の難点。
特に日本は地権だのなんだのうるさいし、現代の東京などのように、家が密集した地帯が多いと、
住宅のケーブル地下化が困難になってしまうのも仕方がない話。
街の再開発のついでに地下化するとか、新たに住宅地域を作るときに埋設化するなどしか無いのが現状だろ。 >>281
あと、アジアの国々、特にフィリピンなどが西洋的なのは、学んだというより、
植民地としてインフラが整備されたからだよ。
負の遺産でもあるわけよ、悲しい話ながら。
韓国などは、朝鮮戦争で国土が焼け野原になった跡に街が再整備されたからああいう街並みなわけ。
それも悲しい話なわけだよ。
君、隣の芝は青く見えると言う言葉、知ってる? ついでに書いとくと、
タイは日本と同じく独立を保った国だけど、高層建築多いのは、一言、地盤が違うからだよ。
なんてったって、RCで高層ビルを作る国だからねw 日本では考えられないw
でも、交通インフラはかなり無茶苦茶だし、治安も非常に良くない。
おれは日本に生まれて本当によかったと思っているw >>1
出島を日本人が作ってしまったから。
西洋人に作らせておけば西洋建築の勉強になった。 日本の歴史の中での石造建築の少なさは確かに異常だな。
東南アジアの寺院なんて密林でもアンコールワットだからな。
ほんと、なんでだろう。
石橋も江戸時代になってから九州の一部で眼鏡橋とかようやくだよな。
アーチ構造もずっと知らなかったのかな。
アーチ工法の門て日本にないよね。
中国には紀元前に来てるよね。
沖縄にはアーチ工法の門やグスクがあるのにね。 中国って中心地の黄河辺りは砂漠化が問題になるくらいなのになんで石造建築が発達しなかったんだろうね。
不思議だなあ。 >>230
でも稲作が沿海州からというのはありえないよねえ。
沿海州から来た初期弥生人が出雲、越あたりに定着して。
そのあとに中国の南部から稲作民族が北部九州に来て稲作の生産力で徐々に初期沿海弥生人を圧倒したという感じなのかな。 >>234
中国は住居は万里の長城にある砦ようなレンガ建築ではなく、あくまで木造の宮殿にこだわったんだね。
なんでだろう。 >>291
木造にこだわったというより木造でしか作れなかったというのが実態だろ
砦や城の石垣のようなものは大した技術が要らないが
建物になると相当な技術とセンスが必要 唐の大雁塔とか今は壊されてないけど北魏の永寧寺仏塔は高さ150mに達するレンガの塔とか
インドと張り合ってた頃はそれなりのものを作ってる
アーチ構造も朱然墓とか、少なくとも後漢末期の墳墓には使われているけど、住居には使ってないな >>289
版築(土を突き固めて壁を作る技法。三和土もその技術の延長。)が発達したから。
気候が乾燥してるのも影響してるだろうね。
>>293
>砦や城の石垣のようなものは大した技術が要らないが
だから自分で作ってみろよw
おまえ馬鹿なんじゃないの?w なんか、どうしても日本の技術が劣ってるということに話を持っていこうとしている人がいるなw
(まあ、スレ立てたやつがそう思いたい人みたいだからね)
技術ってなんでもだけど、発想と環境がマッチして初めて起こるわけで、
そこに能力の優劣はあまり関係ない。
石積み技術だって、木材の少ない地域(エジプトや中東など)で、必要に迫られて、
比較的身近な素材で構造物を作った事から起こったものだろう。
エジプトなどは大河があり、水運が発達していたから、奴隷など労役者を使い、
巨石を調達・運搬出来たわけだし。
ギリシャ建築も、エジプト・地中海文明の流れから、
当初木造主流だったのを”身近な”大理石造に切り替えたわけで、
西洋の石積み建築文化の直接の源流になった。
歴史の流れなんだよ、すべて。 木造は燃えちゃうからねえ。
東大寺の80m以上あった七重の塔とか残っていたら壮大だったろうなあ。 未だにピラミッドが奴隷によってつくられたとか迷信信じてる奴いるんだな
そもそもエジプトの奴隷は家内労働中心で数も少ない
労役は農閑期に配給品目当てに集まった農耕民を利用して負担させてた
これも強制でなくて監督官に申し出ればいつでも辞めれて、いつでも雇用されたことがパピルスからわかってる 明治時代に日本を訪れた西洋人がみな日本の建築技術の低さに驚いたのは有名な話
日本の建築技術がすごいというのはさすがに無理がある 神社が機能ごとにちっこい建物を造るのは大きな建物を造る事が出来なかった時代の影響? >>301
長崎の眼鏡橋は中国の技術で作られてるから、それを模したと思われる早鐘眼鏡橋は中国の技術ということになるのかな? 瓦、礎石、土壁もすべて中国の技術だよ
これらが最初に取り入れられたのが法隆寺 >>307
日本建築の独自性は、それらの中国技術が入ってから”国風化”してなりたったわけで。
衣類に関しては、着物だってそうだろさ。
中国の服が日本の気候に合わせて変化して、今の着物になったわけだし。
だから ”呉服” というわけでw >>304
古代の出雲大社はその名前の通りデカかったようだよ。 基本的に朝鮮やベトナム、日本、モンゴルの建築物は中国建築からのマイナーチェンジだよ >>310
ベトナムは周囲の東南アジア諸国からの影響もあるよ。
チャンパーはヒンドゥー教じゃなかったっけ?
誰かの好きな石積み文化だよw
マイナーチェンジではなく、地方化したのだと思うがw
どうしても、日本の文化は劣ったことにしたいのだねw
ほんと価値観の貧しい人だわw ベトナムは漢代から北宋に至るまで長らく北部が中国の直轄地だったこともあって基本的には中国建築を基にしている
タンロン遺跡、胡朝城塞、フエ王宮に至るまで中国の皇城に範をとっている
寺院と併設して作られた神社は差異化のたまにあえて日本在来工法のみで作らているとされているが
建築史学上では日本建築は独立したジャンルではなくあくまで中国建築に分類されている
https://kotobank.jp/word/日本建築-110146
>日本建築は伝統的には中国建築の一支流として位置づけられ、木造建築が主流を占める。 シナの亜種だもの、和風建築であって和式建築ではない 「中国の建築」竹島卓一
中国の建築の大きな特徴の一つである斗栱(ときょう)(斗組(ますぐみ)、あるいは組物ともいう。
柱の上に四角い斗形のものや、肘木といって腕木のようなものを封雑に組んで深い簷(のき)や梁(はり)をうける構造体で、装飾の意味も兼ねる)の制度についてみると、
中国の影響をうけた日本の建築にそれがとりいれられていることはいうまでもない。
・・・平安時代に入って中国との交通が疎遠になると、たちまち停滞し、簡素化して日本固有の神社建築に応用することはあっても、それを発展させて、
いっそう複雑なものを作り出すというようなことは全然おこなわれていない。 >>29
稲作は沿海州から渡来定着して50年以上経ってから、朝鮮南部からパクってきただけの話。
最古水田菜畑から出土する短粒種オンリーの炭化米、木製農具、大陸系磨製石器、
それら全て朝鮮南部と一致し、中国とは一致しない。
それらは全て朝鮮南部から入ってきた事が分かる。
ところが、最古水田の弥生人たちが朝鮮土器をさーっぱり作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
彼らが朝鮮半島から渡来した人たちに見えるか?
彼らがもっぱら作っていたのは、50年以上前に山陰に伝わった
沿海州南部と文様が一致する山ノ寺式刻目突帯文土器だけ。
つまり稲作は彼ら自身の手で朝鮮南部からパクってきただけだと
いう事が分かる。
中国南部??
2兆%ないね。
伝わっているイネの粒種、伝わっている農具、出土した土器、
どれも中国とはさーっぱり一致していません。 国分寺・国分尼寺の影響で地方の建築様式が淘汰されたんじゃないか?
このため全国画一化(北海道と沖縄以外)に向かった。 日本が1000年前の平安期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約7000年。
その後、中国では6000年前には木骨泥墻が登場し、すでに土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
3500年前の商周代よりも前の王朝から宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、すでに瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
日本には縄文弥生を通して、これら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>309
出雲大社なんか、超高床式で階段が長いだけで、技術力が低い事を物語っている 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
ZEOIY >>314
斗栱って、あれ以上複雑にしても意味ないと思うがw
中国建築が、色合いとかは派手であっても、構造的に、それほど複雑なものとはあまり思わないけど。
日本の建築が簡素なのは、民族的な趣向の問題が大きいと思うけど。
基本、日本人はゴテゴテした人工的な物は好まないから。
それは現代の日本人の感覚にも受け継がれていると思うけれど。
そういう意味で、日光は異例と言えるかも知れないが、中国なんかのものとは色使いなんかは違うよね。
鮮やかな原色系を中国人は好むようだが、日本人はやや渋い色を好む。
神社の色も赤ではなく、朱色だしね。鮮やかな色ではあるけど、やや渋い。 >>315
基本、インディカ米は古代日本には来てないんだろうね。
中国南部ばかり、あなたは異常にこだわるけれど、
別に華中も華北もあるわけで、ジャポニカ米の源流は中国中部だと言われているのだから、
中国直接渡来説もあり得ないとは言えない。
なんでそうあなたは、朝鮮からパクった(盗んだ)と言う言葉に拘るのだろうか?w
稲作ってさあ、パクることって不可能だと思うんだがw
種籾だけもて来て、”さあ米作ろう”ということにはならないと思うんだがw
”稲作経験者”がセットで来て初めて成り立つものだと思うんだよね。
そんなに米作りは甘いもんじゃないと思うよw >>324
超カンタンだったはずだよ。
そんな栽培に困難を極める複数難解な栽培植物なら、原始時代にわずか1000年で
日本中を席巻する訳がないだろ。
馬鹿なのそちら?
それにジャポニカはかつて長粒種だった事も知らない無知無知クンなようで。
日本に最古水田が登場した当時の長江下流域のイネは中粒種が約半割を占めるジャポニカだぞ。
ところが日本の最古水田から出土した日本最古のイネは短粒種だけ。
それにおまえは当時の中国の耕作用農具も知らないウルトラ無知なようで。
当時の中国の耕作用農具は石耜と石鋤。
前者は石刃のスキ、後者は石刃の除草用農具で日本には伝わっていない。
ところが日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は木製のクワとエブリだけ。
石刃の耕作用農具がないどころか、当時の中国のメイン耕作用農具だったスキがない!
それどころかクワとエブリという当時の中国には無い耕作用農具が伝わってしまっている!
この日本最古の稲作遺構が中国から直伝した遺構である可能性など2兆%ない!
ちなみにスキという農具が伝わったのはそれから200年以上経った弥生前期からで、やはり木製であった。
当時の中国の中粒種のイネも、メイン耕作用農具だった石耜や石鋤も、日本に伝わる事は永遠になかったのである。 >>1
パクり限界に到達したから、改良にも限度がある
新たなるステージに進むには、新しいパクリ元が必要だった
中華パクリー>地震ー>改良
西洋パクリー>地震ー>改良 >>325
>超カンタンだったはずだよ。
そんな栽培に困難を極める複数難解な栽培植物なら、原始時代にわずか1000年で
日本中を席巻する訳がないだろ。
だから馬鹿なのそっちだろってw
人も一緒について行ったから広まったんだろがw
あのさあ、おまえ自己流で種籾から育ててみろよw
手順ふまなきゃうまくいかないからw
稲作が裏日本で早く広まったということは、気候があってたことと。
人間同士の交流、あるいは進出・侵略があったということだろっつのw
ほんとおまえ、単純馬鹿だよね。
>それにジャポニカはかつて長粒種だった事も知らない無知無知クンなようで。
はあ?
それはいったいいつの時代の話なの?w
日本でインディカがジャポニカになったとでも?ww
おまえさあ、日本に米がどのように伝わってきたのかという話題なのに、
なんでジャポニカ米の由来の話に話題をすり替えようとするの?w
自分が不利だからって、ムリクリ誤魔化すのやめたほうがいいよw >>328
おまえチョンだろ。
しかも、文章の知的水準から見て高卒だよな。
じゃあ何で最古水田菜畑の弥生人たちは一番肝心な生活痕たる朝鮮土器を一つも
作ってないんだよ?
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけだぞ。
これが半島人が渡来定着した遺構に見えるか?
それに日本に稲作が拡散していくとき、いちいち隣村から隣村へと人が
引っ越していくのかよカス。
隣村の人が隣村の人の稲作をパクりながら拡散していっただけの話だろうがカス。
それと、7000年前のカボト遺跡から出土したジャポニカが長粒種、中粒種、短粒種が
三分の一ずつ混交したジャポニカ。
そして日本で稲作が始まった3000年前の長江下流域の遺構から出土したジャポニカが
中粒種、短粒種が約半々の割合で混交したジャポニカ。
そして8Cに鑑真が長江下流域から持ってきた正倉院に納められているジャポニカが
中粒種が14%、短粒種が86%の割合で混交したジャポニカ。
日本には日本最古の出土イネから中粒種がありませんのでね。
そもそも朝鮮半島で交配された寒さに強い品種が年間平均気温が4℃以上も高い
日本で栽培する事が難しい訳がないんだわ。
高卒の無知無知チョンセン人。 高卒って言うかこの子10代か20前後ぐらいの男の子でしょ
世界史板でも教科書に載ってる徒然草を得意満面で書いて恥晒してたし
この年頃の男の子は熱くなりやすいから何言っても聞かないよ >>323
はぁ?なら竪穴式住居にでも住んでれば?
日本の伝統建築とか全部中国の模倣だぞ
中国に教わるまで礎石も瓦も土壁も何もなかったんだから >>331
半島経由だけどね。
古墳期の4C後半に秦氏が最初に土壁の戸建てをもたらして、
6C末に聖徳太子が百済から技術者を招来して瓦屋根の寺院建築がもたらされた。
ただ、これらはまだ貴族階級のもので、民間人が竪穴式住居から抜け出したのは
平安期後半以降。 >>329
>>330
>一番肝心な生活痕たる朝鮮土器を一つも 作ってないんだよ?
作る必要が無かったからじゃないの?既にその地域に土器があったからそれを使えば良いわけだから。
農業の技術を伝えた人々は少数な訳で、その地域の文化全部を変える勢力ではなかったと考えればいいじゃん。
それってパクった(盗んだ)とは言わないよねw
で、君たち はだか踊りの成りすましだろ?w
なんでも机上の単純化思考で考えようとするところがそっくりなんだけどw
物事って、特に歴史って、白か黒かだけで割り切れるほど単純じゃないんだわw
色んな事象が複雑に重なり合って歴史は織り成されるわけで、一つの法則があてはまらないから、
それはありえないという思考法で全部通用するなら、
古代日本史が、こんなに多数の議論の起こる場にはなって無いんだわw どこの朝鮮人なんだ、
そろそろ頭の病院に行ったほうが良いぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています