なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?
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天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた 転び
寺社の水屋の四方転びぐらいで、「転び」も廃れた。
韓国は残っているのに。 法隆寺の伝法堂は奈良時代の住宅遺構だね
橘夫人の住宅を講堂に改造してあるけど、調査でどんな住宅だったのか判明している 日本に石垣を積み上げただけで造った絶対燃えない天守閣が無かったのは
いったいなんでなの?
(´・ω・`) 城郭建築自体は建築としての評価はあんまり高くないしね
天守閣は織豊期にいきなり出来たものだし、すぐに戦のない時代に入ったから 天守が初めてできたのは1520年の伊丹城が最初だし
楼閣状の建築なら太田道灌時代の江戸城からある
そもそも戦がない時代の城だから評価が低いという発想自体が戦争オタ的過ぎるのでは
朝鮮出兵では倭城が猛威を振るって明朝鮮軍は一つも落すことが出来なかったけど、これだけで明朝鮮の城郭より日本の城郭のほうが優れているとはならないでしょう てか、天守閣を造るより
地下に要塞を造ったほうが
良かったような気がしないでもない >>516
地下を掘ってなんか作るってのはいつの時代も金と時間がかかるだろってのw
おまえ、戦国期の日本で地下になんか作ったって、それを支える構造を構築するのに、
どれだけの時間がかかるかって話だよw
安全ではないだろうし。
>>513
基本、日本には組積み造の建物を作ると言う発想自体が無かったからでしょ。 >>515
評価されてないというのは、そういう意味合いじゃなくて、技術とか美術的見地からだな
軍事施設なので、急拵えで作ったものだし、建築としてはあまり合理的でないところも多い >>516
それ第二次世界大戦以降は塹壕の発想だから、核攻撃対策で司令部などはシェルターなどの地下要塞で核攻撃が無い時代は武力と財力を知らしめる効果がある。
ロボットアニメの見過ぎで地下の秘密基地は程度が知れる。 建築書が伝来しなかった。
建築書を作らなかった。日本の最古は匠明?
相伝で途絶えたりした。
宮大工と一般住宅の大工との確執があった?
神聖と世俗の分離があった? 足利、織田、豊臣と美的センスがある家系が続いたのに、徳川というセンスが欠ける政権が長かったのは痛かったな
小堀遠州とか注文主が徳川家じゃなかったらもっといい作品生み出してたんだろうな >>520
瓦が高価だったのがすべてだろうね
重い瓦屋根を支える強固な構造を必要としなかったので
一般住宅では発展させる必要がなかった
桟瓦が発明され普及しても、桟瓦は本瓦葺より軽いので
やはり発展しなかった >>526
だから、石造り=文明とかって発想、浅はかすぎだろw >>521
日光とかがセンス無かったとでも?
人に自分の好みを押しつけるのもいい加減にしなさい。 ダンジョンの継ぎ足しみたいな身体がそろわない建築がいいんじゃないか? なぜバカチョンの建築は発展することができなかったのか? なぜのりこえネットの猿共の知能は発達しなかったのか うだつってあんなに小さいのに延焼防止があったのか? とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
37J >>539
中国ではもっと高度な竪穴式住居跡が出土してるけど
さすがに関連性はないと思う
どこでも同じような住居を最初に思いつくんだなと 古墳時代に古墳を大量に作ったお蔭で建築技術がアップしたはずだけど、
その技術を示す遺構が見られないのはなぜ?
古墳時代式住居とか、古墳時代式倉庫とか 古墳期に新羅から秦氏が帰化して土壁の住居が伝わり、
竪穴式住居からようやく抜け出し始めた日本とは異なり、
中国は8000年前にはすでに竪穴式住居から高床式住居に移行している。
そして6000年前にはすでに木骨泥墻という土壁の住居になり、
4000年前には戸建の時代を迎え、3500年前には宮殿建築という建築様式が花開き、
2800年前には瓦が開発され、早くも瓦屋根の戸建の時代を迎えるのである。
住居一つ取ってみても、渡来人が中国系なんてあり得ない話なのである。 >>541
土木建築技術がどこかで断絶してるのかもな 4C後半に新羅から秦氏が最初に中国系の建築技術を持ってきている。
しかし、そこには瓦がないから、中国系と言うには非常に稚拙な技術であっただろう。
だが、これで我々はようやく竪穴式住居から抜け出せた事には違いない。
そして6C末に聖徳太子が百済から技術者を招聘して、ようやく瓦屋根の寺院建築が
伝わり、我々は瓦屋根の戸建への第一歩を踏み出したのである。
中国に後れる事、1400年後の事である。 >>544
礎石も版築もないしね
中国の竪穴式住居は内部柱は礎石の上に立ち
壁の部分は土が突き固められていたとか >>545
竪穴式住居の段階から高床式住居に移行できる基礎が開発されていたという訳だね。
秦氏や百済の技術者が来なければ、我々が竪穴式住居から抜け出すのは
白村江の戦いまで待つ事になっただろう。
殷や呉越の難民??
徐福集団??
寝言は寝て言え。 シナの建物と比べても日本の建築は完成域にあったし、
必ず起きる地震への諦観もあったのではないか? >>1は生きてたら、もうちょっと詳しく聞きたいな
天皇は室町時代あたりまでは日本人狩りしてブイブイ言わせていたが
それ以降は武家に取って代わられ朝廷なんて無かったという
京都御所なんて明治に作られたんじゃないのか
戦国時代には武家からも見放され極貧状態になっており
葬式もされずに腐乱死体で放置された天皇もいる
色紙に短文を書いて金持ちに売り歩いて生計を立てていたという
江戸時代は、神社の宮司のような感じで
多くの人々は天皇がいることさえ知らなかったと ちょっとだけ調べた限りでは
戦国時代の天皇というのは極貧であり
戦乱で焼け出されたが、支援してくれる有力者がおらず小屋に住んでいたが
京都御所の敷地内ではあったぽい
江戸時代の天皇の住居は徳川に建て替えてもらったもので
その建て替える前の小屋がどんなものか知りたいな >>517
茅葺屋根は優秀よ。
火災・風雪害に強く、通気性と断熱性を兼ね備えている。
手入れが面倒なのと菅・萱・葦の最終が困難になってコスト的に瓦屋根と逆転してしまったことで、廃れただけ。
まあ、童話の「三匹の子豚」みたいな感覚で、二十世紀前半までの、西欧文明至上主義での先入観に囚われてると、
茅葺屋根なんて野蛮で粗末としか見ないんだろうけれど。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. 竪穴式住居こそ日本古来の伝統。皇居も竪穴式にすべし 茅葺屋根が優秀すぎたから
悪しき邪教の仏教のインチキによりわれわれはだまされている。
ハイルチョン顔 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 茅葺屋根が優秀すぎたから発展する必要がなかった
寺は宗教的に瓦じゃないといけないという誤解によるもの
あとは寺のマネ 数百年も昔の建物を使いづづけるのも貧乏くさいとも言える。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 日本の伝統様式の高欄ってやたら高さが低いけどなんでだろう。
落下防止の意味合いがほとんどないのか? 高さのある高欄を設置するとバランスが悪くて建物の小ささを暴露してしまう
五重塔や平等院鳳凰堂の小さな高欄は建造物全体を大きく見せて景気が良い
犬山城や丸岡城の天主に登ったが、傍目には立派な高欄に見えても、実際は一尺程度の手すりだった 茅葺は優秀。台風でも飛ばされない。
まあ、「建築」は屋根だけの事じゃないわな。
>>1は、本来の日本の江戸時代に作られた農家の建物を見たことがないんだろうな。
庶民以外じゃ、京都御所の建物、姫路城、日光東照宮、知恩院の門、その他多数の
お寺やお城。 >>565
あれは路肩の崩れた道路にカラーコーンを設置するようなもんで落ちるようなヘリに近づく奴がマヌケなの。 平安時代に野屋根が発生して割と自由がきくようになってしまったからね
その後は鎌倉時代に新しく入ってきた宋様式のいいとこどりをしておしまい
もっと貪欲だったらよかったのに 確かに日本の建築技術は遅れ過ぎ
竪穴式住居から抜け出すのが4世紀に入ってから
お隣中国では紀元前3000年には竪穴式住居
止めてる
日本が高床式の時代に中国は土壁に瓦屋ねに既に移行し戸建住居に住んでる
その事から中国から日本に渡ってくる人が居なかったと推察される >>568
そんなことだから発展しない。
間抜けな殿様が転落。転落防止にもっと頑丈に高く作れと職人に命令。
のち家臣がマネをしていっせいに広まる。 現時点だとかなり高いレベルだと思うけどどの辺りの年代の話してんの? 中国から日本に渡ってくる人がいても
土壌が悪いから
すぐには中国式の建築をできなかったんでしょ。
中国から日本に渡ってくる人がいたから
土壌改良して
日本全国に一気に平野ができたんでしょ。 4C後半の奈良盆地に新羅系の朝鮮陶質土器=須恵器や韓服を着た埴輪が登場するとともに
韓竈や土壁の住居跡が現れる。
これらは最初の朝鮮帰化人である新羅から来た秦氏がもたらしたものだと考えられている。
中国から日本に渡ってくる人がいたなら、その当時の中国系陶磁器や中国系竈や
瓦屋根の中国系住居や漢服や木沓がもたらされているはずである。 >>575
中国人だろおまえ。
必要がないと、どうして分かったの?
何で分かったの?
実際に作って、しばらく使ってみなきゃ分からないじゃないの。
それで必要がなければ、取捨選択されて徐々に表舞台から消えていくというのが筋だろ。
詭弁を言うんじゃないよ。 木造建築でもトラス構造の発想がなかったりヨーロッパより遅れていたからな
まぁ高度経済成長期ぐらいじゃないかな
日本の建築技術が世界有数になったのは 日本は剛構造より柔構造の技術のほうが発展してる気がするわ地震が多い性か
縦穴式住居も地震と台風には強そうだよね 中国朝鮮からパクってきた寺院建築はわりと頑丈だが
日本オリジナルである天守はかなりの数が倒壊してるし幕末には大半の天守が傾いていたり結構脆い
というか日本は伝統的に高層建築に弱い 岩国市のアーチ式の錦帯橋
明の坊さんのお蔭で作れたけど、日本各地に広まる様子もない 石橋が広まったのがやっと江戸末期だよね。
しかも、九州地方限定。 >>581
寺の構造からみると城はプレハブみたいなもんなんだろうな 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 プレハブの意味が分からんけど城は外壁が重いから地震に弱いんじゃないかな 壁に限らず普通はお寺のほうが厚く頑丈に出来てるものだけどな
寺の場合は円柱を使ってるのに対して城は角柱を使ってるから負荷のかかり方が不均等で構造的に脆いんだよ 城は構造の強度に対してデカすぎるんだろう
地盤も関係なく建ててるだろうし全体的に雑だろうし
寺院は大きくするならそれなりの方法を取ってる >>583
いだてんの金栗四三の家の前に石橋があるね。 >>517
昔はエアコン無かったんだぞ
日本で石組の家なんかに住めるかよw
>>560
材料がススキだから集めるだけで大変。 エジプトのカイロやインドのバラナシとか多分いまでもエアコン普及してないと
思うけど普通に昔から石やレンガの家に住んでるけどな
仏塔や天守と言った居住を前提としてない建物も燃えやすい木で出来ているのだから普通に技術がなかっただけ 今現在石の家建てる人はほとんど居ないけど木の家は建ててる所を見ると日本が進みすぎてたんだろうね 伝統的な純木造の古民家とか冬寒くて夏は暑く
地震にも火事にも弱いから現代人からしたらすめたもんじゃないよ 鉄筋コンクリートの戸建てなんて殆どないし(新築戸建ての70%が木造残り30%も鉄筋コンクリートでは無い)
古民家は火事には弱いが地震には弱くないし暑さ寒さに関しては現代の方が進歩してるんだから当たり前でしょ
それでも石積みの家よりはましだよ日本だと湿気多くて黴が生える上に地震で崩れるからね
現代の建築事情を説明できない限り木造が劣っていたと言う主張は間違いと言わざるを得ないね
ちなみに鉄筋コンクリートと石積みは工法が全然違うからね 建築に住むと地震でくたばるよ。経済的にも身体的にも。夜空で寝れたらなあ。人目をはばからず。 いいねそれwすごくいいけど春まで待った方がいいね
土地買って塀替わりに木を植えれば視線遮れるし風にもある程度耐えられそうだね
宅地買う必要ないからすごく安く買えると思うよ 「日本の民家」で今和次郎が書いてたけど
耐久性や耐火性は分らんでもないが耐震性も欧米の古民家のほうが優れてるからな
トラス構造とか普通は地震国の日本のほうが思いつきそうなものだが
明治になって欧米から伝わるまでなかった それは明らかに古い情報だね今の時代には地震に対して「耐震」「制震」「免振」と3つのアプローチが有って
欧米の古民家は「耐震」構造、日本の古民家は「免振」構造で耐震性のアプローチが違うよ耐震と免振の違いは自分で調べてね
そもそも建物は土地の風土に合わせて発展してるから一概にどちらが優れているというのは間違いだね
欧州は地震と湿気が少ないので倒壊した時に致命傷になったり湿気に対する対策をしなければならない石造りでも問題無いけど
日本は地震で倒壊した時に致命傷になったり湿気で黴が生える石造りが発展しないのなんて当たり前だからね
ちなみにトラス構造は石積みの橋からの進化らしいよ 姫路城は建ててまもなく傾きだしたとかって話だね
一方、五重塔は地震で倒れた記録がほとんどないそうだ >>601
「古民家再生」って言葉しってる?
今文化財に指定されてる古民家は改修工事の際に洋小屋組に改変されていて実質的に古材を利用した新築と言ってもいい
民家だけではなく唐招提寺や東大寺の大仏殿ですらトラス構造や鉄骨まで入れられて伝統建築と言っていいかよくわからないものになってる
これは何としても後世に遺すための苦肉の策だけどその是非はわからない
>欧州は地震と湿気が少ないので倒壊した時に致命傷になったり湿気に対する対策をしなければならない石造りでも問題無いけど
地震は日本以外ではほとんど起きないとでも思ってるのかな?
イタリアやギリシャとかユーラシアプレートとアフリカプレートの境界に位置していて日本以上に地震大国なのに
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/jishin/about_eq.html >>603
木自体の耐久性も有るから新しい物に変わるのは仕方ないんじゃないの?現代技術の方が優れてるんだし
地震頻度はどう考えても日本の方が多いけどね(日本はプレート4枚)画像見てると石造りの建物は倒壊した時助からないから木造の方が良くない?
逆に言えば湿度が低くて地震が少ない所なら燃えにくくて建物自体の耐久年数が高い石造りの方が優れてるだろうね
実際そういう地域では石造りの建物多いんだし、まあ意図的に木造下げをしたいなら知らんけど
ttps://goo.gl/dxkMy6.info
ttps://goo.gl/DFSeqP
ttps://goo.gl/jCughA
ttps://goo.gl/p2Lx9n 中国が石造に切り替えたのは木材の不足によるもの
日本も奈良時代には太い木材の調達が難しくなっていたが
贅沢な木材の使い方を改めてないところを見ると
石造に切り替えるほどは不足していなかったと推測される 唐招提寺の金堂は「天平の甍」と呼ばれて奈良時代からそのままの姿と思われていたのが平成の大修理で
バラしてみると明治の修理で鉄骨によるトラス構造が入っていた。もともとは低かった屋根を元禄の修理で
高くしたツケで部材に無理な力が掛かっていてその対策としてトラス構造が用いられた。平成の大修理で
オリジナルの姿に戻すか現状を維持するか検討した結果トラスを残して現状のままとすることになった。
やっぱりあの急勾配な屋根が「天平の甍」だと信じられていてそれが魅力だからオリジナルに戻して観光客が
離れることを恐れたからだけどね。 >>606
軒から下は当初の姿をよく残しているけど
軒から上の部分、特に屋根部分は後世に改造されてるみたいだね
でも興福寺東金堂みたいに浮き上がって見える屋根にはなってないのでセーフなんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています