今だに邪馬台国畿内説を信じてる人っているの?
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>>948
つまり、合いもしない筑紫倭国とやらの王にデッチ上げようとする人がいたら、クレージー・ダブスタと呼んであいね? >>950
>珍が履中ではなく反正と見れば、それで解決だよ
勝手に王位継承順を変えていいわけないだろ。 【徳島市大原町千代ヶ丸山 観音山古墳は、反正天皇の御陵跡であった】
元禄年間に徳川幕府から「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由ニ候云々」として阿波で古代天皇の埋葬が行われた痕跡を徳島藩に調査させている。
元禄十四年四月二十四日(同日)、勝浦郡大原村千代ヶ丸の観音山古墳を徳島藩普請奉行 猪子理五郎等が掘り出した時の記録も残っている。
『(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、 覺 阿波淡路右兩國之内、古代之、
天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候䔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候(中略… )
同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、
一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、
一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、
一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、
一、今一つかうべの儀は不分明
一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、
一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、
一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、
一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、
一、からうとの内かうや貮つに書付添、
右之通 以上』
「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。
反正天皇は「古事記」に「御身の長(たけ)九尺ニ寸半、御歯の長さ一寸、広さニ分、上下等し斉(ととの)ひ、既に珠を貫けるが如くなりき。」と記録されているが、
こちらの記録と千代ヶ丸 観音山古墳の埋葬者の身体サイズときちんと一致している。
徳島市は大原町千代ヶ丸。この千代ヶ丸山 観音山古墳は、実は反正天皇の御陵跡であったのである。 @阿波 >>954
>勝手に王位継承順を変えていいわけないだろ。
???
変えてないだろ?
履中が朝貢しなかった、1代スキップしたってだけだぞ?
そもそも、系譜が合わないのなら、
宋書または記紀のどちらかまたは両方の記述に誤りがある、というだけで、
倭王武1代だけの
「倭王武が雄略天皇に比定されることの是非」とは切り離して議論できるだろ?
九州王朝説を主張するなら逃げずに、「倭王武が雄略である」というのを否定する根拠を
示して論証してくれ
できなければ、九州王朝説は死亡ってことで 雄略天皇が大和朝廷につながる大王だという証明がないと意味ないね
記紀が九州王朝の大王の系譜を盗んで王統を長く見せてるという事は十分にあり得る >>958
958は「あり得る」でいいんだ
何の論証もいらないね
雄略とのちに呼ばれる、畿内の磯城の地に泊瀬朝倉宮を置いた大王が、
大和朝廷のそのときの大王である可能性は、あり得るどころじゃないんだけどさ
結局、これに対する具体的な根拠のある反論、反証はないんだね
1.文献史学
宋書の倭王武の遣使記事と、日本書紀の雄略紀の遣使記事の対応関係が見て取れる
2.考古学的状況
倭の五王の時代は、畿内に巨大古墳が次々に作られる大和朝廷のある意味絶頂期
3.考古学的遺物
獲加多支鹵大王の金錯銘鉄剣が埼玉の稲荷山古墳から銀錯銘鉄剣が熊本の
江田船山古墳から出土している
4、考古学遺物と文献の一致
記紀では、雄略天皇を大泊瀬幼武天皇(雄略紀)、大長谷若建命(雄略記)としており
先の鉄剣銘と固有名詞が一致している >九州王朝説を主張するなら逃げずに、「倭王武が雄略である」というのを否定する根拠を
>示して論証してくれ
@
倭王武は5世紀末から6世紀初頭の人。
雄略は5世紀の人であるが6世紀初頭の人ではない。
∴ 倭王武 ≠ 雄略
A
倭王武は九州の人
雄略は畿内の人
∴ 倭王武 ≠ 雄略 >>959
全部妄想だよ
一つ一つ検証すると根拠がない。 日本側に文献が残っていたかどうかだな。
5世紀後半から6世紀だと
文字が普及するギリギリのところ。
口伝だと細かい年代を記録するのは
ほぼ不可能だからね。 埼玉の王が、熊本の王から鉄刀を下賜
されているようですね。
関東と九州が関係を持っていたことがわかります。
その頃の畿内の状況は不明ですがね。 畿内の頭越しに関東と九州が結びついていたのは興味深いな… >>965
畿内は下手に人口が増えていたからね。
九州倭国から見たら、
遠交近攻でしょう。
遠交(関東)
近攻(畿内)
北部九州グループ(+関東) :彩色古墳
南部九州グループ(+瀬戸内、畿内):線刻古墳 関東はもともと出雲の勢力下だったが、出雲が筑紫の支配下に入ったため、関東も筑紫の支配下に入ったのだろうね。
大宮氷川神社、鷲宮神社などの出雲系列の大社に加え、出雲を攻略した武将が祭られる鹿島神宮、香取神宮などかある。
そのまま出雲と筑紫の歴史を反映しているのだろう。 >>960
>@
>倭王武は5世紀末から6世紀初頭の人。
>雄略は5世紀の人であるが6世紀初頭の人ではない。
>∴ 倭王武 ≠ 雄略
これ「6世紀初頭の人」は、梁書と南斉書の武の「進号」記事をもって
その時点でも武が生きていたといいたいのだろうが、どちらも
梁と斉の初代皇帝が新王朝を建てたときに、前王朝の冊封を追認し
新皇帝の徳を示すために御祝儀で進号しているものであり、
倭からの使者が来たという記事ではない
倭王武本人とは関係のない勝手進号
なので、6世紀に倭王武が生きていたから雄略ではないという指摘はあたらない
残念だったね
きちんと梁書と南斉書を読んでごらん
梁書 梁書 卷二 本紀第二 武帝中 天監元年
「戊辰 車騎將軍高句驪王高雲進號車騎大將軍
鎮東大將軍百濟王餘大進號征東大將軍
安西將軍宕昌王梁彌進號鎮西將軍
『鎮東大將軍倭王武進號征東大將軍』
鎮西將軍河南王吐谷渾休留代進號征西將軍
巴陵王薨于姑孰 追諡爲齊和帝 終禮一依故事」
南斉書 列傳 凡四十卷/卷五十八 列傳第三十九/東夷/倭國
「倭國,在帶方東南大海島中,漢末以來,立女王。土俗已見前史。
建元元年,進新除使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓〔慕韓〕六國諸軍事、
安東大將軍、倭王武號為鎮東大將軍。」 >>960
>A
>倭王武は九州の人
>雄略は畿内の人
>∴ 倭王武 ≠ 雄略
これ「倭王武は九州の人」にまったく根拠がなくて、
ただの九州説の人の仮定に過ぎないんですが?
根拠の一つも挙げて論じるならともかく、これでは
九州説はただの妄想です、と言っているようなものだよ >>961、>>962
反論するなら、妄想だと断じるなら、そう判断するに至った理由なり根拠なりを挙げてくれよ
九州説はいつも、理由もなく一行書きで「そうじゃない」っていうだけ
科学板なんだからさ、議論、討論をしようよ
できなきゃしょうがないけどさ >>964
>埼玉の王が、熊本の王から鉄刀を下賜
>されているようですね。
>関東と九州が関係を持っていたことがわかります。
ここでいう埼玉の王が、稲荷山古墳の被葬者で、熊本の王が江田船山古墳の被葬者ということかな?
でも、江田船山古墳の鉄剣の方が「銀」錯銘で、稲荷山古墳の鉄剣が「金」錯銘なんだよ
普通に考えて、稲荷山古墳の鉄剣の方が格上で、被葬者も重要人物だと考えられる
熊本の王から埼玉の王へ下賜というのは、筋違い
九州だからえらいっていう先入観ははずした方がいいよ
共通の王、「獲加多支鹵大王」に、それぞれ仕えていたことを記していると考える方が合理的
そして、斯鬼宮を宮都としていたと書かれているので、磯城の地に泊瀬朝倉宮を置いた大泊瀬幼武尊
つまり雄略天皇として、矛盾はない じゃあ関東王朝説でも立ててみようか?
ところで朝倉宮って地名が移転したのか? >>974
>じゃあ関東王朝説でも立ててみようか?
お好きにどうぞ ただのトンデモ説にしかならないけどね
そして同時に、九州王朝説もその程度のトンデモだという告白(告発?)にしかなってない
>ところで朝倉宮って地名が移転したのか?
近鉄大阪線の桜井駅の隣に、大和朝倉駅ってのがあるよ
泊瀬も朝倉も、磯城郡の中の地名
太古に九州の人が九州の甘木周りの地名を持ち込んだってのは、安本説だね >>970
>「倭王武は九州の人」にまったく根拠がなくて、
>ただの九州説の人の仮定に過ぎないんですが?
根拠 梁書諸夷伝東夷条
倭
武は倭国王
扶桑國
扶桑國から荊州(湖北省)へ来た留学僧慧深が説くには、
乙祁(億計天皇)は大漢國建康(南京)から東へ2万里(1600q)の国(扶桑國)の王です。
大漢國建康(南京)の東方2万里(1600q)にあるのは近畿。
九州は、大漢國建康(南京)の東方1万2千里(1000q)になる。 >>976
>根拠 梁書諸夷伝東夷条
これは無理があるだろう?
乙祁(億計天皇)は、名國王爲乙祁のことだろうけれど、乙祁をオケと読むのは苦しい
乙は「yǐ」だし、祁は「qí」だ
梁書は、梁の時代のことが書いてあるのだから、502年から557年のこと、6世紀だ
継体天皇の在位が507年〜531年でこのあたりはほぼ正確
雄略天皇までは、日本書紀が元嘉暦で書かれており、それなりに信用できるとして
継体天皇から仁賢天皇(億計天皇)まで遡ると、仁賢天皇の在位は
488〜498年の5世紀となって、梁の時代にかからない
そもそも、梁書の扶桑国の記述は、「沙門慧深來至荊州 説云」と最初に書いてあって
慧深がこう言っていたというだけで、何がどこまで正しいかも分からない代物 >>977
>乙は「yǐ」だし、祁は「qí」だ
現代北京標準音ではない。呉音の発音では「ヲケ」である。
慧深は、梁が成立するかしないかの頃、
留学僧として扶桑國から荊州(湖北省)に渡った人物。
彼が日本を出発した498年頃迄は未だ乙祁王(億計天皇)の時代。
顕宗仁賢武烈は播磨系王朝。
播磨王朝の王位は仁賢顕宗武烈の順
播磨朝の大和移転は488年
〜488年は、顕宗の大和支配、仁賢の播磨支配。
488年〜は、仁賢武烈の大和支配。 >>977
つまりそのヲケ天皇は誰なんだ?
筑紫倭国とは別に扶桑国というのがあって、天皇がいたんだな? >つまりそのヲケ天皇は誰なんだ?
仁賢天皇になった人
扶桑國(播磨國)の王がヲケ(乙祁)。ヲケ(乙祁)は、584年までは扶桑國(播磨國)単独の王。
乙祁王は585年から大和王朝の仁賢天皇(億計天皇)となる。
582年〜584年は、弘計(顕宗天皇)の大和王朝支配期間。 >つまりそのヲケ天皇は誰なんだ?
仁賢天皇になった人
扶桑國(播磨國)の王がヲケ(乙祁)。ヲケ(乙祁)は、587年までは扶桑國(播磨國)単独の王。
乙祁王は588年から大和王朝の仁賢天皇(億計天皇)となる。
585年〜587年は、弘計(顕宗天皇)の大和王朝支配期間。 畿内政権の当時の呼称が扶桑国なのかな?
なぜ播磨に限定?
播磨に畿内政権の都があった? ああ、それだと「大和」王権という名称は少なくとも誤りだな。
日本史って、嘘で塗り固められていたんだな。 九州から播磨まで8千里もあっていいのか?
九州説的には? 列島を代表していたのは九州北部の倭。
畿内がどうなっていたかなんて知らん。
播磨の言い出しっぺは誰だ? >>991
倭の五王が、畿内の大和王権の大王
特に、倭王武は雄略天皇とする比定が定説
古墳時代も九州王朝を主張するなら、これを否定しないとダメ
と言われて、梁書扶桑国を出してきたんだけど、そこに出てくる「乙祁」を
「ヲケ」と読んで、大和朝廷の24代天皇の仁賢天皇に当てて、倭国の
倭王武は、九州倭国で、扶桑国を播磨王朝の仁賢とか、>>982他で言ってるやつがいる
でも、仁賢天皇は億計天皇(おけのすめらみこと)で、
ヲケならその前代で23代の顕宗天皇の弘計天皇(をけのすめらみこと)のはず
それに、梁書を読み直したら
帯方郡
↓ 萬二千里
倭国
↓ 東北七千余里
文身国
↓ 東五千余里
大漢国
↓ 東二万余里
扶桑国
だな
この大漢国は、大陸王朝じゃないから
>>976の
「大漢國建康(南京)から東へ2万里(1600q)の国(扶桑國)の王です。」
っていうのは「まったく意味がない」な
やはり、原典を確認しないとダメだな オケもヲケも区別つかないなあ。
でも年代を信じるなら仁賢天皇なのか?
里程は遠くほど過大評価されているのかもしれない。
でも扶桑国は短里でも太平洋に飛び出るな。 >>993
>
>>978で
「>乙は「yǐ」だし、祁は「qí」だ
現代北京標準音ではない。呉音の発音では「ヲケ」である。」
って言ってるけど、北京標準音で 「乙は「yǐ」」なら
呉音では「yo」くらいになるんじゃないの?
子音が「y」から「w」になるのはおかしくないか? >>992
>梁書を読み直したら
読み間違いしてるよ。
大漢國は2つある。シナ江南と日本東北 【里程】
漢代に楽浪郡史が実測
日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆國、伊都、奴国・・・
【日程】
魏代に魏使が出張日誌に記録
日本側の地名は魏代の地名(邪馬台国、狗奴国、投馬国、などは魏代に新登場 >>996
>【里程】
> 漢代に楽浪郡史が実測
> 日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆國、伊都、奴国・・・
漢から独立状態だった公孫氏が独自の里(短里)で測ったんでしょうね。 このスレッドは1000を超えました。
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