>>812
>岩波文庫本には、写真版を二十四史百衲本から載せたという記載がない。
わたしの角川文庫本には、二十四史百衲本から載せたという記載が最後にある。
しかし二十四史百衲本から、載せるべきではなかった。
せっかく東京に宮内庁書陵部蔵という立派な本があるのだから、
それから載せるという本来の姿を取るべきだった。
二十四史百衲本の名前に押されたと言うべきか、ただ信用していた。
それを編集した張元済さんは非常に尊敬している学者ですが、そこまで目が及ばなかった。古田武彦

お前が言ってる二種類とはこのことじゃないのか? <

違うみたいだなあ。
張元済の本と書陵部のものとが違う、という方の話のようだ、

>内庁書陵部に二種類あったようなことは古田は言ってないんだが<

古田さんが、第1書でので王朗の「東冶」の記載を、どっちの本から採られたのか、
という事が問題だ。