邪馬台国畿内説 Part336
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1521083390/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 埋め
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Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 1と名無しの1とそのシンパ
そしてザラコクだけの隔離スレとしては、
丁度いいんじゃないかな。
あとは岡上の梅荒らしもか。
それ専用スレってことで これは?????
>◆FAQ 57
Q:弥生時代に前史を持たない纒向がなぜ宮都の地に選ばれるの
A:奈良盆地は古奈良湖の消失過程にあり、河道周辺の未乾燥地を稲作向きの農地へと、木製農具でさえ容易に開墾可能であった。
👆
年表を示すべきです
z
畿内説の総意じゃない イヤガラセしかできなくなった九州説は
もう終わりだな むかーし伊達郡というところの
山の上のほうに住んでいて、機織りをしていた
ほとんど合致している >>105
まともなスレ進行もできない畿内説はもう終わりだな 馬鹿のすれ主への恩返しだろ 追随するよ
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で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系生活土器と中国系住居と中国系耕作用農具と
中粒種のイネと漢服と木沓は?
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>109
反論と受け止めてるのか???
すれ主があんたなら馬鹿げたカキコミしないほうがヨカ 百済王氏は新米(新しく来た)だと言っている人がいたでしょ、
系統が違うのかな
松傾のような名前の家 天皇 百済関係について調べてみると
・・・・・・・・・・・ここでも、
〜天皇に子が無く、
断絶?(途絶えた)したような事が書いてあるし そして・・・大伴某が何やらという話、
小手子関係の話? >>97
>九州説の顔に泥を塗っている
まともな九州説は一人もいないみたいだから、泥を塗るとか関係ないよ >>107
>まともなスレ進行もできない畿内説はもう終わりだな
まともじゃない九州説が荒らし回るからねぇ
まあ匿名掲示板を利用する以上は避けられないんだが 六拾弐病
六拾弐病(ろくじゅうにびょう)とは、定年退職後の老年期に見られる、
周囲を見下した言動や、自惚れに満ちた妄想を連呼する様などをさす語。
自らを客観視することができず、盲目的に自身を絶対化する、というのがその典型的例。
現役時には社会に適合してゆくために相対化させざるを得なかった自己が、
定年によって自らをとりまく環境が急激に変化することで相対化のバランスを失い、
自分が特別な存在であって欲しいとする願望が顕在化することで発症する。
簡単に言えば、「俺様偉い病」である。
その思考の基礎となる知識は、遠い昔に聞きかじった程度の浅いものや、
定年で生じた余暇によって取得した程度の中途半端なものであるため、
罹患者の主張は往々にして突飛な妄想でしかなく、周囲に受け入れられることはない。
しかし、本人は自身の思考は特別に優れているものだと盲信しているため、
受け入れられない原因を周囲のせいであると主張し、攻撃性を高めつつ、負のスパイラルへと堕ちていく。
このため、「六拾弐病」は陰謀史観との相性が非常によい。
なお、「六拾弐病」の名は、定年後数年を経て症状が顕在化することから名付けられたものであり、
もちろん全ての罹患者が62歳で発症するものではない。
似た症状を呈するため、「六拾二病」は「老年性中二病」と称されることもあるが、
思春期に自身を特別な存在だと仮想する「中二病」が、
確立されていない自己とそれを取り巻く社会の拡大とに折り合いを付けられず、
自己を疑似的に絶対化することで周囲との相対化の波から逃避しようという、
いわば自己防衛的な理由によって発症し、
ほとんどの場合本人の成長とともに症状が改善されるのに対し、
「六拾弐病」は、罹患者が生来持つ傲慢さがその根底にあるため、
一度発症してしまうと、死ぬか、惚けて思考能力が失われるかしない限り、
症状が改善されることはないとされる点は対照的であるといえる。 全1病
全1病(ぜんいちびょう)とは、邪馬台国畿内説スレに出没する九州説論者のみが発症する、心の病。
畿内説側の書き込み全てが>>1◆UiepmfCeDJqによる物であると信じ込む、一種の強迫観念である。
学問の世界ではすでに追い詰められている、という事実を認めたくない九州説論者が、
畿内説に多くの賛同者などいるわけがないのだ、と自分自身を騙そうとすることで発症する。
>>1◆UiepmfCeDJqが自演によって多数派を装っているのだ、と言う発想は、
実は、自身が自演を頻繁に行っているという事実の裏返しにほかならない。
現時点では治療法は発見されておらず、一度発症すると死ぬまで治ることはない。 ザラコク
邪馬台国関連スレに出没する非常識異常行動者のひとり
呼称は、Yahoo掲示坂で使用していたハンネ「zarakoku」から
古田武彦と彼が提唱した九州王朝説を盲目的に信仰しており、その信心の深さは、
世間的には偽書として決着している『東日流外三郡誌』を未だに真書であると主張するほど
自らを「素人おじん」と称することもあり、一見、自身を客観視できているかのようであるが、
その書き込み内容は、自分の信奉する説以外はすべて間違いだと決めつけてかかる、六拾弐病患者特有のもの
素人が専門家をこき下ろすという行為に疑問を感じなくなっているほど思考が硬直化している
「全レスバカ」と呼ばれることがあるほど片っ端からレスを付けまくるが、
ほとんどが他人の会話への横レスかつ超遅レスであり、周囲と会話が成立することはまずない
レスを付けることが目的化している節があり、その内容は、
他人の発言を長々と全文引用したあげく、賛成!とか間違いだ!とか数文字書き足すという程度のもの、
自分の都合のいいように語句を入れ替えただけのオウム返しのものなど、無意味なものばかりである
投稿数だけは圧倒的で、コピペ連投並みにスレを荒らす結果となっているが、本人に自覚はない
社用のPCで勤務時間中に5ちゃん投稿に血道を上げる問題経営者である
自分に不都合な情報を自分に都合が良いように勝手に脳内変換していることが多いが、
ソースを提示されても、自身の記憶や理解の方が正しいと主張する、傲慢な思考の持ち主
常駐していたYahoo掲示板を倫理規定に触れて出禁になったらしく、最近5ちゃんに居付いてしまった
「生きる独善」との形容がぴったりな75歳 キウス
邪馬台国関連スレに出没する真性の基地外であり、病的なウソつき。
「希薄」を読むことができず、「箕臼(キウス)」と誤変換し続けたことから「キウス」と呼ばれるように。
自演爺、四棟粘着爺、指さし厨とも。
ウソの書き込みや自演、成り済ましを平然と行い、畿内説スレの>>1を騙り偽スレを立てること数度。
>>1のトリと同じ英数字を名前欄に書き込んで成り済まそうとしたこともある、最低のクズである。
「全1病」罹患者にして典型的「62病」発症者。
「自論」、「私見」、「勉強してください」、「学がない」、「貴君」、「しかり」など特徴的な言い回しの多用、
5ちゃんでは一般的ではない「スレ主」頻発、名前欄への書き込み多用などの特徴ですぐに判別できる。
1◆UiepmfCeDJqfを奥村と呼ぶ、寺澤薫氏・同志社大学・纒向学研究センターをディスる、
草を生やす際に半角で1文字目大文字、?を連続させる、といった特徴もある。
キウスの書き込みを褒めたり、礼を言ったり、「ワロタ」と応じたりする書き込みは、すべて自演である。
他人を騙す行為も自分ならばすべて許されると信じている節のある、傲慢の塊である。
日本語の読み書きが満足にできないこと、日本史や日本の地理に関する基礎知識がないことなどから、
日本の義務教育を受けていないどころか日本国内に居住していないのではないかと推測されている。 岡上
邪馬台国関連スレに出没する狂人のひとり
考古学界では全く賛同者がいない説を「考古学的に確定している」と主張し、ありもしない大規模調査をでっち上げ、
学界の多数派である邪馬台国畿内説を破綻したと主張する、ゴッドハンドも真っ青の捏造常習犯である
自分は正しく、これまでの研究者がみんな間違っていた、などと平気で主張する、典型的「六拾弐病」患者
コテ+トリと、コテの九州王、伊都国女王、卑弥呼、名無しを使い分け、自説を関連スレで書き込みまくる
糸クズ、八咫バカ、連続句読点キチともよばれる
「咫」の説明である「周尺」を「円周の尺」と読み、
伊都国を女王国であると漢文の用例を無視して誤読し、
平原遺跡出土鏡の文様には八咫烏があると現物を知らないで主張し、
魏志倭人伝中の「下戸」を「酒が飲めない人」と訳すなど、
お笑いエピソードには事欠かない
偽スレや妄想スレを立て続ける異常性に気がついていないのは本人だけ
未確定な事項であっても、自分に都合がよければ勝手に確定事項であると脳内変換し、
それを根拠として立論してしまうチェリーピッカー
日本史の方法論をまるで理解していない、自分偉い教の教祖である ザラコク
>…< 嘘吐き騙し 南≠東 大和説 !。 ?。 ×。
キウス
スレ主 奥村 しかり 大笑い Ww いい線ついてる 正論 ヤマト王政 論じろ
岡上
八咫の鏡 伊都 平原 内行花文鏡 三種の神器 神道 キナイコシ 、、、 。。。
ハナホジ
物部 葛城 鴨 大物主 ヒメタタライスズ ミミ 出雲族
サイキバ
鉄がない 奈良湖 倉庫 2013年の大規模調査なんてない
日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1905C_Q3A220C1CR0000/
研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。
立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。
参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。
研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。 650日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:03:02.66
元ねた見つけたわ
国土地理院時報(2000 no.94)
「近畿地方の古地理に関する調査(国土地理院地理調査部)
http://www-im.dwc.doshisha.ac.jp/~nihei/nara/index.php?%C6%E0%CE%C9%CB%DF%C3%CF%A1%A7%C3%CF%B7%C1%A1%A6%C3%CF%BC%C1%A1%A6%BF%E5%B7%CF
657日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:12:52.10
>>650のリンク先にある「奈良盆地の地形学的研究」53ページに
>なぜなら、奈良盆地が更新世以降において湛水し湖沼化したという事実は認められない。
とあるな 660日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:18:00.17
奈良県遺跡地図Web
http://www.pref.nara.jp/16771.htm
664日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:21:12.40
データベース名 遺跡
ID 11A-0104
市町村 川西
遺跡名 下永東方遺跡
所在地 磯城郡川西町下永東方
種類区分 集落・町屋,社寺
時代区分 縄文,弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉,室町
時代詳細 縄文・晩〜古墳・後、奈良〜室町
遺跡概要 方形周溝墓、井戸、掘立柱建物、区画溝
遺物 縄文、弥生、土師、須恵、黒色土器、中世土器、木製品、石器、石製紡錘車、土馬
文献・備考 白米密寺伝承地、『下永東方遺跡』(文化財報86)2001、『奈良県遺跡調査概報2003年度第1分冊』2004、『奈良県遺跡調査概報2004年度第1分冊』2005
668日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:24:19.31
データベース名 遺跡
ID 11A-0123
市町村 川西
遺跡名 下永東城遺跡
所在地 磯城郡川西町下永東城
種類区分 集落・町屋,墓・墓地
時代区分 縄文,弥生,古墳,鎌倉,室町
時代詳細 縄文、弥生・中、古墳・前〜中世
遺跡概要 方形周溝墓、土坑、掘立柱建物、井戸
遺物 石器、弥生、土師、石釧、木器
文献・備考 『下永東城遺跡』(文化財報103)2003 674日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:37:38.33
http://www.ksmt.com/panorama/130501nara/130501nara.htm
>2013.5.1 Kashihara 橿原
>飛鳥を自転車で回ろうと思い近鉄橿原神宮前駅へ。
>まず奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の「5世紀のヤマト〜まほろばの世界〜」を見学。
>5世紀の遺跡から出た資料が展示されており興味深いのですが、最も興味を引いたのが5世紀の地図。
>古奈良湖は既になく、奈良盆地全体が陸地をして描かれています。
(略)
>橿原考古学研究所の受付の方にお願いすると、水田の発掘担当者の方に直接話を聞けることになりました。
>運が良かったようです。
>担当者の方の話によると、
>
>1.縄文後期の遺跡が奈良盆地の一番低いところにも存在するので、縄文後期には既に古奈良湖は消滅していたと考えられる。
>法隆寺付近に古奈良湖が7世紀頃まであったという説は、どうやら間違いのようです。 66日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:21:52.38
梅
67日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:22:40.76
梅
68日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:22:57.27
梅
69日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:23:21.66
梅 335の747
>>『聖徳太子伝暦』<
>はいはい、典拠を示せたのは進歩だけど、それ信用の置ける歴史書でないから
10世紀成立で、それまでの太子信仰を集大成したものだね
ブリタニカ国際大百科事典 より
「その記事は必ずしも『信をおきがたい』が,後世の太子信仰に及ぼした影響はきわめて大きい。」<
そうか。
ブリタニカ国際大百科事典というものも、
日本の古代史に関しては、
「南→東」などの嘘つき騙しの通説大和説派のの学者が担当している、
インチキ百科事典なんだな。 335の>>749
>>その例でも、「服」は自動詞的な意味での使用だよ。<
>自動詞「的」な意味とかないから 目的語があれば他動詞、なければ自動詞だぞ <
漢字では、自動詞的な意味の語であっても、
「〜せしめる」という他動詞的な意味にして、
目的語を付ける使用は幾らでも可能であり、
しかし、元の自動詞的な意味が消える事もないもの。 335の>>750
>オオハツセ「ワカタケル」の音訳の「獲加多支鹵大王」を
金錯銘あるいは銀錯銘した鉄剣が、埼玉と熊本から出ているんだから、
熊本まで「獲加多支鹵大王」の勢力圏だろう<
稲荷山の鉄剣は、「鹵」ではない文字であるし、
そもそも、主葬の粘土槨の中心線から全く離れた所の礫床の陪葬墓が所持していたんだから、
「大王」や「大和王」では有り得ないもの。
江田船山は、欠損文字ばかりで「獲加多支鹵大王」なんて全く読めない代物だし、
そもそも(金象嵌ではなく)銀象嵌だから、「大王」にもならないもの。 335の>>752
>しかも、昆明であっても、東南東よりも南の南東なんだぜ <
嘘を付くな。地図をよく見ろ。
昆明は大理の「東〜東南東」だ。 335の>>753
>>紀元前には「天皇」なんてなかったし、<
>天皇号はなかったけれど、天皇につながる家系というか血統は
3世紀には成立してただろ<
大和の天皇呼の呼称は、天智が最初だ。
>それを後付で天皇と呼んでいるだけだよ<
無かったものを、はるか後代の称号で書けば、そりゃ、インチキ騙しの宣伝だ。 335の>>766
>>全ての原子核にも崩壊半減期が必ず存在する、<
>その各「核種に固有の崩壊半減期は、「原子核外の電子軌道上の状況には、
一切影響されない」っていってるんだよ<
「場の相互作用」の存在が確定しているから、
プラズマ化=原子核外の電子の分離」は、
原子核内の電磁場バランスも重力場バランスも壊されてしまい、
核子間の場の相互作用の壊されるから、
放射性崩壊をしてバランスを取ろうとして、放射性壊変を促進してしまう、
と言ってんだよ。 >>137
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系生活土器と中国系住居と中国系耕作用農具と
中粒種のイネと漢服と木沓は?
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>766
>>全ての原子核にも崩壊半減期が必ず存在する、<
>その各「核種に固有の崩壊半減期は、「原子核外の電子軌道上の状況には、
一切影響されない」っていってるんだよ<
原子という「原子核と外殻電子との安定状態」の、
不安定化になる、外殻電子の喪失というプラズマ化をすれば、
原子全体が、場の相互作用に拠る「再安定状態を構築」しようとするんだから、
原子核内からの新たな外殻電子成分を送り出すしかなく、
それが、ベータ線の放出になる。 >>769
>>倭王武は、「句麗無道」の説明をしようとしているのであり、
「海道」の道では、高句麗の 無道の影響を受けないから関係がなく、
陸路である事を示す。<
>「道」遥百濟裝治船舫は 道百濟を遥(へ)て、船舫を裝治す。
当然に、道は「海道」、海路だよ<
「道kei[之繞旁右經]百濟、裝治船舫」の「kei[之繞旁右經]」は、
本質的に「經」の意味である事になるから、
「百済を通り過ぎる道」を意味する事になり、
海路では「百済を通る事が出来ない」から、「道」は陸路である事を示す。 >>772
>>だから、そのまま受け止めれば、 咸亨元年には、
倭国使節と日本使節とがどちらも唐へ遣使を派遣して、 どちらもが「日本国」を名乗り、
倭國の方は、則天の時に再度日本国を名乗った、 という事になる。<
>いや、そのまま受け取れば、咸亨元年に来た使節が
日本国と倭国の二通りの書き方をされてるってだけだよ<
唐会要は、倭国伝と日本国伝とをはっきり書き分けているんだから、
この男の解釈は×。 >>140
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系生活土器と中国系住居と中国系耕作用農具と
中粒種のイネと漢服と木沓は?
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! >>773
>>九州倭国(=九州王朝)は存在し、<
>九州王朝なんてない 拠って始めから× <
「九州王朝」は、古田さんが、
白村江の後まで九州に存在した「倭國」に対しての、
説明の普通名詞であるから、
この男の話は、また×。 >>143
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系生活土器と中国系住居と中国系耕作用農具と
中粒種のイネと漢服と木沓は?
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>141
咸亨元年に来た使節で、日本国から来たと言った者は
いない >>778
>>「通水陸行」の道なりで着ける<
>「道なりで行くときは、出発方向で示す」ってザラコク自身が書いてたよな!<
そんな事は書いていない。
「出発」を書き示すのは、実際の移動や旅程を説明する場合であり、
位置説明での通行状態を示す場合は、実際の移動説明ではないから、原則として不必要。
>大理から出発するときは、「南」方向だぞ!<
私が見ている地図では、ほぼ東方向。
>通水陸行する部分だけなら、どのルートでもソンホン川沿いの部分だけだから、
それこそ「南東」にしかならない <
急峻な峠越えと渓谷路では、始めから「通水陸行」路に選択されない。 >>146
>位置説明での通行状態を示す場合は、実際の移動説明ではないから、原則として不必要。
だから旧唐書の記載した「東」は東南の間違いだよね
安南は大理古城の東じゃなくて東南にあるんだから >>146
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系生活土器と中国系住居と中国系耕作用農具と
中粒種のイネと漢服と木沓は?
で、呉王夫差の後裔が山門に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! >>784
>>「如至成都」とは、「成都へ至るのと同じような通路で」という意味であり、
「通水陸行」路の状態を示しているのであり、<
>いいえ違います
何度も書くが、「如至成都」は距離
距離が書いてなかったら地理情報として無意味<
「如至成都」は距離だ、なんて、
やっぱりこの男は、分裂幻覚妄想の・・・・だったのか?。
・・・・アホと議論したって、時間の無駄であっただけだが、
まあ、大和説という人種の・・・・ぶりを世間の人々に説明出来た、
というだけだったな。 >>786
>旧唐書のこの方角、「東」は「南東」の間違いなんだよ<
旧唐書のこの方角、「東」は、「如至成都通水陸行く」で、
「ほぼ東」で正しいんだよ。 >>150
江南豚は九州説ではない。
アンチ九州説。 >>790
>古墳時代があるから<
墳丘時代も、高冢時代も、前方後円墳時代も、
(大和よりも)筑紫の方が先行していた。 畿内説は個人攻撃ばかり。
理屈では不利だからかな。 >>791
>稲荷山古墳と江田船山古墳の鉄剣<
どちらも大和の雄略とは、無関係であった。 >>792
>全国の巨大古墳ランキング <
筑紫倭国の東征将軍や、市を監督する「大倭」職が、
獲得出来た毛人を使役して、見せつけるために、
セレモニーを拡大しようとした。 >>793
>畿内の大王級古墳の石棺に九州の石材(阿蘇のピンク石)が使われていること<
畿内も大王もいなかったし、
東征将軍や大倭職は、九州のピンク石に憧れを持っていた。 >>794
>日本書紀、古事記に記載の位置に、宮都遺跡があること<
記紀は、倭國の存在や歴史を抹殺盗用造作した半分×書であるし、
難波は、筑紫の分都的であったし、
飛鳥は、白村江の後でのでの「倭國を併合吸収継承」した後。 >>795
「大和朝廷があった」ことを示すと大和説が主張する「根拠」には、
嘘つき騙しの「半分×書の記紀」しかないこと。 >>798
>>昆明方向が大体東であるから <
>昆明を通るんだという根拠は? それが無いと話にならないんだが <
旧唐書には、「東至安南、如至成都、通水陸行」と書かれているから。 >>804
>方向を間違えない確率こそゼロですよ。
間違えている実例なら過去沢山存在してますから<
(伝聞的情報ではなく)、魏使らや魏の役人たちが記録した方向記載には、
間違いが全くにようになく、全て「ほぼ正しい」。 >>132
>ブリタニカ国際大百科事典というものも、
>インチキ百科事典なんだな。
こうやって自分に都合の悪いものを根拠なく否定するところが
チェリーピッカーそのものだろ? >>160
安南のある方角でもなく
大理から出発する方角でもなく
一時的に寄り道する方角を書いた
ということは
旧唐書の書いた方角は間違ってたんですね >>133
>しかし、元の自動詞的な意味が消える事もないもの。
漢字の意味と用法(自動詞か他動詞か)を混同している
自動詞的な意味なんてない
そして西「服」衆夷六十六國は、目的語の「衆夷六十六國」が書いてあって、
一目見て他動詞と分かる
主語は「祖禰」だよ
どうやってもザラコクの解釈にはならない
漢文も読めないくせに、よくもまぁ間違ったことを延々と主張できるものだな
やはり一般の日本人とは価値観が違うな >>134
>稲荷山の鉄剣は、「鹵」ではない文字であるし、
その文字はなんですか?
相変わらず、根拠がないな >>134
>「大王」や「大和王」では有り得ないもの。
獲加多支鹵「大王」って書いてあるんですが?ww >>134
>銀象嵌だから、「大王」にもならないもの
それの「持ち主が大王」じゃないんだから、銀象嵌なら分相応だろ?
相変わらずまともな反論ができずに、的外れなことばかり書く >>135
>嘘を付くな。地図をよく見ろ。
>昆明は大理の「東〜東南東」だ。
その根拠は?
こっちは地図で測った角度の数値を出してるんだから、
反論するなら数値で出しなww >>134
>銀象嵌だから、「大王」にもならないもの
それの「持ち主が大王」じゃないんだから、銀象嵌なら分相応だろ?
相変わらずまともな反論ができずに、的外れなことばかり書く >>136
>無かったものを、はるか後代の称号で書けば、そりゃ、インチキ騙しの宣伝だ。
はるか後代どころか、存在すらしない「九州王朝」っていってるやつが何を言うんだかww >>134
江田船山古墳でも「獲□□□鹵大王」と、大王の文字は読めるねww >>139
>「場の相互作用」の存在が確定しているから、
「電磁場」と「核力の場」は、同じ「場」という文字を使っていても、別の場なんだよ
だから互いに相互作用はしない
だから、
>原子核内の電磁場バランスも重力場バランスも壊されてしまい、
これが本当にアタマ悪い
原子核内の重力場ってww
それまったくの無関係
>核子間の場の相互作用の壊されるから、
壊れません
>放射性崩壊をしてバランスを取ろうとして、放射性壊変を促進してしまう、
そう主張するなら、電子がいなくなると、どっち向きにバランスが崩れるんだ?
「何」について「プラスにずれる」のか「マイナスにずれる」のか
「どういう崩壊」が起こると、バランスが「どっち方向に修正」されるのか、論じてみ? Part331の771に返事してなかったからついでに書いとくよ
>光の電磁場は太陽重力場との相互作用に拠って曲げられる、
>という事も知らないんだろうね。
いや、光の電磁場wwは重力場と相互作用しないよww
重力場で空間が曲がって、その「曲率を持った空間での直線」に沿って光は直進するだけ
電磁気力は、太陽の大きさみたいなマクロの距離ではまったく効かないよ
>実際には、強い力と電磁気力の差はそれ以上
何がどう「それ以上」なんだい?
電磁気力と、強い力と、重力では、それぞれの力を媒介する粒子が異なるから
相互作用しないんだよ
まあ、何を言ってもザラコクは理解しないんだろうけどね >>808
>羊苴棟 Wikiwand<
Wikiでは、ちょっと根拠にならんなあ。
>あと「中国西南民族史」っていう名古屋大学のおそらく講義用のパワポスライドの
pdfが見られるから、そこの図で確認しなさい <
名古屋大学のおそらく講義用のパワポスライドのpdfでは、
通説大和説側の「南→東の嘘つき騙し」の人間が書いたものなんだから、
方向の間違い例が欲しい側であるんだから、信用出来ないなあ。
それに、講義用のパワポスライドを知っているようでは、この・・・・男は、
ひょっとしたら・・・。」 >>816
>>だから、そのまま受け止めれば、
咸亨元年には、倭国使節と日本使節とがどちらも唐へ遣使を派遣して、
どちらもが「日本国」を名乗り、<
>咸亨元年に誰かが「日本国」を名乗った
なんて史料事実はありませんが?<
新唐書は、日本伝なんだよ。
だから、日本国の話を記載している。 >>818
>まあ邪馬台国とは畿内、信貴山中心とした
河内湖から奈良盆地へまたがる場所を指します。<
「邪馬台国」も「畿内」も存在していなかったから、×。
また、信貴山も「南≠東」に拠って、×。 >>820
>>でも、「東方向へ通水陸行」すれば、昆明や南寧方面へ向かうんだよ。<
>つまり安南に着かないから、旧唐書が書いた方位は間違ってるんだね?<
昆明や南寧まで行けば、安南に楽に行けるから、
旧唐書の「東」は間違っていない。 >>140
>本質的に「經」の意味である事になるから、
>「百済を通り過ぎる道」を意味する事になり、
「經」は「経由する」だって言ってるのにww
>海路では「百済を通る事が出来ない」から、「道」は陸路である事を示す。
Part335の277で、隋書の「經」都斯麻國の「經」は
「これも、「經」は、(至って訪問したのではなく)単に「通り過ぎた」事を意図し、 」
っていって、対馬には寄ってないっていう主張をしてたじゃないかww
チェリーピッカーとはちょっと違うが、本質は同じだな
同じ「經」でも、自分の都合で180度違う説明をする
そもそも、前スレの769は、「違う場所の「道」で反論しているのが頭悪い」って
批判されているのに、それにはふれないところも卑怯者 >>141
>唐会要は、倭国伝と日本国伝とをはっきり書き分けているんだから、
>この男の解釈は×。
ため息が出るな
コメを遡らずに結論だけ書くが
問題になっているのは「咸亨元年(670年)には日本とは名乗っていないこと」
唐会要倭国伝:
「咸亨元年(670年)三月、遣使賀平高麗。爾後継來朝貢。
『則天時』、自言「其國近日所出、故號日本國。」蓋惡其名不雅而改之。」
唐会要日本伝:
「日本国日本。倭国之别种。以其国在日边。故以日本国为名。或以倭国自恶其名不雅。
改为日本。或云日本旧小国。吞并倭国之地。其人入朝者。多自矜大。不以实对。故中国疑焉。
长安三年。遣其大臣朝臣真人来朝。贡方物。朝臣真人者。」
新唐書日本伝:
「咸亨元年、遣使賀平高麗。『後稍習夏音』、惡倭名、更號日本。
使者自言、國近日所出、以爲名。或云日本乃小國、爲倭所并、故冒其號」
唐会要のいう「日本」号の主張は『則天時』で、咸亨元年ではない
新唐書でも『後稍習夏音』で咸亨元年ではなく後のことだと明記してある
唐会要が倭国伝と日本伝を別立てにしているというが、日本伝は長安3年(703年)の武則天への遣使記事から
つまり「『則天時』、自言「其國近日所出、故號日本國。」」から日本としている
唐会要も、倭国と日本は同じ国、同じ王朝(皇統)だと認識しているってこと
咸亨元年に、「倭国と日本の両方から使者が来た」とか、どこにも書いてないし、そんな解釈ができる余地はない
漢文が読めれば、こんなとんちんかんな主張(倭国と日本は別)は、しなくて済むだろうに >>143
>白村江の後まで九州に存在した「倭國」に対しての、
そんな倭国(白村江の後まで九州に存在)はない
拠って始めから×
>説明の普通名詞であるから、
説明の普通名詞でいいんだなww
なら「大和朝廷」も「天皇」も「邪馬台国」も、存在の有無は論議の余地があるとしても、
これらは『説明の普通名詞』なんだから、
「これらの言葉を使っているからという理由だけ」で「始めから×」は言えないぞww >>146
バカ
>私が見ている地図では、ほぼ東方向。
やはり、現実世界にザラコクは存在しないらしい >>821
>>「陽苴棟驕vと安南との位置関係を「通水陸行」コースで説明したもの。<
>そして「陽苴棟驕vと「安南」との位置関係は西北→東南だから
旧唐書は方角を間違ってるわけだ <
「陽苴棟驕vと安南との位置関係を「通水陸行」コースで説明したものであり、
「陽苴棟驕vから東へ「通水陸行」すれば、確かに安南に行けるんだから、
結局、旧唐書は方角を間違っていなかったわけだ。 >>146
>急峻な峠越えと渓谷路では、始めから「通水陸行」路に選択されない。
ソンホン川の源流に出るにも、昆明に向かうにしても、
大理から出る道は「共通の同じ道」なんだが、理解できないんだろうな
昆明周りに水行区間はない
安南に行く経路でも、水行区間はソンホン川の中下流域のみ
地図を見て把握する能力がないんだろうな >>149
>「如至成都」は距離だ、なんて、
方角 目的地 距離 おまけ
「南」 去太和城 十餘里
「東北」 至成都 二千四百里
「東」 至安南 如至成都 通水陸行
こうやって並べれば「如至成都が距離」だってことは一目瞭然 >>827
>九州王朝説というか、大阪で結成された筑紫シンラ王朝説だよな
最近は欲が出て完全な韓国起源説になってるけど <
また、反韓の反九州王朝説の大和説の、
キョクウのヘイトスピーチの街宣の・・・・が出て来たなあ。 >>151
>旧唐書のこの方角、「東」は、「如至成都通水陸行く」で、
>「ほぼ東」で正しいんだよ。
根拠のないでたらめを百回行っても本当にはならないから
慰安婦詐欺も同じだよ
これが本当に頭悪い
「如至成都通水陸行く」
東至安南如至成都通水陸行
少し言葉を補って解釈すると
東の安南へは、成都に至るがごとき距離にて、水陸行を通じて至る
「通水陸行く」ってなんだよww >>153
>墳丘時代も、高冢時代も、前方後円墳時代も、
>(大和よりも)筑紫の方が先行していた。
弥生墳丘墓でも、古墳時代でも、まともな王墓級の大きさの墳墓一つない北部九州には、
列島の政治の中心の存在は想定しようもない
以前の「臣下に王より大きな墓の築造を許す王朝が一つでもあったら教えてくれ」に
答えられてないぞ
視覚的効果を重視する大墳丘墓は、動員人口の大きさを誇示する権力誇示のモニュメントだ
古墳時代に、九州王朝があったなんていうのは、頭悪すぎ
九州説でも、ザラコク以外は誰も恥ずかしくて言わないのにww 「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」(本居宣長)
江戸時代の国学者にとって最も大きな問題は、古代天皇および大和朝廷の朝貢。
そして「邪馬台国論争を定着させる事」、これが彼らが出した結論。
だから新井白石も本居宣長も意図的に九州を出してきた。
九州だ畿内だと論争してくれてるうちは、古代天皇の朝貢という重い史実を定着させなくて済む。
論者を引き付け、大いに論争させ、「永遠の引き分け」を狙ったのです。
引き分けは負けではありませんから。
金印もその流れで江戸幕府により偽造されたのでしょう。
金印が九州のどこから出たことにするか、それが一番悩んだ事でしょう。
選ばれたのが福岡の玄関口の志賀島(笑) >>829
>ザラコク理論の定義に従えば「方位至」と「到着」の間に文字がなければ「方向位置説明」何だろ?
そして、今問題のところは
「東至」「安南」如至成都通水陸行
となっていて、間に一文字もないから「方向位置説明」なんだよな?
そして、「方向位置説明」は側副傍線経路だから、直線方向で示してあるんだよな?
奴国の説明でそう言ってただろ?<
これも説明済みの事だな。
「側副傍線経路だから、直線方向で示してある」なんて言わない。
側副傍線國説明だから、(大体の)位置方向を「四至」的方向で示している、
となら言っている。 >>155
>どちらも大和の雄略とは、無関係であった。
「大和」も「雄略」も使っていいんだな?ww
説明の普通名詞だしww
オオハツセワカタケルと「獲加多支鹵大王」が関係なかったら、誰と関係があるんだ?
「獲加多支鹵大王」をなんと読むのか?と合わせて答えてごらん
松野氏姫氏系図には「ワカタケル」表記はなかったよ?ww >>156
>筑紫倭国の東征将軍や、市を監督する「大倭」職が、
>獲得出来た毛人を使役して、見せつけるために、
>セレモニーを拡大しようとした。
「臣下に王より大きな墓の築造を許す王朝が一つでもあったら教えてくれ」 >>157
>東征将軍や大倭職は、九州のピンク石に憧れを持っていた。
九州の豪族は、阿蘇のピンク石の石棺の使用を基本的に許されていないん
「九州王朝の王が使う高貴な石材」という観念は認められない
ザラコクの説名では「憧れる理由がない」んだ
ピンク石の採れる山まで、大和の王の支配下にあったってことだ >>830
>>安南は、東へ「通水陸行」して行ける、と書かれているだけで、<
>まず「東」へ移動したら、安南には着かない <
普通に道なりに進めば着く。
>こう書かれている時点で、「方角は間違い」だ <
間違っていない。」
>実際、安南へ行くのは、ソンホン川が太くなってからは水行になるので
通水陸行で行くことになるのは正しい<
急峻な渓谷の道無き道など、選択されない。
>>そのルートは「如至成都」のようだ、という移動方向説明であり、<
>そのルートの「距離」は「如至成都」のようだ、という意味
成都に行くルートに、水行区間はない 移動方向説明などという概念はない <
成都に至るのと、同じようだ、と言っているだけ。 >>160
>旧唐書には、「東至安南、如至成都、通水陸行」と書かれているから。
それがどうして昆明を通る理由になるんだ?
「根拠」を挙げて説明してみろよ
そして、成都に至る如し、を重視するなら、
「昆明経由の方角」ではなく、「直線方向」だってことがはっきりするだけだぞ
「昆明経由の方角」はザラコク主張でも東、実際には南東なのに、
「東北」至成都って明記してあるからな! >>175
>通説大和説側の「南→東の嘘つき騙し」の人間が書いたものなんだから、
邪馬壹国には一言も言及のない、別の研究分野の先生まで侮辱するんだ
ザラコクは一生、古田武彦氏の本だけを繰り返し読み続けて、
世間とは関わりを一切持たないようにすることを勧めるよ >>831
>昆明方向も南東 「大体東」が間違い<
私が見ている地図では、「大体東」。
>大理から南に出れば、そのままホンソン川の源流で、ザラコクの言う山脈は
横手に眺めるだけで超えるルートにならない <
ジ海の水は西のメコン川方向に出ていくんだから、
東南方向は、完全な急峻な山越えになって、
更に、渓谷沿いの道なき道になってしまって、
一般的な安南への「通水陸行」路には選択されない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています