邪馬台国畿内説 VS ネッシー実在説
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ネッシーは実在するんじゃなかった
タリモンストラムグレガリウム?だっけ?
飛鳥昭雄説。 平原1号墓出土鏡は八咫鏡じゃないよ
また畿内説背乗りスレ立てしてる 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった2013年の調査からこのかた、急に畿内説の素人や学芸員レベルの爺さんのネットでのつぶやきが危地外じみてきたね
有能な若手考古学者を繋ぎとめるために、ポストをちらつかせるのが常套手段だが、大和王権を扱う若手の学者たちは、邪馬台国問題からは距離を置きたがっている。。。 キナイコシが必死で否定する八咫鏡の大きさは、邪馬台国とどう関係するのだろうか、、、 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 円周は、長さで表されるものではないのかな、、、
それにしても、キナイコシはなぜ必死なのだろうか、、、 >>28
畿内説論破されてしまったキナイコシが、スレッドと無関係の物を持ち出して荒らそうとしているのではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった2013年の調査からこのかた、急に畿内説の素人や学芸員レベルの爺さんのネットでのつぶやきが危地外じみてきたね
有能な若手考古学者を繋ぎとめるために、ポストをちらつかせるのが常套手段だが、大和王権を扱う若手の学者たちは、邪馬台国問題からは距離を置きたがっている。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 円周は、長さで表されるものではないのかな、、、
それにしても、キナイコシはなぜ必死なのだろうか、、、 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない はい、では平原1号墓出土鏡が八咫鏡ではないことを、きちんと論証しましょう
史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない キナイコシが必死で否定する八咫鏡の大きさは、邪馬台国とどう関係するのだろうか、、、 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 九州北部説論者によって畿内説を鮮やかに論破されてしまったキナイコシが、九州北部説と対等に渡り合うためには熊本説に転向するしか無いのではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな。 キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな。 史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない >>53
こういう意味不明のマイルールを設定しないと成り立たないのが
キナイコシの特徴。
一見すると議論しているように見えても、
その根幹は単なる思い込み。 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 邪馬台国=伊都国説は、事実上、平原1号墓が卑弥呼の墓であることのみを
その理由と根拠にしているので、大型内向花文鏡が八咫鏡ではない時点で、
その根拠を失う
そもそも、径百歩にはどうやっても満たない14×12メートルサイズの方形周溝墓を
卑弥呼の墓だとするのはもとから無理があった
大型内向花文鏡を八咫鏡と考え、天照大神=卑弥呼と連想ゲームをすることと
周溝の埋まった後に、埋まった周溝に作られた土坑墓を殉葬墓と誤解することの
2点で「平原1号墓=卑弥呼の墓」と考えていたが、八咫鏡とは無縁であり。
土坑墓も、平原1号墓の被葬者と埋葬時期が周溝が埋まるほどの年月の隔たりがあり
殉葬墓ではあり得ないことから、平原1号墓が卑弥呼の墓であると考える理由はなくなる
そうなると、もとより小さすぎて無理だったのだから、卑弥呼の墓ではないのが
確認されただけなのだが、「伊都国説」も同時にその前提を失う
邪馬台国と伊都国を重ねて考えるのが最初から無理なので、おかしいことが
確認されただけともいえる 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな。 キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな >>64
>キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
同じことを違うスレで何度書いてもムダ
鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 そもそも、円形のものの大きさを示すのに「円周長」で示す例はないし、
「咫」で長さを測っている事例もない
これを否定したかったら、反例を出してくれ
できないくせに、文句言ってもムダww 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 >>72
>長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ キナイコシの馬鹿さ加減についていけねーw
咫が長さの単位じゃないというならともかく
咫が長さの単位なのだったら、
直線を測ろうが、円周を測ろうが、
センチはセンチ
咫は咫
馬鹿だねえw
キナイコシw コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ いっぱいコピペしたら
馬鹿話が本当になると思っている
キナイコシw
鉄器ゼロwww 同じことを何度書いてもムダ
鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな そもそも、円形のものの大きさを示すのに「円周長」で示す例はないし、
「咫」で長さを測っている事例もない
これを否定したかったら、反例を出してくれ
できないくせに、文句言ってもムダww >いっぱいコピペしたら
>馬鹿話が本当になると思っている
コピペへの回答は、コピペで十分だろ?ww
スレ埋めがはかどって、楽だわw >>86
>長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 鉄器ゼロを同じく、
みじめにコピペを張り続けろやキナイコシw
咫が長さの単位なのに、
円周を測るのには使えないという屁理屈を連続コピペ 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位なんだよね。
長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だなキナイコシ 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ キナイコシが発狂して連続コピペ中でっす!w
泥船から逃げ遅れたらこうなりまっす!w >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位なんだよね。
長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だなキナイコシ >長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
そもそも円周は測らない
それと、「咫」が円周を測るのに便利な単位として利用されてたといっていたのは
伊都国説の方
つまり、バカは伊都国説 キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 >>103
もう何が何だからわからなくなってるねw(アハw キナイコシが発狂して連続コピペ中でっす!w
泥船から逃げ遅れたらこうなりまっす!w >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位なんだよね。
長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だなキナイコシ >>106
>キナイコシが発狂して連続コピペ中でっす!w
つまり、>>106、>>107の人は「キナイコシ」って言うんだね!
そして、自分の意見が完璧な根拠と論理で否定されつくして、
反論一つできずに、連続コピペするしかなくて、発狂中である、と φ(,_,*)メモメモ コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ
http://www.getemono.com/contents/nayuki/KGtop.htm#nayu >>107
>キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
同じことを何度書いてもムダ
鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
「咫」では測らないし、そもそも円周を測る例がない
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 同じことを何度書いてもムダ
>あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位なんだよね。
長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だなキナイコシ 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない キナイコシが発狂して連続コピペ中でっす!w
泥船から逃げ遅れたらこうなりまっす!w 同じことを何度書いてもムダ
>あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位なんだよね。
長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だなキナイコシ キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 >>113
>キナイコシが発狂して連続コピペ中でっす!w
つまり、>>113、>>114、>>115の人は「キナイコシ」って言うんだね!
そして、自分の意見が完璧な根拠と論理で否定されつくして、
反論一つできずに、連続コピペするしかなくて、発狂中である、と φ(,_,*)メモメモ >>114
>長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ
http://www.getemono.com/contents/nayuki/KGtop.htm#nayu >長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
そもそも円周は測らない
それと、「咫」が円周を測るのに便利な単位として利用されてたといっていたのは
伊都国説の方
つまり、バカは伊都国説 >キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
同じことを何度書いてもムダ
鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
「咫」では測らないし、そもそも円周を測る例がない
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 長さの単位で何を測ろうが勝手でしょ。
そんなだからキナイコシって言われるんだよ。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 邪馬台国の時代には「咫」の字は、咫尺という熟語でしか使わない文字になっていて、
咫が長さを測ったり表したりするのに使われることはない
ある鏡が、その円周を咫で計って八咫だとされることはない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 邪馬台国の時代には「咫」の字は、咫尺という熟語でしか使わない文字になっていて、
咫が長さを測ったり表したりするのに使われることはない
ある鏡が、その円周を咫で計って八咫だとされることはない 円周率を3.14とすると、
直径1尺の円であれば、
円周長は、1尺×3.14=3.14尺
咫=0.8尺だから、
直径1尺の円の円周長3.14尺を咫で表すと、
3.14尺÷0.8=3.925咫≒4咫
直径2尺の円の円周長6.28尺を咫で表すと、
3.14尺÷0.8=7.85咫≒8咫
現代人は円周率(π=3.14・・・)をもとに、
直径1センチの円の円周長は3.14センチと暗算できる。
古代人は尺咫(咫=0.8尺)をもとに、
直径1尺の円の円周長は4咫=3.2センチを暗算できた。 平原の世界最大の銅鏡の直径=二尺
平原の世界最大銅鏡の円周長=八咫 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている >>148
それ、「計算」であって、「計測」じゃないだろ?
測ったら八咫だったっていう「設定」はどうしたんだ?ww
測らないんだよ、円周は!
円周を測った例を、一例たりとも出せてないじゃないか!
この時点で、「円周がー」っていうのは、無意味
それに、平原の鏡は、破砕供献だから、復元しないと大きさが分からないんだよ?
いろいろ破綻してるのを、繰り返し書くことでごまかしてるだけ
いわゆる従軍慰安婦問題と同じだ 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 驚いたな。。。
古事記に神功皇后という天皇の妻が、大活躍することが書かれているよ。。。
何者だろうか。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
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周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
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周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている
ID:(200/200) 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。 周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。 鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。 鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。 分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。 國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。 周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。 別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。 鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。 鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。 分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。 國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。 周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。 別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。 鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。 鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。 分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。 國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。 周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。 別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。 鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。 鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。 分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。 國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 説文解字のこの3文字に対する注記が以下に書いてある 通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。 「通典」の引用する「白虎通」に曰く、夏(王朝)は日を法とす。 中国の神話では昔、太陽は10個あってそれが一つずつ空に上がっていたのが、
ある時10個が一度に上がって、夜がなくなって灼熱になったので、9個を弓で射落とした、とある 尺で計れば、長さがはっきりする(極まる)=極まらざるなし 日を法とする王朝で、日の数が10なので、10寸を尺とした 月を法とする王朝で、一年が12月だから12寸を尺とした 周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。 周朝は、五徳で言うと「火徳」なので、地によりて生るがよく分からないが
そう書いてあるので仕方がない 周朝は、地:陰の王朝なので、陰:女・婦人を法とした 周王朝は、地によりて生る陰の王朝で、婦人も陰なので、婦人の奄の八寸を尺とした 考えてみたけれど、奄の字はいまだに詳しいことが分からない ここに及び、その字、これより下では、周制(周の制度)では、八寸を尺としたという話だ 王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。 王制に曰く、古は周尺の八尺を以て步と爲す。今、周尺の六尺四寸を以て步と爲す。 王制(礼記の一篇)によれば、いにしえには周尺の八尺を歩としていた 王制というのは、礼記の一篇の名称であると同時に、周朝初期やそれ以前の聖王による
理想的な治世の時代の制度、くらいの位置づけ 鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。 鄭注では、周尺の数(長さ、寸の数)はいまだに詳しいことははっきりしない。 鄭注は、後漢の鄭玄(じようげん)が経書に施した古典の注釈。また,その経書。じょうちゅう。 礼制の(記述)から考えて、周(の制度で)も、なお十寸で尺としていたようだ(と鄭注に書いてある) 孔子の「礼制」による既成の秩序維持の考え方は周王朝期の礼制に依拠している 後漢の鄭玄は古文経の『周官』を中心として『儀礼』と『小戴礼記』を三礼として総合的に解釈する体系的な礼学を構築した 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。 葢し六國の時、變亂法度多し。或いは言う、周尺八寸と。以步㪅爲八。八八六十四寸。 葢し六國の時、變亂法度多し。或いは言う、周尺八寸と。以って步、㪅に(更に)八を爲す。八八六十四寸。 考えてみるに、春秋戦国時代には、変乱法度が多かった。 「蓋し」は、推論・推定を導く 「考えてみるに」程度の意味 楚斉燕韓魏趙の六国では、各国独自の制度が敷かれたので、それを変法、乱法と呼んでいる
「法度」は法律と制度 (周尺も十寸だったとしたが)六国時代には、あるいは周尺(一応は周代)は八寸だったとも言う (周尺を八寸とすれば=以て)歩はさらに八尺なのだから、ハッパ六十四で六十四寸になる(先に書いた今以周尺六尺四寸爲步と計算が合う) 鄭注の(鄭玄の、としてもよいが)意味するところは、八寸で尺と為すということだ 周末というのは、周朝の威が衰えた六国(春秋戦国)時代のこと 979岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/05/20(日) 23:42:42.80>>983
>>978
荒らしは最悪ですね。 異なるを説くを与許す。然許りまた曰く諸侯力政なり。 そうではあっても、またいうことには、
諸侯(六国の王)が(王制、礼制ではない)力政を行っている (周朝が衰え、天下が)(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の)七国を為す 六国時、も同じ時代だが、戦国の七雄のうち秦は西周の故地を根拠地としていたので、
周朝の制度を引き継いでいる部分も多かった そのため、秦を他の六国を区別していう場合に、六国という表現になる 史記の秦本紀に、「周室微,諸侯力政,爭相併」とある 周室(周の宮室)微え(おとろえ、衰微し)、諸侯力政、相併せるを爭う この力政に、力政:用武力征伐。という注が付いていて、 徳によって帰服させるのではなく、武力で征服する政治のこと 然許亦曰諸侯力政。分爲七國。 で切った方が読みやすかったかな? 農作物の植え方、農地の区画の仕方が、国ごとに異なる様子をいう 車の涂(みち)は軌を異にす。(七国の国ごとに異なる) 涂は、途(みち)の意味 軌は車輪の幅 交通手段、車の規格が国ごとに異なる様子をいう 律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。その他訴訟法や民事法も。)に相当する。 律令の方が国ごとに異なるということは、公定尺の長さも異なることになる 未が再読文字で、未だ〜ずと読むその内側に、不合、合わずが入っているので、 きちんと書き下すなら、「未だ嘗て合わざらずなり」だけれど、 結局は周代の尺が10寸と8寸の両方あって説くところが合わないという話になる 左伝には、「天(子の)威(徳)、(龍)顔を違らざること咫尺」と書いてある 左伝は、左氏春秋伝のこと 左丘明の作と伝えられる「春秋」の注釈書 左氏伝 僖公九年に「天威不違顏咫尺」とあることの引用 天威は、天子の威徳、顔は天子の顔(竜顔)、顔を違らざるは天子の顔近くで恐れ多い様子をいう 天威不違顏咫尺は、「天威咫尺」「天顔咫尺」という四字熟語のもとネタ 咫尺を並べて言うということは、区別があるということ この部分全体が、説文解字の「咫」の「周尺也」の注な訳だが 「国語」でも、「列子」でも、みんな、その長さ尺有咫という使い方をしている 『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている 『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献 国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある (天威咫尺で二尺と言わなかったように)また、二尺とは言っていない 説文解字では、咫の項に「中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。」とある これだけだと、「咫」の長さは婦人の手の大きさの八寸で 10寸なのか8寸なのか混乱し、分からなくなっていた それで、秦の始皇帝による度量衡の統一が必要だった訳だ 八寸の言い換えで、八寸を咫という以外に使い道がない そうして、咫が「咫尺の書」などの決まった言い方でしか使われなくなって それから、3世紀までには400年くらい時間が経っている 昭和の時代に思いついた人がいるってだけの単なる憶測だよ 史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
「咫」では測らないし、そもそも円周を測る例がない
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 周尺なり
通典の引く白虎通に曰く、夏は日を法とす。 説文解字のこの3文字に対する注記が以下に書いてある 中国の神話では昔、太陽は10個あってそれが一つずつ空に上がっていたのが、
ある時10個が一度に上がって、夜がなくなって灼熱になったので、9個を弓で射落とした、とある 尺で計れば、長さがはっきりする(極まる)=極まらざるなし 夏王朝は、日を法とする王朝で、日の数が10なので、10寸を尺とした 一歳の中は、一年中
一年が、十二月でぴったりということ 月を法とする王朝で、一年が12月だから12寸を尺とした 周朝は、五徳で言うと「火徳」なので、「地によりて生る」がよく分からないが
そう書いてあるので仕方がない 周朝は、地:陰の王朝なので、陰:女・婦人を法とした 周王朝は、地によりて生る陰の王朝で、婦人も陰なので、婦人の奄の八寸を尺とした 考えてみたけれど、奄の字はいまだに詳しいことが分からない ここに及び、その字、これより下では、周制(周の制度)では、八寸を尺としたという話だ 王制(礼記の一篇)によれば、いにしえには周尺の八尺を歩としていた 八咫鏡の件で言い負かされたのがよほど悔しいのか。
諦めろ。
平原遺跡が卑弥呼の墓。 >>528
それは、原田大六氏の単なる思いつきなんだよ >>528
>平原遺跡が卑弥呼の墓。
大体、平原遺跡とか 王制というのは、礼記の一篇の名称であると同時に、周朝初期やそれ以前の聖王による
理想的な治世の時代の制度、くらいの位置づけ 鄭注では、周尺の数(長さ、寸の数)はいまだに詳しいことははっきりしない 鄭注は、後漢の鄭玄(じようげん)が経書に施した古典の注釈。また,その経書。じょうちゅう。 礼制の(記述)から考えて、周(の制度で)も、なお十寸で尺としていたようだ(と鄭注に書いてある) 孔子の「礼制」による既成の秩序維持の考え方は周王朝期の礼制に依拠している 後漢の鄭玄は古文経の『周官』を中心として『儀礼』と『小戴礼記』を三礼として総合的に解釈する体系的な礼学を構築した 考えてみるに、春秋戦国時代には、変乱法度が多かった。 「蓋し」は、推論・推定を導く 「考えてみるに」程度の意味 楚斉燕韓魏趙の六国では、各国独自の制度が敷かれたので、それを変法、乱法と呼んでいる
「法度」は法律と制度 (周尺も十寸だったとしたが)六国時代には、あるいは周尺(一応は周代)は八寸だったとも言う (周尺を八寸とすれば=以て)歩はさらに八尺なのだから、ハッパ六十四で六十四寸になる(先に書いた今以周尺六尺四寸爲步と計算が合う) 鄭注の(鄭玄の、としてもよいが)意味するところは、八寸で尺と為すということだ 周末というのは、周朝の威が衰えた六国(春秋戦国)時代のこと そうではあっても、またいうことには、
諸侯(六国の王)が(王制、礼制ではない)力政を行っている (周朝が衰え、天下が)(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の)七国を為す 六国時、も同じ時代だが、戦国の七雄のうち秦は西周の故地を根拠地としていたので、
周朝の制度を引き継いでいる部分も多かった そのため、秦を他の六国を区別していう場合に、六国という表現になる 史記の秦本紀に、「周室微,諸侯力政,爭相併」とある 周室(周の宮室)微え(おとろえ、衰微し)、諸侯力政、相併せるを爭う この力政に、力政:用武力征伐。という注が付いていて、 徳によって帰服させるのではなく、武力で征服する政治のこと 農作物の植え方、農地の区画の仕方が、国ごとに異なる様子をいう 車の涂(みち)は軌を異にす。(七国の国ごとに異なる) 涂は、途(みち)の意味 軌は車輪の幅 交通手段、車の規格が国ごとに異なる様子をいう 律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。その他訴訟法や民事法も。)に相当する。 律令の法が国ごとに異なるということは、公定尺の長さも異なることになる 結局は周代の尺が10寸と8寸の両方あって説くところが合わないという話になる 左伝には、「天(子の)威(徳)、(龍)顔を違らざること咫尺」と書いてある 左伝は、左氏春秋伝のこと 左丘明の作と伝えられる「春秋」の注釈書 左氏伝 僖公九年に「天威不違顏咫尺」とあることの引用 天威不違顏咫尺は、「天威咫尺」「天顔咫尺」という四字熟語のもとネタ 咫尺を並べて言うということは、区別があるということ この部分全体が、説文解字の「咫」の「周尺也」の注な訳だが 「国語」でも、「列子」でも、みんな、その長さ尺有咫という使い方をしている 『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている 『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献 国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある (天威咫尺で二尺と言わなかったように)また、二尺とは言っていない 説文解字では、咫の項に「中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。」とある これだけだと、「咫」の長さは婦人の手の大きさの八寸で さらにこの時期は、信頼できる文書記録があまり残されていない 10寸なのか8寸なのか混乱し、分からなくなっていた それで、秦の始皇帝による度量衡の統一が必要だった訳だ 八寸の言い換えで、八寸を咫という以外に使い道がない 咫が、始皇帝の公定尺による度量衡の統一体系に入らず 咫が「咫尺の書」などの決まった言い方でしか使われなくなって それから、3世紀までには400年くらい時間が経っている 昭和の時代に思いついた人がいるってだけの単なる憶測だよ 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ 要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 説文解字の「周尺也」の3文字に対する注記が以下に書いてある 「通典」の引用する「白虎通」に曰く、夏(王朝)は日を法とす。 中国の神話では昔、太陽は10個あってそれが一つずつ空に上がっていたのが、
ある時10個が一度に上がって、夜がなくなって灼熱になったので、9個を弓で射落とした、とある 尺で計れば、長さがはっきりする(極まる)=極まらざるなし 日を法とする王朝で、日の数が10なので、10寸を尺とした 月を法とする王朝で、一年が12月だから12寸を尺とした 周朝は、五徳で言うと「火徳」なので、地によりて生るがよく分からないが
そう書いてあるので仕方がない 周朝は、地:陰の王朝なので、陰:女・婦人を法とした 周王朝は、地によりて生る陰の王朝で、婦人も陰なので、婦人の奄の八寸を尺とした 考えてみたけれど、奄の字はいまだに詳しいことが分からない ここに及び、その字、これより下では、周制(周の制度)では、八寸を尺としたという話だ 王制(礼記の一篇)によれば、古くは周尺の八尺を歩としていた 王制というのは、礼記の一篇の名称であると同時に、周朝初期やそれ以前の聖王による
理想的な治世の時代の制度、くらいの位置づけ 鄭注では、周尺の数(長さ、寸の数)はいまだに詳しいことははっきりしない。 鄭注は、後漢の鄭玄(じようげん)が経書に施した古典の注釈。また,その経書。じょうちゅう。 礼制の(記述)から考えて、周(の制度で)も、なお十寸で尺としていたようだ(と鄭注に書いてある) 孔子の「礼制」による既成の秩序維持の考え方は周王朝期の礼制に依拠している 後漢の鄭玄は古文経の『周官』を中心として『儀礼』と『小戴礼記』を三礼として総合的に解釈する体系的な礼学を構築した 考えてみるに、春秋戦国時代には、変乱法度が多かった。 「蓋し」は、推論・推定を導く 「考えてみるに」程度の意味 楚斉燕韓魏趙の六国では、各国独自の制度が敷かれたので、それを変法、乱法と呼んでいる
「法度」は法律と制度 (周尺も十寸だったとしたが)六国時代(一応は周代)には、あるいは周尺は八寸だったとも言う (周尺を八寸とすれば=以て)歩はさらに八尺なのだから、ハッパ六十四で六十四寸になる(先に書いた今以周尺六尺四寸爲步と計算が合う) 鄭注の(鄭玄の、としてもよいが)意味するところは、八寸で尺と為すということだ 周末というのは、周朝の威が衰えた六国(春秋戦国)時代のこと 異なるを説くを与許す。然許りなるもまた曰く諸侯力政なり。 そうではあっても、またいうことには、
諸侯(六国の王)が(王制、礼制ではない)力政を行っている (周朝が衰え、天下が)(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の)七国を為す 六国時、も同じ時代だが、戦国の七雄のうち秦は西周の故地を根拠地としていたので、
周朝の制度を引き継いでいる部分も多かった そのため、秦を他の六国を区別していう場合に、六国という表現になる 史記の秦本紀に、「周室微,諸侯力政,爭相併」とある 周室(周の宮室)微え(おとろえ、衰微し)、諸侯力政、相併せるを爭う この力政に、力政:用武力征伐。という注が付いていて、 農作物の植え方、農地の区画の仕方が、国ごとに異なる様子をいう 車の涂(みち)は軌を異にす。(七国の国ごとに異なる) 涂は、途(みち)の意味 軌は車輪の幅 交通手段、車の規格が国ごとに異なる様子をいう 律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。その他訴訟法や民事法も。)に相当する。 律令の法が国ごとに異なるということは、公定尺の長さも異なることになる 則ちその説くところ、また、未だ嘗て合わざらずなり。 未が再読文字で、未だ〜ずと読むその内側に、不合、合わずが入っているので、 きちんと書き下すと「未だ嘗て合わざらずなり」と二重否定になる 結局は周代の尺が10寸と8寸の両方あって説くところが合わないという話になる 左伝には、「天(子の)威(徳)、(龍)顔を違らざること咫尺」と書いてある 左伝は、左氏春秋伝のこと 左丘明の作と伝えられる「春秋」の注釈書 左氏伝 僖公九年に「天威不違顏咫尺」とあることの引用 天威不違顏咫尺は、「天威咫尺」「天顔咫尺」という四字熟語のもとネタ 咫尺を並べて言うということは、区別があるということ この部分全体が、説文解字の「咫」の「周尺也」の注な訳だが 「国語」でも、「列子」でも、みな「その長さ尺有咫」という使い方をしている 『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている 『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献 国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある (天威咫尺で二尺と言わなかったように)また、二尺とは言っていない 説文解字では、咫の項に「中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。」とある これだけだと、「咫」の長さは婦人の手の大きさの八寸で 10寸なのか8寸なのか混乱し、分からなくなっていた それで、秦の始皇帝による度量衡の統一が必要だった訳だ 八寸の言い換えで、八寸を咫という以外に使い道がない 8寸も寸で示せばそれで済むのだから、もう咫の使いどころはない そうして、咫が「咫尺の書」などの決まった言い方でしか使われなくなって それから、3世紀までには400年くらい時間が経っている 昭和の時代に思いついた人がいるってだけの単なる憶測だよ 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
「咫」は秦漢代には「咫尺」という熟語にしか使わない文字となっており
計量単位としての実質を失っている 史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
「咫」では測らないし、そもそも円周を測る例がない
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 説文解字
咫
中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。 説文解字注
周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 説文解字の「周尺也」の3文字に対する注記が以下に書いてある 「通典」の引用する「白虎通」に曰く、夏(王朝)は日を法とす。 中国の神話では昔、太陽は10個あってそれが一つずつ空に上がっていたのが、
ある時10個が一度に上がって、夜がなくなって灼熱になったので、9個を弓で射落とした、とある 尺で計れば、長さがはっきりする(極まる)=極まらざるなし 日を法とする王朝で、日の数が10なので、10寸を尺とした この辺りは、白虎通にはそう書いてあるという紹介ではあるけれど 夏王朝の時代にどんな尺度が使われていたかは、実際のところ分からない というか、伝説の禹に始まる夏王朝の実在からして、定かではない なんでも信用できないと言い張る畿内説。
古代史を全て白紙にしようとする愚かさよ。 数秒で次々に作成できるスレッドを、キナイコシは数十時間かけて埋めるために、時間を無駄にしているのではないのかな。。。 >>879
>なんでも信用できないと言い張る畿内説。
>古代史を全て白紙にしようとする愚かさよ。
夏王朝の 殷(王朝)は、12月を法とす。
一歳の中、成らざる所なしという。
故に十二寸を以って尺と爲す。 一歳の中は、一年中
一年が、十二月でぴったりということ
月を法とする王朝で、一年が12月だから12寸を尺とした 周(王朝)は、地に據(より)て生る。地は陰なり。婦人を以って法とす。 周朝は、五徳で言うと「火徳」なので、地によりて生るがよく分からないが
そう書いてあるので仕方がない 地は、陰陽で言えば、陰 天が陽
男女を陰陽で言えば、男が陽で女が陰 周朝は、地:陰の王朝なので、陰:女・婦人を法とした 婦人はおおむね奄は八寸。故に八寸を以って尺と爲す。 婦人の奄の大きさは大体(大率)八寸である
周王朝は、地によりて生る陰の王朝で、婦人も陰なので、婦人の奄の八寸を尺とした 按ずるに奄の字、未だ詳らかならず。是れ手の誤字を疑う。 考えてみたけれど、奄の字はいまだに詳しいことが分からない
これ(奄の字)は、手の誤字ではないかと疑っている 上文に曰く十寸を尺と爲す。此に及び、夫の字下に周制に八寸を尺と爲すと云う。 ここまで述べてきた文で見るように、十寸で尺となる
ここに及び、その字、これより下では、周制(周の制度)では、八寸を尺としたという話だ 王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。 王制に曰く、古は周尺の八尺を以て步と爲す。
今、周尺の六尺四寸を以て步と爲す。 王制(礼記の一篇)によれば、古くは周尺の八尺を歩としていた
今は、周尺の六尺四寸が歩である 王制というのは、礼記の一篇の名称であると同時に、周朝初期やそれ以前の聖王による
理想的な治世の時代の制度、くらいの位置づけ 鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。 鄭注に曰く、周尺の數、未だ之れ詳らかに聞かず。
禮制を案じるに周はなお十寸を以って尺と爲す。 鄭注では、周尺の数(長さ、寸の数)はいまだに詳しいことははっきりしない。
礼制の(記述)から考えて、周(の制度で)も、なお十寸で尺としていたようだ(と鄭注に書いてある) 鄭注は、後漢の鄭玄(じようげん)が経書に施した古典の注釈。また,その経書。じょうちゅう。
孔子の「礼制」による既成の秩序維持の考え方は周王朝期の礼制に依拠している
後漢の鄭玄は古文経の『周官』を中心として『儀礼』と『小戴礼記』を三礼として総合的に解釈する体系的な礼学を構築した
その書物が「鄭注」で、この部分はその内容の紹介 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。 葢し六國の時、變亂法度多し。
あるいは言う、周尺は八寸と。
步を以て、㪅に(更に)八を爲す。八八六十四寸。 考えてみるに、春秋戦国時代には、変乱法度が多かった。
(周尺も十寸だったとしたが)六国時代(一応は周代)には、あるいは周尺は八寸だったとも言う
歩を以てさらに八をなす ハッパ六十四である 「蓋し」は、推論・推定を導く 「考えてみるに」程度の意味
六国時は、周朝の以降が衰えた春秋戦国時代の意味
楚斉燕韓魏趙の六国では、各国独自の制度が敷かれたので、それを変法、乱法と呼んでいる
「法度」は法律と制度
(周尺を八寸とすれば=以て)歩はさらに八尺なのだから、
ハッパ六十四で六十四寸になる(先に書いた今以周尺六尺四寸爲步と計算が合う) 鄭意八寸爲尺。周末始有之。
與許說異。然許亦曰諸侯力政。 鄭意、八寸を尺と爲す。周末に、これあるを始める。
異なるを説くを与許す。然許りなるもまた曰く諸侯力政なり。 鄭注の(鄭玄の、としてもよいが)意味するところは、八寸で尺と為すということだ
周末にこれ(一尺八寸)が始まった
異なる説も当然成り立ちうる
そうではあっても、またいうことには、
諸侯(六国の王)が(王制、礼制ではない)力政を行っている 周末というのは、周朝の威が衰えた六国(春秋戦国)時代のこと
力政についてもう少し解説
史記の秦本紀に、「周室微,諸侯力政,爭相併」とある
周室(周の宮室)微え(おとろえ、衰微し)、諸侯力政、相併せるを爭う
互いに併呑しようと争っていた
この力政に、力政:用武力征伐。という注が付いていて、力政とは、武力を用いて征伐すること、とある 分かれて七國を爲す。
田の𤲮は畮を異にす。
車の涂は軌を異にす。
律令は法を異にす。 (周朝が衰え、天下が)(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の)七国を為す
田のうねは畮を異にする(七国の国ごとに異なる)
車の涂(みち)は軌を異にす(七国の国ごとに異なる)
律令も、国ごとに異なる法令を使っていた またひとつ、迷惑スレが倉庫送りにできた
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