邪馬台国畿内説 VS ネッシー実在説
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ネッシーは実在するんじゃなかった
タリモンストラムグレガリウム?だっけ?
飛鳥昭雄説。 平原1号墓出土鏡は八咫鏡じゃないよ
また畿内説背乗りスレ立てしてる 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった2013年の調査からこのかた、急に畿内説の素人や学芸員レベルの爺さんのネットでのつぶやきが危地外じみてきたね
有能な若手考古学者を繋ぎとめるために、ポストをちらつかせるのが常套手段だが、大和王権を扱う若手の学者たちは、邪馬台国問題からは距離を置きたがっている。。。 キナイコシが必死で否定する八咫鏡の大きさは、邪馬台国とどう関係するのだろうか、、、 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 円周は、長さで表されるものではないのかな、、、
それにしても、キナイコシはなぜ必死なのだろうか、、、 >>28
畿内説論破されてしまったキナイコシが、スレッドと無関係の物を持ち出して荒らそうとしているのではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった2013年の調査からこのかた、急に畿内説の素人や学芸員レベルの爺さんのネットでのつぶやきが危地外じみてきたね
有能な若手考古学者を繋ぎとめるために、ポストをちらつかせるのが常套手段だが、大和王権を扱う若手の学者たちは、邪馬台国問題からは距離を置きたがっている。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 円周は、長さで表されるものではないのかな、、、
それにしても、キナイコシはなぜ必死なのだろうか、、、 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない はい、では平原1号墓出土鏡が八咫鏡ではないことを、きちんと論証しましょう
史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない キナイコシが必死で否定する八咫鏡の大きさは、邪馬台国とどう関係するのだろうか、、、 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 九州北部説論者によって畿内説を鮮やかに論破されてしまったキナイコシが、九州北部説と対等に渡り合うためには熊本説に転向するしか無いのではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな。 キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな。 史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない >>53
こういう意味不明のマイルールを設定しないと成り立たないのが
キナイコシの特徴。
一見すると議論しているように見えても、
その根幹は単なる思い込み。 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 邪馬台国=伊都国説は、事実上、平原1号墓が卑弥呼の墓であることのみを
その理由と根拠にしているので、大型内向花文鏡が八咫鏡ではない時点で、
その根拠を失う
そもそも、径百歩にはどうやっても満たない14×12メートルサイズの方形周溝墓を
卑弥呼の墓だとするのはもとから無理があった
大型内向花文鏡を八咫鏡と考え、天照大神=卑弥呼と連想ゲームをすることと
周溝の埋まった後に、埋まった周溝に作られた土坑墓を殉葬墓と誤解することの
2点で「平原1号墓=卑弥呼の墓」と考えていたが、八咫鏡とは無縁であり。
土坑墓も、平原1号墓の被葬者と埋葬時期が周溝が埋まるほどの年月の隔たりがあり
殉葬墓ではあり得ないことから、平原1号墓が卑弥呼の墓であると考える理由はなくなる
そうなると、もとより小さすぎて無理だったのだから、卑弥呼の墓ではないのが
確認されただけなのだが、「伊都国説」も同時にその前提を失う
邪馬台国と伊都国を重ねて考えるのが最初から無理なので、おかしいことが
確認されただけともいえる 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな。 キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな >>64
>キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
同じことを違うスレで何度書いてもムダ
鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 そもそも、円形のものの大きさを示すのに「円周長」で示す例はないし、
「咫」で長さを測っている事例もない
これを否定したかったら、反例を出してくれ
できないくせに、文句言ってもムダww 1咫は周代の尺で、8寸
周代の1尺は、10寸
あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな キナイコシ VS @阿波
好勝負ではないのかな。。。 >>72
>長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ キナイコシの馬鹿さ加減についていけねーw
咫が長さの単位じゃないというならともかく
咫が長さの単位なのだったら、
直線を測ろうが、円周を測ろうが、
センチはセンチ
咫は咫
馬鹿だねえw
キナイコシw コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ いっぱいコピペしたら
馬鹿話が本当になると思っている
キナイコシw
鉄器ゼロwww 同じことを何度書いてもムダ
鏡の直径は、尺・寸(センチでもよい)で計るし、
鏡の円周を測るとしても、尺・寸(センチでもよい)で計る、だけ
魏志倭人伝の時代で既に、「咫」は計量単位としての実質を失っており
「咫尺」という熟語か、伝承中での「尺有咫(=18寸)」という使い方しかなくて、
「尺有咫」が使われる場合もいちいち「八寸曰咫」が必要な状態 >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな そもそも、円形のものの大きさを示すのに「円周長」で示す例はないし、
「咫」で長さを測っている事例もない
これを否定したかったら、反例を出してくれ
できないくせに、文句言ってもムダww >いっぱいコピペしたら
>馬鹿話が本当になると思っている
コピペへの回答は、コピペで十分だろ?ww
スレ埋めがはかどって、楽だわw >>86
>長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 鉄器ゼロを同じく、
みじめにコピペを張り続けろやキナイコシw
咫が長さの単位なのに、
円周を測るのには使えないという屁理屈を連続コピペ 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位だから、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だな 平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない
平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない
したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない
しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない
つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である >あくまで長さの単位であり、円周を測る単位ではない
長さの単位なんだよね。
長さの単位が、なんで円周を測る単位でないの?
キミの世界では、鏡の直径はセンチで測って、鏡の円周はセンチを使わないのかい?
ほんと馬鹿だなキナイコシ 邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる
その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ コリアンジェノサイダー・nayuki と同様、完全な正解がこちらサイドにあるから
議論には最初からならないし、楽なもんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています