今だに邪馬台国畿内説を信じてる人っているの?2
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>>666
>焼けて小さくなってしまっているのだね。
皇居の鏡は、焼けた記録があり、焼けたままとされているけれど、
伊勢の御神鏡が焼けた記録はないよ
また適当なことを書いてるなww >>674
でもな、八咫厨は「咫」が円周を測るための単位、とまで言ってるんだぞ?
ならば、他例は差し置いても、円周長を示す用例がいくつもなければおかしいだろうが?
円周と咫を組み合わせて記述した例が、国内国外ともに「一切ない」
「一例たりともない」
この時点で、「咫」が円周を測るための単位、という主張は破綻している
そして、円形物の大きさを円周長で示す例が、これまた一切、一例もない
この時点で、
1.円形の鏡の周を測った
2.測定単位は「咫」
の両方に、まったく根拠がないことが分かる >>688
その八咫厨の仮説は無意味だな。
円周を測るに便利だが
尺八寸の方が本質的であって
あえて円周を測る尺度という新たな仮説は必要ないからな。
物事はシンプルに保つのが良い。 >>689
>円周を測るに便利だが
はい、この時点で落第! >>689
>尺八寸の方が本質的であって
これも、本質じゃなくて修辞なんだよ >>689
>あえて円周を測る尺度という新たな仮説は必要ないからな。
いや、円周を測るっていう時点で、仮説にもならない >>689
>物事はシンプルに保つのが良い。
だろ? だから、長さは尺と寸だけで >>693
便利じゃなかったら何で曲尺に丸目角目があると思ってんだ?
尺とか咫とは全く独立の概念で尺の換算が実用上便利なのは既出だからな
ただし、使えば便利という仮説はこの場合必要ない。ただ尺八寸さえあればよい。 >>704
>便利じゃなかったら何で曲尺に丸目角目があると思ってんだ?
丸目は3.14のπ、角目は1.41のルート2の目盛になってる
これなら便利だが、円周率が3.2なんてのは使い物にならないんだよ
現代のことを弥生時代に当てはめてどうする?
つ「直径七寸の円の円周を咫で表してみればいい 」
さ、計算して見せて!
便利なんでしょ? >>703
>倭国というか東夷は尺度が違うんだよ。
記録しているのは魏朝の役人
魏の公定尺以外を使う理由がない 八咫鏡の良いところは、端数が出ない予定調和になることですね。
七咫鏡とかだと、径が尺では端数が出てしまう。
だから八咫鏡はその大きさであることが大事だったと。 魏の役人に説明したかどうかもわからないし、そもそも見せたかどうかも怪しい。
卑弥呼の葬式には立ち会わなかったらしいから、鏡を持ち出して割るところも見ていないはず。
あくまでも咫の解釈や八咫鏡という呼称は国内向けのものだろうね。
中華皇帝の権威から外れた独自の権威の確立にもつながるから、対外的におおっぴらにはできなかったかも。 神秘性を高める条件だよ。
卑弥呼が古代神道の日の巫女で、太陽の化身として君臨するなら、予定調和は重視したはず。
日の出の方角に神奈備を備える伊都国は、祭祀都市に相応しい。
その高千穂の中ほどに楼閣を高くし、かつてない巨大な黄金に輝く鏡に囲まれて鎮座していたのだろう。 >>707
>八咫と呼んだのが魏人と思ってる馬鹿
日本書紀まで時代が下らないと、八咫鏡なんて言葉は出てこないぞww
「記紀の八咫鏡の語源は?」
「説文解字記載の尺八寸を
日本書紀記述の際に、意訳したんでしょう。
日本書紀は中国語ネイティブの人が記述したことがわかっている。
きっと博学な人だったんだろう。」 つ「直径七寸の円の円周を咫で表してみればいい 」
さ、計算して見せて!
便利なんでしょ? >>715
そんな中途半端な鏡はわざわざ呼ばないよ。 皇居の八咫の鏡はいつどこで作られた?
いつからその名前で呼ばれている?
平原の超大型内行花文鏡とどっちが古い? >>716
>そんな中途半端な鏡はわざわざ呼ばないよ。
いや、呼ぶ・呼ばないじゃなくてさ、
「咫は円周を測るor計算するのに便利な単位」なんだろ?
だったら、便利なところを見せておくれって言ってるんだが?
それに、中途半端じゃなく、これくらいがよくある鏡のサイズだぞ
こういうのに使えてこそ、便利ってことだろ? 卑弥呼が天皇家の人間だった
↓
天皇凄い日本凄い
↓
俺凄い
ネトウヨ惨め >>719
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
らしいよ 鏡も難解な品でして
、運命の被害出てます。客観視するとか、主観で押す世界濁します。 >>718
八咫鏡に便利なんだよ。
宗教は理屈ではないし、それ自体が目的となり得るのだよ。 >>721
皇居の八咫の鏡はいつどこで作られた?
いつからその名前で呼ばれている?
平原の超大型内行花文鏡とどっちが古い? お前が決めることではないんだけど、
と言ってる人がいなかった?
例えば、自分のこと(自分の家)は自分が一番知っている
みたいな話 邪馬台国の話ではないのかな、
たしか、そのようなことを言ってる人がいた
もれ(仮)だったかな 無知の知 とは ムチムチのことだよ。人、自分をしらず、自己をみつめぬ。 基本的には音が先にあって漢字を当てた。
おそらく紀以前に 「八咫」と書かれた文献は見つかっていない、
これはスレ共通認識としての大前提というのはいいかな? というか、記紀より前の文献はほぼすべて失われている。 記紀が文献じゃあかんのか?
畿内説は日本の歴史を墨で塗り潰そうとしているのか? >>737
記紀は文献だ
誰も反対せんぞ
それがどうした? >>735
ということは
八咫の鏡は日本書紀編纂時に初めて
そのように表現された。そう見なさざるをえない。
しかし音が先にあるわけだから、
八咫の鏡は名付けられる前に存在した。
神器としての八咫の名称の鏡は、その名称の起源は不明だった。
これもいいよね? 八咫は大きさの単位だろ。
音で何か意味あるか?
卑弥呼の時代でも魏に国書を送ることができる程度には漢籍を理解していたんだぞ。 >>741
卑弥呼は倭王だった。
ではその倭とはどんな国だ?
倭の都はどこだった?
その話に八咫鏡や三種の神器が重要になってくる。 >その話に八咫鏡や三種の神器が重要になってくる。
関係なし 魏の使いが滞在したことが確実である伊都国は三種の神器を王墓に副葬する文化を持っていた。
関係ないわけがあるまい。 >>743
今、三種の神器と言っている組合せは、首長層には共有されているんだよ
普通の豪族の古墳でも、「三種の神器セット」は普通に副葬されている
三種の神器があるから王墓、っていう単純な話ではない 日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇
別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連(連、未詳何姓人)奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。
是、角臣等初居角國而名角臣、自此始也。
みたいに普通の豪族が普通の豪族に「八咫鏡」を贈っているし
おまけ 皇統と無関係の「八尺瓊勾玉」も日本書紀にある
垂仁紀「是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」」
ムジナの腹から出てきたものを「八尺瓊勾玉」と呼んでるくらいだから、
その名称に権威があるわけじゃないよ >>717
>皇居の八咫の鏡はいつどこで作られた?
記紀というか、日本書紀に拠れば
自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲+2679年前くらいだな 八咫鏡という言葉が記紀にしかないんだから、それを典拠にするしかあるまいに
もともと答えがないのを訊いてるってのは自覚してるだろ? 正確な答えが出ないことはわかっている。
その上で、推論を聞いている。 >>751
>正確な答えが出ないことはわかっている。
>その上で、推論を聞いている。
なら、まず自分の見解を述べてみたらどうだ?
人の意見を聞くばかりではなく
その方が建設的だろ?
とりあえず文献からの推定値が示されたんだから
今度は>>751の番だろ? >>752
九州説
倭の王都である伊都国にあった超大型内行花文鏡は八咫鏡の同范鏡であり、卑弥呼の時代に作られた。
複数の枚数を鋳造したが、卑弥呼の葬礼において一部を除いて破鏡した。
倭の独自解釈で径二尺、周八咫とされ、八咫鏡の名称が与えられた。
畿内説
天皇家の八咫鏡はもっと小さく貧弱だ。
記紀によれば百万年以上前に作られた。
平原遺跡の鏡は国産だから権威はない。 >>754
八咫鏡は大和王権に伝わるもの
そもそも九州豪族はこんなもの持っていない 卑弥呼は天皇の一族だった
↓
天皇凄い日本凄い
↓
俺凄い
ネトウヨの畿内説を支持する心理的構造 >>754
>九州説
今どき、九州説をやっている時点で、まともな判断力のない人だな
>倭の王都である伊都国にあった
王都だというのがそもそも間違い
その根拠が、魏志倭人伝の無理読みのみってのもイタイ
>超大型内行花文鏡は八咫鏡の同范鏡であり、卑弥呼の時代に作られた。
八咫鏡と大きさが異なるのは論証済み
平原1号墓が卑弥呼の時代かどうかは問題が残る
>複数の枚数を鋳造したが、卑弥呼の葬礼において一部を除いて破鏡した。
基本的に妄想
卑弥呼のための鏡なら、すべて破鏡するのが妥当
仿世鏡なのだからいつでも作ろうと思えば作れる作れる
>倭の独自解釈で径二尺、周八咫とされ、八咫鏡の名称が与えられた。
「咫」の読みはもともとは「シzhi」
日本語の「咫」は「あた」と読む
独自解釈ではなく、別語源の言葉であって、当て字なんだよ
周の長さが周尺の八咫というのは、昭和の 人間のただの憶測 >>754
>畿内説
まともな情報リテラシーがあれば、畿内説という判断にしか現状ではならない
>天皇家の八咫鏡はもっと小さく貧弱だ。
日本と日本の伝統を貶めようという発想があるな
>記紀によれば百万年以上前に作られた。
「記紀の神話」では、そうなる
「記紀の神話」が事実だと考えている人はいない
>平原遺跡の鏡は国産だから権威はない。
実際権威はないだろ?
権威があるのは「鏡」ではなく、それを所持する人物または血統にある >>759
>王都だというのがそもそも間違い
>その根拠が、魏志倭人伝の無理読みのみってのもイタイ
考古学的な根拠だよ?
勝手な決めつけはやめなよ。
>平原1号墓が卑弥呼の時代かどうかは問題が残る
「疑問が残る」とは便利な表現だね。
でも、倭国大乱より前ということはないだろうから、卑弥呼の治世か、卑弥呼の死後しかあり得ないよ。
>仿世鏡なのだからいつでも作ろうと思えば作れる作れる
でも他には見つかっていない。
天皇家の鏡がもっと小さいと主張するなら、なおさらだ。
天皇家の鏡より大きい、スーパーキングサイズだ。
>独自解釈ではなく、別語源の言葉であって、当て字なんだよ
同じこと。
つまり漢籍をいくら引用しても、平原の鏡が八咫の鏡である可能性を否定できない。 >>761
>倭国大乱より前ということはないだろうから
なぜ?
埋葬主体と明らかに埋葬年代が異なる周溝の土坑墓の副葬品で、弥生末期なんだが? >>761
>考古学的な根拠だよ?
その根拠を書かなきゃ意味ないだろ?
井原鑓溝も三雲南小路も古すぎて3世紀の根拠にはならないぞ? >>761
>でも他には見つかっていない。
畿内の下池山古墳では特別な小石室を作った上で40センチクラスの内行花文鏡が
破供せずに副葬されている
こちらは、平原1号墓のもののような、外縁部の同心円領域で面積を稼いだり
していない、きちんとした舶載鏡由来の正しい作図法で作られた鏡だ
でも、下池山古墳は墳丘長120メートルで、畿内では特に大きなものではないし、
この大型内行花文鏡をもって、大王墓の証拠だという人はいない
もちろんこの下池山古墳のものも、柳本大塚古墳のものも仿世鏡
作ろうと思えばいつでも作れるんだよ >>759
他のスレで論破されたことを繰り返すなよ。 >>764
>天皇家の鏡より大きい、スーパーキングサイズだ。
つ>>760
「権威があるのは「鏡」ではなく、それを所持する人物または血統にある」 >>762
>埋葬主体と明らかに埋葬年代が異なる周溝の土坑墓の副葬品で、弥生末期なんだが?
はあ?
どの副葬品のこと?
耳璫が魏晋の時代のものであり、一番新しい副葬品で考えないといけないから、そんなものに意味はない。 >>763
>井原鑓溝も三雲南小路も古すぎて3世紀の根拠にはならないぞ?
根拠にならないという意味がわからない。
同じ地域にずっと王都が置かれていただけ。
大和に東遷したというなら、その証拠を出せ。 >>764
>でも、下池山古墳は墳丘長120メートルで、畿内では特に大きなものではないし、
>この大型内行花文鏡をもって、大王墓の証拠だという人はいない
畿内には大王墓はないのだな >>766
>「権威があるのは「鏡」ではなく、それを所持する人物または血統にある」
じゃあ裸の王様でもいいんだな?
いいわけあるか! >>761
>つまり漢籍をいくら引用しても、平原の鏡が八咫の鏡である可能性を否定できない。
別に>>761個人が「八咫の鏡なんだー」って信じ込むのまでは否定しないよ
日本では心情・信仰の自由が憲法で保障されてるからね
平原1号墓出土鏡が八咫鏡と呼ばれたことは「昭和になるまで一度もない」
そもそも円形物の円周を測って円周長で大きさを示した例が一つもない
「咫」を使うかどうか以前の話なんだよ >>765
アンカ間違えてるぞww
論破済みのことでごねてるのは>>761だよww >>767
九州説の連中は勉強不足
かつて殉葬墓と間違われた周溝の土坑墓のことも知らないのか? 古い品を副葬したのかな?
一番新しい副葬品の年代で決まるから、平原遺跡は魏の頃かそれ以降だよ。
まさに卑弥呼が亡くなった年代だ。 >>767
>耳璫が魏晋の時代のものであり
根拠なし これによると、
「本試料を顕微鏡観察したところ、重層ガラスであることが明らかになった。」
「孔に平行する断面を観察したところ二層構造を有し、孔に近い内側は大小多量の
気泡を含むガラス層、その外側には気泡をほとんど含まないガラス層で形成していた。」
「このような構造を成すガラスは、古墳時代の遺跡から発見されている、
いわゆる「金層」ガラスである。金層ガラスの多くは金層を含むものは少なく、
内側孔に近い部分には、気泡が多量に含まれるガラスを使用して、その外層には
褐色透明なガラスが用いられており、構造や材質に多くの共通点があり、加工法も
同様であると考えられた。」 これを素直に読むと、このガラス連玉は古墳時代に位置づけるのが、相応ということになる
またその成分は
「本試料の材質は、基礎ガラス材としてはソーダ石灰ガラス(Na20-CaO-SiO2 system)で、
これにコバルトイオンによって着色したものと考えられた( 表2) 。
しかし、 MnO含有量の多い青紺色ソーダ石灰ガラスが、弥生時代の遺跡から出土したのは初めてで、
その多くは古墳時代の後期に見つかっているもの」
とあり、この耳飾りだけに頼って編年するのであれば、編年は埋葬主体の出土物で最も新しいものに合わせるという原則に従って、平原1号墓はかなり新しく古墳時代後期でもおかしくないことになる
古墳時代後期というのは、例えば藤ノ木古墳から金層ガラスが出ている >>779
>畿内説の無知を晒しているだけだ。
無知は九州説(特に伊都国推し)の方だと思うがね
>>776〜>>778にはコメントないのかね? 金層ガラスの編年からすると、もっと遅くてもおかしくないってことだぞ? 畿内説は平原遺跡を2世紀だとか4世紀だとか、いろいろ適当なことを言うよな。
よほど3世紀にするのが怖いんだな。 >>783
>よほど3世紀にするのが怖いんだな。
「邪馬台国纏向説破綻の古代史に与えた影響」というスレの
>744
「当たり前だ
平原は卑弥呼の墓ではない 」
だそうだよ?
これ九州説の人間の書き込みww
平原1号墓は邪馬台国論争では重箱の隅だから、3世紀でもどうでもいいよ
ただ、それを確定事項だというなら「嘘つき」 九州説の人間でも、多少は目の見える人間は
平原1号墓を卑弥呼の墓だとは言わないんだよw それってザラコクだろ?
目の見える人間?
ふーん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています