前九年の役・後三年の役
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十三湊がある津軽は間違いなく支配下だろ。秀衡弟の秀栄がいたし >>126
史料がないからなー。
大河兼任の乱では由利や男鹿は鎌倉よりだったから大河にうたれたとあるが…。
大河自身は蝦夷系だったんじゃないの? >>127
いません。
十三氏なるものもいません。 >>128
大河兼任の乱の名目は藤原泰衡が殺害された復讐なんだっけ?
主君の敵討ちの元祖と言われていて、目的は鎌倉に攻め込み頼朝を殺害すること。
結局、藤原氏もその支配が大河兼任の支配地(出羽秋田、五城目あたり)まで及んでいたということか。 大河兼任の乱はなぜかあんまり知られてない。
なぜだろう?
八郎潟あたりで挙兵して、平泉を奪還し、鎌倉を目指したが、迫あたりで鎌倉軍に敗れて
青森あたりまで逃げてなぜかまた宮城県の栗原あたりで殺されてる。 >>135
ぱっと見、空白の使い方が上手くて趣があるのに
内容はエグいね 当時の貴族にもいろいろ言われたくらいだから
よっぽど非道だと思われたのだろうな 『後三年記』は読んでもスッキリしないもんな。
金澤の柵の兵糧ぜめは記録に残る最初かな?
八幡太郎の怨みの強さはちょっと異常。 義家・義光という性格悪いコンビが出陣して
三兄弟の中ではまだマシな義綱が出陣してないのだな 鎌倉権五郎景正はその後どうなっただろう。
その子孫は繁栄したのかな。鎌倉氏もその後聞かないけど。 鎌倉はさすがに名乗れないんじゃないの。頼朝公=鎌倉殿だから >>151
長尾・大場・梶原などの平氏系じゃなかったっけ。
土肥もそうかな? ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?
北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな >北条義時は朝廷も叩き潰して
いつ潰した?
潰したのは後鳥羽上皇の支配体制だ。
だいたいが朝廷を潰したら幕府の存立そのものが立ち行かないはず。 東国と西国が完全に一つになったのは江戸幕府からだからね >>160
上皇を全員共に島流しにして公卿を大量処刑にしてんだから
叩き潰し多のも同然だろ?
天皇だけお情けで生かしてもらったにすぎない
しかし朝廷の権威なんて完膚なきまで叩き潰された >>166
後鳥羽の兄・後高倉院を担ぎ出しているのだから
義時の単独行動ではないよね 北条義時に勝てる人間が他にいなかった
実際に朝廷や上皇の権威も無きものにしたんだから
誰が義時に勝てようか? >>170
これから、風が吹くたびに秋の気配を感じられるようになる。
そのたびになにかもの哀しくなるよ。 >>172
ずっと前。
914年の十和田湖火山の火砕流はこの少し上流の大湯で止まっているから、その時代そこにいたら即死。
日本のピラミッドとされるその遺跡の近くにあるクロマンタは、一応山頂神社が安部氏に関係付けられている。 なかなか東北勢は甲子園で優勝できないな。なにかの呪いなのか… 奥州藤原氏の官僚機構を頼朝は真似たというのは史実? 毛越寺や中尊寺などのお寺に感動して鎌倉もそうしたとは聞くけど官僚機構はない。 実態はともかく形式上は東軍に対する西軍の反乱だろ。東軍が将軍家の御旗もらってるし山名宗全治罰院宣出てるし 奥羽を語るには まつろわぬ民 から語り始めないとな 後三年での清原真衡死後の遺領は奥六郡は清衡家衡に、山北三郡は真衡養子で源義家の義兄弟の平成衡が引き継いだんだな 吉彦秀武の子孫もそのごはわからない、らしい。
頼朝軍が来た時、藤原方の陣営に吉彦氏でも出てくれば面白いが。 グーグルしたら平家物語に出てた。鎌倉権五郎
以下
その後梶原鐙あぶみ踏ん張り立ち上がり、大音声を上げて、「昔八幡殿の後三年の御戦ひに
、出羽国千福せんぶく金沢の城め給ひし時、生年十六歳と名乗つて、真つ先駆け、弓手眼
を兜の鉢付の板に射付つけられながら、その矢を抜かで、たうの矢を射返し、敵かたき射落し、勧賞蒙り
、名を後代に上げたりし鎌倉の権五郎景政、五代の末葉梶原平三景時とて、東国に聞こえたる一人当千の兵ぞや
我と思はん人々は、寄り合へや見参せん」
平家物語 巻第九 二度乃縣
梶原景時、景李が子孫じゃった。 私の中での前九年の役は炎立つなんだけど勉強し直した方がいい? >>197
金売り吉の娘沙羅を多岐川裕美が演じているけどこの沙羅が祀る東北古来の神「アラハバキの神」は
偽書である「東日流外三郡誌」が出典なので無かった事にするべき。 炎立つの原作者が岩手出身でファンタジー系の人だから何とも言えないよな アラハバキの神は一応「東日流外三郡誌」以前からあるだろ。 あるけど荒脛巾神は東北古来の神じゃなくて東北・関東に多いけど全国にあり、いつから信仰されてるのか
どういう神様なのかよく判らない謎の神。
<<荒脛巾神の祠がある神社は全国に見られるが、その中には客人神(門客神)としてまつられている例が多い。
客人神については諸説があり、「客人(まれびと)の神だったのが元の地主神との関係が主客転倒したもの」という説もある。>> 白鳥舘遺跡とか長者ヶ原廃寺遺跡とか平泉の遺跡の一部は安倍氏の時代のものと考えられている。
http://www2.pref.iwate.jp/~hp0907/syokai/shirotoritate.html 流石にここの人達は読書板の人達より博識なんだなぁ 東北住みが長くなり愛着が湧いてアテルイから戊辰戦争まで東北物色々読んだつもりだけど大河兼任とか初めて知った
戦国以降は色んな作家の小説を読み較べる事ができるけど前九年後三年とかアテルイ辺りは需要が無く史料も乏しいせいか小説は本当に少ない
ある程度史実を押さえておきたいなら学術書を読まないと駄目なのかな >>214
えー
でも九州山地から下の方はどうよ? >>215
その下の方のやつらを都に移住させて管理したのが隼人司って役所や >>218
オレンジ武者どころか前九年・後三年の頃も有名無実だわ。そんくらい九州はとっとと王化に服している 酸っぱくて食べられない橙をオレンジと訳すのは如何なものか。 >>218
いきなり時代がとんでるけど…まさか平安後期と安土桃山期の構造が同じだと思ってる? 小学校の頃大河ドラマ見てたから炎立つが思い浮かぶ・・・
清原家内紛のときに家衡豊川悦司と清衡村上弘明の対立が好き。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています