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邪馬台国畿内説 Part352
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0001◆UiepmfCeDJqf
垢版 |
2018/06/09(土) 06:56:41.04
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528141524/


◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。
0851日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 13:42:43.60
>>850
その通り、、、奴国からが女王国だったね。。。
卑弥呼の都の邪馬台国は、そこから南にある熊本城だ。。。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 13:47:40.70
(帯方郡から)南に航海すると、二十日で(北九州市や大分県となった)投馬国に至る。
官は彌彌、副官は彌彌那利といい、50000戸あまりあるようだ。。
(帯方郡から)南に10日航海し、(末盧国から)陸路を1月行くと女王が都にしている所である(後に、熊本城が建てられた)邪馬壹国に至る。
官は伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮といい、70000戸あまりあるようだ。。
女王の国とそこから北の地域は、その戸数や道や里の様子は、おおよそ書き記すことができるが、その他のかたわらの国は遠くて交流も絶えており、詳しく書き記せない。。。
(帰りに宿泊するのは、邪馬台国の)次は斯馬国であり、その次は巳百支国であり、その次は伊邪国であり、
その次は都支国であり、その次は彌奴国であり、その次は好古都国であり、
その次は不呼国であり、その次は姐奴国であり、その次は對蘇国であり、
その次は蘇奴国であり、その次は呼邑国であり、その次は華奴蘇奴国であり、
その次は鬼国であり、その次は為吾国であり、その次は鬼奴国であり、
その次は邪馬国(八女)であり、その次は躬臣国であり、その次は巴利国であり、←邪馬国(八女)に注目、、、、
その次は支惟国であり、その次は烏奴国であり、その次は(帯方郡からの道里を前述し、示した)奴国である。
これが女王の境界が尽きるところである。。。
その(女王の)南に狗奴国があって、男子が王になった。
その官には狗古智卑狗がある、、
女王に服属していない、、、
0853日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 13:53:03.89
福岡から北九州市までどんだけかかるんだよ。
アホが。
0854日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 14:13:47.17
>>100
周髀算経には、そんなこと書いてないね
捏造すな
0855日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 14:27:35.67
>>854
ザラコクにそんなこと要求するのは、魚に鰓呼吸するなと言うようなものだ。
0856日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:01:28.26
キナイコシに元気がなくなったな。。
0857日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:01:53.11
周髀算経のことで、優れた考古学者達に打ちのめされ、恥を掻かされたキナイコシが、やる気を失ったのではないのかな。。。
0858日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:02:46.58
>>824
しかし、大物主はその孝元天皇の妹の夫でもあるね。。。
どういうことだろうか、、、
0859日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:03:05.29
やはり、大物主というのは役職名なのではないのかな。。。
0860日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:03:24.40
九州の王族に仕えた霊園管理者の役職名なのだろうな。。。。
0861日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:03:52.59
周髀算経と古事記と日本書紀について突き詰めていくと、畿内に邪馬台国が無かったことがはっきりしてきたな。
0862日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:04:40.53
仲哀天皇の王宮は、なぜ畿内ではないのだろうか。。。
0863日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:06:07.74
>>843
観光関係の宣伝目的ではないのかな。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 15:20:14.68
>>812


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えサギジジイ!
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:18:03.72
周髀算経ってのは、結局のところ、地面と天が平行な二つの平面として
存在しているという蓋天説に立った計算書で、現実世界には合わないんだよ

そこにある、二つの平面間が八万里で、棒の長さが八尺とすると、
千里対一寸という比率が出る

これを一寸千里の法と言っているだけで、実測値ではないし現実の地理と
関わりのある数字ではない
0867日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:35:19.53
仲哀天皇の王宮は、なぜ畿内ではないのだろうか。。。
0868日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:36:53.10
倭国と日本国が別の国で、同時にも存在していたことが、はっきりした今、邪馬台国は何処にあったのか自ずと判明するのではないだろうか、
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:37:43.11
>>868
倭国と日本国が同時に存在した時代、両国に住む人種は同じだったのかな。。。
0870日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:38:09.91
>>869
同じじゃないのかな。。。
倭国である女王国から、東に海を渡った土地にも倭種が住んでいたと魏志倭人伝に紹介されているからね。。。
0871日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:38:44.22
周髀算経ってのは、結局のところ、地面と天が平行な二つの平面として
存在しているという蓋天説に立った計算書で、現実世界には合わないんだよ

そこにある、二つの平面間が八万里で、棒の長さが八尺とすると、
千里対一寸という比率が出る

これを一寸千里の法と言っているだけで、実測値ではないし現実の地理と
関わりのある数字ではない
0872日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:40:19.75
>>792
>投馬国までは7000里

これをいうやつの相手もいい加減飽きたけど、
投馬国と狗邪韓國を重ねるのは、九州説でもほぼ賛同者がいないぞ

そういう無理読みはやめろというのに
0873日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:41:57.06
>>866
そういう第一次蓋天説と、もうちょい複雑化した第二次蓋天説が混ざってる
要するに、ちぐはぐな寄せ集め
円周率も3だし、後漢代にはもう古臭い説だった
算術の例題としては難易度がそこそこだったので後世にもよく利用されたが、天文学説としては妄説と呼ばれていた
0874日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:45:31.06
>>791
>何で「魏志倭人伝は間違っていない」は「間違った前提」だと言えるの?
>根拠は?

古代の歴史書で、自国以外のことを書いた文書が「無謬」であると考える方が
そもそもおかしい

実際、末慮国ー伊都国間も、伊都国ー奴国間も「東南」ではない
つまり、方角が間違っている訳だ

魏志倭人伝の間違っている部分を実際に示せるのだから、
「魏志倭人伝は間違っていない」と前提とするのは誤りだと確定している

「正しい部分も間違っている部分もある」として読むのが正しいというよりも当然
0875日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:46:02.13
仲哀天皇の王宮は、なぜ畿内ではないのだろうか。。。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:48:08.97
>>797
>根拠は末慮国に上陸してからの500里の距離ですよ。

こういうのが
「魏志倭人伝は間違っていないという『間違った認識』を前提とした」無理読みの例
魏志倭人伝の記述に現実を合わせてどうする?
0877日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:49:56.13
>>802
>自分の頭の中で勝手なルールを作り、それをもとち妄想するのが畿内説。

水争い≒土地争いで、そうした紛争が国家形成の原動力というのは、
割に不偏的に見られる歴史の流れなんだがな

まあ、見聞の狭い人には目に入らないのかもしれないが
0878日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:53:24.62
>>818
>A川の右岸とB川の左岸に挟まれた地域がおおむね同じ地域の国になるよ。
>現代住所の大字小字と明治期の市町村を比べればわかる。同じ川でも渡った向こうは別の国だよ。

弥生期の集落は、平野部の川と川の間の微高地に作られているから、その意味で
「A川の右岸とB川の左岸に挟まれた地域がおおむね同じ地域の国」というのは首肯する

ただ「同じ川でも渡った向こうは別の国だよ。」となるのは、渡るのが困難で自然境界と
なるような大河の場合で、糸島平野にあるような中小河川の場合は、国境線にはならないだろう
0879日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:53:31.05
>>876
その500里もお手製だしなー
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 16:57:22.59
>>873
>そういう第一次蓋天説と、もうちょい複雑化した第二次蓋天説が混ざってる
>要するに、ちぐはぐな寄せ集め

>>781に引用されている
『周髀算経』にみられる数値について 一 一寸千里説の意味するもの 一
下司 和男 計量史研究 33−1 [39] 2011
によると、話としては「第二次蓋天説が混ざってる」けれど、計算部分には
反映されてないみたいだよ
まさに「ちぐはぐな寄せ集め」
0881日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:09:15.72
>>608
>しばし 邪馬台国は倭人の圀
ヤマト王権、朝廷、今の日本は渡来人と倭人の合作の圀じゃよDNA<

邪馬台国も朝廷もなかった。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:14:53.59
>>611
>九州と畿内の地名の類似がよく言われる。
九州から畿内に地名が移ったという論者がほとんど。 が実際は逆で畿内から九州だ<

大和などは、
九州倭國の「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国であり、
倭国から別れた別種の旧小国だ。

>地名の類似では久留米と橿原市の久米対応している。<

一致していないから、×。

>また大分の玖珠と葛城の国栖が対応している。<

一致していないから、×。
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:17:07.88
>>876
魏志倭人伝の記述に現実を合わせないでどうするの?
自分勝手に内容を改竄するの?
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:20:32.84
>>874
魏使が実際に3世紀の日本に来て見聞きしたことを基に書かれてる資料ですから
殆ど正しく、一部誤記等がある程度ですよ
間違ってることを前提としたらおかしいでしょ。
0885日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:22:10.35
>>620
>畿内説のスレらしくなってきた 前方後円墳と邪馬台国興味ある議題<

畿内も邪馬台国もなかったし、
前方後円墳の始まりは、那珂八幡などの筑紫の古墳。
0886日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:25:18.14
>>621
>>どう考えても、どちらかの移住者が過去の地名を移住先に付けたとしか思えないが、
畿内→九州への移住は考えにくい<

>簡単なこと。  九州←倭国(阿波)→畿内  @阿波<

簡単な事。
倭国は「正北抵新羅」だから九州であり、
「自昔・・・東征毛人五十五國」をしたんだから、
阿波は、×。
0887日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:28:09.99
>>622
>いやだから久米=久留米と国栖=玖珠の例を出して、
畿内の方が古いと言ってるわけだが?<

畿内なんて存在していなかったし、
久米=久留米と国栖=玖珠も名前が一致していなかったから×だし、
大和は「倭国から別れた別種の旧小国」であったんだから、×。
0888日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:30:38.12
>>624
>倭国(阿波)の豪族墓だから。 
もちろん、3世紀は三輪山がご神体ではない。  @阿波<

倭国は、「正北抵新羅」であるから九州であり、だから阿波は×。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:34:45.51
>>625
>箸墓が最古の前方後円墳でモモソの墓としたら 陵墓を見直す必要があるな <

箸墓は、大和の布留だから4世紀であり、
那珂八幡は、九州で初めての庄内と布留の混合地域での前方後円墳だから、
3世紀後半であるから、
「箸墓が最古」は×。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:36:59.34
>>627
>奈良の前方後円墳は倭国(阿波)が発祥で、
倭国(阿波)の資材・工法に拠っている。  @阿波<

倭国は「正北抵新羅」であるから九州であり、
阿波=倭国は×。
0891日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:38:38.19
>>628
>畿内説 虐めすぎ ど素人の畿内説の輩は虐めは容易い 学会へおいで<

畿内なんてなかったから、×。
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:40:51.29
>>629
>実測してないことはバレてんだよ<

1尺5寸や1尺6寸や1尺7寸などが書かれていたから、
実測した事がバレているんだよ。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 17:54:53.19
>>630
>《近畿地方に成立した古代王朝の前身が、その東遷以前に、北九州の部族連合体であっ
たことは、三世紀半に編纂された三国史東夷伝倭人の条の記事を見ても明らかである。倭人伝
は、すでに「邪馬台国」の名で呼ばれる北九州の部族連合体政権を魏の使者の報告通りに記載
しているので、この連合体政権は、それより早く、二世紀の後半には存在していたとみなけれ
ばならぬ。<

「邪馬台国」なんて存在しない。
また卑弥呼の共立は、早くても215年頃。

>そして北九州で蓄積され発達した、この政権のエネルギーがわが国の中央部である
やまと東に移り、現地の部族連合体を吸収して大和古代国家の基礎となったであろうことは
すでに多くの学者の説くところである。<

大和は、倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国であり、
筑紫城の阿毎氏の倭奴國から別れた別種の旧小国。

>すなわち畿内政権の故郷は北九州であると無理なく考えられよう<

畿内なんて存在しない。

>記紀には人名にも地名にもトヨの字が多く出てくるが、魏志倭人伝の
「台与」がその音を写したものとすれば、<

魏志倭人伝は「壹與」であり、「台与」ではない。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:27:14.79
>>632
>つまり、この京都郡地域は、東遷して成立した大和政権の、母なる地であったことが推定されるのである。<

新唐書は、大和日本国は、筑紫城の倭奴國の阿毎氏から別れた、と書いているから、×。

>豊の国のミヤコあがたは、伝説の景行天皇が熊襲征伐のとき行宮をこの地方のナガオ(長峡)の県に
置いたから起こったというが、ミヤコを皇都の意味にした京都の字を宛てたのは奈良朝で、
ミヤコというのはこの地方の独立した古い地名であった。
「一体に古い地名は意味のわからぬのが多いことを考えねばならぬ」と津田左右吉博士が言っているとおり、
ミヤコ=京都としたのは二、三世紀と八世紀とを突然に接合したようなものだ。
古い地名のミヤコは、あるいはヒミコとも関連があるかもしれず、<

卑弥呼は、伊都国の東百里の不彌國の南であるから、×。

>空想を許されるなら、ヒミコは魏の旅行者がミヤコを聞き誤っての訛伝かもしれないのである。<

空想は認めない。 >>632
>つまり、この京都郡地域は、東遷して成立した大和政権の、母なる地であったことが推定されるのである。<

新唐書は、大和日本国は、筑紫城の倭奴國の阿毎氏から別れた、と書いているから、×。

>豊の国のミヤコあがたは、伝説の景行天皇が熊襲征伐のとき行宮をこの地方のナガオ(長峡)の県に
置いたから起こったというが、ミヤコを皇都の意味にした京都の字を宛てたのは奈良朝で、
ミヤコというのはこの地方の独立した古い地名であった。
「一体に古い地名は意味のわからぬのが多いことを考えねばならぬ」と津田左右吉博士が言っているとおり、
ミヤコ=京都としたのは二、三世紀と八世紀とを突然に接合したようなものだ。
古い地名のミヤコは、あるいはヒミコとも関連があるかもしれず、<

卑弥呼は、伊都国の東百里の不彌國の南であるから、×。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0896日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:28:25.79
>>632
>空想を許されるなら、ヒミコは魏の旅行者がミヤコを聞き誤っての訛伝かもしれないのである。<

空想は認めない。

>ミヤコの地名が皇都として畿内に東漸したのは、民族の移動に付随してあり得ることである。<

畿内なんてなかったし、東遷でもなく、神武や倭国の「東征毛人五十五國」で出来た一国。

>いったい景行天皇の西征は架空の物語で、これは奈良朝に全国統一を誇示するために創作された。<

景行は、当然九州倭国内の武将の地位。

>景行帝が九州に入った最初の行宮がトヨの国の長峡であったことは、このかつ地が大和政権の
曾ての故郷だったのを現わしている。<

宇佐が、神武東征の九州からの出発地であった、というだけ。

>景行紀によってミヤコ(京都)の名がこの地方に起こったのではなく、五世紀も隔てて忘れかけられている母国の名がようやくにして
「地方誌」に書きとめられたのである。明治三十三年に京都郡小波瀬村の挾間畏三という人が
『神代帝都考』という一書を著して京都郡仲津郡内を記紀の神代史の地名に当てた。<

倭国の筑紫城の倭奴國から別れた神武の東征や、倭国が「自昔・・・東征毛人・・・五十五國」をした事は、史料事実であって外せないから、×。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:35:16.53
>>634
>箸墓が最古の前方後円墳でモモソの墓としたら<

箸墓は4世紀であり、最古の前方後円墳ではない。
列島最古の前方後円墳は、那珂八幡や津古生掛など。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:45:56.95
>>635
>ずっと後代になって、暦日が制定され、日付が誰の知識にも入ってくると、日時をきめて市場が開催されるようになった。
二日市、四日市、五日市、八日市、十日市、二十日市(豊前にも四日市がある)の地名がその
起りということは、ひろく知られている通りだが、「ツバキの市」はそれ以前の原始的形態で、
古代の交換経済の実施場所であったろう。「最初は種族と種族とが、それぞれの氏族長を通じ
て交換した。しかし畜群が特別財産に移りはじめるや、個別的交換が次第に多くなり、逆に唯
一の形態となった。<

「國國有市、交易有無、使大倭監之」だから、
倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」の国々も、既に市があった。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:49:26.90
>>636
>>近畿地方に成立した古代王朝の前身が<、その東遷以前に、北九州の部族連合体であった<

>北九州にそんな部族など存在しない。  @阿波<

倭国は「正北抵新羅」である事や、
「南≠東」に拠って、
「倭国=阿波「」説の阿波は、×。
0900日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:54:57.09
>>637
>九州の方が古くあってほしいという君の願望は何の根拠にもならない。、

倭国は、「正北抵新羅」に拠り九州であり、
大和は、倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国であり、
倭国の筑紫城の倭奴國の阿毎氏から別れた別種の旧小国で、
倭国の附庸國であるから、
大和の方が古くあってほしいという君の願望は何の根拠にもならない。
0901日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:07:59.93
倭国の北限は大海の日本海
筑紫は西服衆夷六十六國の中の一国
0902日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:09:55.41
鉄器普及社会の東限 || 越えられない壁w
0903日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:10:51.30
>>877
糸島市は宮地岳〜伊都カントリー俱楽部の山脈で水系分かれてるから国邑も分かれていたんですね。
0904日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:14:04.77
鉄器は工具だから、何か造って残さないと
持ってるだけじゃ単なる賤民
0905日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:15:01.07
じゃあ持ってすらいないのは?
0906日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:16:24.61
古代の文化の波及が博多湾を基点とする西高東低であることは間違いないからなあ。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:16:25.92
>>811
古田氏は島巡り説なのに末盧國を唐津付近に比定するのは変ですよなね
壱岐の南岸から急に唐津付近はないですよね
壱岐の南岸なら次は末盧國の北岸に着かないと。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:24:19.24
>>900

>大和の方が古くあってほしいという君の願望は何の根拠にもならない。

九州と畿内の地名の類似では大分の玖珠と大和葛城の国栖が対応しているわけだが、縄文まで遡る大和の国栖の方が古い。

したがって地名の類似、つまり人の移動は畿内→九州だ。

唐の時代に流行した風水を遣唐使が持ち帰り、大宰府に当てたのであろう。

九州説はアホ丸出しw
0909日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:24:21.25
>>903
宮地岳〜伊都カントリー俱楽部は山脈じゃないw、数m〜数十mしかない
糸島と唐津は二丈岳(711m)、十坊山(535m)、浮嶽(805m)で隔てられている
0910日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:26:56.62
>>909
数m〜数十mでも水系は分かれてるよ。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:29:12.57
>>908
>九州と畿内の地名の類似では大分の玖珠と大和葛城の国栖が対応しているわけだが、縄文まで遡る大和の国栖の方が古い。

本気で2600年前に神武が大和に来たと思っているならめでたすぎるぞ。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:30:25.39
>>908
縄文時代の地名とかw
畿内説は冗談にもほどがあるなwww
0913日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:32:03.51
たしかに縄文時代なら東高西低だから畿内説にも勝機があるな
0914日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:33:07.63
九州王朝説はムー大陸や宇宙人UFOを信じる人と同類。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:35:23.38
>>912
葛城の北窪遺跡、伏見遺跡は縄文まで遡る。
国栖とは吉野の先住民を指した言葉。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:35:56.33
>>910

川一本毎に国邑に分かれるわけじゃない
三雲周辺で3国に分かれてしまう
0917日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:36:33.04
>>911
だれが本気で2600年前に神武が大和に来たなんて言ってるのか。
0918日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:39:48.04
>>908は冗談なのか真正のバカなのかw
0919日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:39:55.23
北部九州説は縄文時代が嫌いな人間が多い
0920日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:46:44.27
>「南≠東」に拠って

そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、これとて自明のことではない。非常に素朴な段階の生活を考えてみると、
初めは地勢によって方位を決めたのである。
例えば一方にしか山がない地域ならば、山側とその逆側、
それに山を前にしてその左右といった捉え方をする。
地域によっては海や川が基準となる。
地形によってはもっと複合的な基準を持つこともありうるだろう。

 しかし行動や交流の範囲が広がると、ある地域でしか通用しない方位観では不便になる。そこでやっと太陽を仰ぐ。
太陽は、どこから見ても、東から出て、南に昇り、西に沈む。
これによって東西南北の段階に達するが、まだ人類普遍の方位観を獲得したとは言えない。
なぜなら、日の出・日の入りの方角は季節によって変動するので、
どこを正位とするかには選択の余地が残るからである。

 太陽によって東西を決定するときには、日の出・日の入りの、
夏至の日の方角を基準とするか、冬至とするか、その中間にするか、
または季節に従って正位が変動すると考えることもありうる。
だから東と西が一直線で結ばれるとも限らないし、東西南北の領域が四等分されるとも限らない。
方位とはかくも人為的なものなのである。
さらに複数の方位観が併用されるときには、それらを組み合わせてより複雑な方位観が形成されることもありうる。
0921日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:48:00.11
>>919
俺大好きだよ
火山噴火との絡みで浪漫あるじゃん
0922日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:48:36.43
縄文時代の阿蘇山とか凄かったんだろ
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:48:49.82
>>918
反論になってないが?
0924日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:52:26.83
>>923
冗談に反論する必要あるの?
0925日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:54:32.65
天王宮

簡単に言うと天王の家という意味、『松傾』自身の家
0926日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:01:28.83
>>924
それはまちがっているぞ

>>923じゃなくて
>>1-65だろ
0927日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:05:40.77
差別の問題は意味が大きいのだ。
なぜなら倭國王帥升の連れた160人の生口、
これは2世紀には王権の近くにかなり大きな俘囚郷があった事が推定されるからだ。

九州の差別問題は白村江の移配俘囚や黒田藩が姫路から連れて来た皮工をルーツとする以上、
弥生時代に大きな王権があったとは言えないのだ。

太古の日本列島において俘囚郷のあった大きな王権地と考えられるのは葛城だ。
この地の俘囚郷が20世紀の「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ」の水平社運動の聖地になるわけだ。

そもそも大和には移配俘囚が存在しない。
ならば大和の俘囚は7世紀以前から存在したということだ。
葛城には土蜘蛛と思われる国栖(くず、くにす)に関わる地名の被差別郷もある。

つ弥生時代に俘囚郷があり王権があったのは葛城だ。

帥升ことスサノオは葛城にいた。
今も日本最古の高鴨神社に祀られている。

その後、王権は移動していない。
魏志の2世紀前半の其国の男王から3世紀後半のトヨまで王権は葛城にあった。

邪馬台国とは葛城だ。

ヒミコとはヒメである。
後にヒメ(踏鞴五十鈴)媛と表記される人物である。
0929日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:20:33.77
>>899


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0930日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:29:51.81
古事記原文

爾以其御杖、衝立新羅國主之門、卽以墨江大~之荒御魂、爲國守~而祭鎭、還渡也。

神功皇后は屈服した新羅王の門に墨江大~を祀ったわけだ。

新羅2代目王・南解次次雄=ナカツツノオ=中筒之男
彼が娘婿にしたのが、
新羅4代目王・昔脱解=ソコタレ=底筒之男

中筒之男から底筒之男へ

ワロタ、チョンみじめwww
0931日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:34:57.20
ま、まさかの傀儡政権・・・?
0932日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:38:21.78
>>931

そうだよ。
だから7世紀の朝廷は白村江の敗戦が途方もないショックだったわけ。
尾張氏の末裔の国=新羅に日本が負けたのだから。
0933日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:43:41.91
だいたいヒミコやトヨの墓が何らかの神域になってない方がおかしい。
平原遺跡のようなミカン畑がヒミコの墓であるはずがない
0934日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:48:02.66
>>933
>平原遺跡のようなミカン畑がヒミコの墓であるはずがない

だけど、奈良盆地のお墓もおなじだよ。  @阿波
0935日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:48:27.89
>>883>>884
繰り返しだなぁ

古代の歴史書で、自国以外のことを書いた文書が「無謬」であると考える方が
そもそもおかしい

正しい部分もあれば「間違っている部分もある」というだけのことが
どうして認められないのか?

現実に合わない部分を、記述に合うように無理やり「変な解釈」をでっち上げて
正しいと言い張りながら読むような、やり方が九州説の基本であり
間違っているところの根本なんだよ

九州説から見ても、ザラコクさんがおかしなことを言ってるのは分かるだろ?

でも>>883>>884も同類だよ
0936日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:05:21.38
>>935は主張が無理過ぎだな、伝文や古文書じゃなくて
魏志倭人伝場合は張政が実際に日本に滞在しての報告が基になってるから大きな誤りは考え難い
常識的に見て>>883>>884だよな。
0937日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:10:48.97
>>916
倭人伝の記述を実際の地形に当てはめると
糸島市は東側が伊都国で西側は末盧国に属してたみたいだ
末盧国は伊都国の4倍の戸数があるから広かったようだな。
0939日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:19:21.89
>>934
>だけど、奈良盆地のお墓もおなじだよ。

纏向にある前方後円墳など平地の墓はね。

でも奈良盆地最上座の高天原(御所市高天)にある、
日本最古の神社境内の、
径百余歩で、その端に魏志倭人伝の記述どおり奴婢を埋葬してる墓は別。

https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/58/b6/1835208-96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/24/b0c96b994750a363867d0a717b81e934.jpg



ヒミコ、トヨ、男弟、ヒミコの両親、叔父さん叔母さんなど高天原の神々の墓だから。
0940日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:24:06.55
畿内周辺には、卑弥呼以前にも興味深い遺跡は色々あるからな

伊勢遺跡とか池上曽根遺跡の巨大神殿とか
0941日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:31:09.43
>>937

唐津から楽浪土器が出ないから
官名も無い末盧國は寧ろ唐津から西に拡がる国だろ
土蜘蛛も肥前が九州で一番多い
0942日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:34:14.71
 故・金関 恕(かなせき ひろし)がさん奈良県天理市和爾の東大寺山古墳から発見した「国宝」中平銘鉄刀。
金関さんは2017年3月の考古学雑誌で、この刀は卑弥呼の五尺刀ではないかという見解を述べられている。
同じく京都教育大学名誉教授で元・奈良県立橿原考古学研究所指導研究員の和田萃さんも和邇氏の系譜に卑弥呼がいるのではという見解を述べられているようだ。

仮にそうだとして、謎の豪族・和邇氏と卑弥呼の関係が誰にも分からなかった。
解いたのはわしだ、参ったか。

   事代主
     ┣━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)
0943日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:37:13.65
>>941
>唐津から楽浪土器が出ないから

楽浪土器が出るのは、福津・宗像方面でしょ。  @阿波
0944日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:39:48.72
福津・宗像で楽浪土器の出土は知らんな
0945日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 21:40:23.79
>>940
>畿内周辺には、卑弥呼以前にも興味深い遺跡は色々あるからな
>伊勢遺跡とか池上曽根遺跡の巨大神殿とか

弥生時代末期のめぼしい集落遺跡がないのが痛いね。  @阿波
0947日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 22:10:27.12
>>946
遺跡が一杯あるのは当たり前。

遺跡数に比べて、鉄器がおそろしいほどない。

(内行花文鏡=北部九州系のホケノ山を除く)
0948日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 22:18:40.57
>>946
>いっぱいあるよ
>>945が知らないだけ

「弥生時代末期のめぼしい集落遺跡」はどれ?  @阿波
0949日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 22:19:53.92
>>933
卑弥呼や壹與は国内では何らかの理由でなかったことになっている。
つまり黒歴史。
だから公には祭られていない。
0950日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 22:21:03.99
結局、畿内は筑紫の平原女王の仲間の支配下に下ったのだね。
0951日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 22:22:59.39
>>638
>南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、
弥馬獲支(みまかくき)、奴佳?(なかてい)があり、推計7万余戸。<

邪馬台国なんて存在していないし、
水行十日陸行一月は、その直前の、全行程の目的地のの女王之所都の説明文言になるから、
郡〜女王之所都の日数説明になるので、
これも×。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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