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伊都国東遷スレ 7
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0001岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/06/24(日) 08:14:41.96
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。

<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる

柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html
0689日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 11:04:35.93
>>688
ジジイに認めて貰う必要はないよな
かってに喚いてるだけ
0690日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 11:06:06.33
>>689
世間に認めてもらえないよ
0691日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 11:10:34.80
>>690
粘着じじいの狭いすぎる世間に興味はないんだよ
0692日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 11:17:06.07
>>691
証拠ださない粘着じじいか
九州説は困ったちゃんだな
0693日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 11:32:15.79
>>663
できればPinterestじゃなくて、もとのブログのURLを貼ってくれればいいのに
https://plaza.rakuten.co.jp/chinchiraotsupe/diary/201712280000/

見てきたけれど、線の引き方がかなり恣意的だよな
5号墓周りの大柱の「横」を通る線が夏至方向と書いてあるし

>5号墓から1号大柱の先は高祖山、また5号墓の主軸も高祖山を向いている。

高祖山を向いていても、日向峠を向いていても、太陽信仰とは結びつかないよな?

>夏至の日の入りは三雲南小路と同じ可也山。

だが、平原遺跡は冬至の日の入り方向や可也山を意識している形跡はない

>少なくとも5号墓は三雲南小路の祭祀を継承していると見ていいんじゃない?

その三雲南小路の祭祀とは何を指すんだ?
三雲南小路にあやかった墓というのがせいぜいだと思う
0694日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 11:55:13.26
東側に山、墓には水銀朱。
神仙思想だな(孝霊より)
0695日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:09:18.49
福岡県の高祖山の最高峰は高地山。
古くは別名をクシフル山とも言ったとのこと。
クシフルとは、チクシのフル(村落、国邑)の意味だそうだ。
九州では、国邑の名前としてフル、ハラ、バルなどを用いる。
高祖山を夏至の日の出の方向に臨む弥生王墓である三雲南小路遺跡は随伴する細石神社の祭神が天孫ニニギの妃である木花咲耶姫であるが、三雲遺跡そのものは男女のペアであり、ニニギと木花咲耶姫かもしれない。
ニニギは筑紫の日向に降臨してからクシフル山の高千穂宮で即位したと伝えられ、後世の怡土城、高祖城に相当する高祖山の山城がそれであろう。
現在では高祖神社(高祖宮)として糸島平野を見下ろしている。
三雲遺跡は璧や内行花文鏡などが副葬された倭王の墓であり、細石神社は江戸時代まで漢委奴国王印を保管していたという。
つまり伊都は倭王ニニギの王都、筑紫の日向であった。
筑紫とは、そもそも伊都のある高千穂の日向峠周辺や博多湾沿岸のことを指す言葉であったようである。
それが勢力を拡大し、博多湾沿岸のみならず、有明海沿岸や遠賀川沿岸まで筑後や筑豊として筑紫に組み入れていくのである。
倭国は筑紫と豊国、肥国の連合国家、いわゆる邪馬台国連合であったが、次第に筑紫の一強となっていく。
後には九州全体を筑紫嶋と呼ぶ向きもあるが、これははるか後世において、筑紫から離れた畿内から見た、大変大雑把な呼称である。
0696日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:15:39.59
>>695
あやしげな出所不明ネタのデラックス詰め合わせだな
0697日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:16:10.48
九州の原という地名は、国邑(おそらくは環濠集落)を意味するとともに、後世の城の丸(本丸など)の語源でもある。
さらにはマウル、ポルなども同じ語源の可能性があり、ユーラシア大陸各地で共通の概念である。
ttps://www.shochian.com/harubaru2.htm
0698日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:16:33.61
>>696
記紀くらい読めよ。
0699日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:27:48.15
畿内説は何も説明できなくてかわいそうだな。
いくら妄想を膨らませても史書とすり合わせできないからな。
筑紫が倭の王都だと考えると、紀元前からの弥生王墓群や金印、平原遺跡の内行花文鏡、邪馬台国、記紀の神代の巻まですべて一元的に説明できる。
0700日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:31:53.17
>>698
読むとどうなる?
0701日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:33:39.35
>>700
筑紫にあった倭国の中から見た歴史がわかる。
0702日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:35:02.15
>>699
記紀への当て嵌めゴッコが出来ると、何かいいことが有るのか?
そんな説明に意義があるとは思えないので、遠慮する
0703日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:36:50.83
>>701
幻が見えるなら御免被る
健康に悪そうだ
0704日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 12:58:55.47
>>607
>そもそも、隣接する伊都国と奴国が別の国家だと考えてそれぞれに王家を想定するのが間違いだ。

何度も繰り返すが、>>607が「中華目線で冊封がない限り王じゃない」というのは
構わないが、魏志倭人伝に別の国として書いてあるじゃん

魏志倭人伝に「伊都国」「奴国」として、「国」と呼ばれる別のまとまりであると
はっきり書かれているのを無視してはいけないな
0705日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 13:06:21.57
>>667
>根拠のない決めつけ。
>殯宮なら古代においてそのような風習があったことは確認できる。

殯宮っていう言葉しか知らないんじゃないか?
墳墓祭祀の準備が整うまで遺体を置いておく場所だぞ?
それが、最終的に葬られる平原1号墓そばにあるのは、実はかえっておかしい

それに、これも何度も何度も書いていることだが、平原遺跡の平面図をきちんと見てるか?
http://yamatai.cside.com/katudou/image/273-5.gif
この図は、邪馬台国の会のページのものだけれど、この図の一番上にある異形建物と
書かれているのが今問題になっている建物

比較してみると、1号墓埋葬主体の木棺よりも建物の方が小さいだろ?
そんな殯宮はないよw
0706日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:08:43.07
>>667
>倭国大乱があったからだろ。

倭国大乱じゃなくて、倭國亂な

そして、その収拾には「共立」で足りる訳だ
実際、魏志倭人伝にも共立とは書いてあるが、日の巫女であるとは一言も書いてない

要するに、妄想・感想の類ってことだなw
0707日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:14:25.04
>>704
伊都国や奴国は、国邑の名前だよ。
特に奴国には王もいないし。
国家としてはすべてあわせて倭であり、王は倭王家の卑弥呼と卑弥弓呼しかいない。
王は代々伊都にいた(卑弥弓呼だけ南の狗奴国にいて王位争い)。
0708日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:15:00.51
>>667
>有力家系から倭国女王が出たんだろう。

伊都国内で有力家系であっても、他国から見れば王でなければ、
共立対象にはならない

>三雲では王と王妃が隣り合っていて、王の墓の方がわずかに豪華だ。

その辺も、彦姫制の傍証だな

>しかし平原では王に相当する墓がないので、1号墓は女王だよ。

その伝でいくなら、1号墓が王墓で2号墓がその配偶者の墓と考えることに
なるんじゃないのか?
でも、1号墓と比べても2号墓は極端に副葬品も墳丘サイズも貧弱だ
三雲南小路遺跡の頃(200年前)と比べても、平原1号墓を作る頃には
伊都国の国力がずいぶん落ちていることを示しているな

>その時点であなたの勝手な妄想は完全に根拠を失っている。

その時点の前に、>>667の想定(憶測)に妥当性がない
0709日本@名無史さん
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2018/07/14(土) 13:15:36.48
>>705
>そんな殯宮はないよw

ほほう。
では普通の殯宮はどれくらいの大きさなんだ?
教えてくれ。
0710日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:17:32.04
>>706
>実際、魏志倭人伝にも共立とは書いてあるが、日の巫女であるとは一言も書いてない

魏志倭人伝には日の巫女と書いてなくても、太陽を象った内行花文鏡を象徴としていた巫女女王なら日の巫女でいいだろう。
0711日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:19:48.39
>>669
>福岡の様子を見て、実際に卑弥呼が倭を代表していることを確認したのだろう。
>(畿内に行かずに倭の様子を確認できたのだから福岡が倭の中心だ)

これが勝手な妄想・憶測
魏志倭人伝で邪馬台国までの日程が書いてあるのを無視している

>あと、おそらく卑弥呼が漢委奴国王印を使って国書を送ってきたのだろう。

これも、根拠なしの妄想だな

>そうでないと、国書が届いても倭王からのものだと確認できないからね。

「倭王からのものだと確認」するために答礼使が送られるというのは
認めているくせに

>つまり金印があった福岡が倭の王都だ。

志賀島は伊都国じゃないよな?
ご都合主義もたいがいにしておきなww
0712日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:21:06.49
>>708
>その伝でいくなら、1号墓が王墓で2号墓がその配偶者の墓と考えることになるんじゃないのか?
>でも、1号墓と比べても2号墓は極端に副葬品も墳丘サイズも貧弱だ

つまり、2号墓は配偶者ではないんだよ。
三雲は王と王妃だから、1号墓に近い規模の副葬品を持つ2号墓があった。
でも平原は配偶者を持たない独身の巫女女王なんだよ。
魏志倭人伝にある、先代の男王と、女王卑弥呼でぴったりだ。
0713日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:22:37.75
>>670
>はるか後世の文献であることに注意されたい。

これは構わないんだが、

>しかし、他の県主よりも格上の扱いであることがわかる。

これが、びっくりするほど何の根拠もない決め付けなんだよな
どうして、九州説は根拠と憶測の区別がないんだろう?

>もっとも、天孫族の末裔もその頃にはかなりの数になっていたはずで、その一部ということになる。

かなりの数になっていたところで、宗家であり首長家の頭首が「県主」な訳だろ?
豪族首長っていうのはそういうものだ
0714日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:25:02.06
>>676
>平原と三雲は、それぞれ同時代に匹敵する王墓はない。

伊都国の三雲南小路遺跡と、奴国の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓は
同時代だぞ
どちらも副葬品から王墓級とされている
0715日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:27:23.40
>>711
>>669
>>福岡の様子を見て、実際に卑弥呼が倭を代表していることを確認したのだろう。
>>(畿内に行かずに倭の様子を確認できたのだから福岡が倭の中心だ)

>これが勝手な妄想・憶測
>魏志倭人伝で邪馬台国までの日程が書いてあるのを無視している

日程は帯方郡から。
九州から先の国邑が記されてなく、郡使は伊都に駐在したと明記してある。

>>あと、おそらく卑弥呼が漢委奴国王印を使って国書を送ってきたのだろう。

>これも、根拠なしの妄想だな

次の行に根拠が書いてあるのだが。

>>そうでないと、国書が届いても倭王からのものだと確認できないからね。

>「倭王からのものだと確認」するために答礼使が送られるというのは
>認めているくせに

王の印がない国書なら無視した。
漢が与えた金印で封された国書が届いたので使いを送った。

>>つまり金印があった福岡が倭の王都だ。

>志賀島は伊都国じゃないよな?
>ご都合主義もたいがいにしておきなww

高祖山は博多湾沿岸の要所であり、志賀島がその支配下であることは明白だよ。
そもそも対馬海峡全体が倭の支配下だしね。
0716日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:30:24.61
>>679
>「古人は「丈は長なり」と語源を説いている。
>dhiang(丈)という言葉は長や常と同源であり、「長い」というコアイメージをもつ語である。」

「常」って、単に「尋(=丈)」の2倍の長さだぞ?
「尺=身近な長さ」に対して「長い」というコアイメージを持つだけで、
大男に繋がるような意味合いはない

現代の感覚でも、30センチ定規は取り回しも簡単だが、
1メートルの定規は「長い」と感じるだろ?

どうして、意味のない強弁を続けるかねぇ
まあ、お鏡さんの「人格の本質」が
「間違いを絶対に認められない気質」なんだろうね
0717日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:33:38.72
>>713
>かなりの数になっていたところで、宗家であり首長家の頭首が「県主」な訳だろ?

同じ福岡県内で怡土の県主と岡の県主がいて、いずれも三種の神器と同じ内容の象徴を保有していたとあるので、複数の宮家があったのだろう。
前者が筑紫日向の高千穂宮、後者が筑紫岡田宮のことだよ。
この話は仲哀天皇が穴門豊浦宮から筑紫香椎宮に入る時の話なので、景行の孫の仲哀が正統と認められたということだろうね。
昔は宮家はたくさんあったんだよ。
平成は宮家の数が極端に少ない時代だったからわからないかもしれないけどね。
0718日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:34:55.57
>>679
>大きいは限らないから平均身長だと主張するのは滑稽でしょう。
>丈夫も同様ということです。

また捏造している
何度も典拠は出しているだろう?

>>21の一部を再掲
丈夫
身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。

となっていて、成年男子高八尺「左右」と、「左右」が付くことで「標準的な身長」を
示す語であることが分かる

平均がお気に召さないならば、標準でもいいけれど
誰がなんと言おうと、「丈夫」は普通の成人男子の身長が元になった言葉だよ

「大きいは限らない」ではなく、
「普通に育って大人になった男の人の身長」が「丈」

お鏡さんの言う、立派な男・大男は、「偉」丈夫とか「大」丈夫とか、
大きいことを示す形容詞がつくんだよ

本当にお鏡さんは、恥の上塗りが大好きなんだなww
0719日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:39:02.49
>>707
>伊都国や奴国は、国邑の名前だよ。
>特に奴国には王もいないし。

國邑には首長がいるだろ?
國邑をなんだと思っているんだ?

冊封されていないのは王じゃないと強弁するのは勝手だけれど
0720日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:40:42.43
>>714
>伊都国の三雲南小路遺跡と、奴国の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓は
>同時代だぞ

須玖岡本は甕棺墓、三雲は平原につながる木棺墓なので、三雲の方が新しいだろうね。
奴国から伊都国への遷都で説明できるんだよ。
三雲の被葬者が天孫族なら、この遷都は筑紫の日向へのニニギの降臨による政権交代でもあった。
だから王位の象徴(三種の神器の様式)を継承しながらも墓制が変化している。
0721日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:41:51.30
>>719
>國邑には首長がいるだろ?

魏志倭人伝では官と書いてある。
それは王とは区別されている。
0722日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:45:24.72
>>707
>王は倭王家の卑弥呼と卑弥弓呼しかいない。

卑弥弓呼は、大陸王朝から狗奴国王の徐正を受けていないが、
>>707は王と認めるのか?

魏略に書かれている「其國王『皆』属女王也」というのは、
通常は対馬国・壱岐国・末慮国・伊都国の王は「皆」と解釈するんだが?

なんだが、言ってることがトンチンカンだな
>>707が王と認めるのは王で、認めないのは王ではないという基準なのか?
0723日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 13:51:49.91
>>722
>卑弥弓呼は、大陸王朝から狗奴国王の徐正を受けていないが、

でもなぜか魏志倭人伝は王と呼称している。
何か根拠があったのかもしれないが書かれてはいない。

>通常は対馬国・壱岐国・末慮国・伊都国の王は「皆」と解釈するんだが?

伊都以外は魏志倭人伝に王と書かれていない。
あなたの勝手な解釈に過ぎない。
0724日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:03:24.25
>>709
>ほほう。
>では普通の殯宮はどれくらいの大きさなんだ?
>教えてくれ。

つまり、>>709は殯宮がどういうものか知りもせずに、
>>667で殯宮だと言い張ったってことだな?

根拠なしの主張が九州説のデフォって言うのが、
こういうところでもすぐに顔を出すww
0725日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:03:44.91
>>709
>では普通の殯宮はどれくらいの大きさなんだ?
>教えてくれ。

殯宮の大きさ・態様については、明確には記されていないが、
敏達天皇紀に
「天皇病彌留、崩于大殿。是時、起殯宮於廣瀬。
 馬子宿禰大臣、佩刀而誄。物部弓削守屋大連、听然而咲曰、
 如中獵箭之雀鳥焉。次弓削守屋大連、手脚搖震而誄。」
用明天皇紀に
「穴穗部皇子、欲姧炊屋姫皇后而自强入於殯宮」

とあり、殯宮は墳墓の地とは別の場所に建てること、少なくとも
殯宮内に複数の人物が入って儀式が行える程度の広さがあることが分かる

まあ、いつものように時代が違うとか言い張るんだろうけれど、
木棺一つよりも小さい建物では困ってしまうだろ?

殯宮が立てられた廣瀬は、奈良県北葛城郡広陵町
敏達天皇陵は、大阪府南河内郡太子町
0726日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:03:59.73
「左右」がつくと「平均的な身長」を示すの?
何か悪い電波でも受信した?
0727日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:06:57.72
>>710
>魏志倭人伝には日の巫女と書いてなくても、太陽を象った内行花文鏡を象徴としていた巫女女王なら日の巫女でいいだろう。

内行花文鏡を太陽を象ったとする文献記録はあるのかい?
内行花文鏡だけで日の巫女としてよいのなら、柳本大塚古墳の被葬者も、下池山古墳の被葬者も
日の巫女でいいのかい? この二つの古墳は、被葬者が女性であるとは考えられていないけれど?

他にも、内向花文鏡を副葬した墳墓はたくさんあるけれど、全部被葬者は日の巫女だってことでいいのかい?
0728日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:08:57.09
>>712
>つまり、2号墓は配偶者ではないんだよ。

じゃあ、平原2号墓の被葬者は誰?
1号墓と同時に築造されたとされていて、ペアの墓であることは確実だよ?

副葬品も貧弱な「一般人」と同時に埋葬される親魏倭王って、おかしいと感じないのか?
0729日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:09:13.75
>>725
本当に時代が離れているなw
ようは棺を一時的に置いておければいい。
1号墓の棺が大きすぎるんだよ。
0730日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:10:34.12
>>728
卑弥呼を補佐していた弟の可能性が高いと思うよ。
0731日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:11:53.69
>>727
内向花文が太陽を表すのは定説だろ。
まさか日光鏡をしらないのか?

平原は耳飾りがあるから女性なんだよ。
三種の神器がそろうから王だし。
0732日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:13:01.89
>>715
本当にめんどくさいな

>日程は帯方郡から。
>九州から先の国邑が記されてなく、郡使は伊都に駐在したと明記してある。

これが誤読
それだと、水行で南にしか行かないことになって、冒頭の
「倭人在帶方『東南』大海之中」という地理観といきなり矛盾する
こういう無理読みを重ねないと、九州に行きつかない時点で、破綻してるんだよ
0733日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:13:27.34
>>727
卑弥呼は特別なんだよ。
あとは日御子、日嗣の御子などだろうね。
天皇制が太陽信仰をベースとしていることは、各所に用いられるその称号から明らかだよ。
皇祖神が天照大神と呼ばれることもその証拠だ。
0734日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:16:04.73
>>732
>本当にめんどくさいな

あなたの意見こそ、日本の古来からの伝統を無視してその場の思いつきを重ねている。
三種の神器も殯宮も何もかも否定して、あとに何が残るんだい?
それもすべて、伊都が倭の王都で、平原遺跡が卑弥呼の墓であるということを否定したいがためだろ?
0735日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:17:30.10
>>715
>王の印がない国書なら無視した。
>漢が与えた金印で封された国書が届いたので使いを送った。んだよ

また、妄想
魏志倭人伝に
「倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。」
と書いてあるだろ?
帯方郡の太守劉夏が取り次いだから、倭国の使いだとみなされたんだよ
逆に、國印のある文書を持参したとは書いてない

國印、國印というが、漢委奴國王の金印のことが言いたいのか?
倭国王帥升は、金印を持参したのか?
0736日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:18:40.54
>>732
>それだと、水行で南にしか行かないことになって、冒頭の

魏志倭人伝には、南のつぎに東に水行して狗邪韓についているから、南東であっているよ。
よく魏志倭人伝を読んでごらん。
0737日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:22:06.77
>>735
>國印、國印というが、漢委奴國王の金印のことが言いたいのか?
>倭国王帥升は、金印を持参したのか?

まだ紙がなかったので、木簡などを綴じて、封泥に印を押したというのが一般的な解釈だよ。
印を与えたのは漢だから、漢から禅譲を受けた魏もその印影の資料は保有していたはず。
0738日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:23:19.75
>>717
>三種の神器と同じ内容の象徴を保有していたとあるので、複数の宮家があったのだろう。

別に宮家じゃない普通の豪族だろ?
何度も書くけれど、雄略紀に皇統とは関係ない「八咫鏡」が出てくるし、
垂仁紀には、皇統とは関係ない「八尺瓊勾玉」も出てくる

三種の神器があるから、宮家とか、倭王だったとか言うのは見当違い

日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇

別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連(連、未詳何姓人)
奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」
是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。

日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇

昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。
0739日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:26:07.62
>>726
>「左右」がつくと「平均的な身長」を示すの?
>何か悪い電波でも受信した?

漢文が読めないなら黙っとけよ
>>726はこれをどう訳すんだ?
「身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺『左右』,故以丈夫為男子的通稱。」
0740日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:29:06.36
>>726
>「左右」がつくと「平均的な身長」を示すの?

本当に面倒くさいけど、親切に解説してあげると、
「成年男子高八尺左右」の「左右」は、現代日本語では「前後」にあたる言葉

成年男子の身長(高)は、八尺前後、だったら分かるだろ?

特に平均と訳す必要もないが、大体これくらいという意味でしかないし、
平均的な男子の身長、標準的な男子の身長、という意味にしかならないよ

丈夫が大男とかいうのは大間違い
0741日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:29:08.31
>>738
>別に宮家じゃない普通の豪族だろ?

筑紫高千穂宮、筑紫岡田宮、筑紫香椎宮、穴門豊浦宮、筑紫橘広庭宮などはいずれも宮の表記を用いる。
そこにいた天皇が明記される場合もあれば、はっきり起源がわからないものもある。
例えば、香椎宮は仲哀らが入ったと書かれるが、仲哀らが建てたとは書かれてない。
少なくとも伊都や岡には大王ではないが宮家があったことがうかがわれる。
0742日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:32:57.15
>>736
>魏志倭人伝には、南のつぎに東に水行して狗邪韓についているから、南東であっているよ。

だから、その経路と水行20日の経路が同じ経路をもう一度書いただけ、という九州説の
言い分が正しいならば、
「南」至投馬國水行二十日  ではなく
「東南」至投馬國水行二十日 でないと矛盾するって言ってるんだよ

>よく魏志倭人伝を読んでごらん。

こっちの台詞だよww
0744日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:35:46.11
>>729
>本当に時代が離れているなw
>ようは棺を一時的に置いておければいい。
>1号墓の棺が大きすぎるんだよ。

逃げたなww
「1号墓の棺が大きすぎる」なら、それに合わせて殯宮を大きく作ればいいだろ?
要するに、異形建物は殯宮じゃないし、>>664の書き込みは
「知識のない人間の思い込みによる言いがかり」だと確認できたってことでいいな
0745日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:37:03.93
>>738
>別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連(連、未詳何姓人)

>昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。

これだって、前者は領土を与えられているこら、大王ではないが王(紀なので冊封されたという意味ではない)の扱いを受けている。
後者は王の扱いを受けていないが、曰甕襲という名前は古い神別の可能性がある。日は王のこと、甕棺は古い王家が用いていた墓制、襲は熊襲など支配者のこと。
0746日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:37:28.50
>>730
>卑弥呼を補佐していた弟の可能性が高いと思うよ。

ならば王族だし、王佐の第一の臣ならば、副葬品が貧弱すぎるとは思わないかい?
伊都国一国のローカル首長の弟ならばそれくらいで相当とも言えるけれど
0747日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:38:40.32
>>731
>内向花文が太陽を表すのは定説だろ。
>まさか日光鏡をしらないのか?

定説なら定説であることを示す、典拠資料を示してね!
単に文様から、通称がつくのは普通にあること
0748日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:39:05.69
>>746
魏志倭人伝における卑弥呼の弟の扱いはひどいよ。
名前も記録しないくらいだから。
0749日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:40:51.00
>>747
その鏡の銘文そのものがその証拠だよ。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
0750日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:40:54.44
>>731
>三種の神器がそろうから王だし。

三種の神器は、それだけでは王を意味しない
>>738を参照

さらに三種の神器の組合せは、そこらの古墳の副葬品として普通に見られる
 事実 山口県の赤妻古墳、山梨県の笛吹市平林2号墳 など
0751日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:42:16.88
平原遺跡の状況は、邪馬台国筑紫説とよく合致するね。
0752日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:43:22.47
>>750
紀元前に筑紫で確立された様式を持った一族が全国を支配したということだよ。
簡単だね。
0753日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:45:04.37
>>733
>卑弥呼は特別なんだよ。
>あとは日御子、日嗣の御子などだろうね。
>天皇制が太陽信仰をベースとしていることは、各所に用いられるその称号から明らかだよ。
>皇祖神が天照大神と呼ばれることもその証拠だ。

それは、卑弥呼についてであり、ヤマト王権の皇統についての話であって
「それが平原1号墓の被葬者に当てはめられる理由がない」って言ってるんだよ

伊都国説は、畿内説への仮冒、背乗りと言っているのは、そういう意味
大和朝廷の神器の御神鏡の名称が「八咫鏡」だから、平原一号墓出土鏡を
「八咫鏡」と呼ぶことで皇統に繋がると「主張しようとしている」
というだけ
0754日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:47:40.07
>>734
>三種の神器も殯宮も何もかも否定して、あとに何が残るんだい?

否定していないだろ?

関係のないものを「無理やり皇統と紐付けしようとするな」と言っているんだ
平原一号墓東側の、木棺より小さい異形建物が「殯宮じゃない」のは確認したな?

まだ違うと言い張るなら、そういう印象操作に走らずに、論拠を挙げて論証してくれ
0755日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:48:37.59
天皇家の起源が筑紫にあることは記紀も明記しているのだけど、なぜそこまで大和だけにこだわるのかな?
0756日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:51:18.07
>>754
>平原一号墓東側の、木棺より小さい異形建物が「殯宮じゃない」のは確認したな?

さあ?
最終的な棺は大きなものだからすぐには用意できないし、それまで小さな殯宮に安置したというのは不自然ではないよ?
あなたの言っていた供物を捧げる建物だとすると、鳥居と反対側にある理由が説明できないよ。
また、そのような建物を用いたという類例がない。
0757日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:53:11.16
>>720
>須玖岡本は甕棺墓、三雲は平原につながる木棺墓なので、三雲の方が新しいだろうね。
>奴国から伊都国への遷都で説明できるんだよ。

ごめんなぁ、それ(木棺墓だから新しい)、根拠にならないんだわ
吉武高木遺跡の特定集団墓の中で、王墓とされることの多い埋葬主体は
3号「木棺墓」なんだよ

三雲南小路遺跡、須玖岡本遺跡D地点甕棺墓より、200年も古い「王墓」が
木棺墓なのだから、木棺墓だから甕棺墓より新しいとはいえない
0758日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:56:02.05
>>723
>でもなぜか魏志倭人伝は王と呼称している。
>何か根拠があったのかもしれないが書かれてはいない。

要するに、誰を王とするかは根拠がないってことだろ?
結局は、考古学的に厚葬墓を検出して「王墓級」と考えられるか否かで
判断するよりないんだよ

伊都国に王がいて、奴国には王がいないとか、遷都したとかいう言辞には、
検証に耐えうるだけの根拠がない
0759日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:56:23.88
>>757

なるほど。
でもそれならばなおさら、木棺墓が王墓ということになり、吉武高木や三雲南小路は王墓だが、三雲南小路とほぼ同時代の須玖岡本は王墓ではないということになるから、よりすっきりとするね。
奴国から伊都国への遷都があったということだ。
0760日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:57:52.21
>>737
>まだ紙がなかったので、木簡などを綴じて、封泥に印を押したというのが一般的な解釈だよ。
>印を与えたのは漢だから、漢から禅譲を受けた魏もその印影の資料は保有していたはず。

それはいいけれど、倭国王帥升は、その印を使ったのか使わなかったのかどっちなんだ?
0761日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:58:10.77
木棺墓が倭王の墓。
これですべて説明できる。
甕棺墓だらけの時代だから、木棺墓は特別な意味があったのだろうね。
0762日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 14:58:45.19
>>760
もちろん使っただろう。
0763日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:04:01.68
>>741
>少なくとも伊都や岡には大王ではないが宮家があったことがうかがわれる。

行宮って言葉は知っているかい?
天皇が一時的にでも滞在した場所は、宮表記になるんだよ
筑紫岡田宮は、神武天皇が東征途上で1年滞在したから宮表記
古事記中巻
「於筑紫之岡田宮一年坐」

宮家の有無とは関係ない
あくまで天皇が基準
あと、神宮(かんみや)は宮と書かれるけれど
0764日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:08:20.91
>>745
>曰甕襲という名前は古い神別の可能性がある。日は王のこと、

おいおい、漢文が読めないならしゃしゃるなよ

名曰甕襲で、名は曰く甕襲、あるいは、名は甕襲と曰う、と読む

名前は甕襲だけ
日と曰は、別の文字だぞww
見当違いにも程がある
0765日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:09:32.98
>>763
>宮家の有無とは関係ない

しかし仲哀天皇の時代に再登場する不思議。
0766日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:10:26.31
>>764
あー、これはすまん。
スマホの小さい文字なので区別できなかった。
この記事の意味はよくわからない。
よくこんなのを見つけてくるなあ。
0767日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:14:03.09
>>748
>魏志倭人伝における卑弥呼の弟の扱いはひどいよ。
>名前も記録しないくらいだから。

それは魏志倭人伝の扱いであって、倭国側の都合ではないだろう?
卑弥呼の弟は、有男弟佐治國と書かれているのだから、彦姫制を想定するなら、
まさに彦王の政務王その人だ

というか、この記述自体が彦姫制の根拠とされることが多いんだが

男弟は王族であり、ある意味、王そのものなのだから、薄葬されるとは想定しがたい

それに何より、魏志倭人伝には、卑弥呼の墓は隣に同時築成の墓があるとは書いていない
平原1号墓は、隣に2号墓が付いている時点で卑弥呼の墓の候補としては、非常に弱いことになる

まあ、径百歩からだけでも否定されるんだけれどね
0768日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:25:53.34
>>767
>卑弥呼の弟は、有男弟佐治國と書かれているのだから、彦姫制を想定するなら、
>まさに彦王の政務王その人だ

それこそあなたこ勝手な想像。
政務は伊都の禰宜や大率が担っただろうね。

>男弟は王族であり、ある意味、王そのものなのだから、薄葬されるとは想定しがたい

事実を元に考えようよ。
おそらく卑弥呼本人の資質が大事だったのであり、一族はそらほど重視されなかったのだろう。
壹與も宗女とあり、直系(娘など)ではないようだし。
0769日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:27:14.60
>>749
>その鏡の銘文そのものがその証拠だよ。
>三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。

おいおい、それが根拠かよ
銘文に「日之光」という語を含んでいるものを「日光鏡」と呼ぶんだよ
単なる鏡種の分類のための名称

例えば九州説大好きな須玖岡本遺跡D地点甕棺墓から出土の重圏銘帯鏡にも
その銘文が記されたものがあり、重圏日光鏡と呼ばれている

また、「精(清)白」という語を含んでいるものを精(清)白鏡と呼ぶから、
別の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓出土鏡で、内行花文清白鏡と呼ばれるものもある

日光鏡と呼ばれるものがあることが、太陽信仰の根拠なら、内行花文鏡ではなく、
重圏銘帯鏡が副葬されている墳墓も、太陽信仰の日の巫女の墓ってことになるな

はい、論破w
0770日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:28:24.94
>>751
>平原遺跡の状況は、邪馬台国筑紫説とよく合致するね。

そりゃあ、平原遺跡に合わせて邪馬台国筑紫説を唱えてるんだから当たり前だろ?

散々、循環論法ってい批判を受けているのに、懲りないなww
0771日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:30:53.59
>>752
>紀元前に筑紫で確立された様式を持った一族が全国を支配したということだよ。
>簡単だね。

つまり、三種の神器を持っていても、一族の一員というだけで、
ある意味one of them でしかないと見とめる訳だ

つまり、三種の神器の存在は、ただ一人の王を示す象徴とは
なりえないってことだな

つまり、平原1号墓が王墓であるという主張は根拠がないってことだ
0772日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:33:12.42
考古学的証拠があるからそれに合わせて考察するのが当然だろ?
何も出ないのに言い張っている畿内説とは大違いだ。
あなたの言っていることの方がおかしい。
0773日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:35:14.63
>>771
時代を考えろよ。
一族の播種とともに増えたんだよ。
平原遺跡は圧倒的に卓越した女王墓だよ。
後世には三種の神器セットは増えるけど、それとは時代が違う。
0774日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:37:24.02
>>756
>さあ?
>最終的な棺は大きなものだからすぐには用意できないし、それまで小さな殯宮に安置したというのは不自然ではないよ?

完全に、「想像」の世界だな
仮にも王の殯宮であれば、そんな貧弱なものは作らないだろ
のちの世の記録ではあっても、殯宮では儀式を行うものだから、
人が入る余地がない小さなものはおかしい
それに、墓を作る場所のそばに殯宮があるとするのは、死穢の観念からもおかしい

>あなたの言っていた供物を捧げる建物だとすると、鳥居と反対側にある理由が説明できないよ。

そもそも、その柱跡が「鳥居」であるとする根拠がないんだ
ただの「通称」でしかない
トーテムを立てた後だと主張している人もいる

>また、そのような建物を用いたという類例がない。

最初から、吉野ヶ里の北墳丘墓の例を挙げているんだが?
http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=12
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c403.html

類例、あるだろ?というより、同じ目的の配置と考えない理由がない
0775日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:43:13.44
>>774
>のちの世の記録ではあっても、殯宮では儀式を行うものだから、

神道の儀式のほとんどは屋外だよ。
そもそもは宮ではなく磐座だったくらいだし。

>トーテムを立てた後だと主張している人もいる

そのトーテムを鳥居と呼ぶんだけど。

>最初から、吉野ヶ里の北墳丘墓の例を挙げているんだが?

鳥居と解釈する人が多いけど?
0776日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:44:02.63
>>759
ほんとうにめんどくさいな

>でもそれならばなおさら、木棺墓が王墓ということになり、吉武高木や三雲南小路は王墓だが、三雲南小路とほぼ同時代の須玖岡本は王墓ではないということになるから、よりすっきりとするね。

少しは、自分でググって調べてみなよ
吉武高木遺跡の特定集団墓は、甕棺墓が7基、木棺墓が4基で、
その中で一番副葬品が豪華だった3号木棺墓が「王墓」と呼ばれているだけで、
木棺墓であることが王墓であることを保障しないし、
甕棺墓が王墓ではない理由にもならない

結局、副葬品が豪華な厚葬墓を「王墓級」と判断しているだけ

そして、奴国の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓も、伊都国の三雲南南小路遺跡も
「王墓級」と考えられており、この辺の編年はそれほど正確には分からないので、
どちらが前とも判断ができない

もうちょっと、実力をつけてから書き込みしてくれると助かる
本当に面倒くさい
0777日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:44:52.15
そもそも腐り始めた死体と同じ建物になんかいられないって。
平原遺跡だって、1号墓からかなり離れているようだし。
どれくらいの距離がある?
0778日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:45:04.88
>>761
>甕棺墓だらけの時代だから、木棺墓は特別な意味があったのだろうね。

>>776を参照
あんまり意味のない憶測を書かないでくれると助かる
0779日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:45:57.79
>>762
>もちろん使っただろう。

もちろん、根拠が一切ない妄想だろ?

違うというなら根拠を出してね
ある訳ないのは知ってるけどw
0780日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:48:15.04
>>766
>よくこんなのを見つけてくるなあ。

有名な話だよ
邪馬台国論争で、八咫鏡を持ち出すなら、当然知っているのが普通

ニワカさんなんだね

>あー、これはすまん。

謝れるのは、お鏡さんよりずっと高潔な人格であることを示しているから、
立派なことだよ
0781日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:48:16.05
>>779
使わなかったらどうやって倭王ですと証明できたんだ?
教えてくれるかな?
0782日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:51:28.29
>>768
>政務は伊都の禰宜や大率が担っただろうね。

では、同じ場所にいた男弟は、何をして「佐治國」を行っていたんだい?
何もしないのに、「佐治國」とはこれいかに?

基本的に、伊都国の官や一大率と邪馬台国が水行陸行で二ヶ月かかる
遠地の別の国だという魏志倭人伝の記述を無視するから、こういう
おかしな話になってしまうんだよ
0783日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:55:06.46
>>768
>おそらく卑弥呼本人の資質が大事だったのであり、一族はそらほど重視されなかったのだろう。

これが、恣意的な憶測
根拠がない

>壹與も宗女とあり、直系(娘など)ではないようだし。

血統を重視するから、宗女を立てないと収まらなかったという話なんだが?
それに卑弥呼にはそもそも「無夫壻」だから、直系の子供ももちろんいない
0784日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 15:57:52.78
>>782
>遠地の別の国だという魏志倭人伝の記述を無視するから、こういう

誤読だよ。
0785日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 16:02:08.03
>>783
>根拠がない

2号墓の扱いや魏志倭人伝の記述が根拠だよ。

>血統を重視するから、宗女を立てないと収まらなかったという話なんだが?

次の男王だって、卑弥呼の血縁だったはず。
おそらくは狗奴国の卑弥弓呼もね。
でも血統だけでは治めることができず、実力がないけど13歳の少女を女王にしたら収まった。
血統だけなら他にも候補はいたが、巫女女王であることが大事だったと考えられる。
もちろん、13歳の壹與に夫がいたとは考えにくく、邪馬台国は姫彦制ではなかったということだよ。
0786日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 16:02:42.75
>>772
>何も出ないのに言い張っている畿内説とは大違いだ。

つ 纏向遺跡そのもの
つ 纏向古墳群
つ 纏向大溝 この溝からの出土物で纏向編年が作られている
       つまり、大溝を作るのが最初であり計画都市であることが分かる
つ 布留式土器、精製器種3種が確立した場所である
つ 定式化した前方後円墳が確立した場所である
つ 軸線を揃えた大型建物跡と、関連した大型祭祀土坑
つ 桃の種2000個 確実な祭祀の遺物という意味では弥生時代でほぼ唯一

いくらでもあるねぇ
九州説がないないと言っているのは、纏向遺跡の王墓級墳墓で
埋葬主体部が発掘されたものがないから、ってだけなんだよ

盗掘されていたり、陵墓指定されていたり、削平されていたりで
まともに発掘されたものがないのが理由

>あなたの言っていることの方がおかしい。

どこがおかしいのか、「具体的に指摘」しておくれよ
祠堂がおかしいってことには、きちんと対応して論破して見せただろ?
0787日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 16:10:24.70
>>773
>時代を考えろよ。
>一族の播種とともに増えたんだよ。

そのまま言葉を返すけれど、時代を考えなよ
古墳時代に入ってから、北部九州の一族が増殖して播種されたなんていう事実はないぞ

>平原遺跡は圧倒的に卓越した女王墓だよ。

残念ながら、仿製鏡がやたらたくさん出ることを除けば、特に卓越していると
考えるべき理由はない

三種の神器でいうなら、剣も玉(ガラス製品)も丹波の「王墓級」の方が
豪華だ

>後世には三種の神器セットは増えるけど、それとは時代が違う。

三種の神器セットに、過剰な思い入れをするのはやめなよ

皇室の三種の神器は、皇室の権威が背後にあるから神器なのであって、
剣・鏡・玉のセット自体は、首長層の葬送儀礼で共有されている普通のものなんだよ

卑弥呼が共立であることから分かるように、日本の王は「絶対者」として
始まったわけではなく、同胞の中の第一人者として始まっている

それが、絶対的な王者・天皇・皇統として確立していく過程が、記紀の征服譚だよ
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