伊都国東遷スレ 10
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html 伊都国、怡土村、これが「いと」と読むのは確定なんだっけ?「いつ」「いつ(ち)」という可能性はないの? .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. >543
仲哀天皇紀に伊覩県主、五十迹手の話があるから、伊覩の表記が古いとすると、
やっぱり「いと」「いつ」が古い読みかな?
「怡土」になったのは、恐らく和銅六年の好字令からで、
本来的な読みで「いつち」というのは無さそう。 伊都
伊豆
和泉
出雲
伊勢
イs
イz
この共通性ブキミ (8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html
◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の甑
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
. .
7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈のセットで炊く、鼎で炊く、
さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。
弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。
中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。
弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。
. .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。
言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。 諸国の一つという部分が、魏志倭人伝にないお前の願望。 >>553
文盲過ぎる
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。 徳川家康は江戸を治めて、同時に全国を支配した。
大率は伊都を治めて、同時に対馬海峡を支配した。 伊都の大率が女王国(福岡県)の北方である対馬海峡を検察し、対馬や壱岐などいく先々で皆が大率に平伏している様子を郡使が目撃したのだろうね。
女王国の南側はというと、狗奴国(熊本県)と対立する軍事地域だったので、郡使は話だけ聞いて詳しくはない。
福岡から西や東はわざわざ行く価値もなかったので、詳細不明で済ませたわけだ。 >>557
一大率は女王国の北限に勤務
業務内容は伊都国を含む諸国の監督 伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は之(一大率)を畏れ憚っている。
(一大率は)伊都国で(女王国から北の諸国を)常に治めていた。
(その様子は)魏で(皇帝が)刺史(を州に派遣し検察させて洛陽で治めているの)と同じようだ」の意味となる。
女王卑弥呼が一大率を任命して治めさせているのは自女王國以北(女王国を含む)の対馬海峡の国々である。
女王国が伊都よりずっと東の畿内にあったら、一大率が支配していたのは畿内とその北である若狭湾沿岸になってしまうが、伊都に置かれていたという記述と齟齬を生じる。
つまり女王国は伊都国を含まなくてはいけない。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国を含むことを示している。
倭に近い文化を持っていた百済には、大率や徳率などの中央官僚の官職があった。
邪馬台国では中央官僚は大率一つだけだったので一大率と魏志倭人伝に書かれたわけだ。
都から対馬海峡の国々を検察に出かける様子が、刺史のようだとされたのだろう。
「刺史」・・・地方を検察する官僚
「大率」・・・百済などにあった高級官僚の役職 >>559
常治伊都國の誤読ですな。
伊都國で執務していた、が正解です。
>>560
正解 >>561
理由なしで「オレ様正解」って馬鹿の見本を展示中 伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ感情論抜きで明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。 >>563
言い張っても無駄。
常治伊都國の誤読ですな。
伊都國で執務していた、が正解です。 >>564
言い張ってるのはお前だけだぞ糸チョンコwww >>565
違う違う認めないと駄々をこねているのはお前だけだぞ、キナイコシ >>567
伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。 伊都国の内情
原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
書き下し文:
”官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。
千余戸有り。
世王有り。
皆女王国に統属す。
郡使往来し常に駐する所。”
現代文:
官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。
(人口は)千余戸ある。
代々の王がいる。
みな女王国に従属している。
(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
解説:
三国志の記述では前節が後節に掛かっているので、
女王国に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指す。
つまり、伊都国の王も役人も住民も女王国の臣民である証明である。
また三国志における魏代の刺史は官と同義であるため、すでに伊都国には爾支という官が務めているのだから
魏の刺史(=官)と同等の一大率は伊都国の役人でないことは明白。
つまり、一大率は女王国か直属の役人であり、伊都国には属していない証明である。
結論:
よって伊都キチや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても
伊都国は女王国ではなく、女王国に従属する諸国の一つであり、
一大率は伊都国には存在せず、女王国の北限で伊都国を監視する女王国の役人である。 >>569
意味不明な勝手ルール
そもそも、前から後ろにかからない文章ってなんだ?
中国人が返り点打ちながら読んでいるとでも思っているのか?
キナイコシが漢文を読めない無能だと露見したレスw 自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
女王国よりも北と書かれているのに、北部と曲解詐欺
諸国がこれを恐れると書かれているのに、伊都国から常に動かないという、矛盾ゴリ押し詐欺
刺史の本来の姿は、首都から派遣されて諸国を検察して回ることが主目的だったし、倭人伝にもそう書かれているのに、それを吟味することなくチェリーピック詐欺 自女王國以北で論点になるのは、女王国が含まれるか含まれないかであって、
女王国よりも北方にある諸国はどちらにせよ含まれる。 >>570
反論があるなら指摘は具体的に
相手の投稿のどの箇所の何をどういう理由で批判してるか書かないと
今のままでは、ただのヤジ
>>574
相変わらず、>>572とかには反論せずに、
他愛もないレスだけチェリーピックして絡んで誤魔化してんだな惨めなキナイコシ 伊都国には官(中央から任命される支配官)の爾支が既にいるから、刺史も支配官だとバッティングしてしまう。
だからこの場合の有如刺史とは、刺史本来の検察官としての機能のことであって、書かれている業務内容もそうなっている。
中国での刺史は600石程度の地方官に過ぎず、常に伊都国を治めているのなら、刺史の機能上、他の諸国は無関係でこれを恐れる必要はない。
刺史が首都の伊都に常設オフィスを構えて(=常治伊都國)、そこから北の諸国を検察して回る本来の検察官として機能しているからこそ諸国がこれを恐れるのであって、
じゃあ伊都国より北の諸国ってどこよとなると、壱岐対馬のたった2つの監視態勢の説明のためにここまで字数は使わんだろうから、
それだと狗邪韓国などと中心とした投馬国のことになるじゃん、だから反日キナイコシは気が触れたように間違いだらけコピペを連打して精神の安定を何とか保とうとしているのだった。 >>575
>相変わらず、>>572とかには反論せずに、
? >>572って馬鹿だろ?
誰も話しかけてるのか他人に理解できない文章書いてるから相手にされないだけ >>578
そうだね。
だから、常治伊都國と刺史と若干異なる部分を説明している。 >>573など根本的な間違いに答えられないキナイコシw長文ご講釈の出だしから間違ってるじゃんw 三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ
「刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた」
つまり、刺史は地方にとどまっているわけではない。
本拠地は都に置かれていた。
倭国の場合、伊都に大率がおかれ北方を検察して畏怖されており、刺史のようだと書かれている。 >>581
歪曲はダメ
そんなこと書いてないじゃね? 伊都国を政治的に支配してたら、如州牧と書くだろ。機内腰はバカだなぁ。 >>583
誰と話をしようとしてるのか不明で、内容も意味不明
コミュ障のひと? この内容で理解出来ないのが、バカの証拠だよ。刺史と州牧の差を考えろよ 無能&無知が理解できるように書き直すと
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常に伊都國を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。(一大率とは魏の)官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指しているので、伊都国の王も役人も住民も女王国の臣民である。
そして、諸國が畏れているのは一大率の事であり、伊都國は前節の諸國の一つである。
また、三国志における魏代の刺史は官と同義なので、
伊都国には爾支という官が存在している=官と同職の一大率は伊都国の役人ではなく、外部監察官である。
結論:
伊都キチや糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白であり、
一大率は伊都国には存在せず、女王国の北限で伊都国を監視する女王国の役人である。 まぁ伊都国は女王国ではないにせよ、貿易入管を一手に担う国として、倭国にとって重要であることに変わりはないわな。 >>585
まったく反論できない九州説って
そこまで無能なの? >>588
理解力のなさとマトモな教育をしてくれなかった親を恨んで生きていきなよ >>589
そんなふうに、まったく反論できなくなって
相手を口不汚く罵るだけになったら
九州説は死んだってこと
皆にわかるんだよ
>>590
お前脳内お花畑で幸せそうだな。
周りからいつも半笑いで羨ましがられるだろ。 >>586
> 結論:
> 伊都キチや糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
正しくは
古田盲信者や糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
だね >>586
壊れたラジオかよ。
同じレスの繰り返し。
「魏代の刺史とは官と同じ」
ってなんだよ。漢代の刺史は官じゃないのか。バカがにじみ出てるぞ
www >>588
そんなふうに、まったく反論できなくなって
相手を口不汚く罵るだけになったら
畿内説は死んだってこと
皆にわかるんだよ >>594
質問やってるんだから、中傷に逃げずに答えてみろよ。
魏代の刺史は官だからってどういう意味だ? 漢代の刺史は官じゃないのか。? >>593
お前のようなしつこいバカを躾けるには反復調教が最も有効だからだろ >>586
>伊都キチや糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
>伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白であり、
畿内説はもちろん
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国ではありえない
というのは定説なんだけど? ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名(A)」は24か所。
“Aに役所を置いた”の意味で使われた例 ☆22
"Aを治めた"の意味で使われた例 ★2
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、東武陽県に役所を置かせた
☆紹歎其能徙爲東郡太守治東武陽 袁紹は臧洪の能力に驚嘆し、東郡の太守に転任させ、東武陽県に政庁を置かせた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔に)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務させた
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている。(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下は先主を荊州の牧に推し立てて、公安県(を州都として)で執務することにした
☆治成都 (先主は)成都に役所を移した
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌の都尉(6県を統治)に任命して、海昬県に役所を置かせた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧の任務を行い、公安にその役所を置いた。
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 程普を呉郡の都尉に任命し、銭唐に役所をおいて執務させた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、建業に役所を置かせた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 政府を開設させて、その役所は半州に置かせた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。
・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い
女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。
刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。
中国大陸は広いので、報告するに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから(水行10日)、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。 >>600
>本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
補足
本来の地方官は郡レベル
居座った刺史は州レベルで郡県の統括者となり
軍事行動では総司令官となった >>600
>首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
それは昔の話
後漢の頃から報告の使者を立てるだけで
刺史は完全に地方に居座るようになった
刺史治があるのは必ず地方都市である 結局、「女王の都=伊都国」説を唱える学者は誰もいない
それは伊都説が、基礎知識不足が産んだ妄想だからである >>604
根拠は明示されてるだろ
「女王の都=伊都国」説を唱える学者は誰もいない 矛盾だらけの「女王の都=伊都国」説を言い張るほどの恥は
この世にまたとなかろ >>597
伊都キチや糸クズ、キナイコシは伊都国=女王国って盲信しとるやん >>599
素晴らしい
それを踏まえた上で清書するわ! 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常に伊都國を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国に役所を置いた。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が畏れているのは一大率の事であり、伊都國は前節の諸國の一つである。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白であり、
一大率は伊都国には存在せず、伊都国に設置した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>613
治を役所設置とするなら
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常に伊都國を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
ではなく
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
のほうが適当じゃないかな? 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>616
>(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。
( )の中が勝手な妄想。
それにより全体の解釈にも誤りを生じている。 >>617
解説読んでも理解できないならお前もキチガイ >>618
妄想を解説されても意味がない。
魏志倭人伝は伊都の重要性にかなりの文字数を割いていて、他の国邑の説明は少ない。
伊都が邪馬台国で最も重要であり、諸国から畏怖される権力の中心であったことは確かだ。
その事実から目を背けたいために詭弁を弄しても無駄だ。 >>621
>伊都が邪馬台国で最も重要であり、諸国から畏怖される権力の中心であったことは確かだ。
という理由は? >>622
>伊都が邪馬台国で最も重要であり、諸国から畏怖される権力の中心であったことは確かだ。
諸国から畏怖されていたのは、伊都国でなくて一大率だ。そこんとこ間違いなく。 なんか盛り上がっていますね。
>616
常治伊都国 は、「伊都国を治めたか」「伊都国にて」治めたか、という問題は後者でしょうね。
「刺史」としてと原文にあるのをわざわざ「(魏の)長官」と読み替えるのは、感心しませんね。
一大率は、行政官ではなく、女王国の監察官ですから。
この論点は、糸厨の皆さんの勝ちと思いますよ。
女王国=伊都国で解釈できるというのは発見だと思います。
ただ、邪馬台国=伊都国というのは無理があると思いますけどネ。。。 >>625
糸厨が言ってるのは、伊都国=「女王国(邪馬台国)の首都」 >官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國
畿内説では皆を伊都国の皆と読むようだが、その場合丗有王の王とは伊都国王ということか? >>625
>ただ、邪馬台国=伊都国というのは無理があると思いますけどネ。。。
他にロクな国邑が紹介されていない。
伊都に駐在していたはずの郡使が卑弥呼に面会している。 >>623
>諸国から畏怖されていたのは、伊都国でなくて一大率だ。そこんとこ間違いなく。
鎌倉の将軍ご畏怖されていた頃は鎌倉が権力の座だっただろ。
徳川の頃は江戸がそうだった。
いずれも任命された征夷大将軍がいたわけだけどな。
邪馬台国の時代は伊都がそうだったということ。 伊都にいた大率が女王国「から」北を検察していたのだから、伊都が女王国に含まれなければいけない。
伊都は女王国から支配される側だったという説は成り立たない。 >>630
>一般的には源頼朝(よりとも)に始まる武家政権(幕府)の首長をさすが、
本来は蝦夷(えぞ)征討のため朝廷から臨時に任ぜられた総指揮官のことをいった。
律令(りつりょう)政府は、蝦夷征討軍をしばしば派遣したが、721年(養老5)に多治比県守(たじひのあがたもり)を責任者に任命し「征夷将軍」と称した。
肝心なのは、征夷大将軍職はだれから任命されたのかだ。当然朝廷であり、つまりは天皇からだろ。
これを当てはめれば、女王国の女王から任命された一大率(征夷大将軍)は、自女王国以北の諸国を治めるため伊都国(鎌倉/江戸など)に駐在したわけだ。 だから一大率は治めとらんだろ
伊都国に庁舎を置いてただけ
どこかに庁舎を置かなければならないから、首都に置いといたんだろ >>599
ざっと見た感想だが、治するで役所を置くのは自国圏内だね。
神奈川県が治するとすれば神奈川県内。
大阪府が治するとすれば大阪府内。
だから女王国が一大率を治するのなら、女王国領内じゃないか。 >>633
天皇は京都に御所を置き、征夷大将軍は、東エビスを征伐するのに便利な鎌倉や江戸に城を置いた、
それと同じで、女王の宮殿は女王国にあり、倭の奴人どもを統治するための一大率の治所(砦)は北の伊都国にあったのではないかな、 >>621
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