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邪馬台国の倭人は鉄器使用
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0001日本@名無史さん
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2018/09/06(木) 20:37:04.61
倭人は朝鮮半島投馬国経由で鉄を採取 【三国志東夷伝韓条】

3世紀に鉄器を使っているのは「当たり前」


倭人伝に書かれた【鉄鏃】なんて

時代劇の武将ヨロシク、自宅の庭で試射しまくってたわけで

リサイクル回収なんてしないw

あれ?3世紀の遺跡から鉄器ゼロ?

マジくそん???www
0469日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 10:39:09.08
>>468
>一大率は一人の大率って意味であって、一大率という組織ではない。

ああ、同意するのだが、一般的な表現にしないとそこに突っ込む人もいるので、うっかり一大率にしてしまったよ。
すまないね。
0470日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 10:39:47.08
一人の大率を置いて、その部下達が構成する組織が出入国管理をしてたんだろ?
同じことじゃん
0471日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 10:42:21.46
一は名刺に含まれないということだろう。
0472日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 11:07:05.32
>>470
内陸の伊都国(直方辺り)に一大率が置かれた理由を教えて進ぜよう。

伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、「出入国管理局」。

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。  @阿波 
0473日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 11:12:25.66
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0474日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 11:54:36.68
>>470
魏志倭人伝では

於國中有如刺史

魏の刺史(郡の長官)のような存在と書かれてる。
当然部下はいたんだろうけど、魏志倭人伝中では一個人の職責について書かれてる。
0475日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 13:17:18.70
一大率でも大率でもいいけど、倭人関係の名詞の中で、一大率と一大國だけ中国風の名前なんだよね。
0476日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 13:59:44.79
一大国は一支国の誤字だろ。
と、大率は百済にもあった官名。
もちろん部下はいただろうけど。
0477日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 14:26:33.66
だとしても他の官名も和風なのに大率だけが中国風だね。
0480日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 14:57:52.36
>>477
大率の他に伊都国もおそらく表意文字として表記しているから、伊都国周辺だけめちゃくちゃ中華文明が導入されていたのかもね。
伊都国以外にどこを王都と呼べばいいのか。
0481日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 15:01:14.13
北部九州の邪馬台国本国内は副官の卑奴母離が共通しているから、
順番としてはまず北部九州が統一されて卑奴母離が配置されて倭国成立。
筆頭の官名は統一前の旧小国王の名が反映されているのだろう。
倭国が版図を広げるのにつれて、
北へ耳垂り東へ鼻垂りといった版図外の暫定官職が置かれた感じだね。
以上は政治的役職だね。

大率や大倭は官といっても、役人的だね。
0482日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 09:36:07.83
>>480
>伊都国もおそらく表意文字として表記しているから、

表意文字と考える理由がない
都支國、好古都國でも、表音文字(万葉仮名的使用)として使っている
それとも都支國、好古都國も首都だったって主張してみるかい?

伊都国と、邪馬台国が別の国として書かれているってのは、
一部のトンデモ信者以外には常識

伊都国が都というのは、非常識ww
0484日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 19:21:46.90
伊都國王=爾支(ni-qi) =一大率=奴母離(na-mori)が
治所としたのが1,000戸の伊都國(yi-tu)で
邪馬+壹の
壹のほうの縄張りをまとめあげる拠点が伊都
0485日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 20:21:28.81
一大率は一支率の誤記かもな
壱岐を中心に諸国を検察していたんだろう。
0486日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 20:23:19.81
一支率は伊都国に居る倭王卑弥呼が朝鮮海峡の諸国を監視する為に置いていたんだろうな。
0489日本@名無史さん
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2019/01/10(木) 19:02:54.65
一大率とは住吉だからね。
住吉は婚姻とかあんまないっしょ。
部族じゃなくて一大率という組織だからね。
女王国から東に渡海千里で宿泊したのは下関住吉の前身の一大率だよ。
0490日本@名無史さん
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2019/01/10(木) 19:09:29.38
大率は官名。
率と帥は発音も意味も同じだとか。
ならは、大率とは王のもとで内政を統括する太宰の帥そのままではないか。
卑弥呼より前に朝貢した帥升も実は倭王ではなく倭王の1番の側近だったかもしれない。
倭王本人が波頭を超えて漢まで行くなんて考えにくいからね。
そうすると太宰の帥(率)とは2世紀から明治の官制改革まで連続する役職名だったことになる。
0491日本@名無史さん
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2019/01/10(木) 20:30:15.08
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0492日本@名無史さん
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2019/01/10(木) 21:29:29.41
え?帥升って自分で漢まで行ったの?
0493日本@名無史さん
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2019/01/10(木) 23:39:54.59
そういうことになっている。
だから実は通訳のミスで、倭王の代理だったんじゃないかと思うよ。
0494日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 01:05:12.54
倭王を騙ったんでしょ
0495日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 07:16:10.24
王本人が行ったかは別として、連れて行った生口の人数だけでも倭王だとわかる
0496日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 08:19:26.59
帥升が自分で連れて行ったことになっている。
だから倭王というよりは倭王の代理人だったのではないかと。
0497日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 08:37:34.88
>>494
倭王は中国皇帝が与えた称号
0498日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 08:39:44.65
やっぱり倭王本人に会わないとまずいということになり、卑弥呼の時は郡使が伊都まで出かけて行ったわけだ。
0500日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 18:47:48.31
みんな適当だなあ。
帥升は倭国王。倭王は卑弥呼。

倭国王は、倭国という国の王。
倭王は、倭人領土全体の王。つまり半島南岸の投馬国も含めてる。
意味がだいぶ違う。

帥升の記録から、倭国王(漢読み)=倭面土国=ヤマト国(倭読み)とわかる。
邪馬台国も同じでヤマト国(倭読み)のこと。
0501日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 18:51:21.44
帥升は倭国王だけど、だからといって、必ずしも倭国以外の領土が無かったわけではない。
倭国王であって、同時に倭王として、狗邪韓国なども支配していたかもしれない。

卑弥呼は倭王だけど、九州南部は狗奴国王に支配されていたから、
卑弥呼時代の九州倭国=邪馬台国は、帥升時代の半分くらいだったはず。

あと卑弥呼は人前に姿を現さなかったことから、
倭王ではあっても、倭国王ではなかった可能性がある。
倭国王は伊都の世有王として別におり、
卑弥呼は武内宿禰のように、何代かの倭国王に跨って政治の実権を任されていた存在の可能性がある。
0502日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:03:11.35
魏志倭人伝からは卑弥呼が倭全体を支配していないことがわかる。
だが、魏は卑弥呼を倭王に任命した。
それは実質的には倭国王のことで、帥升らと同じ扱いである。
卑弥呼の倭国は帥升の倭国と同じで、博多湾沿岸地域だ。
かつてはそこをヤマトと読んでいたと考えられる。
0503日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:07:47.54
>それは実質的には倭国王のことで、帥升らと同じ扱いである。

魏によるフライングだったわけだね。

本来の倭国王の系統、つまり帥升の直系はずっといたのに、
たまたま狗奴国との総力戦になったから、
実務能力にたけた卑弥呼がトップに据えられて、実力通りに活躍した。

魏から見れば、倭国内の伝統なんて知ったことではなく、
その時その当時の倭を抑えるために、政治トップの卑弥呼を勝手に親魏倭王認定した。
0504日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:11:04.32
帥升直系がその後倭国王に復帰したけれども、
卑弥呼の子孫もまた大きな勢力として残った。

饒速日とか卑弥呼とかは、
子孫が7世紀にそれなりの勢力を残していたから、記録を抹消されたんだね。
0505日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:18:30.39
倭人(わじん)倭国(わこく)ってのは当時の漢人や魏人がそう呼んでいただけで、
北部九州の当の倭人たちは、自分たちのことを
やまと人、やまと国って発音してたんだな。
そりゃそうだよね。
0506日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:36:57.56
>>504
>帥升直系がその後倭国王に復帰したけれども、

総論はいいけど、ここは意味不明。
あと、饒速日の末裔は物部氏であり、古代史きっての豪族として名を残している。
0507日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:38:09.73
鉄器ゼロって凄いよなぁ

狙おうと思ってもなかなか出せる記録じゃない
0508日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:45:19.69
>>506
帥升一族が七八十年の男王で、
卑弥呼と台与の間の男王もそうでしょう。
台与は卑弥呼の宗女なのに、男王はなんとも書かれていない。
なんか妙なわけです。

饒速日はいちおう神武の前に畿内に来ていたとは書かれているけど、
先行者として苦労しただろう英雄譚は残されていない。
神武にひれ伏したことが記録されているだけ。

そして卑弥呼は抹殺。
0509日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 19:57:53.63
物部氏は残ったね。(先代旧事本紀も記紀に追随

では、饒速日が北部九州倭国の奥さんとの間に残した子孫の記録は?
0510日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 20:05:14.19
>>508
>台与は卑弥呼の宗女なのに、男王はなんとも書かれていない。

男王は朝貢していないからでしょ。
中国としては無視と。

>先行者として苦労しただろう英雄譚は残されていない。

先行者は三島溝杭耳だよ。
饒速日は天神の子として土地を奪っただけ。

>神武にひれ伏したことが記録されているだけ。

ひれ伏したなどとは書いていない。
天の羽羽矢を神武と見せ合って同族であることを確認して、神武の大和への逗留を許した側だよ。
記紀でさえ、どちらも天神の子として扱っている(饒速日はアマテラスの直系孫)。

>>509
>では、饒速日が北部九州倭国の奥さんとの間に残した子孫の記録は?

そんな奥さんは知らない。
饒速日の奥さんは大和国の長髄彦の妹だよ。
0511日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 20:10:11.14
>>510
お、あなたは三島溝杭耳の人でしたか。

三島溝杭耳は大山祇でしょ?
大山祇は山津見でしょ?
八山津見はどう見ても出雲八雷神の系統でしょ?

三島溝杭耳はイザナギ系という書き込みがあなただとしたら、
たしかに男系はイザナギ系なのかもしれませんが、
(オオクニヌシ系の可能性も非常に高いです)
女系はイザナミ系
そして部族の系譜としては、女系イザナミ系だと思いますが。
0512日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 20:12:19.81
>饒速日の奥さんは大和国の長髄彦の妹だよ。

大和国の長髄彦の妹「も」饒速日の奥さん。
出身地の北部九州倭国に「も」奥さんはいた。
0513日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 20:23:26.21
>>512
誰ですか?
記紀では饒速日は畿内に行ったきりの人物として登場します。
0514日本@名無史さん
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2019/01/11(金) 20:50:49.82
うーん。
わかってるとは思いますが、
籠神社の人が筆頭ですね。

あと、先妻はじめ数人は別にいると思います。

>畿内に行ったきりの人物
たしかに饒速日は国譲り後の大国主残党整理に明け暮れた生涯でしたね。
弟の邇邇芸思いの兄だったのでしょうね。

先代旧事本紀では、一旦畿内に埋葬されたものの、
北部九州倭国の面々がそれはあんまりだと思って、
わざわざ高天ヶ原へ遺体を移して埋葬し直したとありますね。
0515日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 21:07:37.02
>>511
三島溝杭耳は大山積の息子ですねえ。
スサノオは大山積の娘に婿入り、オオナムチはスサノオの娘に婿入りしたのでしたよね?
それは国津神は女系相続だったということです。
では男子はどうなるのか?
三島溝杭耳のように冒険に出たのかもしれませんね。
三島溝杭耳のあとは活玉依姫、イスケヨリ姫とまた女系相続に戻っているので、三島溝杭耳は分家の扱いなのでしょう。
本家はというと、大山積の娘は木花咲耶姫であり、筑紫の日向の伊都の天孫族の王妃です。
あなたが指摘するように、大山積が母親イザナギの権威を受け継いでいるという考え方はあり得ると思います。
さらに言えば、卑弥呼が天孫族ではなく女系が上位である国津神の末裔の可能性も高いと思います。
0516日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 21:11:35.24
>>514
なるほど。
でも明記された饒速日の妻はナガスネ彦の妹しかいないので、あとは憶測になってしまいます。
あと、高天原は筑紫ではありませんね。
念のため。
0517日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 21:15:45.80
高天原は筑紫ですよ。
饒速日も神武も、高天原から畿内へ来るわけですから。

正確には、福岡市早良区の高台。
吉武高木遺跡の辺りです。
三種の神器発祥の地。
0518日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 21:22:07.15
実力で考えますと。

スサノオは婿入りじゃありませんよ。
スサノオ自身の鉄器で八岐大蛇を成敗したわけで、嫁取りです。
イザナギ系の将軍が、八岐大蛇を攻め落とすついでに、
古代出雲の娘を娶って、古代出雲を編入した、ということです。

オオナムチは婿入りですね。
スサノオの娘に婿入りして、スサノオの武力を使わせてもらったわけですね。

>三島溝杭耳のあとは活玉依姫、イスケヨリ姫とまた女系相続に戻っている

なるほど。
私が思うことは、
もともと大山祇系だから、女系だった。

イザナギ男系(9割以上の確立ではオオクニヌシ男系)が主権を握った一時期だけ、
男子の三島溝杭耳が首領になった。

が、三島溝杭耳の次からは、もとの女系に戻った。

と、考えると、
やはり三島溝杭耳はオオクニヌシの息子で、
一時期だけ政権を取ったが、
オオクニヌシが失脚したので、
結局はもともとも大山祇女系に戻ったよ、という話に見えますが。
0519日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 21:25:29.37
天孫降臨は高天原から筑紫への移動です。
しかも宗像の島々の神が安全を守っています。
これは海路で筑紫入りしたことになります。
天津神とは海の王の意味であり、対馬海峡を超えてやって来たのです。

それに対して、国津神はおそらく陸上の土着の王です。
天津神を婿として迎えるのが伝統だったのでしょう。
早良の王家はおそらく国津神です。
0520日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 21:34:10.07
>>518
>古代出雲の娘を娶って、古代出雲を編入した、ということです。

スサノオは高天原に帰らずに出雲に住み、高天原は領土を広げてはいません。
これは婿入りです。

>イザナギ男系(9割以上の確立ではオオクニヌシ男系)が主権を握った一時期だけ、

大国主系では婿入りした男子は権力を手に入れますが、相続はあくまでも女系です。

>やはり三島溝杭耳はオオクニヌシの息子で、
>一時期だけ政権を取ったが、

大国主も三島溝杭耳も国津神と解釈できますが、大国主と大山積は別人です。
あと三島溝杭耳は東征将軍的な位置付けであり、政権はとっていません。
0522日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/11(金) 22:54:22.17
>>520
いろいろとありがとうございます。すごく勉強になります。
調べてみます。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 10:36:15.93
200回近く掘って鉄器ゼロ

もう誰も超えることのできない大記録を樹立しました

陳寿もビックリ桃の種
0524日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 10:53:54.40
しかしあれだね。里程ってのは古代から重要な航路だったんだな。

帯方郡から来て、
一大国(壱岐)→一万二千里で奴国(博多)→東に渡海千里(下関)→さらに進んで朱儒国(東瀬戸内)

この経路って、まんま住吉神社が守護する経路じゃん。地政学ってのは凄いな。
0525日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 11:11:09.86
海路を守護するなら宗像神社(厳島神社)の方だろう。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 11:50:57.63
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 11:57:11.62
瀬戸内海ルートを開拓したのは、伊予大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などに祭られる三島溝杭耳(初代鴨主)であり、いずれの神社もその地域を代表する神社となっている。
神武と戦った大和の富美の長髄彦は三島溝杭耳の孫である。
神武の妃となり次の天皇を生んだイスケヨリ姫は三島溝杭耳のひ孫である。
0528日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 12:00:58.38
史学的には、博多湾沿岸から瀬戸内海ルートによる畿内への数次にわたる進出があったことはほぼ間違いない。
その足跡というか拠点が各地の古社ということになる。
0529日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 12:05:28.63
筑前国風土記では、宗像大社辺津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
天照大神から神勅を授かった宗像三女神は、天孫降臨に際して八咫の鏡も授かったのかもしれない。
伊都平原から出土した八咫の鏡とあわせ、天孫族の王都が博多湾沿岸であり、そこから倭国が拡大したことは間違いない。
0530日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 14:51:08.97
大筋では合ってるけど、宗像が博多湾かというと違うと思うよ。
王墓もないし宗像に王権の象徴である八咫鏡があるのは不思議だね。
0531日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 15:03:32.91
アマテラスから直接に神勅を受けた立場だから、不思議とは思わない。
0532日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 20:04:07.30
朱儒国が邪魔だったなw

南が東で邪馬台国を畿内に持って行っても、
じゃあ狗奴国はどこよ?って話になる。
南は東だから狗奴国も東だ、とさらに捻じ曲げても、
じゃあ朱儒国はどこよ?って話になる。
0533日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 21:37:57.92
邪馬台国とも絡む話だが、
委奴国は倭国の極南界と書かれているということは、
やはり倭国とは広域国家であって、その中に委奴国があるという認識だな。
倭国(音読み)=邪馬台国(訓読み)と考えるなら、
倭国=邪馬台国の中に、多くの構成国がある、ということで合っている。

委奴国が伊都国なのか奴国なのかやはり委奴国なのかだが、
邪馬台国の構成国の中には委奴国の名前が無いから、
57年の委奴国は、239年には伊都国か奴国に名前が変わったように思える。
金印も博多湾から出土しているし。
だが極南界とあるのだから、実は南の狗奴国領域の構成国だった可能性もあるな。
0534日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/12(土) 21:52:24.99
金印(漢委奴国王印)は糸島市の細石神社に江戸時代まで保管されていたと言われている。
志賀島から見つかったことにしたという。
つまりは伊都国が倭奴国なのだろう。
細石神社は三雲南小路遺跡の祭殿で、これは卑弥呼の先代の王家の墓に当たる。つまりは倭奴国王の墓だ。
細石神社の祭神は木花咲耶姫だが、三雲南小路遺跡は夫婦の墓であり、おそらく木花咲耶姫と夫の邇邇芸の墓だろう。
要するに、邇邇芸の天孫降臨により筑紫の日向に伊都国が成立して後漢に朝貢し倭王と認められて金印をもらい、その後に倭国大乱があって天孫族は筑紫から大和へ東征し、卑弥呼が筑紫倭国の王として魏に朝貢したということになる。
伊都の高祖宮(高祖神社)の祭神は邇邇芸の息子のヒコホホデミだが、その孫の神武もヒコホホデミの名を持つので、おそらく天孫族が世襲できる称号だったのだろう。
そして天孫族の宮として知られるのが高千穂宮である。
高祖山の南側のピークが現地ではくしふる山と呼ばれている。
高祖山にある高祖宮こそ、筑紫の日向のクシフル峰の高千穂宮だろう。
邇邇芸が授かったという八咫の鏡が副葬された倭国女王の王墓である平原遺跡から真東の方向に位置するのが高祖山なのである。
記紀の神代の伝承と魏志倭人伝の主な舞台は、すべて博多湾沿岸の、それも伊都に集約されている。
0535日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 21:55:05.31
>>534
それはいいのだが、
伊都国や奴国が極南界だと、倭国の範囲が異常に狭くなってしまう。
そんな極小の国に金印などあげないだろう。

甕棺墓その他の出土物を見ても、倭国はもっと広かったと思われるが。
0536日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 22:01:50.77
漢は倭の代表者とだけ交渉していたし、対馬海峡が倭の主な範囲だったのは確かなのだろう。
有明海沿岸が発展したのは3〜4世紀頃であり、瀬戸内や畿内の発展も同時期だ(ここは畿内説もそう主張している)。
つまりは卑弥呼の頃に筑紫倭国は南方へ、あるいは東方へ勢力を拡大したのだろう。
0537日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 22:06:08.72
>>535
倭奴國は倭國の極南界だから漢代には既に倭國の範囲が朝鮮半島南岸地域まで広がっていたんだな。
0538日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 22:12:26.14
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0539日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 22:12:39.84
というかそもそも天津国=海の国の範囲が対馬海峡だったと思われる。
天津神が筑紫(伊都)に降臨したのは後漢に朝貢する直前の1世紀ということになる。
それ以前の筑紫や出雲は倭人ではあるけれど、やや違う部族(国津神)の領土だったということ。
まあスサノオも大山積も天照もイザナギの末裔だから大きな違いではないのだろうけど。
0540日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 22:13:55.05
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書とよく対応している。
国産み伝説には、記紀編纂までに西日本各地の土地が追加された。
0541日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 22:17:55.94
いや自分も北部九州説だけどさ。

極南界の委奴国が伊都や奴国だと、
壱岐対馬、末蘆、伊都=委奴?、奴、不弥、くらいしかないことになる。
57年だと朝鮮半島南岸の領土がそんなに広かったとも思えないし。
さすがにこの範囲だけの倭国が金印を貰うのは厳しくないかい?
日本列島だけの問題じゃなくて、朝鮮半島とかの国々よりも上だという認証なわけだからさ。
0542日本@名無史さん
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2019/01/12(土) 23:17:45.54
>さっきから、どこどこは低身長とかいうのがたくさんあるけど、侏儒は人長三,四尺だから
>10センチ低いとかではないんだよ
>魏晋尺は23センチだから、三、四尺なら69センチとか92センチとか、1メートル以下になる
>もっとも身長が低い短身種族のネグリロでも身長137〜159cm

・侏儒國は表意文字 ⇔北部九州の地名は倭語に対応した表音文字
・朱が其の山に有る、ではなく、侏儒國では朱を産出していた
・考古学的に朱を産出していたのは阿波のみ

侏儒國に阿波が含まれているのは考古学的に確定。
若杉山遺跡で見つかった朱を採取した坑道跡の大きさは、
奥行き約14メートル、高さは約70〜90センチ。

『高さは約70〜90センチ』
0543日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 00:02:37.95
>>541
いやでも、もらってしまったからねえ。
漢としても相手の国の規模を正確に評価できていなかったかもしれない。
0544日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 09:05:21.12
>>542
むちゃくちゃ正確じゃないかw

里程まで記録されているし、これで侏儒國が確定。
里程確定で女王国も確定。



邪馬台国論争 完。。。
0545日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 09:10:56.46
まあ、考古学的には邪馬台国は九州しかないよね。
0546日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 09:52:29.49
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0547日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 10:03:30.15
表意文字だから、名前の中にも情報を内包しているわけだ。
水銀朱を採掘すると言っても、露天掘りと坑道堀りがあるからね。

黒歯國=黒い歯をした人々の国(関西の文化)
裸国=裸で過ごせるほど暖かいが、一方で未開な南方僻地の国
というように、名前そのものが情報源となっている。

儒という漢字には、小さいという意味があるから、
陳寿ら中国の知識人にとっては、
『侏儒國』という名前を聞いただけで、

あ、露天掘りじゃなくて、
坑道にかがんで身を低くして採掘に入ってるんだな、
というイメージが湧くわけだな。

さらにそれを補足する情報が、人長三四尺であり、
倭人の水銀朱採掘レベルは、原始的な露天掘りではなく、
坑道を掘って採掘するレベルに達している
そしてその坑道の高さは、70-90センチを維持できるだけの技術力なのだな。
と、当時の知識人には伝わったわけだ。
0548日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/13(日) 17:47:32.71
>さっきから、どこどこは低身長とかいうのがたくさんあるけど、侏儒は人長三,四尺だから
>10センチ低いとかではないんだよ
>魏晋尺は23センチだから、三、四尺なら69センチとか92センチとか、1メートル以下になる
>もっとも身長が低い短身種族のネグリロでも身長137〜159cm

・侏儒國は表意文字 ⇔北部九州の地名は倭語に対応した表音文字
・朱が其の山に有る、ではなく、侏儒國では朱を産出していた
・考古学的に朱を産出していたのは阿波のみ

侏儒國に阿波が含まれているのは考古学的に確定。
若杉山遺跡で見つかった朱を採取した坑道跡の大きさは、
奥行き約14メートル、高さは約70〜90センチ。

『高さは約70〜90センチ』
0549日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 20:09:21.11
>>548
むちゃくちゃ正確じゃないかw

里程まで記録されているし、これで侏儒國が確定。
里程確定で女王国も確定。



邪馬台国論争 完。。。
0550日本@名無史さん
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2019/01/13(日) 22:16:48.10
表意文字だから、名前の中にも情報を内包しているわけだ。
水銀朱を採掘すると言っても、露天掘りと坑道堀りがあるからね。

黒歯國=黒い歯をした人々の国(関西の文化)
裸国=裸で過ごせるほど暖かいが、一方で未開な南方僻地の国
というように、名前そのものが情報源となっている。

儒という漢字には、小さい人という意味があるから、
陳寿ら中国の知識人にとっては、
『侏儒國』という名前を聞いただけで、

あ、露天掘りじゃなくて、
坑道にかがんで身を低くして採掘に入ってるんだな、
というイメージが湧くわけだな。

さらにそれを補足する情報が、人長三四尺であり、
倭人の水銀朱採掘レベルは、原始的な露天掘りではなく、
坑道を掘って採掘するレベルに達している
そしてその坑道の高さは、70-90センチを維持できるだけの技術力なのだな。
と、当時の知識人には伝わったわけだ。
0551日本@名無史さん
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2019/01/14(月) 22:27:04.49
やっぱり表意文字だね

以前は否定されまくってたが

そうなると、各国の名前に使われてる漢字の検証が面白そうだ
0552日本@名無史さん
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2019/01/14(月) 22:47:34.04
まずは伊都という名前から始めようぜ。
0553日本@名無史さん
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2019/01/16(水) 15:08:53.39
>>551
>やっぱり表意文字だね

という時点で、倭国の地名ではないことが確定することに気づかないかな?
ただの中華伝説の混入だよ
0554日本@名無史さん
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2019/01/16(水) 19:40:43.24
中国人が書いた記録出し、滞在先にはバイリンガルの通訳がいたんだよ。
0555日本@名無史さん
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2019/01/16(水) 19:44:38.45
卑弥呼
卑弥弓呼

違うのは「弓」のあるなし。これで両国・両種族の性格のちがいがわかる。
0556日本@名無史さん
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2019/01/16(水) 20:15:11.92
ていうか、おそらく同族だよ。
0557日本@名無史さん
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2019/01/16(水) 20:57:23.24
卑弥呼は親魏の邪馬台国で、生まれは良いが暴れ馬の如き種族

卑弥弓呼は親呉の狗奴国で、働きバチの農奴の出、何かというと飛び道具の弓を持ち出す気の短い種族
0558日本@名無史さん
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2019/01/17(木) 02:50:32.49
性別の違いだろ
0559日本@名無史さん
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2019/01/17(木) 20:35:20.05
>>554
>中国人が書いた記録出し、滞在先にはバイリンガルの通訳がいたんだよ。

そんな適当なww
いい加減な思い付きを書かれても、説得力ゼロだしw
0560日本@名無史さん
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2019/01/18(金) 09:22:01.81
>>555
卑国(火、肥)の 弥呼(巫女、御子)
と 弥弓呼 だと、単に 男か女か の違いともとれる。
肥の ゆこ、くこ、というより ヒコ が一般的だけど 九州だし・・・
0561日本@名無史さん
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2019/01/18(金) 09:46:41.85
>>547
そっち行く? 倭人伝の本筋だと・・・

女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至

参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里

侏儒國 裸國 黒齒國 が表意文字なのは 
魏志に記載された、魏使の行程の中で参問した和名では無いから。
山海経のような、漢代以前の奇譚伝からの出展ってのは明瞭でしょ。

これに対し、参問倭地 は、240年に卑弥呼印綬の際に建中校尉梯儁が記録した
女王所属国の国勢 可7万戸 次有を21回も連ね 此 女王境界所盡 と示した21国

斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 彌奴國 好古都國 不呼國
姐奴國 對蘇國 蘇奴國 呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 為吾國
鬼奴國 邪馬國 躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國
これらは、和音を 梯儁が漢字(表音文字)にしなければ 記録できないモノ。

女王國東渡海千餘里 侏儒國 裸國 黒齒國 といった
広大な範囲の 漢代の倭国認識に対して

参問倭地 が 絶在海中洲㠀之上 で 或絶或連 の
周旋可五千餘里 しかない、小国でした。

という、印綬で卑弥呼王宮に赴き、国勢を参問した240年梯儁の報告です。
0562日本@名無史さん
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2019/01/18(金) 09:56:14.83
邪馬台国は、女王に率いられた平和なユートピア国邑ではなかった
鉄器で完全武装した渡来侵入者の奈良ず者集団で、九州の弥生の村々を襲って倭国大乱の覇者となり、
やがては畿内へも迫り、征服し、国を建てたのだよ。
0563日本@名無史さん
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2019/01/18(金) 19:16:41.49
>>562
日本の建国、九州平定、が247年卑弥呼の死と魏と女王国の国交の終わり
で、良いんじゃないか? という、歴史の真実の見極めの話、なんだが?

朝貢の239年、は公孫氏滅亡。
黄幢、檄の246年、は、韓王朝滅亡。
だが、
三国志戦国王の魏に卑弥呼は これに加担したのか?

日本と魏が、敵対しなければ、313年四郡追討、350年百済新羅建国。
日本、高句麗戦と牛馬の移入、鉄の国内生産。

これに、繋がる道理は無いだろが?
漢四郡は、日本と高句麗が挟み撃ちにした。

九州平定で、半島進出したのは、後の朝廷だろ?
日本の建国は概ね、238年から247年で、良いし、
倭人伝に実年が残る、247年と すべきだと思うね。
0564日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/18(金) 19:54:49.34
日本が歴史に登場するのは7世紀だ。
あほ
0565日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/18(金) 20:28:49.42
倭人伝に登場してるだろ? 馬鹿w
0566日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/18(金) 20:57:12.41
倭人伝には倭が登場しているが、
日本が登場するのは旧唐書まで
待たねばならない。
0567日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/18(金) 21:07:19.06
そうだねえ
倭国(九州地方にあったクニ)と日本国(大和から広がったクニ)は別の国
0568日本@名無史さん
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2019/01/18(金) 21:19:16.36
>>567
>倭国(九州地方にあったクニ)と日本国(大和から広がったクニ)は別の国

元は同じ。 7世紀までが倭国(阿波)で、遷都した8世紀から奈良大和(日本国) だと、何度言えばw  @阿波
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