最後の征夷大将軍となった第15代当主・徳川慶喜は、大政奉還の後に征夷大将軍を辞職し、一旦は兵を挙げたものの新政府に恭順し、謹慎した。

さらに慶喜は隠居して、御三卿の一つ田安徳川家から徳川家達が養子に立てられ、徳川宗家の相続を許された[注釈 2]。

第16代当主となった家達は、新政府により駿河・遠江・伊豆に70万石を改めて与えられて駿府(現: 静岡県静岡市葵区)に移住し、駿府の町を静岡と改名して静岡藩を立てた。

明治2年(1869年)に家達は華族に列せられ、廃藩置県を経て、明治4年(1871年)に東京へ再移住し、1884年(明治17年)には公爵を授けられて、徳川宗家は徳川公爵家となった。

その後、家達は、明治時代の終わりから昭和時代の初めに至るまで、長らく貴族院議長を務め、嫡子の第17代当主・徳川家正は、戦後、最後の貴族院議長を務めた。

2003年(平成15年)、第18代当主・徳川恒孝は、宗家の貴重な遺産を管理するため、財団法人(現: 公益財団法人)徳川記念財団を設立した。