では倭の王都はどこなのか。
時代により変遷があるが、ある時期においては筑紫の日向という語が登場する。
イザナギの禊や、ニニギの降臨である。
ニニギから三代の間、筑紫の日向に王家がいたことになっている。
三代目の彦渚の息子達が筑紫を出て大和に向かったと記紀は記録している。