歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ47
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問や議論、主張があったりする場合は、速やかに誘導してください。 ただし戦国時代板や考古学板、日本近代史板があっても、
ここは日本史板なので、日本史の全時代が対象として可です。
・このスレでは過度な論争は自粛してください。 特に現在の政治論争は自粛してください。 ここは質問とそれに対する回答のスレです。政治的な主張の場ではありません。
・煽り質問もままあります。スルーしてください。
前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/ タイムスクープハンターで野武士みたいな回があったな 副家知事って、どういう役職なのでしょうか?
よろしくお願いいたします。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 日本の中世神話には国土創生のときに天照大神が第六天魔王と契約を交わした話や、ビシュヌ神の臍から蓮華の花が咲いて梵天王が生まれる話などがあって非常に興味深く面白いです。
これらの話は平安末期から鎌倉時代に産まれたものであり、非常に強くインド化されています。
平安末期の日本神話が密教のインド思想の影響下にあるのと同じく、奈良時代の記紀の日本神話は中国の五行思想の影響下にありました。
純粋な日本神話は伝わっていないと考えた方が良いと思います。
巷では何故記紀の神話が純粋な日本神話だと思われているのでしょうか? 中世日本では魔王といえば天狗を指すのが当たり前でした。太平記には仁和寺の天狗評定の話があり、天下の乱れは天狗の仕業とされています。
後白河院が日本一の大天狗と言われている事から平安時代末期には天狗の概念があったと思われます。
しかしながら記紀には天狗は全く出てきません。
天狗という存在はいつ一体どのように生まれたのでしょうか? >>104
黄泉の国から帰ったイザナギが汚れを洗い流すために禊をして三貴紳が生まれるとか日本古来の思想であって
五行説とは関係ないですけどね。陰陽説なら太陽と太陰(月)との二つになるところにスサノヲも加えて三つに
なってるし。 >>93←こいつ馬鹿すぎだろ
>>中世っつっても鎌倉時代までは兵農分離に近かったのが南北朝の頃から雑兵の大量動員が始まって農民兵が出てきた感じだね
こんな認識とか
歴史にわかどころか、偏差値40すらねーだろ。
全くちがーし。 なんなの?
歴史博士板って、えふらんみたいな馬鹿が、嘘八百のでたらめ教える板なんか? 関東武士団の大前提は開発領主
鎌倉武士の御家人は土地を介在した主従関係なのに、兵農分離だ?
こいつ頭いかれてんだろ馬鹿過ぎて。
室町も、守護大名家に連なる家臣団の、
国人から土豪、地侍まで全て全て在郷領主層で、
常時大地主と流通を兼ね、それらの権益守るために武装化し、その武装化の正統性を
守護大名家から主従関係結ぶことで証明していた。
土地すらてない奴なんか戦国以前は武士じゃねえよボケが
戦国以降、信長が秀吉のような出自不詳の土地すらない奴等を専業傭兵化してったまでで。
>>93みてえな中二病レベルにすら満たしてない糞バカ低能が、適当な糞見解垂れ流してんじゃねえよ 中世の武士は、「弓馬の道」という家業を、つまり軍事を専門にする専業兵士で、
まあ農業経営も兼業してはいるけど、農民ではない
あえて言うなら兵農分離状態の軍に近い
未分離の軍は中世後期というか南北朝以後の、特に戦国時代ごろまでの特徴
鎌倉時代の武士を農民兵とか言ってるのは時代遅れのロートルだろ >>105
もともとは古代中国で不吉な流れ星を天狗と呼んだらしいです。狗は犬のことだから天駆ける犬というわけです。
隕石は時に爆発して大音響を発するのでこれを犬の咆哮と考えたらしいです。
日本書紀にも舒明天皇の時に轟音を伴う流れ星が人々を驚かせ、唐帰りの僧が天狗であると言ったという
記事があるらしいです。しかし天狗という用語は定着することなく忘れられました。
平安時代になり密教系の星辰・星宿信仰とか修験道のような山岳信仰とかとないまぜになって妖怪としての
天狗が生まれたらしい。だから天狗は修験道の装束を着てることが多い。 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. >>110
じゃあ、なんで、武士が武装・従軍をやめて農耕だけで生計をたてるようになることを「帰農」というのか?
高度成長期後半くらいからはサラリーマンやめて農家始めることも言うようになったけれど、元来、武家が農家になることだけを指していた。
商工民や僧籍や公家が農家始めたことろで帰農とは言わなかった。単に゜帰農といだけで元武家の農家ということを指していた。 >>110
お前て頭悪すぎじゃね?
軍事を専門の専業武士wwwww
足軽だけの話してんのか?
なんで農業営んでたら農兵になんだ?
大前提が大地主たる開発領主で、
その土地の権利やそこからの作物など物流の利権を守るために武装化し、
その正統性を主従関係で認めてもらって、初めて武士と成してる
土地もない単なる武装した人殺しを専業なら武士なら、
盗賊も海賊も和光も任侠もみんな武士だな
まー戦国時代になったらこいつらを積極的に傭兵化した秀吉などにより皆武士になったが。
お前、まじロムってろよ糞えふらん野郎が 代表例の分かりますい関東武士団で、
土地もたず、農業営まず、人殺しの傭兵家業だけしてた武家を一家でもいいからだせやなら? 世界初の土地台帳(Domesday Book、土地登記簿) は、1086年の英国であるとか「帳簿の世界史」文春文庫34頁に書いてあるんだけど、どう見ても嘘くさいよな
なにこの西洋史しか知らないお馬鹿著者 >>114
お前の考える武士像は前世紀の遺物
武士は軍事貴族、中央たる律令政府からの土着化に始まるんだ
中央の貴族と地方豪族との混血だよ >>117
お前がほざく軍事貴族は守護大名のような一部の話で、
守護大名なんて武士じゃない。あれは似非貴族
それにその軍事貴族が武士たる定義なら、
江戸の武士は99パーセント武士の定義ににはてはまらない。
確かにそうだよ。江戸の武士はお前の定義に当てはめるなら、戦国以前は土地すら持てない非人レベルの出自ばかりだからな。
そもそも地頭やらの国人クラスも普通に大地主だけどな。 ポエムと酒宴と縁起担ぎに開け食てたお公家さんが、田舎に行ったら、急に母衣かむって馬を操り弓を引て刀で人を切るような運動性能、いきなしを発揮でるのか? >>118
日本人は新渡戸稲造に騙されすぎているのではないかねぇ。
新渡戸稲造は幕末の頃の極端な事例だけを紹介して
武士道と言っていたのではないかねぇ。
実像は時代がさかのぼればさかのぼるほど、大阪の入れ墨公務員みたいな
感覚だったのでないの? >>120
江戸の武士はそれまでの旧武士層の大地主層と違って、土地を持てなかった秀吉のような非人層がこぞって傭兵化して江戸の武士となったため、
江戸初期はまさに半グレ輩レベルが江戸武士だよ
なにせ蜂須賀や九鬼、村上やらとリアル海賊や山賊の半グレや893レベルが大名貴下の武士団だからな。
幕末、長州が奇形隊設立して身分問わず部隊作り、薩摩は漁師や工人の威勢のいい奴等を募り、そいつらに士族身分乱発して与えて戦争さしてるし、
幕府は弾左衛門や新門辰五郎を配下にして、任侠やら火消、職人の入れ墨だらけを将軍警護に当たらせてるからな。
幕末でこれで、戦国時代は秀吉のような非人レベルが傭兵化して大量に武士に雇用され、旧名門在地領主層を根こそぎ滅亡させてった。
秀吉の関東征伐なんて本当に酷い。
それから、江戸武士は糞底辺のど貧困だから、江戸中期以降は、輩というより、本当に小作人とかわらぬ生活レベルの困窮家庭だからな。
だからこそ藩の奴隷化が着実に進んで、謀反などない切腹マシーンが朱子学洗脳とともに出来上がった。
藩の奴隷化政策を、勝手に武士道という言葉に入れ替えて美化しただけを誰も気付いていないだけ。 >>118
軍事貴族の代表格が「源平橘藤」
各地の地方豪族がその子孫を婿取りしてでも武士になろうとした、軍事貴族の大御所たちだ
(その4名以前にも軍事貴族はいたが、血族的に軍事貴族として残るとこまでは行かなかった)
守護大名はその中のごく一部に過ぎない。
>>119
南北朝時代頃までは軍事に力を入れてる武闘派の貴族も残ってた。まあ鎌倉時代に入ってからは武闘派であることを貴族の恥と考える貴族が主流になってたけどな
>>120
新渡戸の紹介する武士像の大半は空想上の架空武士だろ 夢殿の救世観音像は何故、
あんなにブサイクなの?
(´・ω・`) 素人の質問で申し訳ありませんが
平氏は征夷大将軍になれないと以前聞いたことがあります。
これは平氏自体が潜在的に身分が低く認定されているからなのでしょうか? 平氏がなれないわけじゃない
自称平氏の信長はなろうと思えばなれたからな >>121
>なにせ蜂須賀や九鬼、村上やらとリアル海賊や
村上はリアル海賊だけど元をたどれば村上源氏。河内源氏庶流の村上氏という説のほうが有力だけど。
>>125
平家が政治の中枢を担っていた頃は源氏なんて最高でも正四位止まりで源頼政が唯一人従三位になって
源三位と称された。平氏の方が低いなんて大間違いです。平氏は征夷大将軍になれないというのも俗説です。 源氏は渡来人の軍事貴族の末裔だから征夷大将軍になれました >>127
源氏庶流wwwww
なんだ庶流てwwwww
家系図上は
秀吉は藤原北家
徳川は藤原から源氏に
蜂須賀も河内源氏だ馬鹿がwwwww
さらに弾家も手吏頭として清和源氏の流れとなってんだが。
さらには弾家は長州征伐に幕府から直々に参戦要望あり、その功で弾家は武士に取り立てwwwww
江戸の武士はこんなんがデフォ >>芸州戦線では被差別民が部隊として組織され長州藩の指揮下に参加しており、幕府側でも弾左衛門の配下の被差別民が参加していた。
>>後に幕府はこの時の功績をたたえ、弾左衛門とその配下を士分に取り立てた。
>>また長州藩としては組織として機能したことに安堵したという記録がある。
長州征伐 土地を介在していない江戸の武士は、腕力や威勢だけで戦国時代から武士を登用してきた展開
そりゃそうだ。他者から奪うことが目的の集団と化して、そこから派生した江戸武士は、そりゃ家柄や出自より腕力が正当化され、横領強奪から地位を確立した集団だもん、秀吉や蜂須賀みたいなんだらけになるわな。
かたや旧封建時代の戦国以前は、土地を介在にした、大地主の自衛権や利権の保証から武装化 を正当化されし在郷のリーダーとしての武士化。
当時大地主クラスの土地を持てるものは、家柄や出にかなり比例するため、n*t質はかなり保たれていた。
しかし、戦国時代により、江戸武士の土地すら持てなかった輩に全て壊され、奪われた サヨクか?
左翼系の思想では地下(じげ)が力をつけて成り上がって武士が台頭する方が理想的で、朝廷貴族が武士の源流だと困るんだから、サヨクこそ軍事貴族という概念には反対するだろうに。 左翼の階級闘争史観では、貴族に搾取された地方領主が抵抗して武士になったという認識だった
軍事貴族という概念が定着して今では流石に時代遅れになったが 左翼も糞もねんだよ
くだらねえ主観フィルターなんか知らねえよ
事実の中世の在地の武士化の流れ話てんだよ 武士の起源は在地じゃなく貴族
それは別として、開発領主ってのも大規模開墾ができる大資本の持ち主が発祥で、一般農民の成り上がりじゃないぞ
大寺社か国司郡司あたりじゃない限り永年私財たるべき本格的な墾田は開けない
耕作者がいなくなって荒れた耕地の再開発は一代限りの私有しか認められてなくて、用水路など灌漑設備まで作らないと荘園とすることができないんだから、
多くの人を動員して働かせることができる有力者以外が開発荘園を拓くのはほぼ不可能だ 期限の話なんかしてねーよ
それにお前みたいな馬鹿は田堵すら知らねんだから、いい加減ロムってろや >>138
田堵が鎌倉時代に関東での開発領主になっていったのはかなり濃厚だろうな 古代には王家と奴婢たちの階級闘争があった。奴婢は被差別階級として窮乏のもとでしいたげられていた。古代社会の矛盾は王家の支配体制を崩壊させたが、次の社会を作ったのは奴婢たちではなかった。それは中間階級的な新興の支配階級つまり地主たる武士階級であった。
そのため古代の階級闘争は封建社会にも武士と農民という形で受け継がれた。農民は窮乏のもとでしいたげられた。
封建体制は後進的な日本においては明治維新まで存続し続けた。
そして封建社会を倒し次の社会を作った主体もまた農奴ではなかった。それは天皇及び旧封建領主旧貴族たちからなる旧勢力と近世に勃興した富裕層の町人階級の末裔つまり商工ブルジョワジー達の連合政権であった。
産業革命進展により武士と農民の階級闘争は資本家と労働者の階級闘争へと変化していった
昭和の軍人たちは終わりなき階級闘争を止めるべく、右翼的空気の中にあって元老や財閥といった反動勢力に対するクーデターを図ったが、巨悪旧勢力の代表である天皇ヒロヒトによって阻止された
階級闘争による社会の矛盾はやがて日本を太平洋戦争へと走らせる事となった
日本の敗戦ののちもヒロヒトはマッカーサーに命乞いをして存続し、旧勢力は自民党・経団連となって未だこの島国の政権を握っている
武士と農民の階級闘争は未だ資本主義社会の矛盾として存続しているである 国宝とか文化財に指定されてる衣服ってありますか?
着物とかありそうですが、検索しても「人間国宝」の着物を作る人しかひっかからず
服は後世まで残らないものなんでしょうか 国宝の琉球王国関係資料、熊野新宮大社や旧阿須賀神社の古神宝の中に衣服があります
古神宝の国宝は他にもあるかもしれませんが 正倉院御物の中に聖武天皇が着用した袈裟があったと思う。厳密には国宝指定されてないらしいけど。 >>142
>服は後世まで残らないものなんでしょうか
中宮寺の天寿国繡帳は飛鳥時代の刺繍だけどごく一部しか残ってないと言われてます。
布地は適切に保存しないと残りにくいのは確かです。聖武天皇の袈裟は正倉院に納められたおかげで
残ったけどそれでも一部が欠けてます。 wikipediaで調べた国宝指定されている服
古神宝類(袿5領)(鶴岡八幡宮)
七条刺納袈裟・刺納衣(伝教大師将来)(延暦寺)
犍陀穀糸袈裟・横被(教王護国寺)
延暦寺と教王護国寺のはそれぞれ最澄と空海が唐から持ち帰った袈裟だそうです。 >>143-146
みなさんくわしくありがとうございました!
けん陀穀糸袈裟などあなりボロボロですねぇ >>141
1950年代のマルクス主義史観ですか? >>138-139
その田堵の起源が豪族くずれだといってるのだが
一般農民が自力で開墾して田堵に成長したとか、寝言みたいなもの
開発費をどこから捻出できるんだよ、と 力を持ってたのに自分が天皇に取って代わろうとする奴が現れなかったのが奇跡
というかそれが日本人の気質なんだろうか 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>151
イスラム帝国時代のスルタンとカリフの関係みたいに、他国にも例はあるよ
カリフが廃止されたのは外来侵略者のモンゴル帝国に支配されたからだ
モンゴルが侵略してなかったら、近代になるまでカリフが存続してただろう 天皇がなんとなくえらいってのだけ伝わって神道の哲学的なポイントとか
ほとんどの人が知らない状態ってのがすごいよね
おみくじの引き方しか習わないという >>153
イスラムは未だにお祈りとかラマダンとか守ってるから日本人以上にまじめだな
>>154
信長は武装した仏教徒を駆逐して歪みを矯正してたような気もするがね >>152
じゃあ日本の稲作はどこから伝わったんだ?
大陸や朝鮮半島じゃないとしたら コピペに反応するなよ
このコピペ厨の説では沿海州
でも実際には沿海州から伝わったのは粟
稲作に先行して沿海州から粟作が伝わったから土器や農具は沿海州のが近い >>153
めぐりめぐって、今では王様を追い出したヨーロッパの国は
たいてい大統領と首相を分けているよな。
あの中国でさえ、国家主席と首相を分けているし、
ロシアでもそうだww
アメリカみたいにある種すっきりした大統領制の国は今では
少数派だよな。 稲作の起源は韓半島です
大韓民国の扶餘郡に弥生文化の雛形となった遺跡がありました
松菊里遺跡といいます
弥生文化は松菊里文化の派生ですから稲作は韓半島から日本に伝えられていったのです >>125
平氏は太政大臣出してるから、精々従四位下相当の征夷大将軍なんかに頓着しない >>159
アメリカはヨーロッパでないことをまず理解しようよ。
そもそもローマ法王に取って代わろうとした奴がヘンリー8世ぐらいじぇね 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>157
おまえ国語力ゼロの高卒か?w
コピペは中国からの伝来はあり得ないと言ってるだけで、朝鮮からは否定していないぞ。
むしろ稲作は朝鮮からの伝来で間違いないと言っているんだよ。
>>160
30点
松菊里より菜畑の方が古いんだわ。
朝鮮半島最古の水田はBC11Cのオクキョン遺跡。
それに、伝えられたんじゃなくて、こちらが半島からパクったが正しいの。
最古水田菜畑の人々は朝鮮土器を一つも作っていないから。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一点出土しただけ。 恐らく稲作が日本に渡った真相はこうです
大昔に韓半島からいくつかの部族の青年たちが故郷を捨てて海を渡りました
彼らは北九州にたどり着いてそこで原住民たちを征服して王や貴族になりました
亡くなった後もその功績は延々と讃えられて日本の神々となり子孫たちは天皇や貴族になりました
これが天孫降臨神話です >>165
じゃあ何で朝鮮土器で弥生時代が幕開けしてないの?
最古水田菜畑の人々は朝鮮土器を一つも作ってないぞ。 沿海州から大集団が日本へ移住したほうがもっと根拠ないだろ
その後の日本史でも渤海国までまともに交流がない >>167
来てから増えただけだ低知能。
飛鳥時代には沿海州からちょくちょく来てた記録もあるし。
朝鮮半島とは生活土器も整合しないし、遺骨の形質も整合しない。
アウトですわw >>160
神功皇后が三韓征伐で新羅に上陸したときに伝えたんだろ きっと普段から低知能と言われて続けて染み付いてるんだろう。 ググれば出る情報でイキる低脳チンパンがケンカ腰ですいません どこの低能なんだ?
はやく頭の病院に行って来たほうが良いぞ
老婆はネットで調べなくても知っている、
専門的な本や書なども読んでいないし、家にもない
・・・・・・なぜ知っている?詳しいんだと思う? >>173
聞いたこともないから出典かなんか説明がないと誰も答えないだろう。 >>174
平日の昼間から5chに書き込んでるようなクソゴミ無職だからだろ、生きてる価値ないから死んだ方がいいよ >>175
出典は「獄裏乃夢」(明治22年刊)
抑、愛知縣士族相原尚褧君は其父を相原仙友(舊名を七郎兵衛と稱す)氏と云々ひ
舊名古屋藩主コ川慶勝公の副家知事を勤め家祿百五十石役祿五十石都合二百石を領し
云々 華族の家令なら家知事って呼び方もありそうだけど、副とはいえ尾張家の
家令にしちゃ家格が低いな 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 加賀前田の陪臣だと、庭に姫リンゴやミカン植えて現金化 wikipediaによれば「仙友は名古屋藩主徳川慶勝に副家知事として仕える200石(小納戸詰家禄150石・
役禄50石)取りの武士であった」というから側用人かねぇ。 ちなみに既に調べたかもしれないけど知事は県知事・知県事・知藩事といった用例があって
県や藩の事を知る(司る)という意味になるので家知事は家の事を司る家令と想像される。 安倍首相の爺さんも昭和の妖怪と呼ばれる海千山千の政治家だったようですが、
安倍さんが今政治家をやめたとして、政治家としての名声、ネームバリューは
爺さんを超えてますか?まだ超えてませんか?
このまま続ければ行く行くは日本の首相として在職最長記録を樹立するそうだし、
憲法改正いかんによって爺さん超えはほぼ確実でしょうけれど 政治や社会の主流ではないので歴史教科書に載ることはないだろうけれど、
知名度が抜群だったり、ある種の大物感が突出してたり、影響力がある人物で
歴史教科書と一緒に授業で使う資料集(教科書よりも情報量が多い副読本)に
名前が載りそうなのはどんな人物ですか?
例えば池田大作や大川隆法、ナベツネ、A猪木、タモリ、堀江、池上彰、田原総一朗、
小室哲哉、田岡一雄、秋元康、宮崎駿、橋下徹、小保方、カズ、野茂、あたりは
将来の歴史授業の資料集や副読本の昭和〜平成のページに名前が出てくると思いますか? >>186
じゃあどんな人物の名前が資料集や副読本に載るでしょうか? 安倍総理は衆愚政治家のファシストとして名前が乗ると思います
彼は日本の平和主義と人権を破壊した反動的政治家です 黒澤明や手塚治虫、宮崎駿は教科書の方の昭和平成の文化史のところで載るかもね
ノーベル賞受賞者は人数が増えすぎて全員は載らないだろうけど、iPS細胞の山中教授は
載るんじゃないかな
村上春樹もノーベル文学賞を受賞すれば載るんじゃないかな
教科書には載らないけど資料集の方には載る人って難しいな >>168
朝鮮のほうがはるかに多いだろ
まあ当時は高句麗が沿海州にも勢力を伸ばしていたから
高句麗からの移民という意味ならわかるが >>192
生活土器レベルでの高句麗系土器がどこにあるの?
いいか、山陰から九州北部までの間で北方モンゴロイド形質を帯びた渡来系弥生人骨が
数千体も出てるんだぞ。
4C後半の秦氏に始まる朝鮮帰化人時代になるまでに、日本人口は300万人ほどになっていた。
現日本人の基層になっているのは縄文人と渡来系弥生人である。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 江戸時代の統治や為政は天皇から将軍に委任され、将軍から老中や大老に委任される二重の委任体制だったと言えるのですか?
一部の将軍を除き、基本は老中による合議制だったらしいので 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>195
将軍は老中に任せるけど自分の意思を通すことはできるのでどうかなぁ。田沼意次は自分を信任する
将軍家治が臨終の床で自分を罷免したと政敵から言い渡された時にそんなことはありえないと思いつつも
将軍の言葉に否を唱えることはできないと唯々諾々と従った。家治が死んだ以上政敵による捏造であることを
証明することは不可能なので。 >>178
並の会社だと、社長室長って、係長級かそのもう一つ下だからなあ。
社長=藩主、部長=年寄、課長=評定衆、係長=番頭、組頭、平社員=平士、
みたいな感じか。家知事とか側用人とかいうのが、会社でいうと秘書的な、社長室付みたいなもので、
200石10人扶持くらいならまあ妥当なところだろ。 加賀前田家の家令は、万石超えの元年寄家で男爵位の人間が就いてる
この場合"副"ってのが微妙だけど 江戸時代の一般庶民らは将軍の代替わり、天皇の代替わり、改元に対して
それぞれどのような感慨、あるいは生活の影響があったのでしょうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています