歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ47
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歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/ オレ大阪そだちだけど子どもの頃に見たのは大判焼きだけだったな。いまは回転焼きと御座候しか見ないけど 北方四島のうち、国後、択捉は日本の領土ではない。
その証拠に日本は第二次世界大戦で敗れた後、1951年にサンフランシスコ講和条約を締結したが、そのサンフランシスコ講和条約の条文に「千島列島を放棄する」と書かれている。
当時の吉田茂首相は、サンフランシスコ講和条約の受諾演説で「国後と択捉は千島南部」と発言しているし外務省の西村条約局長も国会で「国後と択捉は千島列島に含まれる」と発言している。
千島列島に含まれる国後と択捉は、当時の吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約に調印した時点で日本は放棄したことになる。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 質問です。
山川の日本史教科書には
マッチなどが切符制、米は配給制と書かれていますが
ネットで調べると
配給制の具体的な方法として切符制や通帳制があるように思えます。
どのように理解したらいいのでしょうか? 配給を行う手法として配給切符や米穀通帳が在ったんざんしょ 滝口武者は位階でいうとどのくらいの者が担ったのでしょうか?
平将門は滝口から衛府の佐や尉への出世を望んだそうなので、それ以下のようですが 日本人は背が低いことで有名です
江戸時代の人たちは身長が140センチという話を聞いて驚きました
まるで土人のピグミー族のようです
食生活が貧しかったのでしょうが彼らは自らの食べ物の栄養価が低い事に気がつかなかったのでしょうか? >>442
令外でも中納言や参議、検非違使などは相当する位階がありますよね? 丁未の乱で大連=物部守屋が失脚した際には次の大連が任命されず大連が廃止されたのに、
大化の改新で大臣=蘇我蝦夷が失脚した際にはすぐ次の大臣が任命されて千年以上続いたのは、何故? >>443
西南戰爭の薩軍司令部は180とかが多かった >>443
食料事情の関係で前時代より身長の平均が低かったらしいとは言うな
逆に言えば、ヨーロッパだって近代化する前は身長の平均が近代以後の平均より低かったのではないかな 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 沖縄は1879年3月27日に日本の明治政府が軍隊を動員して併合するまで琉球王国という日本の主権が及ばない異国だった。
日本政府は領土問題でよく「日本固有の領土」という言い方をするが、国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」「本来備わっていること」、「本来」とは「もともとそうであること」とあり、「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」と記載されている。
国語辞典に記載されている言葉の定義をもとに考えると、沖縄は本来(もともと)日本の統治権が及ばない区域だったから日本固有の領土とは言えないことになる。
さらに言えば、その沖縄には尖閣諸島も含まれると説明する日本政府の理屈からすると、沖縄自体が日本固有の領土でないのは前述した通り歴史が証明しているわけだから尖閣諸島も日本固有の領土ではないということになる。 >>446
乙巳の変で蘇我入鹿が殺されたときに大臣制も終わっている
孝徳天皇の即位後に
左大臣・阿倍倉麻呂、右大臣・蘇我倉山田石川麻呂
が任じられているのは蘇我氏が世襲していた大臣制とは別の新制度 臨済宗の京都五山や鎌倉五山の開山者には栄西(建仁寺)や蘭渓道隆(建長寺)、
無学祖元(円覚寺)、夢想疎石(天龍寺、相国寺)、など錚々たる歴史上の有名人が
揃っていますが、五山の更に上の「別格」として扱われた南禅寺の開山者は無関普門でさほど有名じゃないのはなぜですか?
南禅寺自体は有名ですし、格式も最高レベルだったのですから開山者の無関普門も有名になりそうなものですけれど・・ >>441
風と雲と虹とでは、従八位下に任官だった。 >>453
法皇による勅願寺であるところ、その格式五山の比にあらず
住職に無関普門を据ゑたるのみ >>456
それだと督(かみ)・佐(すけ)・尉(じょう)・志(さかん)の志になるから下っ端でもないなと思ったけど
滝口武者から右兵衛佐になりたかったけど少志どまりだったということか。 現代でも佐とか復活して欲しいですよね
1000万円で守を名乗れるなら出す人いるかもしれません >>458
言葉足らずでした
社会的ステータスとして1000万円ほど宮内庁に献金すると守や佐が名乗れるというような制度なら買う人いると思います
社長たるもの守でないと恥ずかしいとか社長的ステータスになれば相当なお金が集まるかと 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>459
皇室に売官させるのは如何かと
昔は食うや食わずで仕方なかった面があるが >>458
戦国時代の売官だって、官位発行の手数料がバカ高いのと格式が足りないときに追加手数料がかかるだけで、
無審査で何でも任命してた訳じゃないぞ
当時でも無茶な申請は却下してたしな
今風に言うなら、勲章の発行、つまり受勲の手数料を高くするのと
手数料を何倍か払ったら勲位をひとつ上げるのを導入するような感じと思いねえ
ところで、佐 の官位なら軍の大佐中佐少佐が現代の佐官ではないかな
復活するまでもない >>455
無関さんが積極的に開山したわけじゃないってこと? 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >畿内人はむしろ特殊な日本人で、周辺群こそ平均的な日本人である(埴原和)
>関東出土の縄文人骨の多くは頑丈で、西日本出土の人骨は小さい(小片保)
>東日本では動物性食料資源の捕獲や調理のための道具が発達し、西日本では植物性食料資源を利用するための道具が多い(赤沢威)
>実は本州を縦断して巨大なトレンチが掘られているのである。それは新幹線と高速道路の工事である。その工事に引っかかった(縄文時代の)遺跡を数えても、
>東日本は西日本に比べて圧倒的に多いのだ(佐原真)
・第1、第2判別関数による府県を単位集団とする比較(男性)
近畿→身長の割に肩幅が狭く、頭長の割に顔高が大きい。
南九州→身長や顔高に比べて肩幅や頭長が大きく、がっしりとしている。
近畿人の特徴は朝鮮半島に現在住んでいる人々の特徴と概ね一致する
(『日本人はるかな旅』より、長野県看護大学教授の多賀谷昭先生)
比上肢長という体に対する腕の長さの比と足の長さの比をみると、アイヌ、東北人、畿内人の順に長い。
つまり、アイヌの人たちが一番腕や脚が長く、畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。
朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。
(松村博文・札幌医科大学教授・兵庫県出身) >>463
無関、積極なるか消極なるか知らず
唯、住職の法名高きを以て寺院を評点するは後世の人の爲すところ
開基の法皇将軍達在りて、豈、其の盡力を等閑視せむ哉 乙巳の変と大化の改新は別物なの?
大化の改新のなかの一つのできごとら乙巳の変があるの? 主にスポーツ用品などの研究や開発を手がけるクロステクノロジーラボ(福島県会津若松市)などは27日、
外部からの電気を利用せずに水を水素と酸素に分解する特殊な炭素素材を開発したと発表した。
この素材は貴金属を使わず、少量の炭素と負極になるアルミなどを用い、製造費用も抑えられるとしている。
同社は、スポーツ用品販売大手ゼビオホールディングスのグループ企業にあたる。 入鹿暗殺の変事の後、大化の改新と呼ばれる体制刷新と改革が行われた >>467
権力を独占する蘇我氏を排除する乙巳の変をきっかけに始まる一連の政治的改革の総称が大化の改新。
大政奉還と明治維新の関係と同じく別物だ。 >>471
改革の総称が大化の改新。大化の改新と乙巳の変は別物です。
>>472
佐村河内守とか居たね。 位階で従と下ばかりになってしまったのはなぜですか? 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>475
誰のこと?将門のことなら、それは、官位相当と言うもの。 >>470 >>474
大化の改新という言葉自体、最近の教科書では使われていないんじゃなかったっけ
改新の詔自体が出されていなかった可能性が高いとかで
行われたのは蘇我宗家の排斥(これにより蘇我氏を外戚としない中大兄皇子が立太子)
のみであって蘇我入鹿の誅殺、蘇我蝦夷の自害による蘇我宗家の排斥のことを
乙巳の変と呼ぶようになった 改新の詔が作られたのは700年頃という鑑定が出てしまったからな >>478
誰というか戦国〜江戸時代あたりです
従五位下とか従四位下、従三位ばかりを目にします
ウィキで正四位を見ても鎌倉時代から明治まで誰も授与されていないようですし
何か正とか上を憚る風潮になったのでしょうか 位とか、そういうものは関係ない、
実際は、それ(位)以上の人物もいると書いてない?
五位でも八位・・・何でも良い、
超越しているとか 『自分で自分を褒めたい』
本当は、この言葉の元祖のような存在がいた・・・・
みたいな話
自作自演、自画自賛?? 某氏のところを読んでみた?
天帝より授かり・・・、
日神、日霊を降ろし・・・・・みたいな事が書いてあったり 『神階』
>中世以降は吉田家も〜〜〜〜〜〜神階を発行するようになった。
>当初は天皇の勅許の下に発行されていたが、
>のちに吉田家が独自に発行するようになった。
『聖化 日神 日霊 津』この人物は? >>481
国司大名の姉小路氏、北畠氏、江戸時代では、
水戸徳川家、越前松平家、彦根井伊氏、
加賀前田氏とかいっぱいいるだろ。 >>481
宮中武官の例にならい、大名に与える位階は從四位下、従五位下とされた
従三位は将軍嫡孫、御三家、御三卿、将軍家外戚としての加賀藩主など ウリスト教、ウリスト教だと言ってる人がいたり、
それとも他の話なのかな?
『百済 赤 平家』『聖徳太子 平家』『聖徳太子 ペルシャ』 >>489
ありがとうございます
徳川幕府がそう決めたからと言うことで良いですかね これも凄い話
ゾロアスター教、教徒というのがあるでしょ、
どう考えても日本人ではない人々ばかり
むかーし大陸のほうから渡ってきた人々がいて、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その後、当時の日本人?(実際は日本もないし、日本人はいなかったんだけど、)
と結婚している
どう見ても日本人にしか見えない・・・・・・んだけど、実際は ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 大化改新は教科書にのっています。
改新虚構論はほぼ崩壊しましたしね。
改新の詔もオリジナルのものがかなり改変されて日本書紀にのせられたというのが通説です。 浄土真宗の開祖は親鸞で有名ですし、その後低迷してた浄土真宗を盛り返して
信者数を増やした中興の祖である蓮如も有名です
曹洞宗の開祖は道元で有名ですし、その後低迷してた曹洞宗を盛り返して
信者数を増やした中興の祖である瑩山紹瑾は有名ではありません
一般的には全然知られていませんし、ちょっとした歴史好きの間でも知らない人はかなり多いと思います
この差は一体何なのでしょうか?瑩山紹瑾が「雇われ社長」的な存在ならいざ知らず、
実際にいろんな改革をしたり布教活動をして低迷していた曹洞宗を興隆させた人物であり、
曹洞宗では道元を「高祖」、瑩山紹瑾を「太祖」としており、両者をともに宗祖的な存在に位置づけているようです
また、瑩山紹瑾が行った曹洞宗の改革から日本の葬式仏教の原型が始まったとも言われており、
その意味で日本の仏教に与えた影響も非常に大きいものがあったと思われます
浄土真宗は日本最大の仏教宗派ですが、宗教法人単位で見た時は曹洞宗が日本最大であり、曹洞宗は巨大教団だと言えます
さまざまな史実からみて瑩山紹瑾がなぜこんなに有名でないのか不思議な気がします
どなたか何かしらの見解を聞かせて頂ければ幸いです >>497
実際のところ、蓮如が活動する前の浄土真宗は零細な宗派だった
親鸞に至っては、実在したかどうか、そのものすら疑われていたんだよ
架空の開祖と思われていたぐらいなんだ。本当の開祖は蓮如ではないか、とな。 言われてみればそうですね。
蓮如にはやはり東西本願寺合わせた巨大さと
一向一揆が大きな影響を与えたことがあるように思います。
宗派の祖以外の一般的知名度は高くはないでしょう。
平安以降の教科書レベルでは
円仁、円珍、源信、貞慶、明恵、忍性、叡尊、重源、日親、臨済の何人か、天海、隠元、良寛、黙雷くらいです。
確かにこのあたりと比べて瑩山紹瑾の知名度の低さは不思議な気がします。
覚鑁もそうなんでしょうけどね。 国家主権とは
1 国民および領土、領海、領空を統治する国家の権力。
2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。
日本は他国(米国)から千渉され、自国の上空を自由に飛ベない空域がある。
例えば、東京の横田にラプコンという管制空域があるが、東京、埼玉、神奈川、静岡、山梨、群馬、栃木、長野、新潟の上空5000メートルまでは米軍の許可がなければ日本の民間機は通れないことになっている。
だから羽田空港から西ヘ飛び立つ飛行機はすべて千葉の房総半島の上空を通らなければならないし、西日本から羽田空港に着陸する飛行機も、その管制空域を避けなければならないから房総半島を迂回しなければならない。
国家の最高法規といわれる日本国憲法の上に米国から押し付けられた日米地位協定があるので、日本の首都圏上空は他国の軍隊が優先的に使用しているのが実態である。
これでは日本は完全に主権を回復したとはいえないどころか、日本は「アメリカの属国」あるいは「アメリカの下請け国家」そのものであるとさえいえる。 1979年5月31日付の読売新聞の社説に尖閣諸島の領土問題に関する興味深いことが書かれている。
当時の読売新聞の社説には尖閣諸島の領有権について日中両国による「棚上げ合意」が存在することが書かれていて、「これを順守するのが筋道である」とも書かれている。
その読売新聞が、2013年1月26日付の社説では次のように書いている。
「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない。日本政府の立場を堅持することが肝要なのに、気がかりな点がある。
山口氏が訪中前、香港のテレビ局に対し『将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ』と述べ、『棚上げ論』に言及したことだ。
山口氏は習氏らとの会談では触れなかったが、看過できない発言だ。棚上げ論は、中国の長年の主張である。
先に訪中した鳩山元首相は、尖閣諸島を『係争地だ』と述べた。領有権問題の存在を認めたことなどから、中国の主要紙が大きく取り上げた。中国に利用されていることが分からないのだろうか。
国益を忘れた言動は百害あって一利なしである」
このように読売新聞は、尖閣諸島の領土問題に関して「棚上げ合意が存在する」ことを1979年5月31日付の社説で主張していたにもかかわらず、
2013年1月26日付の社説では「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」と手のひらを返すような社論を展開している。
先日、読売新聞の読者センターに電話して、この矛盾を指摘してみたところ、読売新聞の社員は何一つ反論できなかった。 >>499
信長と戦った本願寺の顕如もかなり有名かと かくも浄土真宗の歴史については広く知られているのだが、曹洞宗の事など一般の者はろくに知らないものだ ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. >日本の葬式仏教の原型が始まったとも言われており
伝聞推量でなく史実認定されない限り無理ですねw
『源氏物語』の作者でなく藤原定家が有名でない点が怪しからんと言ってもねぇ と同じこと 歴史はさっぱり詳しく無くてここではROMか質問する側だけの私の曹洞宗のイメージは曹洞宗の中で完結してる感じかな
勿論布教もしてるんだろうし改革もして葬儀をする事で社会とも切れてる訳ではないのだろうけど
為政者に取り入って五山だ何だとハクを付けたり政治顧問になったり 逆に門徒を組織して為政者と対立したり和歌や作庭で名を売ったり外国から豆持ち込んだりとかしてなくて
教義以外での社会との接し方が薄い感じがする
それは禅宗の有り様として悪くない気もするけど只管打座なんだろうし 蓮如上人といえば加賀ですが
あの近辺は関西弁の強い地域ですよね
やはり京都との繋がりが深いのでしょうか
関東との繋がりの深い新潟の言葉が
関東弁の亜流なのと同じように感じられます 歴史文献が人気強化で多すぎて、5chでも近現代まで終わらないというようじゃ歴史
学習のバランスが悪いと思わない? 人気とは誰かが強化するものなのか
5ちゃんねるでは古代からすすんで近現代史まで修了することが義務化されているのか >>曹洞宗のイメージは曹洞宗の中で完結してる感じかな
案外こういうのが大きいのかもね かつて皇統が「大覚寺統」と「持明院統」に割れた時がありましたが、
現在の皇太子と秋篠宮の系統を「○○統」「○○統」って呼ぶことはできるのですか? 曹洞宗は恐山や秋葉三尺坊や大雄山みたいに
密教系かと思ったら曹洞宗という寺もあり
臨済宗とはカラーが全く違ってて興味深いです 曹洞宗は日本人の行動様式に影響を与えた点でかなりのものなのに、
なぜか空気のようなものになっているよな。
道元さんからして、下手をすれば業績が忘れ去られそうになっているからな。
自分のことは自分でやれとか、掃除をきちんとしろとか
道元さんが言い出したことなのにな。
アレかな、曹洞宗は宗教の規模の割りに観光名所が少ないし、
禅問答的なコントも臨済宗にとられているからな。 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 曹洞宗は京都に本山を置いてなかったから垢抜けなかったんじゃないかな?
門跡寺院を1つか2つ持っとけば話は違っていただろう
明治維新のあと総持寺を東京近郊に移したのは経営判断として正しかったのかもしれない >>505
おっしゃるとおり西行を忘れてました。そう言えば慈円も忘れてましたね。
今どき吉田兼好という方もいらっしゃるのですね。
太原雪斎は臨済の何人かに含めても、というか教科書には出てこないですね。 こういう宗教ネタの専用スレってないのかな?
興味あるんだ 歴史的な宗教ネタは興味ある
歴史的にも大きな意味あるし 浄土真宗の本山だって戦国時代初期に焼き払われてから秀吉時代に本願寺(後の西本願寺)ができるまで何十年かは京都に本山をおいてなかったぞ
それに京都にあった旧本願寺が本山だった期間はわずかだ、事実上の開祖(要するに真宗本願寺派の開祖)である蓮如の時代に焼かれてるんだし、
蓮如の活動の大半がそれより以後のことだからな 日本の城で、自然の湿地に囲まれていて接近が困難な難攻な城ってあったの? 本を読んでいて、山県有朋に関する内容で「山県は国民の人気がなかった」という
趣旨を何度も読んだことがある
山県はそこまで国民の人気がなかったのか
現代でいえば誰に当たるのか
菅直人みたいな感じかな
鳩山もあれだったけど、「ルーピー」とか言ってネタにするには面白い総理だったし 領主の城だと政庁を兼ねてるから不便な場所に作ることが異常なんだよな
詰めの城とか、政庁ではない戦争用の城だと山上とか不便な場所に作ることもあるんだけど。てか、戦国時代の城として知られてるヤツの多くが山城だしなあ
湿地に囲まれてるような低地の城だと、備中高松城やら鳥取城などが水攻めされたような感じでの水攻めが強く懸念される気がする
実際に水攻めされたことで知られてる城が湿地にあったかどうかまでは知らないけど、普通の平地の城より以上に水攻めの危険が大きそうな気がする 趣旨を何度も読んだことがある
異常なんだよな
気がする
あったかどうかまでは知らないけど
そうな気がする
↑ 文盲かコイツ >>528
趣旨はオレのと違うぞ別人だ。似てるからとか言って一緒にするな 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>514
皇太子殿下の系統は断絶するのでありえません。
仮に雅子様に親王がお産まれになった場合は秋篠宮殿下の皇位継承はなくなります 多文化共生社会に天皇制は不要です
愛子天皇を最後に男系相続を終わらせれば右翼も納得して天皇制が終わると思います ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています