歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ47
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歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/ 既得権益層、特権階級じゃない人で安倍政権を支持するのってパープーだろ 左翼はクリスマスを祝ってはいけません。ハッピーホリデーと言いなさい いい年して太鼓叩いたら政権変わると思ってるパヨさんw 大覚寺統の大覚寺とか持明院統の持明院って何ですか?
その系統の皇族がいらっしゃった寺院や御所の名前?
それともいらっしゃった土地の名前? >>542
現代と奈良時代の相似していますが
例えば女性皇族ばかり生まれる。仏教(道鏡・創価)が政治に対し強い。荘園(貧富の差)等々
次の平安(死刑存置・藤原氏全盛)の世の前触れになりますでしょうか? ローソクデモこそが至高
起源は半島だからロイヤリティを払えよ? 安倍陛下万歳、ボーナスアップ、株価上昇、貧乏人は貧しさをエンジョイしろ! >>549
大覚寺は真言宗大覚寺派大本山で時代劇の撮影によく使われる。元は嵯峨天皇の離宮だった。
鎌倉時代に後宇多法皇が再興し、ここで院政も行ったことから後宇多法皇の父亀山法皇の血統を
大覚寺統と呼ぶ。
持明院は鎮守府将軍藤原基頼が邸宅に建立した持仏堂に始まる。基頼の子通基は持明院を
拡充して安楽光院という寺院にし、家号を持明院とした。その邸宅は持明院殿と呼ばれる。
鎌倉時代の承久の乱の結果天皇になった後堀河天皇(10歳)は父守貞親王を太上天皇とし院政を
任せた。守貞親王は御高倉院と名乗り後堀河天皇の生母持明院棟子の実家である持明院殿で
院政を布き持明院宮と呼ばれた。守貞親王の系統が断絶した後も度々持明院統の御所となったので
持明院統と呼ぶ、らしい。 >>552
京都の大覚寺は知ってる
大覚寺統の大覚寺は京都の大覚寺から来てるの? >>554
サンクスです
自分の推測がだいたい合ってましたね >>532
優先順位が繰り下がるだけで継承権が消滅するわけじゃないでしょ
世襲宮家みたいな状態ではないの 熊襲も蝦夷も山岳民族じゃないと思う
日本で山岳民族が消滅したのはいつ頃?
なぜすぐに吸収されたの? 現在の皇統をあえて両統迭立風にいうと
千代田統と赤坂統みたいな感じ? >>558
差別されて社会的に排斥されて移住させられて
河原者などと呼ばれるようになった
強制的に同化を強いるこの島国の為政者のやり口は
昔から変わらない 両統迭立というのは、ふたつの皇統から交互に天皇を出すというものだ
つまり、仮に秋篠宮の子孫から天皇が出たあとで現皇太子の子孫からも天皇が出るという事態が起こらないかぎり迭立ではない
現行法のもとでは迭立は起こらないようになっているんだよ >>561
もちろんわかっていますが、仮に○○統って名付ける時に
現在ならどんな感じの名前が付くのかなってことです
住まいの場所でいうなら千代田統と赤坂統かなって 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>562
そうはならないという前提があるのにそんなことを考えてもしょうがないだろう。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 質問です
富岡製糸場は機織りまでやってたの?
それとも、あくまで糸をつくるまで? ちょっと教えて
近隣の神社の鳥居を計測して回りたい。
で柱幅などメジャー、直尺や差金で測れるものはよいのだけど、
高さや高いところの幅などはどうやって測るのが普通なのでしょうか。
レーザー距離計は安価なのはあるですがうまく測れません。ご存知の方がいましたらよろしくお願いします >>567
製糸場だから製糸までです。生糸は重要な輸出品になりました。 >>569
あ、やっぱりそうですよね
確認的な質問でしたが、どうもありがとうございました >>568
晴れた日に、自分と鳥居の影を測ればいんじゃねぃ?
自分の身長は知っているだろうから後は比を計算すれば良い。 >>571
当然に、宮司さん、氏子さん、行政担当課には伝えてあります。 >>572
ありがとうございます。やってみますね。
しかし意外と境内の地面は平でなく、大抵の参道は石敷きで他より数センチ高いです。
石仏など手が届く場合は直尺と差金2つで測っていますが、鳥居はレーザーで上面の高さが測れない。
そもそも鳥居はどこを測ればよいか。どなたか大学や博物館等で鳥居の調査をしたことがある方に、どこを測ったかとその理由をお聞きしたいです。 計測方法すら定まってないやつに計測許可出すんか
適当にも程があるな 鳥居なんて資金力で簡単に大きさ変わるのに、測って意味あるの? >>576
庚申塔や狛犬を調査したものは結構あるのだが、鳥居を調査したものが少なくてね‥。どうやって高さを測れば良いか専門家に聞こう思ってね ミリ単位の精度に拘るなら、ガラス製の尺を鳥居に沿わせて写真でも撮ったら? 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>578
>>579
なるほど!そうします。
どのみち土面から測るのでmm単位までは要らないですが誤差は10mmぐらいまでにしたいです。
>>581
いまどきの狛犬はほとんど中国製と聞きます。まさか鳥居は石工さんの手作りでしょうから、作った人に聞くのはもっともな話しです。石工さんからさまざまな話しも聞けるかもしれませんね。
ただ石造物の測定や銘文読みや調査は、カードの作成という目的もありますが、調査を実施した人々の記憶・知識に残すというメリットもあります。
発掘調査を業者へ出してしまうことが多くなった昨今ですが、発掘を自分の手で行うことが報告書をさいごまで仕上げるモチベーションになっているのではないかと思うこともあります。 狛犬が中国産なんじゃなくて石材が中国産なんでは?
最近の石像はコンピュータ制御の機械彫りで
まったく同じものを量産できるらしいな 1950年代くらいまでは麦飯や雑穀は白米よりずっと安かったのに
いつから価格が逆転したの? 江戸時代旗本に源を名乗る家があったと何処かで聞いたことがあるんですがご存知の方いませんか?
本姓ではなく苗字としてです 白村江の戦いって負けるの前提でわざと派遣した戦争なのかね
だとしたら天智天皇は極悪人だな 日本史学における論点や説がまとまってる本が知りたいです。よろしくお願いします。 なんで大族の出てで大臣みたいな高位のものなに、蘇我蝦夷は蝦夷みたいな禍々しい名前なの?
外国なら、アフリカ遠征での凱旋記念で綽名されたスキピオ・アフリカヌスとか、
父親が敵将テムジン・ウゲに対して戦勝した記念で出征中に生まれた子につけたジンギスカンの幼名のテムジンとか、
あるけれど、蘇我氏は経済が持ち分で、軍事にはあんまり関わってなかったから、蝦夷征伐に出たりもしてないのに。 >>591
悪くて強いものの名をつけて、あやかった、厄除けにした、との説
実は蝦夷、入鹿は死後に中大兄により付けられてしまったものとの説
推測しかない 蝦夷の父は馬子だし現代人の感覚で考えてはいかん。
小野妹子だって男だぞ。 >>591
基本的に>>592さんの言うとおりだけど、それに追加で
時代が古くなればなるほど、本名は伝わりにくくなる。
蘇我入鹿や蝦夷の本名も周りの人はほとんどわからなかったのでは
ないかな? 現代でもほんの2代前(じいちゃんばあちゃん世代)で
田舎暮らしだとけっこう野生生物の名前つけた人(女性含む)多いぞ
生命力をもらうとかそんなのだろ(適当
現代人ですらなくごく狭い自分一匹の感覚でしか無い >>591
通しで並べると、稲・馬・蝦夷・鹿だね
蝦夷だけ少し毛色が違う気はする
けみょうとじつみょうみたいなもんだったんかな? この四人はじつみょうが伝わってないのでけみょうしかわからない、とか? 干支をつけた名前はかなり多いですし、鮪とか鯨もいます。
ネーミングセンスが違うとしかいいようがありません。
確か糞という名もあったと思います。魔物が近づかないよう祈りをこめた名とか。 >>595
失脚したとはいえ、さすがに大臣にまで上り詰めていて、名前が残らんなんてあるんかいな?
しかも、蘇我氏は大化の改新て入鹿が失脚して謀殺されたとはいえ大族で、直後に類縁の蘇我倉山田石川麻呂が大臣に任じられてる 山田は領地から来てる。のちの名字みたいなもん。蘇我の倉山田の石川麻呂と分解できる。
倉がどこから来るのかはわからんが親父も倉麻呂なんだよね。 >>601
>名字みたいなもん
苗字に直すのを忘れた。 人麻呂、清麻呂など男子の名をつくる接尾辞
元は身分の上下に関わりなく使われた一人称
元NHKアナウンサー登坂淳一の愛称 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 小野妹子の子が毛人、東大寺建立に活躍した佐伯今毛人
ともに「エミシ」と読み、後者は「今蝦夷」という表記もあるようです。
「蝦夷」は中大兄がつけた悪い名というのは
当時の名をちゃんと調べもしない、単なる思いつきではないでしょうか。
人麻呂が失脚して「猿」と改名されたという説もそうですが
先に申したように干支の動物を付けた名はいくらでもありますから。 旧暦7月の異称のうちの1つの相月(あいづき、しょうげつ、そうげつ)の由来を教えてください。
よろしくお願いします。 浄土真宗の開祖は親鸞、二世は孫、三世はひ孫ですが、親鸞の子供はどういう扱いなのでしょうか?
開祖や二世、三世などを決定付けたのは三世の覚如ですが、自分の爺ちゃんは飛ばしたのですか?
それとも何か妥当な理由があるのでしょうか? >>610
結構、間が抜けてますやん
親鸞@ −−善鸞ーー如信A
|
−覚信尼−−覚恵−−覚如B−−従覚−−善如C− 善鸞は布教で関東に下り邪教に染まって親鸞から義絶された。一緒に下った如信は陸奥国で布教を続けた。
親鸞の死後、親鸞の末娘覚信尼とその子覚恵は陸奥国の如信に大谷廟堂の法灯を継ぐことを要請した。
だから如信が二世ということになる。如信はその後も陸奥で活動を続けた。親鸞の祥月忌の為に上洛した時に
覚恵・覚如はともに親鸞の教えを学んだ。覚如にしてみたら父覚恵から教わったわけではない。 >>603
もうちょっと後の時代、聖武天皇の時代、藤原四兄弟公卿の四男は、麻呂 って名前だけど。 【日本の起源】韓国古墳から埴輪が出土。古代日本は韓国による征服王朝だったことが明らかに
https://www.recordchina.co.jp/b674700-s0-c30-d0144.html
2018年12月26日、韓国の東亜日報は、朝鮮半島の遺跡で初めて、日本の古墳時代(3世紀中頃〜7世紀頃)を代表する遺物、
人物埴輪(はにわ)が出土したと報じた。
人物埴輪の形は鳥取県で出土したものに類似しているといい、
発掘調査を行っている全羅南道文化観光財団の全羅南道文化財研究所は「古代日韓関係史の
研究における新たな契機になる」と評している。 >>610,612
浄土真宗が始まった頃の仏教界には世襲という概念はなくて、法門の継承は血統ではなく師匠から弟子というのが基本だった。
だから当初の浄土真宗では親鸞の後継者は子孫ではなく弟子であり、当初の浄土真宗の本流は高田派だったと思われる。
本願寺の原型は親鸞の墓所を祀る大谷廟堂で、当初は寺院という形態ではなかった模様。
大谷廟堂を寺院として確立させた覚如が親鸞を初代、如信を2代目として本願寺の門流を作り上げたことではじまってるが、氏がどのような考えから代を数えたのかはよく分からない。 >>614-615
韓国に日本の豪族も住んでたって事だろ
日本の埴輪に先行する古い時代じゃなくて平行するんだから、韓国から渡ってきたとか考えられないだろ 浄土真宗の教義では何故神道のお祭りが駄目で
クリスマスはOKなのでしょうか?
親鸞聖人がそう言い残したのでしょうか? 頼むべき本尊は阿弥陀一佛なりと云へども、先祖の廟所として神祇へ拝するを妨ぐるにもあらず
真宗寺院に於いてキリスト生誕祭を行ふ事なしと聞く
在家の門徒、固よりいい加減なれば知らず 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 結論として、浄土真宗開祖親鸞と中興の祖蓮如の二人は有名だが、
覚如の役割もかなり大きかったと思われるし、覚如の名前がもっと知れ渡って
いとも不思議ではないと思った
親鸞と蓮如は一般的にも有名だが、覚如は一般的には知られていないね
門徒だが、自分も最近まで知らなかった 浄土真宗を教団として成立させたのは覚如だと言えるかも 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>627
高田派の原型の方に真宗の教団がすでに成立してたでしょ? 覚如の後はみな◯如になっているから影響力はでかいね
真宗本願寺派だけかも知れんけどね 皇室の◯仁、浄土真宗の◯如、みたいな伝統って他にも何かありますか? >>632
蜷川新右衛門が蜷川虎三の先祖であることは有名。 左右両撃ちの二刀流で鳴らした武蔵もまた蜷川新右衛門の末裔であった >>634
そういうのは通字と言います。武家社会では偉い人の諱から一文字拝領することがあります。
これを偏諱(かたいみな)と言います。その場合、偏諱を下にするのは失礼なのでそれを上にして
通字を下にします。鎌倉時代の足利氏は代々北条得宗家から偏諱をもらって
通字の「氏」は下にしていた。毛利家も大内氏とかから偏諱をもらって通字の「元」は下にしていた。
興元とか隆元とか輝元とか。元就は次男だったから偏諱を貰うことがなかったので「元」が上にくる。
足利将軍家の義◯。初代の尊氏までは代々◯氏なんだけどね。
毛利家の◯元。一番有名な元就は次男なんで例外。
他にも伊達氏の「宗」とか、今川氏の「氏」とか武田氏の「信」とかいっぱいあります。 >>638
サンクスです
634の例では○の方が偏諱、仁や如が通字ってことですね 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>639
>634の例では○の方が偏諱
その例はどっちも偏諱じゃないです。皇族は一番偉いので誰かから貰うということは無いんじゃないかなぁ。
断言はできないけど。偏諱の例は例えば江戸幕府の四代将軍家綱から弟である綱吉へ「綱」。五代将軍綱吉から
紀州藩の庶子吉宗へ「吉」。これらの例では綱吉も吉宗も家を継ぐ立場じゃないし御三家は通字がないから綱吉の
「吉」も吉宗の「宗」も誰かが選んだものです。 兄弟と言っても主従関係でもあるから、あるじたる家綱から臣である綱吉へ、だったのでは。
綱吉から吉宗の方は確実に主従関係ですよね
元就も興元の弟ではあるけど家臣として偏諱「元」をあたえられてたのでは?
朝倉氏も当主だけ二文字目が景でそれ以外の一門衆は一文字目が景ですけど、これも偏諱として与えられてたんじゃないの?
今川氏親の氏は伊勢長氏が烏帽子親になったことに起因するもので元々の通字ではなかったと思います >>642
>兄弟と言っても主従関係でもあるから、あるじたる家綱から臣である綱吉へ、だったのでは。
あ、もちろんその通りです。その他もご指摘通りかと思います。 1943年にエジプトのカイロで行われたカイロ会談でアメリカのルーズベルト大統領は蒋介石に対して「琉球を返す」と約束しているが、第二次世界大戦の敗戦国である日本が受諾したポツダム宣言第8条には「カイロ宣言の条項は履行されるべき。
又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に極限されなければならない」と書かれている。日本は「カイロ宣言の条項は履行されるべき」と書かれているポツダム宣言を受け入れているし、
そのポツダム宣言第8条には「日本の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に極限されなければならない」と書かれていて「日本の主権は沖縄にも及ぶ」とは書かれていない。
戦後、アメリカが日本に返したのは施政権であって、ポツダム宣言を見てもわかるようにアメリカをはじめとする連合国は沖縄に対する日本の領有権を認めていなかった。
この事実が証明しているように沖縄にはいまだに日本の主権が及んでいないことが分かる。 >>641
将軍家は一番偉いので誰かから貰うということは出来無くなり
新しく?通字を上にして下の字を偏諱用に使ったんじゃないかなぁ?
>>645
中華民国総統・陳水扁は、インタビューの中で中華人民共和国がカイロ宣言を根拠に台湾の領有を主張していることに対して、同宣言は
・時間と日付が記されていない
・3首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない
・そもそもコミュニケではなく、プレスリリース、声明書に過ぎない
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