邪馬台国四国説 part2
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円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土 (第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。) 後円部頂に、南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中に、内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。 石棺内から、滑石製臼玉28個・緑色凝灰岩製管玉1個が出土した。
原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。 県内2例目 筒形銅器出土 石井・山ノ神古墳/徳島
石井町教委は31日、2014年度から進めていた気延山の「山ノ神(やまのかみ)古墳」(同町石井)の発掘調査で、県内2例目の筒形銅器が出土したと発表した。 古墳は全長約56メートル、最大幅約30メートル、高さ6・7メートルに達し、前方後円墳としては、県内3番目の規模であることも分かった。
筒形銅器は円筒型で長さ11センチ、最大直径は2・7センチ。前方後円墳の築造後に加えられた円墳(直径14メートル)の周辺部から出土した。
やりの底の部分に飾りとして付けたり、祭事で楽器のような役割を果たしたりしたと推測される。 古墳の築造時期は、前方後円墳が大代古墳(鳴門市)と同じ4世紀後半ごろ、円墳は4世紀末とした。
県内で10基以上確認されている前方後円墳では、渋野丸山(徳島市)、愛宕山(板野町)の両古墳に次ぐ規模だった。 町教委などは「石井町周辺の古墳群の多様性が見られるとともに、気延山周辺の有力者が独自性を誇示した可能性もあり、興味深い」としている。
町教委は来年度以降、円墳に竪穴式石室などの埋葬施設がないか調査する方針。
本格調査は行われておらず、町教委は保存活用のため、2014年度から古墳の一部で発掘調査を行い、これまで形象埴輪の破片や鉄鎌と鉄斧(てっぷ)が出土した。 鮎喰川下流域で最古の古墳と考えられるのは, 名東町節句山 1・ 2号墳であり,
1号墳は石蓋盤棺で鉄製品 (飽 ?)のみの出土の点などからして, 弥生時代の墳墓の可能性が指摘されている。 2号墳は箱式石棺に 竪穴式石室をしつらえた埋葬施設を有し,棺及び石室内部から舶載の四獣鏡や
勾玉,鉄剣,鉄刀子, 鉄斧 ,鉄鎌などが検出されており, 3世紀末ないしは4世紀前半に位置づけられるとされている。 いずれにしても,節句山 1・ 2号墳が 日本の古墳発生を考える上での重要な鍵を握っている。 「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」 阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。 >>963
>県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
いわゆる、狗奴国(長国)である。 卑弥弓呼(狗奴国の男王)=素戔嗚。 竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。 鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。 住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。
石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。 さらにガラス玉や管玉など、稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。 県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。
17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。 県埋蔵文化財センターは「鍛冶炉を備えた住居跡が、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。 阿南市内原町 「国高山古墳」
県南部唯一の前方後円墳。 墳丘には葺石と円筒埴輪が伴う。 墳丘の中央に結晶片岩による竪穴式石槨が設置されていた。
規模は長さ8m、最大幅1.2mと長大なもので、その大きさは県内でも最大である。 石槨内から銅鏡・石製刀子・土製勾玉・鉄槍・手斧・鉄鏃・大刀・短甲片などが出土している。
遺物などから、4世紀後半に築造されたと考えられる。 それまで古墳の作られていなかった地域に突如として現れることや、同時期に同じ規模の前方後円墳が各地に現れることなど、当時の社会状況を考える際に重要な遺跡である。 「国高山古墳」の副葬品 : 内行花文鏡、 長方板皮綴短甲、 鉄鏃(鳥舌鏃)、 鉄剣、 鉄槍、 石製鞘入刀子、 滑石製勾玉、 鋤先、 鉄製釣針ほか。 以前は前方後円墳といわれていたが、径20〜25mの円墳と訂正されている。 埋葬部もほとんど消滅していたが、礫敷きの粘土槨に割竹形木棺があると考えられている。 副葬品 : 舶載斜縁二神二獣鏡片 ・ 鉄剣 ・ 鉄槍 ・ 鉄鏃 ・ 2号墓および4号墓には中国貴州省産の水銀朱が使用されていた。 「天河別神社古墳群」
「広報なると2005」より引用。
天河別神社古墳群1号墳 県内最古の古墳を確認 市教育委員会では県指定史跡である天河別神社古墳群1号墳の二次発掘調査を今年7月から行った結果、墳丘墓の特徴を残す県内最古の古墳であることがわかりました。 尾根上に青石を多用し石室を築造
鳴門市大津町から板野郡板野町にかけての阿讃山脈からのびる尾根には、弥生時代末期から古墳時代前期の墳丘墓や古墳が数多くみられます。
天河別神社古墳群は、この地域の中央部にあたる大麻町池谷の低い尾根上に築造されています。 天河別神社古墳群1号墳は、以前の調査で存在が確認された11基の古墳のうちのひとつで、
天河別神社本殿の背後にある直径約25m、高さ3.5m、幅4mの周壕(堀)をもつ円墳です。 昨年の調査の結果、石室には吉野川南岸で採取される結晶片岩(青石)が使われていることがわかりました。
当時、天河別神社古墳群周辺には入り江が入り込み、この石材は吉野川南岸の地域から船で運ばれてきたと考えられます。 石室は古墳の中心部に良好な状態で残っており、内側の大きさは、南北に約4.9m、東西に約1.1mで高さは約1.2m。
被葬者は、頭を北側に向けて埋葬されていたと考えられます。 古墳の構造は、墳丘の上半分が頂部を平坦に削りだした後、墓壙(墓穴)を堀り、
平坦面から上部は盛り土を施した後に内部を被覆土で充てんしています。 墓壙の平坦面の上には石室が築かれています。
石室の底(床面)の下部構造は一番下に、断面が台形状の土の「基台」があり、それを覆い隠すように粘土に小ぶりの川原石を混ぜた礫混粘土をはり付けて、「礫床」をつくっていました。 その上の棺を置くため粘土棺床は約40cmと厚く、2回に分けられて、はられていました。
その上には、やや大きめの河原石を使った礫混粘土が積み上げられ「礫混粘土帯」ができていました。 上部構造としては、礫混粘土帯の上に結晶片岩(青石)の「板石積み」の側壁があり、側壁はやや内側に傾斜を持たせながら積み上げられ、持ち送り状に積まれていました。また、
側壁の外には結晶片岩と砂岩でできた石囲いが石室を囲んでおり、二重構造になっています。 石囲いに接する西側には「板石敷き遺構」が見つかりました。
天井は石室上面の配石状況の高さから木のふたによって閉じられていたことが想定されます。
木棺や遺骨などはすでに腐食してしまい見つかりませんでしたが、石室内からは鉄剣と古墳時代最初期に作られたとみられる土器の破片が見つかっています。 これまでは平成12年に発掘調査された大麻町大谷の西山谷2号墳が県内最古の古墳であり、国内最古級であるとされてきました。
しかし天河別神社1号墳は(1)西山谷2号墳では一部しか見られなかった石室側壁の二重構造が石室を全周していること
(2)副葬品が少ないことなどから、さらに数十年古い3世紀後半に築かれたものであると推定されています。 また、この2例の築造年代は土器の破片などから近畿地方で見られる同様の竪穴式石室よりも古い時代であることがわかってきました。
これは近畿地方の竪穴式石室の起源が現在の徳島県と香川県にあたる阿讃地域にあるとする仮説を裏付ける発見であると考えられています。 「矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落」
弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。
この鉄鏃は弥生時代の終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。 おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。
http://inoues.net/club5/4kokureikai_yanoiseki.html 「樋口遺跡発掘調査概要」
樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり、眉山南側の数少ない集落遺跡として注目される遺跡である。
今回の調査で出土した遺物としては、土師器(広口壺・二重口縁壺・小型丸底壺・小型丸底鉢・高杯)・須恵器・瓦器・青磁・管状上錘・鉄鏃
・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。 倭国(阿波)では、古墳からだけではなく、集落遺跡からも鉄鏃が出土する。 鉄器王国 倭国(阿波)
矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落
樋口遺跡 弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡 「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」 北部九州の鍛冶炉の定着と時期を置かず、徳島市矢野遺跡では規模・構造ともに北部九州に劣ることのないT類鍛冶炉による鉄器製作が確認される。
類似施設は徳島市名東遺跡・鳴門市光勝院寺内遺跡・拝原東遺跡・芝遺跡にも認められる。
先進技術のいち早い導入は吉野川下流域の特徴である。 畿内第V様式土器はあくまで、厚型重量弥生式土器。
弥生第X様式と同期の「東阿波型土器(軽量小型丸底土器)」は、企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。
庄内式も企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴。
「東阿波型土器(軽量薄型小型丸底土器)」製法の拡散は、推して知るべし。 このスレッドは1000を超えました。
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