天智朝と天武朝
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>>653の補足資料
一方の日本(倭国)の文字文化はというと、魏志倭人伝には次のような記述があり、
この時代に既に倭国は文字による外交や政治を行っていたことが理解できます。
「文書・賜遣の物を伝送して女王に詣らしめ」、
「詔書して倭の女王に報じていわく、親魏倭王卑弥呼に制詔す。」、
「今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し」、
「銀印青綬を仮し」、
「詔書・印綬を奉じて、倭国に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔をもたらし」、
「倭王、使によって上表し、詔恩を答謝す。」、
「因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄を為(つく)りてこれを告喩す。」、
「檄を以て壹与を告喩す。」
このように魏志倭人伝には繰り返し後漢や魏から詔・詔書が出され、印綬が下賜されたことが記され、
それに対して倭国からは「上表」文が出されています。
従って、弥生時代の倭国は詔書や印に記された文字を理解し、上表文を書くこともできたと断言できるのです。
おそらく日本列島内で最も早く文字(漢字)を受容し、外交・政治に利用していたことに疑いの余地はありません。
よって日本列島内で弥生時代の遺跡や遺物から最も「文字」の痕跡が出現する地域が女王国(邪馬壹国)の
最有力候補と考えるのが、理性的・学問的態度であり、学問的仮説である学説に値します。
筑前中域には次のような文字文化受容の痕跡である遺物が出土しています。
志賀島の金印「漢委奴国王」(57年)、
室見川の銘版「高暘左 王作永宮齊鬲 延光四年五」(125年)、
井原・平原出土の銘文を持つ漢式鏡多数
これらに代表されるように、日本列島内の弥生遺跡中、最も濃厚な文字文化の痕跡を有すのは筑前中域であり、
この地域を邪馬壹国に比定すべきとの結論に至らざるを得ません。 どれどれ
えー書き込んで来いということなので
あしからず 旧唐書 劉仁軌の条「扶餘勇者,扶餘隆之弟也,是時走在倭國,以為扶餘豐之應」 百済三書に関して、
>日本書紀の権威付けのために日本書紀編纂者が創作した文献であり、
>実在はしていなかったとするのが現在の定説です。
定説と言うけど具体的に誰が実在しないと言ってるの誰かが不明
実在したと言う学者は多いけどね 但し、天皇とか日本の事を貴国と記述しているところから編纂は百済滅亡以降だろうね 書紀皇極紀「今年正月、國主母薨。又弟王子兒翹岐及其母妹女子四人、內佐平岐味、有高名之人卌餘、被放於嶋。」 倭国にいた豊と善光について、豊は半島に戻ったが、善光には半島に戻った渡航歴がない。
勇は「走在倭国」で白村江のとき半島にいて、敗戦で倭国に来た。3人は別人物。 古代の日本史の話は
トンデモ説が広まっているんで、うんざりする。
まともで、真面目な話が出来なくなる。 >>668
漢文をちゃんと読めるようになってから出直そうな朝鮮ヒトモドキ >>668を否定せよ。すなわち扶餘勇=百済王氏=善光を証明せよ。 おそらく前スレのこの人じゃないかと思うけど、百済義慈王が日本に居た とか書いてた人と同じなのかな
↓
天智・天武・壬申の乱などの雑談スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1346324070/475
最後の4行だけは全面的に同意する >>675
チョンコのトンスルファンタジーに反応しちゃ駄目
お前まで糞尿臭くなってしまうよ >>672
中の8行を同意すると言わないのはなぜ? >>668のつづき
扶余勇・善光は英語版Wikipediaのとおり別人物である。
善光は難波に収まったことは書紀にでている。扶余家として、勇>善光。
扶余勇を書紀が書き漏らすわけがない。さて、誰なのか、考えてみよう。 >>680
善光しかいないだろマヌケ
チョンコロ妄想は百済スレでやれ >>680のつづき
王家の中での王族・貴族の序列は厳しい。
下位の者が上位のものを凌ぐのは革命的行為で大騒乱。
そんな中で善光が難波を治めたなら、格上の扶余勇が治めるのは国でしかない。 >>684
トンスル誤読だぞ
とにかく漢文を勉強しろ
話はそれからだ >>684のつづき
白村江の敗戦で百済貴族は第2階級だけで50余名わたってきたことがわかっている。
全16階級だから推して知るべし。その大将が扶余勇。
九州の大宰府を中心に陣取り、朝鮮山城を作り、51kmの羅城を作り、水城をつくり、政権を持った。
書紀では天智天皇が百済貴族に命じたと書いてあるから、扶余勇を天智天皇と後から命名したのだった。
日本史をやりなおそう。 >>686
ウリナラファンタジーで精神勝利してないで、もっと仕事を頑張れ
人から社会から必要とされる人材を目指せ
いつまで鼻で笑われる人生のままで居るつもりだよ?
お母さんも泣いてるぞ ┏━━┓ ,, -──- 、._ ┏━┓┏━┓┏━┓
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:/ :⊂ノ|: >>686で天智が誰かはわかっただろうが、天武が誰かは天智ほどは簡単でない。
少しさかのぼるが、孝徳就任4年前に百済から扶餘翹岐が母、妹、高名な人40人余りとともに来ている。たいした陣容だ。
この消息が突然消えるのだ。そのあと、入鹿の暗殺があって、孝徳が就任し、前期難波宮を作る。
この前期難波宮と立地・サイズで酷似するのが翹岐の親の百済武王の宮殿だ。
明日香の宮殿は内裏が無く、政務も豪族が行っていたので、小さいものだったようだ。
前期難波宮は突然びっくりするものが現れた。書紀にも「譬えようがない」と書かれている。
倭人とは文化が違ったのだ。孝徳=翹岐なのだ。(続く) >>690
トンスルファンタジーはトンスルスレでやれよ
ここは歴史を語る場所だから >>690につづく
書紀は孝徳即位前後で、皇極の譲位・重祚・斉明の客死・天智称制など皇統が激動している。
何かがあった証拠なのであって、皇統は書紀のいう通りではないことを示している。
皇極の譲位の理由はなく、王が客死も軽々しく、天智称制のときはなぜか王がいない。
最も常識的に、孝徳の子供が(翹岐には子供がいた)孝徳の後を継いだ(大海人)とすることで、すべてが氷解する。
皇極の重祚はなく、斉明(明日香王)の客死は将軍としての派遣の結果であった。
扶余勇と大海人は扶余家の従兄弟にあたり、扶余家を守るために大海人は扶余勇に従った。
ゆえに扶余勇(天智)は倭国を支配できた。
天智称制は扶余勇の兄の扶余豊(百済王)が高句麗にいたので、王にはなれなかったということ。
扶余豊が唐に捉えられたころ、扶余勇(天智)は即位している。 >>690
は?天智天皇は舒明と皇極の子m中大兄皇子
チョンコロの可能性は皆無だぞ無能ヒトモドキ >>693につづく
古事記に撰録したとあったことをなぜ日本史は見逃したり、古事記の序は後世の作だとごまかしたりするのだろう。
ひとつでも真実があらわれると、あいまいにすることによって保たれている皇統の神聖化が崩れるからだ。
何が真実であったかはこのレスを前にたどればわかる。
私は何も捏造していない、史書からこうとしか考えられないのだ。
だから、天智・天武を語るなら、まず半島から出てきた人物であるかどうかを確認すべきだといっている。 ┏┓ ┏━━━┓ ┏━━┓ ┏┓┏┓ ┏┓
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三三)/) 天智の正体は我らがプヨ勇ニダッ
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/ ../)とにかくウリたちが起源ニダ♪ ../)
三三)/) ∧_,,∧ ∧_,,∧ 三三)/)プヨは偉大ニダ
三三)/ < `∀´> <`∀´ ;> 三三)/ 百済もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と φ) (つ φ) ∧_,,∧ 新羅もウリナラ
< #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#> / ../)
/ _∧_,,∧口 ∧_,,∧ ⌒ φと_ ヽ 三三)/)
(/< `>口 < #>φ/⌒//(__ム 三三)/)
‖ ̄(l ノ  ̄( ノ ̄ ̄ ̄|| 三三)/
__`ー‐' ニダ `ー‐' 墓誌にしか書いてないけど
/ ../) __ 百済は辰王朝の末裔ニダ!
三三)/) / ../)
三三)/) 三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/ 三三)/ ⊂⌒< `∀´>
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒⌒ 無能ヒトモドキの現れるところにAAウヨも必ず現れる法則 英一郎クンの得意技=カビの生えたAA連投コーゲキw
当人の脳みそもカビだらけ
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| チョンコの中にも善と悪があると |
| 信じていたんだ |
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| いい人間と悪いチョンが |
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(⌒ーヘ ´'゙゙ ,,, '" / | すべてクズだった |
:.\ ー' ,.: / \____________/ 朝鮮ヒトモドキ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
無能ヒトモドキ視点からの古代(誇大)史妄想
https://sites.google.com/view/jhistory/
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(´\r-、 + /`/`) +
┼ (\. \! * // ,/) *
+ * (ヽ、 \ / /) +
⊂ニ ) + ( ニ⊃ *
* + ⊂、 全戦 ( ノ 完敗 ⊃ + *
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+ (/ |<*`∀´*>| 、)ヽ) + ┼ *
* (/' 〉 〈./、)、)´ + *
し――-J >>705
そういうファンタジーとか
トンデモは
オカルト板でやってくれ。 >>707
チョンコは時代劇風ファンタジードラマを観て育つから史実とフィクションの区別がつかないんだってさ
だから完敗してても完敗したと気づけない >>707
>>708
では、扶余勇(≠善光)は倭国でどうなったのか述べよ。 【捏造中】 トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
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三三)/) 天智の正体は我らがプヨ勇ニダッ
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三三)/) ∧_,,∧ ∧_,,∧ 三三)/)プヨは偉大ニダ
三三)/ < `∀´> <`∀´ ;> 三三)/ 百済もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と φ) (つ φ) ∧_,,∧ 新羅もウリナラ
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/ ../) __ 百済は辰王朝の末裔ニダ!
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三三)/) 三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/ 三三)/ ⊂⌒< `∀´>
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒⌒ >>711
本名が扶余勇で善光が通り名。
同一人物を別人だと妄想する話に対してどうなったのか述べよと言われても、はぁ?何言ってんだよ糞チョンコとしか思えない。 奈良時代の皇室は
天武系だと思われがちだけど
二人の女性天皇は男系で見ると天智系だったことから
別に天武系だけが皇族ではなかった。
天智系の男系男子をみても、
川島皇子、志岐皇子は、皇位継承候補の末席にはいたし。
だからこそ、光仁天皇の即位も可能だった。 奈良時代は持統天皇の草壁皇子系統以外に
皇位を渡さないと言う強い意思が貫かれていた
光仁が即位出来たのは女系で草壁系統と繋がっていたから >>713にはこのあたりの歴史を知ってほしい。
善光は白村江に行った経歴がない。半島に帰ったのは書紀により豊のみ。
善光を残したのは百済が全滅した場合でも王統を絶やさぬため。 このすれは、
天智系とか天武系の話なのに
関係ない話まみれ。
うんざりする。 皇別氏族見ても
天智系と天武系は平安期以降も大活躍したね。 天智と天武の過去を知らねば、天智系も天武系もない。よく議論できるな? 天武系がなぜ途絶えさせられたのか?
蘇我氏の残党だと思われてからじゃないのかな? 戦前も戦後も、日本の古代史研究は無茶苦茶。
文献が少ない時代なので
研究が停滞していたのは仕方がないとは思うが。。。 >>716
お前は人並みの口を利く前に正確に漢文を読めるようになってほしい。 天武系統が皇統を失ったのは、聖武や孝謙が草壁系統以外の天武系統を迫害したから
(元明や元正の時代はそこまで露骨ではなかったが)
結局、天武系統は内部対立で皇統を永遠に失ったと言える >>729
だいたい豪族とかも内部対立で滅んだことになってるけど、結構怪しいと言えば怪しいけどね
そんなに同族で争う物だろうかという 天智系の男系は大友皇子、川嶋皇子、志貴皇子の三系統だったのと
皇位から遠いので内部対立が起こらなかったのが大きい
そして志貴皇子の子である白壁王が即位して光仁天皇となった まったく馬鹿としか言いようがない。
知識がそれしかないのだから、どうしようもない。 天武系は皇統からは外れたが
その男系子孫は比較的に繁栄したほうだよ。
清原氏、高階氏、文屋氏など。
天智系も、白壁系が皇統になり
そこから、平氏、源氏、在原氏などが起こったが
実はそれ以前に分かれた家系からも、
春原氏のように社家として繁栄した一族がいる。
天智系全体で見たら、春原氏、淡海氏などのほうが嫡流。
でも、白壁系は、天武系嫡流との姻戚関係によって
皇統嫡流の地位を手に入れた。 通説では天智(中大兄皇子)と天武(大海人皇子)は同父同母兄弟
少数説では天智(中大兄皇子)と天武(大海人皇子=漢皇子)は異父兄弟
それ以外の説は基本的に電波だと思われる 天智と天武は扶余家の従兄弟。
講義してやったのに馬耳東風。 >>750
ちょw 笑わせんでwww
講義だってwwwww
見たくもないトンスルファンタジー見せられて
ヘドが出そうだから消えろよゴミチョンコwwwwwwwwww >>750
そういうトンデモ、相手にするのだけバカらしいんだけど。。。
天智系も天武系も、
後世に大量に男系子孫を残したので
現在の日本人にそのY染色体の遺伝子が多く残っているんだよ。
だから、彼らの出自を特定するのは難しくない。
そこから導き出される事実では
百済系説なんて、日ユ同祖論と同じくらいのトンデモ説だと分かっている。 >>752
まだ日ユ同祖論のほうが文化的痕跡などから可能性があるくらいだよな(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています