補足
天武天皇の皇子の中で尊という敬称が付いたのは草壁皇子と高市皇子だけ
草壁皇子と高市皇子の最終位階は同じ
草壁皇子は皇太子で高市皇子は太政大臣
懐風藻によると、高市皇子没後に皇位継承に関する会議が天智・天武の皇子
皇孫の間で行われて、文武の立太子が決まったこと
逆に言えば高市皇子の死去がなければ、文武の立太子がなかったと考えられる