昔の子どもたちはどんなふうに文字を習ったのか。
女子の場合だが、以下のような資料がある。
山川菊栄の「武家の娘」という本  水戸藩の武士の娘の回想録

水戸では女の子は満六歳になると手習いのお師匠さんに弟子入りした。
武家の娘は当然の教養だったし、町人の娘も、女中奉公などを
目指している場合は読み書きができなければならないからである。
水戸藩では、藩士の娘と同心や町人の娘とでは教室が違った。
(ここはよく分からないが、教わる師匠自体が別だったのだろう。
なお水戸の御城下なので百姓はいない)。
同心の娘は町人の娘と同じ教室というところは面白い。
水戸では同心は武家扱いではなかったということである。

朝、早く行くのが競争のようになっていて、朝ご飯が済むとすぐに家を出る。
夏は朝霧の中を、冬は霜柱を踏んで出かけていった。
お師匠さんは下級武士の妻だった。その人は能筆で知られていて、
頼まれて師匠をしていたのである。
子持ちの主婦なので、いつも教室にいるわけではなく、手本を書いてあてがい、
娘たちは紙が真っ黒になるまで練習し、ときどき清書して出す。
それがよければ次の手本をもらうという具合だった。

習った内容は、最初は「いろは」、次に女大学などの女訓書で、字の練習だけ
ではなく、文章を読む練習にもなったし、修身の勉強的な意味もあった。
「大名づくし」という大名の苗字を並べた手本もあって、娘たちは社会科的な
知識も得たのである。