華族についてpart11
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明治2年の版籍奉還と同日に
堂上家136家、諸侯248家、堂上格28家、藩主格15家の
合計427家が華族と称される。
明治17年には華族令が宮内省より通達されて、
公、侯、伯、子、男の五爵の格付けが行われる。
以降の授爵者を大別すれば、
旧華族として公家華族(堂上、堂上格)と武家華族(藩主、藩主格)、
新華族として賜姓降下華族、奈良還俗華族、神官華族、分家華族、勲功華族となる。
年を経る毎に華族は増え続けて、
新憲法により華族制度が廃止された昭和22年5月には913家に達した。
前スレ
華族についてpart10
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1285693351/ 前田利為は四日市前田家の五男で加賀前田宗家の養子相続。
まあ、これは同族だからお家乗っ取りではないだろうけど、
兄弟間で家格の違いとかで複雑な感情とかはないだろうか?
名門の養子になって家督相続することを考えると、
長男よりも次男三男の方が美味しい立場なのかも。 公家華族だけは残しておきたかったね。
野武士や乞食坊主や足軽の子孫は要らないけどね。 >>4
近衛文麿の息子がシベリアで死んだから細川にとついだ娘の子をもらった
であってるはず >>5
大名の方が、あらかたの堂上家よりよほど貴族らしい実態があったんだが。
よく言われる野武士や足軽あがりは意外と少ないぞ。
そういう連中はたいてい近世初期の改易ラッシュで消えてるし。
元は成り上がりだろうが、江戸260年を諸侯として続いたら、れっきとした名門。
イギリス貴族だって大半は19世紀以降の軍人や資本家からの新興貴族だぞ。 >>7
勲功も上位の陪臣クラスが半数以上だもんな
江戸時代官僚としてやってきたエリート一族はなんだかんだで強い 大名家には鎌倉・室町以来の守護や御家人の流れをくむ家も少なくない。
外様の島津、細川、佐竹や譜代の小笠原など。
守護代だった長尾上杉だって家系がはっきりしてる上、血筋は吉良になっている。
徳川がダメなら、欧州のベルナドッテやボナパルトは論外になるぞ。 イギリスのチャーチル元首相は
創立から200年続く貴族の出だったのに
成り上がり者扱いされた
故酒井美意子さんは、本物のお嬢様の条件として
「最低10代、先祖をさかのぼれる名門であること」
を挙げていた
やはり、300年続いた徳川なら、名門として十分といえるだろう。 >>10
ばら戦争の貴族共食いと、独仏などに比べて元々貴族家系の少ないイギリスは、
19世紀に大量に新規の授爵が行われるまで貴族が少なかった。
だからマールバラ公爵家より歴史の浅い貴族の方が圧倒的に多いのにな。 推理作家のロード・ダンセイニは男爵(「二瓶のソース」など)
バロネス・オルツィは女男爵(「隅の老人」など) 黒田清子
松平充子
山階宮常子
徳川知子
久松貞子
久邇宮俔子
徳川正子
徳川為子 徳川恆孝氏は旭日大綬章あたり受章しないのだろうか
徳川家達は大勲位菊花大綬章、徳川家正は勲一等旭日大綬章を受章
近衞忠W氏は2018年4月の春の叙勲で旭日大綬章を受章 >>9
小笠原一族の一人が武田家に仕え、所領の村の名を名字としたのが我が一族
いまや生活保護をうけておる 徳川家正と松平恆雄は貴族院議長や参議院議長まで務めたのに
桐花大綬章を授与されなかったんだな 尾張徳川家はなんで同族から婿養子を取らずに
堀田家(男系は鍋島家)から養子を迎えたんだ? 5
なんで?
そんなやつら皆殺しでもいいぞマジ
てめえみたいなんがいるからな 鍋島家の男系は少弐氏だけど
祖先の武藤資頼の出自が不詳
松平家の徳阿弥と並んで謎の人物 華族だろ
表現ですでに終わったよ
シナのパクリだろこれ
まったくのアホだよ >>22
所詮は成り上がり大名だからな
黒田や田沼と一緒 今の一夫一妻制で摘流で繋いでるのは凄いと思う。彦根井伊氏とか男系は事実上の断絶してるのに。 岡山池田(侯爵)は断絶した
鳥取池田(侯爵)も断絶予定 柏原藩子爵家の織田信孝が「スケートの信成は偽子孫」て言うが
お前も信長の子孫じゃないだろって言われてたな
天童の織田は女系でかろうじて信長子孫 信長「織田家の先祖は平資盛公じゃ」
秀吉「余は天子様のご落胤である」
家康「徳川家の先祖は清和源氏の名門新田家じゃ」
島津「島津家の先祖は源頼朝公じゃ」
家柄を「脚色」することが日本の美しき伝統だから 名門の養子になって家督相続することを考えると
長男よりも次男三男の方が美味しい立場なのかも でも、御家断絶を免れれば、家臣団は維持できるのでリスクヘッジにはなる。姫を正室にしてお世継ぎを産むことも不可能ではないこともあって、選択されてきた。 上杉伯爵家は今でも館山城(米沢城の支城)を私有地にしている。
(石垣と遺構しかないけど) 松平は源氏じゃなく賀茂氏とちがうか
方丈記の鴨長明(分家なので賀茂でなく鴨姓)と同族。 >>40
これのこと?
徳川家広氏、245万円の借金踏み倒した挙句、勘当された父親に払ってもらっていた(静岡・参院) 国家議員なんて市長時代の井伊や参院時代の鍋島くらいの地元の実力者じゃないと難しいでしょ 21世紀の惑星探査機に
大日本帝国の飛行戦闘隊の名前を付けてしまう
上杉家も右すぎてヤバいだろ >>48
尾張の義親氏なんか日本社会党の委員長候補だった。公職追放で頓挫したが。
有馬頼寧氏も同じ。 立民全然選挙準備できてないのに家広氏立てたから落ちるな >>39
松平=徳川が葵紋を家紋として使用
もともと葵(双葉葵)紋は上賀茂、下鴨神社の神紋で
神官の賀茂氏が使っていたことから出た説
松平がいつから葵の家紋を使いだしたかなぜ使っているかは不明
だいたい菊の家紋も現在は天皇家のものだと思われているが
もともと菊紋はいろんな氏族が使ってたからな 家広氏の選挙ポスターに「容保公が泣いている」と落書きされたらしい。 >>62
明治天皇の皇女と結婚して女性宮家を設立した
竹田宮や東久邇宮などの例もあるね >>64
宮家当主より皇女である妻のほうが身分が上で
当主はすねちゃいました 女性宮家じゃなかったら華族(伯爵)だったのだから
皇女様に頭は上がらなかっただろうね しょうがないとはいえまあ妻の方が立場が上なのは夫の面子は傷つくわな 版籍奉還で大名や公家が華族になってから公候伯子男が決まるまで
「差」のようなものはどう表されていたのですか? 徳川恒孝氏は徳川宗家の当主だけど男系では会津松平家の分家で無爵位の平民だから、
旧華族の直系子孫だけに参加が許される霞会館の会員にはなれないのか。
細川護煕氏や近衛忠W氏は細川侯爵家の子孫だから会員になれるけど。 祇園祭の先祭り巡行で一條のご当主が裃着て
函谷鉾に随行してたよ。 近衞忠?は細川護貞の次男で近衞家の養子
徳川恆孝は松平一郎の次男で徳川宗家の養子
2人とも実家より格上の当主ですごく美味しい立場だと思う。 >>76
徳川義親も松平春嶽の末息子として越前松平家に生まれ
後に大名家最高の家格を誇る尾張徳川家の当主になった 今晩の歴史ヒストリアは「林忠崇」だ。
自身は叙爵してないみたいだが。 >>74
落選したバカボンも松平のままだったら選挙には出られなかっただろうな
女系の養子で徳川を名乗れる血筋じゃないのに
自分は世が世なら殿様なんだぞとか思ってそう
懲りずにまた選挙に出るつもりかな 名家の子孫みたいなん?
腐れ芸人ら始末してくれたら投票するよ(°▽°) 大山町に400坪の邸宅だからな相続税とかすごいだろうな
今も住んでるってことは祖父の家正から相続したんだな
あれだけの豪邸に住んでるのは流石は徳川宗家って感じだな 田舎もんだから分からんけど大山町って東京の人からしたらどんな感じのとこ? 徳川のアホボンより、鍋島アナが出馬した方がまだ可能性あったわ >>85
父親で現当主の徳川恒孝が住んでるところで家広は今は住んでないだろ
恒孝は徳川家の遺産が相続税で分散するのを恐れて徳川記念財団を設立
家も土地も徳川家歴代の遺物もすべて財団名義にした
このため財団が存続する限り当主が入れ替わっても相続税はかからない
水戸徳川家や尾張徳川家も財団を設立している >>90
家広が住んでるとは一言も書いてないけど?
祖父の家正と書いているんだから恒孝の話 >>94
なんかムカつくなコイツ
仏罰当たって死ね!
南無妙法蓮華経 >>96
なんかムカつくなコイツ
仏罰当たって死ね!
南無妙法蓮華経 公家出身の興福寺の僧とか、浄土真宗の名門とかは、華族になれたけど、日蓮宗寺院からは誰も華族になれなかったから僻んでるのか?
日蓮宗関係で一番の出世は家康側室の於万の方だろう。於万は熱烈な日蓮宗信者として有名。於万の血脈が紀州藩と水戸藩で、今の徳川家関係者のほとんどの祖だから、徳川公爵家3家(宗家、慶喜家、水戸家)は全て於万の血筋。 >>93
徳川財団の持ち物だから住んでないよ
家正は相続できないし >>85
戦後の華族廃止で徳川宗家は
家達以来の千駄ヶ谷御殿を収公されている
大山町はもともと尾張徳川家の御殿があったところだけど
家正はどうやって手に入れたんだろ >>101
恒雄は松平容保の六男坊
普通に兄たちがいたから
会津松平家は松平容保の長男・松平容大が相続
しかし容大と鞆子(徳川慶喜の弟武聰の娘)夫妻には子がなかったため
弟で容保七男の松平保男が養子となり会津松平家を継いだ
現在も会津松平家は保男の血統(保男の孫・保久が現当主) >>103
千駄ヶ谷の徳川邸は戦前に東京市に売却してるから戦後に接収されたわけではない。
あと尾張徳川家は目白だから大山町にはない。 >>104
なぜ恆雄ではなく弟の保男が継いだのかという意味 >>107
保男は容大の同母弟だけど
恒雄は容大の異母弟だからじゃないの 嫡出と庶出で差はあっても、
庶出の間では基本的には無い。 徳川昭武は18男なのに水戸家を継いだ
母親は側室たちの中では身分が高い >>111
江戸時代は江戸幕府が大名の家督相続者を決めており
長幼の列が厳格だったから庶子同士なら年齢順だったが
すでに明治時代のため養子縁組は個人の自由
容大が同母と異母の弟のうち誰を養子とするかといった場合
同母を選ぶのは不思議ではない 徳川将軍家は15代慶喜で終わったのに
駿府70万石の家達が16代を名乗るのはおかしいよな
名乗るなら家達家か駿府徳川家だろ 徳川将軍家は15代慶喜で終わったのに
駿府70万石の家達が徳川宗家を名乗るのはおかしいよな
名乗るなら家達家か駿府徳川家だろ 他に宗家を名乗ってる家なんてあるか?
足利宗家とか 徳川も宗家ではあるが
家名として宗家を名乗っているわけではない
和泉元彌の母親は宗家を連呼してたな >>114
徳川宗家、紀州徳川家、徳川慶喜家は養子をとる意向がないと表明している
恒孝は子供の頃に18代宗家である徳川家正の養子に入り
養父母となる母方の祖父家正と祖母正子夫妻の自宅で育てられた
恒忠か恒和に子供がいたとしても家広が50代なのだから
同じくらいか年上の可能性もある(恒忠は恒孝の兄のため)
そもそも養子縁組なしで勝手に徳川宗家名乗っていいのか >>126
紀州家や慶喜家はそうだがいつ徳川宗家が養子をとる意向がないと表明した? >>127
ベトナム人の奥さんが養子とって育てんだろ >>128
徳川宗家がいつ養子を取らないと表明したの? そいつの描いてるのはただのデマだから相手にする必要はない。 >>132
徳川宗家がいつ養子を取らないと表明したの? 小さい時から育てなくても養子縁組みはできるでしょう。
そもそも宗家とかいうのは法律上のものでもないので、養子縁組しなくても宗家の当主が「譲った」と宣言するだけで良いのでは? >>137
今は徳川宗家になっても大してメリットないので
宗家が絶えた際には是非とも養子入りしてなりたいと言う人もいないと思う もう紀州徳川家や徳川慶喜家のように自発的に断絶でいいと思う 徳川も水戸以外は女系だし
馬の骨みたいなのが養子に入って●代目当主です
とか言われても血筋的には断絶であって
価値もないわ >>143
宗家、田安家、一橋家、清水家は男系
紀州家、尾張家、松戸家が女系 >>143
女系って言っても、家康の男系子孫だろ?
あと宗家や御三家レベルだったら、家宝などを含めて財団法人にしているだろうし、職と名誉には困らなさそうじゃない? >>143
この低能は女系をどんな意味で使ってるんだ 徳川家正の女系の孫で同族の松平一郎の息子を養子にするのは分かるが、純粋になんで長男の恒忠ではなく次男の恒孝だったんだろう?
会津松平家の分家なんだから家督を継ぐ必要もないだろうし、恒忠を養子にしてたら家広の結婚や後継の件も問題すら起きなかったかもしないのに
まあ、これはあくまで結果論だけど 会津分家だろうが松平一郎夫婦の老後の面倒を見る長男は必要だから
恒孝は母方曾祖父母と養子縁組してその時点で実家から出ている
だいたい恒忠氏に男子がいるという保証もないのでは >>153
息子三人のうち、長男はまあ大事にされるし、三男は末っ子で可愛がられて、次男は何かと叱られることが多く「不利な立場」で、家正の誘いにさっさと乗ってしまった、と母の豊子(家正長女)が本に書いてた。 >>153
分家だろうが平民だろうが長男は家督を継ぐ必要があるだろ
分家や平民には家督がないとでも思ってるのかこのバカは 長男でも廃嫡される場合はあるし、家格の高い家を継ぐこともある
なにをイキガってんだ? 前田利為は四日市前田家の五男で加賀前田宗家の養子相続。
まあ、これは同族だからお家乗っ取りではないだろうけど、
兄弟間で家格の違いとかで複雑な感情とかはないだろうか?
名門の養子になって家督相続することを考えると、
長男よりも次男三男の方が美味しい立場なのかも。 >>160
バカだから分家や平民には家督がないとでも思ってたのか? 尾張徳川家はなんで同族から婿養子を取らずに
堀田家(男系は鍋島家)から養子を迎えたんだ? >>165
義怒←(ほんとは違う字)系から養子もらえばよかったのに。
男子はいなかったっけ? 現当主の後継の義昇氏が慶勝の男系子孫だから一周して元の系統に戻る。 >>167
義昇氏は現当主・義崇氏の長男(実子)だよ
つまり男系は鍋島 >>168
義昇氏は実子じゃない。
徳川義勝ー義恕ー義寛ー義正ー義昇 >>169
男子残ってるのになんで最初から養子にもらわなかったんだろう? 武藤大宰少貳資ョ
大宰少貳資能
大宰少貳三郎左衞門尉景資
大宰少貳盛經
大宰少貳貞經
大宰少貳ョ尚
大宰少貳ョ澄
大宰少貳貞ョ
大宰少貳滿貞
大宰少貳教ョ
鍋島治部大輔經房
鍋島右京亮清久
鍋島駿河守清房
鍋島加賀守直茂
鍋島信濃守勝茂
松平肥前守忠直
松平丹後守光茂
松平信濃守宗茂
松平肥前守治茂
松平肥前守齊直
肥前中納言直正
子爵鍋島直柔
伯爵堀田正恆
コ川義宣
コ川義崇 コ川太政大臣家康
水戸中納言ョ房
松平讚岐守ョ重
松平圖書ョ侯
松平讚岐守ョ豐
水戸宰相宗堯
水戸宰相宗翰
水戸中納言治保
松平中務大輔義和
松平攝津守義建
尾張大納言慶勝
男爵コ川義恕
男爵コ川義寛
コ川義正
コ川義昇 >>170
女系相続
義和(20代当主)の長女三千子の婿養子として
堀田出身の義宣が21代当主となった
現当主の義崇はその子 >>174
それは分かってるよ
そもそもの慶勝の系統が絶えそうになった時に分家から養子取らなかったのが疑問に思っただけ >>175
なんで他家から男系でも女系でもない赤の他人の養子をとってまで
家康の血筋最優先なの? >>176
上のレスまで読んでる?最初から全く話がずれてる
徳川慶勝の実子の義恕の系統が残ってるのに分家ではなく他家から婿養子とったのか疑問に思っただけ >>177
三千子の婿候補に適当なのがいなかったんだろ >>179
義恕は父の慶勝が53歳の時に誕生
父慶勝はすでに家督を譲って隠居の身だった
義恕が生まれるよりも前に養子の義礼が19代当主になっている >>182
義知を義和と見間違えたんだろう
Wikipediaを見た情報をそのまんま書いてるだけ
それでも違えてるが 徳川家康は60歳で子づくりしたぞ!
がんばれ家広さん! 昨日のブラタモリに冷泉家第25代当主の冷泉為人氏が出てた。 ヨーロッパの男爵の地位は、もともと地方で独自領地を持って独立してた貴族だったらしい。
宮中で地位だけ高い連中よりも武力を持ってた。
日本で言うと、地方豪族と中央の藤原一族みたいな感じ。 冷泉 為人(れいぜい ためひと、1944年3月2日 - )は兵庫県出身の日本美術史家。専攻は近世絵画史。上冷泉家第25代当主。
兵庫県加古郡稲美町生まれ。旧姓名、松尾勝彦。上冷泉家第24代当主冷泉為任および布美子夫妻の長女貴実子と結婚し、旧華族で伯爵家の上冷泉家を継ぐ。
冷泉勝彦を名乗っていた時期もあるが、上冷泉家歴代当主の通字に合わせるため、のち正式に為人と改名。
1968年(昭和43年)、関西学院大学文学部美学科卒業。1973年(昭和48年)、関西学院大学大学院文学研究科美学美術史専攻博士課程修了。
京都国立近代美術館勤務を経て、1978年(昭和53年)、大手前女子大学専任講師。1983年(昭和58年)、大手前女子大学助教授。1993年(平成5年)、大手前女子大学教授。
1996年(平成8年)、池坊学園理事評議員。1999年(平成11年)、池坊短期大学学長。2002年(平成14年)、池坊短期大学学長を退職。同年4月から財団法人冷泉家時雨亭文庫理事長。
2004年(平成16年)から、同志社女子大学客員教授。立命館大学でも特別招聘教授を務める。 おまえらがその人らにしか興味ないってだけやろ(°▽°)
カネでも持ってる相手でも見つけたのか?
分かりやすすぎるわな 安倍晋三、実は男系だと安倍家ではなく椋木家
石原慎太郎、実は男系だと石原家ではなく服部家
小泉純一郎、実は男系だと小泉家ではなく鮫島家 なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だの旧宮家だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。
GHQグッジョブだな。 短かったな
アメリカつかヨーロッパ自体が植民政策にしろ現地の有力者に対するタカリだからな
もともと自分ら中心の自主主義 >>198
よく誤解されているが
宮家廃止は大正時代既に決まっていたからGHQは関係ないぞ >>196
椋木家って、小早川家(庶流)じゃなかったっけ? 小早川氏って因島海賊の出じゃなかったっけ?
漁師だか海賊だかよく分からん連中らの拠点やけな そいから秦氏の子孫だ!名乗った長曾我部氏の親戚筋に香宗我部氏なんてのがいたがこれは甲斐源氏庶流と言われとりますで
もともとは足利尊氏に従ってた甲斐源氏の連中らが土着したもん
細川氏の管領が三好で小笠原一族から出た甲斐源氏の庶流言われとるでね
十分ありえる 大名華族や堂上華族の令嬢が士族と結婚した例ってある? 北条得宗家が瀬戸内海賊ともともと縁があって連中ら代官みたいなんになってるだな(°▽°)
連中らを配下に収めて西国支配
東北地方は秩父氏の一族、葛西氏が北条と関連して勢力のばした
南北朝時代は足利の一族、斯波管領家が奥州総代になって東北に基盤作った
斯波と葛西氏はそれから二百年、戦争を繰り返した 瀬戸内海賊はもともと白河天皇時代あたりから名前が見える
そのあと平家についたが頼朝のときに幕府に従った >>207
お前はいろんなスレに出没するから
そんなお前に第二の学術の名を与える なぜなら覚えることが自分が生き延びることにつながるでね
自分が死ぬよな関連筋の話題を出そ思ったらそのかし凄い心理ブレーキかかるがな(゚∀゚)
なぜかそおなった >>203
小早川氏はもともと平氏の出身だよ。(仮冒ではなく)
小田原に早川って川があるでしょう。
名前はあそこから来ている。
小早川隆景や秀秋には小早川氏の血は流れてないけど、毛利秀元の祖母(毛利元就の側室)が小早川家庶流の出だったので、長府毛利家を通じて長州毛利家(公爵)には小早川家の血が流れてるらしいよ。
なので、明治期に毛利公爵家から小早川家(男爵)が再興されたみたい。 8月13日に再放送があったドラマ「華族 最後の戦い」
録画しといたのをすっかり忘れてた。
重い内容のようだ。夕飯のあとにでも見るか。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/93016/3016034/index.html >>206
麻生太郎が加納久宜子爵の娘と結婚してる。 麻生太郎って今のじゃない
麻生太郎の祖父の麻生太郎 財閥に成り変わったみたいな話かい?
日本いつまでたっても裏社会だな 228
見下してなきゃそんなセリフ言わんよ
人間の見方はそおやるの
裏に回ればかなりお調子もんなんざすぐ分かるやん 麻生塾小学校とか凄いよな
麻生太郎の為のだけの学校 >>230
麻生太郎は小学3年までしか通わず
上京して学習院 戦前の学習院は国立学校であり平民は来るなと言えない
ただし学制が独特であり(初等科、中等科、高等科)
帝国大学に相当する大学はなかった 大名家の系譜とか見てると、初代の女系子孫が当主を継ぐのならまだ良いけど、全く血の繋がりのない当主とかいるよね。 >>239
家名の存続が第一とはいえ血縁のない赤の他人に継がせるのはいまいちピンとこない >>240
当時の「家」は、今でいう、会社と似たような感覚だと思われる。
会社の社長が引退して、血縁関係の無い次期社長が継いでも、会社が存続して、自社ビルも存続して、社員も継続して雇用出来て、自分が社長として残した功績も、ずっと社史に残して語り伝えてくれる。
継げそうな子どもが居ない以上、それでも構わないと思ったんじゃないだろうか。 近衛公爵は岩倉公爵を「このドサクサ紛れの成り上がりめ」とか思ったのだろうか
後陽成天皇の血筋だし >>244
岩倉以上に訳の分からん成り上がりが跋扈してただろ
初代内閣総理大臣・伊藤博文など正真正銘の農民上がりだし 農民上がりといえばすでに木下藤吉郎で経験済みだね。 >>250
現役の国会議員でいるよ
数年前に外務大臣もやってた
性は伊藤じゃなくて松本だけど >>253
伊藤博文の養子で公爵を継いだ人だよね(井上馨の甥)
伊藤博文は娘が何人もいたのに何で血縁でもない人を養子にしたんだろ?(娘達は別の家の嫁にいってる)
この伊藤博邦って人は息子だけで10人(3人は夭折)もいるから子孫はそれなりにいるんじゃないの? >>254
博文と後妻の梅の間には娘しか産まれなかったため
(うち長女は夭折、成人したのは次女の生子のみ)
井上薫の甥・博邦を幼児のうちに養子にして梅が育てた
博文は博邦を梅との養子にした後で妾との間に婚外子の男子2人を儲けている
長男は木田幾多郎の養子に出し(後に伊藤家と養子縁組)
次男は母親の再婚相手に育てられた
後妻の梅が養子縁組して手元で育てたのが博邦だからこれが跡取りになったらしい >>256
伊藤博文と井上馨はイギリスに密航留学した仲らしいが余程仲が良かったんだな
(井上馨の甥を養子にするくらい) 華族なんて海賊の僭称かシナあたりの歴史ありがたや〜みたいなんのどっちかだんべ(°▽°)
どちらもカスやん >>260
井上馨と桂太郎を祖父に持つのが井上光貞なのか
すごいね 井上光遠は井上家の長男だったが息子4人残して30歳ぐらいで病死した
息子たちはまだ幼かったため光遠の弟・馨が光遠の養子となって井上家を相続
光遠の息子4人はそれぞれ他家に養子に出され、うち次男の勝之助は馨の養子となり
馨は兄の子である勝之助に将来は家督を譲ることと決められた 華族の子弟は幼少期に里子に出されて預ける風習があったんだよね
この風習は華族だけではなく上流階級全般に見られた風習なのかな? 徳川慶喜の子女や松方正義の子女も里子に出されている。
単純に子供が多かったからだろうか? 皇族と大名とかは傅役というのがいるんじゃないかな? >>271
白洲正子の姉上が奥さん。
爵位をスキャンダルで取り上げられた人でしたっけ >>274
勘違いでした。廉平の次男廉治に嫁いだのが白洲正子の姉 やっぱり旧華族って就職はコネ等で有利になるのかな。 なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。
GHQグッジョブだな。 >>278
廃藩置県の時に華族制度があったからすんなりと移行できたんだろうな
じゃなかったら大名達は全力で抵抗してただろ
華族制度は勲功華族が余計だったな 源氏は天皇の子供が名乗りいれんだろ
そんときはどんなんでも源氏を名乗った
平氏は天皇の孫より下が名乗りをいれる場合に
どんなんでも平氏を名乗ったらしいで >>277
松平一郎(東京銀行会長)の息子たちはみんな大企業の重役
長男の恒忠は日本航空ロンドン支店長
次男の恒孝は日本郵船副社長
三男の恒和はKDDI常務取締役
これに比べると家広氏の役職は微妙 >>282
恒忠、恒孝は戦前、恒和でも昭和21年生まれだし
その頃に生まれた旧華族の子息たちと
家広の時代ではだいぶ違うんじゃないの
家広は昭和40年生まれ 「華族だから」就職でコネというよりも、財界などの有力者との人間関係を持つ機会が多い人が華族には多いので、「結果的に」就職でのコネに繋がった場合が多いってことじゃないだろうか。
学習院とか華族会館とか人によっては貴族院でいつも顔を合わせ、その伝手で他の華族ともどこかで親族関係になり、親戚づきあいしていれば、就職を世話をする人が出てくる。その構造は、(規模こそ違っても)田舎の村とあまり変わらない。 まあ華族だの貴族だの旧宮家だのが敗戦と民主化で吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたらさぞかしやりきれない社会だったろう。 278 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/10/21(月) 09:54:11.63
なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。
GHQグッジョブだな。 華族や貴族がいなくなってよかったのは間違いない。
すべて敗戦とGHQによる民主化のおかげ。 松平春嶽って維新後は士族だったのか?
それとも平民だったのだろうか? 分家していないから越前松平家の家族として華族
その後息子が分家して子爵
孫はA級戦犯を合祀したときの靖国の宮司 徳川恆孝氏は徳川宗家(旧公爵家)第18代当主だが、
華族の男系ではないため霞会館の会員にはなれない。 74 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/07/23(火) 15:41:18.57
徳川恒孝氏は徳川宗家の当主だけど男系では会津松平家の分家で無爵位の平民だから、
旧華族の直系子孫だけに参加が許される霞会館の会員にはなれないのか。
細川護煕氏や近衛忠W氏は細川侯爵家の子孫だから会員になれるけど。 みんなスルーしてんのに荒らしの吹っ飛んでコピペをコピペするとか余程暇なんだな 家広信者は相変わらず健在な様だな
まあもう時期逮捕される頃だろうが 松平恆雄は功績により授爵されてもおかしくなかった。 功績なんて無いだろ
昔から外務省は実力よりコネだしな >>302
松平恒雄の次の参議院議長になった佐藤尚武も超優秀な外交官だった ただでさえ松平(徳川)は大名華族が多いんだから、これ以上増やしたくないよね
維新勝ち組の毛利や島津でも一族内で何十人も華族いないんだから 徳川斉昭ー土屋挙直ー保子(=藤岡勝二)ー博武ー文武
徳川斉昭ー慶喜ー鏡子(=徳川達孝)ー繍子(=徳川武定)ー宗子(=徳川博武)ー文武
徳川斉昭ー昭武ー武定ー宗子(=徳川博武)ー文武
徳川達孝ー繍子(=徳川武定)ー宗子(=徳川博武)ー文武 >>307
徳川と松平って何人くらい華族になったんだっけ?(一覧表とかないのかな?)
宗家と慶喜家、御三家と御三卿で8家
その他の松平で20〜30人くらい? 御三家連枝
久松松平
越前系松平
会津松平
十六松平 松平幸子って誰のことなんだろうな?
今では永遠の謎になってしまったが 松平加賀守
松平陸奥守
松平薩摩守など大藩もかなり華族になってるぞ 勲功華族はMAXで男爵かせいぜい平大名 平公家と同等の子爵くらいにするべきだった。
伊藤や山県、大山みたいな馬の骨が将軍家や摂家と並ぶ公爵なんて悪い冗談でしかない。
実際イギリスは男爵か準男爵MAXで偉勲あってもサーの称号止まりだろ? 初代の勲功だけで子孫は公爵固定だもんな
宮家ですら皇籍離脱が決まっていた イギリスは百年戦争と薔薇戦争で名門貴族がほとんど絶滅し
今残ってる貴族の大部分は歴史の浅い成り上がりが占めてる 321
そんなん日本に関係ない話だし日本はヨーロッパの遺産を引き継いですらいない
ど〜するかはやつらが決めればよいだけ ここは日本史板なのに
世界史ついて無知だと問題があるのだろうか? 華族制度はヨーロッパ、特にイギリスの影響を受けている
全く無知ならこのスレに来る必要はない >>327みたいな奴は日本史についても何も知らないバカ なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だの旧宮家だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。 旧宮家って言っても男系なら室町時代まで遡るんだから、他人同然だろ。
竹田も明治天皇の曾孫とか言っているが女系での話やろ。
竹田は都合が良い時は女系を利用するんだな >>336
擁護する気は全く無いが
竹田の場合は双系という 仙台藩一門筆頭の石川家は何で華族にならなかったんだろう? >>341
大名の家臣でも大身(一万石以上)であれば華族になった家もいるけど、仙台藩は新政府軍に逆らったし冷遇されたのでは? おれの祖母方の家は華族だったらしい
薩長土の藩主の一門 冷遇だのだの言ってるくらいだからな
それがおかしなことだったって考えないんだな >>347
調べたら仙台藩は28万石に減封されてたな。
家臣は一万石未満だろう。
冷遇とかではなく必然的に華族にはなれないよ。 華族とやらが異常だって話だよ
それ作ったやつらはいずれ追い込まれる >>349
あの時代に完全な民主主義なんてあったか?
どこも君主制(または植民地)だよね。
君主がいればその藩屏たる貴族もいる。
あの時代では異常でもなんでもない。 民主主義じゃねえだろアホかよ
民主主義とやらになったらそれ否定できるとかってんだろ
おまえが間違えてるんだよ 350
異常でもなんでもないだのほざいてもな( ・∇・)
こちらが同じ印象持つわけないじゃん
植民地政策だのはっきりした悪罪でしかないじゃんアホかよ 家族の優遇が廃止されたように、公務員やしょーもない外郭団体の特権を廃止してくれないかな。 >>354
仙台藩 62万石→28万石
石川家 2万石→1万石未満? 大名の家臣は華族になれなかった
例外は御三家の付家老と長州の吉川くらい
加賀の家老本多は5万石でもダメ
尾張にも万石以上はいたけどダメ >>358
加賀の家老5万石って凄いな
さすが加賀百万石の家老だな >>358
長州藩の家老達(一門衆)は軒並み華族になってたけど、あれは勲功なのか? >>363
家老だから士族じゃないかな。
華族出身の有名人って誰がいるかな? 華族ならなんで在日臭のする松田なんて芸名にしたんだろうね 華族出身とか華族の孫とかの有名人
古川ロッパ(加藤男爵の六男)、久我美子(久我侯爵の娘)、東坊城恭長(東坊城子爵の三男)、入江たか子(東坊城子爵の娘)
小笠原明峰(小笠原子爵の長男)、小笠原章二郎(小笠原子爵の二男)、白州正子(樺山伯爵の二女)、ジャック滋野(滋野男爵の長男)、團伊玖磨(團男爵の長男)
岩村和雄(岩村男爵の孫)、松井康子(小笠原子爵の孫)、梅木マリ(香川伯爵の孫)、小桜葉子(岩倉公爵の孫)
串田和美(佐々木侯爵の孫)、児玉進(児玉伯爵の孫)、河内桃子(大河内子爵の孫)、オノ・ヨーコ(税所子爵の曾孫) 仙台は藩主も60万なら侯爵相当から28万石相応の伯爵だろ。
ましてや家臣はな 伯爵なんて10万石相当だろ?
大藩で伯爵になったのって藤堂や井伊 伊達くらい 武家の場合は徳川宗家と宗家しか家格を考慮されなかったって本当? >>370
石高関係ないのは宗家と御三家 御三卿だけ 徳川って負けたのに、明治では一族で何十人も華族になってむしろ得したんじゃないの?
(しかも最高位の公爵が2家)
豊臣とか一族いなくなったのにね >>373
3家だぞ?
徳川宗家、徳川慶喜家、水戸徳川家の3家 オノ・ヨーコの先祖は子爵家の税所家とは違う家だったようだ。ちゃんと調べずに書き込んでしまって申し訳ない。 >>377
既に知っていたものに、コピペで足したけど、元の情報が間違っていた。 華族だの貴族だの旧宮家だの特権階級が敗戦と民主化で一掃されてせいせいした。
あんな連中が今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろうな。 華族とは関係ないが自分の曾祖父は正三位勲一等だった。 >>383
よく知らんが正三位って公卿レベルだよな
勲章と官位は違うか 封建制の残滓だな
華族制度も貴族も歴史事象として語るときは民主主義に反する否定すべき悪しき存在として扱うのが現代民主社会における作法 スピード辞任した元大臣でも正三位勲一等だろ
功績に関係なく役職で与えられるのはどうなんだろうか 一律に与えないと政治判断が働く余地があるからでは
推測だけど >>387
23歳だったり24歳だったり26歳だったり人による >>387
最短23歳(医学部24歳)
・尋常小学校(6年制)→旧制中学(5年制)→旧制高校(2年制)→大学(3年制)
・尋常小学校(6年制)→旧制中学(5年制)→大学予科(2年制)→大学(3年制)
ただしストレートに行ってるのは少ない
だいたい途中で単位落として留年してたり入学数も少なく受験失敗してたり
どうしても大学行かなきゃ付けない職業もあまりなかったため
(教師は師範学校(現在の高校相当)でなれた)途中で私塾行ってみたり
戦前は女子に大学入学資格はない
旧制中学、旧制高校、大学予科、大学の入学資格は男子のみ
女子は尋常小学校出た後、女子高等学校(中学相当)へ行くか女子師範学校へ行くか
戦前からある女子大は戦前はすべて専門学校扱いだった 幣原喜重郎は23歳で帝大卒業して外務省に入ってるからかなり優秀だな 優秀で言うと若槻禮次郎は東大で平均評定98.5点で未だ近付く奴すらいないらしいが本当だろうか なんにせよ生前叙位や勲章の勲等が廃止されてよかった。
民主社会に封建的身分制度を思わせるものは不要。 >>397
明治や大正の帝国大学の学問レベルってどれくらいだったんだろう。 帝大は基本英語か独語の講義
苦手なら私大(私塾)か高等専門学校に行けの世界
なお宮様とその周辺が行く学習院は当時国立 戦前の学習院は、華族の紹介状がないと入れなかったらしいぞ。
三島由紀夫のwikiに書いてた。 この手の封建的遺物が敗戦と民主化で一掃されてすっきりした。 吉田茂自体は華族じゃなかったけど、吉田茂の父方祖母は岩村勝俊の娘で、
岩村勝俊の孫である岩村通俊、高俊兄弟は、幕末の志士として活躍して出世、
通俊、高俊双方の家が男爵家となった。
つまり、吉田茂は、父のいとこが男爵という環境で育った。
その後は、茂が牧野伯爵の娘と結婚したのはご存知の通り。 華族は存在自体が罪
社会に何の寄与もしなかった非生産的存在
歴史的に語る場合、徹頭徹尾否定されなければならない 華族とか貴族は否定的に語るのが近代史での正しい作法 先帝の娘婿である黒田氏も旧華族ではないが秋月子爵家の姻戚にあたる。 士族は平民より上、華族より下という感じだったんだろうか? >>416
士族がいた時代には華族はいなかったわけだが
大名、公家、明治維新に特別の功労があった者が
四民平等後に華族になった >>411
華族の莫大な財力が学問・研究に寄与した面はある。 氏ではなく苗字(家名)を名乗るようになった時期っていつからなんだろう?
平氏政権末期に摂関家が近衛流と九条流に別れた頃にはもうそうなっていたのかね?
九条兼実の頃はそうなんだろうし このスレは明治以降の話だから、藤原氏のスレで聞いたら? >>387,380-1
先祖の経歴調べてたら田舎の旧制中学が3年(?)までしかなく、その後
東京に行ったが、そこで5年通ってた。留年でないらしいけど何故? >>425
質問に答えられなくて悪いが、先祖の経歴なんてどうやって調べるの? 旧制中4年編入+旧制高3年じゃないか?
昭和8年生まれの叔父が旧制中学から新制高校への移行で2年余分に通学
旧制中学5年→中高6年+1年
無論留年ではなく新たな生年月日で割り振られた結果で、無論6年で済んだ同級生もいる
また連邦制を採用している国では、州ごとに入学年齢が5歳から7歳までバラついたりしているので調整がややこしいらしい >>426旧制中学の場合、「OO会」とかのOB組織があって卒業名簿を発行してる
>>428もっと前の時代だが・・・その後旧制高校に行ってるので違う。
制度の過渡期なのかな?あー後、同級生の著名人がいるんだが
生まれた年も同じで卒業年も同じ。 公爵をPRINCEと訳したために近衛文麿はイギリスで皇族と間違えられた
たしかに間違ってはいないがDUKEのほうが良かった 家格公爵だけなら摂家将軍家(殿下)で
princeでもまあ相応だったんだが >>429
文部省サイトによると
明治6年の学制施行時は14歳から下等中3年と上等中3年で20歳卒
同14年の改革で12歳から初等中4年と高等中2年で18歳卒
帝大入学が18歳、又は予備門を通じて17歳から可能
同25年の改革で12歳から尋常中5年高等学校3〜4年で20歳〜卒
高商は5年で22歳卒
同33年の改革では基本は25年に準じている
ただ確か33年の改革まで小中学は春入学、高等中学と2帝大は秋入学の筈 >>434情報ありがと。
卒業年から生まれた年を引くと20歳だから(卒業した年令)。
やはり制度の過渡期かな?明治の半ばだから丁度12歳で入学して
15歳で転入だったのかな?
ちなみに同級生の著名人は華族(当主の次男だけど) 華族は存在自体が罪
全国民の怨嗟の的だった
華族も敗戦と民主化で地に足のついた地べたの真人間に立ち返ることができて、
さぞ幸せだったことだろう ということは明治33年以降は幣原喜重郎みたいに23歳で帝大卒業は出来ないのか 中等学校4年終了時点で高等学校受験資格が得られる
高等学校も2年で帝大受験資格が得られる
予備門だと1年短縮
確か安部公房が奉天中4から飛び級で成城高入学
開学以来の天才と呼ばれ、高校も飛び級の18歳で東大理3入学
それでやってることが前衛劇
万年ノーベル文学賞候補だったが、頭が良すぎるってのも何かね 415 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/11/08(金) 15:15:54.80
仕切ってんじゃねーよバカ
442 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/11/12(火) 14:05:30.34
仕切ってんじゃねーよバカ 大臣家の久我美子はあらゆる意味で下界に降りた奇跡的な存在 養子をとらなければ華族の家としては断絶だろうけども、近縁の家が後裔をなのるのでは? 現代において無理やり養子などで断絶を防ぐのって何のメリットがあるの?
断絶することで困ることって何がある?
文化財レベルで貴重な屋敷や財産は散逸または消失してるだろうし、城や絵画などは個人の手を離れて財団所有になっている。
自分の墓を管理してほしいとかそのレベルの話か? 華族制度は消えても文化や精神性は残る
末裔が霞会館など互助会に出入りできないのは屈辱的
彼らにとっては自分たちとその他
現首相も文字が汚なく箸も綺麗に持てない似非子爵如きが!かも知れん 近衛家は戦後のドサクサで細川に乗っ取られて断絶した 近衛家は、近衛前久の後は女系で皇室から外孫が繋いだ家だから、女系で細川系の外孫が入っても、乗っ取られて断絶は言い過ぎだと思う。 前久の息子が継いでるがな
その次は後陽成天皇の皇子で前久の娘腹になるがな >>456戸籍においての継続性が無くなるという事でしょ。良く書き込まれているような
誰誰の子が以降繋がらなくなる。つまり、日本の歴史的名家が現代において消滅してしまう。 >>461
いや、だからそれの何がそんなに問題なの? まあ上からの下がり物ならお家の面目は立つ
摂家なら皇室、公卿大臣家は摂家なら 近衛家の人物のWikipediaで一々後陽成天皇の何世子孫と表記して
ご丁寧に系図まで載せてるがそこまで強調する理由が分からない
恐らくこの執筆者は"皇別摂家"というものを何か特別視している節があるな Wikiでどうだとこのスレで報告してる感性がわからない >>464
いや、単純に疑問。
歴史においては重要な役割を果たしていても、現代では価値あるの? >>465
大正天皇は四人の皇子が生まれ
安泰と思われていたが現在では… >>458
細川家からの養子を取ったのは
近衛文隆の意向だから乗っ取りではない なおド田舎の地主上がりは案外侮れない
農が公家上がりと五分の付き合いをして茶を飲んでる
エゲレスの地主が街の貴族より偉いって理屈と同じなんだろうか? >>475戦前に英国の制度に倣って中央の貴族と地方の地主で政治を行おうとして
郡会なるものが作られたが上手くいかなかったから、やはりというか当たり前だが
貴族と地方地主は日本では全然の別物だろう >>474
細川家には娘一人しかいないから
近衛家から養子を取るのだろうか? 今時珍しい名門同士の結婚
今時珍しい子だくさん家庭 近衞忠Wさんは歴代皇后が名誉総裁を務める日本赤十字で社長だけど
息子の忠大さんは世襲してないんだね
忠Wさんは学習院だけど忠大さんは武蔵野美大だし
だんだん皇室の姻戚特権、旧華族特権もなくなってくるのかね 徳川宗家って次男以降の男子にも"家"を名前を付けるのだろうか?
現在まで宗家の男子に次男が生まれたことがないから不明だな >>487
家光の息子は家綱以外家がついてないよな。 そもそも家康の息子は誰一人「家」がついてないからなあ
嫡男は信康、2代将軍は秀忠だし、御三家の祖も誰も付かず
秀忠の息子は家光以外、家は付かず
家光の息子は家綱以外、家はつかず
宗家に生まれた長男以外は家を付けないのかと言えば
6代将軍家宣は当初、綱豊と名乗っていたものを養子入りするとき改名
14代将軍家茂も当初、慶福と名乗っていたものを養子入りするときに改名
しかし同じく養子入りして将軍になったのに
5代綱吉、8代吉宗、15代慶喜などは改名せず 疑問だったのは家達以降の宗家に次男が生まれてたら「家」の名前をつけたのかということ
細川家なんかは次男以降にも関係なく「護」の名前をつけてるけど 御三卿って幕末以降から現在にかけてどこの男系なの? >>492
近代以降の通字 「護」の由来って何なんだろね? >>497
田安家(紀州系)
一橋家(水戸系)
清水家(水戸系) うちの先祖の親戚が華族狙ってたらしいがどの程度から貰えたのかね?
帝大教授になって華族になる予定(?)だったらしいが敗戦で教授になる前に
華族制度廃止。帝大教授でなれるわけはないよね?+αはなんだろうか? >>501
日清日露で司令官として戦功立てるか大臣歴任レベルでようやく華族になれるんじゃないか?
それでも昭和に入ると華族が増えすぎて抑制していたと思う。 >>501
ちなみにおれの母方は華族だったよ。
長州藩藩主の一門かつ戊辰戦争の功だと思う。 その学問の第一人者で国家への功績が大きい教授なら、男爵になった場合もある。
新千円札の北里柴三郎はその例だろう。 なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんな輩が今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。 近衛公爵家って家格は最高だけど
意外と近衛家金欠だったんだよな 平民の国日本に華族や貴族はいらないし、存在してはならない。 戦後に財産税を真面目に納めた華族は没落したんだよな 細川護貞氏って長男が総理大臣に、次男が近衛家当主で日赤の社長や国際赤十字の会長
凄すぎる… >>514
赤十字の上層部って皇族がなってるし、近衛家の当主なら普通じゃない?
元皇族もオリンピック協会の会長になれるし。 大名華族で一番裕福だったのは
総資産8000万は下らないと言われた島津公爵家だろうか? >>517
それ、いつの値段?今の価値ならいくらくらい? >>516
まあ、サラリーマンの子供がなったのなら凄いけど、日本赤十字の社長まではレールが出来てて、あとは日本の国力込みでしょ? なってどういうメリットがあるのか?と考えると
恥ずかしくない家柄の人ということになるんだろうな。 >>519
世界各国の投票による会長選挙を経て選出されてるんだから家柄だの国力だのは関係ない >>521
選挙などない
そもそも日本赤十字は日本国内だけのもので海外の人は関係ない
日本赤十字は昭憲皇太后(明治天皇の皇后・美子皇后)が設立にかかわったことにより
名誉総裁は代々皇后が勤める
現在の名誉総裁は雅子皇后
名誉副総裁も皇族が勤め
現在は紀子妃、華子妃、信子妃、久子妃の4人
このように皇室と大変かかわりが深い
歴代会長、社長は華族(旧華族)かキャリア官僚の天下りのどちらか
過去には徳川家達、徳川圀順、島津忠承などが就任 >>522
国際赤十字の会長選挙の話ですけど?
読解力が無いのか?レス遡ってみろ >>517
紀州徳川家の財産が3000万だったから、
そう考えると島津家は本当にすごいな。 近衛公爵家と大山公爵家の縁組
爵位では同格だけど家柄の釣り合いは取れてたのだろうか? >>299
>令和は、由来となった歌を詠んだ大伴旅人邸が坂本神社の近くにあった
大伴旅人は二度大宰府に赴任している
>東国守護の要は鹿嶋と香取の両神宮であるが、鹿嶋は福岡の志賀島が起源。
それが奈良まで勧請されたのが春日大社。<
ふーん。 >>529
ウィキには何故か長女だけしか載ってない >>533
大山格氏のブログ見た
いつも大山巌墓所修繕の寄付金募ってるけど
どういう人? 大山柏は娘婿の大山健次を養子にしてる。
大山格氏は彼の息子ではないだろうか?
大山梓には調べる限りだと長女しか不明。 >>537
どういう人?と聞かれたので書いたまでだが?
全て公開情報
脊髄反射で思ったことしか書けない
スレの流れというものも分からない
君の知能が低い証拠だろう。哀れなり 華族って今でいうとどれくらいのステータス?一部上場企業創業家くらいかな? >>543
現在で例えることは不可能
華族は貴族階級で特権階級 >>543
若槻礼次郎で男爵だから、新規追加はほぼ不可能。
中曽根や小泉は叙爵されるだろうが。 令和になった今でも旧華族の結婚相手も旧華族とか、それなりの家柄が多いのかな。 >>546
平成の例だが
近衞忠大氏の夫人は旧久邇宮家の御令嬢 大藩の藩主末裔は財団法人とか神主とか名誉職みたいなのがいろいろあると思うけど、
勲功華族とか弱小藩主とか下位の公家とかの末裔(旧華族)は今は何してるんだろ?
普通にサラリーマンとか? 近衛忠煕の身長が180センチって凄いな。
近衛文麿の長身は近衛忠煕から遺伝だな。 貧乏華族で公爵侯爵なんて余計な負担が増えて大変
貴族院議員になっても無給で家計の足しにならない 松平慶民の妻幸子は新田忠純男爵の娘だけど、井上勝之助侯爵の養女になってる。
釣り合いを取るために侯爵の養女となった上で結婚したということなのだろうか? 新田っていうと、いちおうは徳川や松平の嫡流じゃないの? 伯爵家で侯爵への陞爵の打診があったけど、経済的に大変になるおそれがあるからということでお断りしたっていう話が残っている家を知っている。 >>552
幸子は幼い頃に井上勝之助と末子夫妻の養女になってたみたいだよ
幸子の伯母(実父新田忠純の姉)の武子が井上馨の後妻になった縁で
別の叔母・光子(忠純の妹)が井上馨と武子夫妻(夫妻の間に子はいない)の養女になった
幸子もこの縁で井上勝之進(井上薫の甥で養子)と末子夫妻(夫妻の間に子はいない)
の養女として引き取られた >>556
松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館 公爵や侯爵っても新華族じゃありがたみ無いよな
旧華族の伯爵以下だわさ
親華族は男爵でもお釣りが来る >>563
公家出身の伯爵以下の華族もよくわからんよ
家名は世間でほとんど知られてなくて、歴史にもほとんど関与してなくて、藤原氏の分家の分家とかが多い >>563
自由民権運動及び民権意識の高まりで、世間では華族廃止論も多かった
戦後あっさり華族が廃止されて抵抗もなかったのも頷ける 公家華族は醜聞も多く新聞を賑していたらしい・・・
武士道みたいなものは公家には無いのかな? >>564
伯爵レベルでよくわからんのは単におまえが無知だからだろ
日本史勉強してれば普通によく出てくる家名ばかりだ >>568
自分の常識と世間の常識が分かってないんだろうね
それこそ無知だとおもうよw >>569
世間知らずのアホは相手にしない方が良いよ >>566
先祖が立派で子孫も立派ならどの王朝も永遠だ
大体3代目まで 遅くとも5代目にはでボンクラが出て家が傾く
これを防ぐには血など忘れてお家大事で養子などを駆使するしかない >>569
日本史を勉強しててこの辺りを聞いたことないというのは単なる勉強不足
公家
大納言マデ宣任ノ例多キ[注釈 1]旧堂上(中納言から直接大納言に上った先例がある家)
大臣家 - 嵯峨家(後侯爵)、三条西家、中院家
堂上家 - 飛鳥井家、姉小路家、油小路家、正親町家、勧修寺家、上冷泉家、烏丸家、甘露寺家、滋野井家(後失爵)、四条家(後侯爵)、清水谷家、清閑寺家、
園家、中御門家(後侯爵)、庭田家、橋本家、葉室家、東久世家、日野家、広橋家、坊城家、松木家、万里小路家、室町家、柳原家、山科家、鷲尾家
陞爵 - 大原家(大原重朝)、沢家(沢宣量)、壬生家(壬生基修)
武家
徳川旧御三卿、旧中藩知事(現米五万石以上)
御三卿 - 清水徳川家(後爵位返上)、田安徳川家、一橋徳川家
大名家 - 備後福山藩阿部家、筑後久留米藩有馬家、近江彦根藩井伊家、出羽米沢藩上杉家、豊前小倉藩小笠原家、豊前中津藩奥平家、播磨姫路藩酒井家、
出羽庄内藩酒井家、若狭小浜藩酒井家、筑後柳河藩立花家、伊予宇和島藩伊達家(後侯爵)、陸奥仙台藩伊達家、陸奥弘前藩津軽家、伊勢津藩藤堂家、美濃大垣藩戸田家、
豊後岡藩中川家、陸奥盛岡藩南部家、伊予松山藩久松家、下総佐倉藩堀田家、越中富山藩前田家、越前福井藩松平家(後侯爵)、出雲松江藩松平家、上野前橋藩松平家、
讃岐高松藩松平家、越後新発田藩溝口家、大和郡山藩柳沢家、対馬厳原藩宗家、肥前平戸藩松浦家
陞爵 - 肥前大村藩大村家、石見津和野藩亀井家、信濃松代藩真田家、日向佐土原藩島津家、信濃龍岡藩大給家
その他
僧侶(世襲門跡家) - 大谷家(東本願寺)、大谷家(西本願寺) 資産1500億円以上の紀州家を継いだ頼倫
貧乏で家計が火の車になる田安家を継いだ達孝
そこそこ裕福な宗家を継いだ家達
同じ兄弟でも全然違う >>572
徳川将軍家はみなそれなりに良かったんじゃないのかな? >>577
将軍家ともなれば周りがガッチリ支えるシステムがある
華族はその辺当人の自覚に頼る部分が大きいからね
慶喜の息子の厚が好例とも言える
飲酒運転の上ひき逃げしかも被害者に誠意ゼロの対応で大問題となった と華族事件簿に載ってた >>577
朝廷が1600年間潰れなかったのと一緒
徳川将軍には幼児も精神障碍者もボンクラもいたが
官僚制度を整えて将軍が政治を行わなくてもよいシステムになっていた
東照大権現の子孫であると言うだけの理由で
形だけ将軍としておいとけばそれでいいわけ 維新がなければ厚が第17代将軍になっていたんじゃないかな 結局順養子に准ずる形で家達が御養君になった気がするが
そうすると厚は御三家御三卿国持その他の養子だろうか 慶喜が将軍のままなら江戸城にいた
信とか幸を妻にすることはない
厚他子女はすべて生まれてない >>581
厚は明治の生まれですでに家達に家督が譲られたあとだし
家達の嫡男・家正は正室の近衛泰子の子
慶喜の側室腹の子が家正を超えて家督を継ぐことはないよ
江戸幕府が潰れず慶喜はずっと将軍でいて
家達に家督を譲らなかったならだが >>583
信や幸は旗本の子で江戸生まれ
幕末から明治初期にかけて京都の二条城に住んでいた慶喜が
江戸から連れて行ったんだよ
慶喜が江戸にいたとしても大奥に上がっていたはず >>583
慶喜は将軍として江戸城に入ったことないが >>566
貧乏華族に醜聞が多いのは当然ではあるし公家の大半は貧乏だしな
公家自体は江戸時代以前からずっと貧乏で貧乏慣れしてたんだろうが華族になって体面上よけいに貧乏になったんだろう
武家の方は金もあれば旧家臣もいるからセーフティネットは公家よりあるし勲功華族ともなれば世話になった人も多いだろうから零落前に援助も期待できる 徳川慶朝さんは息子が2人いるけど、
どちらもも慶喜家を継がなかったな。
次男の慶弘さんは長岡家を継いだらしいけど。 戦争中名古屋の東山動物園で象の餌が窮乏しているところ当時動物園を管理していた陸軍の獣医大尉が兵に飼料をわざと置き忘れさせさせるなどして象を助けたという
戦争が終わった時日本で生き延びた象はこの東山動物園の2頭のみであった
この動物好きの大尉さんは三井高孟といい財閥の三井11家のうちの本村町家の当主であったようで財閥家にもいろんな人がいるもんだなと思った >>595
冗談だと思って覗いたら想像以上にヤバかった
マジで閲覧注意レベル 四民平等と爵位って
共存できない考え方じゃないの? 悪く言うと成り済まし、騙りのような家ばかりだから、関係ない。
そういうものも、終わっただろう。 >>599
四民平等やった後に華族・士族・平民という身分秩序の再編成が行われたから共存してない。 >>601
四民平等後に士族はないよw
不平士族は特権を奪われ士族=平民になったことに反発した
四民平等前の士族のことだし
>>599
天皇制度もなくしてしまえば爵位はおかしいといえたのだろうけど
日本では現在でも旧華族が皇族の配偶者候補になったりしてるし
爵位とはいわなくても天皇が毎年褒章を授けたりしてるしね >>603
族籍としては1947年まで士族はいました。 >>601
華士族が出来たのは明治初年
>>603
士族は戦後の憲法改正まで存在したし
そして士農工商という四民には華族は含まれない
本当に何を言ってるんだろうなこいつらは
基本的な知識もないのにレスするなよ >>605
明治初年というが爵位があった訳でもなく
あくまで公家や大名の総称みたいなもので
華族制度の成立は1884年で間違いないだろ 江戸期は大まかに公家 士族 庶民 賤民
それぞれの中でのピンキリ
公家は摂家から名目公家まで
士族は将軍に謁見できる二千の上流から実質ドン百姓の郷士まで
庶民は大名公家すら顎で使う大地主政商から水呑百姓その日暮らしの棒手振まで
賤民も苗字拝刀の旗本7万石相当をトップに、屍牛馬引取特権で大儲けで十一屋を営む穢旦那衆から夙まで色々 >>607
それで華族と何の関係があるの?
中身には一々突っ込まないけど >>606
族称が成立してその後の壬申戸籍にも記載されているんだから
明治二年太政官逹「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス」と明治二年行政官逹「一門以下平士ニ至ル迄總テ士族ト可稱事」が華士族の成立
華族令などはそれを整理したものに過ぎない >>604 >>605
四民平等後に身分秩序としての士族は存在しないだろ
ただし当時の戸籍は一族すべてを一枚の紙に書いていたため
先祖が江戸時代に士族であった家の子孫は分かるようになっていた
特権は何もない >>610
分家したら戸籍は分かれるけど
なんで君のレスはいちいちそんなに適当なの?
知らないなら黙ってろよ >>609
実態のない単なる総称かと思ってたから
壬申戸籍に記載されていたというのは知らず不勉強だった 大日本帝国(戦前日本)の賢いところは、社会制度で、皇族と平民の間に華族という階層を作ったが、
政治には帝国大学出身のエリート層を重用し、イギリスの産業革命期のような政治腐敗を作らなかったこと。
名誉と能力は分け、日本の近代化はエリート層の活用で進めた。勉学さえ出来れば、貧乏でもエリート層に入れ、
国家を左右できるという仕組みは当時の近隣国家にはない。欧州でも少ないだろ。
また、身分社会で、平民でも中級家庭以上は女中を雇って家に置いていた。これは華族の使用人群と数こそ違え
同じ仕組みだ。上流の地主や実業家は平民であっても華族並の生活水準だった。 >>611
ただ平民籍を嫌がり、士族籍復籍を目指す運動はちょくちょくみられた
やっぱり武士に生まれ育った者としては平民にさせられたくないという意識はあったのだろう
>>613
華族会館は1874年に創設された
そして華族子弟教育機関として学習院が、1877年に創設された
>>614
最初の明治政府の官吏は、
討幕に功労がある薩長土肥の旧藩士に、
開明的な旧幕臣を付け足したぐらいという「藩閥政府」だった
しかし「有司専制だ」と批判が湧き起こり西洋啓蒙思想の普及と相まって自由民権運動が盛り上がった
民権運動の結果、政党政治が誕生すると政党推薦で官僚になる者が現れるようになった
それを防ぐため、試験で合格したエリートを官僚とするという制度が確立されていき、結果的に藩閥政治家や政党政治家の人脈で官僚になる道はなくなっていった(ただ地方官吏はもっと後) >試験で合格したエリートを官僚とするという制度が確立されていき
これが果たして日本にとって良いことだったのか悪いことだったのかはまた別問題だな…
大正から昭和初期のグダグダっぷりを見ると何だかんだ言って江戸の教育を受けた世代の政治家や官僚は凄かった。 >>616
確かにそうとも言える。
逆に江戸時代の人材がすごかったんだよ。欧州的に言うと、300もの大中小国が、
江戸留守居役という外交組織を駆使して、江戸幕府下で政治駆け引き(外交)をやっていたわけだからな。
中央集権下ではそういう人材は大量には育たない。 建国当初のドイツ帝国もそういうところはあったんだろうか 政治家人脈での官僚が可能なら、 普通選挙法施行によって社会共産主義政党人脈からも官僚を送り込めるって理屈になる
欧米列強の圧迫以上に、体制や財閥華族にとって最大の脅威になる社会主義国家も誕生している状況
その勢力排除の意味に於いて官僚試験導入は正しいだろう ただ官僚の政治任用制はアメリカのほうが日本よりも採用している
だから悪い制度とはいえない 長期政権の安倍さんも従一位大勲位菊花章頸飾貰えそうだな
あとの有資格者は小泉くらいか? 安倍は真っ黒だから、政界引退したらどうなるかわからんよ
官僚も現役の時のように、忖度して安倍に不利な書類を廃棄してくれないだろうし >>611
明治時代にも華族と同様に士族がいたという話をしてるからだろw
戸籍を取り寄せてみると先祖が士族だったことがわかると言うだけ 戸籍に士族と記されてるんだから士族は族籍が無くなるまで居たことになるな 阿波の平島公方足利家は華族になりたいと申請したが却下
士族にもなれずに平民になってしまった >>627
華族基準も微妙だが士族の基準も良くわからんな
華族だと戦国武将の子孫が(江戸期は唯の藩士とか)華族編入願を出したりだとか
田舎だと郷士(実質的には唯の百姓?庄屋?)が士族編入願を出したりとか
陪臣も同様。かと思えば足軽でも士族になったりとか・・・ 俺の大学の後輩(女)の家は江戸時代まで尼寺で摂家から養子を貰い明治天皇の特旨で士族とされた まだオレオレ(私)詐欺の話をしているの?
再び流行っているから気を付けてください、という連絡が来たんだと言っているだろう、
警察から来た。 旧華族って金持ちのイメージが多いが、一般庶民と変わらない暮らしをしている旧華族もいるのかな? >>627
足利と言えば将軍家なのに華族どころか士族にもなれんとは
南朝正統論が支配的だった明治政府の役人にいじわるされたのだろうか >>636
逆に金持ちの旧華族がごく稀で、
ほとんど一般市民と変わらない。 >>637
喜連川なんて血統的には足利の血一滴も入っていないけど江戸時代諸侯だったから嫡流扱い
平島家は血統的には嫡流だけど浪人だから平民。 末期養子を解禁した時点で、血統なんかどうでもいいだろ 個人的には血統>家の感覚だけど
当時の人々の感覚は家>血統なのか >>641
当時は位牌を守るという「家」の感覚が大きい
血の繋がりがない養子、養女もよくあった
山内一豊夫妻は血の繋がらない捨て子を養子にして
夫人は夫が亡くなると領地を引き払い捨て子の養子を頼って上洛してるしね >>639
浪人でも由緒あれば郷士として士族編入できると思うけどね。
華族じゃなきゃ嫌だとごねて士族編入拒否したのかな? 水戸の山野辺って一万石超えてるけど何故男爵になれなかったの?
万石陪臣はたいてい華族になってるのに >>644
加賀の家老本多は5万石でもダメ
尾張にも万石以上はいたけどダメ >万石陪臣はたいてい華族になってるの
恥ずかしい知ったか >>645
加賀八家は全部華族になってるだろ?
尾張だって附家老以外の万石陪臣も男爵になってる。
減俸された仙台ですら最上級家臣は減俸後 北海道に移住するほど困窮して絶対に万石切ってるけど男爵。 薩長に散々恨まれてた彦根藩の家老も男爵になってるね。 男爵になる陪臣の基準も、税収ベースだったんだっけ? 諸大名に名義だけでも士籍とされていた者が士族になっただけで由緒のある郷士であれは士族になれたという訳ではない >>647
仙台の陪臣は万石以上陪臣の格ではなく北海道開拓の功で叙爵されたもの >>651京都にいたらしいけど壬生郷士みたく浪人身分としていたわけではないの? >>654
まあ、答えにくい質問だが。身分制度としては無いが現実的には身分らしきものはあると
これなんか面白い
ttps://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/13-k1.pdf
壬生郷士も「京都壬生 八木家の歴史」等参考に >>643
郷士は大地主などの地元有力者で
身分は農民や商人であっても末端武士から苗字帯刀権利を買うなどして
苗字を名乗り刀を所持していた者
主君を失い失業中で貧しい浪人と違ってこっちは原則富裕層 >>656
元和偃武の後、主家を失ってるものは庶民、仕えてるものは武士となるが以後主家を離れたり取り潰しで主家がなくった人たちを浪人という。これが原則論だが
農村は支配が行き届いていなくて100年ぐらいかけて兵農分離が進んでいく
帯当人改等で帯当人を把握し追認するか停止処分にするかその狭間で・・・ 三島由紀夫が学習院だったのは割りと有名な話だが、
志賀直哉も学習院だったのは意外と知られていない。 >>660????
白樺派として有名な作家だろう。 >>652
それいったら万石陪臣の殆どは家格ではなくて維新の勲功という名目で男爵になってる。
あと 例外を除いて大体の万石陪臣は附家老などの維新後立藩諸侯よりも遅れて叙爵されてる。 >>662
維新の功と北海道開拓の功を同視する低能
じゃあ石川家以下他の万石陪臣が叙爵されなかった理由は? 万石陪臣であったかどうかではないだろ
功があったかどうかだ 上杉家中の平田も
正二位内大臣で伯爵だが万石陪臣ではない
甘粕も万石陪臣でない 松平恆雄は功績により授爵されてもおかしくなかった。 なんにせよ、華族だの貴族だの旧宮家だのが敗戦と民主化で吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。
GHQグッジョブだな。 666日本@名無史さん2020/01/20(月) 18:43:34.59
>>665
知能が低いのか
671 名前:日本@名無史さん 2020/01/22(水) 01:13:12.03
>>670
知能が低いのか 華族には反対だし否定するが、明治維新のとき、西郷・大久保・木戸といった英傑には三万石くらい与えて大名に取り立てるべきだった。
元亀天正の昔なら西郷は城主に取り立てられていたはず。 >>672
そんな今の世の中が良かったみたいな事言ってるけど
今の世の中だって充分閉塞感に満ち溢れてるが? >>677
いつも同じコピペしてる基地害だから触れるな >>670
授爵されるとしたらどのタイミングで?
ロンドン会議に全権として出席したとき?
娘の節子が秩父宮と成婚したとき? >>675
あからさまに愚説だが敢えてマジレスすると
薩摩が貰った賞典禄10万石の内5万石を島津久光に割いて分家させ玉里島津家が成立している
それとのバランスを考えれば家来に3万石は多すぎる 本当にどうでもいい話ですが
私の父方の祖母が島津家の出 まあ西郷には2万石くらいやっても悪くないな。畿内周辺の旧幕府領からそれくらいひねり出せるだろう。
旧幕府でいえば若年寄クラスの待遇で独立した大名に取り立ててほしかった。 敢えて馬鹿にレスしたら調子に乗っちゃったか
ごめんな 先祖に華族が誰もいない3人の女性皇族の先祖のうち、下の4人は男爵に準じるレベルの人だったと思うけど、
誰が一番華族になりえただろう。小和田>山屋>池上>正田かな?
美智子上皇后の父方祖父の正田貞一郎(貴族院議員、日清製粉取締役社長、会長、東武鉄道取締役会長、如水会理事長)。
雅子皇后の曽祖父(母方祖母の父)の山屋他人(海軍大将、連合艦隊司令長官)。
雅子皇后の父の小和田恒(外務事務次官、国際司法裁判所所長、国連大使、国連安全保障理事会議長、世界銀行総裁特別顧問)。
紀子妃の曽祖父(父方祖母の父)の池上四郎(朝鮮総督府政務総監、大阪市長)。 >>679
娘は秩父宮と結婚する時に平民だから叔父の養女にしてから嫁がせたんだよな >>663
石川などの仙台藩士は減封の結果だろうけど 一部の万石陪臣は叙爵されなかった理由を君は明確に答えられるの?
維新の功績が無いから?
そういや2万石の越前本多も最初は士族だったな。 領民が一揆起こして「維新の功w」で男爵になったけど。 >>644
これ、幕末の政争に巻き込まれて除封されてる。
累代の万石陪臣でも維新時は無禄。 俺の家系は裕福だったが、祖父の代に農地改革で約250ヘクタールの土地を失った。
さらに税率75パーセントの財産税もかけられて殆ど持ってかれてしまった。理不尽。 >>691
横レスだが
本多は華族一同に最初に授爵が為された時点で男爵だから万石陪臣のその他の例とは一緒にできない
(そのとき万石陪臣で授爵に与ったのは附家老五家と吉川本多のみ)
ちなみにその後授爵された面々を含めても「(父・祖父の)勲功に依り特に男爵を授く」とされたのはそれほど多くない
ほとんどが単に「男爵を授く」とされている
「維新の勲功という名目」とやらがどこで見出だされるのか知りたいものだ
万石陪臣の授爵は下記のようにある時期に多くの家が一斉に為されている例が多いのが特徴で
勲功というよりは「万石以上」という格によるお手盛り授爵と見なしても大過ない
明治三十年十月二十七日 9家
明治三十三年五月九日 26家
明治三十九年九月十七日 10家
これだけで万石陪臣の半数以上にのぼる
他に万石以下だが各家中で一門乃至家老とされた家が明治三十三年の際は8家、明治三十九年の際は1家が叙爵されているがその場合は「勲功に依り特に」との文言が入ることも多い(特に佐竹東西南北4家は全部そうなっている)
いちいち細かく挙げないが万石陪臣で華族に列せられず授爵されていない家はかなり少ない
>>692の言うようにあまり知られていないが万石でなくなっていたという場合も考えられる(各家中の分限帳を通時的に網羅している例が稀なのだからこれは当然)
いま一つ例を挙げると加賀家中人持組の本多図書家(安房守家の分家)も幕末近くに万石でなくなっており授爵を逃している
個々の事例について何故授爵されなかったかを検討することは必要で
決してイメージだけで放言することのないようにしたいところ
少なくとも仙台家中で叙爵されたのは亘理伊達家と岩出山伊達家の分家、そして白石片倉家で
(本家はともかく)岩出山分家が万石陪臣ですらないことや3家ともに北海道開拓に従事していること、そして彼らの授爵が先に挙げた一斉授爵のタイミングと異なることからも
>>647のようにその他の万石陪臣と同列に論ずるのはナンセンス
ついでだが>>665は何故官僚としての勲功で叙爵された平田や華族ですらない甘粕を挙げているのか意味がわからない 没落した華族
1 松浦伯爵
2 蜂須賀公爵
没落してはいないが迷走している華族
1 徳川公爵(宗家)
2 細川侯爵 松浦伯爵って、売り立ての記録はあるようだけど、各大名がやってたことだし、茶道とかも継続してやってたりして、あまり没落した印象が無い。
芸術家だった浜田松平家の松平武龍とかだろう。晩年は生活保護受給したらしいし。 早い話 実高5000石の諸侯でも子爵なのに万石陪臣は男爵どころか士族止まりってのは平等性に欠ける
諸侯や維新立藩男爵より かなり後になってから勲功ということで叙爵されたって感じだろ?
>>646みたいな一行レスだけで馬脚を現したり、低能とか無能しか言えないような奴が出て荒れたけどそんなに問題じゃない。 没落したのは生活保護までうけた平戸藩分家のほうだ
松浦伯爵からの婿入りだけど あと蜂須賀は公爵でなくて侯爵
海外に逃げて消息不明 >>696
徳川家広→子なし
細川護光→娘一人
一人息子は大変 相変わらず後ろ向きのスレだな。
華族は存在自体が罪。民衆の敵。敗戦と民主化が一掃されてせいせいした。 最後の大老となった姫路の酒井男爵家は
無縁仏で現在、墓の撤去が見当中 徳大寺実則の墓も無縁仏で撤去が検討中らしいが、
徳大寺家の人間は一体何をしているのだろうか 595 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2020/01/26(日) 16:46:27.33
最後の大老、姫路酒井の末裔は生活保護まで受けるに至る 酒井雅楽頭は墓の管理料が払えなくて破産だな
方や、酒井左衛門尉は左うちわで今も地元の名士 >>705
徳大寺家は子孫残ってるのに何で無縁仏になるの? 華族は消滅して本当によかった。近代日本に何ら貢献することのない社会のガンだった。 瀬戸内あたりの海賊でもやってたんが日本神話だのにちなみ名家ヅラだのしてるんいないか?
なんか発見あるたびに自分らで独占狙いみたいなんしてるバカいるからな
そいつらのあぶり出しやってみ 716
そいから貢献て?
おまえかなりバカやの
俺は歴史探究者 >>725
徳川慶喜はともかく島津の
子供が公爵なのに改めて親が公爵とかありえんだろw 家柄華族は廃藩当時に当主だった人物一代限りで廃止して、勲功者も当人一代限りにすべきだった。 明治以来、社会のゴミだったから新憲法制定であっさり廃棄された。
誰も惜しむ者はいなかった。 よく知られてるエピソードをわざわざ出してきてどうした? でも、江戸時代は一庶民から大名になるのは無いが維新後なら東大なり士官学校出て
功を上げれば可能性はあるわけだし・・・昭和の軍閥なんかも爵位欲しさに暴走って話もあるし。それほどのものでもあるまい・・・
一庶民の自分の家も遠縁に1家勲功家族の家があり一家皇族と遠戚になった家がある。江戸時代だったらありえないでしょ。 >>725
でもそのおかげで島津家は他家に乗っ取られずに存続している面もある
まあこれは水戸徳川家や鍋島家にも言えることだろうけど 華族は廃藩置県の時点で、その歴史的役割を終えた。そのとき当主だった人物の生存中のみ華族の身分を残して、徐々に廃止していくべきだったろう。 徳川はもともと将軍や大名だろ
宗家御三家御三卿以外は慶喜家と松戸家くらい
岩倉は具視の次男三男など勲功もないのにつぎつぎ華族入り 岩倉は爵位を与える側にいたからな
明治政府の中枢だったろ 徳川家は公爵家を三家も出してる。
徳川公爵家
徳川慶喜公爵家
水戸徳川公爵家 731日本@名無史さん2020/01/29(水) 12:32:01.21
よく知られてるエピソードをわざわざ出してきてどうした? 今上天皇はイギリス王室から追い出されたヘンリーに
王の称号と殿下の敬称を与えれば良いと思う ↑
なんかムカつくなコイツ
仏罰当たって死ね!
南無妙法蓮華経 千駄ヶ谷の徳川邸は10万坪の敷地に建坪900坪の大邸宅だった。
全国水平社の過激派活動家に放火されて一度全焼している。 >>760
徳川宗家も今や大山町に僅か400坪の邸宅となった 何処の馬の骨か分からんやつに乗っ取られるのよりはマシだろう。 家 の話なのに 血筋 を持ち出すアレ
摂家も清華家もズダズダだろ >>764
何を以って血筋的に宗家じゃないと言ってるのか知らんが
徳川将軍家の直系自体は徳川家綱の代で既に途絶えている 織田信孝「信成?誰だよコイツは」
織田信成「おまいは信長の子孫じゃないだろ」 水戸徳川家の血脈の広がりは本当に凄いな
今では殆どの徳川一族は水戸系になってる 寺社は基本男爵だけど両大谷家だけは伯爵だよね。
なんで? ど〜みたって中華やらに媚びてるやつらやな
いらん!
死ぬ目に合わなきゃ分からんか 特別扱いだの言って自分らの国の政治取るやつらを海外のバカ優遇するって話なんだが
意味分かってるんかい?
なんでそんなバカを優遇しなきゃならない?
おかしな話だろ 自分らの生活に関係あることを決める連中らを海外のザコ優先て話なんだが
そんなバカな話はないだろ 鼻の穴ふくらまして何怒ってんの?www
😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂 華族だの貴族だの社会のクズが敗戦と民主化で吹っ飛んでくれて、せいせいしたわ。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。 それよりそのブサイクな顔どうにかしろよwww
😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂 >>772
伯爵になった公家は大納言迄宣任の例多き旧堂上
大納言は僧官で言えば大僧正
両大谷家はデフォルトで大僧正になるのでそれが考慮されたのではないか
他には専修寺も大僧正になるがそれほど多くない 天童の織田本家は信長の子孫だけど
柏原の織田子爵家はスケート選手のいう通り
江戸期に他家から養子が何度も入り信長の血筋ではなくなっている 華族って世間から恨まれたり馬鹿にされるだけで、歴史上何の価値もない悪しき存在だったな。 だから廃止されたとき、誰も惜しむ者がいなかったし、復活させる動きも起こらなかった。 石原良純
長嶋一茂
花田虎上
貴乃花・花田優一父子
マット
クソ華族より、この面々の方がはるかにマシ >>767
会津松平だから
江戸時代なら宗家なんて死んでも名乗れなかった >>787
お家乗っ取りされずに島津忠久の血脈を守って現代に至ったのは凄いと思う。 小和田家や小室家、
日本国や日本国民とは2600年の間
何の関係もなかった一般人を皇族として崇め奉り
日本の先人たちが多くの努力と協力の下、伝えて
こられた旧宮家の方々を「戦後民主主義」の名の下に
拒否してきた現代日本人は何と愚かだったのかと
そう思わざるをえない
今からでも遅くない。小和田家や小室家のような
イカモノを追い出して旧宮家の方々(彼らこそ本当の宮家です!)
に復帰いただこうではありませんか! オワダもコムロも好かんが、旧宮家や華族も同じくらい好かん。
まあ、この中ではコムロKがロクでなしの寄生虫で一番最悪だが。 >>792
皇族スレじゃないし
戦前の皇室典範でも読め いまのコノエはホソカワ君であって…
所詮、マガイモノのコノエ どうせなら細川家ではなく鎌倉以来の関係がある島津家から養子を迎えれば良かった。 近衛文隆の庶子で、文麿の唯一の男系の孫である俳優の東隆明さんは、
仮面ライダー、ウルトラマンレオ、スカイライダーなど70年代のヒーロー物に出演していた。
こういう人は好感が持てる。 ライダーとかに出てたころの東隆明さんは祖父の文麿に激似 >>798
もし島津家の長男忠敬が早世しなかったら
次男の修久が近衛家の後継になったのか? >>801
島津に嫁いだ長女は家に出入りしていた某整体師と駆け落ちした問題の女性だからそれはない
藤原一族の総本家が氏素性もわからん整体師なんかの家と親戚は問題でしょ
そんなことになってたら、三笠宮の娘との結婚なんかできなかったと思うよ
それに文隆氏は、生前もしものことがあったら細川の次男坊を養子にするように言っていたらしい >>747
仮名でしょ
語ったことはほぼ真実だもの
榊原喜佐子さんも妹の久美子さんも妾腹よ
喜佐子さん誕生の時慶久氏は庶子誕生届を出している
当時の戸籍には嫡出子と庶子の区別があった
久美子さんは慶久氏死後の誕生だからどうなっているのか知らないわ
慶久氏夫人実枝子さんは慶光氏出産の後数回流産、結核の持病もあり療養中で、お妾さんが夜のお勤めされてたのよ
そのためか夫婦仲が最悪となり、二人の夫婦喧嘩が当時の家族仲間でも問題になるくらいだったらしいわ
実枝子さんの不倫は本当かどうかはわからないけど、華族の間で尾ひれはひれをつけて良くない噂が広まっていたのは確かでしょう 徳川慶久夫妻の醜聞は倉富勇三郎日記に赤裸々に記されてるから別に真新しいことでもないだろう
あれを読むと、某コメンテーターが今話題の小室家程度の問題は昔の華族でもよくあったことって言っていた理由がわかるw
ご子孫の方のブログによれば慶喜家は潔く家じまいをされるらしい 上杉家は首里城再建に金を出すけど
島津家はやっぱり出さないんだな 為朝だかその子だか知らんが現地の女性と結婚して家督相続 島津、大友は頼朝の庶子伝承
頼朝の父親の義朝の弟が為朝
源平入り乱れた合戦で九州島流し 日本が敗戦したときに、華族はみんな「家じまい」して、平凡な苗字に改姓して庶民の海の中に埋没すべきだった。
資産も社会的名誉も失ったのなら、潔く「家じまい」して歴史的役割を終えるべきだった。 関東にいたなあ悪源太義平
頼朝の兄貴だ、本来なら源氏の嫡男
木曽義仲の父親の源義賢と合戦やって死んだ
新田義重が義賢の味方してたんだね
そんで頼朝の恨み買った 源頼光から始まる多田源氏はずっと京都の番兵だけやっていた
だから配下になる武将らとの縁故まったくないんだね
鎌倉相続人は坂東八平氏の主君の家柄 >>810
個人的には清和源氏の流れを汲む上杉家の方が名門だと思うが、
島津家は公爵になってるから華族スレ的には島津家の方が名門。 頼朝んときもそやったからな
味方につく源氏連中らはほとんどおらん
ほとんど頼朝に忠誠誓ったん坂東八平氏の連中らだからな
御家人はかなり多く平家出身者が占めた
源氏で頼朝の味方についた連中らは御親類衆と呼ばれた 上杉氏ってのは代々、足利家と縁故結んできた家柄だよ
足利家当主の嫁さんなるやつらが上杉から輿入れ 言わば足利家の外戚として重用された
関東に根を張ったのはそっちからの縁 初めは鎌倉相続人に対して忠誠を誓う!って言う坂東八平氏の連中らが多かった
源氏に対して忠誠を誓うじゃないんだね
これに頼朝の外戚だった藤原氏出身のやつが一時、鎌倉相続人を継いだでしょ
そのあとは皇族出身者を鎌倉相続人に据えた
破綻したがな
日本全国にいる源氏連中らが源氏の棟梁として足利尊氏を担いだ
これが室町幕府だが日本全国の源氏出身者が足利に従った 北条氏が得宗政治やったが誰もそんなんに従う連中いなかったんだよ 後醍醐天皇についたな足利のライバルだった新田やその縁故衆とあとは悪党出身やら公家から降りて武将に転身した連中らくらいだ
新田自体は北条時代に断絶くらって当主いなかった
新田の分家の里見氏から養子を迎えて新田党を再結成してその当主が里見義貞あらため新田義貞 室町幕府が成立したときにほとんどの平家出身者滅んだからな
どっかの家臣にでも潜り込んだ連中らしか生き延びとらん 信用ないからな
平家同士でも互いに信用ないから殺し合った 平家出身の家系は源氏出身の家系連中らより圧倒的に少ないっしょ >>822
上杉氏は家女房で正室は北条家でしょ
尊氏は正室腹の異母兄が早死にしたから当主になれただけ 南朝方だった新田一門はほとんど里見源氏らばかはらなんだね
新田党を再結成したときに当主になったんが里見小太郎義貞だからその親類衆一門が味方になった あとは北畠氏が村上源氏やったな
これはだいだい朝廷に仕えてきた公家が武将に転身したパターンだからな 上杉氏は途中で長尾氏(坂東八平氏)に家督譲ったがこの出身者で有名なんが長尾景虎(上杉謙信)
足利義輝から京都に来て管領になってくれって言われてんだね 徳川氏に改めた松平氏は鎌倉時代にはすでに三河の地頭として名前が見える
つまり地頭出身 織田氏は斯波氏に仕えて斯波家の家老に抜擢された越前の織田神社の神官が始まり 松平が地頭???
やはり華族スレは近代史板で立てるべきでは 鎌倉評定衆ってのは御館(源頼朝)を首座に抱き坂東八平氏の連中らが互いに睨み合いながら評定をやっていた
政変起きる度に連座事件が起きみな死んだ 賀茂神社⛩だのそれ神祇官の方の役職だろ
神官関係取り仕切っていたのが神祇官だからたりめえさ 825
惟任、惟宗氏は古代日向に名を刻む古代氏族
京都の朝廷の公家連中らは名家扱いしたがよく分からない 日向っちゃ神武天皇の出身地やからな
だけどよく分からない
島津氏は鎌倉時代の島津庄が始まりやからな
頼朝の命令で島津忠久が島津庄に入った >>814
為朝が九州にいたのは保元の乱以前
その後流されたのは伊豆大島
>>816
義平は嫡男ではない
母の身分から義平の生前から頼朝が嫡子の扱い
また義平は義賢との合戦で死んだのではなく逆に義賢を殺害している
義平が死んだのは平治の乱の後
>>819
上杉が清和源氏って何の冗談?
家としては藤原氏であることは周知なんだが
基本情報も満足にインプットできない低学歴の知的障害者ばかりか 徳川は元は上州世良田の願人坊主と違うか
賀茂の松平を軒を借りて母屋を乗っ取る
黒田もそうだ >>848
上杉は吉良から養子が入ったからじゃね? 島津忠義の子孫の集まりである錦江会は令和でも開かれるんだろうか
近衛忠大さんは忠義の三女の、久邇家出身の奥さんは八女の子孫にあたるんだよね >>852
吉良から養子に入ったから清和源氏?
知的障害者は黙ってろ >>854
俺に突っかかってくんな馬鹿
文句は最初に言った奴に言え低脳 >>810
名門というか上杉じゃもう格が違うでしょ
島津家近衛家徳川家は歴史的に密の関係を保った家格だし
島津家文書だけだしね日本に名家数あれぞ国宝なのは 島津家は石高の大きさによって公爵になったの?
家格が考慮されたとかそういうことではないの? >>857
武家文書として日本で最初に国宝指定されたのは「上杉家文書」だよ
確かに上杉家文書の最初の国宝指定には研究者の驚きがあった
武家の長い歴史からいえば上杉氏は島津氏の足元にも及ばないし、文書量もはるかに島津家文書が膨大だ
しかし足利尊氏、武田信玄、織田信長、北条氏康、徳川家康と言った著名人の文書を含み、文書が当時の形のままに残されていることが評価されて武家文書初の国宝指定となった
しかし格が上だとか下だとか、おかしな日本史や戦国板には格付け厨がいるんだな 今年の藩校サミットは萩で行われたんだけど
伊達家、上杉家、会津松平家、長岡牧野家、庄内酒井家など奥羽列藩同盟のお殿様たちがこぞって欠席されたのはわかるんだけど、島津のお殿様も欠席だったわ 関八州古戦録を読んだけど、なんだかんだ昔は戦略上の家督を継ぐために養子が多かったんだな。 萩なら上杉家中の毛利本家や信濃島津に声かければいいのに
と思ったが藩校サミットか 諏訪家のような神代から続く名門が子爵に過ぎないのは納得いかない。 千家家とかも男爵だからな。
古いから爵位が上になるわけじゃない。 伊藤博文や井上馨のような元勲の「直系かつ同姓」(←ココ大事!)の子孫がパッとしない。
逆に言うと戦後の政党政治屋のような世襲私物化をしなかった点が評価できる。 慣用句で「明治の元勲」といった場合、狭義の「元老」も含めているだろう。 西園寺公友(東宮侍従)
1969年(昭和44年)4月16日 - 1989年(平成元年) してたのか
罵倒した挙句適当なこと言って申し訳ない
でも一族がきな臭いというのは変わらない
特に公一系の子孫 横から言っておくと東宮侍従と侍従は違うと言えば違う
キナ臭いとか意味不明だが 西園寺公友は昭和天皇崩御、新天皇即位により東宮侍従から侍従に就任
平成元年7月、侍従を退官している
最後の公家華族出身の侍従かな
渡辺は新華族出身だから これ守ってくれないと困りますよ
「禁中並公家諸法度」第6条
一 養子者連綿。但、可被用同姓。女縁其家家督相續、古今一切無之事。
(家の相続に関して、養子を迎える際には同姓の家を選ぶように、また妻の縁類からの家督相続は古今一切見られないことと女系を
否定した内容である) いまのサイオンジはモウリ君であって…
所詮、マガイモノのサイオンジ だな。
コノエもサイオンジも今は大名の子孫で、もはや公家ではない。 華族
@爵位に応じて月給が政府から貰えるが馬車のための馬や馬ていや執事が必要で
家計は貧困だったのでので政府の悪口ばかり言う薩長の田舎者と
A本居宣長の神学をイナカッペと否定するが自分たちの神学を提示できない
B開戦の詔勅を書くよう政府から頼まれたが教養がなくて書けず
結局古代中国文学者の平田篤胤が書いたがそれにケチをつける >>801
島津家って元々は渡来系だろ。
それより清和源氏の細川家の方が良い。 実際のところ、幽斎藤孝の出自もかなり怪しい。本当に守護大名細川氏の一門だったのか眉唾もの。 島津家=始皇帝の子孫
細川家=清和天皇の子孫
よって島津家が細川家より格上 現代新皇族の小和田一族と小室一族の家系に
ついてわかるかた 島津家や細川家も出自が怪しいとすると、
逆に出自が確実なのはどこの家系になる? コムロについては、あれだけ家系調査に熱心な女性誌などのゴシップマスコミで何もでてこなかったのだから、
正真正銘の地べたの平民だったのだろう。
川島家のような庄屋や武士や官僚の先祖も、黒田YOSHIKIのような旧華族の縁者もいない生粋の地下人なのは確実。
おそらくは水吞百姓や小作人、プロレタリア階級の出なのだろう。 >>896
新皇后の閨閥は有名じゃん
父方小和田家は村上藩下級武士の末裔、父方祖母も村上藩藩士の流れで祖母の父親は新潟県会議員
母方江頭家は佐賀藩下級武士の末裔、母方祖母は盛岡藩士、山屋他人海軍大将の娘
山屋他人の妻は尾張藩士、丹羽房忠の娘
小室家は一応江戸時代からの大地主なんだろう
小室の問題は母方らしいぞ >>889
ドショミンの分際でなにを偉そうに言っているの
てめえらが公家じゃないとかいえる立場かよ、ドショミンが モリテル君をコノエに送り込んだのはモリサダ君であって…
所詮、マガイモノのコノエ 華族っていうのは日本のセレブだと思っていたが、
1929年の世界大恐慌で大損して財産を大きく失ったようだね。
これ以降、国宝級の家宝がオークションに出されている。
多くの華族が借金で苦しんだんじゃないか? なんにせよ華族だの貴族だのが敗戦と民主化で吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。 総資産8000万以上と言われた島津公爵家や3000万以上の紀州徳川侯爵家のような富豪華族ですら
折からの不況や十五銀行の倒産などで傾いてるからな
没落を免れたのは尾張徳川侯爵家ぐらいだろう なんにせよ敗戦後の財産税と累進課税、そして農地改革が階級打破と社会の民主化に大きく貢献した。 >>906
島津家は没落を免れた方だろ。
紀州家は目も当てられないが… 上杉伯爵家は今も城もち
館山城(建物はないが土地は私有地)
成瀬家も犬山城を私有していたが遂に手放した 861
源平藤橘で区分けがあったから他の氏族から養子取るってな絶対にやらなかったが江戸時代に崩壊した 女系を認めるだのそんなん本来あるわけないんだよ
ないものをあるとしちまったバカがいた 上杉は藤原氏だんべ
長尾氏は平氏
まあどっちも名門やけどさ >>911
室町時代に源氏の佐竹の一人娘に藤原氏の上杉から養子を迎えましたけど? 江戸時代前にも源氏の久我家は藤原氏の近衛家から養子を迎えてるし、反対に藤原氏の徳大寺家は源氏の久我家から養子を迎えてる 律令法にも他姓養子の規定があった
無知なバカが「絶対」などと気安く言えるんだからいい時代だよな 徳川家広さん元気にしてるだろうか?
落選してから大分落ち込んでそうだ 915
それで戦争が起きてるんだが知らないのか?
家臣団が一斉に当主を身限って追放しよ〜とした 家臣団があのバカたれが!(°▽°)って従うのやめちまったんだよ そりゃ家臣もいないよ〜な連中らには関係ない話やな
源氏は必ず源氏から養子を取り藤原氏は藤原氏から養子を取る
昔はこれは絶対だったニダ(╹◡╹) >>917
他姓養子厳禁は中国とその伝統を受けた朝鮮では絶対だったが、日本は緩やかだった 源平の時代にも他姓養子は散見される
清盛か忠盛が藤原氏を養子にしてたり
小早川景平は源姓平賀氏から平姓土肥氏の養子になった人物 >>918
変な気を起こさず昔のまま国連勤務してれば良かったのに。 >>925
家広さんって今何で生計を立ててるんだろう? >>928
元々翻訳家だったからそっちの方からも印税が入るとは思う
奥様は選挙の時も全く見なかったけど、働いているんだろうか 思想信条は自由だから同性婚や夫婦別姓を掲げても良い。
しかし、徳川家広氏の選挙戦の下手さには心底失望した。
あの程度で評論家を名乗っているのは本当に凄いと思う。 >>910
館山は御廟所の隣だからまだ所有してんのかな
でも上杉も先代当主の時に家伝の文化財の多くを金にするために手放したよね
話題の山鳥毛もあの時手放した
姫鶴はその後米沢市が買い戻したけど、億単位の山鳥毛は流石に米沢市も上杉博物館も手は出せなかったか
今の当主は文化財保護に熱心な方らしいので伝来の物が散逸することはこれ以上ないだろうけど 赤みがかった人が旧華族の遺産財団法人化を批判するけど
文化財保護の観点から見れば散逸するのを防げるから良いことだよね >>930
野党共闘のはずなのに対立候補立てたんじゃ国民民主も怒るわな >>931
>>館山は御廟所の隣だからまだ所有してんのかな
現地に上杉家の私有地の立て札がある(見学は別に事前申請も不要で自由)
石垣とか歴史調査が入る場合は国や県の研究チームを入れている
>>現当主
先祖が数年統治しただけの首里城に
再建の寄付金を出すくらいだからなあ 勝伯爵家は徳川で小吉との血縁はなくて
勝海舟の子孫は海外に居るのか 大体>>936みたいな連投言い出す奴が連投してる。 >>935
徳川精は海舟の孫娘と結婚して勝家を継いだんだよ
海舟の子孫ならアメリカだけでなく、日本にも一杯いるよ
海舟の長崎妻の妾の子梅太郎は妻のクララと離婚した後、再婚してるからその子孫も日本にいるはずだ
精と海舟の孫娘は結構子沢山で、その次女の長男と上杉現当主の姉が結婚してる 梅太郎は妾腹で母方の梶姓だから、勝家の直系は養子の精の子供たちだ
精の孫の勝芳邦氏は東大理学部卒でIT関連で活躍されていたが数年前に若くして亡くなられた
お子さんかおられるそうだから、その方が直系子孫になる 阪神財閥の藤田にも精の末娘が嫁いでるから、現当主は海舟の曾孫にあたるな
今でも西宮の豪邸にお住まいに 海舟と精一郎のひい爺さんは人殺して逃げてきて
江戸で行き倒れになった座頭市だよな
カネを返せなくなった男谷と勝から旗本株を取り上げた 江戸時代なら将軍の子が陪臣の養子になる何て考えられなかっただろうな なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
財産税や累進課税、農地改革などで社会構造の民主化が進んで本当によかった。
あんな連中が今でもデカイ面してのさばっていたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。 大谷家は親鸞の男系子孫ではなく女系子孫だったんだな >>948
今でも華族制度が残っていたら、華族の令嬢などは、○子媛などと新聞に書かれ、
敬語も使われていただろうな。
またそういう人間をありがたがるマゾの奴隷根性の庶民がゴマンといて、
ブロマイドなどが売られ、土下座する奴がいたりするんだろう。
イギリスにもそういう趣味の人間がいるし。 何様でもない百姓あがりがまじめに働いている人々に殿様ヅラして
えばりちらしたり、たいして勉強もしていないやつが根拠もなく
訳知り顔で人に上からものをいう低俗でイカサマな世の中にもそろそろ飽きてきたが >>948
俺はおまえのようなわかったようなことを人に上からものを
いうじじいがいる世の中の方がやりきれないな >>951
おまえ、アメリカで医療が受けられなくて死んだ人の数
わかってるのか?
それから朝鮮民主主義人民「共和国」の現実はどうなんだ? どうかねえ
今や皇族のプロマイドだって買う人いないんじゃないの >>954
嵐のポスターに土下座なら見たことある。 明治30年代の大名華族の高額納税者はトップは毛利公爵、ついで島津侯爵、徳川公爵、細川侯爵だった
公家のトップは鷹司公爵だけど、大名華族の最低の稲葉子爵家より低い
公家は貧乏だったんだなあ 毛利家の方が島津家より裕福なのか
紀州家より宗家が上なのが意外だな 伊達家は宗家が伯爵で分家の宇和島家が侯爵という逆転現象が起きている。 ここでも(例)漫画などの話をしているの?
某Aという人物の部下という設定のキャラがいたりするんだけど、
実際は・・・その人物(家)Aよりも上だという。 某という家や人物に仕えていたりする人物がいたでしょ、
よく考えてみると・・・・・仕えていた人物のほうが上。
漫画やアニメ、その他などにも、よくある話。 真田伯爵が上司に
「君も真田いうんか。うちは真田家の足軽だったんや」
言われた話は有名 松前子爵は上等兵
清水徳川男爵は少尉で召集じゃなかったっけ 宇和島伊達は分家でなく別家
鳥取池田も岡山の分家でなく別家 与太は、おどれらじゃが、成り上がり尾張系池田家たぁ、
岡山の菅原道真系の菅直人氏の方が中世まで家柄が遡れよ。 自領を割いて与えたのが分家
上位者から自領のほかに土地を貰ったのが別家 出自が謎な大大名
前田家(菅原氏?)
島津家(惟宗氏?)
伊達家(藤原氏?)
山内家(藤原氏?) 毛利公爵家は元就から長州藩までだが
毛利李光から毛利元春までの祖祀を守る本家が現存するということだろ 勝(物部姓)
田中(橘姓)
塚原(中臣姓)
あと朝臣でなく真人の大名(華族)がいたような
気がしたが誰かわすれた 近衛家と西園寺家が武家に乗っ取られたとか言われるけど、
地味に鷹司家もしれっと男系が鍋島家の血統になっている。 いまのタカツカサはマツダイラ君であって…
所詮、マガイモノのタカツカサ >>986
有識故実の時代ならともかく、公家文化が滅びた近代で武家に乗っ取られたなんてねえ
最後の公家は京都に残った冷泉家ぐらいだと思うけど、その冷泉家現当主は華族でもない一般の方よ >>982
鎌倉時代からの先祖はしっかりしている島津と伊達と、完全に成り上がり者の前田、山内を一緒にするのは失礼でしょう 島津は頼朝の落胤と主張してるが
実際には惟宗氏説が有力なのかね どっかの華族の末裔さんはスーパーの店長してなかったっけ
冷泉家の現当主は出自はどうあれ、当主としての重責と冷泉家の家名をあげることに貢献されているから立派なご当主様だよ
日本は昔から優秀な人材を養子として迎える文化がある
改姓を認めず族譜に異常なこだわりを持つチョーセンとは違う 1000で華族制度は終了した。
各自はこれからも祖先の名を辱めないよう努力してほしい。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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