もう1億回は突っ込まれてるだろうけど、再確認。


>倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。

→北部九州に国内の人々が流入=生口・賦役(収租賦)が北部九州へ


>博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。

→!!!博多湾貿易が対外交渉の主役!!!


>西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。

→は?纏向から楽浪土器とか出土してないじゃん。


>絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

→つまり北部九州が当時の倭国の中枢だね。


>倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
>それは桜井市纒向以外にありえない。

→なんでそうなるの???
 この流れなら、北部九州以外にありえない。だろw