大阪の陣でどうすれば豊臣は勝てたのか?
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韓唐エベンキの行動は韓唐エベンキがシナチョンコエベンキと考えると完全にわかる
区別がつかないほど一致している
諸悪の根元韓唐エベンキ 大坂城が堅牢過ぎたのがいかんかったな。
単なる城なら城を代わるってのも拒否感なかったはずだが… 猿吉の遺族と毒川の対決・・・
どーでもええワ!
糞スレ要らん!!! そもそも戦略が
敵に造反者が出る
ってのはもはや戦略として終わってるのでは そもそも籠城ってのがな…
敵が攻撃出来なくなるまで守り切るしかないわけだが、
徳川はこの時日本全てといっても過言ではない力を持ってるし、勝ち目がなかったとしか… >>106
安土城天主に火を付けたのは、光秀に渡してなるものかという信雄の意地 >>113
結果論からいうと、大阪夏の陣の翌年に家康は死ぬ。
家康が死ぬまでなんとか、のらりくらり籠城で粘ったとしても、やはりダメですかね? >>113
徳川エベンキに不満を持ってるやつは多いし
増封約束すればエエだけじゃん
一部がころべは雪崩を打つスペインも見方につけて >>115
家康よりもアンチ豊臣だった秀忠がいるから家康の死が豊臣に利するかは不明… >>115
大坂冬の陣で豊臣は落城寸前だったのでそこを乗り切るところから始めないといけない
当然、ここでの講和は徳川への無条件降伏なのでどんな条件でも呑まないとならなくなる。
じゃあ冬の陣から家康の天命まで耐え切れるか?っていうと… >>118
落城寸前ではないだろ
軍事的には3年は籠城できたよ 大坂夏の陣で家康は真田幸村に殺され、堺・南宗寺に仮葬され、双子の弟・恵最が影武者を務めた。
それをカムフラージュするため、道明寺口で戦死した後藤又兵衛に殺されたというデマを流して、誤魔化した。
家光から忠長に覆そうとした恵最は、駿府で鷹狩の帰りに春日局(家光実母)の刺客に狙撃され、駿府城で絶命。久能山東照宮に葬られた。
その後、家康本人の遺骸は、堺・南宗寺から日光東照宮へ改葬された。
久能山と日光、2つの東照宮があるのは、家康・恵最が双子だったから。 >>119
一般には知られてないけど、
幕府軍は塹壕を掘って大坂城への突破口を作ってる。
更に織田が徳川に半ば内通していて大坂城最大の弱点である南口への攻撃を容易にし、
牢人衆にスパイを送り込んで情報工作して豊臣が動けないようにしてた。
後は総攻撃をするだけ、ってとこまで詰めてた。
この総攻撃を豊臣が凌げたかは不明。 秀頼が関白になってしまえば、将軍秀忠は豊臣を責めることができなくなる。
足利家や吉良家・今川家そして織田家w同様、江戸時代を通じて高家として残っただろう。
軍事的な話は色々あるだろうが、徳川方の朝廷貴族の買収で、秀頼が関白になれなかったことに尽きる。 豊臣秀次は関白になったが、家族もろとも滅ぼされた。
武家は官位を昇っても命の保障はない。
だが、秀頼が早期に大坂城や浪人たちと無縁となり、1500石程度の公家となっていれば、
本人も家族も安泰だったと思う。 大和郡山への転封を受け入れる条件に
関白になり上がれば太閤秀吉の子孫は今の生き残れたのにな、、、
、 ただ秀頼の関白就任の目は殆ど無かったけどな。
右大臣クビにされて、後任の同じくらいの歳の奴が関白になってるし。
朝廷から「おめーの出世ねぇから!」宣告されてる以上、徳川に土下座するしかなかったろう。 秀吉が裸一貫から成り上がった業績を
二代目が驕って、
家を潰したとしか思えないな豊臣政権は。
豊家豊家と驕ってみたが、
子飼い大名含め他所から呆けられた秀頼殿
頭を下げてれば、末永く血脈が残った気高い血
勿体ない 秀頼が国替えに応じても浪人衆が秀頼を出さない
秀頼は籠の鳥 >>124
将軍秀忠ってそんなに嫌われてたんか!?
>イエズス会の宣教師ヴァレンタイン・カルヴァリヨは、大坂冬の陣の真っ最中に「高齢の家康はまもなく死ぬであろうが、そうなると彼の相続者である秀忠も滅びるであろう。そうでなくても秀忠は諸侯の間で嫌われているので、政権を得られないであろう」と記し、そのときには秀頼が「支配者になる」と明言しています。
>聖ドミニコ会のヤシント・オルファネールは、大坂夏の陣について、将軍秀忠に任せればよいものを、高齢の家康がわざわざ大坂まで出陣してきたのは、秀忠だけであれば、戦況が不利になった途端、諸大名が豊臣方に寝返ることを家康が知っていたからだと述べ、「もし家康が出陣していなければ、秀忠が王座(天下人の地位)につけなかったのは確実である」と言い切っています。 諸悪の根源は牢人衆をカネでかき集めたことよ。
カネで集めた兵の統率は相当難しいし、その上秀頼は戦場を知らない。
下手に彼らの機嫌を損ねるといきなり暗殺される危険性まである。 豊臣の残ってた財で家康より先にオランダから最新兵器を取り揃えていたら火砲の差で徳川連合には勝てたはず。
浪人集めるんじゃなくヨーロッパ人の傭兵をカネのちからで集めるべきだったな。 徳川家から将軍職の権利を天皇にたくさんお金あげて剥奪することも可能だったのに。 朝廷からすると関白職を取られかねない豊臣の方が危険やし 朝廷もしたたか過ぎるよな、秀吉さん亡くなったら
掌返して豊臣排除するんだもんな。 てかそれが朝廷やからな。
権謀術数やり続けて一千年以上の歴史持ってますし。
役に立つなら使うけど、役に立たないなと感じたらあれこれ言ってポイよ。 とりあえず九州は島津ちに中国は毛利に南近畿は浅野に韓唐エベンキは上杉に、東海ゴロツキは加藤、池田に北陸は前田にと先に割譲を決めてから国賊徳川エベンキを始末すれば確実に勝てる アホ韓唐エベンキ徳川のお陰で天皇家は大変な不名誉となるから
最短で韓唐エベンキ国賊朝貢韓唐寄生虫偽日本とっととぶっ殺しておけ >>136
先も読め
シナチョンコエベンキ韓唐なんて日本でもないから国賊しか起こさないのは明白だった
関白?そんなもん名前だけだろ 東京応化工業(tok)は、半導体や液晶ディスプレイの製造に必要なフォトレジストなどの化学薬品、製造装置を提供している会社で...
エベンキ国賊寄生虫企業は南チヨンこエベンキでフォトレジスト生産か
国賊韓唐シナチョンコエベンキはちがうな 秀頼が豊臣の力を過信してたのと、人心掌握術がまるでダメだったのがね… >>142 秀頼はどうやら文武両道系ニキだったらしいね秀吉みたいにセコさがやっぱりかけていたのかな 淀君が秀頼を押さえつけてたって本当なのかね
片桐且元と大野治長クラスなら秀頼のお命を守るために尽力してたんだから、最後は秀頼の意思で戦うように持って行ったとしか思えん 淀君が豊臣家の差配してたのは確かっぽいけど、
資料だと淀君は基本戦争反対派っぽいんだよな…
ただ、なら何故徳川に恭順しなかったのかがわからなくなる。
ここら辺の支離滅裂な感じが政権末期感ある。 朝廷にしてみれば、数百年の間、摂関家で独占してきた関白職を奪った豊臣氏は、目の上の瘤だったはずだ。
関白だけでなく、大半の高位の官職を武家で奪ってしまい、長年築いた朝廷や公家の秩序が壊されていた。
だから、秀吉が他界して豊臣氏が弱った今、朝廷は徳川に加勢して豊臣を潰す側に回ったに違いない。
家康のほうが朝廷の秩序に理解があった。 >>148
足利義昭が秀吉を猶子にしていれば秀吉は征夷大将軍兼左大臣でも右大臣でも大将でも
良かった。
関白に拘わる必要がなかった。
むしろ征夷大将軍の方が都合がいい。 >>149
一時のカネで買った歓心ほど脆いものは無いぞ。
しかも朝廷ってのは長らく日本の中心で、さらにそれを支配している連中は様々な利権と結びついてる。
そこにカネだけで食い込もうとする田舎者なんざ、吸われるだけ吸われてポイよ。
モロこれを食らったのが秀吉よ >>118
例えば、豊臣の小田原城攻めと徳川の大阪城攻め、守備側の難易度の高さはどうなんだろうか?
長期戦の構えで餓えるのを待つのがセオリーなんだろうが、家康の命が持たないとなれば、徳川方は力攻めに出てくる事も考えられる。
万が一、包囲戦の最中に家康が死んだとなれば、死んだことをひた隠しにして包囲戦を続けるだろうけど、何時まで隠し通せるのかな。
豊臣としては、大阪城をギリギリのタイミングで明け渡すか、主力は西国に逃げるプランも、家康が死ぬまでの時間稼ぎとしてはあり。 >>128
秀頼2代目といっても、徳川の秀忠と比べてそんなに劣っているとも思えない。
意外と乱世の残り火のない平時だったら、家光みたいな名君だったかもよ。
初代の秀吉が、内政固めを磐石にするのではなく、朝鮮・明への出兵を志向したのが殆ど全ての原因。
で、結局何も得られなきゃ、大名の不満は高まるだけだよ。
ただ、当時は日本全体でも3000万石程度だけど、仮に華中平原まで掌握したのならば、ざっと3億石はある。
だから、唐入りにもし成功すれば、大名の不満なんて吹っ飛ぶレベル。
家康以外の諸大名が、20万人以上の大軍で渡海したのは、それなりに理由がある。
秀吉は外征によって、魅力的な新たな大名達の褒賞資源を求めたんだな。
なお、女真のヌルハチは、秀吉の入寇時に、勢力を拡大した。
明朝は本来、周辺国で内紛があって、大きな勢力ができつつある予兆があると、予防的に介入してこれを潰し、事前に強大化を阻止していた。
つまり、ヌルハチは秀吉の侵攻によって、監視の目が手薄になった隙を突いての強大化。
タイミング次第で、誰が中華皇帝に近づけるかが決まる。 >>152
問題は10月に始まったこの勝負が、
12月には決着した事だと思う。
小田原征伐は大体3月に始まって終結が7月だから割と頑強に戦争してたわけだが…
大坂冬の陣だと、塹壕が大坂城に掘り進められ、かつ織田が徳川に内通して南口の攻撃機能を大幅に削減、
とどめに大砲による威嚇砲撃やスパイによる情報撹乱…
ときてるからまずは一回決戦が起こるのは確実。
考えられるのは塹壕からの工作部隊の侵入、大坂城最大の弱点である南口への一斉攻撃、大坂城で織田がクーデター…
に、対して豊臣には凌ぐ以外の選択肢が無い。これがキツい… 韓唐国賊ロックアウトでなく空爆更地でエエやんけ
糞な存在価値しかなかったんやし
そもそも日本でも大和民族様でもないから >>154
当時の武士たちの所領拡大欲求は相当なものだったらしい。
外征するしかこの欲求に応える道はなかった。
あれだけ多くの大名が外征に応じたのは、外征が諸大名の希望に沿ったものだったとも言える。
戦国時代を収拾するというのは、それだけ難しいことだったということか。
豊臣政権にとって不幸だったのは、外征を成就する前に秀吉が没したこと、秀次を粛正したため、
成年の後継者がおらず、家中を統一できなくなったことだ。
信長と信忠を一時に失って、家中が瓦解した織田家と似ている。 大坂冬の陣の後に、秀頼が、婿養子として徳川忠長を迎えて、天秀尼と娶せるっていうのを
豊臣側から提案して講和したらどうだったんだろう。
徳川将軍家の血筋に豊臣家を継がせるということで屈服した形でもあるけど、忠長は千姫の
同母弟で、秀頼の従弟で淀殿の甥という近親であり、秀吉の孫で秀頼の娘である天秀尼が正
室なら、豊臣家の血統を残せる可能性が残る。
徳川家が実質的に豊臣家を乗っ取れることがわかれば、徳川家も当面は緩やかな対応にな
らざるを得ないのではないか。 良いアイデアなんだが、問題はそれを主張する前に大坂から出て行けコールされそうってのが なんで徳川が人質を差し出すような真似をしないといけない
最低でも大阪城を出なければどうにもならない
それには浪人衆の反対にあうけど 豊臣のために関ヶ原といっておきながら
シナチョンコエベンキ丸出しだし徳川はよ死に絶えろ 秀吉公は家安をぶっ殺しておくべきだったわな
秀長をして家康を始末させておくべきだった 家康処刑隊
秀長、小早川、加藤、前田、黒田、三成、上杉、佐竹、伊達、織田、真田
これでチヨンこエベンキ出兵前に自害させるべき 牢人衆なんか雇った時点で割と豊臣詰んでるんだよなぁ
約束した報酬(土地)を与えないと何されるかわからんから 関東を開墾して土地を与えようとする家康。
朝鮮・明に侵攻して土地を与えようと考える秀吉。
秀吉側は、外征を前提とした体制になってた。 新田開発って秀吉政権ではやってたと思うけど
まだまだ開発の余地あったよね。
あと物流網整備も。 >>170
政治家がよ、死んだ人間の夢なんか知ったことかよ 外征に無茶があったのは確か。
戦争ってむっちゃ金掛かる訳でそれが原因で潰れた家(武田)とかあるのに。 まずは台湾に攻め込んでオランダと仲良く統治して
江南から明征伐すべきだったなぁ
気候的に朝鮮経由は冬が厳しいし
米育たないからな オランダが豊臣政権と接触したのは秀吉死後
台湾・江南までの船・航路などの情報が足りない >>174
沖縄なら侵攻できる。
しかし山の険しい台湾だと、現地の首刈り部族との戦いになるので、山岳地帯の制圧はかなり不可能。
台湾中西部の平地を押さえるのが精一杯かな。
疫病との戦いにもなるね。 沖縄や奄美の民を兵士して侵攻すれば疫病は大丈夫だろ。
現地民には金か銀をばら撒いて懐柔させて
、現地民とともに江南に攻め込めば南京落として丸っと中原は秀吉のものだな
オランダには海軍力提供してもらえるし オランダの力を借りたら、結局面倒なところは日本がやって旨味は全部オランダが取るんだよな… 福島やら加藤やら突っ走って鴨緑江まで行ったからな。糸の切れたタコ
ちゃんと三成の手綱に捌かれてりゃあ
秀吉の生きてるうちに北京まで行けてるさ モンゴル軍もインド軍に負けてるんだね
負けた記録はよく抹殺されるからよくある話 まず、韓唐エベンキという時点で皆殺しにしておけ
日本は平和になる そもそも三成は反戦派って事を忘れてはいかん。
関白が降伏しましたって書状に一枚噛んでるんだから。
実際問題、朝鮮というあまりに過酷な土地を経由して中国を狙うのは危険過ぎた。 そもそも秀頼は秀吉の子ではないから士気が上がらないので勝てんです 秀頼が参陣しなきゃ外様の豊臣方大名らが参戦できないじゃん まあ赤ん坊にしてもさ
どっか隠れてるなら例え味方と言えども動けないだろ
関ヶ原ほとんど豊臣配下の近親衆のみだけだろ戦ったのさ トランプちやんヒユーストンシナチョンコエベンキ領事館閉鎖
シナチョンコエベンキは書類燃やして応戦
エベンキ中国大使館を捜査したら韓唐エベンキとシナチョンコエベンキの国賊証拠が頭狂エベンキドーム一杯ぶん出てくるんだろうな 中国狙っても維持ができないでよ
本拠地が落ちたとしてもまず従わないだろからそおなりゃ中国自体が分裂していくつも国がそのあと勃興することが考えられる あそこは一つのまとまった軍団て形式じゃないの
十以上の軍管区みたいのがそれぞれ存在していてそこから支持を取り付けた者が皇帝となるってやり方なんだよ
占領したらそれぞれの軍管区が独立して動き出すわけさ 反乱起こすのはだいたいどこかの軍管区の連中らが動きだして政権交代やからな
これはあくまで中国内部の身内話だからやがてはまたいずれまとまるわけ(°▽°) 力があるうちならまあおとなしく従ってることも考えられる
だが一度、力が衰えたな!となったらその政権に協力した連中ら含めていずれは壊滅の憂き目に合う
処刑方法もえげつないからな(°▽°)
人間バラバラにして解体料理を作りみんなで食ったらしいニダ(°▽°) 江南の長江流域だけでも占領して
農民から指示受ければそれで充分だろ。 食われるの嫌だから日本まで逃げてきたよ〜なやつらの伝説構成にしかならんだ(°▽°)
日本ではな 日本の捏造書籍とかじゃあ人間バラバラ料理になったよ!♪( ´▽`)は本が売れなくなるからお察し ●織田信長の息子・織田信孝の強い怨念と
(信孝は信長亡きあと豊臣秀吉に自殺に追い込まれたあげく
織田信孝の家族おろか妻の一族をまでも処刑された。)
信孝は豊臣秀吉に強い恨みを抱きながら最期の辞世の句
「昔よりの主を内海の野間なればやがて報いん羽柴筑前!」
現代訳
「昔よりここは主君を討つ故事の残る野間であるが、
後に時代がめぐり長田忠致が誅殺されたように、
やがてお前に必ずこの報いを晴らさんぞ秀吉よ!」
●豊臣秀吉による鳥取城全滅の渇え殺し城攻めと
三木城の煮込むような城内干殺し城攻めで
悲惨な状態で死んでいった城内に篭城して大量の死霊達の強い恨みが
徳川家康を頼って強い怨念霊達が家康に乗り移り豊臣一族を全滅させる為
大坂城攻めで豊臣一族全滅を決断させ、豊臣秀吉の一人息子秀頼を亡き者とし
秀頼の隠し子であった七才の国松の存在が発覚すると
家康号令の徳川方の執拗な捜索の末見つかり、民衆に晒され京で市中車引き回し後
家康自ら六条河原にて刀の握り、生前陰に陽に秀吉によって行われた悪行を強く糾弾し
徳川家康によって七才であるが豊臣家最期の血筋であるの国松の首を切り落とされる 結局、秀頼が言ったように徹底抗戦あるのみなんだが、
それが難しいんだよなぁ 勝つ方法?
前列を上げるならできるなら拠点を西国に移す 秀頼が秀吉の種じゃねえだろ。淀が豊臣を滅ぼしたんや 秀吉のキンタマは使い物にならんかったんやな
何でやろうな 若いころに高熱でも出したんじゃない
当時は栄養・衛生もよくなかっただろうし アホ韓唐はなぜにイソジンで発狂するのか
キチガイエベンキやからに決まっとるやんけ >>204
勝海舟は野良犬に襲われ陰嚢を噛み切られて睾丸が露出する程の裂傷を負ったのに、
生殖能力は失われなかったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています