>>267
鳥足文叩き土器は、5世紀中頃の大阪平野では長原遺跡、城山遺跡、八尾遺跡、メノコ遺跡などで出土しているそうだ。
この時期には土器生産は専門化しており、各集落が自家生産していたわけではないようだ。
四条畷の鳥足文叩き土器も専門窯から入手したものである可能性はある。
なので、四条畷の馬飼い集団の構成員が、馬韓・伽耶から渡来した者たちであったとは言い切れないのではないか。
馬関連の日本語の語彙と女真語の語彙がよく似ていることからして、四条畷の馬飼いは女真人(粛慎人)であったとするのがよいと思われる。