>>462
このサイトの記事にも出てくる倭鍛冶の祖の天津真浦は、先代旧事本紀では「倭の鍛師等の祖」とされており、
また諸系譜ではこの天津真浦は天目一箇神の別名だとしているそうだ。
ということは、大和の物部氏の祖が天津真浦であるとし、その別名が天目一箇神だということになる。
天目一箇神は宗像ー秦ラインでみられる鍛冶神であることからして、
やはり物部氏は元々は宗像ー秦ラインの剣倭鍛冶集団だったとみることができそうだ。
交野の鍛冶炉が瀬戸内系の炉型であったとしても、それを用いた物部氏が瀬戸内系だったとは言い切れないのではないか。