>>524
南方系シャーマンは、神の憑依によって神の言葉を告げる存在。
その神のお告げは普通の言葉で行われるのではなく、神の憑依を受けたシャーマンが口走る音を解釈する者が側にいて、その解釈によって神のお告げの内容を知ることになる。
日本書紀の崇神天皇の時に三輪山の神の大物主神が倭迹迹日百襲姫命に憑依して神意を告げた。
この百襲姫は第7代孝霊天皇の皇女で、大物主神との神婚譚が知られ、日本書紀では箸墓古墳に葬られたと記されている。
典型的な憑依型シャーマンの姿だと言える。
ところで、伊勢に鎮座した天照大神を祀るために崇神天皇の皇女の倭姫が天皇の代理として伊勢の今の多気郡明和町に当たる地に住んだが、
平安時代になると皇女を斎宮と呼び、京都から派遣されて倭姫のように伊勢に住むようになる。その住まいは斎宮寮と呼ばれた。
倭姫が住んだとされる場所のすぐ近くに設けられた。
そして、この平安時代の斎宮は、憑依型シャーマンの百襲姫の姿を踏襲した考え方のもとに伊勢に住んだことが明らかだ。
斎宮は百襲姫のような憑依型シャーマンとみなされたということである。
孝霊天皇の皇女の百襲姫は三輪山の大物主神の憑依を受けて神意を告げたように、
天皇の皇女である斎宮は伊勢の天照大神の憑依を受けて神意を告げる役目を担ったということなのだ。
どうして、そのようなことが言えるのかというと、斎宮が住んだ斎宮寮の位置と百襲姫が葬られたとされる箸墓古墳の位置が、真東に一直線上で結ばれているからだ。
百襲姫が葬られたと日本書紀が記す箸墓古墳の後円部の頂上は北緯34度32分21秒に位置している。
一方、天皇の皇女の斎宮が住んだ斎宮寮跡は北緯34度32分21秒に位置している。
つまり、まったくぴったしかんかんに斎宮寮は箸墓古墳の真東の線上に設けられたということができるのである。
驚くべき測量術だというほかないが、それよりも平安時代の神祇方が3世紀中頃過ぎとされる崇神天皇の頃の皇女である百襲姫を斎宮のモデルとしていたことである。
百襲姫の箸墓古墳の真東の線上に斎宮が住む斎宮寮が建てられていることがその証拠といえる。
斎宮は天照大神のお告げを受けるために伊勢に派遣されたことが分かるのである。