>>547
畝傍山の山頂から真東にある伊勢の月読見宮には妙なところがあるのだ。
月読見宮は平安時代までは外宮の摂社とされていたそうだ。
外宮から北の月読見宮まで約600mの距離である。
そして、内宮に目を向けると、天照大神を祀る内宮の北約2kmのところに月読宮がある。
月読見宮も月読宮も祭神は同じで、天照大神の兄弟神の月読見尊、伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られている。
パターンがまったく同じなのである。
つまり、元々外宮の位置に天照大神を祀る社があり、その北に摂社の形で月読見尊の社があったのではないか。
その後、豊受大神を丹後から遷座したときに、天照大神の社と月読尊の社を今の内宮の場所に遷座し、
その元々の場所には豊受大神が鎮座して、月読見尊の社はそのままに置いたということなのではないか。
男神であった天照大神が女神に神格を変えたのもこの時のことだと思われる。
こうして、天照大神の社の位置はヤマト王権から見て「真東」に位置しなくなったのであるが、
それと同時に豊受大神の神格が極めて大きくなって行く。
ここに伊勢神宮の大きな謎の一つが秘められているのである。