応神王朝の祭祀所は、畝傍山山頂とその東南麓の地だった。
畝傍山の真東ぴったんこに、伊勢の月読見宮が設けられていて、
畝傍山の東南麓の神武の宮の真東には、外宮が設けられている。
この外宮の場所が元々の日神天照大神を祀ったところだった可能性が極めて高い。
いずれも、大和の聖所の真東ぴったんこであることが重要だ。
また、後の平安時代のことであるが、日神天照大神を祀る役目を担った皇女斎王の住まいである斎宮寮が、
纏向のヤマトトトヒモモソヒメミコトを葬った墓であるとされる箸墓古墳の後円部頂上の真東ぴったんこの線上に設けられていることは、
この時代にも「真東」信仰が生きていたことを示していると言える。
真東は「調和」を表す方位なのだよ。