日本書紀に山門の地名が出ており、その同じ地域にやはり現在も山門があり、
そして九州にはあちこちに山門の地名があるのだから、昔から九州には山門が普通名詞としてあったとするのが妥当。
一方、奈良には、古来ヤマトの地名はみられず、後漢書で邪馬台国がみられるが、これは中国語としてはヤマドイ国と読む。
このヤマドイをヤマトと清音で読んで、それに大倭の字を当てたのがヤマト(大倭)。
というわけだから、ヤマトの由来は後漢書であって、元々奈良にはヤマトの地名はなかったの。