奈良時代に書かれた記紀の道教色を見れば、天武朝前後の朝廷がかなり道教好みであったと推測できる
そもそも天武帝の名前が、天渟中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと)と完全に道教だ
天皇の称号もこの頃産まれたのだろう
なぜなら道教では北辰を天皇大帝というのだから