【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!2
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邪馬台国阿波説なんて言うはハハハッと笑って見過ごせそうなものですが
『阿波古事記』や『阿波国風土記』などで検索すると阿波国こそが倭国であり
【邪馬台国から持統天皇までの出来事は全て阿波で起こった事】
であると、とんでもない電波を飛ばす阿波国古代研究所なる団体があります。
また、別の個人ブログでは【地名や伝承の捏造】も行っています。看過できません。
阿波説の出してくる資料は全て捏造ネタです。
825年 空海 「磯輪上乃秀真国之阿波国也」
これもやはり阿波説ブロガーたちの捏造だった。 ↓ハテナはアルファベットに
https://awa-otoko.ハテナblog.com/entry/2015/05/16/182951
https://阿波古代史.xyz/category1/entry10.html
太龍寺縁起には正しくは、こう書かれている。
『天神七代之内六世、面足尊煌根尊降居坐磯輪上、秀真国是也』
そして、本州、そして四国の紹介となり 『三云、大宜都比売、是阿波国也』
神世七代の第6代の神、【面足尊、と妹の惶根尊=秀真国】 【大宜都比売=阿波国】
捏造糞民族、国賊、朝敵阿波人。皇国から消えてなくなってほしい。
はずかしくないの?本当に、良心が傷まないの?馬鹿なの?死ぬの?
バレてもバレてもおかまいなし、倭は阿波、阿波は倭を繰り返し、全く無意味な主張を続けるのです。国譲り、乙巳の変、壬申の乱・・・これら全てが阿波で起こったと言うのです!
信じられますか?飛鳥の蘇我入鹿公の首塚もわざわざ阿波から移転したのでしょうか?
誰が何の為に?奈良・大阪の巨大古墳群に関しては阿波の分家が王家より巨大な墓を作るという明らかに矛盾した内容ですが、これらには全く答えようともせず、倭は阿波、阿波は倭を繰り返すのです。
執拗にスレ流しをする奴がいるのでまたやります。
前スレ【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1636244926/
では、彼らの主張を見ていきましょう。
阿波国風土記自体は現存しませんので、萬葉集註釋いわゆる「仙覚抄」の引用からです。 >>125
徳島県佐那河内村 「御間都比古神社」 祭神 「御間都比古色止命」
御祭神は「御間都比古色止命」(みまつひこいろとのみこと)で「御間都比古色止命」とは、
和風諡号が「観松彦香殖稲尊」とあるように孝昭天皇(こうしょうてんのう)のことです。
『先代旧事本紀』(国造本紀)には
「長国造志賀高穴穂朝御世以観松彦伊呂止命九世孫諱背足尼定賜国造」
とあり「観松彦伊呂止命」つまり「孝昭天皇」の九世孫にあたる「韓背足尼」
(からせのすくね)が長国の国造(くにのみやつこ)になったとあるそうです。 @阿波
http://goutara.blogspot.com/2011/09/blog-post_17.html >>126
粟國+長國=阿波國。 長国も阿波だからな。 無茶、言うな。 @阿波 ね、アホでしょ?
証拠に捏造サイトを出してくるんですよ。 >>130
だって、「阿波」しか無いんだから仕方ない。 @阿波 >>125
>こいつら御間都比古神社の祭神を孝昭天皇とか言ってるイカレだぜ。
>そんなの知ってる訳ないじゃん。
孝昭天皇は、「阿波」の人なんだから、阿波人がよく知ってて当たり前。 @阿波 孝昭天皇は「畿内」の人なんだから、阿電波が補欠の時のみに天皇の尻の座る大ケツ
人民で当たり前。 @阿電波 阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知天皇 云。
崇神天皇、仁徳天皇、宣化天皇 の称号です。
崇神天皇も仁徳天皇も宣化天皇も、、「阿波」の人なんだから、阿波人がよく知ってて当たり前。 @阿波 〇崇神天皇も仁徳天皇も宣化天皇も、「畿内」の人なんだから、阿波人がその
補欠時の大ケツになって当たり前。 @阿波 本来、「淡海」とは「阿波海」のこと。
そもそも通説とされる滋賀県の「大津」は平安遷都の際に「大津」の地名が誕生している。
よって天智天皇の時代には滋賀県(近江)に「大津」の地名は存在しおらず、現在の通説では不都合が生じてしまう。 @阿波 「山背を山城と改め新京を平安京と名付ける、また近江の古津を大津と称する」とあり、
天智天皇が六六七年に、淡海の大津宮を拓いた当時、滋賀県大津は存在していませんから。
近江=「淡海」とされていますが、これは後世の解釈によって踏襲されているだけ。 @阿波 「天智天皇 淡海の大津宮」とは「淡海には、鯨魚(いさな)を漁る舟が見え、時には沖の波が荒れ、
多くの島々と湊(泊)があった古津神浦である鳴門市撫養町の木津金比羅宮なのである。
以前に紹介した鳴門市北灘に鎮座する葛城神社の隠された祭神が天智天皇であるように、
天智天皇は阿波の鳴門一帯を政治の拠点としていたのである。 @阿波 「万葉集(巻二ー 一五三)の大后の御歌では
鯨魚(いさな)取り 近江(淡海)の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る舟 辺(へ)付きて 漕ぎ来る舟
沖つ櫂(かい) いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ
ここで歌われている「いさな」とは鯨の古称。鯨が滋賀県大津に隣接する琵琶湖に生息しているのだろうか。
ここの「近江(淡海)」とは紀伊水道の「淡海(阿波海)」なのである。 @阿波 「丹」も「橘」もあるのは四国だけ。 邪馬台国は四国に決まっている。
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠:「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 『日本書紀』や伊佐爾波神社(愛媛県松山市)の社伝、伊予国風土記逸文などによると、
厩戸皇子(聖徳太子)だけでなく、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)
・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)
など多くの皇族方が病気療養のため四国の道後温泉に行幸、来湯している。
それは取りも直さず、道後温泉が倭国王都(阿波)と同じ四国に在り、湯治場として近かったからに他ならない。 @阿波 畿内古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、
一発で「倭人(阿波勢力)」のお墓と判る。 @阿波 阿電波ゴリよ
いやあ、ウソも付くようになったねえ。丹はどこでも出てるだろうが。
https://trekgeo.net/m/e/cinnabar1.htm >>146
近くて命がけの渡海を取るか、わずかに遠くても、命をかけずに済む陸路を取るか。
大王の健康・安全を守る、側近の立場で考えてみよう。 @阿波 まさか!二人のミマツヒコは同一人物なのか!!
あ〜これやばいです。以前から考えていた妄想が出てくる。
ミマツヒコは天八現津彦本人かその子、あるいは孫とされている。
天八現津彦は一般的に長髄彦と考えれている。
ならば、やはり、【神武天皇は暗殺されていた】かも知れない。
さんざん阿波の妄想を読まされたんだから読んでくれ。
神武天皇
┣━━━━綏靖天皇
賀茂建角身━勢夜陀多良比売┓ ┏━媛蹈鞴五十鈴媛
┣━┫
素戔嗚━━大物主神━┛ ┗━天火明櫛玉饒速日
(事代主)━┓ ┣━━━━宇摩志麻遅
┃ ┏三炊屋媛
┣━━━┫
沼河比売┛ ┗長髄彦
大物主=事代主=布都御魂=武甕槌=大歳神
天火明櫛玉饒速日=賀茂別雷神=鴨王(天日方奇日方)
=迦毛之大御神(阿遅鉏高日子根)=布留御魂
媛蹈鞴五十鈴媛(伊須気余理比売)=下照姫=御歳神
長髄彦=天八現津彦=建御名方=天津甕星
三炊屋媛=瀬織津姫=厳之御魂
で、先日話した「大国主の出雲譲り」:「大物主の日本譲り」
大国主・事代主親子 : 大物主
建御名方 : 長髄彦
阿遅鉏高日子根 : 饒速日
下照姫 : 媛蹈鞴五十鈴
天若日子 : 【神武天皇】 >>147
忌部一族は航海技術も達者で朝鮮半島まで我が庭のように航海していたんでしょう?
阿波〜白浜なんかちょちょいのちょいなんで無いの??? ずれた!
神武天皇
┣━━━━綏靖天皇
賀茂建角身━勢夜陀多良比売┓ ┏━媛蹈鞴五十鈴媛
┣━┫
素戔嗚━━大物主神━┛ ┗━天火明櫛玉饒速日
(事代主)━┓ ┣━━━━宇摩志麻遅
┃ ┏三炊屋媛
┣━━━┫
沼河比売┛ ┗長髄彦 >>149
大王が命がけで朝鮮半島へ行っていたと思っているのか?
大王の健康・安全を守る、側近の立場で考えてみよう。 @阿波 >>149
>阿波〜白浜なんかちょちょいのちょいなんで無いの???
今の時代ならな。 もうちょっと時代感覚を身に着けよう。 @阿波 高速道路がつながった今でさえ、徳島から道後温泉はかなり遠いんですが・・・。
ちょっと対岸へわたる程度の海路が命がけって、忌部一族の能力を見くびりすぎでしょう。 >>149
今の時代でさえ、天気の急変で遭難沈没するんだから、大王がそんなリスクを取らんよ。 @阿波 >>153
>高速道路がつながった今でさえ、徳島から道後温泉はかなり遠いんですが・・・。
現に行ってるんですが・・・。 @阿波 >>155
道後温泉に、万難を排して行く価値が有ったんでしょう。
決して「近いから」が理由では無いと考えます。 >>153 板野に居たの
で、「邪馬臺国」はどこなんだ? @阿波 >>158
なんか胡散臭くなったな。 それって、もやっとしたものか? @阿波 @阿波さんと決定的な違いは、エリアの広さね。
阿波だけでは残念だが狭すぎる。 >>159
なんかおもしろくなってきたぞ。 その沿岸国同盟の盟主国(女王国)はどこだ? @阿波 >>162
やっぱりな。 もやっとした妄想を言ってるだけかw つまらん奴。
別に苦労なんかせんでも、鮎喰川下流域の集落群が盟主国(女王国)だ。
遺跡が証明してくれる簡単な話。 わははははは @阿波 1跡が証明してくれない二名話。 わははははは @阿電波 今日の徳島新聞朝刊(鳴潮)に、「邪馬台国はやはり奈良でしょう、という立場ながら云々」とある。
「ながら」に続いて、佐那河内村の大川原高原からの眺望を紹介して、ここが神話の起こりかのような感想をも述べている。
事程左様に、「阿波」に深く関係する人でも、もやっとした妄想から抜け出せていない現状がある。 @阿波 >>182
それが正常な人の意見。
トンデモ妄想は一般人には迷惑です。 妄想は楽しいからOK
ただし、論が必要。
ただ言うのはつまらないし、捏造の上に妄想とかもってのほか。 >>183 板野に居たの
>トンデモ妄想は一般人には迷惑です。
自戒だな。 @阿波
その沿岸国同盟の盟主国(女王国)はどこだ?
>それが分かれば苦労せんってw >>184
>ただし、論が必要。
ただの論は、妄想の羅列。
論より、証拠! @阿波 古事記の中にはさらっと山上生活から平野での生活の変化が示唆されているが、
その話は、忌部一族の言い伝えがベースとされている可能性が有る。
レキシが歌う「狩りから稲作へ」をほうふつとさせる場面であるが、
阿波の歴史に置き換えると、神山から鮎喰へ、「ソラから平地へ」である。 「ソラから平地へ」は決して阿波だけの話ではなく、
同様の移動が日本列島各地で起きたで有ろうことは、容易に想像できる。 >>188
>同様の移動が日本列島各地で起きたで有ろうことは、容易に想像できる。
想像より、証拠! 想像・妄想だけなら、だれでも出来る。 @阿波 〇想像より、証拠! 俺のは想像・妄想だけだから松沢病院へ行ける。 @阿電波 >>192
太国 ◆ZgyHKik.H2さん、松沢病院は東京ローカルで全国的に通用しませんってw
なんか気に入られているみたいですが。 >>193
すでに阿電波も松沢病院を覚えたようだから、かまわんよ。w
ならアーカム・アサイラムにするか?ww アサイラムの意味わかるよな?
ジョーカー崇拝らしい京王線だったか、あのHなんかここに入所がいいな。w
バットマン アーカム・アサイラム ps4 ps3だったな。訂正。
ps4だと「バットマン リターン・トゥ・アーカム」収納だった。 雄大なる吉野川を見るたびに
古代に文明があってもおかしくないと感じるね
一度徳島に来てごらん、でかさにビビるよ 「板野に居たの」は、阿波人だったけれど、それを意地でも肯定できないひねくれ者・阿波の裏切り者。 @阿波 @阿波の証拠って、千葉には東京ディズニーシーがあるから千葉は東京です。
ぐらい意味がなくて証拠になってない。 >>203
あのへんは阿波でなく安房のほう。
阿電波にこの前、盲象飛躍ダンボでネズミー・ランドに落下だと警告したのさ。w 斐伊川のうねりを見るたびにヤマタノオロチを感じるね。
スサノオが治水を行って(退治して)上流の大東鉱山で剣を作ったんだろうね。
天叢雲剣が当時の他の剣よりも硬かったのは一因に、
モリブデンが含まれているためとの説がある。
一度島根に行ってごらん、阿波にスサノオがいたなんて幻想が吹き飛ぶから。 >>205
>一度島根に行ってごらん
「其山有丹」が無いところへ行ってもねぇww まっ、出雲忌部の痕跡めぐりはいいかもね。 @阿波 >>206
「其山有丹」は阿波説が邪馬台国の証拠としているものじゃないのか?
間違ってるけど。スサノオ伝説とどう関係があるんだろう。意味がわからないな。 >>207
>スサノオ伝説とどう関係があるんだろう。
「其山有丹」は「魏志倭人伝」に関係するが、スサノオ伝説は「魏志倭人伝」と関係したっけ? わははははは @阿波 >>200
でかさにビビるばかりじゃなくて、この両岸に特異な集落遺跡が、川上から川下までずらっと並んで存在するんだよね。
圧巻である。 @阿波 >>210
吉野川はでかい。両岸に特異な集落遺跡がありおおよそ一般的な民衆の住むような土地ではなく
何らかの技術集団の集まりと推測される。だから、持統朝までの王都は阿波ではない。
ただの古代自慢ならスレチなのですけどね。 雄大な吉野川の河口部は、江戸時代に水運のために掘った水路が度重なる洪水や氾濫で広がってしまい、
結果、放水路の役割を果たすことになったという、人為と自然の複合的な産物です。
元の本流は旧吉野川や今切川、正法寺川、前川や別宮川などが織りなす三角洲地帯で、
今見るような大河では無かったようです。 >>212
>両岸に特異な集落遺跡がありおおよそ一般的な民衆の住むような土地ではなく
えらい飛躍した決め付けだな。 わははははは @阿波 >>223
根拠が捏造の阿波説に言う資格なし。>>47-50 『和名抄(わみょうしょう)』(平安時代)によれば、香川県(讃岐)の水田面積は18,647ヘクタール、
対して徳島県(阿波)のそれは3,414ヘクタール(このうち 那賀(なか)郡の水田が半分以上を占めていたと思われる)。
ちなみに香川県の面積は約1,883平方キロメートル、徳島県は約4,146平方キロメートル。
阿波は、讃岐の2倍以上の広さでありながら、水田面積は5分の1以下しかなかったことになります。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/1.html 〇俺はいつもえらい飛躍ダンボした盲象決め付けだな。わははははは @阿電波 阿波(あわ)一国を与えられた 蜂須賀(はちすか)氏は、入国早々、阿波の検地にとりかかりました。
さぞかし驚いたことでしょう。わずか数千haという水田の少なさ。さらに、名に負う吉野川の暴れぶり。
江戸初期1659年から幕末1868年までの200年間、この川の洪水は約100回。2年に1度という計算になります。
おそらくまだ当時、吉野川の下流平野はおびただしい数の派流が流れる一大氾濫原だったのでしょう。
左図は寛永(かんえい)15年(1639)の絵図の写しといわれていますが、現在の吉野川とは著しく様子が異なっています。
確かに水田が少ないのもうなずけます。この大氾濫原が2年に1度の割で洪水に襲われるとしたら、農民はたまったものじゃありません。
特にこの地は台風の通り道ですから、半年かけて育てた稲が収穫できるかどうかは、博打のようなものです。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/3.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています